小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

水道民営化に見る安倍政権の正体

2018年11月27日 21時30分40秒 | 政治



外国人労働者受け入れの拡大を目指した入管改正法案が衆議院で可決しました。
この法案は言うまでもなく事実上の移民解禁法案です。
ヨーロッパの移民国家化の惨状から何も学ぼうとせず、しかも起こりうる事態に対して何の準備も整えていないひどい法案ですが、それについては、すでに多くの人の指摘があるので、ここでは触れません。

以前、このブログでも扱ったのですが(2018年1月)、
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/17802bf252decb3fac028a02d88c051b
水道民営化法案(水道法改正法案)は、現在すでに衆議院を通過しており、今国会で参議院での継続審議案件となっています。
当然、どさくさに紛れて数の勢いで国会を通過してしまうでしょうが、マスコミは相変わらず、この法案の危険性について報道しません。
この法案の目的は、もちろん、フランスのヴェオリア社など、水や環境にかかわるグローバル企業の便宜を図るところにあります。
ちなみに、これまでも水道事業の多くの部分は、民間企業に業務委託されてきました。
しかし、それは今回立法化されようとしている管理運営権の売り渡しとはまったく意味が違います。
業務委託の場合は、自治体が公共的な観点から必要と判断された業務の一部を、その範囲内で業者に委託するので、契約更新は毎年度になります。
これに対して、今回の水道民営化法案では、運営権を丸ごと企業に譲渡するので、企業は企画から実行までをすべて行い、契約期間も15年以上まで可能です。
その間、運営に不満が出たとしても、消費者も自治体も原則として契約条項を変えさせることができません

水道民営化法案の問題点は、次の六点に要約できます。
(1)今回のコンセッション方式(所有権は自治体、管理運営権は民間企業)では、運営権の売却は地方議会の議決を必要とせず、水道料金も届け出制で決められることになっています。
政府は上限を設けるなどと言っていますが、水道をめぐる状況は地域によって複雑で多様なので、それは無理でしょう。
(2)何か問題が起きた時の修復や後始末は、運営会社ではなく、自治体が解決することになっています。
https://www.facebook.com/gomizeromirai/videos/1947720121973442/UzpfSTE2MDc4MjYwODI6MzA2MDYxMTI5NDk5NDE0Ojc1OjA6MTU0MzY1MTE5OTotNDEzNjgzNzEwODg1MDg5MzUz/
(3)他のモノやサービスと違って、消費者には選択の自由が与えられていないので、企業間の競争が起こりえず、寡占化が進み、料金の高騰を招きます。
実際、世界の事例では、ボリビアが2年で35%、南アフリカが4年で140%、オーストラリアが4年で200%、フランスが24年で265%、イギリスが25年で300%上昇しています(堤未果著『日本が売られる』)。
(4)ビジネスは利益を出さなくてはなりませんから、そのぶん、料金が消費者に上積みされますし、利益は株主への配当に流れるので、現在のようなデフレ下では労働者の賃金低下を招きます。
また採算が取れないとわかったら、企業はさっさと撤退しかねません。
(5)一度民営化してしまうと、失敗した時に再公営化するためには、たいへんなコストと時間がかかります。
(6)一番の問題は、当の推進論者たちが、なぜ民営化するとこれまでよりサービスが「よい」ものとなるのかを、積極的な論拠をもって説明できないことです。
今年は災害が多かったので、彼らはそれに乗じて、「災害時に効率的に対応できるように」などとひどい屁理屈をつけていますが、「おいおい、そりゃ逆だろう!」と言いたくなりますね。
擬似ショック・ドクトリンとでもいうべきでしょうか。
じつはこの政策は、ずっと前から竹中平蔵を筆頭とする規制緩和論者たちの間で立てられていたもので、民主党政権がそれにまんまと引っかかったのです。
災害の増加とは何の因果関係もありません。

以上、水道民営化の問題点を見てきましたが、世界で実際に民営化した自治体はさんざんな目に遭っています。
先の投稿では、パリ、ベルリン、クアラルンプール、アトランタをはじめ、世界180の自治体で再公営化に踏み切っていると書きましたが、堤氏の前掲書によると、最新のデータでは、世界37か国、235都市で公営化に戻しているそうです。
要するに、この政策は、グローバル企業が儲けるためだけの政策なのです。

いまや、水も環境も電気も医療も農作物も、すべてが巨大グローバルビジネスの対象になっています。
安倍政権は、国民の命を犠牲にしても、グローバル企業の利益に奉仕する政策をずっととってきたのです。
売国政権と呼んでも過言ではありません。
労働者派遣法改正、農協法改正、混合診療解禁、発送電分離、種子法廃止、消費増税、移民(特に単純労働者)受け入れ、そして今度は水道民営化です。
こういう悪政を平然と行っている政権の最新の支持率がなんと10月から4ポイント上がって46%になっています(「支持しない」は37%)。
http://www.nhk.or.jp/senkyo/shijiritsu/
これはいったいどういうわけでしょうか。
日本以外の国なら、暴動が起きてもおかしくないでしょう。
現にフランスでは、マクロン大統領の支持率は26%で、パリをはじめとして各地で暴動が起きています。
日本の現政権が、内外に迫る危機を少しも解決できていないどころか、むしろひたすら国家的自殺行為に走っているのに、高い支持率を維持できている。
これには、次の理由が考えられます。
(1)もともと日本人は、政治、特に経済政策に関心が薄く、社会の悪化を自然現象のように見なしてしまう習慣を身につけている。
(2)移民問題、貧富の格差問題、文化摩擦問題などが、まだ欧米社会ほど深刻でない。
(3)政治の上部組織と国民の私生活との間に乖離感覚があり、誰がやっても同じというあきらめ感が強い。
(4)平和が続いたために危機に対する緊張感を喪失して、今日明日が過ごせればそれでよいという能天気状態に陥っている。
(5)高度成長期やバブルを経験したころの感覚がいまだに残っている。
(6)社会全体が複雑化したために、国民だけでなく、政治家やマスコミや学者が、個々の不全現象を個別バラバラにしか把握できず、統合失調症に陥っている。
(7)政治現象を右か左か、保守かリベラルか、の軸で解釈しようとする習慣から抜けきっていない。
 まだあるでしょうが、いずれにせよ、こういう日本の状態をそのままにしておいてよいはずがありません。
 単に移民政策や水道民営化政策だけでなく、安倍政権が採っている経済政策が、みな国民生活を犠牲にしてグローバル資本に奉仕する性格のものであること、まずはこのことに気づく必要があります。
個々の社会問題は、それ一つだけで切り取られるものではなく、ほとんどすべての原因が、一つの間違った政治運営に収斂するものなのだという統合された視野を、ぜひとも回復しなければなりません。


【小浜逸郎からのお知らせ】
●私と由紀草一氏が主宰する「思想塾・日曜会」の体制がかなり充実したものとなりました。
一度、以下のURLにアクセスしてみてください。
https://kohamaitsuo.wixsite.com/mysite-3
●新著『日本語は哲学する言語である』好評発売中。」

http://amzn.asia/1Hzw5lL
●『福沢諭吉 しなやかな日本精神』
(PHP新書)好評発売中。

http://amzn.asia/dtn4VCr
●『表現者クライテリオン』11月号
「安倍政権の『新自由主義』をどう超えるか」
●『別冊クライテリオン 消費増税を凍結せよ』(11月14日発売)
「消費増税の是非を問う世論調査を実行せよ」
●『クライテリオン』のメルマガに、月1で投稿しています。
https://the-criterion.jp/
●『正論』12月号(11月1日発売)
「デジタルよ、さらば?!――スマホ一極主義の陥穽」


従軍慰安婦、徴用工、南京大虐殺

2018年11月23日 12時52分29秒 | 政治



韓国政府は21日、慰安婦問題をめぐる2015年12月の日韓合意に基づいて韓国政府が一昨年設立し、日本政府が10億円を拠出した元慰安婦を支援する「和解・癒やし財団」を解散すると発表しました。
韓国政府は、日韓合意の破棄や再協議は要求しないという立場を示していますが、この解散発表は、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した合意に反するものです。
河野外務大臣は、「発表は日韓合意に照らして問題であり、受け入れられない」と述べました。
この発表について、一部の元慰安婦の女性たちが暮らす「ナヌムの家」を運営する市民団体は、日本政府が拠出した10億円を返還し、日韓合意そのものを破棄するよう求めました。
ちなみに、合意が結ばれた当時、生存していた47人の元慰安婦の女性のうち、これまでに4分の3以上が支援事業を受け入れています。
先月30日には、太平洋戦争中の「徴用」をめぐる裁判で、韓国の最高裁判所が新日鉄住金に賠償を命じる判決を出しました。
この問題は、1965年の国交正常化の時点ですでに解決済みです。
河野外務大臣は、「判決は暴挙だ」と厳しく批判しました。
しかし徴用工をめぐる裁判では今月29日に予定されている、三菱重工業に損害賠償を求める判決でも、同様の判決が出ることが確実視されています。

こうした一連の日韓関係のいわゆる「悪化」の過程について、ほとんどの日本人は怒りを覚えているか、釈然としないものを感じているでしょう。
しかし、そもそも三年前の日韓合意が、日本政府の賢明な選択であったのかどうかを問い直す声はあまり聞こえてきません。
いわゆる「従軍慰安婦問題」なるものが、吉田清治という詐欺師による捏造を朝日新聞がうのみにし(あるいは知りながら意図的に)、その報道に韓国側が飛びついたところから始まったことはよく知られています。
これにもとづき、河野洋平官房長官(1993年当時)が、証拠がないにもかかわらず、「軍による従軍慰安婦の強制連行」があったことを認めて謝罪しました(河野談話)。
その後、捏造の事実を暴かれた朝日新聞は、はなはだ不十分ながら誤りを認め、社長が辞任しました。
しかし朝日は、体面を保つために、議論の本質を、大東亜戦争当時の朝鮮人の慰安婦という具体的な歴史問題から、女性の人権一般の問題にすり替えて、自らを正当化してきたのです。
しかも日本向けには誤りを認めたのに、英字版では、相変わらず「軍によってセックスを強制された慰安婦」という表現を垂れ流し続けてきました
こうした経緯があったにもかかわらず、安倍政権は、韓国に対して「謝罪の必要はない」という毅然とした対応をとらず、パククネ政権との間で、「日韓合意」を交わしたのです。
これは、冒頭に書いた「最終的かつ不可逆的な解決」を目指したものということになっており、安倍政権もそれをもくろんで妥協したのでしょう。
しかし事実はそのように動きませんでした。
岸田外相はこの時「軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた。日本政府は責任を痛感している」と発言しました。
そして10億円で手を打とうという話になったのです。
筆者はこの発言について、当時ブログで次のように書きました。

『責任』とは法的なものも伴うのかどうかまったく曖昧ですし、しかも『痛感している』と現在進行形になっています。韓国は、その曖昧さと現在進行形とを利用してこれからも執拗に問題を蒸し返し、『日本の罪』をネタに『責任』を追及しつづけ、世界に発信しつづけるでしょう。なぜなら、慰安婦問題の韓国側主役である韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の突き上げや、それに同調する反日世論を、韓国政府が抑え切れるとは思えないからです。

さらに韓国新財団に10億円の出資とは!
名目上、『賠償』ではないと謳ってはいますが、国際社会はそう見ません。この約束は、先の岸田発言、安倍首相の『心からのお詫びと反省』発言と合わせて、三点セットで、『旧日本軍は20万人もの韓国女性をセックス・スレイヴとして扱い、虐殺した』とのこれまでの戦勝国の定説を、オウンゴールで追認したことになります。
(拙著『デタラメが世界を動かしている』参照)

当時、北朝鮮のエージェントであるムンジェインが政権を握ることまでは予想できませんでしたが、この政変で、三年前に予想された事態はさらに悪化したと言えます。

日韓合意に、当時のアメリカの意向が働いていたことは明確です。
その意向とは、
(1)対北朝鮮、対中国問題を睨んで、東アジアの同盟国間でいざこざを起こさせないようにする。
(2)戦勝国の「正義」を世界に信じ込ませるために、かつての日本の「悪」を固定化しておく。
(3)国力の大きくなった日本の自主独立の機運を阻み、いつまでも自らの属国として服従させておく。
外交的行為は、相手国一国との間に友好関係を築けばよいといった甘い認識で行われてはなりません。
世界各国、特に自国と関係の深い国々がそれをどう見なし、どう利用するかという幅広い見通しの下に行われなくてはならないのです。
安倍政権の決断は、明らかにアメリカの意向に過剰に反応したものでした。
結果を見れば明らかで、この決断は、単に日韓関係の悪化にとどまらず、国際社会での日本の印象を著しく損なうものとなりました。
「日本はかつて数十万人の植民地女性をセックス・スレイヴとして扱い、かつ虐殺した悪い国」というイメージがいろいろなところで定着し、小学校でも教えられているのです。
これは戦勝国包囲網によって日米分断を図ろうとしてきた中共政府の思うつぼでした。
事実、これ以後、欧米豪各国における慰安婦像設置の攻勢はますます強まりましたし、その背後には中共政府の力がはたらいていたことも今では明らかとなっています。
徴用工の像もこれから増えていくでしょう。
しかし日本政府は、これらの動きに対して、口先だけの抗議はしますが、中韓の情報戦に見合うだけの積極的な活動を何ら行なおうとはしていません。

中共政府は、韓国の反日感情を利用するだけではなく、自国の情報戦の有力カードとして、「南京大虐殺」というもう一つの強力なでっち上げ材料を持っています。
先ごろ、安倍首相が訪中し、李克強首相との会談で、若い世代の交流を拡大すべきとの認識で一致し、来年を「日中青少年交流推進年」として、今後5年間で3万人規模の青少年交流を進める覚書に署名したそうです。
お人好しニッポン。
訪中に参加することになる日本の青少年は、南京大虐殺記念館などを見学させられ、中国版「正しい歴史認識」を注入されるに決まっています。

ところで、歴史認識の問題に関して中韓にやられっぱなしの日本は、次のような覚悟を固めなくてはなりません。
唯一の正しい歴史認識などというものが存在するはずがないと肝に銘じて知ること。
歴史とは後世の人間が、自分の属する共同体の過去を、想像力を駆使して作り上げる「物語」のことです。
したがって、異なる共同体どうしの間で完全に一致する物語などありえないのです。
言葉は生き物です。「事実」も「歴史」も、編み替えられてゆく宿命のうちにある。
ニーチェは、『力への意志』で、真実とは強い種族に都合のよいように作られたでっち上げであると、何度も繰り返しています。
「歴史」の共有は、言葉と情緒を共有できる範囲でしか可能ではありません。
敵対感情のある隣国どうしの「共同研究」など、空しい限りです。
また、たとえばユネスコ記憶遺産のようなグローバルな歴史認識など、理念からして間違っています。
中国や韓国の「南京大虐殺」や「従軍慰安婦の強制連行」は、こちらから見れば、いずれも資料レベルと証明レベルがきわめて低く、反日意識だけで成り立ってしまったまことにお粗末な物語です。
しかし声の大きい者、うまく宣伝した者が勝つという現実を否定することはできません。
お金と時間と労力を使い、より大きな声を出し、よりうまく宣伝する以外に、これに対抗する方法はないのです。
自分たちは誠実だが、向こうはウソで塗り固めているなどといった道徳的な非難などいくらやっても効果はありません。
相手も同じことを言うに決まっているからです。
歴史とは物語の集積であって、その中身がぶつかり合うときには、さまざまな「力」を用いて相手の口を封じるほかはありません。
「力」とは一般に武力、経済力、外交力ですが、これらのほかに、「歴史認識」にかかわって何よりも大事なのは、説得力と構想力です。
この問題で闘っているAJCNの山岡鉄秀氏が説くように、説得力が成立するための「立論」をいかに組み立てるかに最大のエネルギーを注ぐべきなのです。

いま、日本の公教育で何が問題か

2018年11月04日 00時40分40秒 | 社会評論


いま日本の公教育で、真っ先に為すべきことは二つあります。
一つは、教師の過重負担をなくすこと、もう一つは、全国の小中学校にエアコンを設置することです。

日本の小、中学校の先生の労働時間は世界でも突出して長く、小学校教諭の33%、中学校教諭の57%が残業時間80時間を超えています
これは「過労死ライン」を上回っています
先生の多忙というと、平教員の忙しさをイメージしがちですが(それももちろんあるのですが)、なかでも多忙を極めるのは、副校長、教頭で、調査報告書の作成、休んだ教諭のフォロー、会計業務などあまりの激務に疲れ果て、教諭への降格を願い出るケースが跡を絶ちません。

小中学校教師の忙しさは今に始まったことではなく、昔から部活の顧問として土日・夏休み返上で駆り出されるとか、テストの採点は家に持ち帰って深夜までとか、年間いくつもある学校行事の指導とか、たいして意味のない研修会への参加強制とか、問題生徒の管理監督やいじめ防止への配慮などなど、とにかく息つく暇もないようです。
ところが、世間の視線は意外とこうした実態に対して冷ややかで無関心です。それはなぜでしょうか。

第一に、教師は公務員で、給与もそこそこ高く安定しているという点が挙げられます。
世の中にはもっと貧しい人やきつい仕事に耐えている人がいる、贅沢な悩みだといったルサンチマンに根差すまなざしを受けやすいのですね。
ことにデフレ下の今日では、こうした声が高まっていると思われます。
しかしある職業が所得面や雇用面で安定しているという事実と、その職に固有のきつさがあるという問題とは別です。
教師のきつさとは、授業をこなすという本業のほかに、生活指導や文書作成などの一般事務や部活動顧問など、本来の職務ではない仕事で埋め尽くされることからくるストレスなのです。
いわば多種の肉体労働と神経労働がどっと重なってきて、それを毎日捌かなくてはならないところに、このストレスの原因があります。

第二に、教師という職業に対する世間の期待過剰があります。
どの親にとってもかけがえのない子どもの教育と生活をあずかるのですから、教師が大切な仕事であることは確かです。
しかし教師も能力や包容力に限界のあるただの人間です。
何もかも教師に背負わせて、ちょっと学校で問題が起きると、担任の責任、校長の責任と大げさに騒ぎ立てる風潮を改めなくてはなりません。

大事なことは、今の学校に何ができて何ができないか、一人の教師の職分と管轄範囲はどれくらいかということをはっきりさせて、その認識をみんなができるだけ共有することです。
ちなみに、教員志望者は年々減少の一途をたどっています。
また教員志望者の中でさえ、こんなに忙しい日本の教員にはなりたくないと思う人が6割を超えているというデータもあります。

小中学校の教師の残業時間が他の職業に比べて一番多いというのも、統計上明らかになっています。
しかも、1971年に決められた給特法という悪法がいまだに改正されていません。
これは、教師の場合は地方方公務員の基本給に4%を上積みするというものです。
月給25万円の教師なら、プラス1万円ということですね。
過労死ラインを超えるほど残業しても、残業手当はまったくつかず、1万円もらえるだけです。
もう半世紀近くもこの状態で、事態は悪化するばかりなのです。

これでは教員志望者が激減するのも当然ですね。
すると教員の質も低下します。
これも当然です。
この事実を差し置いて、日本の教育がどうのこうのと高みに立った議論するのは、意味がありません。

ではどうして日本の小中学校教師はこんなに忙しいのでしょうか。
最大の理由は、国が教育にお金をかけていないからです。
日本の公教育支出は、GDPの3.5%で、OECD諸国の中で、6年連続で最低なのです。
日本人の多くは、教育が大事だ、教育が大事だと口癖のように言います。
でも、もし本当に教育が大事だと考えているなら、まずはこの恐ろしく貧困な教育投資の実態を何とかしなければなりません。
そして投資をどこに差し向けるか。
もちろん、まずは人材投資です。
教師の数を増やすだけではなく、前述のような教師本来の仕事ではない部分を担える人材を雇用して、先生が余裕をもって本業に専念できるような環境を整備すること。

物理的な意味での環境整備も非常に大切です。
前にも書きましたが、公立小中学校のエアコン設置率はようやく五割弱です。
それも地域間格差が激しく、首都東京は100%ですが、暑いはずの九州では二割に満たない自治体もたくさんあります。
今年の猛暑は夏休み前からやってきました。
来年もその次も、近年の気候変動を考えれば、ずっと続くでしょう。
大人たちが冷暖房の効いたオフィスで仕事をしているのに、子どもたちに毎日こんなかわいそうな目に遭わせてよいのでしょうか。

文科省は二流官庁ですから、予算が十分に取れない苦しさもあるでしょう。
緊縮財政にひたすら固執している財務官僚は、日本の将来を担う世代のことなどに関心がなく、文科省の管轄事項を、それが火急の課題ではないという理由で、無意識に蔑んでいるのだと思います。
いま公立の小中学校教育に投資するとしたらどこにお金を使うべきか。
小3から英語教育を、など、百害あって一利なしの施策にではありません。
基礎学力を徹底させるために、ゆとりある人的物的環境を整えることに集中させるべきなのです。


*参考:由紀草一の一読三陳
https://blog.goo.ne.jp/y-soichi_2011


【小浜逸郎からのお知らせ】
●私と由紀草一氏が主宰する「思想塾・日曜会」の体制がかなり充実したものとなりました。
一度、以下のURLにアクセスしてみてください。
https://kohamaitsuo.wixsite.com/mysite-3


●新著『日本語は哲学する言語である』(徳間書店)好評発売中。


http://amzn.asia/1Hzw5lL

●『福沢諭吉 しなやかな日本精神』
(PHP新書)好評発売中。


http://amzn.asia/dtn4VCr

●『表現者クライテリオン』9月号特集
「ポピュリズム肯定論」の座談会に出席しました。

●『表現者クライテリオン』11月号
「安倍政権の『新自由主義』をどう超えるか」

●『正論』12月号(11月1日発売)
「デジタルよ、さらば?!――スマホ一極主義の陥穽」

●『表現者クライテリオン』臨時増刊(11月14日発売予定)
「消費増税の是非を問う世論調査を実行せよ」