日本語を哲学する12
4節 言葉の本質
これまで、言葉の本質を導き出すための準備作業として、三つの基本命題を立て、それらの意味するところについて説いてきた。もう一度その命題を掲げる。
1 言葉の本源は音声である
2 言葉は世界を虚構する
3 言葉は思想そのものである
以上の命題の言わんとするところをよく理解していただければ、言葉の本質を規定することはもはやさほど困難ではない。
言葉とは、音声をその本源としつつ、自己を互いに投げかけあうことを通して思想を形成し、それによって共同存在としての自分たちを不断に創出していく営みである。
いくらかの解説と、予想される疑問・反論に対する弁明を必要とするかもしれない。
この定義で、「自己を互いに投げかけあう」というとき、実際に発話という行為に踏み出す側のことだけが考えられているのではない。前に述べたように、黙って人の話を聴いているのも言語行為である。
次章で詳しく扱いたいと思うが、さらに言えば、単に人の話を聴くために黙っているという心理的状態だけが言語行為であるのではなく、人と人とが具体的にかかわっているあらゆる場面で、そのなかのメンバーがさまざまな理由によって黙っているとき、それはすべて一種の言語行為なのである。なぜなら、それらの「沈黙」という様態は、そこにかかわる他者たちに必ずひとつの言語的な「意味」として受け取られるからである。発話をプラスの言語行為とすれば、いわば沈黙とは、マイナスの言語行為である(この「マイナス」という言葉には、価値的な意味を込めていない)。
また、ここで言われている「自己」とは、2節で指摘したように、何かあらかじめ内容をもった「自己」なる存在があるのではなく、ひとつの身体からの音声表出という物理的生理的な過程の形式そのものをそう呼んでいるだけのことである。中身はさしあたり空虚なのである。
なおまた、「共同存在としての自分たち」という言葉は、次の人間認識にもとづいている。その認識とは、人間はもともと他者とかかわりあう存在であるところにその本質があり、その本質は、一個の個人のうちに動的な構造として内在化されているという認識である。言語交流とは、まさにこの動的な構造のあからさまな出現の一形態なのである。
さて、次のような重要な反論が考えられる。
言葉は音声を本源としており、音声言語以前に思想はないとあなたは言うが、先天的な聾者が手話によって旺盛なコミュニケーションが可能になることを考えれば、音声が不在であっても言語は存在すると言えるし、また、じっさい音声なしに思想の交流を行なっているのだから、まず思想が人間のなかに生れて、それを種々の手段によって表現するという論理経路のほうが実態にかなっているのではないか。思想や思考が普遍的に存在し、音声言語はそれを表現するための特殊な手段にすぎないのではないか。
この反論に対しては、すでに1節で短い答えを出しておいたが、ここではもう少しよく考えてみることにしよう。
言葉の流通がほとんど障碍なくスムーズに行なわれるためには、そのメンバーが一定の言語共同体の中で生まれ育つ必要がある。日本語、英語、中国語というように、ある共同体の中でだけ通用する特殊な言語規範というものが現に存在し、それらはそれぞれ文法構造を異にしている。にもかかわらず、人間がもつ共通普遍の生活感覚、世界把握の仕方というようなものがあり、だからこそ言葉がちがっても翻訳によってかなりのところまでは疎通が可能なわけである。そのことはもちろん認めなくてはならない。
ところでいま、ひとつの思考実験として、完全に周囲から孤立した先天的な聾者だけによる共同体というものを想定してみよう。もし、人間のもつ共通普遍の生活感覚、世界把握の仕方というものがあらかじめあり、彼らもそれを完全に共有しているのだとすれば、その孤立した共同体の閉ざされた歴史のなかにおいても、人間にとっての普遍的な「思想」を表現するための特殊な表現「手段」(たとえば手話)が形成されていくと考えられそうである。
しかし、じつはこういう思考実験はただの思考実験として想定されるだけで、現実にはけっして成り立たない。先天的な聾者も必ず、すでに出来上がった言語文化共同体のただなかに生まれてその文化のあり方を支配的なものとして引き受けつつ育つのである。
さて、一定の言語文化共同体が出来上がるために絶対に必要な条件は、1節で述べたとおり、音声(音響)とその知覚によるメンバー相互の応酬の歴史が積み重ねられることである。この実践的交流の歴史のうえに言語の体系がいったん出来上がると(そこではすでに「思想」の交流もされている)、それは一見、その根源的な要因から自立して、あたかも音声言語とは別に、それ以前から「思想」を想定できる人間的な意識が存在していたかのような仮象が成立するのである。言い換えると、特殊な手段とは必然的な関係をもたない言語一般、思考一般、内面一般、真理一般というようなものが、音声言語以前にあったかのように感じられるのである。
だがそれは、1節と3節をよく読んでいただければわかるように、おそらく私たちの錯覚である。音響の知覚こそが私たちに共通の「内面」なるものの根源的な形成にあずかるのだし、人類史の起源においては、言語の形式的な本質の一側面をなす「概念」は、もういっぽうの側面である「分節化された響き=音韻」によって指し示されたのである。そしてこの「概念」こそは、思考が思考として成立するための不可欠な条件なのだ。
では、手話の体系はどうして成立したのかといえば、音声にもとづいてすでに出来上がっている言語(思考)体系を基盤として、それの代替機能としての新しい言語(思考)体系が作られたのである。これが可能なための必須条件は、先天的な聾者たちの周りに、音が聞えて音声言語を交わすことができる人たちが存在したことである。彼らの存在によってはじめて、聾の人たちは、生れてから早い時期に、この世界には「音声」という現象が存在してそれを交し合うことで人間の文化の中心部分が成り立っていることを知る。そこから旺盛な代替機能の創出が始まったのであろう。したがって手話は、音声言語の体系からまったく無関係に成立した言語とみなしうるものではなく、既存の言語体系との関係において作られた、より高次の言語体系である。だから反論者が言うように、「思想」が音声言語に先立つわけではない。
聴覚障害者、特に重度の難聴者は、概して精神発達が遅れがちであり、抽象的な思考や複雑な思想内容を理解するのが困難であるという話を複数の筋から聞いたことがある。また、18歳以上の厚生訓練施設で聴覚障害者を対象に知能検査を行うと、動作性検査では難なくクリアーできるために知的障害はないと診断されるが、言語性の検査を行うと多くが不合格になる。これは概して手話を習得してこなかったためだそうである。
現在でも、聴覚障害者は、言語を覚える大切な時期に周囲のコミュニケーション環境からほうっておかれたり、適切な言語教育を受けることができなかったりしがちである。また、軽度、中度の難聴者は、なまじ「聞こえている」と周囲が認定するために、自分でも無理にそう思い込まされ、音としては聞こえていても言葉として識別できないことが多い。その結果、音声言語の飛び交うコミュニケーション空間に突き出されながら、じっさいには何が話されているかわからずにボーっとしている期間が続いてしまう。そのため複雑な思考能力の発達が阻害されがちなのである。
言語を駆使できるようになって初めて思考が発達するのだから、これらの現象はある意味で当然のことだと私は思う。つまり、手話というよくできた代替機能を身につけることができない限り、音声言語を交換できないことは、それがそのまま思考や「内面」の未発育につながるのである。この事実は、言語以前に思想があるわけではないという私の論の傍証となるだろう。
ところで、このように言うと、聴覚障害児教育や研究に携わってきた人々から、さらに次のような反論が返ってきそうである。三つに整理する。
①あなたの論は、音声中心主義であり、現在の聴覚障害児教育の主流が口話法から手話中心に移りつつある動向を逆行させる危険性をはらんでいる。
②ボストン近郊のマーサス・ヴィニヤード島で使われていたヴィニヤード・サイン・ランゲージや、ニカラグァ聾学校(全寮制)の子どもたちの間で自然発生した手話の例などから見ると、音声言語以前に思想はないというあなたの考えは間違っているのではないか。これらの例は、チョムスキーが唱えた「人間には生得的に言語獲得能力がある」という説を証明するものでもある。
③先天的な聾者でも学力優秀な子どもは、読み書きをおぼえ、難しい本でも読解する能力を習得できるし、また高度な文章を書きこなすこともできる。もしあなたの言うように、読むことが「観念的な音声を聞く」ことならば、聞こえない子どもたちはどのようにしてこれらの能力を獲得したというのか。やはり音声言語以前に人間には「思想」する力があるのではないか。
①について。
これは、障害児教育の技術論的・方法論的な次元での批判だが、もしこういう批判が出てくるとすれば、それは、長きにわたる口話法教育が、聞こえない人たちを無理に聞こえる人たちの世界に引きずりこうもうとしてきた結果、思ったほどの成果を上げられなかっただけではなく、聾者の親や聾者自身の心理を自己欺瞞的なものにゆがめてきたという事実から来ていることになろう。親は自分の子どもが言葉をわかっていると思いたがり、子どもは聞こえているふりをして、貴重な数年間をやり過ごしてしまうケースが非常に多いといわれている。
障害児を健常児と同じ教室で学ばせる方法をインテグレーション(統合)教育と呼ぶが、このやり方にははじめから大きな無理がともなっていた。この無理には、「人間はみな平等だ」「傷害があってはならない」といった観念的な平等主義イデオロギーがたぶんに作用してきた面も見落とせない。また聾者と聴者との中間に位置して、口話法教育によって何とか聴者の文化に同化することができた「難聴者」たちは、青年期以後、かえって前二者の「異文化」のどちらにもうまく適応できずに悩むことが多いといわれている。(上農正剛著『たったひとりのクレオール』〔ポット出版〕、村瀬嘉代子編『聴覚障碍者の心理臨床』、村瀬嘉代子・河崎佳子編著『聴覚障碍者の心理臨床2』〔日本評論社〕など参照)
これらの事実が次第に明らかになり、そのために、むしろ聞こえない子どもたちやその親や教師は、聞こえないという現実を厳しく直視して、その子どもたちの真の人間的な自立のためにどんな教育法が適しているかを誠実に探求すべきだという主張が現在力を得てきている。聴覚障害児教育が手話中心に移りつつあるのもその一環とみなすことができる。
ただし、この方面に長年実践的にかかわってきたある専門家の言によれば、口話教育一本槍の弊害を切り捨てるために一気に振り子の針を反対にして、手話教育一本槍にしてしまうのもまたバランスを欠いている。早期教育において音韻発声のための筋肉運動の「おけいこ」を同時に行い、最終的に「口形を伴う完全手話」の形に到達させるのが理想的だとのことであった。なるほどこれなら、マジョリティが作っている言語文化体系への開かれた参加の道も確保できるわけである。
ところで、私は、口話法教育から手話教育中心へのこの(軋みをはらみながらの)転換、及びその背景にある主張をまったく正しいものと認める。むしろ遅きに失すとすらいうべきで、現実を見据えない理念だけの「反差別主義」イデオロギーが、インテグレーション教育のいいかげんな実態や聾学校の衰退を招いたことは、わが国の障害児教育にとって取り返しのつかない損失であったろう。
しかし、こうした社会実践面での主張がいかに正しいものであるからといって、それがそのまま、「言葉の本源は音声である」というテーゼを揺るがせるものとはならない。私は音声中心主義という「主義・イデオロギー」を語っているのではなく、起源から現在に至るまでの歴史的事実の重みを語っているのである。
すでに述べたように、いかなる言語文化、言語共同体も、代々の生活者たちが音声交流によって実践を積み重ねてきた長い長い歴史を基盤として成立している。文字、手話などの視覚言語、点字などの触覚言語は、一見、音声言語とはまったく独立に、聴覚とは異なる感覚を媒介にして成立した異質な言語文化であるように見える。しかしそれらは、音声言語と並立しているのではなく、音声言語文化を土台として、その上に開いた、より高次の言語文化なのである。
*今回の論考を起こすにあたって、聴覚障害の問題に長年かかわってこられたK氏のお話を参考にさせていただきました。私の奇妙な疑問に一つ一つ誠実に答えてくださったK氏に、この場を借りて深く感謝いたします。
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