story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

忘れたい、無いものにしてしまいたい思い出もある

2021年01月17日 18時53分53秒 | 日記・エッセイ・コラム
あそこで君と待ち合わせしたのに、君ときたら2時間も遅れてきたんだ。
携帯電話などない時代、待つしかなかったんだよね・・・
駅のコンコースでだらしなく座り込んでいる僕をみて、君は「ごめ~~ん、おごるから」と拝むように手を合わせてくれた。
 
あるときは、誘われて・・でもその日の僕は体調がよくなく、38℃の高熱を出していて、でも連絡の入れようもなくここで僕が待っているとやはり君は遅れてやってきて、こんなことを言った。
「風邪?そんなもん、アルコールで消毒すれば治るわよ」
そして実際、大酒を呑んだ僕の体温は平熱に戻っていた・・
 
言い合いの喧嘩もしたし、君を泣かせたこともあるし・・
でも阪急三宮駅は僕にとっては黄金の思い出のある所だ。
 
そんな思い出も何もかも吹っ飛んだ26年前。
いち早く解体が告げられた阪急三宮の駅ビル、阪急会館、
 
あの日から10日ほどして区間開通した鉄道でやっとここに降り立った時、あの何かが焼けたような匂いと小便の匂いが入り交ざった不思議な空気の中で、僕は立ちすくみ、本当にこの街が元に戻るのだろうかと悲嘆にくれた。
 
愛する神戸の街のそのほどんどが粉々の瓦礫となって地面にばら撒かれていた。
 
ちょうどそのころ、野戦病院のようになった勤め先で、同僚や後輩が被災して命を落とすものもある中、奮闘する君の姿があったはずだ。
新聞で君の病院の悲惨を知った。
だがその時、僕は誰かに連絡を取るより自分のことだけ、自分の家族のことだけで精いっぱいの状態だった。
君の奮闘を知ったのはずっと後になってからだ。
 
美しくない思い出。
あの何かが焦げている匂いと、小便の匂いは、たぶん二か月ほど、この街のあらゆるターミナルから消えることはなかったのではないだろうか。
 
僕は震災を忘れたい。
もうないものにしてしまいたい・・
 
だが、声高に「忘れてはならない」と叫ぶ方々もある。
忘れていいんだよ、辛い思い出は。
忘れてならないのはあの時の記録ですと、小さな声で言っても誰も見向きもしない。
今年も僕の感情を崩壊させるテレビドキュメンタリーが延々と流れる。
 
だから僕はこの日はテレビを見ない。
 

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