小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

消費増税に関するフェイクニュースを許すな

2018年10月30日 12時56分45秒 | 思想



10月12日掲載のこのブログで、マスコミは消費増税についての賛否を問う大々的な世論調査をやるべきだということを書きました。
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/f4e0818f5dc9b12379e26f30cac3fd2c
2014年、5%から8%に値上げした時には、その半年後に世論調査が行われ、7割の国民が増税に反対と答えています。
同じ時期に政府が有識者を対象に賛否を問うたところ、6割が再増税に賛成したというのです。
いったい一般国民と有識者なるもののこのひどいギャップは何でしょうか。
生活に困っていない「有識者」が、いかに財務省のペテンをそのまま信じているかがわかります。

しかも2018年に入ってから、1年後に控えた10%への値上げ(年内には決定するでしょう)という大問題について、一般国民を対象にした大きな調査が行われた形跡がありません。
代わりに、同年8月、政府が主要企業121社を対象に問うたところ、6割が増税賛成、再延期と凍結はそれぞれ、わずかに3%、2%だったそうです。
欧米並みにもっと引き上げるべきだという意見もありました。
主要企業121社とは、グローバルな大企業に決まっています。
そのぶん、法人税減税が期待できるからです。
また「欧米並み云々」と答えた企業は、アメリカの消費税には事業者負担がなく、ヨーロッパの場合は日用品には消費税がかからないことも知らないか、知らないふりをしているようです(この部分は補足)。
やれやれ。

上記の記事で、以上のようなことを書いたら、次のようなコメントが寄せられました。

今年の9月に世論調査してますよ
https://www.google.co.jp/amp/s/www.sankei.com/politics/amp/180917/plt1809170010-a.html
【問】政府は来年10月に消費税率を8%から10%に引き上げる予定で、安倍首相は増収分の一部を子育て支援や教育無償化の財源に充てる方針だ。消費税に関して考えの近いものは
子育て支援や教育無償化に充てるのなら予定通り引き上げるべきだ29.4
予定通り引き上げるべきだが、財政再建に重点を置くべきだ21.4
予定通り引き上げるべきだが、ほかの施策の財源にすべきだ12.0
引き上げは延期すべきだ13.3
引き上げには反対だ22.5
他1.4

60%以上は引き上げに賛成してますね


筆者はこれに対して、不明にしてこの調査のことは知らなかったとわびた上で、概略、以下のように答えました。

このアンケートは次の理由で信用できません。

(1)そもそも産経新聞のこの調査は、自民党総裁選にちなんでほんのおざなりにつけたしたようなやり方ですから、これでは増税に対する国民の本当の気持ちはわかりません。総裁選では、消費増税が争点とはなっていませんでした。安倍氏は「増税を望む」とあいまいな言い方をし、石破氏は、「増税が必要だ」と言っていただけです。

(2)質問が、端的に消費増税の是非を問うものではなく、「子育て支援や教育無償化に充てるのなら」「財政再建に重点を置くべきだ」「ほかの施策の財源にすべきだ」などの付帯事項を初めから質問内容に含めています。つまり、「このままでは財政破綻の危機がある」という財務省発のインチキ情報を前提に質問が組まれています。誘導尋問的色彩が濃厚です。

(3)ところで、「子育て支援や教育無償化に充てるのなら」という初めの付帯事項は、もともと安倍自民党総裁候補が総裁選に際して公約として打ち出していたものです。安倍政権支持層は、公約の文言に引きずられて、これを選んだのでしょう。これを選んだ人が30%近くいますが、この人たちは条件付きで(この条件自体が増税の意味を正しくとらえていないのですが)、仕方なく選択していると読み取れます。つまりこの人たちは、本音では増税に賛成しているわけではありません。すると、本当に賛成している人の割合は、33%ほどになります。付帯事項無しに「賛成」「どちらかと言えば賛成」「どちらかと言えば反対」「反対」という四択で選ばせたら、この人たちは「どちらかと言えば反対」を選ぶと思います。すると、「引き上げは延期すべきだ13.3 引き上げには反対だ22.5」と合わせて、「反対」が6割を越えます

(4)サンプル数が少なすぎます。たった1000人を対象とした電話調査ですから、回答した人はせいぜい数百人でしょう。私は、あらゆる階層に属する人々を、あらかじめ公平に選び、増税問題だけを選んで、2万人規模の世論調査をやるべきだと主張しているのです。

問題は、行政を常に監視すべきマスコミが、今回の値上げに関して、右から左まで、なんら民意を問う主体的な姿勢を示さず、代わりに、政府がわずか100余りの大企業に対して行った調査結果を得々として掲載し、悪質な世論操作を行っているという事実です。
マスコミは、政府(財務省)と結託して、増税を既定路線として信じ込ませるためのダメ押しを買って出ているわけです。
いまさら言うのも空しいですが、日本のマスコミの姿勢は、ここにきてまさに地に落ちたというべきです。
私たちは、こうした「フェイクニュース」の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)にけっして騙されてはなりません。
まだ増税再延期または凍結の可能性と時間的余地はあります。
日本経済に壊滅的な打撃を与える10%消費増税を阻止すべく、あらゆる言論手段を用いて世論に訴えかけていきましょう。


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拙稿「消費増税の是非を問う世論調査を実行せよ」

思想塾・日曜会のお知らせ

2018年10月28日 17時41分40秒 | お知らせ



私と由紀草一氏が主宰する「思想塾・日曜会」がいよいよ充実してきました。
みなさま、どうぞ一度ホームページを覗いてみてください。
https://kohamaitsuo.wixsite.com/mysite-3

スマホで見ますと、トップページが乱れます。ただいま調整中ですので、いましばらくご容赦ください。

社会主義を見直そう

2018年10月26日 13時45分37秒 | 思想


「社会主義を見直そう」といっても、中共やかつてのソ連を肯定しようなどという話ではありません。

新自由主義イデオロギーは、以下の諸項目を教義としています。
(1)小さな政府
(2)自由貿易主義
(3)規制緩和
(4)自己責任
(5)ヒト、モノ、カネの移動の自由(グローバリズム)
(6)なんでも民営化
(7)競争至上主義
これらは互いに絡み合い、影響を与え合ってある一つの潮流へと収斂していきます。
その潮流とは、巨額のカネをうまく動かす者、国際ルールを無視する者、国家秩序を破壊する者が勝利するという露骨な潮流です。
(1)の「小さな政府」論者は、(3)の「規制緩和」を無条件にいいことと考え、(6)の「なんでも民営化」を推進し、(7)の競争至上主義を肯定します。
その結果、過当競争が高まり、世界は優勝劣敗の状態となります。
敗者はすべて(4)の「自己責任」ということになり、誰も救済の手を差し伸べません。
また、(2)の「自由貿易主義」は、経済力の拮抗している国どうしであれば、激しい駆け引きの場となりますが、ふつうは強弱がだいたい決まっているので、強国の「自由」が弱小国の「不自由」として現れます。
こうして(5)のグローバリズムが猛威を奮い、資本移動の自由が金融資本を肥大化させ、実体経済は、これに奉仕するようになります。
中間層は脱落し、労働者の賃金は抑制され、貧富の格差は拡大の一途をたどり、産業資本家は絶えず金融投資家(大株主など)の顔色を窺うようになります。
ケインズが、産業資本家階級と、金主である投資家階級とを同一視しなかった理由もここにあります。

ところで、社会主義国家を標榜していたソ連が崩壊してからというもの、社会主義とか共産主義と聞けば、大失敗の実験であったかのような感覚が世界中に広まりました。
その反動として「自由」を至上の経済理念とする気風が支配的となり、反対に社会主義思想はすべてダメなのだというような「社会主義アレルギー」が当たり前のように定着してしまいました。
この感覚が、いまだに経済における新自由主義の諸悪を生き延びさせています。

次々に批判勢力を「粛清」して全体主義国家を成立させたのはスターリンであり、その基礎となるロシア革命を起こしたのはレーニンであり、そのレーニンはマルクスの思想にもとづいて社会主義政権を樹立した。だから、スターリン→レーニン→マルクスと連想をはたらかせて、諸悪の根源はマルクスの社会主義思想にこそある、という話になってしまいました。
しかし本当に社会主義はその経済理念からしてダメなのでしょうか。
こういう連想ゲームで物事を判断するのは、歴史の実相を見ようとしない、あまりにナイーブな思考回路ではないでしょうか。

筆者は、恐ろしく変転する世界史を、個人と個人をつなぐ連想ゲーム的な思考で解釈する方法には、大きな誤解がある、と長年考えてきました。
ソ連は、なぜ崩壊したのでしょうか。
最も大きな理由は、「共産主義」というイデオロギーを名目とした官僚制独裁権力が中枢に居座り、人々の経済活動への意欲を喪失させたからです。
1956年、フルシチョフがスターリン批判を行なったにもかかわらず、彼の失脚後、この官僚的硬直はかえって深まりました。
つまりこの歴史の動きは、創始者の経済思想の誤りにその根源を持つというよりは、ある特定のイデオロギーを「神の柱」とした政治権力の体質にこそあるとみるのが妥当なのです。

筆者は、特にマルクスを聖別するわけではありません。
彼の思想と行動の中には、十九世紀的な(いまは通用しない)過激なものが確かにありました。
その人性をわきまえない政治革命至上主義をとうてい肯定するわけにはいきません。
しかし、社会主義勢力の現実的な系譜をたどってみるといくつもの飛躍があることがわかります。
それを踏まえずに、創始者がどんな現実認識と基本構想を持っていたかに目隠しをすることは、思想的には許されません。

マルクスは、主たる活動の舞台を、当時日の出の勢いで覇権国家としての地位を確立しつつあったイギリスの首都・ロンドンに置いていました。
そこで彼が見たものは、年少の子どもたちまでも過酷な労働に追いやる政治経済体制のいびつな姿であり、同時に大量生産によって驚くべき生産力を実現させる資本主義の力でした。
マルクスの頭を占めていたのは、前者の過酷な事態を何とかしなければならないというテーマでしたが、他方では、後者の巨大な生産力を否定することでこの課題を解決すべきだとはけっして考えませんでした。
それは人類が作り上げた富の遺産であり、これをさらに発展させて、生産手段を一握りの資本家に占有させず、より多くの人々に分配することこそが、問題の解決に結びつくと考えました。
マルクスは、資本主義を否定したのではなく、資本主義という遺産を万人にとってのものにするにはどうすればよいかに頭を悩ませたのです。
その構想を実現するための政治的手段として、無産者階級の団結と、欺瞞的なブルジョア国家の止揚を呼びかけたわけです。
この構想が熟するためには、彼が、ロンドンという当時の世界経済の最先端で、その明暗の両面を観察するという条件が必要でした。

さて世界初の「社会主義革命」を実現させたとされるロシアは、当時どのような状態に置かれていたでしょうか。
ツァーリの圧制のもとに、大多数の無学な農奴たちが社会意識に目覚めることもなく、ただ貧困のうちに眠り込んでいたのです。
産業はほとんど発展していず、マルクスが革命の必須条件と考えていた資本主義的な生産様式はまったく実現していませんでした。
マルクスは、ロシアを遅れた国として軽蔑していましたし、その国で彼の構想する社会主義革命が起きるなどとは夢にも思っていませんでした(もっとも、晩年には、ロシアの活動家・ザスーリッチの書簡への返信で、ある条件が整えばロシアでも可能かもしれない、という甘い観測を述べてはいますが)。

遅れて登場したレーニンは、まれに見るインテリでしたし、ロシアの現状をとびきり憂えていました。
この国を少しでも良くするには、組織的な暴力革命を起こすしかない、と彼は考えました。
その時彼の目に、これこそ使えると映ったのが、マルクスの社会主義理論でした。
しかしロシアの現状は相変わらずで、マルクスが社会主義実現の必須条件としていた資本主義の高度な発展という段階には至っていなかったのです。
レーニンは、その社会条件のギャップを無視しました。
気づいていなかったはずはなかったと思われますが、政治的動機の衝迫が、そのギャップについての認識を抑え込んでしまったのでしょう。

つまりロシア革命とは、資本主義がまだ熟していなかったロシアという風土における特殊な革命、というよりはクーデターと言ってもよいものです。
世界のインテリたちは、このクーデターに衝撃を受け、支配層は深刻な動揺に陥りました。
労働者階級はここに大きな希望を見出し、資本家階級は大きな狼狽を隠せませんでした。
彼らは当時のロシアの実態をきちんと分析せず、一様に、世界初の社会主義革命が実現した、と錯覚したのです。
その証拠に、眠りこけた農民たちは、革命後もなんだかわからないままに、交替した新しい権力に従っただけですし、レーニンの死後、権力を握ったスターリンは、西欧の資本主義諸国に一刻も早く追いつこうと、全体主義的な政治体制の下に、次々に強引な産業計画を進めていきます
強制労働、強制収容所などの汚点は、こうして生まれたのです。
結局、ロシア革命とは、遅れた社会体制を打ち壊して、近代資本主義国家を建設するためのものだったので、マルクスの構想とははっきり区別されるべきものなのです。
これを「ロシア・マルクス主義」という特殊な名で呼びます。

さてこう考えてくると、長く続いた米ソ対立が、その見かけとは違って、自由主義VS社会主義というイデオロギー対立ではなく、また経済体制の違いをめぐる抗争でもなく、むしろ、第二次大戦後に覇権国となったアメリカと、独裁政治によって急速に力を伸ばした新興資本主義国ソ連との、単なる政治的な覇権競争であるという実態が見えてくるでしょう。
いま問題となっている米中貿易戦争も、同じような資本主義国家どうしの力と力の激突に過ぎないと見なす必要があります。

では、冒頭に掲げた新自由主義の諸悪は、どうすれば抑えられるのでしょうか。
それには、二つの方法が考えられます。
一つは、有力国家が協議して、野放図な経済的「自由」を規制するルールを作ることです。
資本主義を否定するのではなく、市場の自由や知財の移動や為替についてのルールをもう少し洗練されたものにします。
しかしこれは、多極化している国際社会の現状や、グローバリズムという名の帝国主義を強引に進めている中国のことを考えると、合意を得るのが極めて難しいでしょう。
すると当面、もう一つの方法に頼らざるを得ません。
それは、それぞれの国家が、自国の経済の能力と限界をよく分析し、それぞれに見合った形で、野放図な経済的「自由」の侵略に対する防波堤となることです。

かつて日本は冗談半分に「一種の社会主義国だ」と言われていました。
それは、必要に応じて、政府が適切な関与をし、また基幹産業は国有企業(公社)だったからです。
いまの政権がそれをほとんどなくしつつある状態は、国家としての自殺行為と言えるでしょう。
経済状況がまずい状態にある時に、さまざまな分野での公共投資を積極的に増やす必要がありますし、政府がバランスあるコントロールをとっていく必要があります。
そのために、社会主義の理念のいいところを見直す必要があるのではないでしょうか。


*参考:拙著『13人の誤解された思想家』

https://www.amazon.co.jp/13%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%AA%A4%E8%A7%A3%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%80%9D%E6%83%B3%E5%AE%B6-%E5%B0%8F%E6%B5%9C-%E9%80%B8%E9%83%8E/dp/4569826822/ref=cm_cr_arp_d_pdt_img_top?ie=UTF8


消費税制度そのものが金融資本主義の歪んだ姿

2018年10月18日 11時46分34秒 | 経済


消費税を負担するのがモノやサービスを買う人なので、増税で直接ダメージを受けるのは消費者であると思いがちですが、もちろんそれだけではありません。
納税者である企業経営者(特に中小企業)も大きな打撃を受けます
経営者の数が相対的に少ないためか、そのことに私たちは、なかなか気づきにくいのです。

筆者は、藤井聡氏が編集長を務められる雑誌『クライテリオン』の臨時増刊「消費増税を凍結せよ」(11月14日発売予定)に、「消費増税の是非を問う世論調査を実行せよ」という文章を寄稿しました。
これを、フェイスブック上でお知らせしたところ、ある中小企業経営者の方(Aさんとしておきます)から、現場感覚にあふれたたいへん的確なコメントをいただきました。筆者自身、とても勉強になりました。
それを筆者なりに補足しながらまとめると、次のようになります。

(1)政府はこれまで増税分を社会保障に充てるというウソを繰り返してきたが(現実には8割を国債の償還に充てている)、そもそもこの発想自体が、社会保険料の会社負担を減らしたいという、大企業の意向を反映させたものである。
なぜなら、本来、社会保険料の財源は「本人+会社」が負担すべきものだからである。その企業が担うべき責任を「税」という形で国民に転嫁しようとする意図が、消費増税には働いている。

(2)大企業(グローバル企業)は、消費税負担の削減にとどまらず、次のような実質負担解消のシステムを構築している。
  A.下請けに価格決定権を持たせない。つまり下請け企業が、きつい労働に耐えている現場労
    働者に、それに見合う給料を払うために価格を上げようとしても、それを認めない。
  B.国際競争力維持の名目で、輸出時に税率ゼロの特例措置を受けることで、還付金を捻出
    る。
  C.現場労働者を外国人化(移民拡大!)したり派遣労働を拡大することで、下請けからの値
    上げ圧力を回避
する。
  D.人件費にかかる消費税分を控除できるようにするために、労働力をなるべく外注化する
    (つまり下請けに背負わせる)。

Aさんは、このように分析した後、自分が起業してから3年目に消費税の納税が大きな壁として立ちはだかったと自身の経験を語り、次のように述べます。
有望な会社が急に売り上げを伸ばすと、資金繰りが安定しない中で巨額の納税を強いられるので、消費税は起業家つぶしの税制でもある、と。
さらにAさんは、大企業が画期的な製品づくりができなくなったのも、かつては得られた下請けからの提案や協力が得られなくなったことが大きな要因の一つだと分析しています。
昔は大企業と下請け企業との結びつきが強く、すそ野も広かったわけですね。
そこには親会社―子会社という見えない紐帯があったために、両者の有機的な連携が可能でした。
ところが、デフレ不況に加えて、新自由主義イデオロギー(自己責任論、成果主義、規制緩和)が襲いかかったために、産業界の中間層が上層部と分断されて脱落しました。
そのため、大から小まで、企業は個別バラバラに自己の利益を捻出せざるを得なくなったわけです。

Aさんは、次のように語ります。

消費税制度の30年の歴史の中で、大企業も、廃れていく中小企業を見ながら、更に自社の利益を確保するためには消費税率のアップをはかることしか道が無くなってきたように思います。

また、次のようにも語っています。(ごく一部改変と補足)

財政拡大には、私も異論を唱えるつもりは全くありませんし、今はその道が最短かつ有効な手立てになることを確信してはいますが、消費税制度というハンデを背負ったままでは、実体経済の本来あるべき構造改革(中略)とはますますかけ離れていきます(中略)から、財政拡大が実を上げるためには、段階的かつ中長期(中略)の消費税率削減は必須だと考えています。そしてそれこそが大企業の本来あるべき収益構造の復活にもつながる道だと確信しています。

こうして、消費増税要求だけでなく、消費税制度そのものが、社会保険料の企業負担削減、移民問題、非正規労働者増加、下請けへの大企業の不当な圧力、新自由主義イデオロギーにもとづく企業の個別分断化などと、すべて連動していることがわかります。
それは、すべて、大企業の利益最大化のためのシステム作りに貢献するという仕組みになっているわけです。
しかもAさんの最後の言葉に現れているように、この利益最大化の方法さえ、笑いの止まらない独り勝ちといったイメージのものではなく、むしろ苦し紛れの自己保身によるものです。
その根底には、株主の圧力に不本意にも屈している資本家の姿があります。
別に彼らに同情はしませんが、ここにグローバル金融資本主義が極限まで進んだ、不健全で歪んだ構造が見て取れることは確かです。

つい先日、安倍首相が10%への増税の意向を固めたことが報じられました。
グローバル金融資本主義に奉仕することしか知らない安倍政権のこうした体質を見抜く政党、政治家が存在しないことを思うと、さらに暗澹とした気分になります。
しかし、増税が決定したわけではありません。まだ闘いの余地は残されています


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拙稿「消費増税の是非を問う世論調査を実行せよ」




消費増税の賛否を問う世論調査を実行せよ

2018年10月12日 00時58分32秒 | 政治


 2018年10月10日、NHKラジオ午後6時の「Nらじ」という番組で、社会保障問題を取り上げていました。その中で、女性の解説委員(?)が、全額社会保障費に充てるはずだった消費税の使い道の8割が国債の借金返済に充てられているのはおかしいと、かなり激しい調子で訴えていました。
 これは確かにおかしいので、そのことを指摘する意味がないわけではありません。しかし議論がそこをめぐってしまうと、本質的な問題が隠されてしまいます。
 本質的な問題とは、2019年10月に予定されている消費税10%への増税が、日本経済に対してどんな壊滅的な打撃を与えるかという問題です。
 Nらじの解説委員の叫びは、もし消費税が社会保障費に充てられるなら、増税してもかまわないと言っているようにしか聞こえません。それが間違いのもと。

 先に筆者は、経済思想家の三橋貴明氏が主宰される「『新』経世済民新聞」に、「国民の思考停止」と題した一文を寄稿しました。
https://38news.jp/economy/12380
 この記事で筆者は次のようなことを指摘しました。
 社会福祉に限らず、メディアでの社会問題の取り上げ方はみな個別的です。その個別問題について詳しい専門家を連れてきてディテールを紹介し、その深刻さが語られます。ところが、さてどうするかという段になると、ほとんどが、解決のためにはこれこれの努力が必要だといった精神論に終始するのです。
 解決に導くための資金をだれが出すのか、そのために何が必要か、だれが資金提供を阻んでいるのかという問題にけっして議論が及びません。総合的に政策を見ようとする視野がちっとも開かれないのです。目の前に梁(うつばり)がかかっているのですね。

 さて右の問いの答えははっきりしています。中央政府が、問題ごとに国民の生命、安全、生活にかかわる度合いを判断して、そのつど優先順位を迅速に決め、国債を発行して積極的に財政出動すればいいのです。そしてそれを阻んでいるのが、財務省の緊縮財政路線です。これが消費増税の必要を正当化させています。
 消費税10%への増税は、財務省が税収増を見込んで、その「増えた税収分」によって負債の返済を賄い、歳入と歳出のバランス(プライマリーバランス)をゼロに持っていこうという「財政均衡」の目論見です。財務省は、この目論見を果たすために、日本では原理的に起きるはずのない「財政破綻の危機」をでっちあげて、国民の不安をあおるという戦略をとり続けてきました。
 ところが第一に、税の割合を増やすことは必ずしも税収そのものの増加にはつながりません。それどころか、これによって消費は減退し、中小企業は納税に四苦八苦、新たな投資がますます控えられます。するとGDPが下がるので、プライマリーバランスの赤字はかえって拡大してしまうのです。
 第二に、消費増税には、経団連など、大企業グループの要求する法人税減税の肩代わりという意味があります。経団連だけではありません。つらい経営を強いられている中小企業の代表であるはずの日本商工会議所の幹部までが、財務省のペテンに引っかかって、増税の必要を叫んでいます。もちろん、与野党を問わず、ほとんどの政治家も、マスコミも、このペテンに引っかかっています。まことに何をかいわんやです。
こうして10%への増税は、特に国民の低所得者層をますます苦しめ、日本を亡国に追いやる最悪の政策なのです。

 このブログを好意的にご覧になってくださってきた方々は、みな、こんなことはとっくにご存知でしょうから、あえて筆者が改めて取り上げるにも及ばないのですが、問題は、冒頭に例示したように、国民のほとんどが、財務省主導の消費増税の実施こそ現政権が抱える根本悪の一つであるという事実に気づいていないということです。
 国民は、2014年4月における5%から8%への増税がいかに救いがたい禍根を残したかについて忘れてしまったのでしょうか。わずか4年半前のことなのに。
 日本人は健忘症だとは昔からよく言われることですが、最近はこれに麻痺症という新しい症状が付け加わっています。というのは、先の増税時の禍根は、まだそのまま続いているのに、ごく少数の例外を除いて、だれもそのことを指摘しないからです。GDPは他の諸国に比べてわが国だけがまったく伸びず、実質賃金は下がり続けています。

 たとえばあなたが強制収容所に入れられたとします。過酷な労働と、腹を満たすには到底足りない貧弱きわまる食事。しかしそこから脱出する方法が絶対にないのだとしたら、その劣悪な条件を受け入れて、生きられるだけ生きるしかありません。そのうちに、その劣悪な条件にしだいに慣れてきて、これがひどい事態だということをそれほど感じなくなってしまうでしょう。つまり感覚が麻痺してしまうわけです。
 今の普通の日本国民が置かれている状態は、ちょうどこのたとえが当てはまります。強制収容所とは、25年近くにも及ぶデフレ不況であり、感覚の麻痺とは、それが当たり前だと思ってしまうことです。
 97年の橋本政権のとき、消費税が3%から5%に引き上げられ、これをきっかけにして日本は深刻なデフレに突っ込みましたが、その時生まれた子は、いまや21歳の青年です。彼らは繁栄を知らず、日本がデフレから脱却できない貧困国であるとしか認識できないのです。
 ちなみにこの時の増税によって、税収はかえって減ってしまいました。財務省は自縄自縛をやってのけたのです。そうしてこの自殺行為は今も国民を巻き込みながら続いているわけです。

 「消費増税は必要だ」、または「消費増税はやむを得ない」という黒魔術の呪文がいかに功を奏してきたかは、このわずか4年半における、マスコミの反応を追いかけることによって明らかとなります。

 まず、2014年の増税時からおよそ半年たった同年9月末と10月下旬における世論調査を調べてみましょう。

 《日本世論調査会が9月末に行った全国世論調査によると、消費税を10%に引き上げることについて、アンケートに答えた方の72%が再増税に反対していたことが判明しました。賛成は僅かに25%だけで、国民の大多数が増税に反対していることを示しています。また、4月に行われた3%の増税で、「家計が厳しくなった」と感じている方は82%に達しました。
一方で、政府が有識者を対象にしたアンケート調査では、6割が「再増税に賛成する」と答えたとの事です。この二つの調査は同じような質問をしているのに、全く異なった結果になったのは非常に面白いと言えます。

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-4087.html

 《
産経新聞社とFNNの合同世論調査で、消費税率の10%への引き上げについて68・0%(前回比2・6ポイント増)が反対し、賛成は29・8%(同2・3ポイント減)だった。性別、年代、支持政党別で見ても、すべてで反対が賛成を上回った。(中略)一方、安倍晋三政権の経済政策アベノミクスによる景気の回復を「実感していない」と答えた人は80・6%で、「実感している」(15・7%)を大きく上回った。》(産経ニュース 2014年10月21日)
lhttps://www.sankei.com/politics/news/141021/plt1410210018-n1.htm

 ご覧のように、この時期では、一般庶民は七割が反対しています。消費税は毎日の生活や生産活動に直結しているので、増税のダメージがいかに大きかったかを表しているでしょう。
 それにしても、「政府が有識者を対象にしたアンケート調査では、6割が『再増税に賛成する』と答えた」とは何事でしょうか。政府の意識的な印象操作もさることながら、「有識者」なる存在がいかに裕福な生活をしつつ庶民の実感と乖離した空理空論にふけっているか、容易に想像されようというものです。

 3年後の2017年10月の総選挙前に行われた調査では、次のようになっています。

 《毎日新聞が13~15日に実施した特別世論調査で、2019年10月に予定される消費税率10%への引き上げの賛否を聞いた。「反対」との回答は44%で「賛成」の35%を上回った。「わからない」も15%あった。衆院選で自民党などは増税分の使途変更、希望の党などは増税凍結を主張するが、世論は割れている。》(毎日新聞2017年10月16日)

 「反対」が激減していることがわかります。まさに「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ですね。しかもこの調査では、選挙の争点として消費増税を挙げた人はわずか6%に過ぎませんでした。

 最後に、直近で、今年の夏、121の主要企業を対象にした政府の調査ではこうなっています。

 《平成31年10月に予定されている消費税率の10%への引き上げについて聞いたところ、「予定通り実施すべきだ」と回答した企業は60%に上り、「再延期すべきだ」の3%、「引き上げるべきではない」の2%を大きく上回った。少子高齢化で社会保障関連費用の増大が見込まれる中、財政健全化に向け、増税が欠かせないとの見方が強まっている。予定通りの実施を求める企業からは、「20%台の税率が当たり前となっている欧米諸国のように、消費税率のさらなる引き上げも検討すべきだ」(石油元売り)との声も出た。》(産経ニュース 2018年8月14日)

 何しろ「主要企業」ですからね。グローバル企業に決まっています。石油元売りなどは、原油価格の高騰による経営難を逃れるために、法人税減税を要求して、そのしわ寄せをすべて一般国民に押し付けようとしているのが見え見えです。

 こうして、財務省が長年苦労して作り上げた増税物語が完成に近づいています。「財政健全化のためには」などと緊縮真理教の教義の宣伝を、この人たちは自ら買って出ていますが、自国通貨建ての国債で、統一政府の一部である日銀が通貨発行権を握っている日本において、財政破綻など100%ありえない。
 しかも大量の金融緩和で日銀が買い取った国債は既に400兆円を超えています。そのぶんだけ、いわゆる「国の借金」は消滅しているのです。この簡単な理屈がわからないおバカな人たちばかりが有力者になっているこの国の狂乱状態は、はかり知れません。

 そしてもう一つ大事なことを強調しておきます。
 2018年以降、消費増税についての賛否を問う全国世論調査が行われた形跡がないのです。筆者もずいぶん探しましたが、限られた時間のせいもあり、見つけることができませんでした。
 これは何を意味しているでしょうか。
 増税の時期が刻々と迫っているというのに、この大問題について、マスコミは右から左まで知らん顔を決め込んでいるのです。そういうことをきちんとやるのが、マスコミの役割なのに、彼らはこうした最低限の責任すら果たそうとしません。
 いまや政治家、官僚、御用学者、マスコミ、末端の国民に至るまで、税率アップは既定路線であると錯覚させられていて、あたかもだれも疑問を持たないということになってしまっているわけです。
 さて、本当はどうなのでしょう。朝日から産経まで、試しに増税に賛成か反対か、大々的な世論調査(あらゆる階層を対象に2万人規模くらい)をやってごらんなさい。結果を見て安倍政権はどうするか、総理の顔が見たいものです。

 強制収容所であれば、強大な監視の力と空間的な制約に取り囲まれていますから、脱出はまず不可能です。この状況では、諦めるよりほかにほとんど手はありません。しかしデフレ不況は違います。これを作り出しているのは、財務省を筆頭とする、極端な緊縮財政論という狂った考え方なのです。
 私たち国民は、頭を使うことによって、この狂った考え方を訂正させることができるはずです。その考え方を訂正させる最も差し迫った目標として、消費増税を阻止するという政治課題があるわけです。
 水害、台風、地震など、うち続く自然の猛威による多くの死者。
 電気、水道、道路など各種インフラの劣化によってこれから予想される大災害の懸念。
 高速交通の未整備による大都市圏と地方の格差。
 これらは、みな国債発行による公共投資はまかりならぬという狂った考えによってもたらされた「人災」なのです。そうである以上、私たちがまず目指すべきなのは、財務省というカルト集団が長年かけ続けてきた黒魔術から一刻も早く覚醒することです。



税の恩恵?

2018年10月02日 23時17分21秒 | 思想



中学生の『税についての作文』」というのがあるのを、寡聞にして初めて知りました。
国税庁と全国納税貯蓄連合会が主催しています。
平成29年度ですでに51回を迎えており、全国から61万編もの作品が集まったそうです。
平成29年度の受賞者がすでに決定しています。
その内閣総理大臣賞に選ばれた作品の一部をご紹介しましょう。

【題名】私の使命
【学校名・学年】************
【氏名】*****
 「消費税がなかったら、もっと買い物ができたのにね。平成三十一年から、消費税が十パーセントに上がるんだって。嫌だね。」と、料理をしている母に話しかけていたら、「何を言っているの。■ちゃんが唯一払っている税金でしょ。ちょっとくらい、社会の役に立つことをしてもいいんじゃない。」と、逆に母に言い返されてしまいました。母だって、「思ったよりも住民税が引かれているのね。」なんて、愚痴を言ったりするのに。
 でも、我が家にとって税金は、「感謝」の一言でしかありません。もし、なかったら…。考えるだけでも恐ろしくなります。
 それは、八年前のことです。私の弟は難病にかかり、救急車で病院に搬送されるとすぐに、CT、MRIなどの検査や手術が行われました。それからというもの、弟は点滴での投薬や放射線治療、再び何回もの手術や移植など、長い闘病生活のスタートとともにあらゆる治療が必要になりました。
 突然の入院でパニックになっていた母に、主治医の先生は優しく、病状や治療の説明と同時に、弟のような難病を抱えた小児のための慢性特定疾病医療給付制度の申請手続きを、すぐにするよう勧めて下さったそうです。弟には高度な最先端の医療が必要でした。しかし、その検査や治療の一つひとつに、数十万から数百万円の費用がかかるのです。
(中略)
 残念ながら、弟は一年半前に息を引きとりました。しかし、最期まで、悔いなく最善の治療を受け、家族とかけがえのない日々を過ごせたのは、紛れもなく税金からなるこのような給付制度があったからに他なりません。
(中略)
 今の私には、何が出来るでしょうか。おそらく多くの方々が、税金を納めることは支出となり、マイナスのイメージを持っていることでしょう。しかし、素晴らしい恩恵を受けた私達家族のような人間が、税金が心も身体も救う、プラスになる、ということをイメージではなく、事実として根気強く伝え続けていくことが使命だと思います。


やらせじゃねえの、マジかよと言いたくなりますね。
この企画自体がやらせそのものと言ってもいい欺瞞極まるものですが、しかし60万人もの応募があったことに嘘はないのでしょう。
それにしてもねえ。
消費増税をこんな美談の形で正当化するとは、国税庁をはじめとした企画者を許せない気がします。
もっともこの中学生に罪はありません。
しかし、結局この弟は高額医療のための助成金を受けながら、亡くなってしまったんでしょう。
それなのに、「(税金の)素晴らしい恩恵を受けた私たち家族」とは、日本人て、なんて人がいいんだろうと、いまさらながら思います。
消費増税に対する反対運動が(野党からすら)さっぱり起きないのも、むべなるかな、と思います。
ため息しか出てきません。

しかし物事の原則だけははっきりさせておきましょう。

国税庁が国民から徴収した税収は、そのまま財務省の裁量の下へ。
各省の概算要求を受けた財務省が、お財布の中身を見ながら、とことん切り詰めます。
当たり前ですね。
さてその中で厚労省の取り分が決まり、社会保障費に充てられるわけです。
ここで大事なのは、小児慢性特定疾病医療費助成制度(2017年1月施行)のような社会保障制度が存在することと、税一般が徴収されることそのものとの間には、何の直接的な関係もないということです。
なぜなら、第一に、税はまず一つの財布に収まり、それを何にいくら使うかは、政府が決めることであって、ある制度のためにどれくらい使われるかどうかは、一般国民が決定したり確認したりできる範囲にはないからです。

また、この制度がある個人に適用されるかどうかは、申請された書類が、管轄部門によって審査されて、適用に値すると認定されるかどうかにかかっています。

さらに、一般国民が納税するのは、べつに特定の制度が適用されることを目指してのことではありません。
納税の義務が憲法で定められているので、義務を怠れば公共の福祉に反する振舞いとして罰せられるからです。
まあ、多少の公共心の持ち合わせが、税収の確保に貢献しているかもしれません。
とはいえ喜んで納税する国民など1%もいるかどうか。
もしみんなが喜んで納税するなら、税理士も節税対策もこの世に存在する必要がないことになります。
その公共心にしても、ごく抽象的、一般的なものです。
何かの具体的な制度の運用を目指して納税するわけではありません。
ほとんどの国民は、こんな制度があることすら知らないでしょう。

以上の理由からして、私たちには、「税による恩恵」などという概念を抱くいわれはまったくありません。
作文中にある「税金からなるこのような給付制度」という言い方は間違いです。
税金が給付制度を作っているわけではありません。
また、弟が亡くなってしまったのに「素晴らしい恩恵」を感じるのはこの人たちの自由ですが、その感謝の念を「税金」に向けるのも、「国民」に向けるのもお門違いです。
どうしても感謝したいなら、制度を紹介してくれたお医者さんにだけするべきでしょう。

私たち国民がしなければならないのは、現在の税制が一般国民の福利にとって適切なものであるかどうか、消費増税のような措置が、国民に害を与えないかどうか(大いに与えるのですが)、毎年の予算配分や財政政策が国民経済に豊かさとゆとりをもたらすものであるかどうか、などに対して、監視と批判を怠らないことです。
こんな「お上」が仕組んだトリックに引っかかって、それに迎合することではありません。
繰り返しますが、この作文を書いた中学生やその母親には、何の罪もありません。
彼らは騙されているだけだからです。
彼らは国家的詐欺の単なる被害者なのです。

しかし、こうした詐欺にたやすく引っかかってしまう日本人の国民性に対して、警鐘を打ち鳴らさずにはおれません。
福沢諭吉は、いまから百四十年も前に、次のように書いています。
福沢にしては珍しく、国民に広がる卑屈な心情を直接、痛烈に批判したくだりです。

ためしに今人民が官費の出納につきて用うるところの言語文書を見るに、拝借を願い奉るといい、下したまわりてありがたき仕合せと称し、今日人民より政府に納めたるその金を、その封のままにして、明日政府よりこれを人民に貸し、またはこれを与うれば、すなわちこれに拝借下賜の名目を付くるは何ぞや。その金の正味に相違なしといえども、政府の官員の手を経てこれを清めたるものと認むるがゆえなるか。》(『民間経済録』)

この卑屈な心情と、税金でこうしてくれたから無条件に税をありがたがる、というのとは、同じではありませんか
百四十年経った今でも、変わっていないのではありませんか。
ここには、税金が公金としてどのように使われているのかとか、増税は本当に必要なのかなど、疑問や批判を抱こうとする、健全な民主主義的発想がまるでありません。
政府(財務省)も、そういう日本人の伝統的な心性、つまり民度のあり方が直感的にわかっているので、財政破綻論のデマを流し続けたり、納税の大切さを一般民衆自らに語らせるトリック(それも子どもを利用して!)などを用いて、簡単に国民をだませると踏んでいるのです(事実、この詐欺は成功を収めてきました)。

筆者も、国民一般に批判の矢を向けたくないのは、福沢と同じです。
しかし消費増税をほとんどの国民が既定路線として認めてしまっているそのふがいなさに対して、どうしてもひとこと言っておきたくなったのです。
なぜなら、いまからでも増税を凍結することは不可能ではないからです。


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