小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

引っ越してきました。よろしくお願いいたします。

2013年11月14日 20時11分18秒 | お知らせ
引っ越してきました。よろしくお願いいたします。




 はじめまして。評論家の小浜逸郎(こはま・いつお)と申します。
 これまで他のブログに記事を掲載していましたが、そちらが12月末をもって新規投稿停止となるため、こちらに引っ越してまいりました。過去に掲載した記事はすべて積み込んできましたので、閲覧が可能です。
 なお12月末までは、両方に同じ記事を掲載していきます。

 旧住所:http://kohamaitsuo.iza.ne.jp/blog/

どうぞよろしくお願いいたします。

日本語を哲学する13

2013年11月14日 19時28分00秒 | 哲学
日本語を哲学する13



 次に②の反論に答える。もう一度それを掲げよう。

②ボストン近郊のマーサス・ヴィニヤード島で使われていたヴィニヤード・サイン・ランゲージや、ニカラグァ聾学校(全寮制)の子どもたちの間で自然発生した手話の例などから見ると、音声言語以前に思想はないというあなたの考えは間違っているのではないか。これらの例は、チョムスキーが唱えた「人間には生得的に言語獲得能力がある」という説を証明するものでもある。

 ヴィニヤード・サイン・ランゲージや、ニカラグァ聾学校(全寮制)の子どもたちの間で「自然発生した」といわれる手話の例については、繰り返しになるが、これらの言語は実験室での実験のように、まったく周囲から孤立した聾者のみの共同体の中から「自然発生」したわけではない。これらにおいても、当事者たちは、周囲の年長者たちが何やら口をあけて動かしながら共同生活を成り立たせていて、そのことが生きることにとってきわめて重要な役割を果たしていること、また、自分たちはその能力を欠いているか不十分にしか持ち合わせていないことを、ごく幼いころから直感するのである。また、周囲の人たち(特に母親)は、この欠落や不十分さに対して、それに見合うような対処法を懸命に講じようとする。この当事者たちの直感と周囲の努力とが、代替言語としての手話を発生させる必須条件なのである。
 ニカラグァの例でも、それが「聾学校」という高度な社会的配慮と技術とによって設置された特殊な文化環境を背景にしていることに注意しよう。「特殊な文化環境」ということは、何ら「完全に孤立した共同体」であることを意味しない。むしろすでに自分たちの傷害をよく自覚している子どもたちが、まさにその自覚にもとづいて互いの表現欲求を交錯させようとしたからこそ、あたかも「自然発生」したかのような濃密な手話が出現したのである。彼らの言語共同体においては、はじめから音声言語共同体との関係が深く織り込まれている。
 人間は本質的に関係を持とうとすることによって自己を成り立たせる存在であるから、その欲求を満たすふつうの道(この場合には聴覚を媒介にした交流の道)がふさがれているという欠如感覚があると、かえってその欠如感覚をテコにして別の回路を創造していくという本性をもっている。しっぽが切られても再生するトカゲのような強力な生理的補償作用は人間にはないが、代わりに観念の力による補償作用があるのだ。手話言語が独特な形で豊かに発達するのも、この「欠如そのものをポジティヴな力に変える」という、人間の普遍的な傾向に根ざしている。
 チョムスキーの説との関連で言えば、私は別に人類に生得的な言語獲得能力があることを否定していない。そういう能力が潜在的に存在するにちがいないことは、むしろ当たり前のことで、そういう潜在能力(設計図のようなもの)がなければ、いかに経験的な学習を積んでも、現実に言語能力を開花させることは不可能だろう。犬やサルに言葉を教えようとしても、どうしてもあるレベル以上の抽象概念を教え込むことができない壁にぶつかることはよく知られている。
 しかしまた逆に、いかに潜在能力があっても、適切な時期にそれを開花させるにふさわしい周囲からのはたらきかけを怠れば、現実に言語を獲得できないことは、イタールの「アヴェロンの野生児」の例などによっても明らかである。設計図だけあってもそれを有効に活かす大工さんや建設業者がいなければ家は建たない。楽譜だけあってもそれを演奏する人がいなければ、楽譜はただの紙屑である。
 問題なのは、生得的な言語獲得能力という概念を、何か人間の共同生活における実践的な交流とは無縁に、個人が「自然に」獲得できる能力と思い込む誤りである。こういう一種の「自然発達主義」は、先に挙げた上農氏の著作でも徹底的に批判されているが、私には、こうした「自然主義」が受け入れられてしまう理由のひとつに、現代の異文化相対主義の風潮が一枚噛んでいるように思えてならない。
 というのは、ニカラグァの例などに「異文化言語」としての手話の発生を目の当たりにして、これを純然たる「自然発生」と勘違いして興奮し、しかもそれを生得的な言語獲得能力が証明された例とみなすというようなおかしな論理の背景には、次のような価値観が無意識のうちに潜んでいると考えられるからである。
 その価値観とは、個人や一集団は、それを取り巻くより大きな人間社会との関係がなくとも独自の「個性」や「文化」を築きうるのであって、いかなる個人やいかなる小集団といえども、その独自性をこそ尊重しなくてはならないといった、相対主義的な価値観である。いや、もっと正確に言えば、相対主義とは、価値を選び取ることの放棄であり、価値の軽重を論ずることそのものに対する否定である。また政治イデオロギー的には、素朴な権力アレルギーである。
 個人や小集団を尊重しなくてはならないことは言わずもがなだが、この場合、「個人」とか「小集団」と呼ばれている対象群は、すでに完成された存在としてのそれである。それらが完成されたものとして一定の概念枠組みをもつためには、それらを取り巻くより優位な(ある場合にはより強い、ある場合にはより優れた)集団との実践的な関係交流が先立つのでなくてはならない。個人の場合で言えば、乳幼児はまだ「個人」とは言えず、そのように承認されるためには、より優れた社会的能力の持ち主である養育者とのかかわりを通して発達を遂げ、まがりなりにも一人前の意思表示、言語表現、生活自立力などをそなえるのでなくてはならない。乳幼児や子どもをはじめから自立した「個人」であるかのように大人と同列にとらえるのは、かえって人間個体のそれぞれの具体的あり方を尊重していないことになるのであって、それこそ粗雑な相対主義・平等主義イデオロギーであるというべきである。
 ともあれ、この文化相対主義の傾向は、近年、中立の体裁を保たなくてはならない学問の分野ではますます隆盛を極めている。しかし現実の人間の生は空間的にも時間的にも限定された範囲内でしか成り立たないので、その限界内である価値を優先的に選び取るということが避けられないのである。学問がいつまでも中立性の体裁を気取ることで自らの「価値」を維持することを主張するならば、思想はどこかで学問と訣別しなくてはならない。言語思想もその例外ではない。

 さて、最後に③の反論に答えよう。もう一度それを掲げる。

③先天的な聾者でも学力優秀な子どもは、現に読み書きをおぼえ、難しい本でも読解する能力を習得できるし、また高度な文章を書きこなすこともできる。もしあなたの言うように、読むことが「観念的な音声を聞く」ことならば、聞こえない子どもたちはどのようにしてこれらの能力を獲得したというのか。やはり音声言語に先立って人間には「思想」する力があるのではないか。

 この反論は一見強力に思える。
 まず第一に断るべきは、この反論は、言語と思想が別物であるという論拠を提示しているわけではないという点である。私が3節で「言葉は思想そのものである」という命題を掲げたのは、言語=コミュニケーションのツール・手段という軽薄な考え方を批判したいがためであった。この反論は、その私の動機の枠内に収まるもので、枠外からの批判ではない。
 この反論の要点は、音声言語と思想との必然的な関係を疑っているのであって、聾者が読み書きするときに「観念的な音声」を用いているというのは論理矛盾であるから、彼らの文字理解や文字表現は、どのような内的プロセスによって行なわれているのかと問うているのだと考えられる。
 たしかに、この例の場合には、「観念的な音声を用いる」という表現は的を射ていないだろう。聴者の場合は、黙読しているとき、明らかに「頭の中で音声が流れている」という感じがあるのだが。
 そこで考えられるのは、文字を習得した聴覚障害者の頭脳のはたらきにおいては、視覚映像としての文字形態の差異の識別機能が精密に作動するのであろうということである。つまり彼らは文字の視覚的な形態を通して異なる音韻を識別しているのである。
 この点につき、私は自信がなかったので、先の専門家に尋ねてみた。その結果得られた答えは、私の推定を十分に裏付けるものだった。
 聴覚障害者は、手話の折にも頭の中に三次元空間を思い浮かべている場合が多く、そのため、相手のを注視することはかえって対話に対する注意をそらしてしまうことになりがちである。本を読むときには、開いたページの視覚像が一気に目に入ってくる。話の中で本に書いてあったことを表現する場合には、それが書かれてあったページの視覚像が思い浮かべられていたり、その内容から想像される三次元空間がイメージされていたりする。その世界では名高いある人は、この視覚によって文字をとらえる能力が極めて優れていて、一時間で文庫本を読んでしまう、ということだった。
 だから先天的な聴覚障害者は、書き言葉の読み取りにおいて、独特の回路をたどる脳神経系のシステムを発達させていることになる。この場合にも欠如をテコにした代替機能が旺盛に駆使されることによって、文字の習得が果たされるのであろう。
 そのように聴者とはまったく違った回路をたどって書き言葉を習得するのだとしても、そのことは、思想と言葉とが別物であり前者が後者に先行して存在するということには、何らならない。なぜならば、聴覚障害者が文字を視覚的にとらえて理解するときにも(思想の受信主体)、また書き言葉で何かを表現するときにも(思想の発信主体)、それらの言語行為そのものを通してそのつど思想が組み立てられていくことには変わりがないからである。


(第Ⅰ章了。次回から、「第Ⅱ章・沈黙論」を掲載します。)


これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(5)

2013年11月14日 19時09分53秒 | ジャズ

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(5)





 前回、ベース特集をやり、最後にスコット・ラファロとビル・エヴァンスの共演「グロリアズ・ステップ」をご紹介しました。これはあまりにも有名なライブ盤「サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジヴァンガード」に収められているのですが、スコットは、この録音の11日後に事故死してしまいます。最良の盟友を突然失ったビルはがっくりきて、半年くらいピアノに向かう気がしなかったそうです。
 その思い、さぞや、というところですが、こんなことを書いているうちに、どうしても巨匠ビル・エヴァンスについて語りたくなってきました。こういう巨人について語るのはできるだけ後に引きのばしてやろうと思っていたのですが、そんなもったいぶっていたら、いつまで経ってもジャズの本筋に入れないので、この際、えいっと決めることにしました。
 ビルは白人で、比較的恵まれた家庭に育っており、クラシック音楽の素養を早くから身につけています。モダンジャズ界における彼の存在意義は、貧困と被差別が当たり前であった黒人ミュージシャンたちの世界のまっただなかに、そういう社会背景をまったく問題とせず、高度な音楽性、精神性を堂々と持ち込んだところにあります。
 彼以前の優秀なピアニストとしては、やや泥臭いエロール・ガーナー、特異な感性を強烈に打ち出したバド・パウエルなどが挙げられますが、ビルのピアノは、彼らとは全然違い、上品で洗練されていて出しゃばらず騒がしくなく、それでいて、余人を許さない個性を感じさせます。また、他のプレイヤーとの対話、インタープレイを非常に重んじていて、一曲全体の完成度を高いレベルで達成させるという特長があります。「俺が、俺が」というのがそんなにないのに、結果として彼の存在が際立ってくるのですね。
 前回すでに「ソー・ホワット」でご紹介しましたが、彼は短い期間、マイルス・デイヴィスのクインテットに参加して、ソロパートを少しばかり担当しています。しかしそこでは、脇役の分際を心得ていたのかとても控え目で、あまり目立った演奏ぶりをしていません。ところがよく聴いてみると、ピアノトリオ(つまり彼自身が主役になるケース)での演奏との共通点が明らかに認められます。これがまさに彼の個性の秘密なのです。
 その共通点とは何か。ひとことで言うなら、右手と左手との絡み(和声、ハーモニー、対位法的奏法)を即興演奏の核心に置くということです。
 これは、もちろんクラシック音楽の素養にもとづいているのでしょう。ある音楽通に聞いたところでは、ドビュッシーの影響を強く受けているそうです。なるほど、彼のソロアルバム「ビル・エヴァンス・アローン」を聴くと、そのことがよく納得できます。クラシックファンで、これからジャズを聴こうと思っている方には、このアルバムがお勧めです。ビル自身も、ひとりでピアノに向かい合っている時間が長かったことが自分の演奏活動にとってとても重要な意味をもっていたという意味のことを語っています。
 しかし、そういう素養をジャズに持ち込むというのは、かなり冒険を要することです。というのは、伝統的なジャズスピリットからすれば、なんといっても、哀感を伴うブルース調やファンキーなノリで「歌う」ことが優先されるので、そのメロディアスな感じをわかりやすく表現するには、左手はあくまで基本コードを押さえるにとどめ、それを土台としつつ、右手を自由に遊ばせるというのが手っ取り早い方法だからです。
 ビルのピアノは、もちろんブルース調でもファンキーでもありませんが、そうでない分だけ、逆に「ただ一人歌う」のではなく、「合わせて歌う」ことの複雑さが実現されているのです。「合わせて」とはいっても、お祭りのようにみんなでワッショイ、ワッショイというのとはまるで違います。彼の場合、単純なピアノ・タッチそのものが、何か深く考え込んだ人のそれ、といった趣があり、これが複合的に奏でられると、いろいろな思いを抱えた者どうしが心を通わせた語り合い、という感じになるのですね。
 そういうことを一台の楽器で表現しながら、いっぽうで主役のメロディーラインも存分に踊っています。言ってみれば彼の演奏は、総合的、全体的なのですね。これは、ほかのジャズピアニストではあまり見られないことだと思います。乱暴に言えば、それだけ芸術的なレベルが高いということです。つまりもともと自分の中にあった複合的な要素が、共演になると、プレイヤーどうしの見事な絡み合い(インタープレイ)として外側に表出してきたのでしょう。
 講釈はこれくらいにして、ともかく一曲聴いていただきましょう。名盤「ポートレイト・イン・ジャズ」から、シャンソンの名曲「枯葉」。この曲では、いま言った右手左手の複合的なプレイが、特にソロパートの後半で確認できます。
 なお「枯葉」はたくさんのジャズメンが手掛けていて、どれもそれぞれに魅力的ですが、ビルの「枯葉」は、その構成力、解釈の仕方などからみて、ピアノ演奏としては群を抜いていると感じられます。また他の楽器とのインタープレイの妙も充分に楽しめます。パーソネルは、先のメンバーと同じ、スコット・ラファロ(b)、ポール・モティアン(ds)。ポールの巧みなブラッシュワーク、スティックに持ち替えてスウィング感を盛り上げていくシーンなども聴きどころです。

http://www.youtube.com/watch?v=nheqSZPIcNE

 さてこんなふうに偉そうに書いてきたのですが、じつをいえば、ジャズを聴き始めたころの私は、ビル・エヴァンスには大して興味を持っていませんでした。彼の奥深さがわかっていなかったようです。若い頃って、とかく単純に強いもの、激しいものを求めますからね。前に触れたジャズ仲間たち、K君、A君も、私がしげく付き合っていたころは、ビルの含蓄豊かな大人の演奏にはさほど惹かれていなかったようです。
 私が、彼のことを何と傑出したピアニストなんだろうと思うようになったのは、おそらく30歳くらいからではないかと思われます。それは、同時代の他のピアニストたちと聞き比べていくうちに、その芸術性の高さと独特のセンスに気づいていったということもあるのでしょうが、それよりも、自分自身の人生経験がしからしめるところが大きいように思います。威勢のよいホーンの響きが入った曲より、成熟するにつれてだんだんとピアノトリオの響きのうちに自分の気分や波長をシンクロさせるようになりました。昼間の猥雑な生活に追われたのち、ふと孤独をかみしめる夜の時間帯になると、ピアノトリオの醸す雰囲気はとても心に染み入ってきます。その中でも特に、ビルの演奏はなんだか哲学的な対話をしているような気分にさせられるのですね。
 またそれまで、クラシック音楽にも多少親しんでおり、なかでもピアノという楽器の音色がいちばん自分の感性に合っていました。この楽器は他の楽器に比べて、人間の情緒のさまざまな幅と広がりを最もよく表現できますね。激情、感傷、繊細さ、軽快さ、優美、涙、どす黒い情念、勇壮、可愛らしさ、明るさ、さわやかさ、スピード感、意志の強さ、憧れ、郷愁、はずむ恋心、失恋の悲しさ、知的な疑惑、不安、重々しい鬱屈……数え上げればきりがありません。
 情緒の幅と広がりといえば、ビルのピアノは、思索的で理知的であると同時に、そこに得も言われぬリリシズムが湛えられています。テンポの速い曲だと、そのことがあまりよくわからないかもしれませんので、彼のスローバラードを一曲聴いてみましょう。これまでこのシリーズでご紹介してきた曲は、みな比較的リズミカルなものが多かったので、そういう意味でも、ここらで静かに聴き入る時間を持つのも一興かと思います。
 先のヴィレッジヴァンガードでのライブ演奏を集めたアルバムには、もう一枚、「ワルツ・フォー・デビイ」というのがあります。こちらのほうが有名で、いまでもビル・エヴァンスと言えば、真っ先にこのアルバムが挙げられるのが普通です。



 ジャケットデザインも素敵ですね。タイトル・テューンの「ワルツ・フォー・デビー」も文句なく素晴らしい名演奏ですが、ここでは、スローバラードの「マイ・フーリッシュ・ハート」。ちなみに、客のおしゃべりの声が少々気になります。ビルも弾きながら耳障りだったに違いありません。

http://www.youtube.com/watch?v=eFRsgGF80To

 ビルはこの最盛期の後も、ベーシストにチャック・イスラエル、エディ・ゴメスら(この二人は、スコット・ラファロが切り開いた地平を継承しています)を迎え、70年代後半までそれなりの活躍を続けますが、残念ながら往年の輝きはみられません。音楽にかける情熱は死ぬまでいささかも衰えを見せていないのですが、私生活面での不幸がさまざまな形で影を落としているようです。他の女性と仲良くなったために離縁をもちかけたことによる妻の自殺、やはりピアニストであった兄の自殺、家族との離別、長年の麻薬中毒による肝臓障害など、本当に孤独な芸術家の運命を象徴しているようです。1980年に51歳の若さで亡くなりました。
 後年の演奏を聴くと、先に述べたような、両手による絶妙な和声の繰り出しや白熱したインタープレイによるビルらしさの魅力が明らかに衰えていて、右手のシングルトーンによる即興部分が多くなり、これくらいなら、ほかにも巧者がいるだろうと感じさせます。こういうことも皆さんの耳で確かめていただく必要を感じますので、ここにそれを転載しておきましょう。「いつか王子様が」。パーソネルは、エディ・ゴメス(b)、マーティ・モレル(ds)。

http://www.youtube.com/watch?v=bu8BcRSNfxU

 この動画を見ると、彼の指が異様に腫れ上がっているのがわかりますね。おそらく肝臓障害のせいだろうと推測されます。
 ところで、麻薬中毒で若死にしたと書きましたが、ジャズメンたちの麻薬中毒と若死には少しも珍しくありません。51歳というのは、むしろ長生きのほうといっても過言ではないのです。先に取り上げたクリフォード・ブラウンもスコット・ラファロも20代、チャーリー・パーカー、エリック・ドルフィー、ポール・チェンバース、ウィントン・ケリーは30代、ジョン・コルトレーン、バド・パウエルは40代初期というありさまです。そして彼らはほとんど例外なく麻薬に手を出しています。
 この事実に、ジャズ演奏家という種族の生活の乱脈ぶりを想像する人もいるかもしれません。それはある意味では間違いとは言えませんが、私にはむしろ、こういう激しくも創造的な音楽ジャンルを作り出していく人たちにとってある種の必然なのではないかと思われます。ちなみにクラシックでも、モーツァルト、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、シューマンら、あのような繊細な音楽を創出した人たちは、みな若死にですね。
 冒頭にビルの肖像を掲げましたが、彼はまるで生真面目な銀行家か研究熱心な学者のような風貌をしています。資質的には事実、そういう側面があったのだろうと思います。生真面目で研究熱心、それがジャズという音楽に打ち込むとなるとどのようにあらわれるか。彼は絶えず独創的なフレーズを即興で繰り出していかなくてはなりません。その追いかけられる感じ、一瞬一瞬における時間との闘いは、神経を激しくすり減らすでしょう。インスピレーションをハイな状態に保つために、麻薬に頼らざるを得ない。そうした悲劇が、この芸術の舞台裏にはあらかじめ織り込まれている――そんな気がしてなりません。

倫理の起源13

2013年11月14日 19時00分34秒 | 哲学

倫理の起源13



 恋を発展させて道徳に転化させる? だがだまされてはいけない。いったい恋の本質としての「狂気性」はどこに消えたのだ?! 
 プラトンはこの疑問に対して、次のように答えるかもしれない。
 いわく、そんなこともわからないのか。恋を成就させるためには、つまり恋する相手と結ばれるまでは狂気性は不可欠のものだが、そのような狂気性を媒介としてこそ、ほんとうの「善いカップル」が生まれるのであって、そうして苦労して勝ち得た恋の成就の暁には、このようなけだかい関係のあり方が必ず訪れてくるのだ。そのとき狂気性そのものは少しも衰えることなく、知への愛という本来的な形態へと昇華されるのだ……。
 しかしこんな空手形にだまされてはいけない。お互いに現実感覚を失わないようにして、生の経験豊かなる読者に問いたい。現実には、恋の狂気性は、結ばれたあとも、新しい葛藤の種になりはしないだろうか。あるいは狂気的であったがゆえに、少しの時日が経てばその恋は夢のようにはかなく冷めていくのではないか。あるいは一方が冷めずに他方が冷めてしまえば、そこに生まれるのは、惨めな破局ではないか。狂気が恋する側に残っていればこそ、嫉妬に苦しむことにもなるのではないか。
 プラトンには、恋愛における狂気性を動力として結ばれた二人の間にならば、その狂気性をそのまま、知を愛し求める狂気性へと転換することが可能だという信念のようなものがあったように思える。あるいはそうでなければ、常識的に考えて相容れるはずのない二つの道(恋愛の道と知への道、あるいは地上的な狂気とイデアを求める狂気)の隔たりを、それと知りながらごまかして、わざと無視したのではないか。そして私には、このあとの欺瞞的な手つきのほうがありありと見えて仕方がないのだが。
「恋していない者にこそ身をまかせるべきだ」というリシュアスの説を思い出そう。この説はこの説で、てらいすぎのパラドックスだが、エロス神を冒涜するものだといってにべもなくこれを否定した第二のソクラテスには、恋の狂気が、私的関係の平穏な持続や公共性の維持に対して、いかに破壊力を秘めたものであるかという、危険性の認識があっただろうか。まだリシュアスの説のほうに、その感覚が保存されていたのではないか。
 ところがソクラテスは、この第二の物語の終わり近くで、リシュアスの説に対して次のような極め付きの批判を行っているのである。

 これに対して、恋していない者によってはじめられた親しい関係は、この世だけの正気とまじり合って、この世だけのけちくさい施こしをするだけのものであり、それは愛人の魂の中に、世の多くの人々が徳としてたたえるところのけちくさい奴隷根性を産みつけるだけなのだ。

 恋していない者によってはじめられた親しい関係は、けっして善い関係を生まないと言っている。ここで意識されている善い関係とは、単に彼らが二人だけの閉鎖的な幸福を得ることだけを意味しているのではない。そこには、旧世代から新世代に受け継がれるべき善き公共性を維持するにはどうすればよいかという例の問題意識も暗黙のうちに含まれている。
 なぜならば、先にも述べたように、プラトンおよび彼の同時代人の知識層が思想的に目指していたのは、明らかに倫理的な課題だったからである。その倫理的な課題とは、年少者と年長者とのプライベートな絆を、ただの肉体的な欲望の発散や私的な恋愛沙汰に終わらせずに、ポリス共同体というパブリックな体制の維持に貢献させることである。言い換えると、エロス的な関係を、個体の有限性を超えた時間的連続性に耐える堅固なものとするためには、いかなる知恵が必要とされるかという問題意識である。
 リシュアスの逆説もその倫理的課題の範疇におさまることはいうまでもない。とはいえもちろん、少年が彼を恋していない者に「身をまかす」(性愛関係になる)ことを軸とするような関係のあり方が、この倫理的課題を解き明かすものでないこともまた、あきらかである。好きでもない相手に安易に身を任せれば、相手は彼を軽視して簡単に捨てることになりがちだからだ。
 ソクラテスが「この世だけのけちくさい施こしをするだけのもの」「世の多くの人々が徳としてたたえるところのけちくさい奴隷根性」と、口を極めて批判しているのは、そのかぎりではおそらく当たっている。
 しかし、では、激しい恋心の結果少年の心身をわがものとするようなアイデアが、右の課題の解決策につながるかと言えば、それもあり得ないことである。激しいエロス感情にもとづいて作られた絆と、知を愛し求める志の共有にもとづく絆とが幸福な一致を見るなどということは、普遍的には成り立たないからである。プラトンは時代の渦中にいて壮大な夢を見ていたのだ。
 さてこれまで、ソクラテスが語った二つの物語のうち、あとの「恋の狂気」賛美の物語のほうに、プラトンがほんとうに言いたかったことがもっぱら集約されているという前提で、それを批判することに注意を集中してきた。おそらく『パイドロス』を読んだ多くの読者も、この物語にこそ、恋愛や美についてのプラトン思想の核心が宿っているという事実に疑いをもたないであろう。副題にも「美について」とある。
 ところが、『パイドロス』は、以上の「物語」で終わらずに、後半、ほぼ全体の半分に相当するページを、優れた話のあり方とは何かという主題をめぐるソクラテスとパイドロスの対話に当てているのである。それは、リシュアスの書いた話といまソクラテス自身が語ったばかりの二つの話についての反省会といったおもむきである。そしてそのなかにはまた、ソフィストたちの弁論術に対する批判もふんだんに出てくる。
 この内容自体は、さほど興味をそそられるものではなく、また本書のテーマからは外れるので、ここでは扱わない。ただ一点引っかかるのは、ソクラテスが、自分の二番目の話には、善き弁論をするための二つの手続きが使われていた、と指摘しているところである。
 二つの手続きのひとつは、多様に散らばっているものを綜観して、これをただ一つの本質的な相へとまとめること。もう一つは逆に、さまざまの種類に分割すること。
 このいわば「総合」と「分割」の二つの方法を言語に対して用いる技術は、ソクラテス自身によって、「ディアレクティケー」と呼ばれる。そして、自分がエロースとはなんであるかを定義したのは、前者の「総合」に当たり、また、恋の狂気性を、禍をもたらす部分(暴れ馬によって象徴される)と、反対にわれわれに最も善きものをもたらす部分(恋人に対する馭者の畏怖と敬虔の念に相当する)とに分割したのは、後者の「分割」に当たるとされる。
 このような一種の楽屋話のような「メタ言論」を聞かされると、私たちは、プラトンの作家的構成能力の複雑高度なあり方に舌を巻かされる思いがする。そして一瞬、ではソクラテスの二番目の「狂気礼賛」の物語は、必ずしもプラトンその人の思想を直接に表現したのではなく、恋やエロースという概念について別の側面からはこういう見方もできるというかたちで、説得力のある言論の見本をひとつ提示して見せたにすぎないのではないかという疑いにとらえられるのである。作品全体は、読者に新しく考えさせるための、一種の教科書のようなものである?
 だが、仮にそうだとしても、プラトンは、まずソクラテスにリシュアスの言論の主旨をもっと強調するような演説をさせ、そのあとそれを後悔して、エロス神をたたえる演説をさせているのであるから、私たちは、これまで批判してきたことを引き下げる必要はないであろう。やはりプラトンがソクラテスを使って自分の思想を表現したかった部分は、第二の演説の中に込められていると考えて間違いではなかろう。
 つまり、ソクラテスの互いに相反する二つの演説それ自体が、彼のいう「ディアレクティケー」の構造になっていると考えれば、プラトン自身は、やはり、あとの演説のほうが、言論そのものの「最も善きものをもたらす」部分に相当すると考えていたとみなして大過ないだろう。
 いうなれば、リシュアスの言論をソクラテスなりに整理して、その論点を強調した第一の演説が、分割の第一番目、すなわち「禍をもたらす部分」を示し、エロス神の礼賛を軸とした第二の演説が、分割の第二番目、すなわち「最も善きものをもたらす部分」を示しているとみなすことができるだろう。私たちのプラトン批判は、だからこそ、この第二番目の部分に集中したのだった。
 この推定は、他の作品、『饗宴』『パイドン』『国家』『ゴルギアス』などによって補強される。プラトンは、これらの作品において、はじめから自分の主張を一方的に繰り出すのではなく、ソクラテスを主人公とした「対話(ディアレクティケー)」という両論併記の方法を用いることによって、まず考えられるかぎりの反論を提示しておき、それをあとからゆっくりとひっくり返していくという、弁論のドラマ性を重視した。もちろん最後に勝つのはいつもソクラテスなのだが(『パルメニデス』などは例外)。この弁論のドラマ性は、読者に文学的興味をそそらせるテクニックであると同時に、議論というのはこのようにいつもだれにでも開かれていなくてはならないという彼の思想的態度の表明でもあった。
 この思想的態度の表明にかぶれる人は多いが、私はむしろ、そこにもプラトンの狡知を見出す。なぜなら、ソクラテスが登場するほとんどどの作品でも、ソクラテスの発言量が圧倒的に多いし、対話の相手はほとんどの場合、ソクラテスの考えにそのつどただ同調する未熟な若者であり、最終的に議論に決着をつけているのは、いつもソクラテスだからである。ただし、『ゴルギアス』におけるカリクレスと『国家』におけるトラシュマコスはこの言い方には当てはまらない。これらは例外と言っていいかもしれない。つまり「対話」とは、だいたいにおいて、巧妙な見せかけである、と私は言いたい。
 ともあれ、『パイドロス』の前半は、表面上「(少年は)恋している者に身をまかせるのと、恋していない者に身をまかせるのと、どちらがよいか」という問いをめぐって展開されており、「美について」という副題が付されてもいるが、じつは、この作品も『饗宴』と同様、「善なる存在として生きるにはどうすればよいか」というプラトンの強い倫理学的な問題意識を底に隠した作品なのである。ここにただの「美」論や恋愛論を読むのは、読みが浅いと言わなくてはならない。
 というのは、ソクラテスの第二の演説の結末に見られるごとく、ここには、恋する者どうしの絆を、神に祝福されるべきより高い生のステージにまでもたらすためには、必ず彼らがその絆を利用して、手に手を取って知を愛する精神的な営みに励まなくてはならないという「お説教」が語られているからである。
 言い換えると、プラトンの思想的射程の中では、「恋」という最も狂気性のあきらかな、また快楽の奴隷に陥りやすい人間の心身の営みさえもが、その特性ぐるみ愛知や哲学に昇華されなくてはならず、そうした「善」を目指す生き方のうちに包摂されることが要求されているのである。
 ハイデガーは、世人の頽落状態から脱してたったひとりで死と向き合うかまえのうちに道徳性の源泉を見ようとした。これに対して『饗宴』と『パイドロス』におけるプラトンは、恋の狂おしい力によって結びついた二人の関係の展開に道徳性がはらまれる可能性を見出そうとした。
 なるほど、愛し合った二人が、その二人だけの閉ざされた世界の中でだけ精神性を高め、自分たちは俗情の渦巻く世間から離れて、「善のイデア」に近づいたと主観的に感じ合うことはあるだろう。ことに二人の恋が世間や社会からの迫害にあうとき、そのような精神状態になることはしばしばある。しかしそれは、ちょうどある宗教が、自分たちの教義だけが正しいと主張して他の宗教を異端として斥けるのと同じように、普遍性への回路をもたないものである。
 この世での恋がかなわぬものならば、せめてあの世で永遠の愛を、と観念することは、人間のロマン的本質に根差している。たとえば我が国の文学でも、近松の心中ものなどは、そのプロセスを克明にたどろうとする。しかしそれは、その現実的な悲しみと苦しみゆえにこそ人々の共感を誘うのであって、その限りでよく納得できる成り行きである。
 だがそのロマン的本質を、「善のイデア」と呼び変えうるかどうかは、また別問題である。私はこのプラトンの手つきにどうしても嘘くさいものを感じる。この嘘くささは、キリスト教道徳の加勢を得て、ヨーロッパの精神史の中に長く根付いて行ったようだ。その好例を、たとえばダンテの『神曲』の構成の中に見出すことができるだろう。美少女ベアトリーチェへの恋心が、天上の至高の輝き、その唯一絶対的な完全性に出会うことで成就しうる? 狂気的なエロスの欲望が、道徳の源泉と最終的には融和する? そんな馬鹿な。


日本語を哲学する12

2013年11月14日 18時52分59秒 | 哲学

日本語を哲学する12


4節 言葉の本質

 これまで、言葉の本質を導き出すための準備作業として、三つの基本命題を立て、それらの意味するところについて説いてきた。もう一度その命題を掲げる。

 1 言葉の本源は音声である
 2 言葉は世界を虚構する
 3 言葉は思想そのものである

 以上の命題の言わんとするところをよく理解していただければ、言葉の本質を規定することはもはやさほど困難ではない。

 言葉とは、音声をその本源としつつ、自己を互いに投げかけあうことを通して思想を形成し、それによって共同存在としての自分たちを不断に創出していく営みである。

 いくらかの解説と、予想される疑問・反論に対する弁明を必要とするかもしれない。
 この定義で、「自己を互いに投げかけあう」というとき、実際に発話という行為に踏み出す側のことだけが考えられているのではない。前に述べたように、黙って人の話を聴いているのも言語行為である。
 次章で詳しく扱いたいと思うが、さらに言えば、単に人の話を聴くために黙っているという心理的状態だけが言語行為であるのではなく、人と人とが具体的にかかわっているあらゆる場面で、そのなかのメンバーがさまざまな理由によって黙っているとき、それはすべて一種の言語行為なのである。なぜなら、それらの「沈黙」という様態は、そこにかかわる他者たちに必ずひとつの言語的な「意味」として受け取られるからである。発話をプラスの言語行為とすれば、いわば沈黙とは、マイナスの言語行為である(この「マイナス」という言葉には、価値的な意味を込めていない)。
 また、ここで言われている「自己」とは、2節で指摘したように、何かあらかじめ内容をもった「自己」なる存在があるのではなく、ひとつの身体からの音声表出という物理的生理的な過程の形式そのものをそう呼んでいるだけのことである。中身はさしあたり空虚なのである。
 なおまた、「共同存在としての自分たち」という言葉は、次の人間認識にもとづいている。その認識とは、人間はもともと他者とかかわりあう存在であるところにその本質があり、その本質は、一個の個人のうちに動的な構造として内在化されているという認識である。言語交流とは、まさにこの動的な構造のあからさまな出現の一形態なのである。

 さて、次のような重要な反論が考えられる。
 言葉は音声を本源としており、音声言語以前に思想はないとあなたは言うが、先天的な聾者が手話によって旺盛なコミュニケーションが可能になることを考えれば、音声が不在であっても言語は存在すると言えるし、また、じっさい音声なしに思想の交流を行なっているのだから、まず思想が人間のなかに生れて、それを種々の手段によって表現するという論理経路のほうが実態にかなっているのではないか。思想や思考が普遍的に存在し、音声言語はそれを表現するための特殊な手段にすぎないのではないか。
 この反論に対しては、すでに1節で短い答えを出しておいたが、ここではもう少しよく考えてみることにしよう。
 言葉の流通がほとんど障碍なくスムーズに行なわれるためには、そのメンバーが一定の言語共同体の中で生まれ育つ必要がある。日本語、英語、中国語というように、ある共同体の中でだけ通用する特殊な言語規範というものが現に存在し、それらはそれぞれ文法構造を異にしている。にもかかわらず、人間がもつ共通普遍の生活感覚、世界把握の仕方というようなものがあり、だからこそ言葉がちがっても翻訳によってかなりのところまでは疎通が可能なわけである。そのことはもちろん認めなくてはならない。
 ところでいま、ひとつの思考実験として、完全に周囲から孤立した先天的な聾者だけによる共同体というものを想定してみよう。もし、人間のもつ共通普遍の生活感覚、世界把握の仕方というものがあらかじめあり、彼らもそれを完全に共有しているのだとすれば、その孤立した共同体の閉ざされた歴史のなかにおいても、人間にとっての普遍的な「思想」を表現するための特殊な表現「手段」(たとえば手話)が形成されていくと考えられそうである。
 しかし、じつはこういう思考実験はただの思考実験として想定されるだけで、現実にはけっして成り立たない。先天的な聾者も必ず、すでに出来上がった言語文化共同体のただなかに生まれてその文化のあり方を支配的なものとして引き受けつつ育つのである。
 さて、一定の言語文化共同体が出来上がるために絶対に必要な条件は、1節で述べたとおり、音声(音響)とその知覚によるメンバー相互の応酬の歴史が積み重ねられることである。この実践的交流の歴史のうえに言語の体系がいったん出来上がると(そこではすでに「思想」の交流もされている)、それは一見、その根源的な要因から自立して、あたかも音声言語とは別に、それ以前から「思想」を想定できる人間的な意識が存在していたかのような仮象が成立するのである。言い換えると、特殊な手段とは必然的な関係をもたない言語一般、思考一般、内面一般、真理一般というようなものが、音声言語以前にあったかのように感じられるのである。
 だがそれは、1節と3節をよく読んでいただければわかるように、おそらく私たちの錯覚である。音響の知覚こそが私たちに共通の「内面」なるものの根源的な形成にあずかるのだし、人類史の起源においては、言語の形式的な本質の一側面をなす「概念」は、もういっぽうの側面である「分節化された響き=音韻」によって指し示されたのである。そしてこの「概念」こそは、思考が思考として成立するための不可欠な条件なのだ。
 では、手話の体系はどうして成立したのかといえば、音声にもとづいてすでに出来上がっている言語(思考)体系を基盤として、それの代替機能としての新しい言語(思考)体系が作られたのである。これが可能なための必須条件は、先天的な聾者たちの周りに、音が聞えて音声言語を交わすことができる人たちが存在したことである。彼らの存在によってはじめて、聾の人たちは、生れてから早い時期に、この世界には「音声」という現象が存在してそれを交し合うことで人間の文化の中心部分が成り立っていることを知る。そこから旺盛な代替機能の創出が始まったのであろう。したがって手話は、音声言語の体系からまったく無関係に成立した言語とみなしうるものではなく、既存の言語体系との関係において作られた、より高次の言語体系である。だから反論者が言うように、「思想」が音声言語に先立つわけではない。
 聴覚障害者、特に重度の難聴者は、概して精神発達が遅れがちであり、抽象的な思考や複雑な思想内容を理解するのが困難であるという話を複数の筋から聞いたことがある。また、18歳以上の厚生訓練施設で聴覚障害者を対象に知能検査を行うと、動作性検査では難なくクリアーできるために知的障害はないと診断されるが、言語性の検査を行うと多くが不合格になる。これは概して手話を習得してこなかったためだそうである。
 現在でも、聴覚障害者は、言語を覚える大切な時期に周囲のコミュニケーション環境からほうっておかれたり、適切な言語教育を受けることができなかったりしがちである。また、軽度、中度の難聴者は、なまじ「聞こえている」と周囲が認定するために、自分でも無理にそう思い込まされ、音としては聞こえていても言葉として識別できないことが多い。その結果、音声言語の飛び交うコミュニケーション空間に突き出されながら、じっさいには何が話されているかわからずにボーっとしている期間が続いてしまう。そのため複雑な思考能力の発達が阻害されがちなのである。
 言語を駆使できるようになって初めて思考が発達するのだから、これらの現象はある意味で当然のことだと私は思う。つまり、手話というよくできた代替機能を身につけることができない限り、音声言語を交換できないことは、それがそのまま思考や「内面」の未発育につながるのである。この事実は、言語以前に思想があるわけではないという私の論の傍証となるだろう。

 ところで、このように言うと、聴覚障害児教育や研究に携わってきた人々から、さらに次のような反論が返ってきそうである。三つに整理する。

①あなたの論は、音声中心主義であり、現在の聴覚障害児教育の主流が口話法から手話中心に移りつつある動向を逆行させる危険性をはらんでいる。
②ボストン近郊のマーサス・ヴィニヤード島で使われていたヴィニヤード・サイン・ランゲージや、ニカラグァ聾学校(全寮制)の子どもたちの間で自然発生した手話の例などから見ると、音声言語以前に思想はないというあなたの考えは間違っているのではないか。これらの例は、チョムスキーが唱えた「人間には生得的に言語獲得能力がある」という説を証明するものでもある。
③先天的な聾者でも学力優秀な子どもは、読み書きをおぼえ、難しい本でも読解する能力を習得できるし、また高度な文章を書きこなすこともできる。もしあなたの言うように、読むことが「観念的な音声を聞く」ことならば、聞こえない子どもたちはどのようにしてこれらの能力を獲得したというのか。やはり音声言語以前に人間には「思想」する力があるのではないか。

 ①について。
 これは、障害児教育の技術論的・方法論的な次元での批判だが、もしこういう批判が出てくるとすれば、それは、長きにわたる口話法教育が、聞こえない人たちを無理に聞こえる人たちの世界に引きずりこうもうとしてきた結果、思ったほどの成果を上げられなかっただけではなく、聾者の親や聾者自身の心理を自己欺瞞的なものにゆがめてきたという事実から来ていることになろう。親は自分の子どもが言葉をわかっていると思いたがり、子どもは聞こえているふりをして、貴重な数年間をやり過ごしてしまうケースが非常に多いといわれている。
 障害児を健常児と同じ教室で学ばせる方法をインテグレーション(統合)教育と呼ぶが、このやり方にははじめから大きな無理がともなっていた。この無理には、「人間はみな平等だ」「傷害があってはならない」といった観念的な平等主義イデオロギーがたぶんに作用してきた面も見落とせない。また聾者と聴者との中間に位置して、口話法教育によって何とか聴者の文化に同化することができた「難聴者」たちは、青年期以後、かえって前二者の「異文化」のどちらにもうまく適応できずに悩むことが多いといわれている。(上農正剛著『たったひとりのクレオール』〔ポット出版〕、村瀬嘉代子編『聴覚障碍者の心理臨床』、村瀬嘉代子・河崎佳子編著『聴覚障碍者の心理臨床2』〔日本評論社〕など参照)
 これらの事実が次第に明らかになり、そのために、むしろ聞こえない子どもたちやその親や教師は、聞こえないという現実を厳しく直視して、その子どもたちの真の人間的な自立のためにどんな教育法が適しているかを誠実に探求すべきだという主張が現在力を得てきている。聴覚障害児教育が手話中心に移りつつあるのもその一環とみなすことができる。
 ただし、この方面に長年実践的にかかわってきたある専門家の言によれば、口話教育一本槍の弊害を切り捨てるために一気に振り子の針を反対にして、手話教育一本槍にしてしまうのもまたバランスを欠いている。早期教育において音韻発声のための筋肉運動の「おけいこ」を同時に行い、最終的に「口形を伴う完全手話」の形に到達させるのが理想的だとのことであった。なるほどこれなら、マジョリティが作っている言語文化体系への開かれた参加の道も確保できるわけである。
 ところで、私は、口話法教育から手話教育中心へのこの(軋みをはらみながらの)転換、及びその背景にある主張をまったく正しいものと認める。むしろ遅きに失すとすらいうべきで、現実を見据えない理念だけの「反差別主義」イデオロギーが、インテグレーション教育のいいかげんな実態や聾学校の衰退を招いたことは、わが国の障害児教育にとって取り返しのつかない損失であったろう。
 しかし、こうした社会実践面での主張がいかに正しいものであるからといって、それがそのまま、「言葉の本源は音声である」というテーゼを揺るがせるものとはならない。私は音声中心主義という「主義・イデオロギー」を語っているのではなく、起源から現在に至るまでの歴史的事実の重みを語っているのである。
 すでに述べたように、いかなる言語文化、言語共同体も、代々の生活者たちが音声交流によって実践を積み重ねてきた長い長い歴史を基盤として成立している。文字、手話などの視覚言語、点字などの触覚言語は、一見、音声言語とはまったく独立に、聴覚とは異なる感覚を媒介にして成立した異質な言語文化であるように見える。しかしそれらは、音声言語と並立しているのではなく、音声言語文化を土台として、その上に開いた、より高次の言語文化なのである。


*今回の論考を起こすにあたって、聴覚障害の問題に長年かかわってこられたK氏のお話を参考にさせていただきました。私の奇妙な疑問に一つ一つ誠実に答えてくださったK氏に、この場を借りて深く感謝いたします。



「一票の格差」是正のまやかし論議に騙されるな

2013年11月14日 18時37分15秒 | 政治

「一票の格差」是正のまやかし論議に騙されるな


*本文に記載されているURLは、そのままではヒットしませんので、検索欄にコピペしてご参照ください。



 報道によりますと、昨年12月の衆院選で最大2.43倍の「一票の格差」が生じたのは違憲として、2つの弁護士グループが選挙無効を求めた訴訟で、上告審の弁論が明後日(23日)に、最高裁大法廷で開かれることになっています。
 この問題について私は、3月25日、26日に広島高裁及び同岡山支部で違憲・無効判決が出た時点で、良識を喪失した司法の判断に呆れ、月刊誌『Voice』6月号に、一文をものしました。
 最高裁でどのような判決が出るのか見守りたいところですが、こんな非常識な「違憲判決」が堂々とまかり通るようでは、本当の意味での民主主義は終わりです。そういう危機感を抱いていますので、これを機に、『Voice』6月号の記事に微細な訂正を施して、以下に再録したいと思います。ご意見をお寄せいただければ幸いです。


一票の格差違憲判決は横暴な権力行使
                                    
 昨年12月の衆院選で最大2.43倍の「一票の格差」が生じたのは違憲であるとして、2つの弁護士グループが計16の訴訟を起こしました。このうち、「違憲・無効」判決が2件、「違憲・有効」判決が12件、「違憲状態」判決が2件ということです。このなかで3月25日の広島高裁判決と26日の同岡山支部判決は、選挙を無効としており、特に岡山支部判決は、猶予すら設けず判決確定で無効という、何とも端的で厳しいものでした。国政選挙に多少とも関心のある人々は、このニュースにさぞびっくりしたことでしょう。
 これらの訴訟はすべて上告され、やがて最高裁の統一見解が出されると思いますが、現在の時点で、自分なりの見解を述べておきたいと思います。
 結論から言いますと、私はこの判決は「司法」という名の権威を笠に着たとんでもなく非常識な判決だと考えます。
 そう判断するのにはいろいろな理由がありますが、いちばん問題なのは、こうした司直の見解に対して、ほとんどの人が、違憲判決は厳粛に受け止めなくてはならない、と感じてしまうことです。ここにはまず現行憲法の権威に対する疑いのない受容の意識があり、それに乗っかった形での司法判断一般を、無条件に尊重してしまうという習慣の力があります。そのため、この司法判断が本質的な意味で妥当であるかどうかが問われず、一票の格差そのものを何とかしなければ、という共通了解がすぐに成立してしまいます。一見「正義」とみえるものを金科玉条のように思って、そこにさからえない空気が覆いかぶさるのですね。後に述べるようにこれは「戦後」民主主義の悪弊の一つと考えられます。
 私が触れたかぎりでは、わずかに4月12日付産経新聞「正論」欄で、検察OBの土本武司氏がこの無効判決に対して次のように疑問を提示しています。

 だが、無効判決が確定した選挙は無効になり、他の選挙は事実上有効になる問題をどうするのか。選挙制度を見直さなければならない時に、一部議席が空白のままでできるのか。選挙無効となった議員が審議に関与した、法律や予算まで取り消されることになるのか、何よりも、投票という国民の主権行使を無に帰せしめることにならないか。国家運営や民主主義の根幹にかかわる重大な難問が惹起されるのは疑いない。

 土本氏のこの疑問は、すぐれた実務畑の人にふさわしい、たいへん現実的で良識にあふれたもので、私は全面的に支持したいと思います。しかしこの問いかけですら、そもそもごく一部の弁護士グループが「一票の格差」にこれほどこだわり、しかもその主張が通ってしまう戦後平等思想そのものの本質的な問題点には踏み込めていないうらみが残ります。
 言うまでもなく、日本国憲法には、国民の生活を守るために大切な価値がいくつも盛られていて、これらを頭から否定するわけにはいきません。しかし憲法は何も不磨の大典ではなく、改正すべき点が多々あります。また、憲法の条文は、その性格上、抽象的ですから、いくらでも多様な解釈を許す部分があります。
 今回の「一票の格差」問題について言えば、違憲訴訟の根拠となるのは、「法の下の平等」を規定した14条でしょう。一人一票を規定した公職選挙法36条も絡むでしょうか。また具体的には、「衆院選挙区画定審議会設置法」(略称「区割り審」)第3条1項で、2倍以下という規定があることが問題の一番の焦点となります。
 しかしこれらのどこにも、当選者の得票数に格差があってはならないとは書かれていません。つまり、「一票の平等な重み」という概念は、憲法や法律に書かれているから守らなくてはならないのではなく、「 絶対平等を理想とする民主主義」という、戦後浸透した一般通念に拠っているものということができます。さてこの通念は正しいでしょうか。
 まず問題なのは、ここでの「平等」という概念が、ただの算術的な頭数のうえでの平等という機械的な考え方にもとづいている点です。いかにも合理的で公平に見えますが、この機械的な合理主義は、私たちの現実的な生活の多様な面に思いを致すとき、少しも妥当とは言えないことに気づきます。いわば、コンピュータの判断した「平等主義」なのですね。いや、いまのコンピュータは将棋名人に勝つほど優秀ですから、さまざまな条件をインプットしさえすれば、もっとずっと適正な答を出してくれるでしょう。

「一票の格差」が問題となる背景は、なんといっても、都市と農漁村との人口の落差でしょう。人口が集中している都市部では、たくさんの票を獲得しなければ当選できず、したがって、有権者の一票の重みがそれだけ軽くなるという話ですね。
 しかしここで、都市で暮らしている人と農漁村で暮らしている人とのスタイルの違いを考えてみましょう。全国の地方都市をいろいろ回ってみるとわかりますが、高度成長期以降に発展した大都市(政令指定都市ほどの規模)での生活は、だいたい似たりよったりです。それぞれの都市の特色がないわけではないものの、そこで暮らしている人たちの日常的な意識と行動は、ほとんどどこでも共通しています。つまり大都市住民の多くは、毎朝自宅マンションやアパートから出て、自分の選挙区とは異なる地域に赴いて仕事をし、夜遅くなってから帰宅するということを繰り返しています。営業や出張で他地域に出かけることもたびたびです。
 こういう生活スタイルをとっている人たちの中に、自分の住居と、それが属する選挙区との必然的なつながりを意識するような要素がどれほどあるでしょうか。いわば大都市住民は、毎日、遊民生活を送っているようなものです。おそらく、家業をやっていたり地域活動を熱心にやっていたりする人たちを除いて、大多数の人たちにとっては、機械的に区割りされた自分の選挙区に対する特別の思い入れ、執着心、愛郷心、土着のこころといったものなど、ほとんど持ちようがないのではないでしょうか。
 これに対して、過疎地域の農漁村に永く暮らしている人たちは、大地や森林や海といった特殊な自然風土と有機的に結びついた土着のこころを大切にしています。先祖からずっと引き継いだ仕事や信仰、祭りや言い伝え、人間関係などを尊重しながら毎日を生きているのだと思います。たしかに人口は少ないでしょうが、そういう人たちの土地に根ざした思いには、それぞれ独特のローカリティが宿っており、そこから国政の代表を選ぶときには、この思いが無意識のうちに込められるでしょう。算術的な平等を機械的に貫くよりは、計量できないこうした質的な「意味」の違いを汲み取るほうが大事ではないでしょうか。もっと言えば、こういう人たちの一票のほうが、大都市住民のそれより重んじられて当然だと考えるべきではないでしょうか。
 これは、出身地に利益誘導をしろという政治的な意味とは次元の異なる話です。東日本大震災や原発事故で故郷を追われた農漁村の人々が、いかに故郷に帰りたがっているか、帰ることが不可能になってしまったことでいかに無念をかみしめているかに想像力をはせてみれば、すぐわかることです。

 こういうことも言えます。
 私の知人で対馬出身の人がいるのですが、対馬は朝鮮半島と日本本土の中間に位置していますから、古来、その地政学的な位置関係に由来する独特の文化をもっているそうです。しかし人口が少ない関係から一選挙区として認められておらず、長崎県の他の地域といっしょくたにされています。彼は対馬を一選挙区として認めてほしいと言っていました。
 さてご存じのとおり、いま領土問題で韓国との間に緊張関係があります。多くの韓国民が竹島のみならず、対馬をも自国の領土だと主張している有様です。こういう政治外交上の一焦点となっている地域に、日本国家として格別の配慮をしなくてよいでしょうか。格別の配慮を実現させるためには、国政のエネルギーを、他の平穏な地域よりもより多く注ぐべきであり、そのためには、その地域の切実な事情を国政に反映させることのできる優秀な政治家が育つことが必要です。算術的な平等などに過度にこだわらず、それぞれの地域住民の生活関心と、その地域にかかわる国家的なインタレストとの両方に叶うような、新しい区割りの発想が要請されるはずです。
 しかしまあ、量ではなく質にきめ細かく配慮した区割りを考えるべきだ、とまで一般化してしまうと、「言うは易く行うは難し」で、全国津々浦々、その特性は無限に多様ですから、コンセンサスを得るのがとても困難になるでしょうね。
 それはわかります。ことは単に選挙制度の問題にとどまらず、行政のケアがどこまで行き届くかという点のほうが重要なのかもしれません。ただ、算術的・形式的な平等主義によって「違憲だ、違憲だ」と騒ぎ立てる前に、弁護士も裁判官も、こういう質的な問題を少しでも考慮するように頭を切り替えるべきではないか、と訴えたいだけなのです。
 繰り返しますが、大都市のなかを、毎日あちらの選挙区からこちらの選挙区へと動き回っている市民にとって、一選挙区などという区割りは大した意味を持っていません。私は、大都市から立候補する候補者は、多くの票を得なければ当選できないという事態に耐えるべきだと思います。また人口の少ない農漁村から立候補する候補者は、そこに定住して生活している人々の一人ひとりのこころをきめ細かく大切に受け止めるべきだと思います。

 ところで先にも述べたとおり、こういう違憲騒ぎを巻き起こしているのは、ごく限られた弁護士グループだけです。じっさいに大都市で生活している有権者の多くから、「私の一票は鳥取県人の一票に比べて限りなく軽いから、何とかしてくれ」という声が強く挙がっていますか。あるいは大都市での立候補者たちが、「こんなに票をかき集めなくてはならないのは不当だから、格差をなくしてくれ」と叫んでいますか。私はこれまで聞いたことがありません。
 この騒ぎを起こしている弁護士の人たちは、形式的な民主主義理念に金縛りになっていて、主権者である国民の意思が平等に反映されないのはおかしいと理屈をこねているだけです。ところが不思議なことに、国民の大多数の意思を最も尊重すべきであると主張している当の人たちが、ほとんど国民から支持もされていない自分の主張を声高に叫んで、強引に司直を動かしているのですね。自分たちの主張が国民の多数から支持されているのかどうか、彼らは少しでも調べてみたのでしょうか。それをやるのが民主主義政治の実現にとって欠かせない手続きというものだと思うのですが。
 要するにこれは横暴な権力行使であって、彼ら自身の民主主義理念に反することを自らやっているわけです。この人たちの頭の中はどうなっているのでしょうか。
 さて問題は、なぜこんな少数者の偏った主張が、中央政治に大きな影響(悪影響)を与えてしまうのかという点です。法の専門家と称する一部の人たちが、その架空の権威を笠に着て司直を動かし、「違憲判決」をおごそかに宣言させ、そうして、安定政権がようやくじっくりと時間をかけて政治を運営していこうとしているその矢先に無意味な混乱を持ち込んでいるわけです。現実的には、0増5減案が国会を通過し、2倍未満になったのだから、何の問題もないではありませんか。
 ちなみに私自身は、国会議員の定数を削減すること自体に反対です。この点はここで詳しく語る余裕がありませんので、ご関心のある方は、以下のブログにアクセスしてみてください。

「美津島明編集・直言の宴」2013年4月16日掲載
国会議員数減らしと役人給料カットは愚策
http://mdsdc568.iza.ne.jp/blog/entry/3051606/

 それにしても動かされる司直も司直ですね。なんでこんなことがまかり通るのでしょう。理由を二つばかり推測してみました。
 ひとつは、法曹界の一部が、自分たちの思い通りになる範囲での権限をできるだけ悪用する習慣に染まっているのではないかということです。言い換えると、国民の多数の思いがどこにあるかなど忖度しなくても済むような「司法専門家ムラ」が、その閉鎖性をますます強めているのではないか。そこには弁護士と裁判官と、時には検察までもが結託している構造が垣間見えます。「ムラ」にすぎないのに権力を行使できるから始末が悪い。
 二つ目。先の選挙で惨敗した民主党と、違憲訴訟を起こした弁護士たちとが有形無形のかたちでつながっていて、民主党が負けた腹いせのために彼らを陰で操っているのではないかということ。私はこういう陰謀史観は好きではないのですが、あの弁護士たちの原理主義的な「民主主義」観念と、民主党の一部に見られたサヨク思想とは、どうしてもイメージが重なります。しかしもし本当に無効判決を生かして7月に衆参ダブル選挙が行われたら、「泣きっ面に蜂」の目を見るのが当の民主党であったことは明らかです(笑)。
 いずれにしても、私は今回の成り行きに「戦後」民主主義の悪弊の典型を見る思いです。自分たちの横暴な権力行使に対する自覚がないままに、自分たちがいちばん「民主主義者」だと勘違いしている。こういう勘違いが公然と演じられるようになったのが、「戦後」民主主義のレジームです。そして、この勘違いにいちばん染まりやすいのが、生活や政治に現実的な感覚をもたない老インテリさんたちだ、という点も指摘しておきましょう。老インテリさん、かつての社会党や共産党が抱懐していた「革命」の理想など、とうに夢のまた夢として過ぎ去ってしまったことはご存知ですよね。だったら、正当な「民主主義」的手続きを通して多くの国民の支持を得た新政権の足を引っ張るようないじましいマネはやめたほうがいいと思うのですが。そんな屈折した手を使うのではなく、与党が進める具体的な政策を堂々と批判して、少しでも日本をよい社会にすることに貢献するべきではありませんか。

 最後に話題になっているネット選挙について一言述べます。
 ネット選挙法案は、衆院を通過し(全会一致)、参院審議を経て成立しました。私はこれについて論じる資格があまりないのですが、まあ、これだけインターネットが普及してしまうと、多少の難点はあっても流れには逆らえないのだろうなあ、と思っています。今後を見守るしかないでしょう。
 ただ、この法案が若年層の関心を政治に惹きつけて投票率を高めるという意図からなされているのだとしたら、それは少し違うのではないか。先の衆院選の投票率は60%を割り込み、戦後最低を記録しました。若者の政治離れが嘆かれ、この事態に言及する人は、ほぼ例外なく、もっと政治に関心をもって投票所に行こうと呼びかけます。しかし、棄権者が4割いるということは、そんなに悪いことでしょうか。
 いわゆる無関心層の中には政治にはっきりと絶望している人もいるかもしれませんが、はじめから政治に興味をもたない人、だれに入れていいか決められない人、多忙な人、予定が入っている人、超高齢者、判断能力がない人など、さまざまな人がいるはずです。そういう人たちが、たまの日曜日にわざわざ投票所に足を運ばない自由が許されているということは、必ずしも悪いことではない、と私は思います。政治に過剰な関心をもたなくてもなんとかその人たちの生活がやり過ごせていることを意味するからです。
 衆院選で4割はたしかにちょっと多いかもしれません。しかし逆に、実態は独裁国家なのに国民から支持を取り付けたというアリバイのために選挙をやるような国では、たいてい投票率9割以上などという結果が出るものです。ここには強制や買収や組織ぐるみ参加がはたらいていることが明白ですね。一般大衆のすべてに対して政治について考えろという圧力がかかるのは、社会状況がよほどよくないか、強制的に投票させられているかどちらかです。
 国民の政治参加と言っても、ふだんからきちんと考えている人、選択能力のある人が投票所に行くのが、自由社会の理想なのです。かえってそのほうが結果に信頼がおけます。だれにも選ぶ権利が与えられているという民主的原則は、形式的にはそれでかまいませんが、実質的には、公共性についてよく考えている人によって社会が支えられるかたちこそ健全な姿といってよいのです。

倫理の起源12

2013年11月14日 18時22分27秒 | 哲学

倫理の起源12



 『パイドロス』についての言及を続ける。

 プラトンの記述は、『パイドン』において魂の不死の証明のために用いられた有名な想起説を用いながら、さらに進む。
 ちなみに想起説とは、われわれ人間は、生まれる前にあの神々の行進に随行して、天球の外にあるもろもろの聖なるイデアに一度は触れたことがあるのだが、生まれると同時に地上の汚れたものに接してそれらを忘れてしまい、のちに知的努力によってようやくそれらの片鱗を思い出すことができるという考え方である。そしてこの想起をうまくなし得る者は、見えないものを思惟によって見ようとする訓練を受けた哲学者と呼ばれるごく少数の者に限られる。
 しばらくプラトン自身の昂揚した筆致をそのまま追尋しつつ、彼が恋の狂気一般を称えているように見せながら、ほんとうは何を伝えたかったかを、注意深く検討することにしよう。

 
 正当にも、ひとり知を愛し求める哲人の精神のみが翼を持つ。なぜならば、彼の精神は、力のかぎりをつくして記憶をよび起こしつつ、つねにかのもののところに――神がそこに身をおくことによって神としての性格をもちうるところの、そのかのもののところに――自分をおくのであるから。人間は実にこのように、想起のよすがとなる数々のものを正しく用いてこそ、(中略)言葉のほんとうの意味において完全な人間となる。

 この一節には詳しい解説は要らないであろう。神に祝福されて完全な人間として認められるのは、知を愛する哲人の精神のみであると明言しているのだから。言うまでもなく、哲人の恋はその対象を、地上に現れた個別の美しい肉体になど求めはしないのである。

 狂気という。しかり、人がこの世の美を見て、真実の美を想起し、翼を生じ、翔け上ろうと欲して羽ばたきするけれども、それができずに、鳥のように上の方を眺めやって、下界のことをなおざりにするとき、狂気であるとの非難を受けるのだから。
 (中略)この狂気こそは、すべての神がかりの状態のなかで、みずから狂う者にとっても、この狂気にともにあずかるものにとっても、最も善きものであり、また最も善きものから由来するものである、と。


 下界のことをなおざりにするとき、その人は狂気と呼ばれるが、それは「真実の美を想起」する人に限られている。問題は、「この世の美」を見た人が、必然的にかつて見たはずの「真実の美を想起」するような段階に移行するかどうかである。
 この記述には、『饗宴』においてみられたのと同様の強引さと身勝手さがある。プラトンはここで、ひとたびこの世の美に触れた者は、それをきっかけ(入り口)として知を愛する努力を重ねれば、だれでも「真実の美を想起」できるかのように書いているが、じつのところそれはプラトンにとって「かくあるべし」と考えられた、ゾレンとしてのプロセスにすぎない。
 なるほど美しい異性の心身に触れた人のうち、ある一部の人は、そこに美のイデアを探し求めようとするかもしれない。しかし、そのような心の動きをみせずに特定の個体としての相手との合一を求める人もまた、その相手に恋をしているとじゅうぶんに言えるのであるから、プラトン自身の思想に即するかぎり、いずれの狂気をも一緒くたにして、最も善きものから由来するとは言えないはずである。次の二つの節を読むと、地上の美への狂気は、ここでの祝福されるべき狂気とは無縁のものであることがはっきりする。

 その秘儀(神々とともに行進していたときに参与することができた秘儀――引用者注)を祝うわれわれ自身、まったき姿のままで、後にわれわれを待ちうけていた数々の悪をまだ身に受けぬままで、まったき姿の、純一な、荘重な、祝福に満ちた聖像を、明るくきよらかな光の中に啓示され、それによって奥義を伝授されながら、この秘儀を祝ったときのことであった。そのとき、きよらかな光を見たわれわれもまたきよらかであり、肉体(ソーマ)とよぶこの魂の墓(セーマ)、いま牡蠣のようにその中にしっかりと縛りつけられたまま、身につけて持ちまわっているこの汚れた墓に、まだ葬られずにいた日々のことであった……

 さて、秘儀に参与したのが遠い昔になった者、あるいは堕落してしまった者は、この地上において美の名で呼ばれるものを見ても、この世界からかの世界なる《美》の本体へとむかってすみやかに運ばれることはない。したがって、そういう者は、美しい人に目を向けても、畏敬の念をいだくこともなく、かえって、快楽に身をゆだね、四つ足の動物のようなやり方で、交尾して子を生もうとし、放縦になじみながら、不自然な快楽を追いかけることを、おそれもしなければ、恥じもしないのである。


 ソクラテスは、肉体(ソーマ)と墓(セーマ)とを懸詞にして、肉体を魂の「汚れた墓」であるとしている。
 あらゆる宗教的な教説は、人間の生が限りあるものであることを起点として、生誕以前や死後の魂のあり方を構想し、うつし身を魂の仮の宿と考える。そしてだいたいにおいて、肉体は汚れに染まっており、その肉体をまとわない魂は、清浄なものとしてイメージされる。その意味では、ソクラテスのここでの霊肉二元論も、宗教的な教説の常道をそのまま踏襲していると言える。うつし身は、肉体をまとったがゆえに汚れたものなのである。
 このことはじつはプラトンにとって自明のことだった。だから、彼はここで一種のジレンマに立たされていると言ってよい。恋の狂気一般を肯定した以上、たとえその狂気にしたがって「四つ足の動物のようなやり方で」快楽に身をゆだね放縦に馴染む者がいたとしても、それを一概には否定できないはずだ。ところが彼はここでホンネの価値観を自己暴露し、そういう恋の成就の仕方を頭ごなしに切り捨てている。
 だが恋の狂気一般を肯定したプラトンにとって、地上で出会う美を求める魂の狂気、つまりふつうのエロス感情は、美のイデアに到達するための不可欠な前提であり入り口であるという論理だけは、是非とも救い出さなくてはならないものだった。そのため彼は、ふつうのエロス感情に従って行為におよぶ者たちの所業を、「秘儀から遠ざかった者」や「堕落してしまった者」たちが美の本体を見失い美しい人への畏敬の念を忘れた状態と規定せざるを得なかった。そればかりかこれらの人の快楽を「不自然な」ものと呼んでさえいる。
 どこに問題があるのだろうか。すでに『饗宴』において、「同一視」と「抽象化」という詐欺的な手つきを確認していた私たちにとって、答は簡単である。個体に対してエロス的な欲望を抱くことは、イデアとしての《美》一般への欲望に還元されない独特の感情である。そしてそれは、《美》一般への欲望と比較して、劣っているわけでもなければ優れているわけでもない。
 ところが、プラトンの構想では、個体に対するエロス的な欲望は、美のイデアへの欲望のより低い段階(入り口)として、すでに体系的に取り込まれてある。いっぽうでプラトンは、地上的にとどまる恋の感情とその自然な帰結としての行為を、どこかで汚らわしい動物的な営みとして振り切ってみせなくてはならなかった。感覚によってとらえられる世界は、イデア世界の単なる影にほかならないからである。それゆえことの必然として、次のような論理が語られることになる。

 美は、もろもろの真実在とともにかの世界にあるとき、燦然とかがやいていたし、また、われわれがこの世界にやってきてからも、われわれは、美を、われわれの持っている最も鮮明な知覚を通じて、最も鮮明にかがやいている姿のままに、とらえることになった。というのは、われわれにとって視覚こそは肉体を介してうけとる知覚の中で、いちばん鋭いものであるから。《思慮》は、この視覚によって目にはとらえられない。もしも《思慮》が、何か美の場合と同じような、視覚にうったえる自己自身の鮮明な映像をわれわれに提供したとしたら、おそろしいほどの恋ごころをかり立てたことであろう。

 凡人と違って、よく「思慮」を凝らして見えないものを見ようとする「哲学者」にだけは、感覚によってとらえられるうつし世の価値よりもはるかに高い価値がイデア界に存在することがわかる。もとよりそのことを力説することが、プラトンの大きな動機のひとつだった。
 人がこの世で感知される「美」を狂おしく求めるのは、たまたま「美」のみがわれわれの感官にうったえるからであり、もし視覚の鮮明さと同じほどに「思慮」の力がわれわれに与えられていれば、必ずやわれわれはその「思慮」によってとらえられる対象のほうを、もっと激しく恋い求めることになるだろう。そしてその最高の対象とは、言うまでもなく「善のイデア」にほかならない。
 ここで何が行われているのか? ゆっくりと、そして注意深く、価値の移し替えが行われているのだ。実感できる、また直接的に欲望を喚起できる対象の美的価値から、実感もできず、ふつうにはさして激しく求められもしない、道徳的な「善」の価値への移し替えが。
 言うまでもなく、地上的な「美」的存在への欲望を、そのまま地上的価値としての「善」(もろもろの徳目)への欲望に移し替えることはできない。なぜなら、美と道徳的な善とは、この地上においてはまったく異なる価値として理解されているし、ときにはそれらは相反する価値として対立し抗争することすらあるからだ。
 この困難を回避するために、プラトンはまず恋の狂気をそれとして肯定し、次にその狂気が崇高な天上の神から与えられたものであることを力説し、さらに狂気を対象の違いによって序列化する。視覚的な美への狂気よりも、「思慮」がもつべき狂気のほうがはるかに高い価値をもつというように。
 地上から天界へ、そしてふたたび天界から地上へ。かくしてこの過程で、地上的な美への欲望とそれを味わう快楽とは、美のイデアのなかに吸収され、さらにはいつの間にか善のイデアの中に吸収されてしまう。こうした迂回路を媒介させる手の込んだトリックによって、彼は、美的価値よりも道徳的価値のほうが優先することを人々に納得させようとするのである。だが、いくら巧妙なトリックを用いても、続く各節を子細に見れば、『パイドロス』におけるプラトンの真意がその点にこそあることは明らかだ。
 はじめに、神々の行進に随行する人間たちの魂は、理性をわきまえた馭者と従順な馬と暴れ馬との三つで成り立っていることが説明された。ソクラテスはなぜか、以下のくだりでは、この魂が恋の対象に近づいたとき、どのようなことが起きるかを、長々と語っている。
 それによれば、暴れ馬はまっしぐらに欲望の対象にむかおうとひたすら馭者を引っ張るが、馭者は恋の対象の神々しさに圧倒されて、近づくことができず、逆に手綱を思い切り引いて後ろにひっくり返ってしまう。馭者と暴れ馬との激しい引き合い・葛藤は何度も繰り返される。馭者はそれでもしだいに暴れ馬の言い分をしぶしぶ聞くようになり、暴れ馬はしだいに馭者に服従するようになる。

 こうして幾度となく同じ目にあったあげく、さしものたちの悪い馬も、わがままに暴れるのをやめたとき、ようやくにしてこの馬は、へりくだった心になって、馭者の思慮ぶかいはからいに従うようになり、美しい人を見ると、おそろしさのあまり、たえ入らんばかりになる。かくして、いまやついに、恋する者の魂は、愛人の後をしたうとき、慎みと怖れにみたされるということになるのである。

 おやおや! 『饗宴』において、大人の節制を無力であるとして退けたソクラテス(プラトン)はどこに行ってしまったのだろうか。けだし、ここに書かれていることは、暴れ馬の本領である狂気性をなだめて理性に馴致させなければ恋は成功しないという、ありふれた「大人の教訓」を語っているようにしか読めない。なぜなら、この記述では、恋する者がどんなに内的葛藤を演じようと、結局は相手をうまくものにすることになるのだから。
 いや、皮肉はやめよう。プラトンの頭の中にはもともと、理性によってコントロールされるべき理想的な恋愛形態というものがあって、その実現において愛し合う二人の間でどんなことが行われなくてはならないかという、明確なイメージが存在したのである。ただし、それは肉の交わりをともなわない、いわゆる「プラトニック・ラブ」ではない。前後する記述の中には、二人が肌を重ねて同衾する成り行きになることが当然のように書かれている。ではそういう間柄になりながら、二人はどのようでなければならないか。

 さて、そこでもし、精神のよりすぐれた部分が、二人を秩序ある生き方へ、知を愛し求める生活へとみちびくことによって、勝利を得たとしよう。その場合まず、この世において彼らが送る生は、幸福な、調和にみちたものとなる。それは彼らが、魂の中の悪徳の温床であった部分を服従せしめ、善き力が生ずる部分はこれを自由に伸ばしてやることによって、自己自身の支配者となり、端正な人間となっているからだ。

 精神のよりすぐれた部分が、二人を秩序ある生き方へ、知を愛し求める生活へと導くこと、魂の中の悪徳の温床であった部分を服従せしめ、善き力が生ずる部分はこれを自由に伸ばしてやること――なるほど、この状態に達することが、プラトンの考える理想の恋の目標であった。秩序ある生き方をする、知を愛する、悪徳の温床を服従させる、善き力を自由に伸ばす――なんと分別と節制をわきまえた道徳的なそして穏当な生き方ではないか。恋を発展させて道徳に転化させる? だがだまされてはいけない。いったい恋の本質としての「狂気性」はどこに消えたのだ?! 




倫理の起源11

2013年11月14日 18時12分26秒 | 哲学

倫理の起源11




 プラトン批判を続けます。

『パイドロス』を見てみよう。ここでは、プラトンの詐術はさらに手が込んでいる。
 この作品は、次のようにして始まる。
 パイドロスが、信服しているソフィストであるリュシアスが書いた文書を、ソクラテスに向かって読み聞かせる。その内容は、「少年は、恋をしている人に身をまかせるよりも、恋していない人に身をまかせる方がよい」という逆説的な思弁である。
 いわく、恋をしている人は、とかく肉体的な欲望のために目が曇らされるから、その当座は、恋人に対して自分を気に入ってもらおうと、甘い約束をしたり、褒めるべきでないことも褒めそやしたり、言いなりになったりするが、ひとたび恋が冷めると、そうした自分の態度を後悔して容易に態度を変える。しかし恋していない人にはそういうことは起こらず、最善のことがらや悪いことがらに対する正しい判断力を持って少年に接するので、少年も優れた人間になれるはずである。
 また、少年が、優れた人を選ぶのに、自分に恋をしていない人のほうが数が多いから、自分の愛情に値する人に出会える公算が大きい。さらに、恋をしている人は、その恋人を独占しようとして、嫉妬にさいなまれ、自分よりも優れた人や財産を多く持つ人を恋人から遠ざけようとする。そのため少年は孤立したり、多くの人を敵に回すことになったり、当の相手と仲違いしたりする。だが恋していない人は、そのような嫉妬に悩まされることはないので、他の人びともその少年と交わることができ、そこに友情が生まれる望みが大きい。
 したがって、身をまかせてしかるべき相手は、ただ恋い求める人たちではなく、身をまかせるだけの値打ちのある人たちである。少年の若盛りを享楽しようとする人たちではなく、少年が年をとった後も、自分が持っているよき徳性を分け与えてくれるような人たち、恩返しをする能力がいちばんある人たちなのだ……。
 リシュアスの文書は、少年が年長者に身をまかせる場合には、少年への恋に目がくらんで欲望の虜になってしまうような人ではなく、ほんとうに自分を正しい道に導いてくれるような、分別と冷静さと節操をわきまえた人(つまりリシュアスその人であるような人)を選ぶべきで、そのためには、自分に熱い恋心など寄せていない人のほうがよいと説いている。要するに、普通のやり方の裏をかいた巧妙な口説き文句と言えるだろう。
 もちろんこれは単なる口説き文句ではない。ここには同時に、はっきりと書かれてはいないが、前に述べたのと同じような、ポリス公共体への倫理的な配慮がはたらいている。善き公共体を維持するためには、世代から世代への正しい理にかなった知識の伝達が必要だが、それは年長者と少年との私的な交わりを通して行われるほかないので、すべからく若い世代は、恋に溺れて分別を失った年長者に籠絡されてはならず、慎重に優れた相手を選ぶべしというのである。
 さて、これを聞かされたソクラテスは、パイドロスから、これと同じ知恵でもっと内容豊かで価値のある話ができるなら、それを語ってくれと強引にせがまれ、同趣旨で別ヴァージョンの話をする。この話には、リシュアスのそれと比べて、取り立てて異なる観点のものは盛り込まれていない。ただ、いつものソクラテス(プラトン)の流儀で、論じようとする対象(恋)が何であるかを明確にイメージ・アップした上で、あえてその悪いところを取り出して強調し、その行き着くところを順に述べ立てていくという、よく整理された方法を採っている。
 ソクラテスは、恋とは(美しいものに対する)ひとつの欲望であり、恋をしていない者でも美しいものに対して欲望を持つことがあると指摘した上で、それでは恋をしている者としていない者とは何によって区別したらよいのかと問いかける。そして人間のうちには生まれながらに備わる快楽への欲望と、最善のものを目指す後天的な分別の心という二つの力がはたらいていて、この二つの力が互いに相争って、快楽への欲望がうち勝つときには、「放縦」と呼ばれる状態になる。逆に分別の心がうち勝つ場合には、それは「節制」と呼ばれる。ソクラテスは、後者が「恋をしていない者」の状態を表していると言いたいのであろう。
 このあとは、欲望に支配され快楽の奴隷となっている者が、自分自身や恋人にいかに悪影響を与えるかが、リシュアスの議論よりもむしろ厳しく列挙されている。
 さて「恋をしている者」の有害さがひとわたり述べられた後、ソクラテスは、突如話を打ちきって、パイドロスから逃げるように、目の前のせせらぎをわたろうとする。パイドロスがもっと話してくれと引き止めると、ソクラテスは戻ってきて、自分がいま川向こうに行こうとしていたときに、「お前は神聖なものに対して罪を犯しているから、みずからその罪を浄めるまでは立ち去ってはならない」というダイモーンの命令を聞いたように感じたと言う。神聖なものとは、すなわち「エロス神」である。いやしくも神の名をもつものが、自分たちがいま話していたような悪いものであるはずがない。だから自分の身を浄めるために、この神を称える別の話「パリノーディアー(取り消しの詩)」をしなくてはならないというのである。
 見逃しがちだが、このくだりに次のようなソクラテスのセリフが挟まれている。プラトニズム的な「恋」の考えがよく暗示されている箇所なので、読者の方はよく覚えていてほしい。

 じっさい、ここにもし一人のけだかくおだやかな品性の人がいて、もう一人の同じような品性の人を恋しているか、あるいはかつて以前に恋したことがあるとする。この人がまたまた、ぼくたちの話を聞いていたと想像してみたまえ。恋する者はつまらぬことで腹を立てて強い憎しみをいだくものだとか、愛される少年に対して嫉妬ぶかく、害毒をあたえるとか言っているのを聞いたら、なんと思うだろう。その人はきっと、何か船乗り仲間の間にでも育って、高貴な恋というものを一度も見たことのない連中の話を聞いているのだと、考えずにはいられないだろう。

 さて、ソクラテスはまず、狂気というものが無条件に悪いものだなどということは言えず、われわれの身に起こる数々の善きものの中でも、最も偉大なものはみな、神から授かった狂気を通じて生まれてきたと説く。例として、神々に憑かれたときの予言者たちの言葉が正しかったこと、疾病や災厄が氏族を襲ったときにそれを救ったのがやはり神に憑かれた狂気であったこと、さらに、詩人たちはみな、ムゥサの神々から授かった狂気によって詩作したことが挙げられる。そして、恋という狂気もこよなき幸いのために神々から授かったのであって、そのことは真の知者であれば信じられるであろうとされる。
 次にソクラテスは、魂の不死についての短い証明を行う。「魂はすべて不死なるものである。なぜならば、常に動いてやまぬものは、不死なるものであるから」
 また魂は自分で自分を動かすものであり、そのようなものは「動」の始原として、滅びることも生じることもない。ゆえに、魂は不死である……。
 ちなみに魂の不死の証明は、『パイドロス』よりも前に書かれたと推定される『パイドン』で詳しくなされているが、いずれの作品における「証明」も十分な説得力を備えたものとは言えない。論理学的に言えば、すべては論点先取の誤謬か、単なる同義反復に陥っている。だが『パイドン』に関しては、後に譲ろう。
 ともあれ、魂がはたして「常に動いてやまぬ」ものであるかどうか、また自分で自分を動かす「動」の始原と見なせるかどうかは、魂という主語の概念がどう規定されるかにかかっており、その規定はまた、ある言語を用いる共同体の間で、その言語(ここでは「魂」)がどのようなものとしてイメージされているかに依存している。
 魂が不死であるかどうかは、魂という主語のうちに、自己原因的であったり、動いてやまぬものであったり、「動」の始原であったりといった述語(特性)があらかじめ包摂されており、その包摂されている事実を、共同体が疑い得ない「信」として認めているかどうかにもとづいている。魂という「言語」が、それを流通させている共同体の中で、そのような「信」を与えるだけの力を秘めているかぎり、証明をまたずして魂は不死なのである。
 したがって重要なのは、「魂」という言葉の存在の力を、私たちがそのような特性をあらかじめ含みもつものとして信じるかどうかであって、証明の可否そのものは、ここでは重要ではない。ソクラテス‐プラトンの時代には、このような「信」があまねく存在したにちがいなく、それゆえソクラテスは、その「信」を基盤として安んじて証明を行うことができたのである。
 次にソクラテスは、魂の本来の姿について、ひとつのたとえ話を持ち出す。ここから、この作品の白眉ともいうべき、天空と天外を翔る神々と人間たちという雄大なミュートスが語られる。
 魂は、翼を持った馭者と二頭の馬にたとえられる。人間の場合には、片方の馬はできがよく馭者に忠実だが、もういっぽうの馬はできが悪く、馭者の言うことをなかなか聞こうとしないじゃじゃ馬である。
 さてゼウスを先頭とする魂の一団は天空を行進するが、饗宴の時が来ると彼らは穹窿の極みまで登りつめようとする。しかしそこは道が険しい。悪い性質の馬は馭者を下の方に引っ張るので、魂には激しい労苦と抗争とが課せられることになる。
 不死の魂は極みまで登りつめると、天球の外に出て、天外の世界を観照する。天外の世界に位置するのは、感覚ではとらえきれず知性のみが見ることのできる「イデア」(真実在)である。真実の知識とは、みな、このイデアについての知識である。
 神々の魂はすべてこれらのイデアを観照することができるが、人間たちの魂は、馬に煩わされるため、神の行進についていこうとしながら力およばず、互いに先に出ようとして激しく争い合う。その結果、彼らは真実在の世界をわずかに垣間見はするが、翼を傷つけられはなはだしく疲れて、地上に落下し、何らかの個体を受肉することになる。翼を失って落下したこれらの魂は、手綱さばきの違いに応じて、より多く真実在に触れることのできたものもあれば、ほとんど触れることのできないものもあった。彼らは、天空外の真実在に触れた度合いに応じて、人間界でのその最初の生き方が決められる。その序列は次のようになっている。

 真実在をこれまでに最も多く見た魂は、知を求める人、あるいは美を愛する者、あるいは楽を好むムゥーサのしもべ、そして恋に生きるエロースの徒となるべき人間の種の中へ――
 第二番目の魂は、法をまもり、あるいは戦いと統治に秀でる王者となるべき人の種の中へ――
 第三番目の魂は、政治にたずさわり、あるいは家を斉え、あるいは財を成す人の種の中へ――
 第四番目の魂は、労苦を愛する体育家、あるいは肉体の治療にたずさわるべき人の種の中へ――


 以下このようにして、第五番目として、占い師や宗教家、第六番目として、劇作家や俳優、第七番目として、職人や農夫、第八番目としてソフィストや民衆扇動家、最下位として僭主というように、九番目までが定められている。そしてそれぞれの魂は、自分たちがそこからやってきたもとの同じところへ帰り着くのに一万年かかるのだが、一つだけ例外があって、「誠心誠意、知を愛し求めた人の魂、あるいは知を愛する心と美しい人を恋する思いとを一つにした熱情の中に、生を送ったものの魂」が、千年ごとの周期がめぐってきた際に続けて三回そのような生を選んだならば、それによって翼を生じ、三千年で天上に去ることができるというのである。
 読者は、ここでもプラトンの微妙な言い方に注意してほしい。
 真実在を見た程度の大きさによって分類されている魂の序列について語ったはじめの部分においては、この、知を愛する人と単に恋する人とは、同一視されず、「知を求める人、……そして恋に生きるエロースの徒」というようにただ並列されているだけである。ところが、そのあとのくだりでは、例外的に天に昇ることができる資格を持つ優れた魂とは、「誠心誠意、知を愛し求めた人の魂、あるいは知を愛する心と美しい人を恋する思いとを一つにした熱情の中に、生を送ったものの魂」であるとされている。
 つまり、単に恋に生きた人は、この資格から外されているのである。「知を愛し求めた人」か、あるいは「知を愛する心と美しい人を恋する思いとを一つにすることのできた人」だけがその資格がある。美しい対象に恋をするにしても、そこに「知への愛」がともなっていなければ、何ものでもない。そう読めるのである。
 ここには、『饗宴』におけるソクラテスの教説と同じ構造をした詐術が読みとれる。はじめの列挙の部分を素直に読めば、知への狂気的な愛にせよ、美しい肉体への狂気的な愛にせよ、いずれもその狂気を神々から授けられた者として、それぞれが祝福されてしかるべきである。ところがプラトンは、そう言うと見せかけて、じつはその狂気性が知への愛や善のイデアを志向する傾向を合わせ持っていなければ、祝福される資格は与えられないと言っているのだ。これが単なる恋愛賛美でないことはたしかである。
 ここで読者は、先に注意を促しておいた一節を思い出していただきたい。そこにはこう書かれてあった。

 じっさい、ここにもし一人のけだかくおだやかな品性の人がいて、もう一人の同じような品性の人を恋しているか、あるいはかつて以前に恋したことがあるとする。この人がまたまた、ぼくたちの話を聞いていたと想像してみたまえ。恋する者はつまらぬことで腹を立てて強い憎しみをいだくものだとか、愛される少年に対して嫉妬ぶかく、害毒をあたえるとか言っているのを聞いたら、なんと思うだろう。その人はきっと、何か船乗り仲間の間にでも育って、高貴な恋というものを一度も見たことのない連中の話を聞いているのだと、考えずにはいられないだろう。

 ソクラテス(プラトン)は、恋する人の貴賤を峻別している。「けだかくおだやかな品性の人」は、「船乗り仲間」のような、当時においては下賤な身分とみなされていた人びとの恋とはまったく違って、「高貴な恋」をするのだと言い切っている。
 私はこの指摘をもって、プラトンが差別意識の持ち主だったなどと、つまらぬことを言いたいのではない。時代を考えればそんなことは当然であって、問題とするに足りない。そうではなく、これらの記述によって、プラトンが、いわゆる恋愛に耽る人と、知を愛し真理を求める人とを、それらが共に狂気性をその内在的な媒介としているという共通点によっていったんは結び合わせておきながら、しかもその上で、感覚を頼りとした地上の恋愛における狂気と、思惟を通してしか発揮されない愛知における狂気とを、じつは明瞭に区別していると言いたいのである。


これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(4)

2013年11月14日 17時59分17秒 | ジャズ

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(4)



 だいぶご無沙汰しました。
 前回、モダンジャズ史の栄枯盛衰について語るなどと大見得を切ったのですが、それはまだ早いようで、その前にもっともっと語りたいことがあります。
 これまでドラマー、ピアニスト、トランぺッター、サックス奏者など、たくさんのプレイヤーを紹介してきましたが、ジャズにとって欠かせない楽器であるベースについてはほとんど触れてきませんでした。今回はベースのことを語ろうと思います。
 ベースは、クラシック音楽ではコントラバスと呼ばれ、オーケストラの一番右の方で、最低音部を担当していますね。この楽器は主として伴奏楽器として位置づけられてきました。しかし、主役を演じる場面もしばしばあります。そういう場合、地底からの響きのような野太い旋律の流れは、私たちの腹にもろにこたえます。たとえば有名なところでは、ベートーヴェンの交響曲第五「運命」の3楽章、2分目あたりからのちょっと怖い第2主題の提示とそれに続く高音弦楽器への移行、また第九「合唱付き」の4楽章の初め、あの晴れやかな主題「ミミファソソファミレ……」が出てくる前の芸術家の逡巡と否定と模索とを表現した部分など、じつにこの楽器の特長を活かした素晴らしい曲想です。
 クラシック音楽では、バイオリンやチェロのように「アルコ(弓)」による演奏が主流ですが、ジャズでは弦を指ではじく「ピツィカート」奏法が主流です。クラシックではどちらかと言えばメロディの流れを重んじるのに対して、ジャズではどちらかと言えばリズムの恒常性を重んじますので、ピツィカート奏法によるベースがリズム部門を担当するのも当然と言えば当然。ドラムとともにリズムを支えながら、独特のはずみ、スウィング感を曲全体に与えて、花形楽器をインスパイアする黒子的役割を演じます。
 でもベースってかっこいいんですよね。あのボンボンボンボンという響きは、言ってみれば子どもや少年が楽しく遊んでいるのにお父さんも思わず自分から参加してノリまくり、しかも彼らを最初から最後まできちんと見守っているような感じ。

 また思い出話になりますが、前に登場してもらったジャズ友だちのK君が、じつはこの楽器にすっかりいかれてしまい、どういう経緯だったか、中古品を手に入れてあまり広くない団地の一室で弾き出したのです。
 そのころ彼は浪人中で、美術系の大学を目指していたのですが、ご両親は大学も決まっていない息子があんなどでかいモノを持ち込んできて夢中になっているのを見て、「こいつはいったい何を考えているんだ」と、さぞ苦々しく思われたことでしょう。当時はちょうどベンチャーズが来日して、エレキブームが起きていた時で、この種の楽器などに手を出すこと自体が、親からは不良視されるような時代でした。
 K君はそれでも、受験が迫ってくると相当デッサンや油絵の修業に打ち込んでいたらしく、本命の大学に賭けており、試験が終わった直後は、かなり自信を持っていたようです。実際そのセンスはいま思い出してもなかなかのものでした。ところがふたを開けてみると、なんと不合格。これにはよほどがっくりきたようで、埼玉に近い東京北部の自宅から横浜の私のところに電話がかかってきました。
「ダメだったよ、来てくんねえか」
 私はすぐに駆けつけました。すると狭い部屋でボリュームをでかくしてジャズをかけ、それに合わせながらうつろな目をしてベースを弾きまくっています。私はかける言葉がありませんでした。お母さんも、しばらくはそのままにしておいてやろうと気遣っていたようです。
 その後も彼とはたびたび会っていましたが、こちらはこちらで忙しく、しばらく間遠な時期が続きました。三バカトリオでバンドをやろうかなどと集まったこともありましたが、諸般の事情でほとんど練習もできず、初めから解散状態。K君のベースもその頃は正規の奏法を身につけたわけはなく、いわば我流でした。ところが彼はひとり執着を捨てず、何年もたってから、プロのオーディションに合格したというのです。本気で何かを好きになるってなかなかすごいものですね。ちなみに彼はいま、栃木で窯を焼いています。愛犬の名は「ジャズ」。

 ベースは黒子的役割と言いましたが、モダンジャズ界がしだいに成熟してくると、独創的なベーシストがたくさん現れ、さかんにソロ・パートを受け持つようになります。これがまたそれぞれに個性があって面白いのですね。
 マイルス・デイヴィスのバンドを中心に驚くべき量の演奏をこなしているポール・チェンバース、オスカー・ピーターソン(p)のよき相棒を長年務めた巧者レイ・ブラウン、エキセントリックな曲で評判をとった親分肌のチャールズ・ミンガス(この人はあまりお勧めできませんが)、渋い歌を聴かせるジョージ・ムラーツ、やや時代が下って、ヨーロッパ出身でビブラートを効かせながらきれいな音を出すミロスラフ・ヴィトス(この人は、一回目で紹介したチック・コリアの「ナウヒースィングズ・ナウヒーソブズ」でベースを弾いています)、そして何といってもビル・エヴァンスと短い期間共演して夭逝した天才、スコット・ラファロ。
 それではここで、ベースが生かされている曲を連続3曲聴いていただきましょう。なお、パソコンではどうしても低音部が響きませんので、できればi-podなどに取り込んで聴くことをお勧めします。
 まずポール・チェンバース。



 マイルスのアルバム「カインド・オブ・ブルー」から「ソー・ホワット」。ここでポールは、ソロ・パートを受け持ってはいませんが、テーマ曲でとても大事な役割を演じています。思わず釣り込まれますよ。他のパーソネルは、マイルス・デイヴィス(tp)、ジョン・コルトレーン(ts)、キャノンボール・アダレイ(as)、ビル・エヴァンス(p)、ジミー・コブ(ds)。ジミー・コブの繊細で精確できれいなドラミングも聴きものです。
http://www.youtube.com/watch?v=DEC8nqT6Rrk

 次にレイ・ブラウン。



オスカー・ピーターソンのライブ・アルバム「ザ・サウンド・オブ・ザ・トリオ」から、「トリクロティスム」。華麗な超絶技巧のオスカーを見事にサポートしながら、ソロ・パートでは、ちょっとひょうきんで味な節回しの演奏を聴かせます。前奏部分の掛け合いも呼吸ぴったり。ドラムは、エド・シグペン。
http://www.youtube.com/watch?v=y3jU6KGAzg8

 最後に、スコット・ラファロ。



 ビル・エヴァンスのライブ・アルバムとして名高い「サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」から、「グロリアズ・ステップ」。この曲でビルは、若きスコット・ラファロを思い切り立てて、その才能の開花を存分にバックアップしています。スコットのソロを聴いて、ベースでこんなことができるのかと驚いた人もたくさんいるのではないでしょうか。素早く動く右手に弦を抑える左手が追いつかず、雑音が混じるところもありますが、それも、彼の激しい表現意欲の表れととらえることができます。また、ビルのピアノは、出だしから深い内面性を感じさせる何とも言えない味わいがあります。ドラムは、ポール・モティアン。
http://www.youtube.com/watch?v=rARGPAkIcw4

 ここにあげた人たちは、すでにモダンジャズの古典的なプレイヤーとなっています。その後、技量も進化していますから、おそらくいまの一流プレイヤーなら、これくらいの演奏は可能なのではないかと思います。でもどの芸術分野でもそうですが、はじめにこういう演奏をしたということの意味が大きいのですね。後から来た人たちも、これらの演奏に魅せられ、深く傾倒し、懸命に学びながら自らの技を磨いていったのだと思います。文化というものが常に先人の偉業を受け継ぎ、ある場合にはそれを乗り越えて発展していくものだという万古不易の事実を、これらの演奏を通して再確認していただければさいわいです。



『風立ちぬ』と『永遠の0』について(その3)

2013年11月14日 16時57分01秒 | 文学

『風立ちぬ』と『永遠の0(ゼロ)』について(その3)




4.『永遠の0(ゼロ)』

『永遠の0』は、百田尚樹(ひゃくた・なおき)さんのエンターテインメント小説です(2006年・太田出版刊。講談社文庫でも読めます)。のち漫画にもなり、今年(2013年)の12月には、映画が封切られるそうです。
 司法試験に何度も落ちて働く気もなく浪人している弟が、ライターの姉から依頼を受けて、特攻隊で死んだ実の祖父(義理の祖父は別にいる)のことを二人で調べ始める。いまや80代前後になった生き残り兵士たちを苦労して探し当てて話を聞くうち、祖父の意外な側面がしだいに明らかになって行き、最後に劇的な落ちがついて終わります。読んでいない方のために、この落ちについては言わないことにしましょう。
 あらかじめお断りしておきますが、私は、正直なところ、この作品の小説としての出来については、それほど高く評価していません。人間関係の作り方が少々おざなりだし、どんでん返しも、これはちょっとやりすぎという感じ。何よりも、狂言回し役の現代人姉弟が生き残り兵士たちの話を聞いていくうちに、彼らの生き方、考え方に大きな変化が生ずるという設定が、どうにも安っぽい。そんなことはたぶんあり得ませんよ。つまりこの非現実的な流れが、戦争から遠く離れた世代に対してクサイ教訓を垂れているような感じで、その無効性が露出してしまっているのがいただけない。こんな余計な設定をせずに、ただ一人の現代人の聞き書きというシンプルな形をとった方がよほど良かったと思います。もっとも、姉の恋人(?)であるジャーナリストの男のイメージは、いかにも朝日新聞的な「戦後民主主義」体質がカリカチュアライズされていて、なかなか痛快でしたけどね。
 またこの作品は、詳しい資料的な記述に満ちており(たとえば坂井三郎の『大空のサムライ』。私は未読)、それらを借りてきて寄せ集めただけだというような批判があるようです。しかし、こういう批判については、逆に賛同しかねます。というのは、たとえ資料がいくらそろっていようと、それにいちいち当たって調べる人は、戦前・戦中史に特別の関心を持つごく少数に限られます。ですから、それらをきちんと参照したうえで、現代の多くの若者にも楽に読めるようなエンタメ物語に仕上げるというのは、並大抵の業ではありません。
 前回、小林よしのり氏の漫画『戦争論』に対する林道義氏の批判について述べましたが、林氏も、この漫画が、膨大な資料を駆使して、現代の若者たちに「あの戦争とは何だったのか」という問いを広く喚起した点、戦争を少しでも肯定的に語ることに対するタブーを打ち破り、空想的な平和主義の欺瞞性を暴いて見せた点については、大いに評価していました。私も同意見で、特に南京虐殺問題や従軍慰安婦問題について、いかに中韓寄りの記録や写真が虚偽であるかをきちんと示して見せた功績はとても大きいと思います。
 つまり、百田氏も小林氏も、大衆読者を相手にする小説家や漫画家が歴史問題を扱う時の役割とは何かということをよく自覚しているので、この、「編集し、発信し、広範な大衆に認知させる」という作業がいかにたいへんな力技を要するか、それはやってみない人にはわかりません。もちろん、この作業を通して、その作者なりの思想性(史観)がおのずと現れます。それを問題にすることは大いにやるべきですが、これこれの資料を引き写して継ぎ合せているから「パクリだ」などと軽々に非難してはいけないのです。
 
 さて、私が『永遠の0』に惹きつけられた大きな理由は、まさにその思想性にあります。
 主人公・宮部久蔵は次のように造型されています。

①海軍の一飛曹(下士官)。のちに少尉に昇進。これは飛行機乗りとして叩き上げられたことを意味する。
②すらりとした青年で、部下にも「ですます」調の丁寧な言葉を使い、優しく、面倒見がよい。棋士をめざそうかと思ったほど囲碁が強い。
③パイロットとしての腕は抜群だが、仲間内では「臆病者」とうわさされている。その理由は、機体の整備点検状態に異常なほど過敏に神経を使うこと、飛行中絶えず後ろを気遣うこと、帰ってきた時に、機体にほとんど傷跡が見られないので、本当に闘ったのか疑問の余地があること、など。
④「絶対に生き残らなくてはだめだ」とふだんから平気で口にしており、戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」とは正反対の思想の持ち主である。ガダルカナル戦の無謀な作戦が上官から指示された時には、ひとり敢然と異議を唱え、こっぴどく殴られる。
⑤奥さんと生れたばかりの子どもの写真をいつも携行しており、一部の「猛者」連中からは軟弱者として軽蔑と失笑を買っている。
 一度だけ宮部は部下を殴ったことがある。それは、撃墜された米パイロットの胸元から若い女性のヌード写真が出てきたときのこと。部下たちが興奮し、次々に手渡して弄んだ後、宮部がそれを米兵の胸元に戻すと、ひとりの兵が彼の制止も聞かずもう一度取り出そうとしたからである。その写真の裏には、「愛する夫へ」と書かれていた。「できたら、一緒に葬ってやりたい」と彼は言う。
⑥内地でパイロット養成の教官を務めている時期、厳しい実践教育をくぐり抜けた生徒に合格点を与えれば与えるほど、彼の苦悩と葛藤は深まる。戦局はもはや敗色濃厚で、優秀な人材を死地に送ることに仕事がら加担せざるを得ないことがわかっているからである。
⑦空中戦で彼が珍しく油断した時、腹心の一人が機銃の装備もないままに、捨て身で割って入り、敵の銃弾を受けて重傷を負う。宮部は命拾いをしたことに感謝しつつも、いっぽうではその部下の無謀さをなじる。

 まだまだあるでしょうが、私の印象に残ったのはこんなところです。この作品は、なぜあれほど「生き残らなくてはならない」と主張していた宮部が、敗戦間際の特攻隊攻撃で敵艦に進んで突っ込んでいったのかという謎を最大の焦点として進むのですが、それがじつは⑦のエピソードと関係があります。これ以上は、読んでのお楽しみということにしましょう。
 ところで、前回と前々回とを読んでくださった皆さんには、私がなぜこの宮部久蔵という人間像に強い関心を抱くのかが、ほぼおわかりだと思います。作者・百田氏は、日本にとってあの戦争のどこがまずかったのかという根本的な問題をよくよく考えたうえで、こういうスーパーヒーローを創造しているのですね。もちろんこんなスーパーマンがいるわけはありませんが、宮部の人となり、ふるまいを見ていると、こういうキャラが許容されるような軍であったなら、つまりそういう余裕のある雰囲気が重んじられていたなら、日本のあの戦争(和平・停戦への努力も含めて)はもっとましな結果になっていたに違いないという、作者の日本批判が強く込められていることを感じます。
 実際、作者は、ひとりの語り手をして、机上で地図とコンパスだけを用いて作戦を立て、ゴロゴロ死んでいく兵隊たちを将棋盤上の歩兵のようにしか考えていない参謀本部(軍事官僚)のハートのなさを強く批判させています。この現場を知らない官僚体質が、民の苦しみなど想像もせずにTPP参加や消費増税などを平然と決めていく現在の官僚(およびその腰巾着になっているマスコミと一部の経済知識人たち、それに決然と抵抗もできない政権担当者たち)の体質とダブって見えるのは、私だけでしょうか。
 ちなみに私は、「いのちのたいせつさ」といった戦後的な価値の抽象性をそのままでよしとするものではありません。この価値は、抽象的なぶんだけ人間には命をかけて闘わなければならない時がある、というもう一つの価値を忘れさせます。この戦後的価値が実際に作動するときには、超大国頼み、金頼み、無策を続けて状況まかせ、憤るべきときに憤らない優柔不断、何にも主張できない弱腰外交、周辺諸国になめられっぱなしといういくつもの情けない事態を招いてきました。それは、私たちがさんざん見せつけられてきた戦後政治史、外交史の現実です。「いのちのたいせつさ」と言っただけでは、何も言ったことにならないのです。
 しかし逆に、「命をかけて闘わなければならない時がある」という言い方も、それだけでは抽象的であり不十分です。問題は、どういう状況の下で、どういう具体的な対象に対してなら「命をかけるに値する」と言えるかなのです。
 敗北必至であることが、少なくとも潜在的には感知されている状況の中で、いたずらに「命をかける」という価値を強調すれば、結果的に多くの「犬死」を生むことにしかならないでしょう。特攻隊がそのよい例です。美学や一時の昂揚感情が、軍事上最も必要とされる戦略的合理性を駆逐して多くの若者を犠牲にし、あとには、やるせない遺族の思いが残るだけ。こういうことをずるずるとやってしまうのが、情緒的な空気に流されやすい日本人の国民性(そしてそれに憑依する一部保守派)のダメなところです。
 もう一度、宮部久蔵というキャラに象徴的に表れている「価値」に注目しましょう。彼は別に「お国のため」に命をかけているのではありません。生きなくてはならないという信条がそれをよく表しています。しかし逆に、彼は自分だけこすからく生き残ろうと、状況から逃避しているのでもありません。現実には隊長として部下の命をあずかりつつ、いかにして眼下の敵を撃墜して勝利するかという合理的な算段に心血を注いでいるのです。前線という制約下に置かれて、多少とも賢くかつ有能にふるまおうとすれば、だれでもそうするべきだし、またそうせざるを得ないでしょう。
 彼がよりどころとしているのは、抽象的な「公」でもなければ、抽象的な「いのち」でもありません。彼がよりどころとしているのは、結婚して日の浅い妻と、いまだ会うことのかなわない子どもという具体的な存在なのです。私なりの言い方で言えば、エロスの関係こそが、自分の「いま」を支えているのです。私はこの宮部の在り方にとても共感を感じます。「公」も「いのち」も、一種のイデオロギーであり、実体の不確かな超越的な観念にほかなりません。どちらにも魅力はあり、それに引き寄せられていく心情は理解できます。乱暴な言い方をすれば、男は前者、女は後者を選びがちですね。しかし、抽象的な「公」理念にひたすら奉仕すれば、具体的な「いのち」を犠牲にしなければならず、抽象的な「いのち」理念にただ身をあずければ、公共精神を喪失しただらしない無策や無責任が露呈するだけです。
 単純なイデオロギーにけっして籠絡されてはなりません。これらはもともと絶対の二者択一項というわけでもない。それが絶対の二者択一項に見えるとすれば、社会構造のどこかが切迫しすぎていて狂っているのです。図式的な言い方になりますが、大切なことは、エロス的関係をよく生きることが可能となるために、私たちはどのような社会構造(「公」)を必要とするのか、という問題について叡智を注ぐことなのです。
 国家とは、共有できる情念を最大の幅のもとに束ね、そうしてその成員たちすべてに秩序と福利と安寧を保証することを理想とする共同性です。この共同性(共同観念)の現在における存在理由は、いくら視野や経済が地球規模に広がったとしても、それぞれの地域が背負ってきた具体的な歴史や文化の重みを無視することは到底無理だというところにあります。国家は、その内部の住民の実存を深く規定しているのです。
 さて、そのことを踏まえたうえで、宮部久蔵が体現している思想的訴えを整理すると、次のようになるでしょう。
 国家はそのメンバーの情緒的な信任と期待を基盤として成り立ちますが、その統治機構づくり(法づくりがその基礎となります)と運営とは、国民一人一人の好ましいエロス的関係を守るために、あくまで合理的になされなくてはなりません。ことに戦争のような国民の命にかかわる一大事業に取り組まなければならない時には、この合理性のいかんが一番問われます。
 大量の殺し合いが双方にとって良くないことは当たり前なので、戦争は最後の最後の手段であり、まずいかにしてそれを避けるかにこの合理的な努力を最大限注がなくてはなりません。外交のみならず、国防の必要も、実はここにあります。潜在的な武力の表現を背景に持たない外交は、無力です。両者はパッケージとして意味をもつのです。
 しかしもしどうしても避けられずに戦争に突入してしまったら、いかに勝つかということ、犠牲者をできるだけ少なくするために、いかに早く決着をつけるかということ、時には狡猾に立ち回っていかにうまく負けるかということに向けて、合理的精神を存分に発揮しなくてはなりません。緻密な戦力分析、状況分析によって負けることがほぼ確実となった場合には、戦いは一刻も早くやめること、投了によるしばしの屈辱に耐える勇気を持つこと。ヘンな精神主義や美意識で「どうにかなる」などと考えて蛮勇をふるうのは最悪です。そういう方向に国民や部下を強制しないことが、統治者や軍事リーダーの責任として要求されるのです。
 ところで、対米戦争こそ、初戦勝利に舞い上がってあの強大な敵を見くびり、この合理主義を忘れてしまったいい見本です。特攻隊などというものを考え付いた時点でもう勝敗は決しています。あの戦争では、「大和魂」とやら(この種の士気昂揚精神は、別に日本特有ではなく、どこの国にもあります)によって、いかれやすい若者を煽り立て、国民全員に必要情報も知らせず「お国のため」という威圧的な決まり文句によって次々に国民を死地に追いやるほかなくなりました。戦う以上、士気はもちろん必要ですが、合理的な計算能力を失っていながらその代りに士気さえあれば何とかなると考えるのは、ただの破れかぶれです。ちなみに大東亜戦争時の日本のGDPは、アメリカのわずか8.5%です。
 私の言っていることは、しょせん事後的な反省だという反論があるかもしれません。ごもっともです。しかし、事後的というなら、特攻隊のような「玉砕」作戦を何十年もたってから美化するような傾向こそ、その実態を忘れた事後的な陶酔というべきでしょう。
 緊迫した非常時こそ、「お国のため」というスローガンと、自分には親しい家族や恋人や友人がいるという「実存的な事実」とが、矛盾・分裂しやすいのです。両者は順接ではつながりません。国運が急を告げれば告げるほど、国民の私的関係は軽んじられやすくなりますから、それだけ悲運に巻き込まれる質量は増大します。宮部久蔵は、そのことがよくわかっていたからこそ、戦場のさなかで「必ず生き残らなくてはならない」という信念を維持し続けたのでしょう。
 ところが、えてして国家や戦争を論じる言論は、その概念上の枠組みにとらわれて、このことを忘れがちです。前回登場していただいた林道義氏も、銃後の女子どものことを考えない戦争論はだめだとしきりに強調されていました。おそらく百田氏はこの作品で――ついでに、宮崎駿氏の『風立ちぬ』も、と言いたいところです――、若者たちが政治や軍事を論じるときには、つねに「銃後の女子ども」との関係に思いを馳せよ、と訴えたかったのではないでしょうか。
 敗者の哀しみという感情にただ溺れたり、形式的な平和への祈りの繰り返しに終始したり、進んで命を捨てた者たちの崇高さを称揚したりするだけでは、どんな「闘い」にも勝てないでしょう。大切なことは、こうした情緒的な反応をさらに突き抜け、理不尽を強いてくる「何か」に対する正当な憤りを組織すること、そうしてその「何か」がいったい何であり、どういう仕組みによってそのような理不尽が発生するのかを見抜き、どうすればその理不尽を克服できるのかを、理性の限りを尽くして考え抜くことです。



  ファイト! 闘う君の唄を

  闘わない奴等が笑うだろう

  ファイト! 冷たい水の中を

  ふるえながらのぼってゆけ

            ( 中島みゆき 「ファイト!」 )



  明らかにわたしの寂寥はわたしの魂のかかはらない場所に

  移動しようとしてゐた わたしははげしく愼らねばならない理

  由を寂寥の形態で感じてゐた

            ( 吉本隆明 「固有時との対話」 )


『風立ちぬ』と『永遠の0』について(その2)

2013年11月14日 16時36分07秒 | 文学
『風立ちぬ』と『永遠の0(ゼロ)』について(その2)



     高村光太郎

2.高村光太郎のことなど

 前回、『風立ちぬ』は、女性版出征兵士の物語ではないかといういささか奇矯な説を述べました。その心は、大災害や不治の病のような自然事象にしろ、戦争のような巨大な社会事象にしろ、個々の生を生きている私たちは、それらに「理念の正しさ」のようなものを対置すればたやすく打ち勝つことができるのかと言えば、そんなことはなく、みなそれぞれのポジションでとりあえず迫る状況の中を生き抜けるほかはないのだ、ということです。
 これは別に諦念やあきらめや自己放棄の勧めではありません。現実の生においては、制約の中でできることをやる、怒るべきことに怒る、闘うべきときに闘うということが求められます。また過去を振り返り、あれは失敗だったと感じるなら、その失敗の事実と意味を曇りなく見つめ、未来の生に少しでも役立てることも必要です。けれどこうした人間のポジティブな志向は、いわゆる進歩主義的な「反省」のようなものによって簡単に支えられるわけではありません。事情はもっともっと複雑です。それにはおそらく人間存在の本質に根差す二つの理由があります。
 一つは、人間が、過去の経験事実から自由に現在や未来を構成することができず、必ず過去を呼び起こしつつ現在の意識を形作り、そうして未来への立ち向かい方を定めていく生き物だということです。過去がたとえ間違っていたからと言って、では明日からそれと無縁に生きていくというわけにはいかないのです。人間は、あってしまった過去をそうやすやすと清算できません。
 もう一つは、人間が、いつも感情と理性のアマルガムで出来上がっていて、理性的な正しい判断だと思っていることがじつは特定の感情の虜になっているにすぎない状態だったり、逆に怒りや悲しみなどの単純な感情の発露の中に、深い理性的な知恵の光を垣間見ることがありうるということです。
 こんな哲学めいた抽象的な言い方では、私が何を言いたいのかよくわからないかもしれません。この稿の流れに沿って一つの例を挙げるなら、特攻隊で死んでいった青年の遺族の思いの複雑さの中に何を見るべきかということになるでしょうか。
 敗戦によってそれまでの日本の針路が誤りであったことが誰の目にも明らかとなった。では「誤り」と言われたのちに、その「誤り」を正しいこととして自他に懸命に言い聞かせて命を投げ出していった若者を悲痛な思いで送り出した家族たちは、どのように現在を構成しなおせばよいのでしょうか。やるかたない感情を理性によってどのように整理すればよいのでしょうか。
 犬死をさせた国家に対する怒り? ああいう時代だったのだから仕方がなかったのだという鎮撫? お国のために命を捨てた息子に対する崇敬の念? 彼らの死によってこそ現在の私たちが生かされているという贖罪論的なロジックによる納得? ――どれもそれぞれ理が通っているところはあるものの、他方でそれら一つだけに収束させたのでは、いずれも生き残った人々や遺族の複雑な感情からは乖離してしまうような気がしてなりません。だれでも過去に生きた自分を「新時代に向けて」とか、「過去をきちんと反省し」とか、「彼らは私たちを越えた崇高なところに行った」などというすっきりした言葉によってもみ消すことはできませんよね。
 たとえば高村光太郎という詩人を、思想的な意味で、私はあまり信用していないのです。智恵子が狂気に至るたいへんな内外の事情にしっかりと目をすえた形跡がなく、「余計なものを脱ぎ捨てるとだんだんきれいなる」などと歌い、ことが済んでから「レモン哀歌」のような自己浄化の心情を何のこだわりもなく歌う(「レモン哀歌」はいい詩ですけどね)。戦中には「堅氷いたる」のような荘重な迎合詩をたくさん書き、敗戦に至るや、「一億号泣す」と、あたかもすべての国民感情を代表しているかのような詩を書く(けっして代表などしていません)。かと思えば『暗愚小伝』のなかで、「わたくしの暗愚は計り知れず」などと懺悔のポーズをとってみせる。男性的、近代知識人的な剛腕を振るっているように見えますが、要するに状況にそのつど流されて単純な感傷に浸っているだけではありませんか。
 ここに見られるのは、じつは、島崎藤村などにも共通する、身勝手な男性庶民の夜郎自大な思想感覚であって、時代を貫く詩魂(士魂)の筋金といったものが感じられないのです。近代詩というものがもしこういうものならば、古い生活からの思想的自立を目指したはずの日本の近代詩の精神そのものを疑わざるを得ません(もちろん、光太郎だけが日本の近代詩人ではないですが)。
 一つに整理しきれない複雑な思いの姿を損なわないままに、なお言葉によって掬い取ろうと試みること、それが私たち言語を駆使する者に課された使命なのではないでしょうか。
『永遠の0(ゼロ)』は、その文学としての評価はともかく、この難しい課題に挑戦した作品であることは確かです。しかしこれに踏み込む前に、そもそも「特攻隊」という問題(3000人の乗組員を乗せて片道燃料だけで最後に出航した戦艦大和の問題もこれに近いでしょう)について、私が長年印象に残っていたことを、この機会に整理しておきたいと思います。これは、あの戦争をどう見るかというより巨視的な視点にもつながるものです。

3.梅崎春生『桜島』および、心理学者・林道義氏との出会い


    梅崎春生

 梅崎春生の『桜島』は、敗戦の翌年にいち早く発表された戦後文学の傑作として名高い作品です。「死ぬならば美しく死にたい」という知的な青年(通信兵)の純な観念が、敗戦直前わずか一か月間の鹿児島県でのいくつかの体験によって徐々に相対化されてゆき、やがてこの観念をシニカルに否定する考え方をも乗り越えて、静かに死を受け入れようとする境地に落ち着く。そうした一種の弁証法的な心理の流れがハードボイルドタッチの文体を通して緻密に描かれています。屈指の名作と言ってよいでしょう。
 いまそのことはさておき、この作品の前半、まだ「私」の気持ちが整理できないうちに、たまたま水上特攻隊のグループに出会って一種の違和感を抱く場面が出てきます。少し長くなりますが、そのくだりをここに引きます。

――先刻、夕焼けの小径を降りて来る時、静かな鹿児 島湾の上空を、古ぼけた練習機が飛んでいた。風に逆らっているせいか、双翼をぶるぶるふるわせながら、極度にのろい速力で、丁度空を這っているように見えた。 特攻隊にこの練習機を使用していることを、二三日前私は聞いた。それから目を閉じたいような気持で居りながら、目を外らせなかったのだ。その機に搭乗している若い飛行士のことを想像していた。
 私は眼を開いた。坊津の基地にいた時、水上特攻隊員を見たことがある。基地隊を遠く離れた国民学校の校舎を借りて、彼らは生活していた。私は一度そこを通ったことがある。国民学校の前に茶店風の家があって、その前に縁台を置き、二三人の特攻隊員が腰かけ、酒をのんでいた。二十歳前後の若者である。白い絹のマフラーが、変に野暮ったく見えた。皆、皮膚のざらざらした、そして荒んだ表情をしていた。その中の一人は、何か猥雑な調子で流行歌を甲高い声で歌っていた。何か言っては笑い合うその声に、何とも言えないいやな響きがあった。
(これが特攻隊員か)
 丁度、色気付いた田舎の青年の感じであった。わざと帽子を阿弥陀にかぶったり、白いマフラーを伊達者らしく纏えば纏うほど、泥臭く野暮に見えた。遠くから見ている私の方をむいて、
「何を見ているんだ、此の野郎」
 目を険しくして叫んだ。私を設営隊の新兵とでも思ったのだろう。  私の胸に湧き上がって来たのは、悲しみとも憤りともつかぬ感情であった。此の気持だけは、どうにも整理がつきかねた。この感じだけは、今なお、いやな後味を引いて私の胸に残っている。欣然と死に赴くということが、必ずしも透明な心情や環境で行われることでないことは想像は出来たが、しかし眼のあたりに見たこの風景は、何か嫌悪すべき体臭に満ちていた。基地隊の方に向って、うなだれて私は帰りながら、美しく生きよう、死ぬ時は悔ない死に方をしよう、その事のみを思いつめていた。――


 このくだりを読んで、一部の人は、このようなことを書く梅崎春生自身に「知的な戦後文学者」特有の反戦平和思想(あるいはサヨク思想)を見出して、逆に嫌悪感を抱くかもしれません。しかしことはそう言いくくれるほど簡単ではありません。戦後文学といっても、この作品はまだそういう概括ができるには至っていない戦争直後に書かれています。もともと梅崎という人は、それほど知識人(文化人)的な作家ではありませんし、彼自身もおそらく見たまま感じたままをルポルタージュのように書いているのでしょう。
 ところで私は、『桜島』を初めて読んだ若い時から、このシーンがずっと気にかかって仕方がありませんでした。
 梅崎自身の実体験とそのときの実感を表現したと思えるこのシーンには、政治思想的な整理では片づけることのできない生々しいリアリティがあります。英雄視されてマフラー付きの「雄々しい」イメージの制服を着せられてはいるものの、じつはその内側から、若い身空で「どうせ間もなく死ぬ」ことを決定づけられたことによるある種のすさんだ自暴自棄の気分がどうしようもなく露出してしまう。「伊達者らしく纏えば纏うほど、泥臭く野暮」に見え、やくざっぽく食ってかかってくる隊員の態度に、それを受ける側は「何か嫌悪すべき体臭」を感じてしまう。そういう心理表出過程が特攻隊員たちの一部に確実に存在しただろうことを私は疑いません。
 特攻隊員を志願兵と考えて、その散華していく姿を美談として語る言説は数多くありますが、こういうシーンを作品に定着させた例はあまり見当たりません。その意味で、死の直前の特攻隊員たちの一コマをスナップ・ショットのように切り取って見せた文学者・梅崎のカメラ・アイはたいへん貴重なものです。美しく悲しい「遺書」だけが特攻隊員たちの「遺品」ではないのです。『はだしのゲン』のような露悪的・作為的なサヨク漫画(この漫画はだいたい絵が下手で汚いですね)とはちがって、「国に殉ずる」という事態の中には、こういう側面もあったのだという「証言」の重みをきちんと受け止めることは、私たちにとって大切なことだと思います。



 特攻隊員が志願兵だったということを信じている若い人たちがいるかもしれません。これがとても志願兵などと言える代物ではなかったという事実は、『永遠の0(ゼロ)』にも詳しく書かれていますが、これに関連してもう一つ、私自身の体験を書き留めておこうと思います。
 1999年に、ユング派の心理学者・林道義氏(ベスト・セラー『父性の復権』の著者)との対談集を出しました(『間違えるな日本人!』徳間書店)。このなかに、漫画家・小林よしのり氏の『戦争論』(1998年・幻冬舎)をかなり長く批評した部分があります。当然特攻隊の問題にも言及したので、その箇所における林氏の発言を一部引用しておきましょう。

 もう一つは、(小林氏の『戦争論』の中に――引用者注)特攻隊を美化する表現がありますが、特攻隊の人たちは、国のためを思って自発的に参加したわけではない。志願したというけれども、自発的な志願ではありません。ここの部隊では何人の特攻隊員を出せというようにノルマとして上から来ている。そして説得があって、最終的には志願という形になりますが、本当の純粋な志願などではない。
 私の親戚に特攻隊員が何人かいましたが、一九四五年の正月に妻のいとこが特攻に出撃する前に、暗黙のうちに家族に別れを告げに帰ってきた。そのときの話を聞いてみると、それはかわいそうです。自分は本当は行きたくない。けれども、国のために行かなければいけないという感じで、無口で暗い沈んだ感じだったそうです。かっこいい白いマフラーを巻いてさっそうとした姿ではあったが、何か淋しげだったそうです。
 妻の兄が軍国少年で、特攻隊に志願したいというのに対して、そんなことはやめろと言う。「親を泣かせてはいけない」「戦争に行ってはいけない」と言ったそうです。そして、妻に凧を買ってくれて、二人で丘の上へ行って凧を揚げていると、飛行機が飛んでいくのが見えた。「お兄さんもああいうふうにして飛んで行くのね」というと、何にも言わず、ただ空を見ていたそうです。そしてしばらくして戦死してしまった。本当に優秀で男らしくて立派な若者だったそうです。もっと早く戦争を終わらせていれば死ななくてすんだという家族の思いは、『戦争論』の中には出てきませんね。
 ですから美学などというものではありません。志願もしていないし、公のために死のうとか、そんなことは全然ない。なかには本当に信じ込んでいた人もないとは言いませんが、多くの人は半ば強制されていた。公共のために死ぬんだなんて、それ自体が美しいかどうかは別として、実態はそういうものではないんですね。


  林氏は、もちろんサヨクではありません。はっきりと保守派を自称している論客です。その人が特攻隊を美化するような小林氏の『戦争論』に対して、当時の体験的事実に即しつつ、小林氏は戦争を知らないのだと、静かな憤りをあらわに示しているのです。
 このくだりは、こうして対談後に整理された冷静な文章でさえ、読んでいて涙を禁じえません。しかしこの部分を取り上げたのは、ここでの林氏のお話そのものが私を感動させたから、というだけではないのです。
 私はまさに対談者として林氏の眼前にいました。このくだりを語るとき、彼は、思わずこみあげてくる嗚咽をこらえるのに懸命でした。「私は、親類で特攻隊で死んだ人を知っていますが……志願なんて……そんな、そんなものじゃないんです」と喉を詰まらせながら。そのつらそうな何とも言えない表情を、私はけっして忘れることができません。そのことをここにぜひ書き留めておきたかったのです。
 戦争末期における田舎の国民学校生徒の一年を扱った映画『少年時代』(篠田正浩監督)のなかに、出征してゆく青年と恋愛関係にある娘が、列車のホームで日章旗を振って歓送する周りの人たちの間を縫って、「行っちゃ、いやだあ!」と叫びながら飛び出し、デッキで敬礼している青年にすがろうとする場面があります。この娘は抑えられてヒステリーを起こし、戸板で家まで運ばれるのですが、それ以前から父親は、この娘の恋愛に対して家長として禁圧的な態度をとっています。しかし、この父親がただ一方的にかつ忠実に共同体の要請を履行しているだけなのかと言えば、必ずしもそうではないでしょう。父親には父親なりの葛藤があるのだと思います。ここには、エロス(私的な関係様式)と社会(公共的な関係様式)との永遠のねじれが象徴されています。これを思想家・吉本隆明に倣って、「対幻想と共同幻想の逆立」と呼んでもよいでしょう。
 人々の実存に侵入し、そこに亀裂を入れる理不尽な物事に対して、私たちはとりあえずはそれをそういうものとして受け入れるほかない。たとえそれが死ぬ運命に確実に導かれるのだとしても。しかし、その事態を、ただ受容して美談や美学という精神衛生学に昇華してすましてはなりません。なぜなら、哀しみはずっと私たちの中に処理不能な感情として残り続け、この哀しみこそが、国家や社会や歴史へのまなざしの在り方を不可避的に培っていくからです。 
 私はここで「実存」という何やら小難しい言葉を使っていますが、それは、身近な関係のみをよりどころとしつつ、普通に、平穏に暮らしている人々の生活実態のことと言い換えてもよい。では、そうした平穏さを引き裂き、戦争を引き起こす「国家」なるものこそ悪である、と言えばよいのか。残念ながら、ことはそう単純ではありません。
 なぜなら、私たちはふだんあまり意識しませんが、そのような平穏さを保証してくれるものもまた、「国家」だからです。国家の存在イコール悪と考える思想は、私たちの日常生活を保証する秩序の維持が、国家という最高統治形態によってこそなされているのだという事実を忘れているのです。国家がまともに機能しなくなった時、私たちの生活がどれほど脅かされるか、それはそうなってみなくては実感できないでしょう。これについては、いま理論的なことや細かいことを指摘しません。
 結論を急ぎますまい。ここではひとまず、私たちの実存にもたらされる亀裂や悲痛な哀しみをただ自家処理して済ませるのではなく、その亀裂や哀しみを生む「何か」に対する「正当な憤り」の形式を、あくまでも理性的な思想として鍛え上げてゆく必要がある、とだけ言っておきましょう。



日本語を哲学する11

2013年11月14日 16時22分43秒 | 哲学
日本語を哲学する11



 さらにヴィトゲンシュタイン批判を続ける。

 
 五・六   わたくしの言語の限界は、わたくしの世界の限界を意味する。
 五・六一  論理は世界に充満する。世界の限界は、論理の限界でもある。


 この二節のうち、はじめのほうは当たっているところがある。たしかに言語コミュニケーションが通じないと感じるとき、私たちは、それぞれの「世界の限界」をどうしようもなく意識するために、言語を用いることを諦める(別れるとか殴るとかの行動に出る)。ただし、それは人間をどこまでも言語動物として規定できるかぎりで言えることで、「言語=世界全体」という図式から逃れて、言葉にできない身体性(感覚や運動)、情緒性(欲望や感動)の世界に浸るとき、私たちは別の世界に住まっているのであり、そこでは言葉とは次元の違う「わたくしの世界の限界」に出会っているのである。
 後者は、これまで述べてきたように、ヴィトゲンシュタインの前提を認めれば、前者から当然に導かれる命題だが、世界=論理でもなければ言語=論理でもないので、まったく的をはずしている。
 しかし、この誤った世界把握をそのまま続けていくと、次のようなことになる。

 六・三七三 世界はわたくしの意志から独立している。
 六・四   すべての命題は等価値である。
 六・四一  世界の意味は世界を越えたところに求められるにちがいない。
 六・四二  (略)倫理の命題は存在しえない。(略)
 六・四二一 倫理を言葉になしえぬことは明らかである。


 
 世界が「わたくしの意志」から独立しており、かつその世界そのものの「意味」が、世界を越えたところに求められるにちがいないのだとすれば、その「意味」の宿る場所とはどこなのか。それはまさしく人間が絶対にたどり着けない「神」の領域というほかはないだろう。
「神」という超越的な表象あるいは概念を人間が作り出さざるを得なかった事情を、私たちは十分に理解することができる。そうしてそれは、だれもが神にはなりえないという痛苦な認識(デカルトの言う、「不完全性」の認識)を基盤として初めて成り立つことも確かである。しかし、そのことは、別に人々が神に近づこうとする意志(すなわち「倫理」)や、神と親しくありたいという感情(すなわち「信仰心」)をも否定することにはならない。ヴィトゲンシュタインは、「論理」という意匠のもとに、神と人との間に橋をかける可能性を一気に否定して得意げである。だが、この「得意げ」は、人間生活の苦しみを知らない「子どもの得意げ」と何ら変わるところがない。彼は絶対的な超越性と人間臭さとの間に「論理」的な境界線を引いて、これで万事解決であるかのようにふるまっているが、それは、じつをいえば、両者を断ち切って見せることによって、「絶望」を、ただその見かけのかっこよさのためだけに肯定していることと同じなのだ。彼はこの「潔い」断絶の強調によって、「絶望」のさなかにある人間の切なる思いに対する関心から無限に逃避しているにすぎない。
 ヴィトゲンシュタインはここで、「人間には自由意志をはたらかせて世界を変えることなどできない。ゆえに、倫理的なことがら、価値選択にかかわることがらについては私たちは語る資格をもたない」という絶望を、あたかも「論理的に証明している」かのような仮象を用いて表現している。しかし、彼が置いているはじめの公理――世界は徹頭徹尾、論理それ自体である――が不適切であるなら(人々の情緒的な賛同を得られないなら)、この帰結はすべて無意味である。
 私たちは上記のような絶望を抱くことがいくらでもある。しかし人が絶望するのは、まさに自由意志に希望を託すからであって、希望をもたなければ絶望することもできない。ヴィトゲンシュタインの考えるように、世界が論理構造として脱倫理的に出来上がっているから倫理や価値を言葉にできない(と感じることがある)のではない。私たち人間が厳密な論理の支配には我慢ならないと感じて、未知を引き受けつつ自らの実存を歴史(世界)のなかに投企する(自由を求める)存在であるからこそ、固いこの世の必然に衝突してくず折れるという経験がはじめて訪れるのである。小林秀雄が言うように、「僕等が抵抗するから、歴史の必然は現れる。僕等は抵抗を決して止めない」(「歴史と文学」)のだ。
 こうして『論理哲学論考』におけるヴィトゲンシュタインの純粋論理展開の姿をまとった世界観が、人間を殺すための絶対客観主義的な発想にもとづいていることがわかるであろう。人間を殺すこと、倫理や価値についての絶望を「論理的に」語ることは、同時に世界を完全支配する絶対的な超越者を立てるキリスト教特有のニヒリズムを語ることと等しい。ヴィトゲンシュタインの哲学は、神に酔える哲学者・スピノザの現代ヴァージョンであると言えるかもしれない。
 このことに気づかず、『論理哲学論考』の見かけのかっこよさにいかれて、言語の適用領域を脱倫理的な「論理」の世界にのみ限定する「潔さ」の体裁にころりとまいってしまう日本の「ポストモダン」風な哲学・言語学・社会学の徒たちがあとを絶たないのは、まことに困ったことである。
「語りえぬ物事については沈黙すべきである」という彼の有名なテーゼは、じつはユダヤ=キリスト教的な神の絶対性の前には、現実的な生から立ち上がるいかなる倫理的な要請も無意味であると言っていることと同じなのだ。しかし、。人は倫理や価値についても語らねばならないし、それは可能である。なぜなら、生の在り方そのものが倫理命題や価値命題を絶えず要求するのだし、その要求に適切に応えるためには、言葉を用いる以外に方法がないからである。
 日本のヴィトゲンシュタイン・ファンたちは、一度でもこの問題について考えたことがあるだろうか。彼らは、日本人の伝統的な世界感性から独自に言語学・倫理学を普遍的な形で立ち上げようとする試みを封鎖するお先棒を担いでいることに気づいているだろうか。

 以上によって、言葉の問題を命題の真偽の問題だけに限定することがいかに偏った言語思想であるか、またその偏りが、言語表現に先立って永遠不変の「真理」があるという想定からきたものであること、そしてこの想定は、ユダヤ=キリスト教文化における唯一絶対の創造神というイメージを前提として導き出されたものであること、が明らかになったと思う。
 言葉以前に、漠然とした「意」とか情緒とか気分、イメージ、ごく広い意味での認識、世界の意味把握といったものはありうるし、そういうものの存在に権利を与えることは重要である。言葉をもたない動物も、これらのものをさまざまなレベル、さまざまなかたちで分有していることはたしかである。しかし、思考・思想・論理は、言葉以前には成立し得ない。しかも言葉が切り開いている世界は、けっして「論理」や「命題」などに限定されない。
 私たちは、あらかじめしっかりとした「思想」や「論理」をもち、しかるのちそれを「言語」という規範形式に流し込むのではない。そうではなく、言語の使用そのものが、すなわちそのまま思想表出なのである。心の中で何を言おうか考えてから口に出すとき、口に出す前にすでに言葉は彼の内面で表出されつつあるのだ。
 以上のことは、どんな言語表現にも例外なく当てはまる。「ああ」「うん」「えっ?」などの間投詞でさえ、ある思想をあらわしている。そこには発語主体の主体的な状況把握とそれを引き受けて自らを投企する姿勢とが同時に込められているからである。


*次回は、言葉の本質についてまとめます。

『風立ちぬ』と『永遠の0』について(その1)

2013年11月14日 16時09分26秒 | 文学

『風立ちぬ』と『永遠の0(ゼロ)』について(その1)





 この夏、宮崎駿監督のアニメ『風立ちぬ』が評判になりました。また百田尚樹作『永遠の0(ゼロ)』が売上二百五十万部を突破し、この冬には映画が封切られることになっています。戦後七十年近くたち、日本をめぐる国際環境は大きく変化しました。そうしていま、あの戦争の意味、戦後社会の意味が改めて問い直されつつあります。まさにそうした時期にこの二作が大きな話題となることに深い因縁を感じるのは私だけでしょうか。
 両作は、どちらもゼロ戦(ゼロ式戦闘機)を中心にしているという点では共通しています。前者はゼロ戦の設計に心血を注いだ優秀な技術者・堀越二郎が主人公、後者は、ゼロ戦の超有能なパイロット・宮部久蔵が主人公です。
 しかし、この二作には、そういう見かけ上の共通点とは別に、もっと深いところで響きあうものがあるように感じられます。それは言ってみれば、愛する人と別離することが確実であることを自覚した時、人はどのように生きればよいのかという永遠の文学的テーマです。

1.『風立ちぬ(記憶が頼りなので、セリフなど、細かい点で誤認しているかもしれません。ご指摘いただければ幸いです)

 アニメ『風立ちぬ』は、もちろん堀辰雄の『風立ちぬ』から枠組みの一部を借りてきていますが、それはあくまで一部であり、全体は完全に宮崎さんの自立した作品に仕上がっています。それに、堀作品は、語り手の「私」が、婚約者・節子と結核療養所で共に過ごしたかけがえのない時期を追憶しつつ、いまは亡き節子に呼びかける形をとっています。その文体の流れは、「死」を共有した二人の短かった時間の固有の意味を少しでも壊さないように反芻していくという、内向的で繊細きわまる独特の調子で満たされており、いわば独白体の散文詩のようなものです。ストーリー展開らしきものはほとんどありません。そこにラディゲやプルーストなどのフランス心理小説的な気障と臭みを感じる人も多いと思われますが、いずれにしても、この調子は言葉でしか表現できず、それが宮崎作品の映像に「翻訳」されているかというと、そんなことはまったくないと言ってもよいでしょう。
 宮崎作品が堀作品から借りているのは、二郎が菜穂子(この名前は堀辰雄の別の作品『菜穂子』からとったもの。ちなみに『菜穂子』は失敗作です)と軽井沢で恋愛関係になって婚約し、その後、菜穂子が病状悪化のために八ヶ岳の結核療養所で冬ごもりするという部分だけです。堀作品では「私」はずっと節子に付き添うのですが、宮崎作品の二郎は、仕事が忙しいので名古屋の会社と下宿にこもりっきり。
 以下に、宮崎作品で、一見、堀作品に関係がありそうに見える印象的なシーンを書き出してみます。
 軽井沢のホテルでの紙飛行機飛ばしのシーン、ホテルでの婚約シーン、菜穂子の喀血を知り二郎が多忙を振り切って東京の菜穂子宅に駆けつけて庭から侵入するシーン、菜穂子が療養所を抜け出して二郎のところに駆けつけるシーン、二郎の上司・黒川夫妻の媒酌の下、たった四人で結婚式を挙げるシーン、初夜のシーン、臥床にある菜穂子と計算に忙しい二郎とが二人で手を握り合い、「片手で計算尺を操るコンクールがあったら僕は優勝するな」と二郎が冗談を言うシーン、そして死の運命を予感していた菜穂子が、仕事に没頭している二郎の妨げになるまいと決意して一人黙って療養所に帰っていくシーン……。
 ところがこれらはすべて堀作品とは何の関係もない宮崎さんのオリジナルなのです。
 こうしていくつかのシーンを書き並べていると、このアニメの一番の見どころはこの二人の短い交流場面にこそある、と言いたい気持ちになってきます。事実私は、この一連の流れに接するうち、涙が止まらなくなってしまいました。結婚式の衣装を着た菜穂子のなんと美しいことか! そしてそれが束の間のものであると既に知っている私たちにとって、なんと哀しい絶対性として映ることか! 私は年甲斐もなく、たとえ別離が予定されていてもいい、こんな女性に巡り合うような生涯が送れたら、などとバカなことを考えたものです。
 もちろん、二郎が少年時代からの夢を実現すべく、美しい航空機の設計に全情熱を傾けていくシーンも感動的です。男が技術の完成に魂を込める姿は、いまこの国のあちこちでも現に見られるのであって、それは、時局がどうであるか、何のための技術であるかという政治問題とは一応別です。
 私は少し前に、運転停止中の浜岡原発を見学する機会に恵まれましたが、そこの人たちが、イデオロギー的な反原発浮かれ騒ぎなどとは関係なく、福島事故の教訓にしっかりと学びつつ、職業倫理を懸けて、そして静かに、高度な安全技術の実現に向かって日々の努力を重ねている姿に心を打たれました。技術者は、むろん時の政治の要請に従う運命から免れがたいものですが、その制約された範囲内で自分の果たさなければならない責務に心血を注がざるを得ないのです。これはあらゆる職業人にも当てはまることです。
 宮崎さんも、あえて時代を戦争期に設定し、そういう緊張のなかでも懸命に日常を生きた人たちの像を描き出したかったのだと思います。彼がサヨクだからどうのこうのなどということをことさら問題にする人が後を絶ちませんが、そんなことは作品そのものの芸術的価値と何のかかわりもない、どうでもいいことです。
 ところで、『風立ちぬ』をご覧になった方は、気づかれたかどうかわかりませんが、ようやく完成したゼロ戦がテスト飛行に見事に成功した時、周りの人たちの喜びに反して、二郎だけがなんとなく浮かない顔をしており、すぐそのあと不吉な感じの雲が地を這うように流れるシーンがあります。これはもちろん、戦争協力をしてしまったことへの自己懐疑がきざした、などということを意味していません。一心に情熱を傾けた仕事が達成されて一段落したとたん、急に菜穂子の身の上が気がかりになり、ふと悪い予感がしたのです。そういう心憎い仕掛けを宮崎さんはさりげなく置いておくのですね。
 このアニメは、いったいに、説明的な要素を極力省き、騒がしい饒舌をなるべく抑え、沈黙によって余韻を響かせるという方法論に貫かれているように思います。
 たとえば、二郎が特高に狙われるのは、軽井沢で知り合ったドイツ人がスパイ容疑をかけられていたからでしょうが、そのことはほんの少ししかほのめかされていません。
 二郎の妹や黒川夫人も名脇役ですが、セリフの量はすごく制限されているのに、かえってそのことでキャラが際立っています。
 また、菜穂子が一人名古屋を去ってから、彼女はほどなく死んだのだと思われますが、死に近づいていく場面や臨終の愁嘆場は一切描かれません。
 さらに、なんといってもこれが重要ですが、肝心のゼロ戦の戦闘場面、戦争の成り行きなどが少しも出てこず、すべてが終わってからゼロ戦の残骸だけが映し出されます。そうして天国の野原にあの憧れのイタリア人飛行機設計家があらわれ、二郎を菜穂子に一瞬出会わせます。そのあと、「生きていかなきゃな、でもちょっとその前に家に寄らんか。うまいワインがあるんだ」と呼びかけて、作品は終わります。変に通俗的な情緒で観客を引っ張らずに、何とも後味のさわやかな、余韻にあふれた幕切れですね。
 宮崎さんは、「ナウシカ」にせよ、「ラピュタ」にせよ、「魔女宅」にせよ、その登場人物や背景などを見ると、ヨーロッパ趣味が強い人だな、と感じさせます。今度の作品などもまさにそうですね。でもこうした「沈黙の大切さ」をよくわきまえているという点では、やっぱり日本人的な美意識の持ち主と言えるかもしれません。
 宮崎さんは、なぜ戦闘シーンや、戦争の成り行きを一つも描かなかったのでしょうか。人によっては、それを描くと宮崎さん自身が戦争に対する政治思想的な姿勢を示さなければならず、それが誤解のもとになるから避けたのだと考えるかもしれません。しかし私はまったくそう思いません。
 彼は戦争シーンをそうした猥雑な配慮によって「避けた」のではなく、初めから意識的にそれを描くことを拒否したのです。なぜ? 作品の核心的なメッセージを印象づけるために、そういうものは、ただただ邪魔者以外の何物でもないと彼の芸術家魂がささやいたからです。
 では、その核心的なメッセージとは何でしょうか。それはすでに述べましたが、だれもが先の見えない時代的な制約の中で、それぞれに固有な生を背負って、不条理な死と向き合いつつ生きなくてはならないということです。「風」がどんな方向、どんな勢いであろうととにかく吹いているかぎりは。
 イタリア人設計家が「日本の少年」に向かって何度も問いかけますね、「風は吹いているか?」と。これは、「君は生きているか」という問いかけと同じです。この作品には、人間の「実存」の普遍性が徹底的に描かれているのです。だからこそ、時代を超えて私たちの胸に響くのです。
 ふつう、この時期を私たちが思いやるとき、一国が大戦争をやっているのだから、さぞかしどんな日常もその巨大な社会事象に隅々まで彩られていたに違いないととらえがちです。それはそれで間違いとは言えませんが、そうではない瞬間、そうではない生活感覚というものもたくさんあります。たとえば戦艦大和は、フィリピンに停泊していた当時、何も実戦に挑む機会がなかったので、乗組員たちは毎日楽しくだらけて過ごし、前線で戦っている人たちから「大和ホテル」と揶揄・軽蔑されました。
 さて、私はこの『風立ちぬ』という作品について、次のようなことを考えます。
 菜穂子はもうすぐそこに迫った死が予定されている存在。そのことを本人のみならず、二郎もよく知っている。それは二人にとってのっぴきならない事態ですが、だからこそ、愛も深まり、一日一日を大切に生きようとする。そうしてささやかな華燭をともし、契りの永遠を誓い合う。やがて凝縮された短い幸福の時ののちに別離してゆく。
 これ、何かに似ていませんか。
 そう、あの時代に、このような事態が現れるのは、主として戦場に出征してゆく若い夫とそれを見送る若い妻という構図ですね。出征を控えた若い兵士たちに、両親がその悲運を予感して、せめて妻を娶らせてやろうと切に願う。菜穂子の「お父様」も、病の癒えていない娘に婿なんて、と最初はためらうふうでしたが、本人たちの強い決意とドイツ人の励ましでついにそれを許します。
 ですから宮崎さんは、この作品で、死地に赴く夫とそれを見送る妻という、ややもすれば月並みになりがちな構図を鮮やかにひっくり返して見せたのです。菜穂子は、「女性版出征兵士」と言えるでしょう。宮崎さんは、このような逆転劇をあえて演出することで、こういう哀しく美しい関係の在り方というものは、死んでゆくのが女の場合だって同じなんだよ、と言いたかったのではないでしょうか。


コメント(2)
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2013/09/28 23:36
Commented by 美津島明 さん

興味深く拝見しました。特に最終段落の、宮崎監督が「この作品で、死地に赴く夫とそれを見送る妻という、ややもすれば月並みになりがちな構図を鮮やかにひっくり返して見せた」というご指摘には感心しました。
そのご指摘を踏まえたうえで、ちょっとだけその先を考えてみました。
この映画を観る者は、宮崎監督の、菜穂子への深い鎮魂の念を印象づけられます。エンディング曲の『ひこうき雲』がそれを決定づけているのでしょう。そうしてその鎮魂の念は、菜穂子を「裏返された特攻隊員」とするならば、彼らにこそ向けられたものなのではないかということです。
つまり宮崎監督は、若き特攻隊員たちへの鎮魂の念を隠し絵として当作品に織り込んだのではないでしょうか。
とするならば、堀越二郎のゼロ戦への愛と菜穂子への愛と菜穂子の死への哀悼の念とが、宮崎監督の、ゼロ戦に搭乗し若くして散華した特攻隊員たちへの鎮魂の念において重なり合うことになるのではないでしょうか。
宮崎監督は、なにゆえそういう形で特攻隊員たちへのレクイエムを歌ったのか。それは、その歌が政治的な色彩を帯びて受けとめられることを、一流の作家としての想像力が本能的に忌避したからではないでしょうか。
その本能的な忌避によって、当作品は、人間があくまでも人間らしくありたいと願うことから生まれる上質な抵抗芸術たりえているのではないかと思いました。言いかえれば、監督は、鎮魂という人間的なあまりに人間的な営みを、政治という粗野なるものの容喙から能う限り守りきったのではないでしょうか。
当作品に感動したところを、自分なりの言葉にする大きなきっかけを与えていただいたことを感謝します。


2013/09/29 02:31
【返信する】
Commented by kohamaitsuo さん
To 美津島明さん

いつもながら、拙稿に真剣に付き合っていただいて、ありがとうございます。特に以下の部分、とても心に残りました。まったく異議ありません。

>その本能的な忌避によって、当作品は、人間があくまでも人間らしくありたいと願うことから生まれる上質な抵抗芸術たりえているのではないかと思いました。言いかえれば、監督は、鎮魂という人間的なあまりに人間的な営みを、政治という粗野なるものの容喙から能う限り守りきったのではないでしょうか。
>
しかし、いま続きを書いているのですが、この問題を的確な言葉にするのはとても難しく、想念が乱れ飛んで、書きあぐねている状態です。
貴兄が「究極の言葉」として特攻隊員の遺書をいくつか挙げられているのを同時進行で読み、それはそれで深く共感したのですが、じつのところ、それを提示しただけでは思想言語として何かが足りない、とかすかに感じていたのも事実なのです。もっと言えば、鎮魂の心情や文学的な感動(美意識の打ち震え)そのものを再び「政治という粗野なるもの」のために利用しようとする傾向に対して、どう抵抗すればよいのか。「特攻隊員」というイメージは、純粋な美談として語られがちなために、かえって利用されやすい。私が、「特攻隊員」と書かずにあえて「出征兵士」と書いたのには、その思いがあったからなのです。両者は必ずしも同一視できません。さらに、「特攻隊員」という「像」そのものも、遺書に体現された「最後の言葉」の象徴的な力だけに収束され尽くすものなのか……まあ、そういうひねくれたことをいろいろと考えています。それで、次回は、『永遠の0(ゼロ)』に行く前に、梅崎春生の『桜島』と、私が心理学者・林道義氏と対談した折に、彼が小林よしのり批判として見せた何とも言えない印象的な表情について書こうと思っています。違和感を感じられたら、遠慮なくコメントしてください。


倫理の起源10

2013年11月14日 16時01分02秒 | 哲学

倫理の起源10

――プラトン『饗宴』批判(つづき)――






 さて③の恋愛(性愛)感情の本質についてであるが、私たちは、それを考えるのに、平均的な恋愛感情の実態にあくまでも忠実に記述すべきであって、どこかその実態を超越した「高み」に導くものだというような、外部からの意味づけをなしてはならない。
 人間の恋愛(性愛)感情の本質は、特定の個体どうしが、それぞれの心身の醸し出す「雰囲気」を交錯させることによって、そこに「互いの合致」の可能性を見いだすというところに求められる。ある場合にはそれは、肉体的な要素が強い媒介となるし、別の場合には心的な要素が重要な条件となる。
 しかしいずれの場合にも、その合致の形成は、肉体と魂とのどちらかに価値の優先権をおいて把握できるものではない。それは、それぞれの個体がそれまでの人生途上で培ってきた歴史的・身体的な「雰囲気」の表出を仲立ちとすることによって成立するものであって、けっして、「美一般」とか「知を愛すること一般」といったイデア世界に還元することによってではない。
 このことは、だれかを恋しているときの感情を外から超越的にとらえるのでなく、内在的によく反省してみればわかる。それは「切なさ」の感情と不即不離の関係にある。人が人を恋するときには、何か美しい対象に触れてその美に圧倒されるとか、「知」的なものや道徳的な「善」を表現しているものに触れて感動するなどの経験に終始するわけではなく(これらは、はじめの契機としては考えられるとしても)、その相手がすぐにはわがものとならない不安といらだちにちりちりと胸を焦がし続けるような感覚がつきまとう。
 なぜそういうことになるのだろうか。それは、恋愛感情というものが、相手が同じ人間でありながら、自分とは異質の心身をもつことによって媒介されているからである。この「同じ人間でありながら」というところが重要である。恋愛の幻想は、自分と同じ類に属する存在が自分を受け入れてくれる可能性によって支えられながら膨らんでゆく。
 人は何か人以外の美しいものを金や権力や身分などの力によって手に入れることができるが、よく言われるように、「愛は金では買えない」。なぜなら、相手もまた「人の心」の持ち主なので、その心をこちらに向かせるには、何よりも自分自身が、相手の心の固有性にとって魅力ある心身の状態にならなくてはならないからである。自分が相手からその固有の価値を認められて、相手がその固有性そのものを愛してくれるようにならなければ、恋は実らない。相手の心もまた自由に、かつ不安定に揺れ動くのである。
 これに対して、生身の人間ではない美しい「もの」は、心をもたず、ただそこに美しいものとして厳然とあるだけである。それらに感動したりそれをわがものにしたいという欲望をもつことは、「もの」に恋する人の自由だが、当の「もの」はそのことによっていささかも動揺をこうむることはない。
 人への恋に特有の「切なさ」の感情は、こちらの固有な心身が相手の心に叶ったものであるかどうかがしかとつかめないという、いわば自分に対する不安である。ある人を恋するとは、自分の全心身が相手の全心身と合致する可能性を抱えて、この「自分に対する不安」にみずから飛びこんでいくことを意味する。
 恋をした男女は、どうすれば自分が相手に気に入られるかについて、滑稽なほど精力と気を遣う。たとえば女性であれば、今日はあの人とデートすることになっているので、何を着ていこうかしら、私の趣味はあの人に合うかしら、化粧はどのくらいにしようか。あの人はすっぴんのほうが好きかもしれない。あの人が求めてきたらどうしよう、等々。男性であれば、どういう言葉で口説いてやろうか。俺って彼女にどのくらいかっこよく見えているのかな。どういうコースを用意すればいいのかな。ケチっちゃいけねえな、等々。これらのことに気を遣わないとすれば、それはあなたが相手を本当には恋していない証拠なのである。
 そういうわけで、恋愛感情はあくまで個別特殊な「対」関係のあり方を、まさにその特殊性ゆえにめがけるという特質からけっして逃れられないのである。あなたがほかならぬ「あなた」以外の何ものでもなく、相手がほかならぬ「この相手」以外の何ものでもないという事実を根拠として、恋心は展開する。
 なぜ人は特定の人に恋をするのか。それは、必ずしもその対象が肉体的もしくは精神的に「美しい」からではなく、それぞれの心身が固有性をもちながら孤立しているという事実に出会い、相手の固有性が自分の固有性にとってのみ魅力的であるように実感されるからである。そのとき恋の欲望は、この二つの固有性の重なり合いによって、心身の隔離状態をなんとか乗り越えて合一したいという希求の意識に染まる。
 恋愛は、この希求の意識を、心身の結合に伴う快楽という「物語」によって満たそうとする試みである。そしてこの互いにバラバラな二つの固有性を解消しようとする「希求の意識」こそは、人間的な「エロス」の本性をなすものであり、人生に「意味」をもたらすための基本条件のひとつをなしているのである。アリストパネスの語る「神話」のほうが、ソクラテスの説く強引な教説よりも、人間をよく見ているもののそれであると判断できる所以である。
 また、恋愛が神仏信仰や知への愛と似て非なるものであるのは、後者(神仏信仰や知への愛)が、揺らぎのない絶対者と、不安定な自我との関係として成立するのに対し、前者(恋愛)が、相互に不安を抱えた自我どうしの関係を前提とするという点である。そこから言えるのは、次のことである。
 すなわち恋愛という幻想が成就するために欠くことのできない条件とは、相手の欲求の満足をこちらが実感できることが、こちらの欲求の満足にとって不可欠であるということ(相手が自分を好きだと感じていることが、自分のなかで確信できること)である。
 またその裏返しとして、恋愛においては、互いの欲求の満足の間に「ずれ」が生じるとき、葛藤や闘いといった危機の様相を必ず呈するということである。
 いうまでもなく、知への愛においてはこういうことは起こらない。ソクラテス(プラトン)が考えた究極のイデアに向かっての恋、すなわち自分の知に欠けたところがあると感じて絶対的なものを求める営みにおいては、目標は絶対的で完全なものとして揺るぎなく彼方にそびえていることが前提となっているので、恋愛におけるように、求め方しだいで相手も動揺してほだされるというようなことはあり得ないのである。

 最後に④であるが、ソクラテス-プラトンの生きた古代アテナイ黄昏の時代には、性的な欲望の激しい強度を放置するのではなく、その激しさ自体を手なずけながら、よき国家、よき共同体を立て直す「正義」や「徳」のためになんとか活用できないかという問題意識が自由市民の間に広汎に存在した。
 というのも当時は少年を立派な公民として育てる公的な教育機関はまだ存在せず、年長者が年少者に政治や文化の価値を伝授するのに、個別的なエロス関係を通じて行うという習慣が一般的だったからである。だから、こうした問題意識がプラトニズムのような「快楽から善へ」という思想に編み上げられるのもむべなるかなというところがある。
「私的な恋(主として自由男子市民の同性愛)」を、公共性の維持継続を支える基盤にするというのが、彼らにとって切実な課題だったのだ。性的な快楽の持ついかがわしさのなかに、どのようにして国家的正義と公共性の維持という崇高な目的を果たす力を植えつけ、維持することができるのか。つまりこれは重大な「倫理問題」だったのである。
 その倫理問題を克服するために、プラトンは、通常の恋からイデアへの恋という道筋を、より高級なあり方へ向かっての段階的な上昇過程として示してみせた。
 もちろんはじめの三人の演説者たちも同じ倫理問題を抱えていた。そこで彼らは、ひとつの肉体への恋の精神として通用している「エロス神」がともすれば価値の低い、卑しい欲望としてイメージされがちなのを何とか救い出そうと考えた。思えばエリュクシマコスの最初の提案にしてからが、その動機を含んでいたのである。
 その動機を満たそうとして、彼ら三人は、公共的な正義にとっての有用性(友情による廉恥心の育成)を説いたり(パイドロス)、恋される側は堕落しやすいから、恋される側が知恵や徳目を享受できるような恋だけを選ぶように心がけるべきだと説いたり(パウサニアス)、エロスには、低いエロスと高いエロスがあるから、人は慎みと節度をもって高いほうを選ばなくてはならないと説いたり(エリュクシマコス)してみせたわけである。当然、彼らよりもはるかに「私的関係から公的関係へ」の理想に燃えるプラトンにとって、これらの単なるバランス維持の知恵にとどまることは、不満だらけの弥縫策にしか見えなかった。
 年若いアガトンにはまだその問題意識はなく、ひたすらエロスの美点を称揚するにとどまっている。また人間通のアリストパネスは、こういう倫理的な問題意識に沿ってエロスについて説くことを意識的に拒否し、人が人を恋する感情としての「エロス」とは、ある意味で、始末に負えない人間本性の一部であるという「本質看取」に徹することにとどめたのである。
『饗宴』をこのように、「性」を素材とした社会倫理学的なモチーフに裏付けられたものとして読めば、プラトンの道徳的野望のすさまじさが浮き彫りになってくる。おそらく理想主義者プラトンにとって、アリストパネスのような単なる「本質看取」は我慢のならないものだったにちがいない。
 彼は、まず「エロス」の狂気性(道徳的観点からは危険性)をとりあえずそのまま肯定するしかないと考えた。それは「節制」や「抑制」や「寛容」や「均衡」などの日常的な「大人の徳」を対置させてもとうてい歯が立つ代物とは思えなかったからだ。そこで彼は、「エロス」(性愛・恋愛感情)のうちから狂気性(非日常性)のみを抽象し、いっぽうで、その対象の違いによる階梯を示すことにした。対象が崇高でありさえすれば、恋の狂気性は許されるどころか、ますます推奨すべきものとなる。かくして彼は、善の最高原理に「エロス」(恋)もまた服するものであることを証明しようとしたのである。
 私の考えをひとことで言えば、ここには明らかに現世的・感覚的な欲望を低いもの、価値なきものとして否定する抑圧的な思考に特有の倒錯がある。そしてこの倒錯は、プラトンの他の重要な著作においても見事に貫かれているのである。


(次回は、同じプラトンの『パイドロス』を取り上げます。)



「婚外子相続二分の一は違憲」判断について

2013年11月14日 15時30分12秒 | 政治

「非嫡出子相続二分の一は違憲」判断について
――長谷川三千子論文を支持しつつ憲法問題に及ぶ――



 去る9月4日、最高裁大法廷が、「非嫡出子の相続分は嫡出子の相続分の二分の一」という民法の規定について、法の下の平等を定めた憲法14条に違反するという判断を下しました。
 この民法の規定は、わが国の司法界でかなり長い間問題視されてきました。欧米先進諸国ではそのような規定はなく、日本だけがこれを「残している」という事実の提示と、国連の懸念の表明、「法改正」勧告とが、わが国の司法に圧力をかけ続けてきたのです。今回の判断で一応の結論が出た形になるのでしょう。
 しかし私は、この欧米及び国連の杓子定規な「平等」原理を日本社会に適用することが妥当と言えるのかと疑ってきました。これは各国の国情、人間生活の具体性というものを無視した悪しき形式主義なのではないか。
 とはいえ私自身、この問題についてこれまで明確な意思表示をしたわけではありません。自分の私生活に直接関係があるわけではないので、どうもヘンだな、面白くないな、という程度でやり過ごしていたのです。
 また論壇全体でも、この議論が盛り上がったという話を聞きません。今回の最高裁判断に対しても違和感の表明や明確な反論が数多くなされてはいないようです。新聞各紙は、こぞってこの判断に対して疑問の余地なく容認といった按配です。もしこの判断に基づいて「改正法案」が国会に上程されれば、おそらく満場一致で可決されてしまうことでしょう。「差別」がなくなることはよいことだ~、と。
 一見、法適用の対象そのものが特殊なので、みんなの真剣な注意をあまりひかないのだと思われますが、よく考えると、この成り行きにはけっして見過ごしてはならない重要な法的かつ思想的問題が含まれています。
 ところでここにただ一人、このたびの最高裁判断に対して敢然と異議を表明している論客がいます。長谷川三千子氏です(産経新聞9月12日付「正論」欄「憲法判断には『賢慮』が必要だ」)。この論文の主旨は次の通り。
 民法の現行規定は、法律婚以外の関係で生まれた子には法律の保護が及ばないという問題と、両当事者を完全に均等に扱ってしまうと今度は法律婚の意義そのものがあいまいになってしまうという問題の矛盾を広く見渡して、両者に配慮した調整の意味をもっているのであり、そこに法律の「賢慮」が見られるのだ。それを軽視してはならない。
 氏の論文の明快な論理性、人間洞察の深さに対して、私は全面的に賛同の意を表したいと思います。
 氏によれば、今回の決定についての「法廷意見要旨」の冒頭には、次のようなことがちゃんと謳われているそうです。

 相続制度を定めるにあたっては、それぞれの国の伝統、社会事情、国民感情なども考慮されなければならず、また、その国における婚姻ないし親子関係に対する規律、国民の意識などを離れてこれを定めることはできない。

 え、だったらなんで? と思いませんか。今回の決定は、この冒頭の文言とまったく背馳していますね。一応原則のようなものを形式的にそろえてはおくものの、実際の判断にあたっては、欧米先進国の既成事実と、国連の勧告という「脅し」の前に屈しているのです。日本の司法は、憲法問題との関連では、完全に背骨を抜き取られているようです。背骨を抜き取られた国家機関の判断が、大手を振ってまかり通ってしまうところがまさに問題なのです。
 ここで、日本の婚外子の比率が欧米といかにかけ離れているかを示しておきましょう。これこそまさに、「法廷意見要旨」が言うところの、「それぞれの国の伝統、社会事情、国民感情」を如実に表しています。



 これでわかるように、欧米では事実婚が当たり前で、婚姻が法的に認可されたものかそうでないかがほとんど意味をもっていません。 したがって、法的には婚外子であっても別に不倫関係による子ではない場合、先妻と後妻の子どうしである場合などが非常に多いことが考えられます。これなら同等に扱われて当然でしょう。つまり、この問題に関する限り、欧米スタンダードに基づく「平等主義」を日本に適用するのは間違いなのです。

 同じような例に、これに先立つ数か月前、広島高裁及び同岡山支部が3月に下した「一票の格差=違憲、平成24年12月の衆院選無効」判決があります。私はこれについて、月刊『Voice』6月号誌上で、単に算術的な平等によって物事を判断するのは、都市住民と地方住民との事情を無視した機械的な判断であり、法曹界のごく少数の「平等原理主義者」が民意の総体も検証せずに、権力を悪用した典型であると批判しました。問題の構造が同じであることを納得していただけるでしょう。
 それはともかく、長谷川氏の論の「さわり」を、もう少し紹介しておきましょう。

 そもそも嫡出子と婚外子がともに存在するという状況自体、そこに置かれた人間には辛く苦しいものであって、今回の発端となった遺産分割審判の双方のコメントを見ても、それぞれのやり切れない思いが切実に伝わってきます。

 (意見書の結論によれば――引用者注)「上記制度の下で父母が婚姻関係になかったという、子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保障すべきであるという考えが確立してきている」。だからこの規定は違憲だというのです。
  しかしこの結論はおかしい。まず、先ほども見たとおり、これは親を同じくする嫡出子と非嫡出子の利害を調整した規定であって、自ら選択の余地のない事情によって不利益をこうむっているのは嫡出子も同様なのです。その一方だけの不利益を解消したら他方はどうなるか、そのことが全く忘れ去られています。またそれ以前に、そもそも人間を「個人」としてとらえたとき,(自らの労働によるのではない)親の財産を相続するのが、はたして当然の権利と言えるのでしょうか? その原理的矛盾にも気付いていない。
 ここには、国連のふり回す平等原理主義、「個人」至上主義の前に思考停止に陥った日本の司法の姿を見る思いがします。


 氏の指摘によって浮かび上がる問題点を私なりに敷衍すると、次の三つになるかと思われます。
 ①法があって人間があるのではありません。人間生活の辛い現実があるからこそ法の運用の妥当性がそのつど測られるのです。そのことを忘却した法的判断は、人間音痴の典型です。
 目下の問題に即して言えば、この事例の背景には、どちらがいくらもらえるかといった、欲得ずくの争いだけがあるのではありません。嫡出子側にも辛く苦しい事情があるという氏の指摘について想像力を馳せるなら、そこには、まず自分の父親(まあ、たいていは父親でしょう)に母親以外の女がおり、子どもまで作っていたと知った時の心の動揺と解決のつかなさが考えられます。あるいは、その父親は、「外」では金を使うが家に金を入れず、妻子に苦しい生活を強いてきたかもしれない。愛情のバイアスをもっぱら「外」に差し向けていたのかもしれない、等々。仮にこうした事情があった時に、嫡出子の心境として、法的に正当な婚姻関係の下に生まれた自分と、そうではない子とがまったく対等なのだという論理を持ち出されて釈然としないものを感じないで済ませられるでしょうか。
 ②今回の決定は、欧米先進国のリベラリズムを金科玉条として、それに抗することのできない思想的戦後レジームの惰性的な継続が見事に象徴されています。
 この問題は、いまの日本社会のあらゆる領域に依然としてしみわたっていて、むしろますますそれを「普遍的価値」としてそのお先棒担ぎを演ずるような傾向が随所に見られます。別に私は国粋主義者ではないので、いいものはどんどん取り入れればよいと思っています。現に欧米的な価値観や行動様式の中には、すぐれたものがたくさんあります(ex.言論の尊重、責任の重視)。
 ですが問題は、この敗戦コンプレックスからいまだに脱却できないために、自国にとって何が取り入れるべき価値であり、何は乗っかるに値しないかという選別眼がすっかり衰弱してしまっていることなのです。だから欧米や国連が(傲慢にも)「普遍的価値」を僭称して押し付けてくれば、それに対して深い考慮もなく跪拝してしまう。その権威主義的な精神構造を何とかしなくてはなりません。日本人は、人間関係の繊細な綾、自然と向き合う時の丁寧な手つきをとても大切にする民族です。それは、人間を社会や自然から孤立した「個人」としてとらえる価値観とは合わないものです。
 しかし、急いで付け加えなくてはならないのは、「個人」至上主義なるものが、必ずしも西欧的な価値観にそのまま重なるものではないということです。ヨーロッパにはもともと強固な共同体的伝統があり、それを無視して「個人」至上主義があちら由来の「普遍的価値」だと思い込むことが、戦後社会特有の誤解に基づいているのです。ヨーロッパが「個人」至上主義に見えるとすれば、それは、戦後日本人が敗北の痛手から勝手に構想した突然変異的な「ゆがんだ神様」の姿にほかなりません。人間は孤立した個人ではないという認識こそが真に普遍的なのであって、それは欧米でも同じ。その認識を世界に通用させていくことにとって、日本人の伝統的な感受性はとても有利なのだということだけは言っておきたいと思います。
 ③現行憲法に規定された「すべて国民は個人として尊重される」(13条)とか、「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し……」(24条1項)などの条文は、習俗や道徳に介入しないという近代憲法の精神を考える限り、じつに余計で下らない規定です。ですから逆に、「家族の尊重」などの条文を憲法の中に盛り込もうといった一部保守派の目論見もただの反動なのです。個人も尊重されなくてはならないし、家族も尊重されなくてはならないのは当たり前であって、憲法の条文でわざわざ謳わなくても、良識と人倫とが生きていれば自然に果たされることです。両者は別に矛盾しません。どちらも「お互いに相手の存在を認め合い思いやって大切にする」ということですから。
 逆にこうしたことを謳わなくてはならないというその動機の中に、人間不信と統治者の自信のなさとあせりとが覗けて見えます。こんな条文があろうとなかろうと、現実的な社会秩序が安定し生活にゆとりがあればこうした良識や人倫は守られるし、逆に秩序が乱れたり生活が困難を克服できなくなれば、たちまち良識も人倫も荒廃するのです。
 ちなみに、実際の婚姻過程では、「両性の合意のみに基づいて成立」するなどということはまずあり得ず、良識ある若者たちは、みな両親や兄弟姉妹の理解と合意とを不可欠と考えて行動しています(事前にフィアンセを両親に引き合わせるとか、結婚式・披露宴を挙行するとか)。
 ところでこの条文は、占領軍が原案を作ったのだから、アメリカ的価値観をそのまま持ち込んでいるのではないか、やはりその事実は、「個人」至上主義が欧米からやってきたことを証明しているのではないかという反論があるかと思われます。
 それは半分は当たっていますが、半分は当たっていません。というのは、もともとこの憲法は、米占領軍の統治のための暫定的措置でした。アメリカは、日本軍国主義を解体するという火急の目的のために、とりあえず何が必要かと考えました。そうしてその精神的基礎に封建思想や集団主義のもつ負の側面の強固な残存を見たのです。だからその反措定として「個人」というイデオロギーをことさら打ち出すことにしました。そこには彼らの日本誤解が映し出されています。
 今その誤解について詳しく論じるだけの余裕がありませんが、一番の問題は、そういう応急手当を、これこそが素晴らしく新しい道徳的理想なのだと受け取ってしまった日本人の側にあります。それは、あれだけコテンパンにやられた敗者の感受性として、致し方なかった部分があるかもしれませんが、同時に卑屈になり下がった日本人の悲しさ、情けなさをも示しています。そうしてこの悲しさ、情けなさが、豊かな大国となった今の日本の平均的な生活実感とはほとんど縁がなくなっているにもかかわらず、いまだに精神構造として残っていること、それが法的な物事を決める時の基準として必ず顔を出してくること、それこそが脱却しなくてはならない「戦後レジーム」なのです。
 私たちは、「自由」とか「平等」といった言葉の価値をそれなりに認めつつ、いっぽうで日本人の伝統的な世界観にふさわしい価値機軸を表現できる言葉を創出していかなくてはなりません。



コメント(8)
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2013/09/17 17:34
Commented by 美津島明 さん
当論考の主張に全面的に賛同します。ツイッターに「当違憲判決問題は、戦後レジームからの脱却がいかに難しい課題なのかを象徴していることを言葉を尽くして説いている秀逸な論考です」という口上を入れて当論考のURLを掲載し拡散を図りました。


2013/09/17 17:48
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Commented by kohamaitsuo さん
To 美津島明さん
さっそくのコメント、ありがとうございます。
また、有効な援護射撃もしていただいたようで、深く感謝いたします。
それにしても、長谷川氏の秀逸な論考に皆さんが注目してくださるといいのですが。お互いに、少数ながらも孤立しない闘いが必要ですね。


2013/09/18 13:17
Commented by 美津島明 さん
ツイッター仲間のプシケさんのツイッター上でのコメントをご本人の承諾を得た上で、掲載します。

*****

読んで、靄が晴れました。
論評中にある婚外婚の各国割合を提示したうえで、我が国においてどうか?という議論、報道がなされるべき類いですね。
各国の婚外婚の割合を見て、感じていた違和感がすっきりしました。
これも国柄を踏まえていない事例なのですね。


2013/09/18 16:26
Commented by tiger777 さん

私もこの件について何も知らなかったのですが、婚外子を平等に扱えば今後の遺産相続は更に揉めることにことになるだろうなあという思いとやはり直観的に日本的な家族観を壊すことになるだろうなという思いはすぐに浮かんできました。
判決当日の夜のテレ朝報道ステーションで、コメンテーター(誰だか知らないが、当然朝日の人間でしょうが)が、しきりに家族形態が多様化しているんだから、それを認めた判決は素晴らしい、と絶賛し、自民党が旧来の家族に重きを置くことを批判していました。これは大ごとかも、と。
 経済評論家三橋貴明氏のブログ「新世紀のビッグブラザーへ」で後藤孝典弁護士の投稿が紹介され、法律専門家の意見を知りました。後藤弁護士は、自らの「会社分割の後藤孝典が語る!」(http://toranomon.cocolog-nifty.com/gototakanori/)というブログで最高裁判決批判を書いています。
9月 6日 「最高裁平成25年9月4日大法廷決定の矛盾(婚外子)」
9月12日「婚外子相続分2分の1違憲は家業を潰す」
    「婚外子は家庭の中の子なのか、外の子なのか?」
少し引用してみます。
「そもそも現行法上、遺産というものは、被相続人の個人的な財産であって、妻がいても子供がいても、家庭の外に子がいようと、いないとにかかわらず、どう処分しようが、被相続人の勝手だという大原則があります。だから遺言状で自由に処分することが認められています。
 ついで、遺言状がないときは、相続人同士で相談の上、法定相続分などまったく無視して遺産を分割することが認められています(民法906条)。つまり、相続分に反する内容の遺言状を書いても違法にはなりませんし、相続分に反する遺産分割も違法にはなりません。
 ですから本件の決定が、相続分は権利だと言っていますが、期待分という程度のはなしで、債権や物権のような権利ではないのです。不利益を及ぼすことは許されないと大見得を切っていますが、遺産分割である以上、不利益を及ぼしてもいいのです。長男の取分が次男より多いことなど普通の話です。」
(続く)


2013/09/18 16:28
Commented by tiger777 さん

(続きです)
また、後藤弁護士は「婚外子相続分2分の1違憲は家業を潰す」として、次のように述べています。

「最高裁は、家庭を個人が棲むところ位にしか思っていないようだが、家庭は古来家業を遂行する場所なのだ。家業(もちろん農業・漁業を含め)においては、家産の承継は死活的に重要な意味をもっている。
 全国の企業総数約420万社のうち99%は小規模、中小企業で、同族企業だ。この小規模、中小企業、同族企業が日本の産業の基盤をなしている。このように小規模、中小企業にとっては、遺産の最重要部分は中小企業の生産施設とか当該企業の株式であるから、その企業の生産と収益向上に貢献する可能性の高いほうに法定相続分を多くするのが合理的である。
 家庭の外にいて、家産の承継ではなく、家産の取得だけを考えるものに対して、厳しくすることには合理性がある。家産の集中、累積は、単に物的財産の蓄積ではない。知識と技術の蓄積でもある。いわば、日本の国力なのだ。最高裁の裁判官たちは、家業とか老舗とか、事業を継続し承継することの重要性を理解していない。」

 最高裁が勝手に日本の家族解体につながる判決を安易にすることも問題ですが、最高裁判事全員が賛成したのはもっと驚きでした。韓国の最高裁のように成り下がってしまったような。


2013/09/18 19:18
Commented by tourokurad さん

kohamaitsuoさん こんにちは
最高裁判決が示す社会的影響はメデイアの報道にも、ネットの反応にも
大きな振幅があります。
長谷川三千子論文の価値は法解釈における判例とも言うべき事で、
判決文、弁護士、行政書士などの法を飯の種にする職業人とは異なり、
論議するには、不得手な、法の範囲に生活する庶民の手助けになります。
最高裁は今回の判決で、2%の非嫡出子の法の元の正義を守った。
それでは、残り98%の人々の正義は如何になりましょうか。
メデイアの報道にも拘らずに、弁護士や行政書士にも、
判決に異論を言う人がおります。
民法の規定、(民法第900条第4号ただし書の規定)は、
まったくただし書きであって、非嫡出子の相続分を零にするのは、
可哀想だとの温情から社会的認知を含めた分量と解しております。
この様な考え方は、日本国民一般の考えであり、今回の司法判断に
批判的見解は広く通用している。我々は、社会の根幹に位置しており、
その考えは絶対多数派であります。
司法が国民の総意を曲げれば、当然に弾劾裁判などの法的措置は
考えられるところです。


2013/09/18 20:47
【返信する】
Commented by kohamaitsuo さん
To tiger777さん

貴重なコメント、ありがとうございます。
ご紹介いただいた後藤弁護士の論説、「小規模、中小企業にとっては、遺産の最重要部分は中小企業の生産施設とか当該企業の株式であるから、その企業の生産と収益向上に貢献する可能性の高いほうに法定相続分を多くするのが合理的」「家産の集中、累積は、単に物的財産の蓄積ではない。知識と技術の蓄積でもある。いわば、日本の国力なのだ。最高裁の裁判官たちは、家業とか老舗とか、事業を継続し承継することの重要性を理解していない。」
は、不覚にも私にとってまことに新鮮な観点であり、蒙を啓かれる思いでした。本当に、こういうことも考えるべきですね。
最高裁判断の迷妄は、安倍政権の一角に巣食う竹中一派の「新自由主義」と連動している感じがします。日本はどうなることやら。


2013/09/18 21:09
【返信する】
Commented by kohamaitsuo さん
To tourokuradさん

貴重なコメント、ありがとうございます。

>メデイアの報道にも拘らずに、弁護士や行政書士にも、
>判決に異論を言う人がおります。
>民法の規定、(民法第900条第4号ただし書の規定)は、
>まったくただし書きであって、非嫡出子の相続分を零にするのは、
>可哀想だとの温情から社会的認知を含めた分量と解しております。
>
>この様な考え方は、日本国民一般の考えであり、今回の司法判断に
>批判的見解は広く通用している。我々は、社会の根幹に位置しており、
>その考えは絶対多数派であります。

このご意見に触れて、少々ホッとしました。ただ懸念されるのは、たとえ批判的見解が絶対多数だとしても、その民意と遊離した形で違憲判決にのっとった「改正法案」が国会を通過する可能性は高いでしょうし、法曹界は判例を重んじる風習が強いので、その後の訴訟の解決方向がこの判決による悪影響を相当程度こうむるのではないか、という点です。問題は、一部の人たちの粗雑な「平等・個人原理主義」が、複雑な民意と無関係に、権力の中枢部で機能してしまう、という点ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。