半ぐれ行政書士の徒然日記-Ⅱ

信州は小諸の半ぐれ行政書士
仕事のこと、地域のこと、様々な出来事を徒然なるままに書き記します

柔道・棟田康幸選手の“礼”

2005年09月14日 | 感じたこと、云いたいこと
 エジプトで行われた世界柔道選手権が一昨日閉幕しました。前回の大阪大会の時と違い、仕事も忙しかったため、今大会はじっくりとテレビ観戦ができませんでした。新聞報道などによれば、選手の善戦も及ばず課題が多く残ったようです。柔道は日本のお家芸、3年後の北京オリンピックでは日本人選手の大活躍を期待したいものです。

 私“半ぐれ”も小学校3年生から高校まで約10年間柔道をしていたこともあり、柔道に対していささかうるさいのですが、今回は世界柔道を観戦して感じたことを書きたいと思います。

 私が柔道を始めた頃、先生から一番最初に言われたことは『柔道は、礼に始まり、礼に終わる。』という言葉でした。この言葉はいまだに私の心に沁みています。
 本来の礼は決して人から強制されるものでなく、相手に対して尊敬や敬愛の念を表す自然の動作であって、勝っても負けても相手を思いやる謙虚な心の表現です。
 柔道に限らず、武道はすべてこの『礼に始まり、礼に終わる。』ことに重きを置きます。
 ところが、その柔道の試合を観ていてまともな礼が行われないと感じるようになったのは、いつの頃からでしょうか。私の勝手な思い込みで恐縮ですが、武道としての“柔道”が、スポーツ競技としての“Judo”になった頃からのように思います。
 形ばかりの頭を下げるだけの“お辞儀”をして試合を始めたり、終えたりと、そこには相手に対する敬愛の念などが微塵も感じられない試合が多くなりました。世界の“Judo”になってから、“柔道”で一番大切なものがどこかに置き去りにされたようなそんな気がします。“日本の心”“礼節”といった伝統文化が多くの外国人選手に伝承されていないように感じるばかりか、本家本元の日本人選手にも備わっていないような寂しい気持ちで一杯です。
 そんな中、唯一テレビ観戦できた男子100kg超級に出場した棟田康幸選手の試合でなされた礼は、相手選手の目を見てから深々と一礼をするものであり、その姿は彼の心が滲み出るような、久しぶりに観ていて気持ちの良い美しい“礼”でした。
 一生懸命 柔道に励む小中高生の模範となるだけでなく、世界に向けて“これこそが日本の柔道”とアピールする素晴らしいものでした。
 棟田選手は、惜しくも決勝戦で敗れ銀メダルでしたが、彼自身が誰よりも一番輝いていたことは間違いありません。私も棟田選手を見習い、『礼に始まり、礼に終わる。』精神をいつまでも忘れずに仕事に励んでいきたいと思います。
 棟田選手には、是非これからも日本の“柔道”を世界に広めるために頑張って欲しいと思います。



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