小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

国民の思考停止

2018年08月30日 15時36分17秒 | 経済


テレビは、ニュース番組以外はほとんど見ないのですが、8月26日の「たけしのTVタックル」をたまたま見ました。
大水害がテーマで、いろいろと防災対策について話し合っていました。
ハザードマップの当たる確率の高さが強調され、そのあと防災対策を何とかしなければという話になりました。
そこまではいいのですが、とにかく堤防を整備しなくてはならない、しかし国に多くの税金が行ってしまうので、自治体には資金が不足していると誰かが発言しました。
そこから先に議論が進みません。
これは何もTVタックルに限った話ではないのです。
社会福祉、医療、科学技術開発、国防、どんな社会問題を扱った番組でも(といってもニュース番組やクローズアップ現代などで見る限りですが)、その個別問題について詳しい専門家を連れてきて、ディテールについて紹介をします。
それによって問題の根深さが強調されます。
さてどうするか。
解決のためには、こういう努力が必要だといった結論に導かれるのですが、そこから先は思考停止状態に陥ります。
解決に導くための資金をだれが出すのか、そのために何が必要か、だれが資金提供を阻んでいるのかという問題に突き進まなければ、みんなで頭を抱えていても意味はないのです。

さてこの問いの答えははっきりしています。
中央政府が、問題ごとに国民の生命、安全、生活にかかわる度合いを判断して、優先順位を迅速に決め、積極的に財政出動をすればいいのです。
ところが、どの番組も、個別問題を切れ切れに取り上げて、その範囲内で「資金不足だねえ、困ったねえ」と財政問題に突き当たって止まってしまいます。話がそこまで行けばまだいいのですが、ただの精神論で終わる場合も多くあります。
総合的に政策を見ようとする視野が開かれません。
目の前に梁(うつばり)がかかっています。
もちろん、かけている張本人がおり、かけられている張本人もいるのです。
前者は財務省、後者はマスコミ(これは前者と共謀もしていますが)と、それをうのみにする国民です。
先のTVタックルでは、初めから三つの大きな誤りと無知にもとづく枠組みによって番組が構成されていました。

第一に、まず番組の初めに、政府が2023年に配備運用を予定しているイージス・アショア(弾道ミサイルを陸上で迎撃するシステム)に6000億円も必要だという情報をセンセーショナルに流しておいて、それと大規模な災害に対する対策とどっちが大事か、と視聴者に二者択一を迫ったのです。
予算規模が限られていることを前提として、そのパイの範囲内でどちらかを選べ、という心理操作を行っているわけです。
しかしこれは二者択一の問題ではありません。
安全保障と防災、どちらも大事で、どちらにも大金を投じて実現させなくてはならないのです。
すぐ後で述べますが、それはいくらでも可能なのです。

第二に、税金が国にたくさん行っているから地方に金が回らないという認識ですが、これは二重の意味で間違っています。
まず国の予算規模は100兆円ですが、税収はわずかに40兆円です。残り60兆円は国債その他で賄っています。
発言者はそんなことも知らないのでしょうか。
そしてこの予算総額の中には、当然、地方への補助金も含まれます。
もし政府が事態の重大性にかんがみて、国債発行による特別予算を組み、補助金を大幅に増やせば、自治体に金が回らないなどということはないのです。

第三に、財務省が流し続けた例の財政破綻論のウソにみんなが騙されているという事実です。
以下は、「キャッシング大全」という、国の財政には直接関係のない、個人借金のためのサイトですが、そこにまで、両者を混同させるようなことが書かれています。

http://www.cashing-taizen.com/kokusai1016.html
国が頼りにしている国債は誰が貸しているのか?
それは国民です。
なので国債=国の借金=国民の借金ということになるのです。
もし国は破綻すればその借金はほぼ国民にかかってくることになります。2015年3月の時点で1053兆円もの大金が国の借金となり、国民1人あたりで計算すると830万円もの借金をかかえていることになるのです。


完全に財務省のトリックにハマっていますね。国民が貸主なのに、なんで国債=国民の借金ということにされてしまうのか。
でもみんなが騙されるのも無理がないかもしれません。
なぜなら、財務省の御用学者たちが、その権威を傘に着て「財政健全化」を説き、根拠なき「財政破綻の危機」、それゆえの「消費増税の必要」を煽りつづけているからです。

たとえば吉川洋東大名誉教授は、大規模災害対策のための公共投資よりも、「財政健全化」を重視すべきだと平然と述べて、ここ数十年にわたる公共投資のひどい削減を正当化しています。
吉川氏は、本年6月に土木学会が発表した、南海トラフ地震で予想される被害総額1400兆円のうち、40兆円の耐震化費用で500兆円以上の被害が防げるという試算結果を悪用し、次のように述べます。

今回の土木学会の発表で最も注目されるのは、インフラ耐震工事約40兆円で南海トラフ地震の場合509兆円の被害を縮小できるという推計結果である。これほどの高い効率性をもつ公共事業は他に存在しない。整備新幹線はじめほとんどすべての公共事業をわれわれはしばらく我慢しなければならない。(中略)あれもこれもと、現在国費ベースで年6兆円の公共事業費を拡大することはできない。それでは『国難』としての自然災害を機に、『亡国』の財政破綻に陥ってしまう。》(『中央公論』8月号)
要するに、すべての公共事業費をあきらめるか、そうでなければ南海トラフ地震対策をあきらめるか、どちらかにしなければ、「財政破綻」すると言っているわけです。
こういう狂信的な輩が「学術論文」めかして、財務省の緊縮路線に根拠を与えているのです。

さらに吉川氏は、2003年3月19日付日本経済新聞「経済教室」で、「このままだと政府債務の対GDP比率が200%に達するが、この水準は国家財政の事実上の破たんを意味すると言ってよい。たとえデフレが収束し経済成長が回復しても、その結果金利が上昇するとただちに政府の利払い負担が国税収入を上回る可能性が高いからである。」と述べています。
ところが、経済思想家の中野剛志氏が、「しかし、現在の政府債務の対GDP比率は、吉川氏らが『国家財政の事実上の破たん』とした水準をすでに上回り、230%以上となっているが、長期金利はわずか0.03%に過ぎない。政府債務の対GDP比率と財政破綻とは関係がないのだ。」(「東洋経済オンライン2018年8月1日」)と反論しています。
吉川氏の「警鐘」がまったく非現実的であったことが事実によって証明されたわけです。
また、政府債務は、無利子無期限の新規国債に次々に借り換えてゆくことによって、原則として返済しなくてもよい特殊な「借金」なのです。
国民が取り付け騒ぎでも起こして、返せ返せと押し掛けたわけでもないのに、いったい誰に返すのですか。
それとも銀行ですか。
銀行は新規国債が発行されないために、発行残高が不足して取引が成立せず、困っている状態です。

政府は通貨発行権を持っていますし、日本国債はすべて自国通貨建てです。
そうであるかぎり、財政破綻など起こりようがありません。
そもそも「財政破綻」の定義とは何でしょうか。
御用学者や財務省は一度もこれを明らかにしたことがありません。
それは、政府の負債が増えることではなく、正確には、国として必要なのに誰もお金を貸してくれなくなった状態を意味します。
しかしいまの日本は、国債を発行すれば、いくらでも貸し手(直接には、主として銀行)がいる状態です。
またたとえば、政府の子会社である日銀が市場の国債を買い取れば、事実上、その「借金」なるものは、買い取った分だけ減殺されるのです。
現にここ数年日銀が行ってきた大量の量的緩和によって、すでに日銀の国債保有高は400兆円を超え、国債発行総額の4割に達しています。
つまり「国の借金1000兆円超」というのはデタラメなのです。

水利事業、インフラ整備、国防、災害対策――これらは、現在、政府が果たさなくてはならない喫緊の課題です。
税収で賄えない分は、どんどん新規国債の発行で賄うべきです。
新規国債の発行は、これまでの負債の借り換えによる補填以外は、そのまま政府の新たな公共投資を意味しますから、市中へ資金が供給され、内需の拡大に直結します。
日銀の金融緩和によって銀行の当座預金が膨らんでも、投資のための借り手が現れなければ(現れていないのですが)、デフレから脱却できませんが、政府の公共投資は、具体的な事業のための出資ですから、確実に市場にお金が回り、生産活動が動き出します。
それによる経済効果も、特に疲弊した地方を潤すことになるでしょう。
やがて沈滞している消費も活性化し、30年間伸びていなかったGDPも上昇、結果、税収も伸びるでしょう。
こうした一石三鳥、四鳥の財政政策の発動を阻止し、自分で自分の首を絞め、デフレ脱却を遅らせて国民生活を窮乏に陥れているのが、当の財務省なのです。

この程度のことは、少し勉強すればわかることです。
しかし政治家、学識者、マスコミ人のほとんどが、この程度のことを理解していません。
残念ながらそれが日本の現状です。
自民党次期総裁選に立候補する石破茂氏も、全然このことを理解していませんよ。
こんな人が次期総裁になったら、日本はさらに悲惨です。
今の日本人の多くが、財務省を総本山とする「緊縮真理教」という宗教の信者になってしまったので、個別社会問題をあちこちでいくら取り上げても、根っこは、当の総本山にあるのだということが見えず、ある時点で必ず思考停止してしまうのです。
マスコミで取り上げられる社会問題のほとんどの原因は、財務省の緊縮路線にあるのだということにみんなが気付くべきです。

静かな侵略

2018年08月22日 18時17分00秒 | 政治


メコン川といえば、東南アジア最長の川ですね。
この大河は、中国のチベット高原に源流を発し、雲南省を通って、ミャンマー・ラオス国境、タイ・ラオス国境、カンボジアを通過し、ベトナムへと至り、南シナ海に注いでいます。
何と6か国にまたがる流域を持っているのです。
このことは、この川をめぐって水利や発電や環境にかかわる複雑な政治問題を生む原因になっています。
というよりも、水源と上流を中国が押さえているということ、この事実が東南アジア諸国への強力な圧力行使として利用される結果を生んでいるのです。

ラオスは中国とわずかに国境を接していますが、東南アジアでは最貧国です。
メコン川にいくつもダムを作って、発電を行い、その供給が国内需要を上回るので、周辺諸国に輸出していますが、逆に他から輸入もしています。
ラオスは自力ではダムや発電所の建設ができないので、多くの部分を中国からの借款に依存しています。
支払い不能になれば、すぐにでも中国の銀行が差し押さえるでしょう。
https://fujinotakane.amebaownd.com/posts/3997388

またラオスには鉄道がありません。
中国は「一帯一路」の東南アジア版で、昆明を起点としてシンガポールにまで至る高速鉄道の計画に着手しています。
当然、ラオスを通過するルートもありますが、ラオスの資金不足や政界上層部の反対もあって、工事は進捗していません。
結局、これを実現させようとすれば、中国は、中国資本をつぎ込み、資材や技術や労働力はすべて本国から、といういつものやり方を取るでしょう。関係国には何の経済効果ももたらしません。
こうしてラオスは、事実上、中国の植民地なのです。
https://fujinotakane.amebaownd.com/posts/3997369

またラオスだけではなく、他の東南アジア諸国もこうした中国の強引な圧力を受けざるを得ません。

話をメコン川に戻しましょう。
数年前、海抜1800mの山岳地帯にある昆明がにわかに超高層ビルの林立する大ビジネス都市に変貌しました。
ここを根拠地として、メコン川上流の中国領地内に、水力発電ダムが次々に3つ作られ、さらに12のダムを計画中。
いくつもの国を通過する大河の上流に、他国との正式な合意も、きちんとした環境影響評価もなされないまま、勝手にダムを作れば、困るのは、下流域の国々です。
カンボジアでは、食料供給の大部分を川に依存しています。
年に一度の氾濫がなければ、この地域はほこりだらけの土地となり、ひいては都市を維持することもできなくなります。
カンボジアの農業生産は絶妙な水量のバランスの上に成り立っており、それが崩れることで、大規模な飢饉と壊滅的な洪水が発生する可能性が大きいのです。
最初の中国のダム建設以降、水位は低下し、捕らえられた魚は小さく、漁獲量は四分の一に減少したそうです。
また、水位の低下によりフェリーが立ち往生するため、チェンライ(タイ)からルアンパバーン(ラオス)までの航行は、以前は8時間で行けたのに2日間を要するようになったそうです。
ダム建設が計画通り行われるとさらに深刻な影響を及ぼすことになるでしょう。
下流域諸国は環境破壊と汚染に加え、低い水位が魚の遡上を妨げ、産卵ができなくなるという、川の閉塞問題にも直面します。
中国の身勝手な姿勢を他国は非難し、ダム建設の中止を求めましたが、空振りに終わりました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B3%E3%83%B3%E5%B7%9D

これは、単に自国中心主義の勝手なことをやっているというだけではなく、中小国を流れる大河の水利の管理を掌握することによって、政治的経済的な支配を押し進めようという、長期戦略の一環なのです。
こうして中国は、国際世論も無視して中華帝国主義を平然と進めているのです。
もちろんタイやベトナムは、このやり方に反発し、さまざまな抵抗を試みています。
しかし東南アジア諸国は結束力が不足しているので、本来なら、日本のような大国がASEAN会議などでリーダーシップを発揮して、中国への対抗措置を取る必要があります。
でも日本は、企業同士の利権獲得競争には参加しても、政治外交面では、中国との緊張を恐れて何もやらないでしょうね。
日本の弱腰外交は、中国の思うつぼです。

さてその日本ですが、以前にもこのブログで書きましたように、日本には不動産売買についての外資規制がなく、中国資本に北海道その他の土地を爆買いされています。
その総面積は、全国土の2%、静岡県全県に匹敵します。
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/143ace7cec4dd061a549846b6a4c02ad

https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/aaf36ed3b0d0adf5a081f1cc4a8861be
この問題を粘り強く追及している産経新聞の宮本雅史氏が、最近、次のような記事を発表しました。
《 買収目的のわからない事例の一つに日高山脈の麓の平取町豊糠(びらとりちょうとよぬか)地区がある。幌尻岳(ぽろしりだけ)の西側の麓に位置し、過疎化と高齢化で、住民はわずか12世帯23人ほど。冬季は雪深く、袋小路のような地形の集落は陸の孤島になる。
 この豊糠地区で、平成23年に中国と関係があるとされる日本企業の子会社の農業生産法人(所在地・北海道むかわ町)が約123ヘクタールの農地を買収した。地区内の農地の56%にあたる広さだが、農業生産法人は何の耕作もせず、放置するという不可解な状態にあった。》
《 農作物を作れば利益が期待できる広い農地を放置しているのはなぜなのか。買収が行われた7年前から、住民の間で一つの仮説が立てられていた。
 「農地を荒れ地にしておき、いずれ地目(ちもく)を『雑種地』に変更するつもりではないか。制約の緩い雑種地になれば自由に売買でき、住宅や工場を建てられる」
 豊糠地区は抜け道のない行き止まりにある集落で他の地域との行き来も少ない。豊かな水源地でもあることから「土地が自由に利用できるようになる時期まで待って、何者かが意図的に隔離された地域を作ろうとしているなら、これほどうってつけの場所はない」と懸念する住民もいた。》
《不可解な集落の丸ごと買収、非耕作地で放置された農地、空を舞う正体不明のヘリ、不釣り合いな高級車の来訪、日本国籍を得た者に対する「仲間に入れ」という強い勧誘、中継基地計画…。情報提供者らは「不可解なことだらけだ。いったい何をやろうとしているのか。年月がたつに従って不安と危機感が膨らんでいる」と話した。》(強調は引用者)
https://www.sankei.com/affairs/news/180817/afr1808170009-n1.html
「いったい何をやろうとしているのか」――これは明らかですね。
雑種地になってから資本をつぎ込んで、オフィスビルやマンションを建て、そこに大量の中国人を居住させ、やがては昆明と同じようなことを始めるつもりでしょう。
こうしてわが国土ばかりでなく、国の主権そのものが長期戦略のターゲットとして、すでに着々と奪われつつあるのです。
静かな、そして合法的な侵略です。
その100年先を見た長期展望と戦略の巧妙さには舌を巻くばかりです。
日米同盟の強固さを睨んだ中国は、軍事的な刺激を与えることを控え始めました。尖閣にばかり視線を集中させていては、はなはだ不十分です。
うかうかしていると、わが国がラオスをはじめとした東南アジア諸国と同じように、中国の冊封体制に組み込まれる日が、そう遠くない将来やってくるかもしれません。
この巧妙さに打ち勝つには、一刻も早く不動産売買の厳格な外資規制を法律で定めるのでなくてはなりません。






言葉の虚構性と実体化作用

2018年08月17日 13時34分18秒 | 思想

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先ごろ、『日本語は哲学する言語である』(徳間書店)という本を書きましたので、その中で考えたことの一部を少し変奏して書いてみようと思います。

言葉はふつう、コミュニケーションの手段と考えられています。
しかしこのコミュニケーションというやつ、じつに厄介です。
私たちは、意思伝達がうまくいかず、見解が対立してちっとも折り合えない事態にしばしば出くわしますね。
それどころか、こちらの言うことが誤解されたり、相手が聞く耳を持たなかったりということもしょっちゅう経験します。
意思疎通が図れない状態が高じると、互いの感情が激してきて、いっそう悪循環に陥ります。

これはなぜなのか。

一つは、言うまでもなく、人間が感情の動物だからです。ある論理の背景には、それを支える感情が必ず存在していますね。
哲学者のヒュームは、理性は感情の奴隷であると言い切りました。
しかしこれは必ずしも悪いことではありません。
というのは、まったく感情の伴わない伝達行為というのは、ロボットがしゃべる事務的な言葉でもない限り、ありえないからです。
背後に「この気持ちをこの人に伝えたい」という人間らしい思いがあればこそ、それが言葉として構成されて表出されるわけです。
ですから、言葉が伝わるためには、お互いが感情を持っていることが不可欠です。

言葉は一つの言語体系の中で、一定の規範を持っているので、私たちは、まだ形にならない気持ち(感情)を、その規範に沿って組み立てなくてはなりません。
ですから、組み立てのスキルがまずいと、うまく意思が伝わらないのは当然です。

しかし、スキルさえ磨けばコミュニケーションがスムーズに運ぶかというと、そう単純ではありません。
コミュニケーションがうまく運ばない理由には、言葉そのものの本性に由来している部分が大きく与っています
言葉は物事を抽象化して、「概念」として把握するので、把握の仕方が違っていれば、同じ言葉を使っていても、互いに違ったことを言っているという事態を避けるわけにはいきません。
言葉というのは、宅配便のように、Aさんが発送した荷物がBさんに届き、Bさんが梱包を説いてみたらその同じ荷物が出てくるというようなものではないのです。
つまり言葉は、単なる「手段」なのではなく、思想のやり取りそのものなのです。

国語学者の時枝誠記(ときえだ・もとき)は言語過程説という説を唱えました。
話し手が言語の素材である事物や表象をまず概念に組み立て、それを一定の聴覚印象に転化します。これが音声として発信され、空気中を物理的に伝わって聞き手の下に届きます。
聞き手はその聴覚印象を彼なりの概念として把握し、既知の事物や表象に転化します。そこに初めて「言語理解」が成立するというわけです。

当たり前のことを言っているようですが、時枝説の特徴は、次の点にあります。
事物・表象→概念→聴覚印象→音波→聴覚印象→概念→事物・表象という、話し手から聞き手へのこの一連の過程こそが言語の本質だというのです(書き言葉の場合には、この過程の途中に「書き」「読み」という要件が加わります)。
この過程以外のどこにも現実の言語は存在しません。
すると、すぐ思い当たるのは、聞き手もまた欠くことのできない言語主体なのだという事実です。
だから聞き手の言語把握の仕方がどうであるかが、言語伝達にとって決定的な意味を持つのです。

私たちは、子どもに話すときは子どもにふさわしい語彙や話し方を用います。相手との関係や会話の場しだいで、言葉のモードをさまざまに使い分けますね。
便宜にかなうとあれば嘘もつきますし、沈黙を守ることもします。沈黙も言語行為の一つです。
それは私たちが、いちいち意識しなくても、時枝の言うように、言葉の本質が話し手と聞き手とのやり取りそれ自体だということを、よく理解しているからです。
言葉とは、もともとこのように、ある不変の真実の伝達や共有ではなく、そのつどの関係づくり行為(ある場合には関係破壊行為)なのです。言語表現の以前に、あらかじめ絶対的な客観的真実があるわけではありません。
私たちは、言語行為を通して、不断に「真実らしきもの」を創造しているのです。
また、言葉こそが嘘と真実との区別をも作り出すのです。
だから、誤解、曲解、耳塞ぎ、虚構、でっち上げなどは、言葉が本来持っている特性からして避けることができません。
このことをよくわきまえておけば、たとえば騒がしい「歴史認識」の問題なども、ただ、「あいつらは嘘つきだ、俺たちこそ誠実に真実を追究している」という観点だけで相手と争っても(そういう構えが必要なことは言うまでもありませんが)、勝ち目がないことがわかります。
むしろこちらにとっての「真実」を「真実」として、うまく周囲に認めさせるような説得術やエネルギーを蓄えることが要求されてくるわけです。

さて、言葉の持つ特性に、目で見たり手で触れたりできないものを、あたかもそうできるかのようにしてしまう働きというのがあります。
これを「言葉の実体化作用」と呼ぶことにしましょう。
たとえば、「心」という言葉があります。
だれもモノと同じように「心」を見たり触れたりした人はいませんね。
「社会」「自由」「精神」「観念」「美」「真理」「善」「平和」「平等」「人権」「命」など、みな同じです。
これらはふつう抽象名詞というグループに入れられています。
しかし、私たちがこれらの言葉を実際に使うとき、目で見たり手で触れたりできないということを常に意識しながらそうしているわけではありません。
筆者は大学の学生に、「あなたは心を持っていますか」と聞きます。
誰もが「はい」と答えます。
そこで「ではあなたの心をちょっと出してみせてください」と要求します。
誰もがしばし戸惑った上、「……できません」と答えます。
そこで、では心とはいったいどのような仕方で「ある」と言えるのかについて話すのですが、それはしばらく置いておきます。

ここでは、「言葉の実体化作用」が、不毛なディスコミュニケーションを作り出す大きな原因になっている例を挙げてみましょう。

たとえば、教育の世界で、知育が大切か徳育が大切かという議論が昔からありました。
おおむね、知育偏重の風潮を非難する道徳主義者の側から提議されてきました。
この場合、本当に知育偏重の風潮が実態として存在するかどうかの議論がまず前提としてなければなりませんね。しかしいったい、何をもって「知育偏重」というのか、その尺度や指標についてきちんと話し合われたためしがありません。
論者は、「知育」というものが「徳育」というものと対立して、目に見える「モノ」と同じ形で存在するかのように頭から決め込んでいるのです。
しかし、これらはいずれも抽象概念であって、リンゴとミカンのように、二者択一できるものではありません。
知の発達なしに徳を涵養することはできませんし、逆に徳(ルール感覚やマナー感覚)なしにいかなる知の注入も不可能だからです。
両者はいつも相互既定関係にあるのです。
そのことをわきまえずに、「どちらが重要か」という風に議論を立てると、いずれの側に立つにしても、初めに結論ありきで、水掛け論に終わるのです。

また、先進諸国では、「自由」という概念が何よりも重要なものと考えられています。
この高度な抽象概念が、さまざまな文脈のなかで、「モノ」と同じように扱われているのをよく目にします。
「私たちは自由を守らなくてはならない」、「自由は何よりも大切だ」というように。
もちろん、法を犯してもいないのに身体が奴隷的拘束状態に置かれれば、そこからの自由を訴えることは大切な意味を持つでしょう。
ところが、「言葉の実体化作用」が進むと、どんな文脈であろうとお構いなしに、この概念を宝物のようにして、議論を進めることになります。
たとえば「自由貿易」と聞くと、何かそれだけで素晴らしいものであるかのような錯覚に支配されます。
しかし自由貿易とは、関税を撤廃してモノやサービスを行き来させることですから、強国と弱小国でこれを行なえば、強国に都合がよいように事が運ぶことは目に見えています。
産業基盤の弱い小国は、この概念に騙されてはいけないのです。
「自由」を素晴らしいと考える前に、どういう意味の自由か、どういう状況文脈でこの言葉が使われているのか、をよく考えなくてはなりません。

このように、私たちは、言葉というものが持っている特性をしっかり認識する必要があります。
重要な議論をするときには、特にこれらの特性に対して研ぎ澄まされた自覚を持つべきなのです。
まとめると、
(1)言葉とは、話し手(書き手)と聞き手(読み手)とのやり取りによって、関係を作っていく(時には壊していく)営みである。
(2)言葉のやり取りの以前に「真実」があるのではなく、逆に言葉のやり取りが「真実らしさ」を創造していくのである。
(3)言葉には抽象観念を実体化する作用があるので、その危険な罠にはまらないよう、注意が必要である。




万葉の森を訪ねる(その3)

2018年08月14日 22時19分54秒 | 文学


それでは残った三名の選歌を紹介します。

Dさん(六十代・男性):
 ・あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(20)          額田王
 ・紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも(21)        天武天皇
 ・東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ(48)            柿本人麻呂
 ・磐代の浜松が枝を引き結びまさきくあらばまた還り見む(141)         有馬皇子
 ・み空行く月の光にただ一目あひ見し人の夢にし見ゆる(710)          安都扉娘子
 ・世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば(893)      山上憶良
 ・若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る(919)         山部赤人
 ・石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも(1418)       志貴皇子
 ・春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女(4139)            大伴家持
 ・わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも(4291)        大伴家持

*オーソドックスな選択です。どれも名歌というにふさわしい。また人口に膾炙していますね。20と21は、秘めたる恋の相聞として有名ですが、宴で酔った天武天皇の舞姿が女に秋波を送るように見えたので、額田王が半ばいさめ、半ば揶揄するように歌ったのを、天武が当意即妙で返した、という山本解釈もあります。いずれにしても、文芸の価値はその成立事情とは自立したところに求めるべきですから、額田王のこの歌が、恋心の機微を美しくとらえた最秀作の部類に入ることは間違いないでしょう。893は有名な「貧窮問答歌」の反歌ですが、齢七十を超えた憶良の心境がいみじくも出ていて、貧窮問答歌そのものよりも優れていると思います。Dさんは公平な評価をする人だと思いました。

Eさん(六十代・女性):
 ・籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岳に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座せ われこそは 告らめ 家をも名をも(1)                          雄略天皇
 ・熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな(8)      額田王
 ・あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(20)        額田王
 ・紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも(21)      天武天皇
  *以上二つはセットとして考えてください。
 ・わがせこを大倭へ遣るとさ夜更けてあかとき露にわが立ち濡れし(105)    大伯皇女
 ・瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして思はゆ 何処より 来りしものそ 眼交に もとな懸りて 安眠し寝さぬ(802)                       山上憶良
 ・石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも(1418)     志貴皇子
 ・旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子羽ぐくめ天の鶴群(1791)       遣唐使の親母 
 ・勝鹿の真間の井を見れば立ち平し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ(1808)   高橋虫麻呂歌集
 ・鈴が音の早馬駅家のつつみ井の水をたまへな妹が直手よ(3439)      作者未詳
 ・吾が夫子が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまふな(3774)      茅上娘子
 
*一見して、若い番号の歌を多く選んでいることがわかります。万葉集の順序は、必ずしも時代順ではありませんが、巻十までの間に初期から中期までの古い歌が多く集められていることは事実です。Eさんはおそらく、上古の格調ある歌の中に神話的なロマンを見出しているのでしょう。それは、1の求婚歌や、105の、やがて謀反の疑いで処刑される大津皇子を送り出す姉の運命的な別離の歌、「あかねさす」の洗練された恋心のやり取り、などへの共感のさまに伺うことができます。また有名な802や1791を選んでいるのは、子どもを思う母心を投影させているのでしょう。さすがは女性らしい細やかなセンスだなあと思いました。

私(七十代・男性):
 ・熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな(8)      額田王
 ・淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば情もしのに古思ほゆ(266)          柿本人麻呂
 ・石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも(1418)      志貴皇子
 ・朝寝髪われは梳らじ愛しき君が手枕触れてしものを(2578)         作者未詳
 ・燈の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ(2642)        作者未詳
 ・信濃道は今の墾道刈株に足踏ましなむ履はけわが背(3399)         作者未詳
 ・鈴が音の早馬駅家のつつみ井の水をたまへな妹が直手よ(3439)       作者未詳
 ・わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも(4291)       大伴家持
 ・天離る 鄙治めにと 大君の 任のまにまに 出でて来し 吾を送ると 青丹よし 奈良山過ぎて 泉川 清き川原に 馬とどめ 別れし時に 真幸くて 吾帰り来む 平けく 斎ひて待てと 語らひて 来し日の極み 玉鉾の 道をた遠み 山川の 隔りてあれば 恋しけく 日長きものを 見まく欲り 思ふ間に 玉梓の 使の来れば 嬉しみと 吾が待ち問ふに 逆言の 狂言とかも 愛しきよし 汝弟の命 何しかも 時しはあらむを はだ薄 穂に出る秋の 萩の花 にほへる屋戸を 朝庭に 出で立ちならし 夕庭に 踏み平らげず 佐保の内の 里を行き過ぎ あしひきの 山の木末に 白雲に 立ちなびくと 吾に告げつる(3957)                                  大伴家持
 ・色深く背なが衣は染めましを御坂たばらばま清かに見む(4424)       物部刀自売

*「あかねさす」はみんなが選ぶと思ったので、へそ曲がりの私はあえて避けました。それでも万葉の最高の歌姫を入れないわけにはいかず、「にぎたづ」にしました。
ところで昨年の百人一首の会の時には、意識的に恋歌に限定して選んだのですが、今回の選歌を見ても、私はやはりエロス感情や身近な生活感情の動きに一番関心があるようです。
ちなみに今回は示し合わせたわけではまったくないのに、私の選んだ歌は、八つまでが誰かの選歌と重なっています。これは自分としてはうれしいことでした。なお他の人が選ばなかった2578は、エロチシズムのリアリティをとても感じたから。また3957の長歌は、家持が越中に赴任した時に送ってきてくれた弟が急死した知らせを受けて、その驚きと悲しみをうたったもので、家持の真率な心の動きに打たれました。
長歌はもともと宮廷歌人が天皇の営みなどを寿ぐ儀式的・宗教的な意味合いが濃かったものですが、家持の時代にはその趣向はすたれて、いたたまれぬ個人感情を吐露するところまで来ていたのですね。万葉集に載せられた歌はわずか150年ほどのものに限られていますが、この間に、長歌の歌い収めとしての反歌から短歌として自立していく過程を通して、しだいに、歌は共同体の精神から独立した個人表現としてのフォームを確立させていきます。これを是とするか非とするか。山本健吉は、芸術の本質という見地からして、この事態をあまり面白く思っていないようですが、もちろん言葉の芸術という枠組みの中では、復権の試みは不可能でしょう。

さて今回の試みでは、61の歌を掲載しましたが、けっこう重なりが多いことに気づかれたと思います。
試みに人気投票ふうに整理してみると、
「いわばしる」
「わがやどの」
「ともしびの」          以上各3票

「あかねさす」
「にぎたづに」
「むらさきの」
「あふみのうみ ゆふなみちどり」
「たびびとの」
「かつしかの」
「しなのぢは」
「すずがねの」
「いろふかく」          以上各2票

いろいろと不十分なところもある会でしたが、普段忙しさに紛れて、なかなかこういう試みはできるものではなく、何とかやりおおせただけでもよかったと感じています。
今後それぞれの立場と関心に合わせて、さらに日本文化史への関心を深めていければ、と思います。

万葉の森を訪ねる(その2)

2018年08月13日 07時33分29秒 | 文学


さてそれでは、各メンバーがどんな歌を選んだかをここに掲げましょう。
万葉集鑑賞の参考にしていただければ幸いです。

Aさん(三十代・男性):(彼は巻十一以降に限定して選歌しています。)
 ・淡海の海沈く白玉知らずして恋ひせしよりは今こそ益れ(2445)      柿本人麻呂歌集
 ・燈の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ(2642)       作者未詳
 ・八釣川水底絶えず行く水の続ぎてそ恋ふるこの年頃を(2860)       柿本人麻呂歌集
 ・現にか妹が来ませる夢にかもわれか惑へる恋の繁きに(2917)       作者未詳
 ・つぎねふ 山城道を 他夫の 馬より行くに 己夫し 歩より行けば 見るごとに 哭のみし泣かゆ そこ思ふに 心し痛し たらちねの 母が形見と わが持てる 真澄鏡に 蜻蛉領布 負ひ並め持ちて 馬買へわが背(3314)                    作者未詳
 ・信濃道は今の墾道刈株に足踏ましなむ履はけわが背(3399)        作者未詳
 ・吾が面の忘れむ時は国はふり嶺に立つ雲を見つつ思はせ(3515)      作者未詳
 ・君が行く海辺の宿に霧立たば吾が立ち嘆く息と知りませ(3580)      作者未詳
 ・かからむとかねて知りせば越の海の荒磯の波も見せましものを(3959)   大伴家持
 ・色深く背なが衣は染めましを御坂たばらばま清かに見む(4424)      物部刀自売

*ほとんどが作者未詳歌です(ちなみに柿本人麻呂歌集とあるものも、多くは作者未詳です)。しかも恋歌か、旅立つ人や遠く離れている人への女性の思いやりをうたった歌で占められていますね。エロスの感情を大切にする若いAさんの、庶民的で、ロマンティックで、優しい人柄がしのばれます。

Bさん(五十代・男性):
 ・淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば情もしのに古思ほゆ(266)          柿本人麻呂
 ・ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ(416)      大津皇子
 ・燈の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ(2642)       作者未詳
 ・君が行く道のながてを繰り畳ね焼き亡ぼさむ天の火もがも(3724)     茅上娘子
 ・家にてもたゆたふ命波の上に思ひし居れば奥処知らずも(3896)      大伴旅人の傔従
 ・大海の奥処も知らず行く吾れをいつ来まさむと問ひし児らはも(3897)   大伴旅人
 ・万代と心は解けてわが背子が摘みし手見つつ忍びかねつも(3940)     平群女郎
 ・紅は移ろふものそ橡の馴れにし衣になほ及かめやも(4109)        大伴家持
 ・藤波の影なす海の底清み沈く石をも珠とそわが見る(4199)        大伴家持
 ・わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも(4291)      大伴家持

*一首目は誰もが推すことをためらわないでしょう。二首目は非業の死を予定された者の辞世といってもよい歌で、日頃なじんだ鴨との別れを通して自らの死を見つめるその哀切さに共感したものと思われます。それ以外は、中期から後期にかけての歌が多く集められています。とりわけ家持作が三首入っているところが引き立ちます。掘り下げられた内面性から生まれた言葉の美を重んじるところがBさんらしいと言えるでしょうか。4199は私も選ぼうか、迷いました。

Cさん(五十代・男性):(彼はAさんと逆に、巻十までに限定しています。)
 ・鯨魚取り 淡海の海を 沖放けて 漕ぎ来る船 辺附きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂 いたくな撥ねそ 辺つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 夫の 思ふ鳥立つ(153)       倭 大后
 ・み吉野の象山の際の木末にはここだもさわく鳥の声かも(924)       山部赤人
 ・ぬばたまの夜の更けぬれば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く(925)    山部赤人
 ・西の市にただ独り出でて眼並べず買ひにし絹の商じこりかも(1264)     古歌集
 ・春の野にすみれ摘みにと来しわれそ野をなつかしみ一夜寝にける(1424)   山部赤人
 ・大の浦のその長浜に寄する波寛けく君を思ふこの頃(1615)         聖武天皇
 ・君なくはなぞ身装餝はむ匣なる黄楊の小櫛も取らむとも思はず(1777)    播磨娘子
 ・旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子羽ぐくめ天の鶴群(1791)        遣唐使の親母
 ・勝鹿の真間の井を見れば立ち平し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ(1808)    高橋虫麻呂歌集
 ・天の川水陰草の秋風になびかふ見れば時は来にけり(2013)         柿本人麻呂歌集

*過ぎ去った物事への思い出の貴重さ、自らになじみある土地への愛着、伝説に保存された記憶の大切さ、聴覚に集中される夜の孤独な心境など、ともすれば壊れそうになる繊細な感覚を言葉に掬いあげた歌が多く選ばれています。しかし1264のような諧謔味の勝った歌、1777のような女性のきっぱりとした確かな恋情にも共感を示しているところを見ると、ただ寂かな境地を愛するというだけではなく、まさに「寛けき」鑑賞眼の持ち主でもあることがわかります。

次回も参加者が選んだ歌を掲載します。あと三人です。


万葉の森を訪ねる(その1)

2018年08月11日 09時10分37秒 | 文学


今からちょうど一年前、大岡信編訳『小倉百人一首』をテキストにして、「私が選んだ十首」を発表して語り合う会というのを催しました。その模様と、筆者の選歌および感想は、以下のURLでご覧いただけます。

https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/888a79da294ef49422b0607b733ce51d
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/eb13abafd9fe29dd02ad0aebcddef440
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/888a79da294ef49422b0607b733ce51d


今年は、『万葉集』に挑戦しました。メンバーに小さな変動はありましたが、だいたい同じです。
さて一口に『万葉集』に挑戦といっても、4500首を擁するあの巨大な言の葉の森に、古典の素人である私たちがどうやって入り口とルートを見つけたらよいのか、けっこう悩みました。
やはり適切な道案内人が必要だろうということで、事前相談の結果、昔から定評のある山本健吉・池田弥三郎著『萬葉百歌』(中公新書・1963年)と、少し時代を下って中西進著『万葉の秀歌』(講談社・1984年、文庫版ちくま学芸文庫・2012年)の二冊をテキストとし、三人で分担してレポートすることにしました。ちなみに、前者は表題歌109首、後者は252首、両者の重なりは34首。文中に紹介されている歌も多数あるので、500首以上は鑑賞したことになると思います。
さらに新しく加わった一人に、保田與重郎著『萬葉集の精神 その成立と大伴家持』(筑摩書房・1942年、文庫版新学社・2002年)から目ぼしいところを抜き出して解説してもらうという形を取りました。

全員が少々忙しく、やや準備不足の気味はありましたが、それでもレポートは順当に進み、最後に、それぞれのメンバーが「私が選んだ十の歌」を発表し、その思いを述べるという形で終了しました。

副産物として、山本健吉著『古典と現代文学』(新潮文庫・1955年、講談社文芸文庫・1993年)が取り上げられ、古典世界においては、共同体の過去からの共有物としての言葉をそれぞれの時代の意識がそれぞれの仕方で受け継ぐことによって、初めてすぐれた作品が成立するという認識が共有されました。本歌取りとかパロディ、変奏といったものは、言語芸術が成り立つうえでの必然だということです。
これは時代をさかのぼればさかのぼるほど顕著に言えることで、柿本人麻呂という一個人名がその背後に膨大な口承文芸、宗教的儀礼の言葉、神話や伝説などによってあらわされた共同体の精神を背負っているのは、ちょうどホメロスという個人名が一人の天才詩人に名付けられた名前ではないのと同じです。
まあ、言ってみれば当たり前の認識ではありますが、孤立した個人の才能とか個性といったものを芸術成立の必須条件として偏重しがちな近代以降の傾向に対する有力な反措定として、再確認しておく必要はあるだろうということです。すぐれた才能そのものが共同体の精神の一つの体現だと考えればよいわけです。

また、どんな芸術もそれが生まれた時代や社会とまったく無縁ではありえないので、今回、万葉の世界に踏み込むにあたっても、初期、中期、後期の政治社会史がどのような様相を帯びていたのかについて、それぞれのメンバーが考えることを余儀なくされました。
有間皇子や大津皇子の悲劇的な最期、多くの女帝たちの擁立の影に垣間見える皇位継承の困難、天智―天武時代の激しい権力争いとその狭間で舞う女たち、男たち、藤原氏の台頭と相まって凋落してゆく大伴氏の運命、聖武天皇治下の度重なる遷都の背後に見え隠れする政治の乱れ、防人歌からうかがえる民衆への圧制等々。

さらに、山本・池田テキストと中西テキストに共通に取り上げられている歌における、両者の解釈の違いを比較することで、いろいろな議論が沸き起こりました。
一例を挙げると、額田王の「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」(巻一・八)をめぐって、山本は、軍旅の先駆けではあるがそこに祭事に伴う楽しさをも見る(したがって華やかな女性も伴う夜の船乗りで、言葉通りに、満潮と月の出とを同時刻とする)のに対して、中西氏は、当時、危険を伴う夜の船出は考えにくいとして、これは昼の船出であり、月が船出にふさわしい状態になるのを何日か待っていたと解釈します。
池田・山本解釈では、この「船乗り」そのものに軍旅に先立つ禊ぎという宗教的な意味を見るわけですが、中西解釈では、戦闘集団の実際の「船出」ということになります。ちなみにこの解釈の食い違いは両テキスト以前からあったようです。
筋としてはどちらも通っていないことはありませんね。しかし歌いっぷりの宣命めいた鮮やかさからして、また大いくさの前に盛大な儀式を必要としただろう当時の習俗からして、山本解釈が当たっているように思います。それに、そう考えた方が、この歌の醸す、いかにも古代的な昂揚した雰囲気に素直に同化できるのではないでしょうか。
「月待てば……潮もかなひぬ」という自然時間の連続性の表現に、夜を集団で共有する華やぎと躍動感が感じられ、そこに歌の命を見たい気がします。

保田與重郎については、大東亜戦争突入期という時代背景もあって、万葉集、とりわけ山上憶良と大伴家持の二人に体現された言霊の精神に熱い思いを寄せる保田の気迫が伝わってきました。
由来藝能の文化は滅びようとするもの、ないしは滅びる怖れにあるものを、その終局の美しさに於て、ことばの神の力によつて後に傳へようとするものである。それは創造の根據であつたし、永遠に不滅を信ずる者の祈念の表現であり、又傳統を傳承する實践であつた。
こう説いて保田は、すでに万葉の昔日において、わが国のことばの美しさを守らねばならぬ時代に来ていたことを強調します。これは、うっかり読むと、やがて来る国家としての滅びを美学的に予言しているかのように見えますが、彼の執着はあくまでも「ことば」の伝統を内側から守ろうとするところにあり、政治的なメッセージなどを読み込もうとするのは、筋違いというものでしょう。
そうしてこの執着は、いささか大時代がかった表現を割り引くなら、いつ、どこにおいても文学的情熱の根源を明かすものとして、意外にも普遍的なところに届いていると言えます。

次回は、各メンバーが選んだ歌をご紹介します。



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