幸彩学習塾 オフィシャルブログ

埼玉県久喜市にある幸彩学習塾のオフィシャルブログです。
日々の塾での出来事を綴ります。

格差が生まれるとき

2021年09月03日 01時54分00秒 | 日記・エッセイ・コラム
夏休みが終わり新学期が始まりました。
当地区の中学校は分散登校でのスタートとなりました。

自宅組は、学校の授業がグーグルミート(だったと思います)を使ってリアルタイムで配信されるので、それをタブレットで見る形式になっているそうです。
オンライン組の発言が拾われにくかったり、プリントが手元になかったりなど、生徒の皆さんに聞いてみると、まだいくつか課題はあるようですが、プリントしか配布されなかった昨年に比べると大きな進歩だと思います。


個人的には、なんだかんだで対面での授業が一番いいという考え方に変わりはありませんが、当塾も昨年、Zoomを使ってこうした双方向オンライン授業を行ってみて思ったのは、緊急時にはこういう形でも学びの機会が保証されることは、とても良いことだと思います。

ただ、オンライン授業はどうしても学びの差が大きくなってしまうように思います。
積極的に授業に取り組むかそうでないかは、対面授業でも同じではありますが、オンラインの方がその格差は大きくなるように思います。
こういう状況でも積極的に授業に参加し取り組んでいく人と、そうでない人、
その差はリアルな対面授業よりも大きくなってしまうように思います。

便利な世の中になり、いろんな道具が生まれてくるほど、皮肉なことに、それをどう使うかで格差が大きくなってしまうのが世の常だと思います。
例えばスマートフォン。
スマホを単純に時間やお金を消費するためのものにするか、
モノを調べたり、創作の道具として使うなど、生産のための道具として使うかで、
同じ道具を持っていても、かなりの差が生まれてきてしまうように思います。

オンライン授業もスマートフォンも、それ自体に問題があるわけではありません。便利なものであるということに変わりはありません。
ただ、それを与えられた人が、その道具を消費のための道具として使うか、生産のための道具として使うかで、大きな格差が生まれてきてしまうように思います。
道具に価値を与えるのはそれを使う人で、その道具がどのような価値を与えられたかで、天使にも悪魔にもなる、そんなふうに思います。


そしてそれは、便利になればなるほど、見えにくい格差として、そして気づいたときにはとてつもなく大きい格差として見の前に現れてくるように思います。

分散登校でもオンラインで授業ができるほど便利な世の中になってきました。でもそんな世の中だからこそ、問われるのは一人ひとりの道具の使い方、主体性なんだろうと思います。
道具に価値を与えるのはそれを使う人間です。道具にどんな価値を与えるかで、人の間に横たわる格差がますます大きくなってくる、私はそう思います。

道具にどんな価値を与えるかで起こる格差、私は生徒さんにそのことをしっかりと話し、共有したいと思っています。
そうすることで、道具をどのように扱い、どのように価値を与えるかを知ってもらい、激しい時代の変化の中でもたくましく生きていってもらえる人に成長していってもらえたら、そう思っています。

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