133 ハラリ氏 民主主義VS. 権威主義
その2
驕れる中国とつきあう法
民主主義VS. 権威主義
ユヴァル•ノア•ハラリ
文藝春秋 2022 4月特別号(3月10日発売)より抜粋
(その1より続く)
中国のディストピア•テック
ーー 中国の共産党は政権は、統治のために最新のテクノロジーを駆使した「監視システム」を活用しています。この点がこれまでの権威主義国家とは大きく異なるところです。その実態はどのようなものなのでしょうか。
ハラリ 五億七千万台もの監視カメラ、コロナ追跡アプリの他に、中国版G PS「北斗」は中国国内のほぼすべてのスマートフォンに搭載されており、あなたが今どこにいるか把握されています〈中国国内のi phoneもニ○二○年十月から対応チップ搭載)。AIを用いた顔認証技術「天網」は、監視カメラのデジタル映像から個人を自動的に識別できます。
時空スマート操作システム「崑崙鏡」(中国古代神話に登場する十大神器のひとつに由来)は、位置情報とデジタル情報を組み合わせ、人や物の動きを正確な把握することができます(「社会の心電図」と呼ばれている)。北京冬季オリンピックで有名になったのは「My2022」。全参加者にインストールを義務化しましたが、音声データまで収集できると言われています。
こういったテクノロジーは元々、新疆ウイグル族の監視のために試験的に導入され、実用化されたものです。あなたはジャーナリストですから、中国に入国した瞬間から監視されるでしょうね。中国は現代のデストピア(暗黒世界)そのものです。しかし、民主主義国がこのデストピアとは無縁と思ったら大間違いです。パンデミックが始まって以来、中国のみならず、台湾、韓国、シンガポールなどいくつかの民主主義国で、スマートフォンによる感染者の追跡•監視システムが導入されました。ここで大事なことは、まず私たちはプライバシーと健康のどちらかを選択することを強制されるべきではないということです。プライバシーも健康も人間にとっては重要であり、享受すべきものだからです。
パンデミックと戦うには、警戒が必要であるのは言うまでもありません。しかし、パンデミック対策の名のもとに政府が一方的に監視体制を強化することには注意しなければならない。プライバシーを侵害することは民主主義の弱体化につながります。
監視体制の強化にあたって民主主義を弱体化させないためには、重要な原則があります。それは市民への監視を強めるなら、政府への監視も強めろということです。政府が市民のやっていることをより多く知っている場合、市民も政府のやっていることをより多く知っていなければなりません。もし、政府が「危機の真っただ中にモニタリングシステムを確立するのは難しい」とでも言うなら、それは信じてはいけません。
政府がスマートフォンに入れたアプリを使ってコロナウイルスや市民の行動を監視するのであれば、それと同じように政府のコロナ対策予算がどのように使われているかをモニターできるアプリを公開すべきです。
民主主義国のリーダーたちは、監視対策を一時的な対策と言うでしょうが、政治的な権力は国民を監視したがるものです。一時的な対策は、緊急事態が終わっても生き残るという不快な癖があります。「緊急事態が常に隠れている」という口実はいつでも通用するからです。でも政府を監視しないと、本当に中国のようなパノブティコン(全展望監視システム)社会に一歩近づきます。ですから政府を監視できるシステムを同時に整備しておかないと、一方的な権力による監視システムが永久的な対策として定着する恐れがあります。(その2に続く)
データ独占は危険だ
ーー 監視体制の強化は、民主主義国でも起こりえるということですね。
ハラリ データの所有者がその国の将来を決めます。だから政府だけが市民のデータを持つとそれが獨裁主義の危険性につながります。ここで重要なことは、データを少数の機関に集中させないことです。政府か企業かは問題ではありません。どちらも同じくらい危険です。ITデジタル技術の発達によって、いま歴史上初めて、自分が自分について知っているよりも、他の人や機関が自分のことをより多く知ることが可能になったのです。人類を「ハックする」のに必要なものは、十分なデータとデータ処理能力。それだけでできるのです。
ーー それがあなたが危惧する「デジタル独裁主義」につながるということですか
ハラリ そうです。テクノロジーが気づかれないまま、市民をコントロールすることができるようになると、デジタル独裁主義に至ります。これを防ぐためには、データを一カ所に集中させないこと。これは効率が悪いように思えるかもしれませんが、、この非効率さはマイナスよりもプラスになります。
自然のシステムを見ればわかる通り、非効率さと余剰性(無駄)がたくさんあり、それだからこそ、それがあるからこそ、よりレジリエントになるのです。人生において少々の非効率は問題ないでしょう。監視体制の強化はパンデミックのマイナス面ですが、このデジタル独裁主義は最悪のシナリオです。
データは使い方次第です。我々を奴隷にすることもできますが、より快適に過ごすことに活用することもできます。だからこそ、人々をより強靭にするために使われるべきなのです。例えば、バイオメトリックセンサー(生体センサー)を使えば、あなたの健康状態をあなた以上に知ることができます。
国際秩序はこわれやすい
ーー パンデミックは国際秩序に与えた影響はかなりあると思いますか。
ハラリ このCOV I D−19が浮き彫りにした脅威は、国際秩序がいかに脆弱であるかということですね。国家間で緊張や敵意が増大しています。これがさらに増すと国際協力は難しくなり、、核戦争や生態系の崩壊など他の大きな災害を防ぐのが難しくなります。
ここ何十年か、世界は「リベラル」と呼ばれる国際秩序によって支配されてきました。その前提は、すべての人間はコアとなる経験、価値観、関心を共有し、どの人種も他の人種より本質的に優れていることはないという認識でした。こうした認識は対立よりも協力に重点を置きます。その協力を推進するベストな方法は、アイデア、物品、お金、人が地球を自由に移動できることを推進することです。もちろん、リベラルな国際秩序にも問題はたくさんありますが、それに取って代わるものよりも素晴らしいことがわかっています。この国際秩序のおかげで、人類史上初めて、肥満よりも餓死で死ぬ人が少なくなり、事故やエンデミック(地域的•季節性の感染症流行)やパンデミックで死ぬ人よりもバイオレンスで死ぬ人が少なくなりました。 これは人類の長い歴史を振り返ると、信じられないほど素晴らしい達成だと言えます。
しかしコロナ禍において、世界中の政治家はこのシステムを無視し、中にはそれを弱体化した場合もあります。この国際秩序は、みんながそこに住んでいるけれども、誰も修理する人はいない家のようなものです。一旦崩壊すれば、そこに住んでいる人みんながひどい目に遭います。これから八十年続く二十一世紀のチャレンジに備えるには、国際システムをいかに強化するかについて大胆なプランだけではなく、国家間の連帯協力、リーダーシップが必要です。
将来起こるかもしれないパンデミックや核戦争を防いだり、気候変動を抑止したり、AIをはじめとしてデジタル技術の暴走を規制したりするには、どうしたらいいのか、リーダーや政治家に訊いてみてください。このような脅威はどの国もその国だけで取り組める問題ではないことは明らかです。我々が協力して解決しなければならないのです。
新型コロナは「叫び」
ーー 『21 Lessons ;21世紀の人類のための21の思考』(河出書房新社刊)が世界的なベストセラーになりましたが、次の22番目のL essonはなんだと考えていますか。
ハラリ 明白なレッスンは、我々は公衆衛生システムにもっと投資しなければならないということです。これは国内のシステムだけではなく、ウイルス流行が拡大する前に病原体を発見できるように、早期に介入することができるいくつかの国際組織への投資も含まれます。
こういう組織は、非協力的な国家や政治家によって妨害されないように、政治的な影響力を持たなければなりません。国際的な公衆衛生システムを作ることは、将来起こるパンデミックのリスクを低くするだけでなく、他のグローバルな問題の解決を妨げている、グローバルシステムの中にある断絶を修復するのに役立つでしょう。COVID—19がグローバルな連携協力の価値に目を向けるように呼び掛ける「叫び」の代わりになってくれたらいいと思います。
瞑想は自分を守る方法
ーー あなたが『21 L essons』の最後の章で瞑想の効用を取り上げていることに驚きました。瞑想やマインドフルネスが世界的なブームとなっていますが、あなたにとって瞑想とはどういう意味があるのですか。
ハラリ ほとんどの人は人生の中self‐exploration(自己分析)を真剣にやったことがないと思います。瞑想とは、自己について知ることです。自分自身について気に食わない面もたくさん知るようになりますから、大きな苦痛を伴います。怒りや苦痛や孤独というものに自ら直面することを好む人はいませんかね。
しかしデジタル•テクノロジーの急速な発展によって、人類は史上初めて、このinner spiritual quest(内なる魂の探求)をせざるを得ない状況に置かれつつあります。グーグルなどの巨大IT企業は個人データを収集していますが、あなたが自分のことを知っている以上にあなたのことを知るようになるのも時間の問題でしょう。テクノロジーの奴隷にならないようにするには、自分のことを知らなければなりません。自分のことを知らないでいると、より高い代償を払わされます。
私は瞑想については、本にも書いたように最初は懐疑的でした。でもゴエンカという指導者の瞑想講座を受けてみると世界観が大きく変わりました。ゴエンカの指導はとでもシンプルで、鼻から息が入ってきているときはそれに集中し、鼻から息が出ていくときは、それに集中するだけです。呼吸をコントロールしてはいけません。
あなたもやってみればわかると思いますが、最初にやったときは十秒以上集中することができませんでした。そのことにショックを覚えました。自分をコントロールできないのです。自分がいろんな人格が入り混じった人間であることを知るだけでも、生きる上で非常に役立ちます。
私は毎年、六十日間瞑想修行に行きます。毎日二時間の瞑想も欠かしていません。すべての人に瞑想がいいというつもりはありません。ただ、我々は言語や宗教やイデオロギー、そしてさまざまな情報によって惑わされてしまうものですが、瞑想はそういうものから一時的に切り離してくれる効用があります。これは私にとっては欠かせないものになりました。
(取材•構成 大野和基)