小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

北海道というエアポケット

2017年02月27日 23時47分09秒 | 政治

      





 尖閣、辺野古基地移設、高江ヘリパッド騒動と、いま日本国民の視線は沖縄に集まっていますね。中国が沖縄を自国の領土として狙っていることは、いまや周知の事実です。私たちはもちろん、この安全保障上の危機に真剣に立ち向かわなくてはなりません。
 しかし産経新聞が以前から連載している「異聞 北の大地」というコラムがずっと気になっていたのですが、北海道にも由々しき問題がじわじわと進行しつつあります。
 水源の所在地や森林や広大な土地が中国資本によって買い占められているのです。しかもリゾート施設だの別荘地だのゴルフ場だのと言った名目で、実際には何をやっているのか役所も近隣の人たちもしかとつかんでいません。中国の「サラミ・スライス」戦略は日本人の油断をよそに、着々と本土に及んでいるのです。
 最近3回にわたって掲載された第4部には恐るべきことが書かれています。以下要約。

①中国は、釧路を国防、経済両面で海洋進出の拠点として狙っている。すでに付近には中国資本の貿易会社やメガソーラー発電所が建ち、日中友好協会主催による「一帯一路」構想についての勉強会が開かれ、孔子学院の講座や小中生を対象とした中国語教育も。
 道東は自衛隊の基地が密集し、国防上の要衝であるにもかかわらず、釧路市では「中国資本が急に活発化したという実感はない」などとのんきに構えている。
http://www.sankei.com/world/news/170224/wor1702240016-n1.html

②平成17年、北海道チャイナワークの張相律社長が「北海道の人口を1千万人に」と提言し、(1)海外から安い労働力を受け入れる(2)北海道独自の入国管理法を制定するとぶち上げた。「不動産を購入した裕福な外国人には住民資格を与える」と強調。
 北海道で中国資本に買収された森林や農地などは推定で7万ヘクタール。山手線の内側の11倍以上。森林の多くは伐採され太陽光発電所として利用されているが設置されていない所もある。また太陽光発電の寿命は20年で、跡地を何にするかは自由。経産省によると、土地の後利用は企業側が決めるが「個別の問題なので把握していない」という。
 夕張市は観光4施設を元大リアルエステートに売却する契約を締結。4月に現地法人「元大夕張リゾート」に引き渡す。中国系企業なのに同市では「日本の会社と認識している」と説明。
http://www.sankei.com/world/news/170225/wor1702250023-n1.html

③国土交通省が国内での外国人不動産取引の手続きを円滑化するための実務マニュアルを作成。国会でようやく外国資本の不動産買収に規制を設けようという議論が起きている時に、「どんどん買ってください」と言わんばかりに日本の不動産を外国資本に斡旋する国交省の姿勢には唖然とする。マニュアルには、外国人に対して取引や賃貸を拒絶することは「人権に基づく区別や制約となることから人種差別となる」と明示している。
 日本は外国人土地法の第1条で「その外国人・外国法人が属する国が制限している内容と同様の制限を政令によってかけることができる」としているが、これまで政令が制定されたことはない。ちなみに中国では外国人の不動産所有は基本的に不可。諸外国と比べ、全く法規制をしいていないわが国では、国籍を問わずだれでも自由に土地を購入できる。
http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/884073e66a98c0319f25170316a099a9

 いやはや驚きですね。日本人の油断をいいことに、本土に対する経済的文化的実効支配がどんどん進んでいるのです。この「油断」には次の4つが含まれているでしょう。

①北海道経済全体の地盤沈下を引き起こしたデフレ促進の政治
②特に道東部のインフラ未整備
③本州、特に首都圏住民の北海道に対する軽視
④外国資本に対する規制の欠落


 ①②③については、北海道に住む方の次のような嘆きの声もあります。

《衰退著しい北海道の地方都市の中でも、釧路はそれが顕著なところ。(中略)帯広の底堅い景気とは対照的に、非常に景気が悪く、人口流出も止まりません。
そんな衰退激しい都市に中国資本が進出するのは容易と思われます。
そしてこれに、先日、JR北海道が発表した道内の鉄路の維持困難路線の問題が加わります。道東のほとんどがJR北海道単独での維持が困難、と判断され、北海道外の経済人、コメンテーターの多くの方々が「採算が取れないなら廃線にすべき」と語っていました。もし、釧路が中国の影響下になることになれば、北海道内の鉄道網も中国の影響を受けることが考えられます。
東京や大阪の方々に考えていただきたいのは、道東で採れる野菜の多くが東京や関西に向けて出荷されている、ということです。首都圏での野菜の安定供給、価格の維持に道東の野菜が貢献しています。そしてその農産物の輸送は、鉄道が主力なのです。もし(中略)道東の鉄道網を中国が握ることになれば、首都圏の食糧供給の一部が中国に握られることになります。
どうか短区間の採算だけで北海道の鉄路を判断しないでいただきたいし、日本国内で「切り捨て論」が高まれば、中国が虎視眈々と狙っていることも考えていただきたいのです。》

http://shiaoyama.com/essay/detail.php?id=597

 まことに的確な、また切実な訴えというほかはありません。
私たちは(私自身もそうですが)首都圏で暮らしていると、海を隔てたあの美しく広大な北海道をロマンチックな観光の対象としか考えず、そこで暮らす道民の方たちの悩みなどにあまり思いをいたしません。「採算が取れないなら廃線にすべき」などと平気で語る無責任なコメンテーターがたくさん出てきてしまうのも、じつに残念な話です。同じ日本人でありながら、まるで化外の地を見るようなまなざしではありませんか。
 実際、地図を見るとすぐわかりますが、道東部(にかぎらず地方)の交通インフラの整備状況はお粗末としか言いようがありません。交通インフラ未整備→産業衰退→人口流出→一層の過疎化→さらに廃線の増加という悪循環に陥ってしまうわけです。
 
 ④の不動産に対する外資規制の欠落ですが、これが何と言っても問題ですね。私は以前から、なぜ外国人に勝手に国土を買わせるのだろうと不思議に思い、憤ってもいたのですが、ここ数年の中国の侵略的意図を見るにつけ、その思いがいよいよ募ってきました。
 上記要約に記したように、地方官僚も中央官僚も、やっと動き出したという国会議員たちも、そのノーテンキぶりと鈍感ぶりにはあきれてものが言えません。これでは中国に国土を蚕食されつくしても自業自得だと言いたくなりますが、迷惑を被るのは、普通の庶民です。
 先の外国人土地法では「その外国人・外国法人が属する国が制限している内容と同様の制限を政令によってかけることができる」と謳っているのですから、中国に対して一刻も早く法的な規制をかけるべきですが、どうもあまり期待できそうにありません。
 というのは、安倍政権全体がグローバリズムの道を周回遅れで突っ走っているからです。またアメリカ様に貢納する金はすぐに出すが、デフレ脱却のためにぜひとも必要な公共投資は一向に実施しない。安倍首相は財務省の財政均衡主義に洗脳され、しかも何でも世界に開くことがいいことだと信じている人です。こういう人を総理大臣に戴いているうちは、事態は変わりません。中国は日本のそういう弱点をよく見抜いているのです。
 ちなみに、釧路を中国が狙っているのは、北極海航路の拠点(不凍港)として目をつけているからです。海洋軍事国家を目指している中国は、今後、本気で領有に乗り出してくるでしょう。そうなると、ロシアとの間の確執も生じます。要するに平和ボケ国家・日本の国土は両大国の恰好の餌場としてコケにされる公算が強いのです。
 日本を守るために、沖縄だけでなく北海道にもぜひ真剣な関心を向けましょう。


ヨーロッパの深刻な危機に学べ

2017年02月18日 19時19分47秒 | 政治
      


'Refugees' battle in Paris after jungle camp is closed


【助けてください!】ドイツ人少女が語る移民問題の陰惨な現実



 EUはいま、グローバリズムの構造的欠陥と移民・難民問題のために、まさに風前の灯火です。ヨーロッパの主要都市では、至る所で難民、偽装難民、移民によるデモ、暴動が起きています。
 2015年の9月にドイツのメルケル首相は、難民受け入れに上限はないと宣言しましたが、これは空想的なヒューマニズムであると同時に、異常なPC圧力でもあり、また廉価な労働力獲得という財界の意向を反映した政策でもありました。ところがドイツに流入した難民のうち、じっさいに職を得たのは、わずか一割に過ぎないそうです。九割はドイツ国民の税金で賄われているわけですね。
 またパリでは何と警察官のデモまで起きています。連日取り締まりに駆り出されるものの、少しでも手荒なことをすればスマホで撮影されてしまうし、すでに死に体のオランド政権が大統領選での社会党政権の敗退を恐れて、真剣な規制に乗り出さないので、現場の警察官としては、「やってらんねえ!」という感じなのでしょう。
 さらにみなさんご存じのとおり、欧州の主要国では、イギリスのブレグジットをきっかけとして、EU離脱の国民的機運が盛り上がっています。言うまでもなくデモは、移民・難民側、新たに流入したムスリム側だけでなく、これに対してNOを突き付ける団体によっても盛んにおこなわれています。
 ここに経済評論家の三橋貴明氏の2月17日付ブログ記事がありますので、その一部を引きましょう。

さて、英王立国際問題研究所、通称「チャタムハウス」が、2月7日に発表した「What Do Europeans Think About Muslim Immigration?」の調査によると、「イスラム圏からの、これ以上の移民流入を停止するべきか」 という問いに対し、欧州十カ国の調査対象者(約1万人)の実に55%が停止すべきと回答し、衝撃が広がっています。特に「停止すべき」が多かったのが、ポーランドです。ポーランドでは、調査対象者の七割以上が「停止すべき」と回答しました。

 3月のオランダ総選挙、4、5月のフランス大統領選挙、10月のドイツ総選挙では、国民主義政党の躍進が予想されています。もしフランス国民戦線のルペン党首が大統領になれば、EU残留か離脱かの国民投票が行われます。そうなるとほぼ間違いなく離脱派が勝利するでしょう。フランスががEUから離脱すれば、その時点で、EUは終わりです。
 このように、ヨーロッパはいま、過熱した国論四分五裂の状態で、いつ何が起きるかわからない大混乱の状況に置かれています。
 こういう状況に対し、この事態を自ら招いたEU当局は、各国にその解決を丸投げし、なすすべもなく指をくわえています。「ヨーロッパは一つ」がEUの理念ではなかったのでしょうか。無責任極まりない態度だと言えましょう。経済を低迷させている張本人であるどこかの国の財務官僚にそっくりです。
 当ブログでは、3年前に「EU崩壊の足音聞こゆ」と題してEUモデルが初めから破綻している事情について書きました。その中から一部を抜粋してここに掲げます。
http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/3249423496d0112f3d568fc9b6fda158

 EUモデルがもともと破綻しているというのは、金融政策と財政政策の担い手を、EU中央銀行(ECB)と各国政府に分裂させているからです。これはユーロという統一通貨を用いながら、その使い方は各国の方針に任せられるということを意味します。しかしより厳密に言うと、この財政政策でさえ、各国の自由に任せられているわけではありません。

 現にギリシャは財政破綻し、イタリア、スペイン、ポルトガルなどは破綻しかけていますが、危機を自国の金融政策で乗り切ろうとしても、それができない構造になっています。そこで、EU(実質的にはドイツ)に何とかしてくれと縋るわけですが、EUとしてはその要請をただで聞いてやるわけにはいかない。結果、要請国に厳しい緊縮財政を強いることになります。これがまた、その国の国民の不満を買います。

 この厳しい緊縮財政の縛りについては、次のようなからくりがあります。
 1993年に発効したマーストリヒト条約には、EU加盟の条件として「年間財政赤字額の名目GDP比が3%を超えず、かつ政府債務残高の名目GDP比が60%以内であること」と謳われています。同条約成立後に多少緩和されたようですが、文言としては生きています。この文言が生きている限り、EU諸国がデフレ傾向を脱却するために積極財政に打って出るのは極めて困難になります。

 ちなみに、けっして財政赤字や債務残高の割合だけがその国の経済状態の健全・不健全を測る指標ではないのですが、この種の数字だけの尺度を金科玉条のように用いるところに、EUエリート集団の浅はかさが象徴されていると言えるでしょう(この点は、そのまま日本の「財政健全化」路線にも当てはまります)。

 こうして、EUの未来は暗いのです。
 この構想は、集団心理学的には、二度の世界大戦で勝者も敗者もひどい目に遭ってこりごりしたそのトラウマに発していると言えるでしょう。「民族」の汚点をなるべく消したい。そのためには統一ヨーロッパという消しゴムが必要だ――しかしこの消しゴムは、それぞれの国の伝統を消し去ることはできませんでした。いまその矛盾が噴出しつつあるわけです。

 ところで、「対岸の火事」ではないと述べた最大の理由は、次の点です。
 域内グローバリズムを理想と考えたEUモデルは、そのまま世界のグローバリズムの縮小版なのです。新自由主義者たちが理想と考えるように、域内でヒト、モノ、カネが極端に自由に行き来するようになると、結局はどういうことになるか。各地域や国の特殊性、伝統、慣習、そして文化までもが蹂躙され、そのことによって多極化したエスニックな情熱がかえって奮然と盛り上がるのです。
 それが人性というもので、人性をきちんと織り込まない理想は必ず失敗するというのが歴史の教訓です。共産主義の理想が一番わかりやすいですね。EUの黄昏は、世界資本主義の未来を不気味に暗示していると言えるでしょう。

 最後に、経済政策においてどこまでもおバカな日本政府に一言警告。
 新自由主義の申し子であるアベノミクス第三の矢・成長戦略などにうつつを抜かしていると、第一と第二の矢の連携の重要性を忘れ、一国内でも、EUと同じような金融政策と財政政策の深刻な分裂をきたしますよ(もうきたしているか)。
 EUモデルの破綻は、単に世界のグローバリズムの縮小版であるだけではなく、一国内の経済政策運営に対する強い警鐘の意味も持つのです。


 以上が抜粋ですが、ここで予告したことはますます真実味を帯びています。これを書いた時点では、あれほどの難民が押し寄せる事態はまだ想定外でしたが、こういう事態になるのも、域内グローバリズムとしてのEUが自ら招きよせたものであることは疑いありません。
 EUの崩壊はもう間近です。トランプ米大統領が「アメリカ・ファースト」を謳って行き過ぎたグローバリゼーションに歯止めをかけつつあるのと同じように、EU諸国も、遅かれ早かれ、とりあえず元の国民国家に戻っていくでしょう。そのために、EU統合本部は、まっさきに自らの失敗を認めるべきなのです。それをしないと、事態はますます混乱し、ヨーロッパ国民に多数の犠牲者が出るでしょう。

 いま世界は、大きく変わろうとしています。新自由主義がもたらしたグローバリズムのひどい弊害が草の根レベルから見直されつつあるのです。ところが日本の政府・マスコミは、いまだに「グローバリズムは善」なる幻想に浸っています。マスコミは、ヨーロッパの深刻な危機をきちんと報道しませんし、政府は。周回遅れでグローバリズム路線を突っ走っている体たらくです。緊縮財政、自由貿易礼讃、移民政策、農協解体――こんなことを続けていると、日本はやがて、アメリカによる通商交渉での厳しい攻勢と、中国による政治的・経済的侵略の挟み撃ちに会って間違いなく亡国の道を歩むでしょう。

トランプ氏の移民制限政策と「自由」の両義性

2017年02月14日 16時01分11秒 | 政治

      




 さる1月27日、トランプ米大統領が移民・難民の入国制限を謳った大統領令に署名したことで、全米が、いや世界中が大騒ぎとなりました。
 2月3日、シアトル連邦地裁が大統領令を差し止める仮処分決定を下し、サンフランシスコ高裁は6日、仮処分決定の効力即時停止を請求した米司法省の訴えを棄却しました。
 もし事案が最高裁にまで持ち込まれると話が厄介です。たまたま最高裁判事に一人欠員がいて、リベラル派4人、保守派4人で拮抗しています。トランプ大統領はすでにゴーサッチ氏を新判事に指名しましたが、彼が職務に就くのは2か月後だそうです。
 下馬評的に言えば、ゴーサッチ氏が命令の合憲性を決めるカギを握っていることになります。でも連邦最高裁は一般に法律や命令の合憲性にかかわる訴訟を取り上げたがらないそうです。すると、ここにも、長きにわたる選挙戦の再来のような事態が出現します。

 いずれにしても、米国内では、これからも行政府と司法の権力分立そのものが、深刻な分裂を引き起こしかねないわけです、巷の国論分裂だけでなく、権力の中枢部もその可能性があるということは、米国の民主主義体制が根本的に先行き不透明な運命を抱え込んでしまったことを意味するでしょう。

 ところでこのたびの移民・難民にかかわる大統領令ですが、リベラル派が騒ぐように、本当にムスリムに対する「人種差別」「宗教差別」的なものなのでしょうか。トランプ氏は、本当にアメリカの国是であり最高の価値である「自由」に対する裏切りを行ったのでしょうか。
 まずはこの大統領令の中身をきちんと調べてみましょう。これは大きく言って次の四つです。
①シリア難民受け入れの無期限禁止
②その他の難民受け入れの120日間凍結と年間5万人の上限設定
③シリア、イラク、イラン、リビア、ソマリア、スーダン、イエメン七か国の一般市民に対するビザの発給の90日間凍結
④難民入管審査が再開した際には、難民発生国において宗教的迫害を受けている少数派宗教のメンバーが最優先される


 ①ですが、これには「シリア難民の入国が国益に沿うとUSRAP(合衆国難民入管プログラム)が保証するのを確信するまでは」という条件がついています。オバマ政権が2016年よりも前にやっていたことに戻っただけのことです。
 オバマ政権は、シリア内戦が激しさを増しISが急速に台頭してきたころ、シリア難民の入国をほとんど拒絶していたのに、政権末期の16年になって突然13000人以上のシリア難民を受け入れました。明らかに民主党政権を存続させるための人気取りでしょう。
 シリアは現在も全国土が戦闘地域といっても過言ではありません。またISの「ジハーディスト」がいくらでもいます。「難民」に紛れ込んだテロリストを平和な市民の中に招き寄せることが国益に叶うと考える国家のリーダーがいるでしょうか。もっともメルケル氏のような超理想主義者なら別ですが(彼女は見事に失敗しましたね)。

 ②ですが、120日間の凍結というのは、2016年にオバマ氏が劇的に受け入れ数を増やして入国管理をずさんなものにしてしまった状態を、もう一度正常に戻すための見直し期間という意味があります。
 5万人という数ですが、これもブッシュ政権の時より多く、オバマ政権の安定期よりやや少ないといった程度です。トランプ氏がごくバランスある政策を取っていることがわかります。

 ③が一番問題になりましたね。七か国の一般市民のビザ発給を凍結するとなると、それはやり過ぎなんじゃないの、と民主国家の住人ならだれでも言いたくなるでしょう。私もメディアから流れるニュースを聞いたときにはそう思いました。
 ところが、これにも例外条件がちゃんと付いています。
「国務長官と国土安全保障省は時と場合によって、また国家の利益に沿うものであれば、ビザ(中略)を禁止された国からの国民に対してもビザの発給を行うことができる
 しかも例の七か国は、ジハーディストのテロに深刻に悩まされているか、または政府そのものが彼らの影響下にあるかどちらかに属する国ばかりです。
 マスメディアでは、グリーンカードの持ち主までが対象にされたと大騒ぎしていましたが、それは入国管理の現場における、命令周知の不徹底が招いた事態でしょう。そういうところばかりことさら取り上げて印象操作をはかる反権力メディア、リベラルメディアの常套手段です。
 
 ④が非難の対象になっているのはまったく解せません。
 連邦難民保護法によれば、「難民」の定義は、「宗教もしくは別の理由によって迫害される、またはされる恐れがあるために自国に戻れない人物」ということになっています。トランプ氏の大統領令は、この法律に完全に則ったものです。しかもオバマ氏が16年にシリア難民受け入れを劇的に増やした時には、少数派のクリスチャンは後回しにされ、13210人のうちたったの77人だったそうです(シリア人口の約1割はクリスチャン)。

 要するに、今回の大統領令には「ムスリムの入国を禁止する」などとは一行も書いてないのですね。その証拠に世界にはインドネシア、サウジアラビア、トルコ、エジプト、アラブ首長国連邦、クウエートなどムスリムが主流である国はいくらもあり、そこからの入国は制限されていません。

 もともとアメリカは、星条旗に忠誠を誓い英語を話すという条件を満たせば、移民の「自由」が寛容に認められてきた「移民国家」です。「なのになぜ制限するのか」ではなく、逆にそうだからこそ、入国管理がいったんルーズになってしまうと「不法」入国者が後を絶たない状態が日常化します(現にしています)。テロに対する厳重な対策がなされなくてはならない切迫した状況を考えれば、今回のトランプ氏の措置は、ごく妥当なものだと言えるでしょう。
 こうした現実をよくふまえずに、トランプ氏に「差別主義者」「自由の裏切り者」といったレッテルを貼るのは、感情的な反トランプ・キャンペーン以外の何ものでもありません。極端なPC(ポリティカル・コレクトネス)を傘に着たこの種のマス・ヒステリア現象に私たちはけっして巻き込まれてはならないのです。
 ちなみに私は格別トランプ氏を擁護しようと思っているわけではありません。まず冷静に事態を認識してから、起きていることの意味を判断しようと呼びかけているだけです。

 ここで、旗を掲げる者の都合でいかようにも使える「自由」という言葉のあいまいさ、両義性について考えてみましょう。

「仕事が終わったら自由に外出していいよ」――これが普通の使い方ですね。個人の意志が自分以外には束縛されない状態を指しています。でも時間帯や行ける場所は限られていますね。いつまでもどこまでもというわけにはいかず、生活の規範に従わなければやがては身を滅ぼすことになるでしょう。

「あそこは、意見が違う者どうしが自由な雰囲気で討論できる」――とてもいいことですね。しかし討論にはおのずからルールというものがあります。みんながてんでに言いたいことをしゃべって相手の言うことを聞かなければ、討論は成り立ちません。しかもある意見の持ち主自身がほとんどの場合、自分では気づかずに誤った認識や偏った感情や誰かから刷り込まれた考えに拘束されていますから、そこから「自由」になるのは至難の業です。

「中国は独裁国家だから、自由に思想を表現できない」――これは困ったことです。こういうところから「自由」の大切さが叫ばれる必然性が育っていくわけですね。それはとても大切なことです。しかし、だからといって、どんな表現でも許されるわけではありません。社会的な自由は他者に相渉る行為の形を取ります。そこで、よく言われるように、自由の行使には必ず責任が伴います。誰が、誰に対して、どんな環境の下で、どういう形で「自由」を行使したのかが絶えず問われなくてはなりません。

「国家からの個人の自由(人権)は最大限保障されなくてはならない」――これが近代国家の法的な建前です。近代化された日本もこれを法で謳っています。しかしさあ、どうでしょうか。この原則は無条件に正しいでしょうか。
 日本国憲法でも「公共の福祉に反しない限り」という但し書きがついていますね。公共の福祉とは、メンバー全員の自由がなるべく守られるために必要な概念装置です。国家は個人の自由を制限しますが、同時にそれを守ってもいるのです。
 このことは国家の保護を失って裸の大地に放り出された個人が、いかに苛酷な侵害に曝されるかを経験してみれば、すぐにわかるでしょう。

「TPPなど、貿易の自由の拡大はよいことだ」
――本当でしょうか。すでに終わったのに、いまだにどこかの国の首相は(政府もマスコミも)このグローバリズムの典型を信じているフシがあります。
 経済協定とはそもそも衝突する利害の調整にすぎません。ですから経済的国境を低くすることは、現実には強国の言い分を弱小国が呑まされることになります。そういう政治的背景抜きに「経済協定の自由」など成り立たないのです。歴史を見てもウィンウィンになることはめったにありませんでした。強国の自由はすなわち弱小国の不自由です。
 ですから、それぞれの国情に合った適度な通商関係がよいので、保護貿易は悪、自由貿易は善などという単純図式が成り立つはずがありません。

「自由は人間の普遍的な価値だ」――これが欧米的な理念ですね。でも。ここまでくると、ちょっと待てよと言いたくなります。トランプ氏は大統領という権威と権力によって、アメリカ国民の生命と財産の「自由」を守るために、「普遍的な価値」としての「自由」に一時的な制限を加えました。

 何が話を混乱させているのでしょう。
 いま述べてきたことをまとめてみます。「自由」について議論するときには、最低限次のことを踏まえておかなくてはなりません。
①無限定の自由というものはあり得ず、人は必ず制約の中で、制約を通して自由を実現する。
②自由の行使とは、人から人へ相渉る関係行為なので、相手の自由を奪うことになりうる。
③「自由」が主張されるときにその背景や文脈を見ずに、ただ抽象的にそれを善とすることはできない。


 ちょっと迂遠なことを言います。これらをきちんと踏まえるためには、言葉の使われ方を注視することが大切です。上に挙げたいくつかの例を順にたどっていただくとわかりますが、下に行くほど、「自由」という言葉を取り巻く具体的な文脈が脱落して、その抽象度が高まっています。
 この抽象度の高まりは、「自由に」とか「自由な」といったように、副詞や形容詞としてこの言葉を使っている間は、さほど発生しません。名詞として固定化するやいなや、一気に抽象的になります。
 副詞や形容詞だと必ず前後に別の言葉が張り付いていて、全体で具体的な状況を説明するように使われます。ところが名詞として自立させると、そこに何か「自由」というモノ(実体)が存在するかのような錯覚に導かれるのです。
 個人の自由、貿易の自由、普遍的な価値としての自由――そんな「モノ」があるわけではありません。でもあると思ってしまうと、それをいつの間にか神かイデーのように崇めてしまう心理にかられるのですね。みんながそれに勝手なイメージを描きます。バベルの塔の混乱はここから始まります。
 こういう心理からなるべく「自由に」なって、現実の状況に即して具体的に物事を語ることが、混乱を避ける第一歩だと思います。
 トランプ氏は「普遍的価値としての自由」に一時的な制限を加えました。しかし見方を変えれば、これは、アメリカという国家が国際社会の中で持つ「主権の自由」を行使したとも言えるわけです。
 一方から見れば自由の侵害である行為が、他方の立場からは自由の行使でありうる。こうした複眼的な見方を常にキープすべきでしょう。そうすれば、デモ隊のプラカードみたいに「自由を返せ! 自由を奪うな!」などと単純なスローガンをいくら投げつけても問題は解決しないということがわかるはずです。
 

 *参考資料
   https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-02-05/OKX8HA6TTDSF01
   http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/02/post-6908.php
   https://www.facebook.com/michio.ezaki/posts/1268894393227055?pnref=story