長井こうすけのたたかい日記 

【地域主権・岡山モデル】の構築を先頭に立って提唱する、北区選出の民主党岡山市議会議員・長井孝介の日々の記録です。

思いの丈。

2012-01-21 23:30:08 | Weblog
ファジアーノ岡山が2007年、中国リーグから“Jへの挑戦”を始めた時から、
僕の、僕としての本格的な応援も始まりました。それはサッカーを愛する
個人としても、市議会に身を置く立場としても。とくに市議会においては、
現役でサッカーをプレーヤーとして取り組んでいる者は自分だけだという
自負も働き、議会内外で精力的に支援に資する活動を続けてきました。

積年の努力の甲斐あって、岡山市が支援の一環として練習場の整備を決めた
際には感無量でした。

そして、そんな自分の取り組みの先には常に、妹尾隆佑という一人の選手も
いました。
プロクラブチームというものには、その地元で生まれ育った選手の存在は
とても貴重なのです。妹尾選手はまさに地元岡山、しかも私の地元でもある
吉備学区、同じ庭瀬で生まれ育った男でした。家も、弊家からほど近い、
歩いて数分の距離。
こんな地理的環境、ファジアーノのチャレンジと己の議員としての歩みの
タイミングのリンク、そして自分が青春時代から魂を込めて取り組んできた
サッカーというつながり。これらの全ての要素によって、私のこれまでの
ファジへの取り組みは続いてきたのです。

サッカー協会の先輩からの粋な図らいで、数年前からはJリーグの公式戦、
ホームゲームにおけるスタジアムでの公式記録スタッフの一員にも加えて
いただき、ホームゲームのたびに観客席からではなく記録ブースから、
ファジ戦士たちの奮闘を追ってきました。
ごく稀に(笑)、隆佑が得点を決めた試合なんて飛び上がらんばかりの
興奮を胸に押さえ込んで、クールに記録スタッフとしての任務をこなした
ものです。

市政においては来年度中に整備に取り掛かることが決まり、議会の中にも
ファジを支援する議員連盟もでき、庭瀬駅前には隆佑を支援する意の横断幕が
かかり、地元吉備学区は「ファジ応援タウン」に認定され…ホントに色んな
ことが少しずつ進んできて、ファジ自身もJの三年目として本格的に上位進出を
期すシーズンを迎える今。
私にとってとても切ない知らせが届きました。

妹尾が、隆佑が引退しました。
ここ数年、ずっと膝のケガと戦いながらのシーズンでしたが、ついに自身で
決心したのです。
彼はまだ26歳。一般的にはまだまだこれから…の歳。
しかしそこにはプロスポーツ界としての厳しい現実があったのです。

彼の名誉のために私から伝えておきたいのですが、チームとしては彼を必死に
引き留めたのです。
“ 隆佑には、ギリギリまで、ボロボロになるまで居て欲しい”
この意向を彼に伝え続けたフロントでしたが、彼の決意は揺らがなかったのです。
とても切ない現実ですが、私はじめ多くのファンの皆さんも共に受け入れなければ
なりません。

以前から個人的にも付き合いがありましたが、とくにこの年末年始は隆佑と
一緒に多く過ごしました。ゴルフ行ったり麻雀したり、雑煮食べたり…
いつもと変わらぬ飄々としたスタイルで、彫りの深いカッコいぃ顔して、子どもの
ような笑顔を見せながら、一緒に過ごしてくれました。
彼はこれから、ファジの中でコーチ業はじめ色んな勉強をしながら、違う環境の
なかで生きていくのです。
僕はこれからも、彼を応援したいと思います。
彼がこれからどのような人生を紡いでいくのか、見守っていきたいのです。
そしてこれからの彼の人生の成功こそが、まさに「スポーツ振興政策」というものの
真の姿だと信じるのです。
一線級の選手である時期だけを捉えて、スポーツやその人間のことを語ることは
できません。その人のその後の歩みも全て含めて、人として幸せになれなければ
社会として政治として、形として正しくないからです。

妹尾隆佑、いままでありがとう。
これからも変わらず、兄弟のように仲良く歳を取ろう。
そしていつまでも、サッカーを愛していこう。

最後に、
ファジアーノ関係者各位におかれましては、一議員が出過ぎた内容を記して
しまったかもしれません。チームにとって大切な人材について、私個人が
私的に評しましたこと、お詫び申し上げます。
そして、
妹尾選手のご家族の皆さま。
こういうことを書かれることをあまり好まれない方々であることを重々承知で、
敢えて今回は思い余って書かせていただいたこと、どうぞお許し下さい。

これからも私は、スポーツ振興政策の一環として変わらず、
ファジアーノ岡山を応援していきます。

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