story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

彼方からの女神

2020年02月14日 21時47分28秒 | 小説

 

 

 

いつものBarに行く
小柄な髪の長い女性が止まり木に腰掛けている

このところ
特に半年前に離婚してから良いことというものがない
今の僕は、相次いで死去した父母が持っていた旧家に一人で住み
会社の中ではまるで阻害されたかのような窓際の仕事をしている

仕事以外にすることはなく
その仕事も誰にでもできる集計作業ばかりで
およそ生きがいというものからは程遠い

そして離婚の数年前から妻に触れたこともなかったが
普段の仕事でも生活でも
異性と接することなどなくなってしまい
時折、猛烈な孤独感を味わうことがあり、それが怖くて
仕事終わりにはよくこの店に来る

いつものBarはマスターが穏やかに接してくれる
落ち着いた大人の店だ
その店にいた女性客は、後ろ姿だがこの店の常連ではなさそうだ

「こんばんは」
一応声をかけて彼女と一つ離れた止まり木に落ち着く

彼女は「おひさしぶりです」という
「以前、お会いしていましたか?」
僕は不審な表情をしていただろう
「とっても懐かしいわよ」
彼女は顔を僕に向けた
とても美しい女性だ
だが、思い出せない
彼女は僕の隣の席に移ってきた

「君が来るのを待っておられたよ」
マスターがおしぼりを渡してくれながら僕に言う
「僕を・・ですか・・」
すると彼女は悪戯っぽい表情でこういう
「あなた、大野純一さんね」

美女に待たれるのは光栄だが
僕には彼女への記憶がなく
なんだか気味が悪い

「失礼ながら、お会いしたことを失念しているようです」
「でしょうね、でも、ワタシにはわかってるから」
僕よりは十歳以上年下に見える彼女はそう言って微笑む

「分かっておられるんですか?」
「うん、ジュンちゃんにはわからないかもね」
自分のことを「ジュンちゃん」などという女性には出会ったことがない
この間まで結婚していた妻もそうは呼ばなかった

彼女は細身のタバコを加え
慣れた仕草で火をつける
「あら、ジュンちゃん、煙草は好きじゃなかったわよね」
「いえいえ、ここは大人のBarですから・・ご自由にどうぞ」

彼女はにこっと微笑む
そういえばどことなく、会ったことがあるようにも思える

小柄な身体に小さな顔
長い睫毛、きれいな鼻筋
顔はやや面長だが
そのすべてがバランスよく収まっていて美しい

「あなたのお名前は・・」
僕はやっと問う
「瑞枝とだけ、覚えていて」
そういって、指でカウンターに漢字を描いた

そういえば聞いたことのある名前ではある

「いつの間にこんな美人と知りあったのやら」
マスターが茶化しながらグラスを置いてくれる
「言われても、本当に記憶にないんですよ」
彼女、瑞枝はきれいな笑顔を向ける

「ジュンちゃんがすごく寂しがっていたから」
「僕が・・ですか?」
「そう、離婚して半年以上、もういろいろ限界だとか・・」
「瑞枝さん、なんでそういうことまで知っておられるんですか?」
「ジュンちゃんのこと、知らないことはないわよ」

彼女はタバコをもう一本咥える
マスターがそっとライターを持っていく

「大変だったよね、でも、奥さんもご自分の道を歩くんだから」
「はぁ」
「ジュンちゃんもそろそろ踏ん切りをつけなくちゃ」

この女性は元妻が僕のためによこしたのだろうか

彼女が呑んでいるのは日本酒のようだ
水割りを入れるグラスに
なみなみと注がれているそれを
彼女はまるで水でも飲むがごとく
くいッと飲み干してしまう

「ああ、美味しいわよね、ホント久しぶり」
「お酒も久しぶりなんですか?」
「そうね、40年ぶりくらいかしら」

それを聞いた瞬間、僕はすぐに返した
「それはあり得ないでしょ」
「どうして?」
「だって、あなた、瑞枝さん、どう見ても三十歳代ですよね」
「あら、女性の年齢を読もうとするの、失礼よ」
「いやいや、あなたが、不思議なことをいうものだから」
すると彼女は軽く微笑んで僕を見つめた
「本当だわよ」
独特の波のようなイントネーションがあった
このイントネーションには覚えがある・・・
だけれど彼女のことは思い出せない

「こうして久しぶりに美味しいお酒を呑むと・・」
「なんなんですか・・」
「この世って素晴らしいわと思えてくるよね」
「なんだか大げさですね」
「そう?ジュンちゃんも・・いずれ思うわよ」

マスターが僕の前にも日本酒を置いた
「こちらの方から・・」
「いや、奢ってもらうような関係では・・」
「いえいえ、どうぞ、久しぶりに会えたから」
彼女は自分のグラスを僕の前に差し出す
誘われて僕はグラスを重ねる

彼女がまた一気に日本酒を飲み干すのを見て
僕もグイっと呑んだ
「うまい」
思わず声が出た
「でしょう・・」
そう言って彼女は軽く笑う

呑んでしまえば、もう要らぬことは考えず
相変わらず僕のことをよく知っていて
そして僕を「ジュンちゃん」と呼ぶ不思議な女と
他愛もない会話を楽しむ

いつもは多くの客で賑わうこのBarだが
この夜は一人も他の客は来ず
僕たちはゆっくりと二人だけの会話を楽しむ

そのあと
彼女が「行こうか」という
何処へ行くのかはもはや決まっているようで
僕は彼女と連れ立って店を出た
店への支払いは彼女がしてくれた
タクシーも彼女が頼んでくれた

たぶん、うんと年下のこの女性が
なんだか、自分にとって目上の人のような
・・不思議な感覚だ

近くのホテルまでタクシーで行き
彼女の後について部屋に入る
もはやかなり酔っている僕には
後先のことはどうでもよかったし、気にしなければならないものは
彼女の素性以外は何もなかった

「ねぇ、ジュンちゃん、寂しいのなら抱きしめていいわよ」
彼女は僕をいざなう
「思い切りここで出しちゃいなさい」
言葉が終わるか終わらないかのうちに
僕は彼女をベッドに押し倒していた

半ば強引だと思ったけれど
彼女はすぐに受け入れてくれる

あらわになった胸を見た瞬間
自分の中の
懐かしい部分が一斉に鳴きだしたような気がする
「そうそう、おもっきりおいで・・」

母に甘える赤子のように
僕は彼女の小さくて形の良い乳房を吸う
からだ中から自分が求めていたものが
喜んで出ていく気がする
これは、オトコとオンナの関係ではなく
母と子の関係なのではないのか・・
一瞬だがそう思う

うんと僕より若いはずの彼女は
僕を上手にリードして
これまで経験したことのないような快楽へと導いてくれる

鈍い明りに
やわらかな肢体が広がる
それはこの世のものとは思えぬほどに美しい

全てが終わると彼女は僕を抱きしめて泣いた
「会いたかった、会いたかったよ、ジュンちゃん」
それが何を意味しているか僕には理解不能なはずだが
僕は素直にその言葉を受け入れる

それはもしかしたら
次元を超えた話なのではないだろうかと
うっすらと、心がつぶやくが
身体中にたまっているものをすべて出し切ったからか
僕はそのまま眠ってしまった

朝が来たようだ
ここはシティホテルでそれゆえか
明るい日差しがカーテンの隙間から差し込んでくる

「起きた?」
彼女が隣にいる
昨夜のことが夢だったのだと
無意識にそう思うことにしていたのだが
現実に彼女が目の前にいる

「もういちど・・」
彼女は僕にさして大きくない乳房を吸わせる
何かが乳首から出てくるわけではないが
身体の中の疲れがすべてそこで癒されて帰ってくるような気がする

激しい抱擁の後
彼女が僕に抱きつき、耳元でささやく
「ね、今回はこれでおしまい・・ごめんね」
そうだろうな・・こんないい事が続くはずがない
「だけど、ジュンちゃんはもうすぐ、今のわたしに出会うんだよ」
「は?」
「その時には、必ず、初めて出会ったと、そう思ってね」
「どういうことですか?」
「今日のわたしと、これから出会うわたしは他人・・」
「ますます分かりませんが・・」
「その時が来たら分かる・・」
「はぁ」
「それから、仏壇の仏様の下の扉を開けてね」
「それって、うちの仏壇です?」
「そう、ジュンちゃんちの仏壇、そこを開けてね」

そのとき、ルームサービスが部屋の呼びボタンを押した

いつの間に頼んだのか、朝食が用意されていた
「カーテンを開けようか」
彼女はそう言い、バスローブの姿で立ち上がってカーテンを開ける

豊かで温かく、美味しい朝食を済ませた後
ふっと彼女はいなくなった
部屋の何処にもいないし、彼女の荷物も部屋にはない

仕事へ行く時間が来たので僕は仕方なくフロントへ行った
「お連れ様は所用があるからと先に帰られました」
フロントマンが慇懃に言う
支払いは終わっていた

その日は仕事をし、夜に自宅へ戻る
両親が亡くなってから滅多に入ることのない仏間に入った

そっと仏壇の扉を開け
内扉も明けて
その下の引き違いの扉を開ける

そこにはいろんな封筒が積み重なっていた

一つずつ、その封筒を開ける
戸籍謄本だとか、家の権利書とかが出てくるのだがそれは想定内だ

一番奥にひときわ古い茶封筒があった
それを開けようとすると、その封筒はぽろぽろと崩れ落ちる
そして中から出てきたのは
古い一万円札紙幣の束が三つ、それも崩れかけているものが出てきた
そして、茶色に変色した紙片が二つ
「ジュンちゃんへ」と書かれていた紙片の文字は優しく強い書体で筆文字だった

もう一つの紙片は崩れかけたモノクロ写真で
そこに写っているのは美しい女性だ
着物姿だがまさに昨夜のあの女性・・
瑞枝だ

そういえば、僕が生まれてすぐに
曾祖母が亡くなったと母に聞いたことがある
「ジュンの大きくなるのをすごく楽しみにしていたんだよ」
母も祖母も確かにそういった

曾祖母は奔放な性格で
一時は満州にわたり結構な財を成したとか
当時としては珍しく恋愛結婚をしたとかいう話を思い出した

ひいばあちゃんが、僕を助けてくれたのか・・・・
僕のなかで昨夜の美しい肢体と曾祖母がゆっくりと繋がっていく

あらためて、先に仏壇から出てきた戸籍謄本を見てみた
それは父の謄本で、父の祖母の名前はまさに瑞枝だ

それから数か月後
僕は偶然にも、あの店で瑞枝に似た女性に出会った
だけど、その女性は僕のことは全くなにも知らず
それでも不思議に意気投合した

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