おもしろき ー熊本、鹿児島、宮崎で過ごした日々🌟🌟🌟

おもしろきことのなき世をおもしろく!Carpe Diem. 人間万事塞翁が馬。人生いろいろあるから、おもしろい!

長い話

2011年05月23日 13時32分51秒 | 回想録
とりとめもなく、昔のことを書く。
中2の頃、友達といかに自分の部屋の内装がかっこいいか、競っていた。
自分の部屋に友達を招いたり、友達の部屋を訪れたりして、自分の部屋の内装を自慢しあっていた。
当時、部屋をデコレートするうえでの必須アイテムはタペストリーであった。
あの頃の若者の部屋には必ず、タペストリーがあったと思う。
僕の部屋は我ながら最高で、赤いラジカセ、ジェームスディーンのタペストリー、テレビとビデオ、電話にクーラーまであった。
極めつけは数えきれないほどのカセットと漫画だ。それらをきれいに並べていて、友達を招くと喜んでくれた。
中3になると、自分の部屋だけでは飽きたらず、裏山へ秘密基地を作りに行った。
竹と針金で骨組みを作りビニールシートをかぶせ、小さな小屋を作った。
椅子と机を持って行き、雨の中、ポテトチップスを食べながら、漫画を読んでみたりした。
変わった少年だったと思う。小屋のすぐそばには、湧き水が流れていて、小さな池を作った。
金魚すくいで捕った金魚を三匹、その池にリリースした。しばらくすると、異常な大きさになり、驚いた。当時、チーターという名の猫を飼っていて、冬の寒い朝、チーターは自宅の庭で凍っていた。
家族に見せると悲しむと思い、スコップを持っていき、小屋のすぐそばにチータを埋めた。
当然、その日は学校に遅れてしまった。
こっぴどく怒られたが、言い訳をしなかった。当時の中学生にとって、優しいというのは恥ずかしいことだった気がする。
今まで、数えきれないほどの猫を飼ってきたが、自宅で死んだ猫はチーターが最初で最後である。
しばらくして、父親が枯れかかった植木を捨てようとしていた。
チータには墓石もなかったので、チーターを埋めたところにその植木を植えようと思い、父親から、それをもらった。
父はどうせ枯れてしまうのに、何に使うのか尋ねてきたが、答えなかった。
実際、植えてみると、その植木は枯れるどころか、元気を取り戻した。
しばらくすると、2倍の大きさになった。
僕には何故か、枯れかかった植木が復活する予感がしていた。
前にもブログに書いたことがあるが、成人するまでは一種の予知能力があって、たまに、絶対こうなるとわかることがたまにあった。もちろん、いつも、分かれば苦労はしなかっただろうが…。
いつの間にか、秘密基地のことを忘れてしまい、大学になって、ふとその秘密基地のことを思い出した。
帰郷することがあり、裏山に行くと、そこには新しい家が建っていた。
池があったところはコンクリートで固められてあり、植木があった場所は駐車場になっていた。
しばらくそこに立ちすくんでだ。
しょうがない、しょうがないと自分に言い聞かせた。
形あるものが崩れる時、何とも言えない寂しさが襲ってくるのは僕だけだろうか?
ものや風景には命はないけれど、そこで過ごした思い出がある。
そこからの点景を生涯、味わえないと思うとたまらなくなる。

職場が57号線沿いだった時、夕陽が異常にきれいだったことをここに書いたことがある。
閉鎖が決まったその3月、ある女の子の父親が、2階のロビー前のベランダで、夕陽を見ながら、涙を流していた。
おもいきって、話に行くと、娘が高校生になることと、毎日のように送り迎えをしていた日々が昔のものになってしまうことがたまらかったらしく、もうここから夕陽を見れなくなるので、目に焼きつけておきたいということだった。
僕ももらい泣きをしてしまった。

共感できる人がたくさんいる。思い出は財産だと思う。忘れてしまうことはあるが、ふとしたことで、記憶が戻ることがある。

これからも一生懸命生きて、素晴らしい思い出を作り続けようと思う。