小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(18)

2014年09月13日 02時07分03秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズツアーガイド(18)


 前回、ヨーロッパのジャズをご紹介して、あと1回でこのシリーズはいったん締めることにすると予告してから、何と3か月たってしまいました。読んでくださっていた方には深くお詫びいたします。
 いろいろな他事にかまけていたことも事実ですが、一番の理由は、自分なりにこのシリーズを閉じることに未練があって、なかなか手をつけられなかったという点にあります。もちろん趣向を変えて再開するつもりでいることはすでに前回予告してありますが、それとは別に、あのモダンジャズの栄光の時期について一応の総括を試みることそのものが、私自身に独特の感傷を強いてくるのです。それは、思い出のいっぱい詰まったアルバムを見て楽しんでいたのに、閉じなくてはならない時間が来た時の感傷に似ています。
 音楽そのものはちゃんと残っているのですからいつでも再現できるので、これはまったく身勝手な感傷にすぎません。でも、あの何人もの天才ジャズメンの短い活躍期にできるだけ寄り添って書いてきたつもりなので、彼らの演奏活動を追体験していると、ついジャズの歴史のはかなさそのものに同期している自分を見出してしまいます。その自分があえて幕引き役を演じることに何となく躊躇と抵抗を感じるのですね。
 しかし、やはり帰らぬ人々やものごとに対しては、それにふさわしい仕方で手を合わせるのが真っ当なやり方というものでしょう。

 以下、次のように記事を進めます。
 モダンジャズの隆盛期を1950年代半ばから60年代前半までの約10年弱と見立て、もう一度、そこで活躍したジャズメンたちを呼び返してみたいと思います。これまで、名前だけ紹介しながら演奏を紹介しなかった人、また一度紹介したジャズメンのアルバムから拾わなかったけれど、やはりこの演奏を捨てるわけにいかないと感じられる曲、などをここで取り上げることにします。
 次に、この短期間における奇跡としか言いようのない芸術現象のかけがえのない価値について少しばかり語ってみようと思います。
 それから、少し哀しい話をします。私は個々のジャズメンの人生についてはほとんど知らないのですが、この天才たちの多くが、まるでジャズシーンそのものの短命に重なるように早く死んでしまっているという事実について語ろうと思います。主なミュージシャンの生没年と年齢を掲げてみましょう。

 それでは、1952年から2、3年おきに発表された、歴史に残る名曲を紹介します。
 まずモダンジャズの生みの親とされるチャーリー・パーカー(as)の『ナウズ・ザ・タイム』から、「ナウズ・ザ・タイム」。彼のオリジナルです。
 この曲は、1952年から53年にかけて録音されたものと思われます。パーカーの絶頂期は40年代とされていますが、ビバップからより洗練されたモダンジャズへと移行した段階を理解するには晩年の演奏のほうがよいでしょう。この時期の演奏では、彼のソロの湧き出るような奔放さがよくあらわれ、後のジャズメンの演奏につながる要素が直接感じられます。彼のフレーズを聴いていると、コルトレーンエリック・ドルフィーの力強さを連想させ、いささかも古さを感じさせません。

Now's the Time - Charlie Parker


 次に、25歳で夭逝したトランぺッターのクリフォード・ブラウン
クリフォード・ブラウン&マックス・ローチ』から「ジョイ・スプリング」。この曲はクリフォードのオリジナルですが、ミディアムテンポであることによって、ソロの部分に彼の演奏の特徴がじつによく出ています。というのは、彼はアップテンポの曲では、きわめて指と口を早く動かして歯切れの良さを表現するのですが、スローバラードでは、フレーズの節目を息長く伸ばしてヴィブラートを効かせ、とても抒情的な雰囲気を演出します。この曲では、その両方が楽しめるのですね。
 パーソネルは、ハロルド・ランド(ts)、リッチー・パウエル(p)、ジョージ・モロー(b)、マックス・ローチ(ds)。1954年の録音です。クリフォードとリッチーは、この2年後に同乗していた車による交通事故で世を去ります。

05.Clifford Brown & Max Roach - Joy Spring.


 次は、やはりソニー・ロリンズの大ヒットアルバム、『サキソフォン・コロッサス』から「モリタート」を紹介すべきでしょう。『三文オペラ』の主題曲で、「マック・ザ・ナイフ」として有名です。ロリンズはこの演奏で、豪快さとユーモア、親しみやすさと冒険心など、彼の持ち味を存分に発揮しています。トミー・フラナガンの美しいソロも聴きものです。パーソネルはほかに、ダグ・ワトキンス(b)、マックス・ローチ(ds)。1956年の録音です。

Sonny Rollins - Moritat (1956)


 次に、以前紹介したハイヒールをはいた女性の脚のジャケットで評判になった『クールストラッティン』から、「ブルー・マイナー」。これはピアニスト、ソニー・クラークのオリジナル曲で(タイトルテューンの「クールストラッティン」もそうです)、彼のリーダーシップによるアルバムですが、ソニーの明快な演奏もさることながら、ジャッキー・マクリーン(as)のソウルフルな演奏、上品なアート・ファーマー(tp)のソロも聴きもので、リズムセクションのポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)に支えられて、じつに息の合ったプレイが楽しめます。1958年の録音。

Sonny Clark - Blue Minor


 最後に、再びビル・エヴァンスに登場願いましょう。
 何十年もの間、一、二を争う人気を誇ってきた「ワルツ・フォー・デビィ」、同名のアルバムからです。1961年6月25日、ニューヨーク、ヴィレッジヴァンガードでのライブ録音。すでに紹介した『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジヴァンガード』と同日の演奏で、その姉妹版です。二枚組の完全版も出ています。パーソネルは、もちろんあのスコット・ラファロ(b)、そしてポール・モチアン(ds)。
 このシリーズを閉じるにふさわしい、不朽の名作と言えるでしょう。どうかじっくり聴いてくださいね。

Waltz for Debby


 さて、いささか私事を語ることになります。
 このシリーズの初めにも書きましたが、60年代前半といえば、私の中学時代から高校時代に当たっており、ちょうどジャズを聴きはじめたころでした。渋谷、新宿、横浜などのジャズ喫茶で、しきりとこの隆盛期の曲がかかっていたのです。ですから日本でこのようにモダンジャズを聴きまくることが流行したのは、実際にそれらが演奏された時期とは数年ずれていたことになります。結果的に、私は偶然にも、その隆盛期のジャズのシャワーを浴びる恩恵に浴したのでした。スイング・ジャーナルというジャズ専門誌がよく売れ、毎月買って新譜の情報や批評家たちの座談会と解説、日本のジャズメンの楽器別ランキングなどを読み漁ったものです。
 そのときは、こういう流れがずっと続くのだと思っていました。けれども、そうではありませんでした。多くの天才たちが次々に死に、モダンジャズそのものが運命を衰退させていきます。あの渋谷道玄坂界隈に密集していたジャズ喫茶はしだいに消えてゆき、ラブホ街に様変わりしてしまいました。音楽を聴くためだけの店というのはほとんどなくなり、ジャズを聴かせる店は、いまたいていはお酒や料理のサービスとセットで経営されています。
 これはクラシックも同じで、当時は、「田園」「古城」「白鳥」「ライオン」などというクラシックを聴かせる喫茶店がいくつもありました。カテドラルのような外観に、かび臭い店内。ビロード製のソファに腰かけると、不思議と気分が落ち着いたものです。ある時そこの一軒で、シェイクスピア翻訳家の小田島雄志氏がしきりにペンを走らせているのを見つけました。彼は喫茶店で執筆するので有名です。
 渋谷の「ライオン」は今もあるのかな。ちなみに、以前にも書きましたが、横浜は野毛、日本で一番早く開店したジャズ喫茶「ちぐさ」は、一時閉店しましたが、最近、場所を少し変えて復活しました。またJRお茶の水駅すぐ近くの「NARU」という店は、日本のジャズメンが連日出演する本格的なライブハウスです。
ちぐさ:http://noge-chigusa.com/jazz/
NARU:http://www.jazz-naru.com/
 こういうお店は、いつまでも残ってほしいと思います。とはいえ、残念ながらかつてのジャズ喫茶文化が衰退したことは否定すべくもありません。
 いっぽうでは、往年のジャズメンのかつての名演奏が高度な再生技術を通してCDなどの形で次々に復活するようになります。これは個人生活が豊かになったひとつの証左ではあるでしょう。名演奏をじっくり聴きたければ、安価で高度な音質のCDを買って、個人で聴けばいい。
 ところでこの事実がジャズ史的には何を意味しているのかお分かりですね。
 つまりは、あの短い栄光の時期に表現された一連の音楽が、見事に古典化されたということなのです。その証拠に、いまレストランや料理屋でBGMとして聞こえてくるジャズは、すべてこの時期に確立されたスタイルのものであって、フリージャズなどは絶えてありません。モダンジャズ以前のビッグバンドも衰退してしまったようですね。
 もちろん、街で耳にするジャズこそが古典として残った唯一のモードだと言い張るつもりはありません。耳に心地よい大衆受けする部分が切り取られているのだとみなすことはできます。これは歯医者さんやエステなどでモーツァルトばかりがかかっているのと似ていなくもないですね。
 多少真剣に(あるいはマニアックに)ジャズを聴いている人たちは、個人のレベルで、変貌以後から死の直前までのコルトレーンや、アルバート・アイラーや、オーネット・コールマンや、セシル・テイラーを追求しているのかもしれません。しかし、こうした演奏家の音楽は、一部のファンを除き多くの人の共感を呼び起こすことはできていません。
 これらの傾向は、それに先立つ数年間にモダンジャズが頂点を極めてしまったので、その先に抜け出ようとすると、どうしても人口に膾炙しえない難しい隘路に入り込まざるを得なかったことをあらわしています。それはちょうど、クラシック音楽で、バッハからドビュッシー、ラヴェル、チャイコフスキーくらいまでが、普通のファンに受けるぎりぎりの幅で、それ以後の、バルトーク、コダーイ、マーラーなどがとっつきにくい領域として感じられているのと同じです。
 私は、芸術が広く大衆に受け入れられて定着してゆく事実とかけ離れたところで、何か難解で高尚で、摂取に骨の折れる意味ありげな芸術性のようなものが、それだけで価値が高いとするような考え方を認めません。バルトークその他がかろうじて芸術的意義を持つのは、それ以前の古典派、ロマン派の音楽の膨大な蓄積があり、それが大きな感動を呼んで今なお聴衆の耳になじんでいるという事実を前提とする限りにおいてです。すでにやり尽くされてしまったその蓄積があるからこそ、それを土台として初めて、それだけでは近代人の複雑な感性を表現しきれないのではないかというモチベーションがはたらきます。結果的に現代音楽のような方向性が一つの止むにやまれぬ克服と探求の道として出てくるのだと思います。
 しかしそれらの探求が、クラシック音楽の歴史の中で、かつての古典派、ロマン派(バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、チャイコフスキーその他)に匹敵するような確実な地歩を確立することは、おそらくもうないでしょう。
 同じことがジャズについても言えます。オーネット・コールマンやアルバート・アイラーが、絶頂期のマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンス、ソニー・ロリンズ、マックス・ローチ、フィリー・ジョー・ジョーンズ、ウィントン・ケリー、レッド・ガーランド、ポール・チェンバースらがこぞって作り出していたあの雰囲気とスタイルを乗り越えて復活・定着するなどということはあり得ないと私は断言します。そしてその雰囲気とスタイルこそが、いまだに受け継がれて、現代ジャズミュージシャンたちの演奏の基本的なモチベーションを生み出しているのです。それが、モダンジャズが立派に古典化したということの本来の意味です。
 酒場で聴こえてくるジャズがそろいもそろってこの時期のスタイルを踏襲したものになっているのは、それが大衆にとって安直で聴きやすいからではありません。多くの人の美意識に素直に訴えてくる優れた音楽スタイルだったからこそ、大衆の中に浸透し定着していったのです。

 それでは、50年代半ばから60年代前半までの間に活躍したジャズミュージシャンのうち、このシリーズに登場した有力メンバーの生没年、年齢を書き記すことにしましょう。

  プレイヤー             生没年     年齢

  ブッカー・リトル(tp)       1938~1961    23
  クリフォード・ブラウン(tp)    1930~1956   25
  スコット・ラファロ(b)       1936~1961    25
  ソニー・クラーク(p)       1931~1963   31
  リー・モーガン(tp)        1938~1972   33
  ポール・チェンバース(b)    1935~1969   33
  チャーリー・パーカー(as)    1920~1955   34
  エリック・ドルフィー(as,bc,fl)   1928~1964   36
  ウィントン・ケリー(p)       1931~1971   39
  ジョン・コルトレーン(ts,ss)    1926~1967   40
  バド・パウエル(p)         1924~1966   41
  キャノンボール・アダレイ(as) 1928~1975   46
  ビル・エヴァンス(p)       1920~1980   51
  レッド・ガーランド(p)       1923~1984   60
  フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds) 1923~1985   62
  マイルス・デイヴィス(tp)    1926~1991    65
  トミー・フラナガン(p)      1930~2001   71
  ジャッキー・マクリーン(as)   1931~2006   74
  レイ・ブラウン(b)        1926~2002   75
  ミルト・ジャクソン(vb)      1923~1999   76
  エルヴィン・ジョーンズ(ds)   1927~2004   76
  マックス・ローチ(ds)       1924~2007   83
  ソニー・ロリンズ(ts)       1930~      84(存命中)
 ―――――――――――――――――――――――――――――――――  
    平均                       51.4

 以上のとおりです。
 一見してわかるのは、40代までが異様に多く、50代、60代が少ないということです。また、その峠を越えた人は、けっこう長生きしているとも言えます。なお、現在のアメリカ男性の平均寿命が75~76歳で、1940年代生まれの人がそれくらい生きているということになりますから、やはり、かなり若死にが多いと言えるでしょう。
 ジャズミュージシャンの場合、麻薬常習の問題を原因の一つとして重要視しないわけにはいきません。 また、演奏に激しく情熱を傾けることも体に無理を強いる一因でしょう。さらに、不規則で乱脈な生活も関係していると思います。夭逝した人のなかには、事故死が何人かいますが、それも、飲酒や睡眠不足や疲労と無縁ではないように思います。
 芸術のために激しく燃焼し、命を代償にしても自己表現にすべてをかけざるを得なかった人々――ジャズの巨人たちの短い生涯のうちに、そうした哀しい法則のようなものの一端を見る思いがするのは、私だけでしょうか。
 しかし彼らはそのようにして私たちに不滅の音楽を残してくれたのです。いまは、彼らが、あの10年足らずの花火のような期間に、力を合わせて素晴らしい芸術の創造のために尽くしたその心意気に大いなる敬意を表しつつ、彼らの冥福を祈ることにしましょう。

 後には、なぜこのような信じられないことが可能となったのかという謎が残りますが、大きな背景として、この10年間は、二度の大戦に勝利したアメリカが、覇権国家として精神的にも物質的にも、最も力と自信を持っていた時期に相当するということと関係がありそうです。ヨーロッパに長い間文化的なコンプレックスを抱いてきたこの国は、この時初めて、自国独自の文化がある形で成熟するのを直感したのだと思います。ハリウッド映画の全盛期もこの時期に重なっていることを考え合わせると、ニューヨークを中心としたモダンジャズの成立という「事件」をそうした社会的背景に結びつけるのも、あながち牽強付会とばかりは言えないと思うのですが、いかがでしょうか。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(17)

2014年06月12日 17時57分32秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(17)


 前回、ジャック・ルーシエを紹介して、ヨーロッパのジャズについてもう一回語ると予告してから、だいぶ間があいてしまいました。
 いろいろと忙しかったこともありますが、じつはそれは言い訳にすぎません。本当の理由は、自分の知っている範囲内で、モダンジャズについて語りたい重要なことはだいたい語ってしまったかなという気持ちになっていたからです。一種の脱力感ですね。
 それで、このシリーズを丁寧に追いかけてくれている友人に、あと2回で一応終わりにするつもりだと話したところ、「それは残念。もっと続けてくれないか」と言われました。そう言ってくれるのはとてもありがたいことなので、エンドレスでやっていこうと思い直しました。
 とはいえ、当初の心積もりを曲げて急旋回することもできませんから、あと2回で一段落つけ、それからもう一度態勢を建て直して取り組もうと考えています。どういう装いにするか、いま思案中です。

 このシリーズの一応の落ち着きどころをヨーロッパのジャズにしようと決めたのには、わけがあります。
 まず、年を取ってきて、自然とそういうサウンドを求めるようになったという点です。たまたまレコード店で「澤野工房」というヨーロッパ・ジャズ専門の製作・販売会社を見つけ、そこから出ているアルバムを聴いたのがきっかけでした。
 この会社のアルバムは、独自のプロデュースを手掛けていて、CDのジャケットもオシャレな紙製、とても趣味がよく、流れ出る音とマッチしています。これは私の勝手な感想ですが、このレーベルは、日本人の「和」の感覚とヨーロッパ人の伝統とが見事に融合したところに生まれたものだろうと思います。
 エルヴェ・セランというフランスのピアニストの『ハッピー・ミーティング』から一曲、「アイ・シュッド・ケア」を紹介しようと思ったのですが、残念ながらつかまりません。高音部はウィントン・ケリーばりの溌剌とした展開、ハーモニー部分の処理はビル・エヴァンスによく似ています。これらの巨人たちのよい部分を素直に身体に沁みこませてきたのでしょう。
 一般にヨーロッパ人のジャズ演奏は、爆発的なエネルギーを感じさせない代わりに、とにかく音がきれいです。特にベースの音色が素晴らしい。さすがにクラシック音楽の故郷ですね。
 黒人ベーシストの巨人、レイ・ブラウンポール・チェンバースはそれぞれ屹立していますが、音はそれほどきれいではありません。特にポールは、アルコ(指ではじくのではなく弓で弾く)での演奏を得意としていましたが、その音はかなりダーティです(ちなみに私は彼のアルコ演奏はあまり好きではありません)。スコット・ラファロは白人ですが、表現への情熱がもろに出ていて、音そのものは「心地よい」とは言いかねます。
 これに対して、前に紹介したジョージ・ムラーツミロスラフ・ヴィトスは、とてもきれいな音を出します。彼らはアメリカが主たる活躍舞台でしたが、いずれもチェコ人です。ここには歴然とした違いが認められます。
 こうして私は、中年以降、心の休まるきれいな音をジャズに対しても求めるようになったらしい。人生に疲れてきた証拠かもしれません。

 それではここで、クラシックの名曲をジャズでアレンジしてかなりポピュラーになったヨーロピアン・ジャズ・トリオの演奏を二曲聴いていただきましょう。ヨーロピアン・ジャズ・トリオは、オランダのグループですが、かつて繁栄した海洋国家・オランダの、世界に開かれた感性の伝統を耳にする思いです。クラシック特有の繊細さと格調の高さを活かしつつ、しかも紛れもなくジャズのスイングするスピリットを自家薬籠中のものにしています。じつにいいセンスですね。
 一曲目は『マドンナの宝石』から、ポピュラーなところでショパンの「幻想即興曲嬰ハ短調」。この曲では、中間部の主題だけを取り出して、そこから自由に即興演奏を繰り広げています。パーソネルは、マーク・ヴァン・ローン(p)、フランス・ホーヴァン(b)、ロイ・ダッカス(ds)。なおピアノはトリオ結成期から途中でマークへと代わりましたが、マークに代わってからのほうがこのグループの持ち味が鮮明に出ているようです。

European Jazz Trio : Fantasie Impromptu


 二曲目。『天空のソナタ』から、同じくショパンの「前奏曲第15番」。有名な「雨だれ」です。この屈指の名曲をジャズでどう処理するか、とても興味深いですね。必ず共感してもらえると思いますが、期待にたがわぬ名演奏になっています。軽快なリズムセクションに乗って、あのシンプルで美しいメインテーマとそのヴァリエーションが繰り返し出ては消え、出ては消えしますが、うっとうしいこの季節にこれを聴いていると、雨に洗われた清々しい紫陽花を窓辺から眺めているようで、何ともさわやかで幸せな気分になります。「雨もまたよし」です。

European Jazz Trio-Chopin-Raindrop


ついでですから、原曲をマウリツィオ・ポリーニの演奏でお聴きください。こちらはやはり本格的。少し重たげですが、全曲を通して打ち続けられる左手のリズムが時の恒常的な流れを象徴しているようです。そうして中間部で、低音によるやや沈鬱な情熱がロマンティックに表現された後、再びテーマへ。終結部、一瞬時の流れが途絶える衝撃が走りますが、また元に戻って静かにフェイドアウトしてゆきます。その何とも言えない余韻。
 思わず本道から外れましたが、いやあ、ショパンってほんとにすごいですね。

M.Pollini - Chopin - Prelude Op. 28 No. 15 in D Flat. Sostenuto (Raindrop)


 もう一グループ、ベースがリーダーを務めるフランスのジャン・フィリップ・ヴィレ・トリオを紹介しましょう。このトリオは、おそらくリーダーの意向でしょうが、ひとりひとりがあまり出しゃばらずに、あくまで全体のアンサンブルに重きを置いているようです。その意味では、かつてのジャズメンのようにソロプレイヤーの個性を強く押し出すというよりは、やはりクラシックの室内合奏曲のような趣があります。しかし曲目はクラシック曲の変奏ではなく、ヴィレをはじめとしたメンバーのオリジナル曲がほとんどです。
 このトリオは、さほど著名ではないようですが、こういうサウンドを創造できるというのはやはりヨーロッパ人ならではのところがあり、ジャズの流れが行き着いた地点のひとつとして、貴重な存在と言えるでしょう。
 では『エタン・ドネ』から「デリーヴ」。パーソネルは、ヴィレのほかに、エドワール・フェルレ(p)、アントワーヌ・バンヴィル(ds)。ヴィレのアルコ演奏によるきれいなソロが楽しめます。

Jean-Philippe Viret Trio - D�・rives


 以上聴いていただいたように、ヨーロッパのジャズは、ジャック・ルーシエを別格として、比較的おとなしいオーソドクシーに還帰していく志向を示しています。そこには、残念ながら、あの輝かしいニューヨーク・ジャズメンたちの激しいエネルギーと気迫が感じられません。少し意地悪な見方をすると、これは、もはや盛りと成熟を過ぎて衰退しつつある現在のヨーロッパ文明全体を象徴していると言えるかもしれません。
 私自身の耳は、自分がとっくに盛りと成熟を過ぎているので、こういう「沈みゆく美しさ」もまたいいものだなあ、と感じているのですが。


*次回は、これまで書いてきたことのまとめとして、花火のように短くも激しかったモダンジャズの最盛期を総括し、一応の区切りとしたいと思います。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(16)

2014年04月24日 23時04分46秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(16)



 ジャズの最盛期は60年代に終わってしまった――そういう意味のことをこの前書きました。これについて共感するコメントを寄せてくれた人もいました。しかしそのオーソドックスな流れが途絶えてしまったわけではありません。
 日本では、この正統派ジャズはけっこう人気が高く、ちょっとそのへんの飲み屋などに入ると、BGMとしてジャズを流している店が圧倒的に多いのに気付きます。ジャズをバックに友人と静かに語らいながら日本酒を傾ける――これってとてもいい雰囲気ですね。一つの定着した文化といってもいいくらいです。若者にも受けがいいようです。
 またお茶の水に「NARU」というライブバーがあり、ここでは連日、ジャズメンが出演して真剣な演奏に力を注いでいます。若手もどんどん輩出していますが、往年活躍した大野雄二(p)、辛島文雄(p)、峰厚介(ts,ss)といった人たちもベテランの味を披露してくれます。私は残念ながら聴き逃したのですが、いまは亡き迫力ある個性派ピアニスト、本田竹広もかつてはここで演奏していました。息子さんはドラマーの本田珠也で、彼もこの店によく出ているようです。
 ちょっと長くなりますが、この親子のライブ版を聴いていただきましょうか。特に二曲目は、はじめの部分、日本唱歌の「浜辺の歌」のように聴こえますが、たいへん情緒豊かな曲で、まさに「ジャズ・バカ」というニックネームを本田に進呈したくなるような情熱のこもった演奏です。



 さて、アメリカで生まれたジャズは、その精神がヨーロッパに受け継がれ、この伝統的な文化風土にふさわしい、独特な開花の仕方をします。それについて語りましょう。
 このシリーズの初めのほうで、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)をご紹介しましたが、たたずまいが端正で、とても長続きしたこのグループは、早い時期からジャズとクラシックとの橋渡しに大きく貢献しました。リーダーのジョン・ルイス(p)がもともとクラシックへの憧れが強く、ヨーロッパ風の典雅な曲をいくつも作曲しています。しかもメインプレイヤーのミルト・ジャクソンのビブラフォンの調べがブルース調でありながらとても気品ある音色を奏でるという点も手伝って、クラシックファンにも大いに人気を博しました。
 その代表作、ユニークなギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトを偲んで作られた「ジャンゴ」をお聴きください。パーソネルは、二人のほかに、パーシー・ヒース(b)、コニー・ケイ(ds)。



 MJQはアメリカの黒人グループですが、ジャズとクラシックの融合という役割を果たしたヨーロッパのミュージシャンといえば、ドイツ人のオイゲン・キケロ(p)と、フランス人のジャック・ルーシエ(p)の二人を挙げなくてはならないでしょう。
 二人とも、バッハやショパンなどクラシックの名曲をテーマにしながら、それをジャズの感覚やリズムで処理していくところに共通の特徴があります。
 まずキケロから。ショパンの「24の前奏曲 作品28の4 ホ短調



 ソロパートで彼はボサノバ調の8ビートを採用しています。なかなか心地よい演奏ですが、ショパンのあの小曲の消え入りそうな雰囲気をうまく活かしたのかというと、少し疑問が残ります。なぜなのだろうと考えたのですが、彼の演奏には、クラシックの名曲なら必ず持っている「翳り」というものがあまり感じられないのですね。これは、バッハの有名な「トッカータとフーガ ニ短調」を冒頭に使った「ソフトリー サンライズ」では、さらにはっきり言えることで、生真面目に鍵盤をたたいている印象があり、いまいち深みに欠ける憾みが残ります。興味のある方は聴いてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=uKYEg2t0dxA

 いっぽうのジャック・ルーシエですが、彼は59年にバッハをジャズで演奏して一躍名を馳せました。「プレイ・バッハ」シリーズを立て続けに3枚、5年後にまた2枚出して一世を風靡します。これは、ジャズファンにとってまさに新鮮な驚きでした。じつに画期的な試みだったと思います。そもそもバッハとジャズとがこれほど相性がいいということ自体、大きな発見であり、「コロンブスの卵」ともいうべき快挙でした。
 しかし、いま聴きなおしてみると、やはり何というか、実験的な試みに伴いがちな一種の硬さが取れていず、本当に融合に成功しているとは言い難い部分もあります。
 ところがそれから約20年後、彼は第二期トリオを組み、もう一度バッハの多くの曲のアレンジメントに挑み、「デジタル・プレイ・バッハ」2枚組(「ザ・プレイ・バッハ」とも銘打たれています)その他を出します。これは成熟を物語る素晴らしい出来栄えで、メンバーとの呼吸の合い方もよく、録音もとても優れています。私は何度このCDを聴いたかわからず、友人にも勧めたり貸したりしました。
 ではその中から続けて2曲。パーソネルは、ヴァンサン・シャルボニエ(b)、アンドレ・アルピノ(ds)。
 1曲目。平均律クラヴィーアから「前奏曲第1番 ハ長調」。
 原曲からは一見飛躍したようなジャズのノリになりながら、随所に原曲のあの、人をかぎりなく和ませるモチーフが織り込まれているのが感じられます。後半、急速調で展開しますが、それがそのまま、最後に至ってちゃんと座るべきところに落ち着くという流れになっています。



 2曲目。例の「トッカータとフーガ ニ短調」。



 この曲でルーシエは、さまざまにテンポを変えたり、多様な奏法を繰り広げたりと、起伏のある構成の妙を楽しませてくれます。それでいてそこにはある種の統一性が流れており、原曲の気高い雰囲気を失ってはいません。ルーシエは相当工夫したのだろうなあ、と想像されます。
 ご存知のように、原曲はパイプオルガンによって演奏される教会音楽です。もちろん原曲にも様々な変化の工夫がなされてはいますが、残念ながら、オルガンという楽器はもともと細やかな表情を表現するには適していない楽器です。肉声からははるかに遠く、天上から降りて来る響きのようで、生身の人が弾いているという感じがしないのですね。
 それもそのはず、もともと教会音楽というものは、神が創りたもうたこの宇宙の偉大さをいかに表現するかというモチーフに裏付けられています。オルガンはこのモチーフにとってはまことにふさわしい楽器であり、その荘厳な響きは、教会のなかでこれを聴く信者にとっては、天空の広大さや創造神の崇高さを身に沁みてわからせてくれる絶大な効果を持っているのでしょう。
 ところでこのことは、現代人である私たちから見ると、あまり人間味ののない、ただ理性と秩序のみが支配する冷たい世界の表れのように感じられてしまう要因にもなっているようです。試みに原曲を掲げておきましょうか。演奏は吉田美貴子。



 さてルーシエの演奏は、ピアノという楽器のせいもあり、たいへん表情に富んだものとなっています。あるいは、ジャズでないとこれだけの身近さを演出するのは難しかったかもしれません。
 総じて、彼の演奏には、先に例示したオイゲン・キケロなどとは異なり、とてもオシャレな雰囲気、余裕とヒューマニティと洗練された味わいが感じられます。やっぱりフランス人って、そういう柔軟なところがあるのかなあ、と思います。
 いずれにしても、彼の存在が、クラシックとジャズの融合という課題を果たすのに大きく寄与したことは疑いがないでしょう。ここには、ただの無雑作なフュージョン一般とはちょっと次元が違って、かなり高度な新しい音楽的境地の達成が見られると思うのですが、いかがでしょうか。

 次回、いま少しヨーロッパのジャズについて語りたいと思います。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(15)

2014年04月10日 16時52分46秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(15)


    チック・コリア

 少し私自身の昔の生活の話をさせてください。

 私は1972年、25歳で結婚し、翌年とその次の年、続けて子どもが生まれました。小さな塾経営で暮らしを立てていたのですが、あまり儲ける才覚がないのと、物書きになる夢が捨てきれないのとで、経営に全力を注ぐこともせず、収入はおっつかっつ、生活に追われて精一杯の何年かを過ごしました。
 それにしても年子というのはたいへんですね。下の子が夜泣きが激しいので、夫婦でキャッチボールみたいにかわるがわるあやすのですが、一向に泣き止まず、疲れ果ててしまうこともたびたびでした。
 寝室で妻と子ども二人が寝入ったらしいのを幸い、束の間を見てヘッドホンでジャズをちょっと聴いていたら、突然、「なに、自分だけ勝手なことをしてるのよ!」と怒鳴られたこともありました。寝入ったと思いきや、じつはまた夜泣きを始めたらしく、ヘッドホンのせいでそのことに気づかなかったのです。
 塾の仕事は夕方から夜ですから、昼間は家にいます。子どもが3、4歳になると、とても可愛くて、毎日、遊び相手として接することができました。公園で鬼ごっこをしたり、レコードをかけて童謡を歌ったり、紙粘土でいろんなものを作ったり、日曜大工で子ども用の本箱を作ったり、夜は絵本を読んであげたり、と。普通のサラリーマンとは違って、よい意味でも悪い意味でもかなり濃密な父子関係だったと思います。
 なぜこんなことを書くのかと言いますと、この時期からしばらく、大部分の人生時間が仕事と家庭生活(と、合間を縫っての勉強)で占められていたので、ひとりジャズを楽しむという時間帯をほとんどキープできなかったのです。幼い子どもがいるところで、まさか大音量でジャズをかけるわけにもいきません(クラシックはかけていましたし、子どもにはピアノを早くから習わせたりもしましたが)。私はジャズを楽しむのにふさわしい「孤独な青年」を早く卒業してしまったわけですが、それはそれで、充実した日々でした。
 そんなわけで、ある時期以降のジャズの発展の仕方をあまり知らないのです。チック・コリアキース・ジャレットがもてはやされているころ、むしろクラシックのレコードやCDを買いあさっていました。
 ただ、手前味噌な言い方になりますが、私がジャズ鑑賞からリタイアしていたころ、ポップスの世界の表舞台はほとんどロックに乗っ取られており、古典的なモダンジャズの生命はもう衰えていたようです。そのロックもじきに分化と複雑化の過程をたどり、世界のさまざまな音楽が混淆し、何が主流なのかがはっきりつかめないようになりました。世はフュージョン花盛りを迎えたということでしょうか。
 ジャズメンもサンバやロックのリズムを取り入れたり、エレクトリックピアノやシンセサイザーを使ったり、インド音楽に近寄ったり、ストリングスと共演したり、というわけで、私自身が青春時代につかんだ音楽的感受性のふるさとと思える世界が、どんどん遠くなっていくような気がしたのも事実です。ですから、自分のリタイアは、正解だったのかもしれません。私はたまたまモダンジャズの最盛期の数年後に鑑賞者となりましたが、これは日本にいれば、ちょうどよいタイムラグであり、そのことはとても運が良かったのではないか、と今では思っています。
 たとえば、60年代末以降のマイルス・デイヴィスの変貌にはがっかりしましたし、ジョン・コルトレーンをはじめとするフリージャズの行きづまりも当然だという気がしました。また、このシリーズの初めに紹介したチック・コリアの「ナウ・ヒ―・シングズ・ナウ・ヒ―・ソブズ」は、初期の傑作ですが、その後、エレクトリックピアノやヴォーカルを取り入れた「リターン・トゥ・フォーエバー」などは、多少オシャレなBGMの域を出ていず、ちっともいいと思えません。これは、彼の名前をポピュラーにしたようですが、もうジャズとは言えないでしょう。
 もしよろしければ、もう一度、「ナウ・ヒ―・シングズ……」から、「ステップス――ホワット・ワズ」を聴いてみてください。リズム感覚といい、斬新なリリシズムといい、内面性の深さといい、文句ない出来栄えです。パーソネルは、ミロスラフ・ヴィトス(b)、ロイ・ヘインズ(ds)。なおベースのミロスラフ・ヴィトスは、チェコ出身の異才で、ヨーロッパ出身者にふさわしい美しい音を響かせています。



 ついでに、同じアルバムから、タイトルテューンの「ナウ・ヒ―・シングズ・ナウ・ヒ―・ソブズ」。ここでチック・コリアは、コルトレーンと共演していたマッコイ・タイナーによく似た、格調が高くありながらしかもスウィンギーなソロを聴かせてくれます。



 なおつまらない話ですが、チック・コリアについては、おやじジャズファンとして、ひとこと言いたいことがあります。「スペイン」という有名な曲がありますね。これはいま、彼の「作曲」ということになっています。YouTubeにもそう書かれています。しかし、暖簾にこだわるようですが、この曲の最初に出てくるテーマは、スペインの作曲家ロドリーゴのギター曲「アランフェス協奏曲」であって、チック・コリアの作曲ではありません。チック・コリアは、はじめのテーマをロドリーゴの曲のとおりに弾いており、突然、テンポを変えて自分の作曲部分へと進んでいきます。これはいかにも唐突であり、ロドリーゴの曲との連続性が感じられません。
 なぜこんなうるさいことを言うのか、その理由は2つあります。
 一つは、アランフェス協奏曲が早くからジャズメンたちの敬愛の的となっており、マイルスの「スケッチズ・オブ・スペイン」や、MJQの演奏ですでにとっくに取り入れられているからです。
 もう一つは、この曲は、マドリード近郊の静かで落ち着いた古城の町アランフェスに材料を採ったもので、原曲にはその哀愁に満ちた雰囲気がとてもよく出ています(私もこの町を訪れたことがあります)。マイルスやMJQは、いずれもそれを尊重していますが、チック・コリアはその雰囲気をまったく変えています。フラメンコ調の激しい乗りになってしまっているのですね。両者は、「スペイン」という言い括りではつながらない。
 もちろん、ジャズに限らず、音楽の世界ではそういうことをやるのは当たり前で、だからこそチック・コリアのオリジナリティが出ているとも言えます。それ自体はいいのですが、ロドリーゴの曲を導入に用いていながら、「チック・コリア作曲『スペイン』」という言い方がまかり通るのが気に入らない。せめて「ロドリーゴの主題から」といった断り書きくらいはつけるべきでしょう。ちなみに私自身は、原曲のほうがずっと好きです。
 たとえば、グノーの「アヴェマリア」が、バッハの平均律クラヴィーアの前奏曲1番をベースにしていることはよく知られていますが、これには見事な調和が感じられます。また、マイルスやビル・エヴァンスの「枯葉」は、これぞジャズともいうべきとても魅力的で新鮮なイメージを生み出すことに成功しています。しかし、チック・コリアの「スペイン」は、曲自体はそんなに悪くありませんが、ロドリーゴを導入部に用いる必然性が感じられないのです。それかあらぬか、後のライブなどでは、「スペイン」を演奏するとき、彼はこの導入部を削除しているようです。
 みなさんはどうお感じでしょうか。ひとつ、名ギタリスト、ナルシソ・イエペスの演奏する「アランフェス協奏曲」と、チック・コリアの「スペイン」とを聴き比べてみてください。





 フュージョンが当たり前になってしまった現在の音楽シーンでは、誰もが知らず知らずのうちに、さまざまな民族性を持つ音楽の影響を多面的に受けざるを得ず、シンプルな独創性を示すのがかえって難しくなったと思います。今回、以上のような小うるさいことを書いてきたのも、あのすでに古典と化したモダンジャズ最盛期の精神をきちんと引き継ぎながら、しかも高度で斬新なな感動を与えてくれるような可能性の展開はもう望めないのかもしれない、と考えたからです。じつはそれは(これは私の貧しい鑑賞体験から言えるに過ぎませんが)、かろうじてヨーロッパ人の手になる、クラシックとジャズを融合させた音楽のなかに見出すことができます。次回はそれについて書きましょう。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(14)

2014年03月21日 03時13分30秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(14)


 前回、エリック・ドルフィーブッカー・リトル(tp)とが、ジャズクラブ「ファイヴ・スポット」で共演したライヴ版のなかに、私がイチオシの曲があると書きました。それは3枚あるアルバムの2枚目に収められた「アグレッション」です。この曲はブッカーのオリジナルであり、題名どおり、たいへんアグレッシブで、戦闘的な意欲をかき立てる演奏です。この曲でドルフィーはベースクラリネットを吹いており、その独特の演奏スタイルも聴きものですが、ここでの主役はやはりブッカーでしょう。
 パーソネルは、二人のほかに、マル・ウォルドロン(p)、リチャード・デイヴィス(b)、エディ・ブラックウェル(ds)。

 まずテーマをブッカーが吹き、ドルフィーがそれに合わせます。そのままブッカーのソロに突入。彼のソロは、アップテンポに乗りながら、速い指の運びで吹きまくる部分と長く息を吐き出す部分との両方で構成されていますが、次のフレーズを繰り出す前に間をあけ、よく考えたうえで吹くという特徴があり、それが生演奏らしいたいへんメリハリのある効果を生んでいます。単に「攻撃的」なのではなく、息の長い部分ではトランペットという楽器がもともと持っている哀調が存分に発揮されています。何となく日本の軍歌を連想させるところがあります。
 これは61年の録音ですが、マイルスが新しいクインテットを組んで、速いパッセージのアドリブを好んで聴かせはじめたころの演奏に通ずるものが感じられます。マイルスの新しいクインテットは63年以後ですから、そう考えると、12歳も年下のブッカー・リトルのほうがマイルスに先駆けていたことになります。事実関係はよく知りませんが、マイルスは状況に鋭敏な人ですから、もしかするとこの若輩に強い影響を受けたかもしれません。そんなふうに想像すると、なんだか楽しくなりませんか。
 ブッカーの場合、大御所クリフォード・ブラウンの演奏から深く学んでいるところがあり、その意味では、この若き天才が、先達のすべてをみずみずしい感性によって吸収して発展させたと言えるでしょう。
「アグレッション」は17分に及ぶたいへん長い演奏ですが、冗長さをまったく感じさせません。ソロはブッカーからドルフィーに受け継がれ、マル、リチャードへと続き、ブッカー、ドルフィー、エディ三人の短いかけあいのあと、エディのドラムソロ、そしてテーマに戻って終わります。全体のバランスもよく、全編スリルに満ちており、生演奏としては比類ない逸品と言えるでしょう。
 ではどうぞ。

Eric Dolphy And Booker Little At The Five Spot Cafe- Aggression


 さて、ブッカー・リトルは、このファイヴ・スポットでの演奏の3カ月後になんと急死してしまいます。享年23歳。素晴らしい相棒を得たドルフィーの落胆はいかばかりだったでしょう。前にビル・エヴァンスの相棒スコット・ラファロが、ヴィレッジヴァンガードでのライブの数日後に、25歳の若さで交通事故死したことを書きましたが、天才って、夭折を運命づけられているのでしょうか。ちなみに、クリフォード・ブラウンも26歳で交通事故死しています。
 その後ドルフィーは、ヨーロッパに遠征し「イン・ヨーロッパ」というアルバムを3枚残しています。vol.1の中からフルートの演奏で、ベーシスト、チャック・イスラエルとのデュオ、「ハイ・フライ」をお聴きください。チャック・イスラエルは、スコット・ラファロ亡き後のビル・エヴァンス・トリオのベースも務めました。なんだか因縁が深いですね。
 この演奏、孤独感が深く、けんめいに息を吐き続けるドルフィーは、涙を必死でこらえているような趣があります。途中でふー、とため息のような声を漏らす部分が出てきますよ。

20140301 schuimfontijn Balans Middelburg ~ Hi-Fly ~ Eric Dolphy


 前にちょっと名前を出したことがありますが、名トランぺッターの一人にフレディ・ハバードがいます。彼は60年代のフリージャズ華やかなりしころに名を連ねていますが、その演奏はむしろオーソドックスで、破壊的なところは少しもありません。もともと抒情的でメロディアスなフレーズを吹く人で、いわゆるフリージャズには本質的な影響は受けなかったと言えるでしょう。
 フレディは、ブッカー・リトルと同年生まれで、仲良しでした。たぶんブッカーをかぎりなく尊敬していたのだと思います。彼がブッカーを偲んだ曲があります。「ハブ・トーンズ」から「ラメント・フォー・ブッカー」。パーソネルは、ジェームズ・スポールディング(fl)、ハービー・ハンコック(p)、レジー・ワークマン(b)、クリフォード・ジャーヴィス(ds)。
 今回はここでお別れしましょう。

FREDDIE HUBBARD, Lament For Booker

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(13)

2014年03月18日 23時48分47秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(13)


 コルトレーンマイルスと、二人の巨人を扱って、少々疲れたというのが本音です(笑)。この人たちはやはりハードですね。じつは骨休めのつもりで、ひそかにスタン・ゲッツジョアン・ジルベルトの「ゲッツ/ジルベルト」などを聴いておりました。
 モダンジャズの黄金時代である50年代末から60年代初頭は、ブラジル音楽の新しい流れであるボサノヴァが世界的に広まった時代でもあり、特にソフトなテナーを吹くスタン・ゲッツと、ギター、ヴォーカルのジョアン・ジルベルトとの共演になる「ゲッツ/ジルベルト」は、アメリカで爆発的な人気を呼びました。ジャズとブラジル音楽の新しい結合と言えるでしょう。もっともこのアルバムがあれほど人気を博したのは、多分に、ジョアンの妻、アストラッドが英語で歌った「イパネマの娘」が大ヒットしたことによるところが大きいようです。
 マイルスやコルトレーンなどのようなジャズ本道における芸術追求型の流れに対して、彼らの音楽は、けだるさと軽さとを備え、誰もが口ずさみたくなるような心地よい調子と旋律を備えています。バリ島か何かに旅行して、マッサージでも受けながらリラックスした気分に浸って聴く、そんな中流階級好みの雰囲気を持っています。
 では「コルコヴァード」を聴いてみましょう。

ゲッツ/ジルベルト   コルコヴァード


 おくつろぎいただけましたか? だいぶ肩もほぐれたことと思います。
 これまで紹介してきた曲とずいぶん雰囲気が違いますね。まあ、私などは、ことジャズに関しては、原理主義的な傾向が強いので、こういう曲もたまにはいいと思うものの、「これはジャズじゃない、ジャドゥだ!」と言いたいところもあります。
 そのこととは別に、ボサノヴァはアメリカでは、この後、かなり衰退してしまったそうです。そのわけは、ジャズの隆盛と、ビートルズやローリングストーンズなどの上陸によるロックの支配との間に挟まれて、束の間の息抜きのような位置づけになってしまったということらしい。日本ではいまでも人気がありますけれどね。一本気のアメリカ人と何でも吸収する日本人との差かもしれません。

 では眠気覚ましに、オーソドックスなジャズを一曲。
 以前、このシリーズを始めたころに、ソニー・ロリンズを紹介しましたが、そのとき、You Tubeでつかまえることができずに曲名のみ記したことがありました。素晴らしい演奏なのに悔しい思いをしました。今回うまくキャッチできたので、それを聴いてください。「ワーク・タイム」から「イッツ・オーライト・ウィズ・ミー」。パーソネルは、レイ・ブライアント(p)、ジョージ・モロウ(b)、マックス・ローチ(ds)。特に終盤のロリンズとローチの何ともスリリングなかけあいが聴きものです。

Sonny Rollins Quartet - It's Alright with Me


 さて、態勢を立て直して、再びハードな本格論へ(笑)。
 60年代初頭以降、ジャズの本流は規範をどんどん崩していく方向に進みます。先に紹介したマイルスのモード奏法はその先駆けですが、これをさらに崩してフリージャズへの先鞭をつけた一人がコルトレーンでした。
 しかし、じつをいえば、ほとんど同じ時期にそういう方向への歩みをすでに進めていた人たちがいます。エリック・ドルフィー(as,fl,bc)、オーネット・コールマン(as)、セシル・テイラー(p)、アルバート・アイラー(ts,ss)といった人たちです。
 ところで私は、ここに挙げた四人のなかで、エリック・ドルフィー以外の三人をあまり聴いてきませんでした。この三人には、初めから自分の心を揺さぶるものが感じられなかったからなのですが、いま少しばかり聴きなおしてみると、やっぱり興味が持てない点では変わりありません。自分なりに考えてみると、どうも次のように言えそうです。
 この三人の演奏に共通していえること。それは、はっきり言って一本調子で退屈だということです。規範や制約を思い切り壊して、自分ひとりの表現したいことだけを勝手に吹いたり弾いたりして蜿蜒とやっています。その異常な熱意はわかるものの、サービス精神というものがそもそもまったくなく、聴衆はちっとも楽しめません。長い曲のどの部分を拾ってみても、構成もへったくれもなく、ただ同じ調子しか聴こえてこないのです。
 音も意識的にダーティなところを狙っているし、調子のよさとか、リズミカルな乗りとか、しっとりくる情緒とか、間の味わいとか、物語的な展開といったものがおよそ感じられません。「フリー」であることがかえって音楽的な良さとして生きていないのだと思われます。つまり「マスターベーション」なのですね。「ただやりたいようにやる」というふうにしてしまうと、音楽はどうもマスターベーションになってしまうようです。
 まあ、三人のなかではオーネット・コールマンが一応形になっていて、かなりマシだと言えるでしょうか。しかし彼は、なんだってバイオリンやトランペットに手を出してヘンなことを始めたんだろうか。一種のクソマジメなんでしょうね。
 ここには例示したくもないので掲げませんが、私の感想が間違っていると思う方は、どうぞ上記三人の演奏を各自試聴してみてください。
 私の主張に、二つだけ傍証のようなものを付け加えておきます。
 一つ。彼らのとった方向が、その後、豊かな発展を見て、多くの聴衆や演奏家の間に根付いていった形跡は見られない。たとえば日本のジャズピアニスト・山下洋輔は、セシル・テイラーのピアノに大きく影響を受けたと言われていますが、山下さんのピアノは、その激しさの点では共通しているものの、はるかに調和的で、音楽の伝統を重んじており、音も美しく、劇的な展開の妙も心得ているし、曲としての完結性も備えています。むしろ彼はショパンなどのクラシック・ロマン派的な感性の持ち主だと思います。
 二つ。この三人の演奏は、他の楽器演奏者との共演によっていいものを作ろうという気がどうもないようで、ジャズの醍醐味である丁々発止のやりとりがほとんど考えられていない。なので、周りの演奏者は彼らにしかたなく付き合っているふうです。もちろんこういう音楽を追究しようという合意はあるのでしょうが、実際には、だいたいがただの伴奏者にすぎない。あるいは、共演する楽器には、もともと固有の特徴と性格があるために、無理に合わせたちぐはぐな印象だけが残ります(ただし、オーネット・コールマンに関しては、ポケット・トランペットのドン・チェリーと共演したものはよく息が合っています)。
 要するに、彼ら三人は、それぞれあまりに孤独なのですね。
 こういうことを言うと、フリージャズや前衛ジャズファンからは、「それはお前がわからないだけだ。彼らは音楽に対するお前のようなステロタイプな鑑賞の仕方をこそ打ち破ったのだ」などという声が上がるのでしょうが、しかし私はそれでかまわないと思っています。私はこの三人に代表されるフリージャズのファンの人たちにあえて言います――「王様は裸だ」と。
 ひとこと余計なことを付け加えると、一部で(ほんの一部で)フリージャズがもてはやされていたころ、ポストモダン紹介本を出してニュー・アカデミズムの旗手と騒がれたAA氏が、アルバート・アイラーをしきりに称揚していました。本気かね、と私は思いましたが、音楽に関してまんざら素人でもない氏の発言に、頭でっかちでエキセントリックなものを好む若者、ことに一部東大生などは、さぞ騙されたことでしょう。若い時はなかなか素直になれないものですが、音楽を聴くときは、素直な心になりましょうね(これは自戒の弁でもあります)。

 ところで、先にエリック・ドルフィーだけを脇にのけておきましたが、彼だけは、個性、技量、芸術性、迫力において抜群であり、そもそも「フリージャズ」といったカテゴリーに収まらないものを初めから持っていました。また他のプレイヤーたちとのアンサンブルの世界もきちんと創り出しています。堂々と一家をなしているという感じなのですね。現に彼の演奏は、いまでも敬意をもって聴かれることが多く、多くのジャズファンに伝説的な力を強く及ぼしています。
 彼はアルトサックスとフルート、それにベースクラリネットという、あまり使われない面白い楽器の三つを吹き分けるのですが、ことにベースクラリネットでの演奏は他の追随を許しません(というか、ジャズ・ミュージシャンで、ほかにやっている人を知りません)。
 彼のソロには、たしかに不協和音や極端に変化する音階、調子はずれのような奇矯なフレーズが多いので、初めて聴く人にはなかなかなじめないかもしれません。しかし、耳慣れてくると、この人の音楽は、モダンジャズの伝統を確実に引き継いでおり、しかもそのうえで独特の境地を切り開いているということがわかってくるはずです。モダンジャズの伝統を引き継いでいるということは、言い換えるとチャーリー・パーカーの嫡出だということです。けっしてただの「フリー」ではないのです。
 それでは、とっつきやすいところから、フルートの美しい演奏で「ファー・クライ」所収の「レフト・アローン」。この曲は、以前、マル・ウォルドロン(p)とジャッキー・マクリーン(as)のもので紹介しましたね。ビリー・ホリデイの伴奏者だったマルが、ビリーを偲んで作った曲です。浪花節という形容をしましたが、これをドルフィーがどう処理しているか、じっくりとお聴きください。パーソネルは、ジャッキ・バイヤード(p)、ロン・カーター(b)、ロイ・ヘインズ(ds)。

ERIC DOLPHY, Left Alone(+ 再生リスト)


 次に、同じく「ファー・クライ」から、ドルフィーのオリジナルで、「ミス・アン」。ここでドルフィーは一転して速いテンポでアルトを吹いていますが、彼はこの曲がお気に入りだったと見えて、何度も吹き込んでいます。事実、この曲には、彼らしさがとてもよく出ています。先に述べたように、一見奇矯に聞こえますが、それは奇をてらった実験的な試みなのではなく、ごく自然な表現欲求から出ているのです。そうして、聴いている方もいつしかこの雰囲気に釣り込まれ、何というか、一緒にお祭りで踊っているような気分にさせられるのですね。
 パーソネルには、若手天才トランぺッターのブッカー・リトルが加わります。彼についても、後ほど語りましょう。この演奏では、終盤でのドルフィーとのかけあいで、踊りながら会話をしているような絶妙な呼吸の合い方が聴かれます。

ERIC DOLPHY, Miss Ann


 もう一曲、アルトサックスでの演奏。「アット・ザ・ファイヴ・スポット1」から「ファイア・ワルツ」。ファイヴ・スポットというニューヨークのジャズクラブでのライブですが、これはドルフィーの曲のなかでは現在最もよく聴かれているようです。
 なお2週間続いたと言われるこのライブ演奏は、ドルフィーとブッカーの名を不朽のものにした歴史的な事件であり、現在3枚のアルバムに収められています。
「ファイア・ワルツ」は、マル・ウォルドロンのオリジナルですが、この演奏では、ドルフィーとブッカーのソロは、どちらも言葉を話しているような趣があります。ドルフィーのソロにはもともとそういう一種知性的なところがあり、純粋に美的な見地から言えば疑問符が付くのかもしれません。しかし、「それでさ、あのね」とか、「だからよう、こうなんだよ!」というように、いろいろな抑揚でしゃべっていると考えると、思想以前の「言いたいこと」(詩的表出)がこちらによく伝わってくるように思います。ここでのブッカーもそうしたドルフィーのプレイに多分に影響されているのでしょう。
 パーソネルは、二人のほかに、マル・ウォルドロン(p)、リチャード・デイヴィス(b)、エディ・ブラックウェル(ds)。
 生演奏なので、マルのソロなど、やや冗長な感じが無きにしも非ずですが、そこはひとつ、クラブでいままさにプレイしているという場面が持つ臨場感を、想像力で補ってみてください。

Eric Dolphy- Fire Waltz- @5 Spot 1961


 じつはこのファイヴ・スポットのシリーズでは、私自身が最も高く評価している曲があります。ですので、次回もドルフィーとブッカーについて語りたいと思います

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(12)

2014年03月08日 18時40分55秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(12)




 マイルス特集、2回目です。
 例によって私の独断と偏見ですが、この回では、後半、彼のその後の激しい変貌ぶりを少しばかり紹介することを通して、ジャズという芸術様式が頂点を極めた時期の短さ、はかなさを嘆く結果になりそうです。でも慰められるのは、絶頂期に確立された様式がちゃんと今も残っていて、後の世代の多くのミュージシャンがその基本的なスタイルを継承しながら、さらに洗練された音楽を作り出していることです。これについてはまたのちに語りましょう。

 さて黄金のクインテットは2度と蘇えりませんでしたが、マイルス自身は、少しずつメンバーを入れ替えながら、傑作を発表し続けます。
 レコード会社との契約の関係から、アルトサックスのキャノンボール・アダレイをリーダーとして立てた「サムシン・エルス」(58年)は、あまりに有名です。その中から、いまも一番人気の一つに数えられる「枯葉」。パーソネルは、二人のほかに、ハンク・ジョーンズ(p)、サム・ジョーンズ(b)、アート・ブレイキー(ds)。

Cannonball Adderley - Autumn Leaves


 この曲の魅力はいろいろありますが、一つに、「ラウンド・ミドナイト」の時にも書いたように、その構成の妙が挙げられるでしょう。印象的なイントロからテーマに移るときの何とも言えない雰囲気は、一度聴いたら忘れられません。
 またキャノンボール・アダレイは仮のリーダーとされていますが、彼のソロも全体の曲想に忠実でありながら、かつ、なかなか野心的な演奏です。キャノンボールとは、「大砲の弾丸」という意味で、彼のあだ名です。ファーストネームは、ジュリアン。あだ名の通り巨躯にものを言わせた豪快な吹きっぷりで有名で、コルネットを吹く弟のナット・アダレイとの共演があります。親しみやすい「ワーク・ソング」がお勧めです。「サムシン・エルス」では、マイルスとのアンサンブルに極力意を用いているようです。
 さらに、ハンク・ジョーンズのピアノも、いぶし銀のようにしぶいサウンドを響かせています。もともと地味なタイプで、彼のトリオのアルバムは、さすがに味わいは深いものの、さほど特筆すべきとも思えません。やはり、このアンサンブルのなかでこそ引き立つので、これもマイルスの功績と言えるでしょうか。
 次の傑作が、59年の「カインド・オブ・ブルー」ですが、これについては、すでに紹介しました。モード奏法を完成させたとして名高いアルバムです。ちなみにモード奏法(旋法)とは、テーマのコード進行に沿って演奏されていたそれまでのアドリブパートの拘束を取り払って、テーマに使われている音列ならば何を用いてもよいという奏法のことだそうです。それだけ奏者の自由度が増したということなのでしょうが、私には詳しいことはわかりません。
 一言余計なことを付け加えると、このアルバムは、メンバーが混成部隊で、キャノンボールが出ていたりいなかったり、ピアノがビル・エヴァンスだったりウィントン・ケリーだったりというわけで、アルバムとしてはやや統一性に欠けるうらみがあります。またエヴァンスは、マイルスとの共演では、脇役に徹している感があって、彼自身のトリオでの演奏ほど、その個性が目立ちません。

 さらに、ぜひ挙げなくてはならないのが、61年発表の「いつか王子様が」です。このアルバムでは、マイルスのたっての望みで、すでに独立して独自な音楽的境地を開いていたジョン・コルトレーンをわざわざ呼び寄せてゲスト出演させています。目論見は大当たりで、すでに自信満々のコルトレーンのソロが楽しめます。では、タイトルテューンの「いつか王子様が」。パーソネルは、二人のほかに、ハンク・モブリー(ts)、ウィントン・ケリー(p)、ポール・チェンバース(b)、ジミー・コブ(ds)。
 おわかりのように、この曲では、テナーサックスが二人登場します。コルトレーンに比べるとハンク・モブリーの演奏が聴き劣りすることは明らかですが、これは、マイルスが彼に飽き足りなさを感じていてわざと二人を突き合わせたのかもしれません。そうだとするとマイルスは悪いやつですね(笑)。でも私自身は、ハンクの演奏も、コールマン・ホーキンスなどの古いタイプを継承していて、なかなか味のあるソロだと思います。
 さてこの曲はジミー・コブの精妙なワルツ・テンポに乗って、まずウィントン・ケリーのイントロから始まります。マイルスのテーマに続いてそのまま彼の溌剌としたソロ、ハンク・モブリーのしぶいソロへと続きます。そうしてケリーのあのキラキラと輝く、弾むようなピアノ、もう一度マイルスがテーマを吹いてからコルトレーンのソロ、この堂々たる登場の仕方にご注目ください。やがてみたびマイルスのテーマが流れ、ケリーがしばらくリズミカルな音を奏でます。途中でフェイドアウトすると見せかけて、また回帰するかのようにちょっと戻ってきた後、深い余韻を響かせて終わります。

Miles Davis: Someday My Prince Will Come


 告白すると、数あるジャズの名曲のなかで、あえて一曲を選ぶとすれば何かと問われたら、私はためらうことなくこの曲を選びます。複雑な構成を持ちながら、しかも曲想が完全に統一されていて比類なくシンプルな美しさを感じさせるのです。願わくば、私の惚れ込みに共感してくださる方がいらっしゃることを!
 思わず入れ込んでしまいました。ちょっと恥ずかしい(笑)。

 さて、これ以後のマイルスの歩みをたどることになりますが、私はじつはそんなに知らないのです。なぜかというと、彼の変貌ぶりについていけなくなったからです。
 まず、この後、彼はメンバーの編成に苦しんだようで、テナーのウェイン・ショーター、ピアノのハービー・ハンコック、ベースのロン・カーター、若き天才ドラマーのトニー・ウィリアムスなどを抱え、ヨーロッパや日本への遠征を試みますが、この段階では、これまでの名演をアップテンポにして変化を添えるといったケースが多く、また、オリジナル曲にもかつてのような物語的な情緒性があまり感じられません。
 マイルスの演奏そのものは、かつてとは一変してたいへんスリリングで情熱的になっており、この時期にマイルスに出会った人は、これぞジャズの魅力、と感じたかもしれません。人気も世界的になっていましたし、マイルス自身も後年、この時期を自分の黄金期ととらえているようです。それは十分に理解できますが、彼の主観的な追想はともかく、こちらからは、どういう新しい境地を開くかに悩んでいた印象が残ります。
 生産量は多く、「E.S.P.」、「フォア・アンド・モア」、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」「ネフェルティティ」などのアルバムが、この時期の代表作です。この時期を「第二の黄金クインテット」と呼ぶ向きもあるようですが、何か乾いた砂漠を懸命に走っているような感じで、私には、往年の魅力を凌駕するには至っていないように思われます。一曲お聴きください。
「E.S.P.」から、「E.S.P.」。

Miles Davis - E.S.P.(+ 再生リスト)


 やがて69年、「ビッチェズ・ブルー」という大作を発表して、世間を驚かせます。これは、要するに、アメリカ音楽の主流がジャズからロックに移った時期に、状況に敏感なマイルスが一種のフュージョンを試みた野心作なのですが、私自身はまったく感動できません。とはいえ、そういって切り捨てては身もふたもないので、ここに一応、その一部を紹介しておきます。自分の耳が固まっているだけかもしれませんから。

Miles Davis - Bitches Brew (1/3)


 さらにマイルスは、その後もシンセサイザーなどを導入したさまざまな試みに挑戦していきますが、私は関心を失ってしまいました。
 死の五年前(86年)に発表した「TUTU」では、一部に往年のマイルスらしい懐かしい側面をのぞかせている部分もありますが、何というか、オーケストラ風のバックに支えてもらったり、ミュートを用いながらも、その演奏自体は、こういう音楽をやるのに、別にマイルスでなくてもいいよなあ、と感じさせる部分が多かったりで、やっぱり新鮮な驚きのようなものはない、というのが私の率直な感想です。でも一曲、これはなかなかいいんじゃないというのを紹介しておきましょう。「Portia」。

Miles Davis, Portia


 結論。マイルスはジャズ界のピカソだと思います。ピカソは青の時代、ローズの時代と呼ばれる若年の時期に数々の傑作を残し、セザンヌなどに強く影響されながらキュビズム的な表現を創造し、さらに、フォビズム、シュル・レアリズム、アフリカ芸術などの影響下に次々と自由な世界を切り開いていきます。こんなに激しく変貌した画家はちょっと珍しいですね。最後は漫画みたいな絵ばかり描いていました(誤解なきよう。漫画をバカにしているわけではありません)。
 ある時私が、「ゲルニカ」なんて何がいいのかわからないと言ったら、ある人から「いや、そういうけど、目の前で本物を見るとやっぱりあれはすごい迫力なんだ」と言われて、それはそうだろうなあ、と黙るほかありませんでした。もちろん私に賛成してくれる人もいます。
 それはともかく、マイルスもピカソと同じように、時代の変化にとても鋭敏で、過去にこだわることを嫌い、常に新しいものを求めざるを得なかった芸術家だという印象があります。でも、結果的にそのことは、あまりいいものを残すことにつながらなかったという気がして仕方がないのです。「帝王」の晩期は、自分の芸術家魂にシンクロしてくれるパートナーたちにあまり恵まれず、いろいろなことをやってはみたものの、けっこう孤独を抱えていたのではないか。
 しかしこれは、変貌以後に初めてマイルスに出会った若い世代の思いとはまた別でしょうから、そういう人たちの感想を聞いてみたく思います。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(11)

2014年03月06日 20時27分14秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(11)




 さて「帝王」マイルス・デイヴィスです。

 少し前、近くのスナックで、好感の持てるある寡黙な若い男性と話していたら、その人がビル・エヴァンスが好きだと言うので、おお、いいセンスしてるなと思い、「マイルスはどう?」と聞いてみました。すると、「マイルスはピーピー言ってるだけだ」とぶっきらぼうな答え。まさかそんな返事が返ってくるとは思ってもいなかったので、私は唖然としてそれ以上話す気がなくなりました。いったいマイルスの何を聴いてきたのか知りませんが、こんなことを言っているようでは、ジャズのスピリットなどまるでわかっていないのと同じです。ビル・エヴァンス好きというのも怪しいものです。

 この種のことって時々あるんですね。
 以前、あるうら若い女性が「デクスター・ゴードンが好きなんです」と言うので、デクスター・ゴードンの名前が出てくる以上は、ジャズについて多少は聴きこんできたのかと思ったのですが、話していると、どうもそれ以外には誰も知らないらしい。
 また、別の女性と話していて、「僕、最近、落語に少しハマりかけているんですよ」と言ったら、「落語、私も大好き!」と反応してきたので、「誰がいいですか」と聞いてみました。するとある落語家の名前を挙げました。私はその人の名前だけ知っていてまだ聴いたことがなかったので、機会があったらぜひ聴きに行こうと決めました。さてその他の噺家や有名なお題について会話を進めてみると、彼女、きょとんとしていて全然乗ってきません。どうやら前に一回か二回、誰かに誘われてその落語家を聴きに行っただけらしい。なんでその程度で「落語が大好き!」なんて言えるんでしょうね。
 憎まれ口を叩きましたが、私はけっして、この人たちが、ある文化ジャンルについての知識を持っていないことを軽蔑しているのではないのです。私だってジャズ鑑賞という趣味の領域で、知識量という点では、多くの熱心なファンから比べたらほんの少ししか知らない。でも、多少は年季を積んできたせいで、この曲はいいと感じるけれど、この曲はあまりいいとは思えないという感覚だけははっきりしています。心に響いてくる曲は何度も何度も聴きますが、一、二度聴いてピンと来なかった曲はたいていすぐ見捨ててしまいます。自然とそうなってしまうので、だから知識も増えないんでしょうね。
 私が言いたいのは、「あるものが好き」と心から言えるためには、そのものが属している世界全体のさまざまなありように多少ともなじむことがどうしても必要だろうということです。最近の人たちは、すぐ「何々が好き」と、あたかも多くの中から選択したかのように言いますが、ほんとうに自分の感性に自信をもって言っているのでしょうか。この情報洪水の時代のなかで、たまたま触れたものにちょっと興味を抱いた程度のことを「好き」と称している場合が圧倒的に多いのでは。
 それにしても気にかかるのは、あまりに多くのものが五感に飛び込んでくるこんな時代では、自分の趣味、自分なりの価値判断を養うための道筋のようなもの(教育などとエラそうなことは言いますまい)が失われているのではないかということです。
 趣味について言葉で議論することは、なかなかうまくかみ合わなくて空しさを感じることが多いですが、それでも、人それぞれとあきらめず、この作品のこういうところに感動した、とか、これはちっともいいと思わなかったとか、ともかく言ってみることが必要ではないでしょうか。
 いきなり脱線してしまいましたが、いま話題にしているマイルスに関連させますと、たとえば彼よりもずっと後の世代でウィントン・マルサリスというジャズ・トランぺッターがいます。とてもきれいな伸びのある音を出して、テクニックもたいへん優れています。その点ではマイルスより上と言ってもいいでしょう。しかし私はまったくいいと思わないので、何枚か買ったCDはそのままほこりをかぶっています。だれかこの人がいいと思う方がいたら、どうぞご意見をお聞かせください。

 さて再び、「帝王」マイルス・デイヴィス。
 彼は、1950年代前半までは、そんなに目立つ存在ではありませんでした。1926年生まれですから、30歳前まではということです。同時代の先輩トランぺッターには、ディジー・ガレスピーがおり、同輩にはクリフォード・ブラウンがいて、テクニックの凄さや情熱的、華やかさという点では、彼らのほうがはるかに優っていたと言ってよいでしょう。
 この頃のマイルスの吹き方は、何となく羞じらっているような、「これでいいのかな」と一生懸命自分に問いかけているような雰囲気があって、音もややくぐもっており、声で言えば沈んだハスキーボイスのような趣です。それが個性的といえばいえるのですが。
 ではまず1954年のヒット作「ウォーキン」から、「ウォーキン」。パーソネルは、ジェイ・ジェイ・ジョンソン(tb)、ラッキー・トンプソン(ts)、ホレス・シルヴァー(p)、パーシー・ヒース(b)、ケニー・クラーク(ds)。

Miles Davis - Walkin'


 以前にも書きましたが、この演奏はオープン・トランペットです。マイルスの本領であるミュート・トランペットの魅力を知ってしまっている私たちとしては、どうしても少し物足りないものを感じます。ただ、こういうくぐもった吹き方のうちに、やがてミュート・トランペットによって水を得た魚のごとく開花する彼の芸術性の萌芽が確実に感じられることは確かでしょう。
 では次に、そのミュート・トランペットの魅力を存分に発揮したスローテンポの一曲、「クッキン」から「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」。パーソネルは、レッド・ガーランド(p)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)。原曲の哀しみを保存しながら、マイルスがそのまま情緒あふれるソロをゆっくりと吹き、中間部、倍テンポでレッド・ガーランドがシングルトーンのおしゃれな音色を響かせます。再び元のテンポに戻ってマイルスへ。

Miles Davis - My Funny Valentine


 これが吹き込まれたのは1956年ですが、この年はマイルスにとって、またモダンジャズ界全体にとって、まさに画期的な年です。マイルスは、上記のメンバーにジョン・コルトレーンを加えたクインテットを組み、「クッキン」「ワーキン」「リラクシン」「スティーミン」の四部作、そして「ラウンド・アバウト・ミドナイト」などのアルバムを矢継ぎ早に世に出していきます(「ラウンド・アバウト・ミドナイト」の発売は57年)。
 このクインテットは、モダンジャズ史上、不世出のクインテットで、こんなすごいメンバーがニューヨークの片隅のスタジオで一堂に会して素晴らしい音楽を創造したとは、まさに奇跡としか言いようがありません。私としては、何曲も紹介したくなる欲望を抑えるのがやっとです。
 それでは、「リラクシン」のなかから、以前、トミー・フラナガン・トリオの演奏で紹介したのと同じ曲、「オレオ」。すべてのプレイヤーの呼吸がぴったり合ったインタープレイの超スリリングな演奏をお楽しみください。

Miles Davis - Oleo


「ラウンド・アバウト・ミドナイト」から2曲。
 まず「ラウンド・ミドナイト」。これはセロニアス・モンクの作曲ですが、同じ曲でもこれほど魂を揺さぶる演奏はまずほかに考えられないでしょう。かすれ声で深く語りかけてくるマイルスの孤独な内面の告白が続き、中間部で突然転調して、やや速いテンポで、武骨だけれど力強いコルトレーンの声が応じます。再びマイルスの静かな受け答えがあり、最後に承認しあった者どうしの友情の表現のように、二人して歩んでいく短い印象的な二重奏で曲を閉じます。見事な構成というほかありません。

Miles Davis Quintet - 'Round Midnight


 次に、「バイ・バイ・ブラックバード」。この曲は古い名曲ですが、マイルスが採りあげてから、前回紹介したサラ・ヴォーンヘレン・メリルも歌うようになりました。しかしやはりマイルスを中心としたこのクインテットの演奏は独特で、彼らにしかこういう世界は創り出せなかったと思います。よく知られた曲でも、マイルスが吹くと、それがまったく初めから彼の持ち歌であったかのように聴こえてくるから不思議です。
 レッド・ガーランドの印象深いイントロとフィリー・ジョーの控え目なブラッシュワークに乗って、マイルスがおもむろにテーマを吹き、調子がぐっと上がったところでソロパートに移ります。このソロは完璧な美しさをそなえていると言ってよいでしょう。続いて不器用ながらテナーと格闘するコルトレーンの好感度抜群の演奏、そして、レッドのあの趣味のよさを存分に表現したピアノソロが全体を締めくくって、テーマに戻ります。

Miles Davis - Bye Bye Blackbird


 この黄金のクインテットは、58年には早くも崩れます。現実上のいろいろな事情があるのでしょうが、それ以上に、こういう絶妙のコンビネーションというものは、もともとやれることをやりきってしまうようにできていて、その後はそれぞれのメンバーが新しい自分なりの道を切り開いていくほかはなくなる宿命を持っているのかもしれません。

 私は、マイルスがミュートを頻繁に用いるようになった事情をつまびらかにしませんが、いずれにしても、このサウンドが切り開いた新しい境地が、ジャズというものの精神と容貌を一変させることになったのは確実です。その変貌を何といったらいいのか。
 華やかさや軽薄さからクールで重厚なものに、というのともちょっと違うし、新しい抒情性を獲得したというのもちょっと違う。また、これまでの規範の窮屈さから脱して各メンバーたちのより個性的で自由な演奏を前面に打ち出したと言っただけでは足りないものがあります(ちなみにそういう傾向はこの時点でも明らかにうかがえますが、これがモード奏法の完成によってより鮮明になるのは、59年の名盤として名高い「カインド・オブ・ブルー」からです。このシリーズでもすでに紹介しましたね――「ソー・ホワット」と「オール・ブルース」)。
 マイルスがここで切り開いた地平をひとことで言うなら、演じる方も聴く方も集団で味わうことを前提とした音楽であったジャズを、ひとりひとりが演奏し、ひとりひとりがその趣を深く味わう芸術にまで高めた、ということになるでしょうか。たとえが適切かどうかわかりませんが、ちょうど万葉の時代に歌垣で喝采しあうような雰囲気のもとに詠まれていた和歌が、新古今に至って西行や実朝のような個人の内面的境地を表現するものに大きく変容したというのに似ているかもしれません。あるいは俳諧からの芭蕉の登場にも。
 もちろんマイルスだけがこの変貌に貢献したわけではなく、そこには天才たち(たとえばビル・エヴァンス)どうしの相互影響があり、またジャズ界をめぐる時代の雰囲気がしだいにそういう成熟したものにせりあがっていったという背景があります。98度くらいまで熱していたのを、100度で沸騰させたのがマイルスだったのでしょう。

 次回もマイルス・デイヴィスについて書きます。この後も彼の最盛期が続くので、引き続きそのことを書くつもりですが、行き着くところまで行ってから、どのように変貌していったかに関しても触れたいと思います。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(10)

2014年02月04日 02時07分33秒 | ジャズ
 これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(10)
 ――番外編・女性ヴォーカル――



 このシリーズも10回目を迎えました。これまで楽器演奏の曲ばかりを取り上げてきましたが、ここらで趣向を変えて、ヴォーカルをご紹介しましょう。
 といっても、私はもともとジャズ・ヴォーカルにはさほどの関心がなく、知識もありません。しかも、なぜか男性ヴォーカルには魅力を感じてきませんでした。たとえばレイ・チャールズトニー・ベネットはとてもハートのある歌手ですが、フランク・シナトラなんてどこがいいの、と思ってきた口です。
 自分でも不思議なのですが、クラシックでは、逆に女性オペラ歌手にはあまり魅力を感じません。あの磨きに磨いた「芸術」的な発声にどうもなじめないのです。男性歌手には自分の思いを代弁してくれるものを感じるせいか、憧れと羨望を抱きます。マリオ・デル=モナコ、ジョゼッペ・ディ・ステファノ、バスティアニーニなど、イタリアの情熱的な歌手が好きです。
 ジャズ・ヴォーカルは、クラシックに比べると自然な発声に近く、裃を着ないで気楽に楽しむことができます。それで、そのぶんだけかえって歌い手の声の質や調子に対する好みが決定的になるところがあるようです。小説における文体、漫画における描線とおなじようなところがありますね。当の女性歌手がすぐそばにいて、自分に語りかけてくれているような錯覚に誘われるのでしょう。

 ところで昔ジャズ喫茶巡りをしていたころ、楽器演奏曲の合間を縫って、時々ジャズ・ヴォーカルがかかることがありました。あまり関心がなかったといっても、さすがに耳に残ります。それらのなかから、自分の好き嫌いや評価も含めていくつか紹介したいと思います。
 まず女性ジャズヴォーカルといえば、元祖ともいうべきビリー・ホリデイの名を挙げなくてはならないでしょう。しかし、私はどうも彼女の声が好きになれません。どれを聴いても、深み、味、うまさ、艶、洗練された調子、心に訴えかける情調といったものが感じられないのです。やや甘ったるい声を無雑作に出しているだけで、なぜこの人がこんなに大歌手扱いされているのか、よくわかりません。
 こんなことを言うとファンの方に怒られそうですが、彼女の価値は、幼児期からの哀れな境遇、白人のリンチに遭って木から吊るされた黒人を歌った大ヒット作「奇妙な果実」の衝撃性などによって、相当上げ底化されているのではないでしょうか。歌そのものよりもその周辺の神話化された部分が今日の名声に大きく寄与しているような気がしてならないのです。
 それともう一つ考えられるのは、有名になってからの彼女は、酒と麻薬とギャングが支配する夜の世界での仕事に追われ、男性関係も乱脈で、生活はかなり懶惰なものでした。毎日毎日、発声に細心の注意を払うという、プロとして要求されるストイックな修業の余裕があまりなかったのではないか。
 とはいえ、「奇妙な果実」の初期のころ(?)のヴァージョンでは、さすがに彼女の若いころの張りのある声と、魂を入れ込んだ強い思いとが伝わってきます。それをここに掲げましょう。

Billie Holiday-Strange fruit- HD


 ちなみに後年、彼女は何度も同じ曲を歌っていますが、歌い方は平板となり、このヴァージョンに及びません。

 次に、エラ・フィッツジェラルドの名を挙げなくてはならないでしょう。ビッグバンドを背景に力強く明るく歌う彼女のパンチのある歌唱は、いかにも最盛期だったアメリカを象徴していると言ってよいでしょう。巨躯から出される声量・歌唱力は文句なしです。しかし私は、彼女に対してもあまり心を惹かれません。もともと「可愛い」声の持ち主で好感が持てるのですが、いかんせん、そのためかどうか、「陰翳」というものが感じられないのです。要するにあまりセクシーじゃないんですね。ジャズ・ヴォーカルは、陰翳とセクシーさが大切、と私は頑固に思い込んでいます。

 さて、なんだか悪口を言うために書いているような按配になってしまいましたが、これから自分が高く評価している歌手を挙げます。
 まず、サラ・ヴォーン
 この人の歌は、適度にソフィスティケートされていて、低音部の響きもよく、しかもヴィブラートを効かせた伸びのある声は聴いていて何とも心地よいものがあります。何よりも、ジャズ・スピリットにぴったりの「乗り」を身につけているのですね。
 それでは代表曲「ララバイ・オヴ・バードランド」。

Sarah Vaughan - Lullaby of Birdland


 次に、歌のうまさという点では抜群といってもいいカーメン・マクレエ
 彼女は、サラがややポップに流れがちなのに比べて、頑固にジャズの本道を極めようとする精神に満ち溢れています。玄人受けする堂々たる本格派といってよいでしょう。若いころ私は、この人の存在感の凄さに気づきませんでした。しかし日本でも知的な層にファンが多いようです。
 声は太くて音域が低く、ちょっと枯れていて男声と見まがう時もあります。サラのようにスキャットはあまりやりませんが、その代わり、節回しに独特の工夫が施されています。
 軽い歌もたくさん歌っているのですが、彼女にふさわしいのは、やはりちょっと重たげで厳かな曲でしょう。先に挙げた「奇妙な果実」を彼女がどう歌っているか、聴き比べてみてください。もちろん、ビリー・ホリデイの創造者としての偉大さは認めますが、私はこちらのほうがずっとソウルフルで、歌心をよくとらえていると思います。

Carmen McRae - Strange Fruit(+ 再生リスト)


 よろしければもう一曲、「インサイド・ア・サイレント・ティア」。少し長いですが、この曲には彼女らしさがとてもよく出ていると思います。切ない恋心を歌ってはいても、ふつうのそれとはちょっと違って、詩にも歌い方にも抑制された深い内面性が感じられます。

Carmen McRae - Inside A Silent Tear - Velvet Soul(+ 再生リスト)


 あまりまじめに聴いていると、少々気分が「鬱」になるかもしれません。

 以上はすべて黒人歌手ですが、白人女性歌手にも、魅力的な人がたくさんいます。総じて彼女たちの歌いっぷりは、サーヴィス精神が旺盛です。聴いていて思わず楽しくなったり、耳元でささやかれているような気がしてきてとても親しみを覚えます。こんなふうに歌ってくれる人が身近にいたらなあ、などと妄想してしまうのですね。
 ではまず、これは厳密にはジャズとは言えないでしょうが、かつて全米でも日本でも大ヒットしたペギー・リーの「ジャニー・ギター」。このしっとりとしたフィーリングは、どなたにも必ず気に入ってもらえると思います。癒し系、かな?

PEGGY LEE - Johnny Guitar


 次にそのハスキーな声の魅力で「ニューヨークの溜息」と呼ばれたヘレン・メリルの「ユー・ド・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」。これは、本当に雰囲気で聴く曲です。彼女は声量もそれほどなく、歌もそんなにうまいとは思えませんが、この洗練された味わいは何とも言えないものがあります。

Helen Merrill with Clifford Brown / You'd Be So Nice To Come Home To


 最後に、アニタ・オデイ。この人は、このシリーズの一回目で紹介した音楽映画「真夏の夜のジャズ」に、帽子をかぶって出演した姿が印象的です。
 彼女もハスキー・ヴォイスです。彼女は一度名声を得てから、鳴かず飛ばずの不遇な時期もあったようで、その最盛期の歌手生命はそんなに長くありません。それにヘレン・メリルと同じように、サラ・ヴォーンやカーメン・マクレエと比べると、歌のうまさという点では聴き劣りがします。スローバラードなどでは、音程の不安定さも感じられます。しかし、これから紹介する「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」のようなアップテンポの曲では、乗りまくっていて、この人こそジャズ・ヴォーカルの真打と思わせるところがあります。この曲ではスキャットは入っていませんが、ほとんどスキャットと同じような歌詞の運びと言ってよいでしょう。
 なお、私にはよくわかりませんが、カーメン・マクレエのように非常に聞きとりやすい発音をする歌手に比べて、アニタの発音は、聞きとりにくく、これは一種の「ニューヨーク弁」(ロンドンのコックニーや、東京のべらんめえ調のようなもの)を意識的に使っているのではないかと思います。それがまた都会的な歴史を感じさせて面白いのですね。

Love Me or Leave Me: Anita O'Day


 以上でお分かりのように、女性ジャズ・ヴォーカルの人たちは、たいていハスキーヴォイスか、太い声か、可愛い声か、のどれかで、キンキンした声の人はいません。これは日本の演歌でも同じで、やはり、庶民に親しまれる「歌」というものが、日常生活に疲れた感覚を癒す役割を果たしていることを示すのではないかと思います。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(9)

2014年01月17日 03時37分54秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(9)

*友人が助けてくれて、動画をアップすることができました。どうぞゆっくりご覧(お聴き)ください。

 だいぶ間があいてしまいましたが、ジョン・コルトレーンについて書きます。
 間があいたのは、サボっていたわけではありません。選曲で悩んでいたのです。このジャズ界の巨人について書く場合、選曲で悩むのには理由があります。一つは、もちろん、たくさん名演があってあれも捨てがたい、これも捨てがたいということがあるからですが、コルトレーンに関しては、次のような理由もあります。

①彼の演奏には10分を超える長いものが多く、ライブ演奏では30分、1時間などというのもあるので、あまりたくさん紹介すると、聴いてもらえないのではないかと心配である。
②テナーサックスの演奏では、どちらかというと、主役になってからよりもマイルス・デイヴィスの楽団でのプレイのほうがいいものが多いように思う。するとコルトレーンを紹介するつもりが、マイルスの音楽を紹介する形になってしまう。マイルスの音楽の素晴らしさについては別途扱いたい気持ちがある。
③コルトレーンの名が世界的になったのは、彼がマイルスから離れてほどなく、ソプラノサックスを吹き始めてからである。こちらを重んじると、ソプラノの演奏ばかり紹介することになり、テナーへの視線がないがしろになるのではないかと恐れる。

 まあ、そんなわけでけっこう悩んでおりました。でも決めました。

 コルトレーンという人は、ひとことで言うと、ジャズの求道者という趣があります。きわめてまじめで努力家、どうしたら自分の音楽を表現できるかということをいつも必死になって考えていたようです。だから彼の演奏には、あまりユーモアとか、余裕とか、天才性とかが感じられません。この点、同じテナー奏者でもソニー・ロリンズとの違いがはっきりしています。ロリンズの場合は、才能に任せて即興で唄いまくるので、聴衆は思わず乗せられてしまうのですが、コルトレーンは、一歩一歩積み上げていくというタイプですから、聴く側にとってはけっこうハードで、きちんと付き合うためにはそれなりの覚悟が必要となります。
 などと余計な能書きを垂れると、当時のジャズシーンのなかで、彼がどんなに力強い、オリジナルな世界を創造したかという事実に水を差しかねませんので、まずは最も有名なアルバム、「マイ・フェイヴァリット・シングズ」から、タイトルテューンの「マイ・フェイヴァリット・シングズ」を聴いてください。パーソネルは、マッコイ・タイナー(p)、スティーヴ・デイヴィス(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)。

マイ・フェイバリット・シングス- ジョン・コルトレーン


 この曲でコルトレーンは、ソプラノサックスを吹き、そのユニークな演奏で一躍名を馳せました。原曲は映画「サウンド・オヴ・ミュージック」のなかでジュリー・アンドリュースが歌っている明るくて健康そのもののような曲ですが、コルトレーンが吹くと、まったく違った音楽のように聴こえます。ジャズの演奏で、よく知られたスタンダードナンバーをテーマに使うということ自体はありふれていますが、彼の演奏は、原曲との融合によってそれまでのジャズでは見られなかった新しい境地を開いたという感じが歴然としています。
 よく考えてみると、原曲の旋律には、もともと西洋音楽風ではない、たとえばアフリカ音楽やインド音楽など、妖しいエキゾチシズムを感じさせる要素が入っているようです。そのことにピンときたのがコルトレーンの発見だったのでしょう。ソプラノを握っている彼の姿、どこか蛇を誘い出す魔術師に似ていませんか。そうして、この「気づき」は、彼自身のその後の音楽の流れを大きく規定していくことになります。

 先に書いたように、コルトレーンは、マイルス・デイヴィスの楽団でいくつものレコーディングをした後、独立しましたが、その大きな一歩を踏み出すきっかけとなったのが、「ジャイアント・ステップス」というアルバムです。あたかもアルバムのタイトルが彼自身を象徴しているようですね。
 ここで彼はシングルトーンしか出せないテナーサックスという楽器から、いかにして複合的な音(和音)を出すかという積年の研究課題の成果を存分に発揮しています。それは要するに、指を目も留まらぬ速さで動かすことによってなのですが、その成果はともかく(というのは、この実験的な取り組みは、あまりきれいな和音を出すというところにまで至っていないように思われるからです)、このアルバムは、全編彼のオリジナル曲であり、むしろその点で彼らしさがとてもよくうかがえるアルバムです。いい曲がいくつもあります。ではその中から、唯一アップテンポの曲「ミスター・P.C.」。パーソネルは、トミー・フラナガン(p)、ポール・チェンバース(b)、アート・テイラー(ds)。

John Coltrane - Mr. P.C.


 いかがですか。この演奏にも彼の生真面目さがよく出ていると思います。このころの彼の演奏には、ほとんど「間」というものがなく、音で敷き詰められているのですね。調子よく唄う、という感じではありません。
 もう一つ、彼のテナーは、ロリンズ、デクスター・ゴードンウェイン・ショーターなどと比べて音域がやや高く(あるいは高音域←→低音域の移動が激しく)、アルトサックスとあまり違わないように聴こえます(スローバラードではそんなことはありませんが)。それで、マイルス・デイヴィスの楽団で、名アルトサックス奏者キャノンボール・アダレイと共演したアルバムでは、不注意に聴いていると、区別がつかないように感じられます。もちろん、キャノンボールのプレイには彼なりの個性があって、それは、当時のコルトレーンよりも前衛的といってもよいくらいのユニークなものです。
 そんなことも味わいながら、マイルス、キャノンボールとの共演を一曲。前にもご紹介した「カインド・オヴ・ブルー」から、「オール・ブルース」。「マイ・フェイヴァリット・シングズ」と同じく、ワルツテンポの名曲です。パーソネルはほかに、ビル・エヴァンス(p)、ポール・チェンバース(b)、ジミー・コブ(ds)。ソロの順は、マイルス、キャノンボール、コルトレーン、エヴァンスです。エヴァンスの短いハーモニアスなソロも聴きものです。

Miles Davis - All Blues


 ちょっと付け加えますと、この曲でマイルスは、テーマ部分をミュート・トランペットで吹き、ソロパートをオープン・トランペットで吹いています。ミュート・トランペットとは、ラッパの口に音を抑制するための弱音器をかぶせる方法で、ビッグバンドではよく使われます。じつはこれを使ったマイルスの演奏こそ、彼の音楽を最高の芸術にまで高めた秘密なのです。ですから、テーマ部分は何とも言えないよい雰囲気を出していますが、マイルスのソロパートは、いまいち精彩を欠くという感じがしないでしょうか。
 この点については、また語るとして、話をコルトレーンに戻しましょう。
 さて、ソプラノを手にしたコルトレーンの演奏には、数々の名演がありますが、私が一押しとしてお勧めするのは、ライヴ版「バードランドのコルトレーン」における「アフロ・ブルー」です。あまり問題にされないようですが、この演奏における彼のソロは、文字通り、情熱を出し切っているという感じ。そうして、メロディーの美しさと完結性も他の演奏に比べて抜群の出来です。パーソネルは、マッコイ・タイナー(p)、ジミー・ギャリスン(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)。なお、このYOU TUBE版では、テナーでの一曲、「アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー」も聴けます。これは例の指を素早く動かす奏法の見本です。余裕のある方はどうぞ。

JOHN COLTRANE Org 1963 Live at Birdland Impress A 50 Mono ~ Side 1


 いかがでしたか。
 マッコイ・タイナーについて一言。「マイ・フェイヴァリット・シングズ」でも言えることですが、コルトレーンとの共演におけるマッコイ・タイナーは、比較的単調な演奏に徹していて、一見、個性がなくマンネリのように感じられるかもしれません。かつてそういう悪口を言った人もいました。しかしそれは間違いで、半分くらい黒子役を演じてコルトレーン・ジャズの雰囲気づくりに大きく貢献しているのが、このマッコイの演奏なのです。彼のピアノは、とても音がきれいで格調が高く、テクニックもフレーズも優れています。現にピアノトリオのアルバムでは、そういう個性を十分に楽しめます。
 もう一つ。じつは、前にちょっと書いたのですが、この演奏に対して私は一つだけ不満があります。それは、エルヴィン・ジョーンズのドラムがうるさすぎることです。エルヴィンは、コルトレーンとの共演を通してものすごく自由になり、黒子役をすっかり捨ててしまっています。両手両足を思うざま使い、ホーンやピアノが主役になっているのもお構いなしに叩きまくる。これはこれで複合リズムというドラミングの新しい奏法の開発を意味するので画期的なことではあります。また、こうした奏法のもとでこそ、コルトレーンもインスパイアされて名演が可能になったのでしょう。それは認めますが、もう少し控え目にした方が、さらに芸術性が高まったのではないか。これは、同時期のこのカルテットの多くの演奏、特にライヴ版に共通していえることです。
 あまり長くなるのでここには掲載しませんが、同じころ吹き込まれたアルバム「インプレッションズ」のなかの「ディア・オールド・ストックホルム」では、以前紹介した名手ロイ・ヘインズがドラムを担当しています。彼はリーダーが考えている音楽への適応力がすごく、ここでもコルトレーンのジャズをよく理解しながら、しかも適度につつましやかです。これとエルヴィンとを聞き比べるとその違いがよくわかります。インパルス版CDのボーナストラックですので、You TUBEではちょっとつかまえにくいですが、興味のある方はどうぞ。

 さて、最後に、以前問題にした「至上の愛」。パーソネルは、同じ四人です。このアルバムは、①受け入れ ②決意 ③追い求め ④賛歌という四つの部分で構成された組曲です。おわかりのように、宗教的コンセプトを前面に押し出したアルバムです。ここでは、はじめの一曲だけご紹介しましょう。

John Coltrane - A Love Supreme Pt. 1 Acknowledgement


 このアルバムは有名ではありますが、私の感想を一言で言うと、モチーフもソロパートも単純で、繰り返しが多く、音楽的な意味でとても評価できません。しかも一曲目の終わり近くで、よせばいいのに、演奏者たちがヘンな声で「ア・ラヴ・スュープリーム」と肉声で唱えます。下手な念仏を音楽に持ち込まないでほしいものです。音楽は自己満足のためにあるのではなく、人に聴いてもらうためにあるのですから。
 コルトレーン、どうしてこんな神がかりになっちゃったの、とこれを初めて聞いた当時から思ったものですが、その気持ちは今はもっと強くなっています。洒脱さの持ち合わせがないからこういうことになるのではないでしょうか。
 これ以降、彼は当時起こりつつあったフリー・ジャズの流れの中に身を投じていきますが、私の独断によれば、評価できる作品はありません。やがて2年半あまり後、肝臓癌のため、40歳の若さでこの世を去ります。あたかも「至上の愛」が、自ら神に召される時を予感したことによる祈りの曲であったかのように。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(8)

2013年12月14日 02時14分12秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(8)


 ピアノトリオ特集を続けます。あと二人。
 前回、ジャズピアニストとして、個人的にはレッド・ガーランドが一番好きだと書きましたが、これからご紹介するウィントン・ケリーも、私の大好きなピアニストです。じつはどちらかを選べと言われると迷います。



 先日、音楽通の知人と飲んで話題がジャズに及んだ時、彼はピアニストではウィントン・ケリーが一番好きだと言っていました。その気持ち、とてもよくわかります。この人は私より10年ほど若いのですが、早くから音楽にいかれてきたようで、なんとCD4000枚のコレクションがあるそうです。むろん、知識も私などよりはるかに豊富、その彼とジャズ談義をしてみたら、さまざまな演奏についての好みや評価が自分と一致しているのに驚きました。そうして、これまで身の回りにあまりジャズについて語り合える知人友人がいなかったので、私はとてもうれしくなりました。何しろこの人はすごい鑑賞キャリアなので、その行き着いた先でウィントン・ケリーを称えるというのにはとても説得力があります。
 ちなみに評価が一致した一例を挙げると、ジョン・コルトレーンの活躍期のアルバムで、「至上の愛」以後のものはダメだという説。これについては、モダンジャズ史全体にとって大きな意味をもつ話題なので、またのちに話しましょう。
 そう言えば、前々回、ビル・エヴァンスの後期について、異説を唱えてきた人がいたと書きました。この人とは旧知の間柄なのですが、このシリーズを始めるまで、彼がジャズを深く聴きこんできた人だった(おそらくはクラシックについても)ということを私はまったく知りませんでした。
 じつはみんな遠慮して黙っているだけで、隠れファンて、けっこう多いんでしょうね。何でも一応は話してみるものです。しかし、宗教や政治の話は気心が知れるまで慎まなくてはならないように、趣味の話も、それとは違った意味で、やたら無防備に話さないほうが賢明かもしれません。関心のない人に薀蓄を垂れても、相手を白けさせるだけです。また、趣味ほど人によって多種多様である領域はないので、たとえ同じジャンルの趣味を持っていても、やたら「これはいい、これはダメだ」などと勝手に決めつけると、ケンカになってしまうかもしれません。自分の好きなものを「あれはよくない」と言われると、人はけっこう傷つくものです。好きな女性のことを悪く言われたのと同じように。
 ですから、言い方に気をつける必要があるのですね。ただ決めつけるのではなく、なぜそう感じるのかを静かに説いていく。相手の評価もきちんと聞く。そういうやりとりをねばり強くしているうちに、まともな批評が成立してくるのだと思います。以上は、すぐ評価を下したがる私自身への自戒の弁。

 さて本題。
 レッド・ガーランドのピアノが趣味(洒脱なセンス)の良さを極めたものだとすれば、ウィントン・ケリーのそれは、明るく晴れやかに歌い上げると言ったらいいでしょうか。テクニック的には、古参兵のアート・テイタムなどから大きな影響を受けているようですが、もちろん、ケリーにはケリー固有のスタイルがあります。
 この人のピアノタッチの特徴は、まず一音一音がとても弾みをもっていて、しかもそれぞれが孤立していず次の音との連続性が感じられる点です。おそらく、一つのキーに指を置いている時間が普通よりもかすかに長いのだと思います。ピアノは、一種の打楽器ですから、下手に弾くととぎれとぎれになりやすいですね。その危険を見事に克服しているので、そこに独特の抒情性が生まれるとともに、演奏全体が淀みのない流れとして聞こえてきます。
 次にソロの時のフレーズですが、これはとても溌剌としていて、特にアップテンポの曲ではいつも楽しい「唄」になっています。乗ってくると、高音部でキラキラと輝くような得意のトレモロを響かせます。まるで喜びにあふれた人が踊り続けているようですよ。それでいて、クラシック音楽の名曲にそのまま通ずるようなとても上品で典雅な雰囲気に貫かれているのですね。たぶんこの秘密の一端も、キータッチの息の長さにあるのだと思います。
 テクニックについてもっと専門的なことが言えるのかもしれませんが、これ以上は私の手に余りますので、とにかく一曲。名盤「ウィントン・ケリー」のなかから、「風と共に去りぬ」。
 パーソネルは、ポール・チェンバース(b)、ジミー・コブ(ds)。ただし、ベースについては、たぶんポールだろうとの推定の限りを出ません。というのは、このアルバムでは、もう一人、サム・ジョーンズがベーシストとして参加しているのですが、どの曲がポールでどの曲がサムなのか書いてないのです。諸説あるそうですが、この曲では、弾き方の特徴からして(伴奏の時は脇役に徹して音が低く慎ましい)、ポールに間違いないでしょう。

Wynton Kelly - Gone With The Wind


 もう一曲。あまり話題にならないアルバムですが、「フル・ヴュー」というのがあります。全体に非常に完成度の高いアルバムで、ケリーの絶頂期ではないかと思うのですが。
 この中から、スロー・バラード「ホワット・ア・ディファレンス・ア・デイ・メイド」。パーソネルは、ロン・マックルー(b)、ジミー・コブ(ds)。
 何とも言えないしっとり感に浸ること、請け合いです。

Wynton Kelly Trio - What A Difference A Day Made


 じつは、本当はこのアルバムからは、「アイ・ソート」という曲を紹介したかったのですが、残念ながらうまくつかまりません。
 若かりし頃、この「アイ・ソート」」を聴いた時、私は親しみやすい旋律とケリーの「舞踏への招待」にいっぺんで誘惑されてしまいました。躍動するソロが、ケリーらしさを見事に表しています。
 この曲はワルツ(三拍子)です。ジャズはフォービート(四拍子で二拍目と四拍目にアクセントがある)が基本だと前に書きましたが、早い時期からいろいろな人がワルツを好んで演奏しています。前に取り上げたビル・エヴァンスの「いつか王子様が」もワルツですし、ソニー・ロリンズマックス・ローチのコンビもワルツだけでアルバムを作っています。かの有名なコルトレーンの「マイ・フェイヴァリット・シングズ」も三拍子ですね。ちょっと先走って言うと、「いつか王子様が」は、マイルス・デイヴィス・クインテットの演奏が絶品で、ここで控え目ではありますがピアノを担当しているのがウィントン・ケリーなのです。
 ジャズとワルツとは、もともと相性がいいのだと思います。何というか、三拍子って、アレグロ(快速調)くらいのテンポの時のスー・ハー・ハーという人間の呼吸のあり方にマッチしているのではないでしょうか。つまり、ワルツとはそのまま「舞踏」なのですね。

 さてもうひとり。ソニー・ロリンズをご紹介した時に名前を挙げておいたトミー・フラナガンです。



 彼の演奏は、ラテン系の味わいを持ちながら、たいへんオーソドックスで、それだけに、だれもが安心して楽しく聴けるというメリットを持っています。
 アルバム「エクリプソ」から、ソニー・ロリンズ作曲のスリリングな名曲「オレオ」。パーソネルは、ジョージ・ムラーツ(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)。

Tommy Flanagan Trio - Oleo
  

 ジョージ・ムラーツの比較的高い音域でのスウィンギーなサポートも聴きものですが、ここで注目すべきは、何といってもエルヴィン・ジョーンズの巧みなブラッシュワークです。エルヴィン・ジョーンズといえば、コルトレーンのバンドでその名を馳せた趣がありますが、じつをいうとコルトレーンとの演奏では、私は少々文句を言いたいことがあります。



 それはともかく、この曲でのエルヴィンは、トミーを思い切りインスパイアしつつ、自分も力強いソロを演じています。彼のブラッシュワークは、他の追随を許さない迫力満点の演奏で、もともとおとなしい楽器であるブラッシュでこれだけの個性が打ち出せるというのは、まさに驚異です。
 同じトミー・フラナガンとの共演で、かつて幻の名盤と言われた「オーヴァーシーズ」というアルバムがあります。ここでも「ヴェルダンディ」という曲でエルヴィンのスリリングなブラッシュが聴けますが、あいにくうまく転載できません。URLを記しておきますので、興味を持たれた方はどうぞ。

http://www.youtube.com/watch?v=dWtV6JyKK3w&list=PLkl9EfuWu4wFE2fEayNIzyZajiP1QYvYm
 私は彼の生演奏を聴いたことがあります。今は懐かしき新宿紀伊国屋裏の「ピットイン」という生演奏のジャズ喫茶で、たまたま今日エルヴィンが来るという看板を目にして、特別料金もいとわず、あわてて入り込んだのです。看板には「世界一ドラマー、エルヴィン・ジョーンズ来る!」と書かれてありました。世界一かはともかく、当時、コルトレーンのバンドでの大活躍の後で、彼の名声はジャズファンの間で轟いていました。その出演前に、日本人の前座的な(といってはまことに失礼ですが)演奏があって、それがずいぶん長く続き、私はいまかいまかと待ち焦がれて、何度も彼が登場するはずの後ろを振り返った覚えがあります。
 そのとき、あの力強いブラッシュワークを目の前で見る(聴く)ことができて、それはそれで大いに興奮したのですが、いかんせん、彼の演奏時間はあまりに短く、どうにも未練を残しました。悔しい!
 というわけで、エルヴィンの名前を出しましたので、そこからの連想で次はいよいよコルトレーンについて語ることにします。









これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(7)

2013年12月02日 14時33分02秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(7)


 前回まで、ビル・エヴァンスバド・パウエルについて書いてきましたが、この二人はちょっと突出していて、ハード(高踏的)だったかもしれません。もう少し肩ひじ張らずに好きになれる、それでいてそれぞれとても個性的なピアニストたちを紹介しましょう。四人採りあげようと思っているのですが、今回はそのうちの二人。

 まずはソニー・クラーク
 彼の名は、アルトサックスのジャッキー・マクリーンとのアルバム「クール・ストラッティン」で最もよく知られています。しかもハイヒールで道を歩く女性の足が大写しにされたジャケットデザインでも有名になりました。大方の男性はこれを見て、この女性は誰だろう、どんな顔をしていたんだろう、などと、いろいろ想像力をたくましくさせてきました。
 もちろんこのアルバムにはいくつもの名曲が収められていますが、ジャッキーの活躍が前面に出ているので、ここでは、ソニーのピアノのほうに焦点を当てたいと思います。



 この人も早く死んでしまいましたが、短い期間に、黒人のソウルフルなジャズピアノを思い切り楽しませてくれたプレイヤーです。
 この人の演奏の特徴は、メロディーラインを奏でる右手のタッチが非常に強いことで、それが私たちの心をブルース魂そのもののなかにぐっと惹きこんでいきます。一つ一つの音がたいへん明快であり、それゆえリズムの進行にほんのわずか遅れがちのようにも聞こえますが、それがまた、ジャズという音楽の「けだるい大人っぽさ」とでもいうような雰囲気をうま~く醸し出しています。シンプルであることの良さがいかんなく発揮されているといえるでしょう。この時期の並み居るピアニストたちを代表する一人と呼んでいいかもしれません。
 それでは、タイム版のアルバム「ソニー・クラーク・トリオ」から、彼のオリジナル曲「ニカ」。このニカというのは、チャーリー・パーカーセロニアス・モンクの後援者だった有名な夫人の名前だそうです。パーソネルは、ジョージ・デュビビエ(b)、マックス・ローチ(ds)。

Sonny Clark Trio Nica


 次に、レッド・ガーランド



 この人は、マイルス・デイヴィス・クインテットのピアニストのなかで最も活躍した人で、そこでの演奏はまさに名人の一言に尽きますが、これについては、マイルスを紹介するときの楽しみとして取っておきましょう。ここでは、トリオでの演奏から二曲選んでみます。
 この人の演奏は、両手いっぱいを使ったきれいなハーモニーの部分と、左手の単純なブロックコードに支えられて右手を高音域で存分に遊ばせる部分とを交代させていくところに特徴があります。
 こう言っただけでは、彼の魅力を言い尽くしたことにはとてもなりませんが、とにかくこの奏法によって、何とも言えない洗練されたオシャレな雰囲気が演出されます。
 私はこれまで、いろいろなピアニストを聴いてきました。みんなそれぞれ魅力的で、甲乙をつけることはできません。そもそも甲乙をつけるというということにあまり意味を感じないのです。
 しかし年をとったせいか、いまでは個人的な好みとして言わせていただくなら、レッドのオシャレな演奏が一番好きです。彼のピアノは、モダンジャズ界のなかで、趣味のよさという方向を突き詰めていったひとつの頂点でしょう。まじめに音を追いかけるのもよし、グラスを傾けながら、背後に流れるきれいな音の連なりに何気なく身をゆだねるのもよし、とにかくこれが嫌いだという人はまずいないだろうと確信できます。若い女性にもきっと受けると思いますよ。
 それでは一曲目。「ブライト・アンド・ブリーズィ」から、ジャズ・スタンダードとして多くのプレイヤーが演奏している名曲「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」。パーソネルは、サム・ジョーンズ(b)、チャーリー・パーシップ(ds)。サムの円熟味のあるベースソロ、チャーリーの緻密なドラミングも聴きどころです。

Red Garland Trio, "On Green Dolphin Street"


 二曲目。「グルーヴィ」から、スローバラード「ゴウン・アゲイン」。パーソネルは、ポール・チェンバース(b)、アート・テイラー(ds)。

Red Garland Trio - Gone Again.wmv


 帰らぬ時を静かに回顧する。後悔のような生々しい感情は露出せず、それは表皮のずっと奥に埋められている。とにかく自分はこんな人生を過ごしてきた。いまはその起伏の記憶をなだめながら、ゆっくりと余韻を楽しむことにしよう……。
 もしあなたが、寝る前にこれを聴いているのでしたら、私からひとこと、「おやすみなさい」と申し添えたいと思います。

















これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(6)

2013年11月22日 16時12分51秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(6)


 ピアノトリオについての話を続けましょう。

 前回、ビル・エヴァンスについて書き、後期の彼に対して否定的な評価をしました。これに対して一読者の方から疑問の声が寄せられました。それによりますと、70年代後半から最期までの彼には、命の残りを燃え尽くす悲壮感にあふれており、60年代前半とは違った大きな魅力がある、というのです。じつは私は、70年代初めくらいからの彼の演奏を半ば見限ってしまったところがあり、最晩年の演奏をきちんと追いかけていませんでした。自分の中に、最盛期のビルのイメージが染みついており、前回ご紹介したような演奏(「いつか王子様が」)には、どうしても往年の「ビルらしさ」が感じられなかったからです。
 この考え自体はいまも変わりませんが、最晩年についてきちんと評価しなかった点については、不覚のそしりを免れず、ここにお詫びいたします。
 さてビルの晩年のライブ盤「コンプリート・ラスト・パフォーマンス '79」などを聴いてみますと、たしかに「命の残りを燃え尽くす悲壮感」を存分に味わうことができます。なかから一曲、ご紹介しましょう。「ゲイリーズ・ワルツ」。パーソネルは、マーク・ジョンソン(b)、ジョー・ラバーベラ(ds)。

Bill Evans Live - Garys Waltz (Jazz Piano)


 前回、軽率にも「晩年の演奏はかなり衰弱したものだ」などと書いてしまいましたが、「衰弱」というような形容はまったくあてはまりませんね。この部分を削除いたします。
 これはこれで抒情あふれる演奏ですが、ただ感じることは、自分の運命を感じ取っているせいか、最晩年のビルは、中間期よりもかえって自由奔放になり、抑制を取り払ってほとんど弾きたいがままに羽を伸ばしているという印象です。かつてのように他のメンバーとのアンサンブルやインタープレイを最重要視していた構成の妙は、あまり感じられません。逆に言えば、他のメンバーは、大マエストロを存分に立てているために、そのぶん影が薄いとも言えます。そこにショパンの独奏曲のあるもののように、やや過剰なロマンチシズムを聴きとってしまうのは、私だけでしょうか。「私の中のジャズピアニスト、ビル・エヴァンス」はどうしてもこれと違う、と言いたくなります(笑)。耳が固まってしまっているので、頑固なんですね。

 ビルについてはこれくらいにして、これまで再三触れたバド・パウエルについて語りましょう。



 バド・パウエルは、ビルよりも5歳年上で、40年代末から50年代初頭にすでにそのモダンジャズピアノのスタイルを確立しています。ピアノトリオという形式を作り出したのも彼の功績です。でもご多分に漏れず麻薬におぼれたために、その最盛期は短く、やがて精神疾患にかかります。60年代にはフランス活動拠点を移し、麻薬禍から立ち直りますが、ほどなく命を落とします。
 しかし、こういうバイオグラフィー的なことを述べるよりも、まずは彼の最も有名な曲をお聴きください。「アメイジング・バド・パウエル vol.5」から、「クレオパトラズ・ドリーム」。パーソネルは、ポール・チェンバース(b)、アート・テイラー(ds)。

Bud Powell - Cleopatra's Dream [from 1958 album The Scene Changes]


 とても親しみやすいテーマで、ノリもよく、一回聴いたら忘れられない曲ですね。これは彼が34歳の時の演奏ですが、ソロパートのフレーズも年にふさわしい円熟味が感じられます。しかしよく聴いていただければわかりますが、この時すでに彼の右手は指が相当もつれており、お世辞にもスムーズなプレイとは言えません。最後のテーマに戻るときにもミスっています。
 彼本来の独創性が発揮されたのは、なんといっても51年、27歳の時に発表された、「アメイジング vol.1」においてです。その中から、ジャズファンの間でいまでも評価の高いオリジナル曲「ウン・ポコ・ロコ」をお聴きください。パーソネルは、カーリー・ラッセル(b)、マックス・ローチ(ds)。

Un Poco Loco


 いかがですか? ジャズを聴きなれていない人の中には、「え? 何これ、ヘンな曲」と感じられた向きもあるのではないでしょうか。そうですね。「クレオパトラ」の親しみやすさに比べてたしかにけっこうエキセントリックな雰囲気です。じっさい、「ウン・ポコ・ロコ」とは、スペイン語で「ちょっと狂った」という意味だそうです。
 しかしこの曲には、「俺はこういう音楽をやりたいんだ」という彼の強い気迫と情熱が全編に漲っています。ソロパートをたっぷり聴かせるという楽しみは味わえませんが、カウベルの不思議なリズムに乗って奏でられる激しいテーマの繰り返し、中間部における、訥弁でありながら何かを懸命に訴えようとする切迫した展開、ローチの短いソロを経て、再びテーマへ。これは通常のジャズ音楽の概念を超越していて、並の人間感情の表現ではなく、何か「神々の憤り」とでもいったらよいようなものを感じさせます。狂気の神がパウエルの体にこの時突然降りてきたようです。
 51年という早い時期にこんなアヴァンギャルドな曲が生まれたというのは、まさにアメイジングです。クラシックで言えば、そう、プロコフィエフの登場に似ているでしょうか。私は60年代後半に起こったアヴァンギャルド・ジャズ・ブームをほとんど評価していませんが、パウエルのようなモダンジャズ草創期の人が示したこのような天才性には、脱帽するほかありません。
 この時期のパウエルは、自分が納得するまで同じ曲のテイクを何度も取っています。スタジオ録音では、テイクを何回か取るというのはしばしば試みられることですが、パウエルの場合は、ことにそれがしつこい。「アメイジング vol.1」、同vol.2のCD版では、それをたっぷり聴くことができます。興味を持った方はぜひどうぞ。

 なお蛇足を一つ。
「クレオパトラ」でも「ウン・ポコ・ロコ」でも、パウエル自身の声が聴かれますが、これは彼の癖で、表現したいことを鍵盤にぶつけようとするときの唸りあるいは呻きととらえられるでしょう。好き嫌いがあるでしょうが、そういうところも含めて、彼の演奏にシンクロできれば、これもまた魅力の一つになると思います。
 演奏中に声を出すピアニストには、ほかにオスカー・ピーターソンや、キース・ジャレットがいます。オスカーのそれは、マンブリング(もぐもぐ)と言って、なかなか楽しいものです。もともと彼のピアノはハッピーなトーンですから、それによく適しているでしょう。サッチモ(ルイ・アームストロング)のスキャットに似ていますね。
 キース・ジャレットの声出しは、私にはあまり好もしく思えません。というのは、彼の演奏は、エコーを効かせたとてもきれいなフレーズに満ち溢れているのに、それに「アーッ」というようなよがり声みたいな音がやたら混じるのは不調和そのもので、せっかくの美しい音楽をぶち壊しているようにしか聞こえないからです。



 *次回以降もピアニスト特集を続けます。


これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(5)

2013年11月14日 19時09分53秒 | ジャズ

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(5)





 前回、ベース特集をやり、最後にスコット・ラファロとビル・エヴァンスの共演「グロリアズ・ステップ」をご紹介しました。これはあまりにも有名なライブ盤「サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジヴァンガード」に収められているのですが、スコットは、この録音の11日後に事故死してしまいます。最良の盟友を突然失ったビルはがっくりきて、半年くらいピアノに向かう気がしなかったそうです。
 その思い、さぞや、というところですが、こんなことを書いているうちに、どうしても巨匠ビル・エヴァンスについて語りたくなってきました。こういう巨人について語るのはできるだけ後に引きのばしてやろうと思っていたのですが、そんなもったいぶっていたら、いつまで経ってもジャズの本筋に入れないので、この際、えいっと決めることにしました。
 ビルは白人で、比較的恵まれた家庭に育っており、クラシック音楽の素養を早くから身につけています。モダンジャズ界における彼の存在意義は、貧困と被差別が当たり前であった黒人ミュージシャンたちの世界のまっただなかに、そういう社会背景をまったく問題とせず、高度な音楽性、精神性を堂々と持ち込んだところにあります。
 彼以前の優秀なピアニストとしては、やや泥臭いエロール・ガーナー、特異な感性を強烈に打ち出したバド・パウエルなどが挙げられますが、ビルのピアノは、彼らとは全然違い、上品で洗練されていて出しゃばらず騒がしくなく、それでいて、余人を許さない個性を感じさせます。また、他のプレイヤーとの対話、インタープレイを非常に重んじていて、一曲全体の完成度を高いレベルで達成させるという特長があります。「俺が、俺が」というのがそんなにないのに、結果として彼の存在が際立ってくるのですね。
 前回すでに「ソー・ホワット」でご紹介しましたが、彼は短い期間、マイルス・デイヴィスのクインテットに参加して、ソロパートを少しばかり担当しています。しかしそこでは、脇役の分際を心得ていたのかとても控え目で、あまり目立った演奏ぶりをしていません。ところがよく聴いてみると、ピアノトリオ(つまり彼自身が主役になるケース)での演奏との共通点が明らかに認められます。これがまさに彼の個性の秘密なのです。
 その共通点とは何か。ひとことで言うなら、右手と左手との絡み(和声、ハーモニー、対位法的奏法)を即興演奏の核心に置くということです。
 これは、もちろんクラシック音楽の素養にもとづいているのでしょう。ある音楽通に聞いたところでは、ドビュッシーの影響を強く受けているそうです。なるほど、彼のソロアルバム「ビル・エヴァンス・アローン」を聴くと、そのことがよく納得できます。クラシックファンで、これからジャズを聴こうと思っている方には、このアルバムがお勧めです。ビル自身も、ひとりでピアノに向かい合っている時間が長かったことが自分の演奏活動にとってとても重要な意味をもっていたという意味のことを語っています。
 しかし、そういう素養をジャズに持ち込むというのは、かなり冒険を要することです。というのは、伝統的なジャズスピリットからすれば、なんといっても、哀感を伴うブルース調やファンキーなノリで「歌う」ことが優先されるので、そのメロディアスな感じをわかりやすく表現するには、左手はあくまで基本コードを押さえるにとどめ、それを土台としつつ、右手を自由に遊ばせるというのが手っ取り早い方法だからです。
 ビルのピアノは、もちろんブルース調でもファンキーでもありませんが、そうでない分だけ、逆に「ただ一人歌う」のではなく、「合わせて歌う」ことの複雑さが実現されているのです。「合わせて」とはいっても、お祭りのようにみんなでワッショイ、ワッショイというのとはまるで違います。彼の場合、単純なピアノ・タッチそのものが、何か深く考え込んだ人のそれ、といった趣があり、これが複合的に奏でられると、いろいろな思いを抱えた者どうしが心を通わせた語り合い、という感じになるのですね。
 そういうことを一台の楽器で表現しながら、いっぽうで主役のメロディーラインも存分に踊っています。言ってみれば彼の演奏は、総合的、全体的なのですね。これは、ほかのジャズピアニストではあまり見られないことだと思います。乱暴に言えば、それだけ芸術的なレベルが高いということです。つまりもともと自分の中にあった複合的な要素が、共演になると、プレイヤーどうしの見事な絡み合い(インタープレイ)として外側に表出してきたのでしょう。
 講釈はこれくらいにして、ともかく一曲聴いていただきましょう。名盤「ポートレイト・イン・ジャズ」から、シャンソンの名曲「枯葉」。この曲では、いま言った右手左手の複合的なプレイが、特にソロパートの後半で確認できます。
 なお「枯葉」はたくさんのジャズメンが手掛けていて、どれもそれぞれに魅力的ですが、ビルの「枯葉」は、その構成力、解釈の仕方などからみて、ピアノ演奏としては群を抜いていると感じられます。また他の楽器とのインタープレイの妙も充分に楽しめます。パーソネルは、先のメンバーと同じ、スコット・ラファロ(b)、ポール・モティアン(ds)。ポールの巧みなブラッシュワーク、スティックに持ち替えてスウィング感を盛り上げていくシーンなども聴きどころです。

http://www.youtube.com/watch?v=nheqSZPIcNE

 さてこんなふうに偉そうに書いてきたのですが、じつをいえば、ジャズを聴き始めたころの私は、ビル・エヴァンスには大して興味を持っていませんでした。彼の奥深さがわかっていなかったようです。若い頃って、とかく単純に強いもの、激しいものを求めますからね。前に触れたジャズ仲間たち、K君、A君も、私がしげく付き合っていたころは、ビルの含蓄豊かな大人の演奏にはさほど惹かれていなかったようです。
 私が、彼のことを何と傑出したピアニストなんだろうと思うようになったのは、おそらく30歳くらいからではないかと思われます。それは、同時代の他のピアニストたちと聞き比べていくうちに、その芸術性の高さと独特のセンスに気づいていったということもあるのでしょうが、それよりも、自分自身の人生経験がしからしめるところが大きいように思います。威勢のよいホーンの響きが入った曲より、成熟するにつれてだんだんとピアノトリオの響きのうちに自分の気分や波長をシンクロさせるようになりました。昼間の猥雑な生活に追われたのち、ふと孤独をかみしめる夜の時間帯になると、ピアノトリオの醸す雰囲気はとても心に染み入ってきます。その中でも特に、ビルの演奏はなんだか哲学的な対話をしているような気分にさせられるのですね。
 またそれまで、クラシック音楽にも多少親しんでおり、なかでもピアノという楽器の音色がいちばん自分の感性に合っていました。この楽器は他の楽器に比べて、人間の情緒のさまざまな幅と広がりを最もよく表現できますね。激情、感傷、繊細さ、軽快さ、優美、涙、どす黒い情念、勇壮、可愛らしさ、明るさ、さわやかさ、スピード感、意志の強さ、憧れ、郷愁、はずむ恋心、失恋の悲しさ、知的な疑惑、不安、重々しい鬱屈……数え上げればきりがありません。
 情緒の幅と広がりといえば、ビルのピアノは、思索的で理知的であると同時に、そこに得も言われぬリリシズムが湛えられています。テンポの速い曲だと、そのことがあまりよくわからないかもしれませんので、彼のスローバラードを一曲聴いてみましょう。これまでこのシリーズでご紹介してきた曲は、みな比較的リズミカルなものが多かったので、そういう意味でも、ここらで静かに聴き入る時間を持つのも一興かと思います。
 先のヴィレッジヴァンガードでのライブ演奏を集めたアルバムには、もう一枚、「ワルツ・フォー・デビイ」というのがあります。こちらのほうが有名で、いまでもビル・エヴァンスと言えば、真っ先にこのアルバムが挙げられるのが普通です。



 ジャケットデザインも素敵ですね。タイトル・テューンの「ワルツ・フォー・デビー」も文句なく素晴らしい名演奏ですが、ここでは、スローバラードの「マイ・フーリッシュ・ハート」。ちなみに、客のおしゃべりの声が少々気になります。ビルも弾きながら耳障りだったに違いありません。

http://www.youtube.com/watch?v=eFRsgGF80To

 ビルはこの最盛期の後も、ベーシストにチャック・イスラエル、エディ・ゴメスら(この二人は、スコット・ラファロが切り開いた地平を継承しています)を迎え、70年代後半までそれなりの活躍を続けますが、残念ながら往年の輝きはみられません。音楽にかける情熱は死ぬまでいささかも衰えを見せていないのですが、私生活面での不幸がさまざまな形で影を落としているようです。他の女性と仲良くなったために離縁をもちかけたことによる妻の自殺、やはりピアニストであった兄の自殺、家族との離別、長年の麻薬中毒による肝臓障害など、本当に孤独な芸術家の運命を象徴しているようです。1980年に51歳の若さで亡くなりました。
 後年の演奏を聴くと、先に述べたような、両手による絶妙な和声の繰り出しや白熱したインタープレイによるビルらしさの魅力が明らかに衰えていて、右手のシングルトーンによる即興部分が多くなり、これくらいなら、ほかにも巧者がいるだろうと感じさせます。こういうことも皆さんの耳で確かめていただく必要を感じますので、ここにそれを転載しておきましょう。「いつか王子様が」。パーソネルは、エディ・ゴメス(b)、マーティ・モレル(ds)。

http://www.youtube.com/watch?v=bu8BcRSNfxU

 この動画を見ると、彼の指が異様に腫れ上がっているのがわかりますね。おそらく肝臓障害のせいだろうと推測されます。
 ところで、麻薬中毒で若死にしたと書きましたが、ジャズメンたちの麻薬中毒と若死には少しも珍しくありません。51歳というのは、むしろ長生きのほうといっても過言ではないのです。先に取り上げたクリフォード・ブラウンもスコット・ラファロも20代、チャーリー・パーカー、エリック・ドルフィー、ポール・チェンバース、ウィントン・ケリーは30代、ジョン・コルトレーン、バド・パウエルは40代初期というありさまです。そして彼らはほとんど例外なく麻薬に手を出しています。
 この事実に、ジャズ演奏家という種族の生活の乱脈ぶりを想像する人もいるかもしれません。それはある意味では間違いとは言えませんが、私にはむしろ、こういう激しくも創造的な音楽ジャンルを作り出していく人たちにとってある種の必然なのではないかと思われます。ちなみにクラシックでも、モーツァルト、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、シューマンら、あのような繊細な音楽を創出した人たちは、みな若死にですね。
 冒頭にビルの肖像を掲げましたが、彼はまるで生真面目な銀行家か研究熱心な学者のような風貌をしています。資質的には事実、そういう側面があったのだろうと思います。生真面目で研究熱心、それがジャズという音楽に打ち込むとなるとどのようにあらわれるか。彼は絶えず独創的なフレーズを即興で繰り出していかなくてはなりません。その追いかけられる感じ、一瞬一瞬における時間との闘いは、神経を激しくすり減らすでしょう。インスピレーションをハイな状態に保つために、麻薬に頼らざるを得ない。そうした悲劇が、この芸術の舞台裏にはあらかじめ織り込まれている――そんな気がしてなりません。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(4)

2013年11月14日 17時59分17秒 | ジャズ

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(4)



 だいぶご無沙汰しました。
 前回、モダンジャズ史の栄枯盛衰について語るなどと大見得を切ったのですが、それはまだ早いようで、その前にもっともっと語りたいことがあります。
 これまでドラマー、ピアニスト、トランぺッター、サックス奏者など、たくさんのプレイヤーを紹介してきましたが、ジャズにとって欠かせない楽器であるベースについてはほとんど触れてきませんでした。今回はベースのことを語ろうと思います。
 ベースは、クラシック音楽ではコントラバスと呼ばれ、オーケストラの一番右の方で、最低音部を担当していますね。この楽器は主として伴奏楽器として位置づけられてきました。しかし、主役を演じる場面もしばしばあります。そういう場合、地底からの響きのような野太い旋律の流れは、私たちの腹にもろにこたえます。たとえば有名なところでは、ベートーヴェンの交響曲第五「運命」の3楽章、2分目あたりからのちょっと怖い第2主題の提示とそれに続く高音弦楽器への移行、また第九「合唱付き」の4楽章の初め、あの晴れやかな主題「ミミファソソファミレ……」が出てくる前の芸術家の逡巡と否定と模索とを表現した部分など、じつにこの楽器の特長を活かした素晴らしい曲想です。
 クラシック音楽では、バイオリンやチェロのように「アルコ(弓)」による演奏が主流ですが、ジャズでは弦を指ではじく「ピツィカート」奏法が主流です。クラシックではどちらかと言えばメロディの流れを重んじるのに対して、ジャズではどちらかと言えばリズムの恒常性を重んじますので、ピツィカート奏法によるベースがリズム部門を担当するのも当然と言えば当然。ドラムとともにリズムを支えながら、独特のはずみ、スウィング感を曲全体に与えて、花形楽器をインスパイアする黒子的役割を演じます。
 でもベースってかっこいいんですよね。あのボンボンボンボンという響きは、言ってみれば子どもや少年が楽しく遊んでいるのにお父さんも思わず自分から参加してノリまくり、しかも彼らを最初から最後まできちんと見守っているような感じ。

 また思い出話になりますが、前に登場してもらったジャズ友だちのK君が、じつはこの楽器にすっかりいかれてしまい、どういう経緯だったか、中古品を手に入れてあまり広くない団地の一室で弾き出したのです。
 そのころ彼は浪人中で、美術系の大学を目指していたのですが、ご両親は大学も決まっていない息子があんなどでかいモノを持ち込んできて夢中になっているのを見て、「こいつはいったい何を考えているんだ」と、さぞ苦々しく思われたことでしょう。当時はちょうどベンチャーズが来日して、エレキブームが起きていた時で、この種の楽器などに手を出すこと自体が、親からは不良視されるような時代でした。
 K君はそれでも、受験が迫ってくると相当デッサンや油絵の修業に打ち込んでいたらしく、本命の大学に賭けており、試験が終わった直後は、かなり自信を持っていたようです。実際そのセンスはいま思い出してもなかなかのものでした。ところがふたを開けてみると、なんと不合格。これにはよほどがっくりきたようで、埼玉に近い東京北部の自宅から横浜の私のところに電話がかかってきました。
「ダメだったよ、来てくんねえか」
 私はすぐに駆けつけました。すると狭い部屋でボリュームをでかくしてジャズをかけ、それに合わせながらうつろな目をしてベースを弾きまくっています。私はかける言葉がありませんでした。お母さんも、しばらくはそのままにしておいてやろうと気遣っていたようです。
 その後も彼とはたびたび会っていましたが、こちらはこちらで忙しく、しばらく間遠な時期が続きました。三バカトリオでバンドをやろうかなどと集まったこともありましたが、諸般の事情でほとんど練習もできず、初めから解散状態。K君のベースもその頃は正規の奏法を身につけたわけはなく、いわば我流でした。ところが彼はひとり執着を捨てず、何年もたってから、プロのオーディションに合格したというのです。本気で何かを好きになるってなかなかすごいものですね。ちなみに彼はいま、栃木で窯を焼いています。愛犬の名は「ジャズ」。

 ベースは黒子的役割と言いましたが、モダンジャズ界がしだいに成熟してくると、独創的なベーシストがたくさん現れ、さかんにソロ・パートを受け持つようになります。これがまたそれぞれに個性があって面白いのですね。
 マイルス・デイヴィスのバンドを中心に驚くべき量の演奏をこなしているポール・チェンバース、オスカー・ピーターソン(p)のよき相棒を長年務めた巧者レイ・ブラウン、エキセントリックな曲で評判をとった親分肌のチャールズ・ミンガス(この人はあまりお勧めできませんが)、渋い歌を聴かせるジョージ・ムラーツ、やや時代が下って、ヨーロッパ出身でビブラートを効かせながらきれいな音を出すミロスラフ・ヴィトス(この人は、一回目で紹介したチック・コリアの「ナウヒースィングズ・ナウヒーソブズ」でベースを弾いています)、そして何といってもビル・エヴァンスと短い期間共演して夭逝した天才、スコット・ラファロ。
 それではここで、ベースが生かされている曲を連続3曲聴いていただきましょう。なお、パソコンではどうしても低音部が響きませんので、できればi-podなどに取り込んで聴くことをお勧めします。
 まずポール・チェンバース。



 マイルスのアルバム「カインド・オブ・ブルー」から「ソー・ホワット」。ここでポールは、ソロ・パートを受け持ってはいませんが、テーマ曲でとても大事な役割を演じています。思わず釣り込まれますよ。他のパーソネルは、マイルス・デイヴィス(tp)、ジョン・コルトレーン(ts)、キャノンボール・アダレイ(as)、ビル・エヴァンス(p)、ジミー・コブ(ds)。ジミー・コブの繊細で精確できれいなドラミングも聴きものです。
http://www.youtube.com/watch?v=DEC8nqT6Rrk

 次にレイ・ブラウン。



オスカー・ピーターソンのライブ・アルバム「ザ・サウンド・オブ・ザ・トリオ」から、「トリクロティスム」。華麗な超絶技巧のオスカーを見事にサポートしながら、ソロ・パートでは、ちょっとひょうきんで味な節回しの演奏を聴かせます。前奏部分の掛け合いも呼吸ぴったり。ドラムは、エド・シグペン。
http://www.youtube.com/watch?v=y3jU6KGAzg8

 最後に、スコット・ラファロ。



 ビル・エヴァンスのライブ・アルバムとして名高い「サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」から、「グロリアズ・ステップ」。この曲でビルは、若きスコット・ラファロを思い切り立てて、その才能の開花を存分にバックアップしています。スコットのソロを聴いて、ベースでこんなことができるのかと驚いた人もたくさんいるのではないでしょうか。素早く動く右手に弦を抑える左手が追いつかず、雑音が混じるところもありますが、それも、彼の激しい表現意欲の表れととらえることができます。また、ビルのピアノは、出だしから深い内面性を感じさせる何とも言えない味わいがあります。ドラムは、ポール・モティアン。
http://www.youtube.com/watch?v=rARGPAkIcw4

 ここにあげた人たちは、すでにモダンジャズの古典的なプレイヤーとなっています。その後、技量も進化していますから、おそらくいまの一流プレイヤーなら、これくらいの演奏は可能なのではないかと思います。でもどの芸術分野でもそうですが、はじめにこういう演奏をしたということの意味が大きいのですね。後から来た人たちも、これらの演奏に魅せられ、深く傾倒し、懸命に学びながら自らの技を磨いていったのだと思います。文化というものが常に先人の偉業を受け継ぎ、ある場合にはそれを乗り越えて発展していくものだという万古不易の事実を、これらの演奏を通して再確認していただければさいわいです。