これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(5)
前回、ベース特集をやり、最後にスコット・ラファロとビル・エヴァンスの共演「グロリアズ・ステップ」をご紹介しました。これはあまりにも有名なライブ盤「サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジヴァンガード」に収められているのですが、スコットは、この録音の11日後に事故死してしまいます。最良の盟友を突然失ったビルはがっくりきて、半年くらいピアノに向かう気がしなかったそうです。
その思い、さぞや、というところですが、こんなことを書いているうちに、どうしても巨匠ビル・エヴァンスについて語りたくなってきました。こういう巨人について語るのはできるだけ後に引きのばしてやろうと思っていたのですが、そんなもったいぶっていたら、いつまで経ってもジャズの本筋に入れないので、この際、えいっと決めることにしました。
ビルは白人で、比較的恵まれた家庭に育っており、クラシック音楽の素養を早くから身につけています。モダンジャズ界における彼の存在意義は、貧困と被差別が当たり前であった黒人ミュージシャンたちの世界のまっただなかに、そういう社会背景をまったく問題とせず、高度な音楽性、精神性を堂々と持ち込んだところにあります。
彼以前の優秀なピアニストとしては、やや泥臭いエロール・ガーナー、特異な感性を強烈に打ち出したバド・パウエルなどが挙げられますが、ビルのピアノは、彼らとは全然違い、上品で洗練されていて出しゃばらず騒がしくなく、それでいて、余人を許さない個性を感じさせます。また、他のプレイヤーとの対話、インタープレイを非常に重んじていて、一曲全体の完成度を高いレベルで達成させるという特長があります。「俺が、俺が」というのがそんなにないのに、結果として彼の存在が際立ってくるのですね。
前回すでに「ソー・ホワット」でご紹介しましたが、彼は短い期間、マイルス・デイヴィスのクインテットに参加して、ソロパートを少しばかり担当しています。しかしそこでは、脇役の分際を心得ていたのかとても控え目で、あまり目立った演奏ぶりをしていません。ところがよく聴いてみると、ピアノトリオ(つまり彼自身が主役になるケース)での演奏との共通点が明らかに認められます。これがまさに彼の個性の秘密なのです。
その共通点とは何か。ひとことで言うなら、右手と左手との絡み(和声、ハーモニー、対位法的奏法)を即興演奏の核心に置くということです。
これは、もちろんクラシック音楽の素養にもとづいているのでしょう。ある音楽通に聞いたところでは、ドビュッシーの影響を強く受けているそうです。なるほど、彼のソロアルバム「ビル・エヴァンス・アローン」を聴くと、そのことがよく納得できます。クラシックファンで、これからジャズを聴こうと思っている方には、このアルバムがお勧めです。ビル自身も、ひとりでピアノに向かい合っている時間が長かったことが自分の演奏活動にとってとても重要な意味をもっていたという意味のことを語っています。
しかし、そういう素養をジャズに持ち込むというのは、かなり冒険を要することです。というのは、伝統的なジャズスピリットからすれば、なんといっても、哀感を伴うブルース調やファンキーなノリで「歌う」ことが優先されるので、そのメロディアスな感じをわかりやすく表現するには、左手はあくまで基本コードを押さえるにとどめ、それを土台としつつ、右手を自由に遊ばせるというのが手っ取り早い方法だからです。
ビルのピアノは、もちろんブルース調でもファンキーでもありませんが、そうでない分だけ、逆に「ただ一人歌う」のではなく、「合わせて歌う」ことの複雑さが実現されているのです。「合わせて」とはいっても、お祭りのようにみんなでワッショイ、ワッショイというのとはまるで違います。彼の場合、単純なピアノ・タッチそのものが、何か深く考え込んだ人のそれ、といった趣があり、これが複合的に奏でられると、いろいろな思いを抱えた者どうしが心を通わせた語り合い、という感じになるのですね。
そういうことを一台の楽器で表現しながら、いっぽうで主役のメロディーラインも存分に踊っています。言ってみれば彼の演奏は、総合的、全体的なのですね。これは、ほかのジャズピアニストではあまり見られないことだと思います。乱暴に言えば、それだけ芸術的なレベルが高いということです。つまりもともと自分の中にあった複合的な要素が、共演になると、プレイヤーどうしの見事な絡み合い(インタープレイ)として外側に表出してきたのでしょう。
講釈はこれくらいにして、ともかく一曲聴いていただきましょう。名盤「ポートレイト・イン・ジャズ」から、シャンソンの名曲「枯葉」。この曲では、いま言った右手左手の複合的なプレイが、特にソロパートの後半で確認できます。
なお「枯葉」はたくさんのジャズメンが手掛けていて、どれもそれぞれに魅力的ですが、ビルの「枯葉」は、その構成力、解釈の仕方などからみて、ピアノ演奏としては群を抜いていると感じられます。また他の楽器とのインタープレイの妙も充分に楽しめます。パーソネルは、先のメンバーと同じ、スコット・ラファロ(b)、ポール・モティアン(ds)。ポールの巧みなブラッシュワーク、スティックに持ち替えてスウィング感を盛り上げていくシーンなども聴きどころです。
http://www.youtube.com/watch?v=nheqSZPIcNE
さてこんなふうに偉そうに書いてきたのですが、じつをいえば、ジャズを聴き始めたころの私は、ビル・エヴァンスには大して興味を持っていませんでした。彼の奥深さがわかっていなかったようです。若い頃って、とかく単純に強いもの、激しいものを求めますからね。前に触れたジャズ仲間たち、K君、A君も、私がしげく付き合っていたころは、ビルの含蓄豊かな大人の演奏にはさほど惹かれていなかったようです。
私が、彼のことを何と傑出したピアニストなんだろうと思うようになったのは、おそらく30歳くらいからではないかと思われます。それは、同時代の他のピアニストたちと聞き比べていくうちに、その芸術性の高さと独特のセンスに気づいていったということもあるのでしょうが、それよりも、自分自身の人生経験がしからしめるところが大きいように思います。威勢のよいホーンの響きが入った曲より、成熟するにつれてだんだんとピアノトリオの響きのうちに自分の気分や波長をシンクロさせるようになりました。昼間の猥雑な生活に追われたのち、ふと孤独をかみしめる夜の時間帯になると、ピアノトリオの醸す雰囲気はとても心に染み入ってきます。その中でも特に、ビルの演奏はなんだか哲学的な対話をしているような気分にさせられるのですね。
またそれまで、クラシック音楽にも多少親しんでおり、なかでもピアノという楽器の音色がいちばん自分の感性に合っていました。この楽器は他の楽器に比べて、人間の情緒のさまざまな幅と広がりを最もよく表現できますね。激情、感傷、繊細さ、軽快さ、優美、涙、どす黒い情念、勇壮、可愛らしさ、明るさ、さわやかさ、スピード感、意志の強さ、憧れ、郷愁、はずむ恋心、失恋の悲しさ、知的な疑惑、不安、重々しい鬱屈……数え上げればきりがありません。
情緒の幅と広がりといえば、ビルのピアノは、思索的で理知的であると同時に、そこに得も言われぬリリシズムが湛えられています。テンポの速い曲だと、そのことがあまりよくわからないかもしれませんので、彼のスローバラードを一曲聴いてみましょう。これまでこのシリーズでご紹介してきた曲は、みな比較的リズミカルなものが多かったので、そういう意味でも、ここらで静かに聴き入る時間を持つのも一興かと思います。
先のヴィレッジヴァンガードでのライブ演奏を集めたアルバムには、もう一枚、「ワルツ・フォー・デビイ」というのがあります。こちらのほうが有名で、いまでもビル・エヴァンスと言えば、真っ先にこのアルバムが挙げられるのが普通です。
ジャケットデザインも素敵ですね。タイトル・テューンの「ワルツ・フォー・デビー」も文句なく素晴らしい名演奏ですが、ここでは、スローバラードの「マイ・フーリッシュ・ハート」。ちなみに、客のおしゃべりの声が少々気になります。ビルも弾きながら耳障りだったに違いありません。
http://www.youtube.com/watch?v=eFRsgGF80To
ビルはこの最盛期の後も、ベーシストにチャック・イスラエル、エディ・ゴメスら(この二人は、スコット・ラファロが切り開いた地平を継承しています)を迎え、70年代後半までそれなりの活躍を続けますが、残念ながら往年の輝きはみられません。音楽にかける情熱は死ぬまでいささかも衰えを見せていないのですが、私生活面での不幸がさまざまな形で影を落としているようです。他の女性と仲良くなったために離縁をもちかけたことによる妻の自殺、やはりピアニストであった兄の自殺、家族との離別、長年の麻薬中毒による肝臓障害など、本当に孤独な芸術家の運命を象徴しているようです。1980年に51歳の若さで亡くなりました。
後年の演奏を聴くと、先に述べたような、両手による絶妙な和声の繰り出しや白熱したインタープレイによるビルらしさの魅力が明らかに衰えていて、右手のシングルトーンによる即興部分が多くなり、これくらいなら、ほかにも巧者がいるだろうと感じさせます。こういうことも皆さんの耳で確かめていただく必要を感じますので、ここにそれを転載しておきましょう。「いつか王子様が」。パーソネルは、エディ・ゴメス(b)、マーティ・モレル(ds)。
http://www.youtube.com/watch?v=bu8BcRSNfxU
この動画を見ると、彼の指が異様に腫れ上がっているのがわかりますね。おそらく肝臓障害のせいだろうと推測されます。
ところで、麻薬中毒で若死にしたと書きましたが、ジャズメンたちの麻薬中毒と若死には少しも珍しくありません。51歳というのは、むしろ長生きのほうといっても過言ではないのです。先に取り上げたクリフォード・ブラウンもスコット・ラファロも20代、チャーリー・パーカー、エリック・ドルフィー、ポール・チェンバース、ウィントン・ケリーは30代、ジョン・コルトレーン、バド・パウエルは40代初期というありさまです。そして彼らはほとんど例外なく麻薬に手を出しています。
この事実に、ジャズ演奏家という種族の生活の乱脈ぶりを想像する人もいるかもしれません。それはある意味では間違いとは言えませんが、私にはむしろ、こういう激しくも創造的な音楽ジャンルを作り出していく人たちにとってある種の必然なのではないかと思われます。ちなみにクラシックでも、モーツァルト、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、シューマンら、あのような繊細な音楽を創出した人たちは、みな若死にですね。
冒頭にビルの肖像を掲げましたが、彼はまるで生真面目な銀行家か研究熱心な学者のような風貌をしています。資質的には事実、そういう側面があったのだろうと思います。生真面目で研究熱心、それがジャズという音楽に打ち込むとなるとどのようにあらわれるか。彼は絶えず独創的なフレーズを即興で繰り出していかなくてはなりません。その追いかけられる感じ、一瞬一瞬における時間との闘いは、神経を激しくすり減らすでしょう。インスピレーションをハイな状態に保つために、麻薬に頼らざるを得ない。そうした悲劇が、この芸術の舞台裏にはあらかじめ織り込まれている――そんな気がしてなりません。
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