小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

絶望の中の希望を若者の中に

2020年09月30日 20時29分08秒 | 政治


勤務する大学で、ゼミを受け持っています。オンライン授業なので、毎週レポートを提出させる形式を採用しました。
秋学期が始まってから第1回目のレポート課題を、次のように出しました。

《あなたが住んでみたい国を一つ挙げ、なぜそう思うのか、その理由を述べなさい。自国でもかまいません。また住みたい国はないというのでもかまいません。その場合でも理由をつけること。字数600字以上。》

これまで、20名のうち、14名の学生から提出がありました。内訳は、日本人学生10名、アジア系留学生4名。
この結果を見ると、留学生の中に2人、日本を挙げた者がいます。
また日本人学生では、日本を挙げた者2名、住みたい国は特にないと答えた者2名。この後者では、やはり、結局は自分の国に住むのがいいという結論でした。
すると、14名中、6名が、住みたい国というイメージを持たず、日本に落ち着きたいと考えていることになります。
理由はだいたいご想像がつくでしょう。治安の良さ、暮らしの便利さ(たとえば自販機やコンビニの整備)、人々の礼儀正しさや親切さ、災害時の秩序を守る態度など。日本は世界の中でも特殊だと、的確な指摘をする学生もいました。なかなかすぐれたレポートでした。
留学生で、日本をべた褒めしている子がいるので、その子には、もう少し日本の悪いところも見てほしいと講評しておきました。しかしいずれにしても、日本の学生も含めて、彼らの指摘する日本の長所が、客観的に見ても的を射ていることは確かです。
「暮らしやすさ」という観点に関する限り、複雑な問題を抱える諸外国から見たら、日本はまだまだ「天国」のように映っているといっても過言ではありません。
もちろん、日本人のお花畑思考、お人好し、外交力のなさ、主体性のなさ、グローバリズムに侵蝕されている現状、内政のだらしなさとそれによる凋落ぶり、などを講釈する場所ではないので、講評では、そういうたぐいのことには触れませんでした。長所が同時に短所としてあらわれることにもなるというのが現実なのですが。

ところで、そんなに世界情勢を勉強しているはずもないのに、こうした学生たちの素朴な表現には、何となく世界の現状に対する直感が働いているのがうかがわれます。もっとも、サンプル数が少なすぎて、ここから直ちに結論を導き出そうとするのには、慎重を期すべきです。

ひところ、と言ってもそう遠くない過去に、他国と比較して、いまの日本の若者たちが海外に進出していこうとする積極性が欠けていることを指摘する論調が目立ちました。それは実際数字に表れている傾向ですから、間違ってはいないのですが、この傾向を単純に嘆かわしいこととしてとらえるのが正しいかどうかは、また別問題です。
もしかしたら、コロナの疫病としての被害が欧米諸国に比べて極端に少ない原因の一端にも、この「心理的鎖国」がほんのいくらかは関係しているかもしれません。

さて財界、政界、官界、学界の主流は、デフレ脱却、コロナ恐慌回避の大前提をすっかり忘れて、外資歓迎の規制緩和、構造改革路線、中小企業潰し、消費増税促進の空気に沸き立っています。菅政権になってから、その傾向がさらに露骨に出てきました。
政権交代という単なる「儀式」に過ぎないものが、空気をすっかり変えてしまいました。いま自民党の中枢部からは、第三次、第四次補正予算の必要を訴える声が聞こえてきません。今さらながら、「空気」というものの恐ろしさに戦慄します。
代わって、竹中平蔵という売国男がにわかに元気づいて、ベーシックインカム7万円というとんでもない国民殺しの政策を吹聴するかと思えば、デーヴィッド・アトキンソンという不良ガイジンが、菅義偉・無能総理にべったり張り付いて、中小企業360万社を160万社に減らせという日本破壊の音頭を取ろうとしています。その菅政権、支持率何と74%!
一方、党幹事長に留任した二階俊博は、民間の対中国利権の代弁者たるべく、相変わらず習近平閣下の国賓招請を画策している模様。

こうして奈落の底に落ちようとしている日本。
革命が起きてもおかしくない、と思うのは一部少数者だけで、実際にはマスクも取らずに過酷な状況に静かに耐えている大多数の日本人がいるだけです。そんななかで、ほとんどの若者たちは、政治経済はおろか、海外進出への意欲すら示さず、おとなしくバイトにいそしんでいます。

財政破綻危機の大ウソが功を奏して長い長い時が過ぎました。先日、私の親しい友人が、遅まきながら国債の返済不要性と銀行の信用創造の理屈を数人の知人に話してみたところ、だれもが「そんなバカな」と、聞く耳を持たなかったそうです。
この絶望的な状況の中で、私は苦し紛れにこういうことを考える――若者たちの意欲喪失による「心理的鎖国」状態は、ひょっとして、一つの希望をあらわしてはいまいか、と。
つまりこうです。
世代交代が進んで(もちろんいまの政府の中枢を占める売国男どもには引導が渡され)、内向き志向の若者たちが働き盛りの年代になれば、それがかえって内需の拡大にむすびつくのではないか、と。
この心理的鎖国状態をうまく活用すれば、ひょっとして現実的鎖国状態を作りだすことは不可能ではないのではないか、と。
もちろん現実的鎖国状態と言っても、それは程度問題です。
オール・オア・ナッシングがいいとは思いませんし、資源、食糧の安全保障で大きな危機を抱える日本が、他国に依存せずに自給自足経済を維持することなど不可能事中の不可能事です。
しかし、コロナや米中戦争でブロック化しつつある世界経済の現状は、ひょっとして(という言葉をすでに3回使ったのですが)、バランスある半自給自足状態を実現する糸口になるのかもしれません。
もしそうなら、いまの財界、政界、官界、学界に君臨するオヤジどもは、いつまでも新自由主義やグローバリズムのイデオロギーに金縛りになっていて、早晩、古臭いゾンビと化するのではないか。
あと20年後、30年後の日本は、意外と需給関係のバランスがとれた経済社会を実現できている可能性が無きにしも非ずです。
もちろん、そのためには、PB黒字化だの消費増税だの福祉破壊のBIだの中小企業潰しだのといった、日本国消滅の元凶をすべて取り払うべく、私たちが不断の努力を重ねて、若者世代のための露払いを行なっておかなくてはなりませんが。

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東京愛と愛国心とナショナリズム

2020年09月16日 23時51分01秒 | 思想


先日、当方が主宰している映画鑑賞会「シネクラブ黄昏」で、上映作品が比較的早く終わったので、そのあとの談話に花が咲きました。映画の感想にとどまらず、話がいろいろな方面に広がったのです。
上映作品は、オムニバス映画『世にも怪奇な物語』のフェリーニが監督した部分、「悪魔の首飾り」でした(この会では、毎回上映者を変えて、その人が思い入れのあるDVDを持ってくることになっています)。
フェリーニのローマに対する執着は相当なものなので、談話の中で上映者が「ローマやパリなど、首都をテーマにした作品はたくさんあるが、東京をテーマにした映画はほとんどない。面白い町なのだから、だれか作ってほしい」という見解を述べました。
そう言えば確かにそうです。私は少し考えてから、次のような意味のことを述べました。

それは、結局、東京に住んでいる人たちが東京を愛していないからではないか。東京という町は、浅草、日本橋など、江戸のコアの部分から、近代化に伴ってどんどん無原則にスプロールしていった。東北地方からは東東京に住民がなだれ込み、西からは西東京に住民がなだれ込んだ。その結果、へそのないメガロポリスに発展した代わりに、その圏内に池袋、新宿、渋谷、品川、吉祥寺、北千住など、いくつかの「部分都市」が誕生した。これらの「部分都市」の住民は、それぞれの町に対する愛着を持っているだろうが、東京全体に対して愛着感情を抱いているとは思えない。かつての江戸住民は落語などに表現されているように、江戸の町に対する愛着を確実に持っていたが、急速な近代化の過程で江戸情緒的な雰囲気は次々に壊されてしまった……。

すると、上映者の方が私の言葉に呼応して、「そう言えば、外国人観光客が東京に来ても、東京の伝統的部分に感心するんじゃなくて、自動販売機がどこにもあるとか、高速道路が一般市街地の上をまたいで通っているとかを面白がってるんですよね」と。
また誰かが、「やっぱり石造りの建築は何百年の歴史を持つけど、木や紙でできている日本建築はすぐ建て替えられますよね。地震も多いし。その代わり、パリなんかでは、電気・ガス・水道などの近代的インフラを古いアパルトマンに整備したりメンテナンスするのがたいへんで、故障しても修理してくれないのが当たり前なんですね」と。

これに付け加えて後から考えたことですが、やっぱり、「都市」というものの成り立ちが、ヨーロッパと日本ではまるで違います。よく言われることですが、ヨーロッパの都市はもともと城壁で囲まれていたので、市民には農村との間に確固たる境界の意識がありました。いわゆる「ポリス」ですね。都市住民の結束と愛着が強いのも歴史的な由来があると言えるでしょう。
これに対して、日本の都市は、ニワトリかタマゴかみたいな関係で発展してきていて、市が立てばそこに人が集まってくる。お寺があればそこを中心に商業地ができる。海運に適していれば港を作る。城下町にしても、町に城壁があるわけではありません。何となくそこに社会資本が集積していったというのが実情です。
おまけにあらゆる情報や流通機能が集中する現在の東京のようなメガロポリスになってしまっては、まことに便利このうえないとは言えても、いまさらそこに愛着のような情緒的なものを育てようとしても無理ではないでしょうか。

話を少し広げてみましょう。
私は日本滅亡の危機を常に訴えているナショナリストですが、「愛国心」という言葉が好きではない。かなり嫌いなほうに属する言葉です。愛国心が必要だとか、愛国心教育を、などと書いたことは一度もありません。そういう主張に意味を認めないのです。
それはネトウヨと名指されることを避けているからではありませんし、サヨク的な心情に呪縛されているからでもありません。
倫理の起源』という本に詳しく書いたのですが、この言葉は、そもそも概念があいまいです。
「国を愛する」とは? 巨大な社会システムと化したこの「共同幻想」に対して、女を愛するように熱い私情を差し向ける? どのようにすればいいのでしょうか。
ふつう、この言葉を好んで使う人々は、深い考えもなしに、日本人として国を愛するのは当然だろうとか、身近な人々への愛や郷土愛からだんだんその気持ちを広げていって国への愛にまで到達すればよいなどと漠然と思っているようです。
しかし、日本のような巨大な近代国家は、残念ながらそういう私情を受け入れてくれるほど単純には出来ていません。私情と巨大な近代国家との間には、連続性が認められないと言い換えてもよい。

これは、次のような例を考えればすぐわかります。
国家がやむをえず戦争を始めてしまった。大量の兵士が必要です。兵士たちには愛する妻子がいる。長く住んできた郷土にも愛着を持っている。しかし、戦場に赴くには、人や土地と別離しなくてはなりません。戦争を遂行する国家を憎むわけではないし、「おくにのために」喜んで戦う決意も人後に落ちない。
しかし事実として、人や土地との別離は避けがたい。つまりそこには越えられない切断線があり、それが彼の身体を引き裂くのです。
要するに愛という私情は、国への忠誠と根源的に矛盾するのです。このことは平和時でも言えて、企業社会や公共体での活動に精を出せば出すほど、家族への愛や倫理を実践することが困難になります。古くて新しい問題です。

愛国心という言葉を安易に使わないようにすることにして、ではどのように考えればよいでしょうか。
これは、ナショナリズムというカタカナ語を、私たちの頭や心の中でどう処理すればいいかという問題にかかわっています。
ナショナリズムという用語は多義的です。『大辞林』を引いてみましょう。
一つの文化的共同体(国家・民族など)が自己の統一・発展、他からの独立をめざす思想または運動。国家・民族の置かれている歴史的位置を反映して、国家主義、民族主義、国民主義などと訳される。
他の辞書やウィキだと、「国粋主義」も入れているようですが、これはあからさまな排外主義のニュアンスが強いので、外した方がいいでしょう。
ここでは、三つ目の「国民主義」を採用します。国民生活の安寧、豊かさ、幸福を第一に考える――私も先にナショナリストだと名乗りましたが、こういう意味合いでナショナリズムという言葉を理解すべきと確信しています。
で、こう理解すれば、すべての国民の安寧や豊かさを目指すという理念がそこに含まれますから、ナショナリズムに反対する日本人は、いないはずです。もちろん反日サヨク、コスモポリタン的リベラリスト、国家によって人権が保障されていることを自覚しない人権真理教信者、グローバリスト、ネオリベ、リバタリアンなどがうようよいますから、現実には、この理念はなかなか実現できないわけですが。

さて国民主義としてのナショナリズムを少しでも発展させることにとっての必要条件とは何でしょうか。
それはもとより「愛国心」というような感情的な概念ではありません。こんなに複雑化して、どこにその実在性があるのかわからなくなった超抽象的な幻想の存在に対して、「愛」などを差し向けることは不可能です。大方の日本国民も、そういう実感を持っているだろうと思います。国家の実在性(政府の実在性ではありません)が希薄にしか感じられなくなったということは、逆に言えば、人々の生活が極度に個人化・バラバラ化してしまったということでもあります。そうした社会構造上の事情があるところで、愛国心が必要だと百万回叫んでも、それは、戦争をなくしましょうと百万回叫ぶのと同じで、何の効果も生みません。

では、ナショナリズムを少しでも活かす必要条件とは。
第一に、国家の危機は当然、国民生活の危機としてあらわれますから、その危機の本質とは何か、危機を作りだしている主犯格は誰かを冷厳に見極める認識力が必要とされます。
第二に、その認識の力を少しでも活用させようとする意志の力が必要です。
第三に、その意志を共有して運動に発展させるための実践力(政治力、組織力)が必要です。
第四に、こうした運動は理解されないのが常ですから、挫折を経験してもめげない持続力が必要です。
目下の対象である国家に対処するには、こうした理性的な姿勢があくまでも要求されます。

教科書的な言い方になってしまいましたが、いまの日本国民には、さまざまな歴史的・社会的・民族的事情から、この四つがはなはだしく欠落しているように思えてなりません。
中央政府がどんなひどい過ちを犯していても、大多数の国民はそれを認識しようとしません。
また自分たちが政府からどんなに不当な仕打ちを受けていても、ほとんどの国民は、声をあげずに我慢しています。
もっとひどいことに、その政府を積極的に支持する国民がわんさかいます。
要するに、権力依存の習慣が染みついてしまっていて、主体的に考えよう、何かしようという気概をすっかりなくしているのです。

いまの日本はポンコツ車のようなものです。ポンコツ車を何とか修理してまともな状態に戻すには、何が必要でしょうか。
その車を愛してみても始まらないでしょう。むしろ、どういう高度な技術が要るのかという、機能的な対応こそが求められているのです。

初めに、東京都民は東京を愛していない、それが東京をテーマにした良い映画ができない理由だ、そしてそこには都市成立に関わるそれなりの歴史的事情があると述べました。日本全体に関しても同じことが言えます。
元気・やる気・公共精神を喪失した日本人。事態に悲憤慷慨する前に、なぜ日本人がそうなってしまったのか、そこに焦点を合わせて、多方面から考察することが先決です。
菅義偉という何もわかってない人が総理の座についたひどい政局劇の直後に、言っても無駄かもしれないと思いつつ、ごく基本的なことを書きました。


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「集団免疫獲得説」噺

2020年09月15日 00時03分25秒 | 文学


【ブログ管理人前口上】みなさま、本日は小浜席亭へようこそお出で下さいました。新型コロナウイルス感染予防のため、座席はソーシャルディスタンスを確保し、一席ずつ空きを取っております。また会場内では、必ずマスクをご着用ください。大きな声での会話はお慎みください。掛け声はご遠慮願います。笑いたくなっても極力我慢していただき、どうしても我慢できない時は、できるだけ声を低めてお笑いくださるようお願い申し上げます。また、お帰りの際には、順にご退席いただくようご案内いたしますので、ご着席のままお待ちください。みなさまにはいろいろとご迷惑をおかけいたしますが、ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。それでは、最後までどうぞごゆっくりお楽しみください。
          
                         賽子亭薮八(さいころていやぶはち)

 落語には「地噺」と呼ばれるジャンルがあり、八つぁん熊さんのやりとりではなく、噺家独り語りの与太話で、形は漫談と同じだけれども、おそらく枕の発展型ではないかと思われる。四代目鈴々舎馬風の得意芸で、遠い昔、ラジオで聴いた。風刺の効いた際どい毒舌に人気があり、子どもの私に風刺がピンときたかどうかは怪しいが、けっこう楽しみに聴いて、その口舌は少し覚えている。

 藪八:
てなわけで四代目馬風師匠の前座として、賽子亭の与太話にしばしのおつきあいのほどを。
 小浜席亭のブログで上久保靖彦先生の集団免疫獲得説が話題になっとりやすね。あたくしも感染症やウイルス学は畑違いでズブの素人。さりながら、ヤブの薮八とはいえ、エッヘン、それがしも医者の端くれ。端くれもうんと端っこの端くれとは申せ、素人にちょっぴり毛が生えておりやす。ま、オバQの頭のテッペンくらいの毛で、威張れる代物じゃありやせんが・・・。そいつを頼りにコロナの一席。
上久保先生の出発点は「ウイルスの干渉(競合)」で、これは「インフルエンザに罹ったと思ったら風邪まで引いちまったぜ、ハックション!」てことが、なぜか起きねえ。その説明をするもんです。インフルが重いんで風邪は紛れちまうてぇわけじゃなくて、一つの細胞組織に二種以上のウイルスは住めねぇのがウイルス界の掟。国で言や「領土問題」。ヤーさんで言えば「縄張り問題」。複数種のウイルスが同じ細胞組織に侵入すると競い合いになって、勝ったウイルスだけがその組織で増殖できる。だからインフルと風邪とを同時に患う心配は無用。これが「ウイルスの干渉」。
さて上久保先生は、冬にぐっと増え春にぐっと減るパターンを毎年繰り返すンフルエンザが、今年に限って、例年ならピークの1月に逆に急減した事実に目をつけたんすね。これは不思議、一体、何があった? 
あたくしの灰色の脳細胞は、この急減を一目見て、インフルエンザに対する「ロックダウン」が秘密裏に行われたに違いねえと睨みやしたね。秘密の三密。何せ、インフルは怖い。日本だけでも2017年に2566人、18年に3329人、19年には3412人も死んでおりやす。新型コロナはワクチンも治療薬もないからヤバイと皆さん口を揃えますが、インフルはワクチンや治療薬があってこの数字。ヤバかありやせんか。インフルも重症化すればICUのお世話になりやすし、病状次第ではECMOも使うに違えありやせん。コロナに周章てて首相が「学校ぜんぶ休みにせい!」とお達しする以前から、インフルでの学級閉鎖や学校閉鎖が繰り返されておりやした。
ただねぇ、こいつについちゃ、やれ有名人の某がインフルに罹った、やれ今日は何人インフルで死んだ、本日のインフル感染者数とか、いちいちご親切に報じてくれるメディアがなかったんで、日本中「知らぬが仏」だっただけのこってすね。このあんまりの差別にインフルウイルスは「不公平だ! 偏向報道だ! 新顔のコロナばっかりに目を掛けやがって!」と怒っとりやすよ。
てなわけで、3年続きのインフル流行にも、年々増えるインフル死者数にも無関心なマスコミや世間に、「このままじゃヤバイ!」「もう当てにせんわい!」と、誰が号令するでもなく黙って三密回避を始める日本人が出てきて、それがインフル急減させたに違えねえ。え? 「そんな話きいたことない、そんなことした覚えない」とおっしゃるんで? ふむ、そこがそれ「黙って秘かに」なされた証しでさ。メディアやネットで騒ぐばかしが日本人じゃありやせん。不言実行。男は黙ってサッポロビール。奥ゆかしいなあ。
ところが上久保先生のお説は、こうなんすね。日本には昨年末から1月にかけて中国からすでに初期の新型コロナが渡ってきて、それがインフルとの間で「ウイルスの干渉」を起こした。インフル急減が起きたのはそのせい、と。ふーむ。わが「秘密裏のロックダウン説」は、なんせ「秘密裏」ですから証拠が無え。エビデンスがないのがエビデンスじゃあね・・・。インフルフル急減の説明としちゃ、ウイルス干渉説のほうが何やら科学的ですなぁ。
しかし、御説鵜呑みも癪なんで、ちょいと屁理屈をこねやす。「ウイルスの干渉」たあ、要は椅子取りゲーム、侵入口となる細胞レセプターの奪い合いで、問題は何が勝敗を決めるかすね。早いもん勝ちだったり、大量動員したもん勝ちだったり、ウイルスによってレセプター侵入力に優劣があったり、勝利の方程式は複雑なんでしょうな。インフルがわが世の春とばかりに、いや、わが世の冬とばかりにのさばっていた日本国に初期新型コロナが襲来、驕るインフルに待ったをかけたちゅうのが、上久保先生の干渉説。でも、インフルは急減したもののすぐ新型コロナの流行が始まったわけじゃない。勝利の方程式は複雑で、コロナ圧勝とはいかずインフルの足を引っ張るのが精一杯だったのか、双方譲らず相打ち共倒れになったのか。
なぜ、すぐコロナ流行が起きなかったか。ここが上久保説のミソで、干渉を起こした初期新型コロナは、感染力に比して病原力は弱かったからだ、と。現在の新型コロナも感染者の8割は無発病か軽症ですから、これは十分考えられやす。だから、感染しても発病しなかったり「おや、風邪かな」で済んだりで、誰もコロナ襲来には気付かなんだ。気付かねば、「ロックダウン」だ「三密」だ「マスク」だの言い出す者もいやせんね。渡航制限もなし。こうなりゃ、遠慮なく感染は拡がりますよねぇ。「病気」として表面化しないだけで、水面下で「感染」がどんどん拡がる。免疫は感染によって得られるんで、この見えねえ新型コロナの感染拡大に合わせて、このコロナに免疫を獲得する者も知らぬ間に急増。これが上久保説ですな。人工的に無害な感染を起こして免疫をつけるのがワクチンなら、こいつはいわば天然自然のワクチン接種。
ところが武漢で流行ったのは、上久保先生によればその変異型(g型)の新型コロナだった。こっちは病原性が高く、当初の隠蔽もわざわいして、武漢にパンデミックをもたらし、このウイルスが欧米に渡って多数の死者を生みだし、グローバルなコロナパニックに火をつけた。ところが、その欧米に比べ、日本の死者数は現時点では去年のインフル死者にも遠く及ばないほど少ない。初期型コロナの水面下の流行によって多数がすでに免疫を獲得しており、それが変異型の新型コロナにも有効だったからだと先生は仰いやす。
社会内でその伝染病に免疫をもつ人口比が一定以上になれば、感染がネズミ算的に拡がることはなくなり、パンデミックの心配は消える。これが「集団免疫」で、日本はこの域に達しとるちゅうのが、先生の主張すね。ラッキー、ああ、よかった! それに対して、欧米は早々と渡航制限、ロックダウンを徹底したのが裏目になって、初期コロナによる「天然自然のワクチン」接種を経ることなく、いきなり変異型のウイルスを迎え撃つ羽目に。アンラッキー!
以上が、頭のテッペンの毛が三本でキャッチした上久保説の骨子でして。先生は初期コロナをs型とk型に分けてもうちょい話をややこしくしとりますが、これはインフルの流行曲線に落ち込みが二か所あるためでしょうな。このようにマスとしての病気の動きを数理的・統計的に解析するってぇのは、疫学研究でよく使われる手。ただ、s型、k型、g型の検証となりゃ、各時期のウイルスの物質構造の緻密な解明が必要で、その道の技術をもつ専門家を待つほかありやせんなあ。理論物理と実験物理みてぇな関係。
あたくしが上久保説にいちゃもんつけるとすれば、日本人に免疫をもたらした初期の新型コロナが中国生まれで中国からの渡来なら、中国でもその水面下の大流行が起きて大勢に免疫が獲得されていたはずではないかという疑問でしょうなあ。このへん釈然といたしやせん。
ついでに言やあ、集団免疫ができたとは、感染爆発やパンデミックの心配がなくなったってぇことで、個々の人がコロナになる心配が消えたってぇこっちゃありやせん。免疫をまだ得てない人口の何割かは感染のチャンスも発病のリスクも幾らでもありやす。「集団免疫があるから」マスクもソーシャルディスタンスも不要っていう先生のご託宣は、大きな誤解を招きやすね。同じ理由で「感染者がまだ毎日でてるじゃねぇか」てぇのも、集団免疫獲得説への反論・反証になりやせん。
さて、毛が生えた程度の医学談義、お粗末な前座噺はこの辺で。お後はいよいよ真打ち、馬風師匠のご登場を。

                 *

馬風:
おう、よく来たな。このコロナ渦中で。よっぽど感染が怖くねぇ命知らずめ。自粛で仕事なくなっちまって、どうせ行くとこねえんだろ。ま、カップ片手にソファにくつろいでステイホームしとる優雅なお方は、寄席なんぞに来なさらねえよな。『デカメロン』も黒死病蔓延の巷を逃げて別荘にステイホーム、艶笑譚に興じていられる特権的な方々のお話よ。ステイホームなんて横文字の居場所なんぞ、わしらにはねえんだ。ハチミツだかサンミツだか知らねえが、このとおり寄席もがらがらだ。来てくれてありがとう。
ステイホームと言やあ、そんなもんいらんっていう、あの上久保先生のナントカ説。理屈が難し過ぎらあ。カミクボ先生、もうちょいカミクでえて説明してくだせえよ。ま、理屈なんかどうでもいいんだ。あの御説がけっこう受けてるのは、自粛やら三密禁止やらソーシャルディスタンスやらに、あたしらみんな、内心、イヤになっちゃってるせいじゃありやせんかい。ああ、やんなっちゃった。ああああ、驚いたって。やってられっか、こんなこと! おっと(見まわして)・・・でえじょうぶ、でえじょうぶ、ほとんど誰もいねえな。こんならネットで叩かれる心配はあるめえ。客がいなくて喜んでどうする。ま、こんなふうに気を遣わにゃなんねえ空気が情けねえ・・・。さあ、ここなら気兼ねはいらねえ、お客さんも大声でどうぞ。パチンコいきてえ! 飲み屋にどっと繰り込みてえ! 行楽に行きてえ! どうせいくなら賑やかなとこ行きてえ! 歌舞伎町のどこが悪い! 寄席は大入りじゃなきゃ寄席じゃねえ!
国民の生命が優先か、国の経済が優先かみてぇな大上段の議論は、あたしにゃどうでもいいんで。パチンコいったり飲みにいったりのふつうの暮らし、ふつうの楽しみがなくって、何が生命、何が経済でぇ。マスクして高座あがって何が落語でぇ。
いやあ、こいつは、この「非常時」にあたしのワガママ、自己チュウですかねえ・・・。どーもすいません。三平だね。反省。いやいや、そうたぁ言い切れねえ。あたしらの心の底には、ロックダウンだの自粛だのステイホームだの、ホンマに役に立つんかい?って疑惑がヒソカに頭もたげちゃいやせんか。上久保先生の話は、小難しい理屈はともかく、その疑惑の琴線に触れてくるんじゃありやせんか。だって、あんだけ泡食って国民あげて自粛しあって、「やったぜ、頑張ったぜ」「日本モデル」とか自画自賛したのは一瞬のマボロシ。緊急事態宣言解除したらみるみる感染拡大。元の木阿弥。一体あたしらは何を頑張ってきたんだ? あの自粛、なんだった? と疑わねぇほうがおかしいや。
ど素人の頭で考えても、おかしいだろ。自粛してみんな引きこもっておりゃ、そのうちにコロナウイルス、「日本人ちとも出てこないあるね。来た甲斐ないあるね。国に帰るあるね」と中国に引っ返してくれるんかい? 感染先に窮してウイルス野郎みんなホームレスになって、そのまま野垂れ死んでくれるんかい? ホームレスになりそうなのは、こちとらだ。解除早すぎたとか、また緊急事態宣言せよとか、自粛守らん奴には罰則をとか言うんなら、何年何月何日まで自粛続ければウイルスどもが消えちまうのか、そいつを責任もって言ってくれ。
いくら自粛したって消えちまわねぇだろな、きっと。上久保先生の話からあたしの頭でも分かるのは、メンエキってもんが出来ねえかぎり、感染は起きるってこった。だが、感染しねえかぎり、メンエキってもんは出来ねえ、と。ややこしいこったなあ。あたしゃ、酒がなきゃあ働く気になれねえが、働かなきゃあ酒が買えねえ。や、これは違うか。自粛しとれば、確かに感染はしねぇが、代わりにメンエキもできねぇ。だから自粛やめたとたん、またぞろ感染が増えるのは当たり前の話じゃねえか。第二波もへったくれもあるかい。
感染の増加ってぇのは、メンエキの増加で、長い目で見りゃだんだんコロナ発病減ってくってこっちゃありやせんか、めでてぇ、めでてぇ。え? 感染して死ぬ者もいるんだ、「めでてえ」なんてもってのほかって。どーもすいません。また三平だね。人の命は何より大事、感染なんて万が一にもあっちゃなんねえ。それもご尤もなご意見だが、去年インフル感染で大層な数の高齢者が亡くなっても、そのときゃ誰もそんなこと言わんかった。そこが、わけ分からねえ。
あたしみてぇなよいよい爺さんはいいやね。どっちみち長ぇことねえからな。若えもんが可哀想だ。若くて元気だから感染しても滅多にゃ発病しねえ、しても大概軽く済む。遊びてぇ盛りだ、もっと遊ばせればいいじゃねえか。働き盛りだ、もっと仕事させればいいじゃねえか。ところが、若えもんが外に出りゃコロナ拾って帰ってきて、本人は発病しねえとしても、そのコロナが高齢者に感染する。だから、若者よ、高齢者を護るため外に出るな、とのたまう。いつから日本は敬老精神溢れるお国になったんだ。だったらあたしの老齢年金、もうちっとは上げてくれ。
誰がのたまっているかと思やあ、中高年のエライさんじゃねえか。元気な若者への焼き餅か、巻き添えで手前がコロナに罹るのがイヤなんだ。ロックダウン、自粛、ステイホーム。どれをとっても、それをしたってとうぶん困らねぇ金のある年寄りの生き延び策に違えねえ。たんと長生きするがいいさ。金のねえ若者こそ災難だ。明日の釜の蓋は開くのかい?
商売もおんなじだ。このぼろい寄席小屋はもうもたねぇよ。今宵が最後か。ひい、ふう、みい・・・お客さんは四ったりだ。来てくれてありがとうよ。寄席の向かいの蕎麦屋。爺さん婆さんふたりで細々やってる旨い店だが、たたむってよ。あのふたり、これからどうやって食ってくんだ。敬老精神よろしくな。個人のちっぽけな、でも味のある店や仕事がどんどん潰れていく。いやさ、潰されていく。このコロナ騒ぎで世界中そうなってくんだろうなあ。ロックダウンや自粛にも生き残り、焼け太るのは、エゲツねえグローバルな大資本ばっかりだ。いずれ、コロナ不況からV字回復するにはこれしかねぇとか言って、そいつらをどんどん受け入れてくことになるだろうよ。何もかも巻き上げられちまわあ。この寄席も蕎麦屋の跡地も、この懐かしい街界隈、ひとまとめに買い叩かれて、ローラーで押し潰されて、そこにおっ建つのは中国資本やラスベガス資本のド派手なカジノか。やったあたしに言わせりゃ、博打、賭け事なんざ隠れてやってこそ味わいがあらぁ、どっかの検事長さんもそうだったじゃねぇか。情けねえ。落語がこんな愚痴になっちゃおしめえだ、お後がよろしいようで。いや、もう後はねえかも・・・友よ、サラバ。


安藤裕衆議院議員を自民党総裁に

2020年09月02日 23時33分47秒 | 政治


日ごろ筆者は、「政治評論家」と称する人々をあまり信用していません。
政局の変化に応じて個々の政治家や派閥の動向を、競馬の予想屋のようにああだこうだとマスコミで語りますが、その知識は競馬場や厩舎の周りをうろうろするところから得てきたもので、日本のこれからにとってどんな政策をとるべきかといった肝心な問題について真剣に議論しようとする姿勢がないからです。
すべてを信用しないと言っては、少数の立派な人に失礼ですから、「概して」と断っておきましょう。

さて8月28日に安倍首相が辞意を表明し、新しい自民党総裁が9月14日に選出されることになりました。菅、岸田、石破の三氏が出馬表明をし、当選者の予想や、ポスト安倍の政策運営をだれだれはどうするといったにぎやかな「政治評論家」的議論が交わされています。そんなに大騒ぎすることかなと筆者などは思うのですが、国民の多くも冷ややかに見ているだけではないでしょうか。
安倍路線を引き継ぐにしろ、少しばかり新機軸を示すにしろ、彼らにこの沈みゆく難破船「日本丸」を劇的に救い出すことなどできるはずがありません。なぜなら、安倍首相一人が辞めても、彼を取り巻いてきた、竹中平蔵に代表される諮問機関の委員たち、経団連、経済同友会などグローバリズム企業の代表機関、それに財務省、さらにその向こうにアメリカや中国の「日本食い」勢力などががっちり包囲網を固めているからです。

今さら去りゆく安倍政権の負の「レガシー」をあげつらってみても仕方がありませんが、現在の日本丸がどういう惨憺たる状況にあるかをおさらいするためには、少しは意味があるかもしれません。

ここに、三橋貴明氏が安倍政権の「負のレガシー」を手際よくまとめた一覧がありますので、少しだけアレンジして借用いたします。
https://38news.jp/economy/16605
●緊縮財政系:
・プライマリーバランス黒字化目標堅持。
・新規国債発行減額。
・二度の消費税増税。
・公共投資、地方交付税交付金、科学技術予算、教育支出、防衛費、防災費、診療報酬、介護報酬など
の抑制と削減。
・公共病院統廃合と病床の削減。
・国民の社会保障負担の引き上げ。

●規制緩和系:
・派遣拡大、残業代ゼロ制度。
・混合診療拡大。
・水道民営化。
・非正規公務員割合の拡大
・モンサント社(現バイエル)の農薬グリホサートの安全基準引き上げ
・種子法廃止(種苗法改定法案も閣議決定)
・農協改革、農地法や農業委員会法の改定。
・漁業法改定。
・国家戦略特区にてグローバリズム政策を実行。
・電力自由化。
・民泊拡大や白タク解禁の検討、シェアリング・エコノミー推進。
・IR法(カジノ解禁)。
・法人税減税。

●自由貿易系:
・TPP、日米FTA、日欧EPAなどの自由貿易協定。
・移民受け入れ拡大。
・インバウンド依存推進のためのビザ緩和。
・外国人の土地購入推進。

いやはや偉大なレガシーですね!
これだけ国民を苦しめる政策を一貫して取り続けた政権は、歴史にその名を刻まれて「名誉ある地位」を占めるでしょう。
その結果、何が起きたかも見ておきましょう。
・25年続くデフレの継続・悪化
・実質賃金:マイナス15%
・2019年10~12月期におけるGDP:前期比年率マイナス7.1%
・2020年1~3月期におけるGDP:前期比年率マイナス2.2%
・民間最終消費支出2014年4~6月期:前期比マイナス4.8%
・民間最終消費支出2019年10~12月期:前期比マイナス2.9%
・鉱工業生産指数2014年消費増税時:前期比マイナス4.9%
・鉱工業生産指数2019年消費増税時:前期比マイナス9.1%(東日本大震災時よりも悪化)
・民間設備投資2019年消費増税時:前期比マイナス4.7%
・世帯収入中央値:95年550万円から、2017年には423万円に
・2017年世帯所得分布:年収100万円台~300万円台が41%に
・ワーキングプア:96年の800万人から安倍内閣発足後1100万人を突破し、以後高止まり。
・生活保護世帯数:97年(63万世帯)以降激増し、2014年160万世帯を突破、以後高止まり。
・金融資産ゼロ世帯割合:95年に8%、以後急増し、2012年に30%を突破、以後高止まり。
・非正規労働者割合:2014年に37%を突破、以後高止まり。
・非正規労働者の平均賃金:正規労働者の65%(2018年)、地方公務員は三分の一未満。
・子ども食堂:2012年ごろ開設。2016年319か所、2019年3700か所。

というわけで、「一億総活躍」してきたわけでございます。
そこにコロナがやってきて、2020年4~6月期GDP前期比年率マイナス28.1%という仕儀に至りました。
上記総裁候補のだれも消費税に手を触れようとしませんし、仮に触れたとしても、期間を1年に限って2%の減税がせいぜいのところでしょう。これでは、景気回復効果はゼロに等しく、財務省やそのまわりをうろつくゴロ学者、マスゴミどもに「ほら、減税してもやっぱり効果がなかったじゃないか。さあ、これからはコロナ税で取り返さなくっちゃ」という口実を与えてしまいます。池上彰センセイ、万歳。おまけに、「財政出動、緊急時だからこそこれだけやってあげたんだぞ」とばかり、再び「財政健全化」に勢いづくこと疑いなしです。

さて、どうしましょう。
安藤裕衆議院議員が代表を務める自民党の議員連盟「日本の未来を考える勉強会」では、コロナ以前から消費税ゼロ、大胆な財政出動を主張してきました。このたび、ひどい経済的なコロナ禍から少しでも回復方向に舵を切るために、第二次補正予算の成立に獅子奮迅の働きを示したのはこのグループです。もちろん、まだまだこんなものでは足りません。第三次、第四次が必要でしょう。
そのため安藤グループは、消費税の廃止、休業を余儀なくされた経営者への100%粗利補償、真水100兆円の国債発行など、真に実効性のある政策を提言しています。
野党勢力も含めて、いまの政界の中で、このグループと西田昌司参議院議員以外、まともな提言を掲げている勢力はいません。彼らを応援し、安藤代表に14日の総裁選に立候補してもらう――これが現在考えられる唯一希望の持てる選択です。
安藤グループは、インフレ率の制約さえ守れば、政府がいくら財政出動をしても一向に困らないという事実を理解している数少ない人たちです。窮乏化した国民を救い日本の経済を立ち直らせることこそは、国家の役割です。この人たちは、そのために財源など気にする必要がないことを、理論的根拠をもってしっかりと認識しているのです。
もちろん、諸般の事情から見て、上記の政策提言が、そのまますんなり通るのは至難の業でしょう。また安藤代表はまだ三回生で、上層部を占める支配勢力が、その言い分を素直に聞くとも考えられません。しかし、これ以外に日本の危機を救う道が考えられないのだとすれば、この際、少なくとも一つの重要なステップとして、安藤氏に立候補してもらい、その存在感を内外に印象付けることには、大きな意義があるのではないでしょうか。ほとんど安藤氏や参議院議員の西田昌司氏だけが、現職の有力国会議員の中で、与党という有利な立場にいつつ、しかも正しい主張をしているのですから。

仮に万一、安藤氏が総理大臣になったとしても、先に述べたような強大な勢力に阻まれて、何もできないで終わってしまうのではないか――こういった悲観論を言う人もいます。もっともな意見と思います。もしかしたらそうかもしれません。しかし、スタートラインの前でこのまま足踏みし続けていたのでは、日本丸はブクブクと沈没を進行させていくだけです。やってみなければわかりません。
総裁選告知日は8日です。筆者は、この数日の間に安藤氏が立候補の届け出をしてくれることを、切に期待して已まない者です。
「絶望の虚妄なることは、まさに希望と相同じい」(魯迅)

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