言の葉108〈非知〉へ——〈信〉の構造「対話篇」
⑤神々の原像…その1
〈非知〉へ——〈信〉の構造
「対話篇」一九九三年一二月二五日発行 著者吉本隆明 発行所株式会社 春秋社
より抜粋
⑤神々の原像
対話者 山折哲雄
神道の不可解さはどこからくるのか? より抜粋
山折 最近、よく外国の日本研究者の話を聞く機会がありますが、そこで出た話の一つに、日本人の思想と宗教はかなりわかるようになったけれども、どうしてもわからないのが神道だというんですね。しかも神道の性格、本質、全貌などをわかりやすく書いた本がないという指摘も同時にありました。
それについてですが、アメリカの宇宙飛行士が宇宙を飛んでいるときに神を感じて、地上に帰ってきてから、そのことにこだわったり、宗教的な仕事に従事しているということが話題になりました。これは私も前に書き、立花隆さんも詳しく調査して書いていますが、私は最初は、宇宙飛行士のいう神と日本の神道とを直接結びつけて考えてはいなかったんです。それが、ひょっとすると関係があるかもしれないぞと感じるようになった。若い人に教えられたんですが、F1レーサーのチャンピオンで、ブラジル出身のアイルトン•セナのことなんです。彼が平均時速ニ〇〇キロ、最高時速三五〇キロ以上のスピードで走って、チャンピオンの座についたとき、自分は神に近づいた、あるいは神を感じたということをいっています。
セナも、さきの宇宙飛行士もスピードのなかで感じている。それで、ひょっとすると人間が神を感じる場合、スピードの要因が重要になってくるのかなという気がしたんですね。生命体がそれ以上スピードを出すと空中分解するような限界点で、人間は神を感じるかもしれない。その観点で神道も理解できるのではないかと思い始めているわけです。例をあげると、神道では神はもともと目に見えない存在だったわけで、一瞬のうち飛んでどこへでも憑着する。八幡神(はちまんしん)は宇佐(うさ)八幡に鎮座した神ですが、やがて平安時代には岩清水(いわしみず)八幡に飛び、鎌倉時代になって鶴岡に分霊され、それぞれ八幡社になるわけです。日本の神の分霊というのは、無限のスピードのなかで行われる細胞分裂のようなものなんですね。
吉本 ぼくも、お話にあった外人と同じで、日本人はわからない、日本語はわからない、日本人の習俗、信仰、神道はわからないな、という実感があります。たとえば、ぼくらが日本語と呼んでいる言語は奈良朝以降かなり編成された言葉で、それ以前に使っていた言葉、弥生人、縄文人の喋っていた言葉はわからない。そしてルーツもわからないわけです。宗教にしても大和朝廷ができて以降に編成された神道の信仰ならば、かなりよくわかるし、近世には本居宣長、平田篤胤らがある程度は理論化しているわけだから、それなりにわかりますが、それ以前の自然信仰としての神道、つまり神社の建物ができる以前のものは、どんな性格に属するかはぼくにはよくわからないです。しかし、それは追求するに値するという問題意識は持っています。
社(やしろ)というか、建物ができる以前の、沖縄でいえばなら御嶽(うたき)のような、森の外れに囲った場所に石か何かを置いて拝む。これは樹木と石の信仰かもしれません。そういうところまでいった神道というのはどういうものかとということです。本土でいえば天津磐境(あまついわさか)と呼んで、石で囲ったところに聖なる樹木(柱)を置いた時代ですね。それは奈良朝の律令で規制される以前の、社は何もないのだけれど、森や林、あるいは山の、あの世とこの世の境界線というところまで遡っていくとなかなかわかりにくいところがあります。つまり、そのわかりにくさは現代の日本人のわかりにくさとか、天皇制のわかりにくさ、日本語のわかりにくさなどと同じで、そういうところを研究しないとそれらの問題は解明できないのではないかと考えています。
だから、今いわれたように宇宙旅行という最新のところで神道的な信仰の問題と習合するところがあると感じられること自体は、神道はもっと遡っていけば、わかるところがあるかもしれないということと照応する気がします。
山折 社の問題ですが、神を祀る場所を現す言葉としては社の他にお宮がありますが、社というのは神を祭る家の形代という意味で、一時的なものだったらしいですね。本来は神をお迎えし、そして祭りが終ればお帰り願って、こわしてしまったのです。だから社は家の一時的な形式だった。ところが仏教が入ってきて、仏教は仏殿を建てます。その影響を受けて、神道側も神が常住する場所を作らなければならないということで、本来は一時的な建物だった社を恒久化した。それがお宮ではないかと思います。
もともと神道では一度、われわれの生活空間のなかに神は降りたちますが、それは祭りの期間だけであって、やがて祭りが終れば、わけのわからない闇の世界、森の世界、山の世界に帰って行った。それがのちに、勧請されてお宮に常住するようになるわけです。そこで神の歴史の上では大きな転換があったのではないかと思います。
吉本 そこのところが曖昧でもあるし、誰がそうしたかということに関連するかもしれませんね。神道が建物を建てるようになったということ。つまり、ニ〇年に一度壊すにしろ、三○年に一度壊すにしろ、建物を建てるように神道を変えてしまったということと、本来的に神道が持っていた、日本列島の自然宗教的なものであったものを上から、国家的に編成してしまったということだと思います。
沖縄でいえば典型的にそうなんですが、祝女(ノロ)が村落のなかでシャーマン的な役割をしている。そうすると、琉球王朝が自分の姉妹を聞得大君〈きこえおおきみ)というものにつけて、村落のノロを編成してしまいます。そのことと建物を建てたということは関係があるかもしれません。日本本土で神道が建物を建てたときの問題は、一ニ、三世紀に琉球王朝が再現してくれているから、そこのところをよく眺めていると、神道がうえから編成されたときの技術がよくわかるような気がします。
もしかすると建物にしてしまったということと上からの編成で、本来的な自然宗教としての神道、建物がなかった時代の森と石の信仰というか、そういう土俗的な神道とは照合しながら変わってしまった面があるのではないかという気がします。それ以降、歴史時代としてかなり長いので、天皇制、神道の問題は厄介な問題になっているのではないでしょうか。
本来的にいえば、神道は自然宗教の一種だから、どこの民族でも自然宗教の時代はあったわけです。外人が神道がわからないということはないはずですが、何か歴史がわかりにくくしてしまっています。天皇制にしても外国にも王様はいたわけですし、ヨーロッパが王様を廃帝にしたというのはそんなに古いことではなく、せいぜい一〇〇年か一五〇年くらい前だから、彼らも王様は知っているはずなのに天皇制がわかりにくいということになってしまったのは、上からの編成がたいへんうまくいったからではないでしょうか。
伊勢神宮にしてもその前の伊雑宮のところまで行けば自然宗教になるだろうという気がします。編成されたことで、それをわかりにくくしています。仏教が入ってきたからということもあるでしょうが、神道だけでもわかりにくくしている気がします。
万物に生命が宿る普遍的なアニミズム世界 より抜粋
山折 そのわかりにくさについては、私もこだわっていて、よく神道は八百万(やおよろず)の神々のだから多神教だという考え方があります。ヒンドゥー教や古代ギリシャの宗教が多神教であるのと同じように神道も多神教であるとすましているところがある。それはそれで間違いではないのですが、しかしよく考えてみると多神教といってもそれは違うとではないかと思います。どこが一番違うのかというと、古代ギリシャやヒンドゥー教の多神教は、受肉の思想に基づいていて、神々は、必ず具体的な形を持っている。たとえばゼウスは老人の姿をしているし、アポロンは青年の姿をしており、キューピットは子供の姿をしているといった具合です。また、ヒンドゥー教でもインカネーション(受肉)の原理が働いていて神々は皆、具体的な肉体を持ち、肉体を持てば当然、固有の性格を持ち、行動も人間的な行動をします。
ところが、日本の原始神道の神々は、インカネーションの原理に基づいてはいない。個々の性格もはっきりしないし、肉体的特徴もはっきりしません。天照大神が女性で、須佐之男命(すさのおのみこと)が荒々しい神だというようなニ、三の例外的神はいますが、本質的にはそこにインカネーションの原理は働いていません。その代りに原始神道の神々が持っている性格というのが、憑依する性格です。空中を大変なスピードで跳び、どこにでも漂着する。それを私はポゼッション(憑依)の機能と呼ぶことにしているんです。
そこに仏教が入ってきて、先程も述べましたように神道の側が仏教の影響を受け、社が作られる。同じように仏•菩薩像の影響を受けて神像を作り出す。そしてその神像を祭るようになったわけです。これで、仏教に仏菩薩のパンテオンがあるように、神道の神々が受肉化して仏菩薩たちと同じようなパンテオンを形成していきます。しかしその一方で神道は絶えず原始神道に帰ろうとする運動をくり返します。ポゼッション機能に戻ろうとする本来的な運動がある。
吉本 原始神道というか、社もなく、擬人化されてもいない、そういう頃の神道は、一種天然自然というものの擬人化というか、天然自然に神様の名前を付けてしまったとか、風や岩や樹木などを、つまり無生物から始まって、生物にいたるまで自然物を擬人化したというところで多神教的だと思います。いまいわれたような受肉化された多神教ではないという気がするんです。天然自然を擬人化しているというか、万物を人のように思いなしているので、自然には無生物から動植物、人間まで幾段階があるものを擬人化しているというように思えます。
それは多神教といえば多神教ですが、自然物を何でも擬人化して考えるという意味での多神教ですから、「多」は一種の無限階級としての多になると思うんです。
山折 あらゆる自然、有機物無機物を含めて万物に、人間と同じようなものを感じるというのは、そこに生命の宿りを認めるということですね。生命といってもいいし、魂といってもいい。要するにアニミズムの世界なんですね。そこのところが、神道の場合は非常に強いことは確かだと思います。それを受肉化せずにはおかないヨーロッパ的な精神構造から見た場合、日本の神々の世界が非常にわかりにくくなってくるということがあると思います。
吉本 多分、ヨーロッパというのは進歩と変化の歴史だから、日本人がどうして原始的な八百万の神々という世界を保存しているのかがよくわからないのじゃないでしょうか。あるいは、保存されているものが、そういうものだということがわかりにくくなっている。しかも神道の上には仏教が被さっていて、さらに近世になると儒教の「天」という、自然には違いないでしょうが、日本の原始的な自然宗教とはやや違う、半分は受肉化された概念が入ってきています。本居宣長や平田篤胤らは、十分に儒教的な素養のあった人たちなので、また、余計に面倒にしています。自ら自然に帰れ、ということをいっているんだけれど、ほんとうは面倒にしてしてしまっていて、本来的には自然宗教であるものを逆に、今の人間の方に多神の概念を引き戻させてしまって連続的に神の子孫であるというようなイデオロギーにしてしまったと思うのです。
山折 同じようなことはヨーロッパでもあったと思います。たとえば進化論の考え方を宗教にあてはめると、一番原始的な段階にアニミズムがあって、そしてシャーマニズムが出てきて、次に多神教が出てきて、そして一神教になり、キリスト教が出てくるという発展史観になります。もっともプリミティブで野蛮で、未開なものがアニミズムであるという見方が、近現代のヨーロッパ人の考え方を方向付けたし、日本の知識人も大体、その影響を受けていると思います。
どの教科書を見てもそう書いてありますが、私は、どうも話は逆じゃないかと思っているんです。まず普遍的なアニミズムがあって、その後に発展してきた宗教や文化は、その普遍的なアニミズムという現象を限定的にしてきたにすぎないのではないか。ユダヤ人はユダヤ的に限定し、ゲルマン人はキリスト教的に限定してきた。そういう点では、今おっしゃったこととどうもつながるような気がします。
吉本 いま、お話にあった説明のようなことをしていけば、欧米の人がわかりにくいという神道や天皇制、そのなかに日本語も含みますが、それらの解かれ方がわかってくるのではないかなという気がします。ぼくには何ら特殊なところはないと思います。ただ特殊だとすればアニミズムのような世界をどうして数千年も、これほど大きな要素として保存してきたのかということだけが、わかりにくさだと思います。