ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

凄まじき作品

2018-12-26 | 映画
今日は3連勤の3日目です。


昨日は比較的早く家に帰り、テレビを点けると、1984年のアメリカ映画『ワンスアポン・ア・タイム・イン・アメリカ』が始まったところでした。

午後7時から11時近くまでの放映でしたが、最後まで観てしまいました。


この作品は封切りの際に当時の私には珍しくロードショー館で観て、強く感銘を受けたものです。

感銘のあまり、作品のVHSテープが発売されると購入したものでした。


そのテープもいつの間にかなくなり、恐らく20年振りくらいに再見しましたが、その叙情性溢れる風格に改めて感銘しました。

生々しい暴力描写や性的描写は「昭和の洋画」という感じで、今では批判を受けるかも知れません。


この作品の肝は、「親友に欺されていたのを知らずに、35年間自責と共に生きてきた」男を演ずるロバート・デ・ニーロの演技です。

当時もすごいと思いましたが、今観ても、改めて類例のない名演だと感じました。


三十数年前の私は、二十代から初老になるまで鬱屈して生きたデニーロ演じる主人公に共感していました。

しかし、実際に初老になった今では、主人公の人生に諸行無常の凄まじさ、恐ろしさ、無念を感じます。

人が生きるとは凄まじいことです。



神様。
今日一日が穏やかなものでありますように。
家族が皆、健康で暮らせますように。
友人たちが無事に一日を終えますように。
お祈り致します。

今風オスカー

2018-06-12 | 映画
今日も仕事はお休みでした。


午後、今年のアカデミー作品賞を受賞した『シェイプ・オブ・ウォーター』をTSUTAYAから借りてきました。

漠然とSFサスペンス映画か…と思っていたら、聾唖のアラフォー女性と半魚人のラブストーリーでした。

考えてみれば、こういうジャンルの作品がアカデミー作品賞を取るのも時代だなあ…と思います。

聾唖の女性を応援するのがゲイの老画家と中年の黒人女性。

主人公側は言わばマイノリティ尽くめで、ここ最近のアカデミー賞の評価基準の表れかなあ…と感じました。

ストーリーにあまり捻りはありませんが、細部まで良く作り込まれてる感はスゴく、良質なキワモノオタク作品という印象。

ただ、出血シーンが多すぎるのが、今の私にはキツく感じられました。


夕方からは米朝首脳会談とトランプ大統領の記者会見ニュース一色です。

こんな日が来るとは思いませんでしたが、米朝両首脳共、ハッタリ発言では全世界をリードしてきましたので、これからいったいどうなるやら…とも感じています。


貧しい人たち

2018-06-11 | 映画
今日は仕事はお休みでした。


台風の中、話題の映画『万引家族』を観てきました。

ネットで前売り券を買ったのですが、ネット音痴の私は誤って2回分を購入してしまいました。

それで封切り日の先週金曜に観て感銘を受け、今日また観に行ったのです。

一回目では気付かなかった点にも色々気が付き、むしろ今日の方が感動しました。


ドキュメンタリー映画出身の是枝裕和監督らしい、自然な演技を引き出す独特の演出はいつも通りですが、今作は話が進むうちに「!」と驚くストーリー上の仕掛けもあり、それからは作品全体の寓話性に気づかされ、その按配が絶妙です。

ネタバレになるので詳しくは書けませんが、一見淡々とした作風のようで実は深いドラマ性のあるエピソードを繋ぎ、伏線をちゃんと回収してカタルシスを感じさせてくれる良い作品になっています。

字幕だらけナレーションだらけの説明過剰のテレビ番組に慣れきっている人はちょっとつらいかも知れませんが、他者への想像力を持って年月を生きてきた中年以上の人であれば、感じるところの多い作品だと思います。


出色なのは、貧困層の感情や佇まいをたっぷりと描いていること。

貧困層大国に向かう一方の我が国なのに、その階層がなかなかまともに取り上げられずにいます。

私自身、もうすぐ貧困老人になる可能性がある…と常にもやもやしていますので、イケメン俳優と女性アイドルのラブストーリーやアニメ作品ばかりの日本映画を観る気が失せていました。

『万引家族』は貧しい人たちの駄目っぷりもたくさん描いていますが、最終的には彼らの間違いだらけで哀しみの多い「生」を是としている…と感じられます。

その温かさが私には嬉しく伝わりました。



暴力の原理

2018-02-18 | 映画
今日も仕事はお休みです。


銀座に行く用があり、帰りに映画を見てきました。

『スリービルボード』と言うアメリカ映画です。

三枚の看板…とでも訳せば良いのでしょうか。

このタイトルは、自分の娘さんを強姦殺害された女性が犯人を見つけられない地元警察に腹を立て、野外看板に警察署長を名指しで批判した文章を掲げる…と言う作品の重要なエピソードから来ています。

アメリカ社会の憎しみと暴力の連鎖をいささか戯画的に描き、ブラックユーモア的なシーンも多分にある作品です。

しかし暴力描写の連続は、やはり見ていてひたすら重苦しく殺伐とした気分になります。


つい先日フロリダ州の学校で起きた事件を連想しました。

19歳の青年が母校の生徒を17人も射殺する…と言う大惨事です。

日本でそんな大事件が起きたら、社会全体が長くトラウマに苦しむでしょう。

でもアメリカで大量射殺が聞くと、「またあったのか」と言う印象です。

もちろん日本では銃を持っている一般人は皆無なので銃による大量殺人事件は起こりえませんが、それ以前に暴力発動までの沸点がアメリカ社会と日本社会では全く違うのではないでしょうか。

いわゆる先進国の中でアメリカは極端に殺人事件が多いのは、ツールとしての銃が蔓延しているのが直接の原因でしょうが、「新大陸」と称して先住民を暴力で殲滅しながら国づくりをしていった事が源泉だと思います。

その歴史を肯定する限り、暴力を原理的に否定することは出来ないのですから。


「スリービルボード」はやり切れない映画でお勧めはしませんが、不思議な力を持った作品であるのも確かです。

自分たちの社会の宿痾を逃げずに描き出そう…と言う表現者の覚悟があるからです。

二本の映画

2018-01-04 | 映画
今日も仕事はお休みでした。


朝、いつものように5時半に起きたので、6時過ぎから、昨日TSUTAYAから借りてきた映画を観ました。

昨日は昨年の米アカデミー作品賞の『ムーンライト』と、一昨年カンヌ映画祭で最高賞を取った『私は、ダニエル・ブレイク』を借りてきました。

『ムーンライト』は昨日観ていたので、今朝は『私は、ダニエル・ブレイク』を観ました。

どちらも貧しい無名の人々を描いた作品ですが、鑑賞後の印象はかなり違いました。


『ムーンライト』は母親が薬物中毒でゲイの黒人男性の幼年期、高校生時代、大人になってからを章分けして描いているのですが、とにかく「救いがない」と言う気持ちになりました。

独特の色調など、映像作品として優れているのは分かるのですが、主人公だけでなく、登場人物全てから鬱屈と社会的底辺のどん詰まり感が伝わって来て、ツラくてかないませんでした。

それが一般的なアメリカ黒人社会の実情なのかも知れませんが、この先の人生に不安いっぱいの身としては、正直もう良いです…と感じたことでした。


『私は、ダニエル・ブレイク』は、心臓病で医者から仕事を止められている59歳の大工の男性が、社会保障制度を利用しようとして、役所のいかにも「小役人」的な対応に振り回される…と言う筋書きです。

悲劇的な最後を迎えるなど、エピソードはツラいものばかりなのです。

でも鑑賞後は、不思議とむしろ少し温かい気持ちになりました。

ケン・ローチ監督らしい淡々としたドキュメンタリータッチの作品ですが、登場人物を肯定的に捉えるセリフなどもあり、それが観るものに一縷の希望を感じさせるのかも知れません。


同じように社会の底辺で苦しむ人々を描いた二本の作品の印象の違いは、アメリカの黒人男性とイギリスの白人男性が置かれた絶望の深さの違いだろうか…とも思ったことです。