小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

日韓合意は安倍政権の致命的な失敗

2015年12月30日 15時10分43秒 | 政治

      



 静かに年の瀬を過ごそうとしているみなさまをお騒がせしてまことに申し訳ありません。しかしこのたびの「日韓合意」が何を意味するかについて言わずにはおれないのです。、これは安倍外交の致命的な失敗というべきです。

 いったい何回絶望すれば済むのでしょう。この「日韓合意」なるものは、おおかた予想されたことではありますが、安倍政権の対韓外交が、河野談話、村山談話と何ら変わらない、韓国を喜ばせるだけの代物であるという醜態をさらしました。左翼政党、左翼メディアが歓迎するのもむべなるかな。

「軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた。日本政府は責任を痛感している」との岸田外相発言は、軍の強制性を認めたのと同じとしか解釈できません。韓国は当然そう解釈するでしょう。韓国はこのままでは経済が破綻するので、産経・加藤支局長の無罪、元徴用工の訴え却下など、手のひら返しで日本にすり寄ってきましたが、そのように隙を見せておいて慰安婦問題では結局は見事に言質を取ったのです。

「責任」とは法的なものも伴うのかどうか、まったくあいまいですし、しかも「痛感している」と現在進行形になっています。韓国は、そのあいまいさと現在進行形とを利用してこれからも執拗に「日本の罪」をネタに「責任」を追及し続けるでしょうし、世界に発信し続けるでしょう。

 また大使館前の慰安婦像撤去に関しては、尹外相は、「可能な対応方向について関連団体との協議を行い、適切に解決されるよう努力する」としか答えていません。これは、挺対協の頑迷さを考えれば、「努力はするけど何もできません」と言っているに等しいのです。

 また共同記者発表における「この問題が最終的かつ不可逆的に解決することを確認する」という文言ですが、「不可逆的」という言葉は、日韓相互に当てはまることですから、今後日本側が何らかの形で「従軍慰安婦問題は嘘から発した問題で、軍の強制性は存在しなかった」と主張しても、韓国側からすれば、その主張を認めなくてよい保証を勝ち取ったことにもなるわけです。

 さらに韓国新財団に10億円の出資とは! 名目上、「賠償」ではないと謳ってはいますが、国際社会はそう見ません。この約束は、先の岸田発言、安倍首相の「心からのお詫びと反省」発言と合わせて、三点セットで、「旧日本軍は大量のセックス・スレイヴを使用し虐待した」とのこれまでの戦勝国の定説を、オウンゴールで追認したことになります。

 もちろん、今回のやりとりには、アメリカの思惑が強力に働いています。その思惑とは、第一に、東アジアの同盟国間でいざこざを起こさないでほしいという願望、第二に、第二次大戦の敵国であった日本の「悪」をあくまで固定化しておこうとする意志、そして第三に、日本の国力の大きさに鑑みて、日本の自主独立の気運を阻み、いつまでも自らの属国として服従させておこうとする年来の戦略です。

 韓国の外交手腕の方が日本のそれよりはるかにうわてです。いや、そもそも日本の外(害)務省はだまされる以外に能がないのです。岸田外相は、「慰安婦問題のユネスコ記憶遺産申請はしないものと認識している」などと能天気なことを言っていますが、韓国側がそう約束したとでもいうのでしょうか。じっさい、すでにこの岸田発言を韓国筋ははっきりと否定しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151229/k10010356481000.html

 また、台湾の馬英九総統は29日、さっそくこれに便乗する形で、台湾にも謝罪と賠償を要求するように、駐日大使に指示してきました。
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%85%83%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%AB%E3%82%82%E8%AC%9D%E7%BD%AA%E3%81%A8%E8%B3%A0%E5%84%9F%E3%82%92%EF%BC%9D%E9%A7%90%E6%97%A5%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E3%81%AB%E4%BA%A4%E6%B8%89%E6%8C%87%E7%A4%BA%E2%80%95%E9%A6%AC%E7%B7%8F%E7%B5%B1/ar-BBo0N3t?ocid=sf

 まったくこれから先が思いやられるというものです。

 そもそも日本側には韓国の会談要求に応ずる必要などなかったのです。安倍首相のお坊ちゃんぶりがよく出ています。しかし応じてしまったからには、最低限、次の三つを交渉の絶対条件として臨むべきでした。それが一つでも受け入れられないなら、会談など端からはねのければよい。それで困ることは、日本側には何もありません。アメリカの顔色を窺う必要もありません。

①慰安婦問題に関してあらゆる意味で日本国には責任など存在しないことの確認
②大使館前の慰安婦像の撤去
③慰安婦問題に関するいかなる形での資金拠出も行わない。


 安倍政権の経済政策はすべて国益を害するひどいものですが、外交政策はいくらかマシかと思ってきました。それがこのたび、安倍首相もサヨクと同じ自虐史観に染まりきっており、今後の外交姿勢もまったく信用できないことが証明されたのです。
 ご参考までに、次の動画をご覧いただければ幸いです。


【青山繁晴】慰〇婦合意に至った経緯 日本側責任者「日本が国として慰〇婦を認め賠償してくれたら最後にすると言われたから手を打った!」インサイト2015年12月30日(水)


「同姓制度は合憲」判決について(その2)

2015年12月19日 16時29分13秒 | 社会評論

      





Ⅱ.別姓問題の世論調査は人々の心をつかんでいるか

 さて、この判決が出た12月16日の夕刻、NHKラジオがこの問題を取り上げていました。早稲田大学法科大学院教授の何とか言う人が、この判決に対する不満を述べ立てていましたが、NHKは、公正中立を装いながら、なぜ判決支持者のゲストも呼ばないのか。例によって、得意の偏向企画です。
 それはともかく、もっと大事なのは、NHKが夫婦別姓に賛成か反対かについて行った最近の世論調査の結果によると、反対51%、賛成49%で拮抗していると報じていた点です。世代別では、年長者に反対が多く、若い人には賛成が多かったとも。
 この報道のどこが問題かと言うと、これは少しも「拮抗」を示しているのではないということです。というのは、「賛成」と答えた人の中には、「選択制なら一般的には容認してもいい」と考えて票を投じた人が少なからずいたに違いないからです。私は何年も前に、朝日新聞が「別姓賛成が反対を上回る」という見出しのもとに、狡猾な世論操作を行っているのを批判したことがありますので、そのことがよくわかるのです。
 今回の場合は、賛成者の内情がよくわかりませんから、NHKも朝日と同じような世論操作を行っていたとは思いませんが、賛成者の中に、「制度としての選択制なら容認してもいい」と考えた人が多くいたことは確実に思われます。何を言いたいかと言うと、この人たち(特に未婚の若い人たち)が、「ではあなたは別姓を選びますか」と問われたら、おそらく「私は同姓にするでしょうね」とか、「うーん、ちょっと考えちゃいますね」とか答える人が大多数を占めるだろうということです。確信的に「私は別姓にします」という人などほとんどいないのではないでしょうか。また、そう答えた人でも、仮に結婚時に選択的別姓制度が許されていたとして、実際に結婚する段になれば、相手と相談しながら親の意向、周囲の目、子どもの問題など、いろいろなことを顧慮しなくてはなりませんから、本当に踏み切るかどうか怪しいものだと私は思っています。
 つまり、一般的にある法制度を容認できるかどうかという問題と、自分がそれを選ぶかどうかという問題とはまったく別だということです。だから調査として公正を期すなら、法制度として否認するか容認するかを問うと同時に、「別姓が容認されていたらあなたの生き方としてどうするか」という問いを付け加えなければ意味がないのです。婚姻は当の両性の合意に基づいて成立するのですから。
 ある問題提起に賛成か反対かを表明する時に、その問題がさしあたり自分の人生や生活に切実な影響を与えないなら、多くの人々は、冷静さや公正さを気取りたがって、深く考えもせずに無責任な一票を投ずるものです。
 ところで、次のような話はよく聞くところです。好きになった相手の姓を名乗ることで、その人との一体感を実感できるし、また実家からの自立を確認できる。ああ、自分は人生の重要な一歩を踏み出したんだなあ、という感慨が得られる、と。つまりこの場合は、アイデンティティの変容が、かえって女性としての成熟へ向かっての歩みを意味するわけです。
 こうしたところに、日本近代が定着させた独特な国民性があらわれているので、その国民性とは、エロスの結びつき、またそこから生まれてくる家族関係というものの重要性に対する深い感知力ではないかと思います。同姓制度は、日本近代が定着させた独特な国民性にもとづくと書きましたが、もしかすると、法的制度的表現としては現れなかったものの、この感知力の深さは、情緒を重んじるわが国の、ずっと古くからの伝統だったのかもしれません。そういえば、古代神話もイザナキ、イザナミの二柱の神による出産を国造りの重要なメタファーとしていますね。
 こういう情緒的な感知力の部分に探りを入れずに、ただ一般的に「賛成か、反対か」と問うようなデジタル式世論調査の方法は、人々の心に迫りえていないというべきでしょう。
 もともと別姓問題は、ごく少数の政治的意図を持った人たち(主としてフェミニスト)が主張して社会問題として提起されるに至ったもので、それまでは普通の人々(女性)はこんな問題にそれほど関心を持っていませんでした。いまでも大して持っていないでしょう。別姓論者たちは、日本の社会常識に簡単には受け入れられないと見るや、すぐに西洋の例などを持ち出して、マスコミや司法を動かし、問題を大げさに仕立て上げます。世論調査の結果は、そうして提起された「問題」に、ただ受動的に反応しただけだと言えます。別に西洋など見習う必要はなく(別の問題では見習う点ももちろんありますが)、特に問題がないなら、日本は日本なりの慣習を続ければよいのです。

Ⅲ.判決に反対した最高裁判事は、論理的におかしい

 最後になりましたが、じつは今回、一番指摘したかったのは、この点です。
 このたびの判決では、裁判官15人のうち、女性3人を含む5人が同姓制度合憲の判決に反対の立場を示し、3人の女性裁判官が反対意見を述べました。産経新聞12月17日付によりますと、その意見は次のようになっています。

 一方、反対意見を述べた3人の女性裁判官は、婚姻した夫婦の96%が夫の姓を名乗る現状を問題視。「女性の社会的経済的立場の弱さなどがあり、意思決定の過程に現実的な不平等がある」と言及した。

 これは司法判断として、論理的に間違っています。先にも述べたように、96%が夫の姓を名乗ることそのものは、憲法第24条の「婚姻は両性の合意のみに基づく」という規定に叶うものであって、それ自体、何ら「現実的な不平等」を表すものではありません。夫が妻に「俺の姓を名乗れ」と強要したものではないからです。両性の合意の結果、自然と(これまでの慣習によって)そうなっているのです。ですから、これは合憲以外の何ものでもありません。ちなみに私自身は、この24条は、憲法としては国民の私生活に踏み込んでいるという意味で、近代法の精神に適合せず、よって不要であると考えていますが。
 違憲立法審査は、特定事案が違憲か合憲かをめぐって行われます。この裁判は、夫婦同姓制度(のみ)がその事案に当たるのであって、現実に何%が夫の姓を名乗っているか妻の姓を名乗っているかは司法判断として問題にならないはずです。当判決に反対したということは、とりもなおさずこの3人の裁判官は、同姓制度そのものを違憲と考えているということになります。
 ところでその理由として、96%の現状を問題視してそこに女性の社会的経済的立場の弱さの存在を持ち出しているということは、違憲判断とは関係のない現状批判を行ったわけです。これは違憲立法審査権を著しく逸脱しています。
「女性の社会的経済的立場の弱さ」が、96%の現状に反映していることを証明するためには、現に「これこれの立場の弱さのために私たちは不本意にも夫の姓を名乗ることになった」という一定の声が存在するのでなくてはなりません。しかしそんな声が上がったことがあるでしょうか。現実社会に存在する「女性の社会的経済的立場の弱さ」(とは抽象的であいまいな表現ですが)と、大部分の女性が夫方の姓を名乗ることとの間には、論理的な因果関係は認められません。稼ぎや地位が夫より高くても、夫方の姓を名乗る女性はいくらでもいるからです。
 ところで、ここから先は私の想像が混じりますが、こうした反対意見を述べる人たちは、たとえば先に国会を通過した安保法制に対しても反対意見を抱いているとみてまず間違いないでしょう。しかし、あの時、ほとんどの憲法学者は、安保法制(集団的自衛権の容認を含む)に対して違憲であるとの判断を下しました。私もあれは違憲であると思っていますが(だから憲法の方を変えるべきなのですが)、憲法学者・小林節氏がいみじくも述べたように、憲法学者は、現行憲法の条文と立法事案との間に齟齬がないかどうかを純学問的に判断するのみであって、現在の国政に関わる政治判断を含むものではないはずです(もっとも小林氏はかつて護憲派ではなかったと記憶しておりますが、いつの間に「節」を曲げたのか、その風見鶏的な姿勢には疑問を感じざるを得ません)。
 しかし現実にはその判断は、背後に左翼思想を背負っているので、政治判断に大きな影響力を及ぼします。けれどもこれは司法の独立性の観点からは、あってはならないことなのです。
 このたびの女性裁判官の反対意見は、司法の立場にありながら、そのあってはならないことをやっているのです。なぜならば、夫婦同姓制度が合憲か違憲かどうかを争う裁判に、論理的な脈絡のないあいまいな現状認識を持ち込んでいるからです。ここには、この裁判官たちが、当然の法理に従わず、特定のイデオロギー(フェミニズム・イデオロギー)に左右されている実態があらわです。彼女たちは、司法の独立性を貫いていないのです。今後、国民審査の機会が訪れた際に、この裁判官たちに×をつけることにしましょう。


「同姓制度は合憲」判決について(その1)

2015年12月18日 00時13分27秒 | 社会評論

      




 2015年12月16日、最高裁は、選択的夫婦別姓制度の設立を目指す人々が起こした、現行民法の夫婦同姓制度は違憲であるとの訴えに対して、その訴えを退け、夫婦同姓は合憲であるとの判断を下しました。
 この問題は、二十年以上も前からフェミニストを含む一部の人たちによって提起されてきた問題ですが、今回の判決によって一応の決着を見たことになります。これについて、思うところを述べます。
 じつは私は、比較的早い時期からこの問題に関する私見を発表してきました。いろいろな理由から、民法の夫婦同姓制度は維持すべきであるというのがその結論なので、この判決自体には同意するわけですが、このたびこれについて新たに書こうと思った本来の動機は、ちょっと別のところにあります。
 しかしそれを書く前に、私がなぜ選択的別姓制度を採用すべきでないと考えるか、また、最近行われたNHKの世論調査の結果などを見てどう感じたかについて、ざっとまとめておきます。

Ⅰ.なぜ選択的夫婦別姓制度を採用すべきでないか

 ふつう夫婦別姓論者に反対する人たちの多くは、これを採用すると家族が崩壊する危険があると反論します。しかし、こう反論しただけでは、いささか感情的で、性急の感が否めません。というのは、別姓論者は、表向きはあくまで多様な選択肢を求めているので、同姓をやめろと言っているわけではないからです。ためしに別姓の主張を法的に容認してみたら、じっさいには、これまでとほとんど変わらない可能性が大きいと私自身は思っています。なぜそう思うのか、これから述べます。
 現行民法の規定では、男女どちらかの姓を選ぶことができるようになっています。つまり山田君と中村さんが結婚した場合、山田君が中村姓に変わってもかまわないわけです。それにもかかわらず、96%の女性が旧姓を捨てて夫側の姓を名乗るというのが現状です。
 明治31年(1898年)に施行された戦前の旧民法では、婚姻が成立した場合には夫方の姓を名乗ると決められていました。家父長制度が確立した時代であり、女子に参政権も認められていなかった時代のことですから、まあ当然と言えば当然ですね。しかし戦後これが改められ(昭和22年、1947年)、どちらを名乗ってもいい、ただし一つに統一せよ、ということになったわけです。
 現在は、旧民法成立から数えて約120年、新民法から数えて約70年経つわけですが、初めの50年間に妻が夫方の姓を名乗る慣習が定着し、その後、新憲法下で法的な男女平等が謳われました。すると、どちらの姓を選んでもよいことになってからすでに70年経過したのに、この慣習はほとんど少しも揺らがなかったことになります。そこには、法的なルールのような形式では表現されない日本独特の伝統的国民性のようなものが作用していたと考えるのが自然でしょう。形式的な男女平等を振りかざしても、歯が立たない所以です。
 一般庶民が姓を名乗ることが定められたのが明治3年(1870年)ですが、じつは驚くべきことに、その6年後の明治9年の太政官指令では、夫婦別姓が確定されたのです。これは儒教的な「家」観念を適用しようとしたもので、事実、その伝統が生きている中国や韓国ではいまだに夫婦別姓です。しかしわが国ではこれは定着せず、たいていの妻は結婚すると夫方の姓を名乗るという慣習がすでに根づいていました。やむなく政府は20年後にこの慣習を法的にも認めることにしたわけです。
 そうすると、夫婦同姓の歴史は、実質上、150年近く続いてきたことになります。別姓論者はよく、現在の同姓制度は押し付けられた古い家制度の名残だと言ってこれを排斥し、別姓がそれを打ち破る新しい考え方だと主張しますが、それは勘違いです。足利義政(生母は日野重子)と日野富子の例などを見ればわかるように、本当は別姓制度のほうが、儒教的「家」観念(出自を重んじる観念)を体現した古い考え方にもとづいているのです。
 こうして、夫婦同姓の慣習は日本近代の黎明期に普通の庶民が選び、やがて生活のなかで定着させていったもので、すでに相当長く根強い歴史を閲してきたわけです。言い換えると、夫婦同姓は、すぐれて近代的な慣習なのであり、戦前の家父長制度下においては、それが過渡的な形であらわれていたと言えるでしょう。
 ここで近代的な慣習とは、それが、新しく生じた夫婦を一体的なものとみなす思想を表現しているということです。そしてこの一体性の表現は、西洋とはまた違った、日本近代独特の良俗でもあるのです。
 この慣習の根強さがある限り、選択的別姓制度などを導入しても、習慣の強さの方が勝つと私は睨んでいます。したがって、別姓を「新しい」進歩的な制度と考える別姓論者の主張も間違いなら、反対に、別姓制度が家族の絆を壊すと心配する保守派の危惧も、それだけではあまり確実な論拠とならないのです。

 しかしそうすると、それならお前は選択的別姓制度に反対する理由はないじゃないかと反論されそうですね。たしかに夫婦関係だけに着目している限りは大して反対する理由はありません。しかし、夫婦の一体性を法的に象徴する同姓制度は、他のいろいろなこととの関係で考えると、やはり人倫を守るべき優れた防壁の一つであると考えられます。
 一つは、子どもの問題です。別姓論者の多くに見られる傾向ですが、彼らは、大人である自分たち「個人」の権利ばかりを重んじて、子供の立場を軽視する傾向があります。すでに言われていることですが、母親または父親と自分とで姓が違うというのは、小さな子どもの心理を不安定にするでしょう。さらに複数の子どもがいる場合、兄弟姉妹で姓が違うというケースも考えられます。
 これらは、彼らの周囲、保育園、幼稚園、学校などで、要らぬ混乱、心理的トラブルを生み出しかねません。幼い子どもは、もともと自分の家族を一体のものとしてとらえています。彼らにとって、帰るべき「おうち」の観念はとても大切であり、その「おうち」が一つの名前で統一されているということはごく当たり前のこととして受け入れられるでしょうが、もし「おうち」の名前が複数あってはっきりしなければ、彼らのアイデンティティを混乱させるでしょう。名前というものは、個人のアイデンティティにとって大切な意味を持ちます。
 別姓論者は、旧姓が変わるとアイデンティティが崩れるなどと主張しますが、そういう彼らが、子どものアイデンティティの問題をしっかり考えてあげないのは不思議と言わざるを得ません。成人はすでに一定程度アイデンティティを確立しているので、むしろデリケートな配慮が必要とされるのは、子どものアイデンティティです。その意味で、今回の判決で、寺田逸郎最高裁長官が、補足意見のなかで子供視点での議論の深まりを求めているのは、わが国の慣習によく配慮を行き届かせた、きわめてニュアンスに富むものとして評価できます。
 わが国の一般庶民が子どものアイデンティティを非常に大切にしている一つの証拠に、婚外子の出生を嫌う傾向が顕著であるというのがあります。次の二つのグラフをご覧ください。同じ先進国でも、日本は西洋と違って、子どもを正式に両親の子として認知してもらいたい(認知させたい)という要望がたいへん強いことがわかります。これは、世界に冠たる良俗であるとは言えないでしょうか。



 もう一つは、先にも触れたように、別姓はむしろ儒教的「家」観念に基づく古い制度なので、一人娘または一人息子が結婚した場合、実家の親や親族のほうが婚家または夫婦に対して、別姓であることを理由に、その娘または息子の自家への帰属を主張しかねません。夫婦別姓は、そういう古い考え方の人を喜ばせる制度なのです。これは新たな親族間紛争の種になる可能性があります。
 さらに、別姓を認めると、現在の戸籍制度の大改革が必要になります。役所の事務もきわめて面倒になるでしょう。そこまで煩雑なことをして、別姓などにする意味がいったいどこにあるのでしょうか。

 別姓論者の言い分は、仕事の面で旧姓を使えないことの不利益の解消、形式的な男女平等論、それに先ほど挙げた、姓が個人のアイデンティティとして大切だという主張です。後の二つは論拠として薄弱であることはすでに述べました。最も重要な論拠ははじめのものですが、これは、今回の判決理由でも明記されている通り、企業や役所が通称使用を認めれば問題ありません。
 現にこの20年の間に旧姓使用を認める上場企業は、18%から65%へと急上昇しています。また、公務員は本人の申し出があれば旧姓を使用することができますし、弁護士など多くの国家資格も、仕事上の通称使用を認めています(産経新聞12月17日付)。
 結局、別姓論者の論拠は、ほぼ崩れ去ったと言ってもよいでしょう。  
                                   (つづく)

テロとグローバリズムと金融資本主義(その2)

2015年12月14日 22時01分06秒 | 経済

      

">【ロシア】ISの原油を積んだタンクローリー500台を空爆


 ところで、IS関連報道で気づくのは、テロ現場の実態や入り乱れた国際間の緊張関係や紛争地域の戦闘状態について書かれた記事は多く見られますが、IS域内の住民の生活実態についての公正中立な報告がたいへん少ないことです。
 以下のようなものは、わずかながらありますが、初めのものはシャルリー・エブド事件以前のレポートで、内容が断片的ですし、後のものは、ISが首都としているラッカではなくイラクのモスルを取材したもので、あまり全貌をとらえたものとは言い難い。うち続く戦闘と混乱のさなかにある地域としては、こんな光景はISの支配以前から見られたものだったのではないかと思われます。
http://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2014/10/1029.html(NHK/2014.10.29)
http://www.asiapress.org/apn/archives/2015/09/29034455.php(アジアプレスネットワーク/2015.9.29)
 もちろんこれには、正式に取材許可を得たり、長期にわたって潜入したりすることが困難であるという事情があるでしょう。しかし、多くの場合、テロ事件の現場報道や戦闘員の生態を取り上げることにジャーナリストのエネルギーのほとんどが費やされているために、普通の住民の生活実態に探りを入れようという問題意識が希薄なためではないかと思われます。つまり、そこには、米英仏などが世界中にまき散らした「IS=残虐なテロ組織」という単純なイメージのバイアスが大きくかかっているのではないかと考えられるのです。
 ISの統治者たちはイスラム原理主義によって、「繁栄し堕落した頽廃と享楽の都」を否定し、厳格な宗教国家を作ることを目指しているわけですから、「残虐なテロ組織」のイメージを始めに流布させたのはもちろんIS自身です。「神の教えに背く者は必ず神によって裁かれる」という固い信念に基づいて、その残虐さを見せしめのために誇示する。これは当然と言えば当然でしょう。しかし他方で、その残虐な部分だけを抽出して、もっぱら「IS=生命と自由と人権を否定する悪魔の組織」というイメージだけを流布させてきたのが、豊かな先進国(特にキリスト教国)であることもまた疑えない事実です。
 ところが、そうしたイメージ戦略にもかかわらず、ISの宣伝戦略もそれに優るとも劣らぬ巧みさを示しています。インターネットの利点を活かしてヴィジュアルなカッコよさを演出し、純粋な道義心と闘争心にたけた貧しい青少年の感性を刺激することで、見事に勧誘に成功しています。また、自分たちの振る舞いがいかにコーランの教えに忠実であるかを説くことによって、世界中のムスリムたちの心を惹きつけ、これに対する共感を呼び起こすことにも成功しています。
 アメリカ、カリフォルニア州の福祉施設で起きた銃撃事件の犯人夫婦は、IS要員ではなかったようですが、ISの思想にシンパシーを感じて犯行に及んだことは明らかです。またあるブログ記事によれば、2014年に行われた意識調査で、フランス人の15%、18~24歳の若者の27%がISに共感すると答えており、フランス国内のムスリムのなんと69%(414万人)がISを支持していると答えています。
http://www.trendswatcher.net/latest/geoplitics/%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%83%91%E3%83%AA%E3%81%A7%E3%83%86%E3%83%AD%E3%81%8C%E8%B5%B7%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E3%81%9D%E3%81%AE1/
http://www.trendswatcher.net/feb-2015/geoplitics/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%8C%E6%8A%B1%E3%81%88%E3%82%8B%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%8C%96%E5%95%8F%E9%A1%8C/
 私はけっしてISを支持するためにこんなことを言っているのではありません。なぜIS領域内の住民の生活実態や生活意識がどうなのかを問題にするのかというと、ISの支配地域は一説に1000万人、少なく見積もっても800万人の人口を抱えており、その人たちがすでに数年にわたって日常生活を続けているわけです。この膨大な人口は、スウェーデンの人口にほぼ匹敵します。このことにきちんとした視線を注がないと、現在、世界で起きていることを正確に認識できないと思うからなのです。それは、ISの直接の敵対勢力である欧州の自衛キャンペーン、「とにかくテロの撲滅を!」というスローガンに安易に迎合することを意味します。そうしてそれは同時に、グローバリズムがもたらしている深刻な世界矛盾に目をつむることにつながるのです。
 ISは戦闘員だけがいるのではなく、イングランドに匹敵するだけの支配地域を持ち、すでに、統治機構や銀行もあり、住民から税金を徴収し、月に100億ドルの収益を上げる油田を持ち、不十分ながら電気、水道などのインフラも整っています。これをただのテロ組織と見なすのは間違いです。むしろ、日本の戦国時代に領国支配を成し遂げてその拡大を図っていた戦国大名たちにたとえれば、その実態に近いイメージが得られるのではないでしょうか。彼らもまた、領国内の住民に対して、一定の秩序ある統治を行っていましたね。
 ちなみに飯山陽(あかり)氏の次のブログはたいへん参考になります。
「どこまでもイスラム国」http://blog.livedoor.jp/dokomademoislam/
 
 さてご存じのとおり、ISをめぐる関係各国の状況は、三つ巴、四つ巴に入り乱れて、世界戦争への発展の兆しを見せてきました。簡単におさらいしておきましょう。
 ロシアは9月28日、ISへの爆撃を開始しました。これがかなりの成果を上げており、それまでのアメリカのIS爆撃が本気ではないことが暴露されました。アメリカはシリアの反アサド勢力にテコ入れするためにISをひそかに支援してきたことは明らかだというのが大方の見方です。ロシアにしてみれば、シリアに軍事基地があり、アサド政権とは強く結びついていますから、ロシアが爆撃に本気になるのは当然と言えましょう。
 10月31日にはロシア旅客機がエジプトのシナイ半島で墜落し、乗客乗員224名が全員死亡、IS傘下のグループ「シナイ州」が犯行声明を出しました。ロシアははじめ慎重な態度を取っていましたが、やがてIS勢力によるテロと断定しました。この事件は、もしテロであることが本当なら、IS勢力がエジプト内に相当根を下ろしつつあることを示しています。ISの次なる目標はエジプトであるという複数筋の分析も、現実性を帯びてきているようです。
 また11月18日にはロシアは原油を積んだISのタンクローリー500台を爆破しました。プーチン大統領はISの原油がトルコに輸出されている確かな証拠があると言明しています。このタンクローリーは、トルコのエルドアン大統領の息子が経営している会社のものだということも暴露しました。エルドアン大統領はもちろん否定しましたが。
 さらに11月24日にはトルコが、ロシアの戦闘機を、わずか17秒の領空侵犯を理由に撃墜し、両国の間に一気に緊張が高まりました。この撃墜は明らかに意図的に行われたもので、エルドアン大統領の思惑にはおそらく、露土戦争による敗北の積年の恨みという民族感情を利用して、NATOの支援をバックにそれを晴らそうという欲求、フランスのオランド大統領から見返りにEU加盟の密約を得たことなどがあるのでしょう。
 トルコはまた、10月14日、ISと闘っているクルド人武装組織に米露が武器供与などの支援を行っていることが許せないとして、両国を非難しました。
http://www.afpbb.com/articles/-/3063153
 トルコは一応、有志連合のIS爆撃に参加して国際的な連帯のポーズを取ってはいますが、本音では、ISよりも自国内のクルド人武装組織の方を、自国の秩序を脅かすテロ組織と見なしていることになります。ちなみにアメリカは、イラク側のクルド人に対しては、イラク戦争以来、一貫して支援を行っています。
 いずれにしても、ここから見えてくるのは、大国ロシアに対するトルコのむき出しの敵対意識と「オスマン帝国」復権の野望でしょうが、今のところこの野望は、国際的には成功していないようです。
 しかし米露仏にしても、フランスの呼びかけで、まずは「テロ組織」ISを滅ぼすことを優先順位として結束しようという建前を一応とってはいるものの、この結束はIS周辺国間の複雑な情勢を考えると、うまく成立する見込みは薄弱です。
 最近では、イランがIS爆撃を行ったというケリー国務長官の発表もあります。
http://www.meij.or.jp/members/kawaraban/20141204164006000000.pdf
 真偽のほどはともかく、これはIS掃討という限定的な局面ではロシア、イラン、アメリカの連携の可能性を示唆しています。しかしこれによって、クルド人に関してまったく立場の違うトルコが一層アメリカに対して敵対感情を募らせることが予想され、サウジアラビアも、核をめぐってイランとの協調路線を歩もうとするアメリカには早くからはっきりと反対を唱えていますから、サウジのアメリカ離れはますます進むでしょう。
 さらにイスラエルのIS支援が取りざたされてもいます。イスラエルは石油がほとんど採れず、しかも周辺の産油国は敵対国ばかりです。最近発見されたゴラン高原の石油を採掘できれば自給が可能になりますが、シリアのアサド政権は自国に採掘権があると主張しており、これを倒そうとしているISは、イスラエルにとって大きな利用価値があることになります。
http://www.mag2.com/p/money/6603
 最近イラクで捕縛されたIS戦闘員が、じつはイスラエル軍の大佐だったなどという情報もあり、こうなると、ロシアとイスラエルが、IS掃討やアサド政権の支持、不支持をめぐって深刻な敵対関係に発展することも予想されるわけです。
http://www.mag2.com/p/money/6712/2

 ISをめぐる関係各国の以上のような複雑で危険な絡まり具合は、第一次大戦勃発前夜に非常によく似ています。そうしてその絡まりの原因が、第一次大戦の時と同じようなグローバリズムから起きてきていることも明瞭に思われます。違っているのは次の点でしょう。

①戦場が第一次大戦当時の帝国主義諸国であるヨーロッパにはなりえないこと。
②現在の中東の混乱を引き起こしたのは、かつての覇権国家・大英帝国ではなく、覇権が後退しつつあるアメリカであること。
③敵対勢力が、かつてのように列強どうしではなく、富裕層と貧困層という、階級間対立の様相を呈していること。

 ①について。
 これは、(その1)で示したように、EUが全体として解体の危機に直面するほど衰弱しており、押し寄せる民族大移動やテロから自国を守るのに精いっぱいであるという事情が関係しているでしょう。そうしてこの事情が、域内グローバリズムの理念を戴くEUが自ら招きよせたものであることも、すでに述べました。
 ②について。
 アメリカは、地政学的にこの地域から遠く離れている上に、文化的土壌もまるで違います。自国の理念である「自由と民主主義」を普遍的価値として、途上国にも強引に適用しようとしたところから、いわゆる「アラブの春」が始まったわけですが、部族間闘争の勝利者によって統治される独裁国家体制を取り、イスラム独特の宗教的慣習を重んじるこの地域に、こうした観念的な「民主化」を押しつけるのはもともと無理なのです。このアメリカの無知と傲慢によって、中東・北アフリカ地域は引っ掻き回され、現在もその混乱が続いているわけです。
 アメリカは、引っ掻き回しておいて、もはや覇権国家としてのきちんとした責任を果たすことができなくなっています。それを最も象徴するのが、化学兵器使用を理由としたシリア攻撃を宣言しておきながらドタキャンし、尻拭いをプーチン大統領に任せてしまったオバマ大統領の振る舞いでした。アメリカはいま、超大国のメンツから、相変わらず「自由・平等・民主の普遍的価値」を掲げていますが、本音では、失敗を感知していて、逃げの姿勢を取ろう、取ろうとしています。つまりモンロー主義に引きこもりたくて仕方がないのですね。
 おまけに、シェールガスの生産が供給過剰なほどに定着し、アラブ諸国との間に、石油・天然ガスをめぐる濃厚な利害関係を維持し続ける必要がなくなっています。中東・北アフリカ問題の解決をアメリカに期待するのは、どう考えても無理でしょう。こうしてグローバリズムは、暴れまわりながらも、一方では、暗礁に乗り上げているとも言えます。
 ③について。
 これは、現象を見ていれば明らかで、貧困層は経済力や軍事力の面で劣るために、テロ(ほとんどが命を賭した自爆テロ)という形を取らざるを得なくなっています。ここにこそ、行き過ぎた金融資本主義による、貧富の格差の異様な拡大が強力に作用しているということができましょう。したがって、現在の戦争状態は、同時に世界革命へと発展する兆候を孕んでいるのです。
 今のところ、この対立は、キリスト教文化圏とイスラム教文化圏との宗教的対立という、いわゆる「文明の衝突」のかたちとして現れています。貧困層の世界的連帯が形成されているわけではありません。しかし、この対立の根底には、グローバルな金融資本がもたらした超格差の問題が横たわっていることは明らかです。そうしてこの超格差の問題自体は普遍的ですから、世界中どこの国でも見られる現象です。つまり、いささか乱暴に言えば、マルクスが展望したような、世界革命の物質的条件だけは整いつつあるということなのです。たまたま強固な原理主義的宗教共同体(その強固な宗教共同体の精神的な強固さの原因も物質的な貧困に求められます)がラディカルな運動を展開しているために、正義感や孤立感や闘争心の強い青年たちがそこに惹きつけられていくという話なのです。
 もしあなたが、暴動や革命を本当に避けたいと思うのだったら、以上の事実をよく認識した上で、グローバルに広がった金融資本主義システムに対して、それを修正し、より公平な分配のシステムを新たに構想するのでなくてはなりません。私は別にかつて存在した社会主義国家を復活させよなどと言っているのではありません。それが失敗した原因は、ここでは詳しく述べませんが、いろいろ考えられます(*)。ただ、これまで現実に存在した社会主義国家なるものが、少しも本来の社会主義の理念を実現したものではなかったという事実だけは押さえておくほうがよいと思います。
 次回は、この格差問題について、わが国も例外なく深刻な状態に置かれており、しかもこの国の為政者たちがほとんどその事態を重視せず、逆にますますその状態を助長させるような政策をとっている、その危険性について述べます。


*詳しくお知りになりたい方は、12月17日発売の拙著『13人の誤解された思想家』(PHP研究所)の、「カール・マルクス」の項をご参照ください。

お知らせ

2015年12月10日 00時14分17秒 | 政治
来たる12月19日(土)、チャンネル桜「闘論、倒論、討論」に出演します。
テーマは、「ヨーロッパの解体と野蛮の台頭」(仮)。どうぞご期待ください。


他のメンバーは、西尾幹二氏、高山正之氏、宮崎正弘氏、馬淵睦夫氏、渡邊哲也氏、丸谷元人氏です。

テロとグローバリズムと金融資本主義(その1)

2015年12月06日 16時06分45秒 | 政治

      



 11月13日に起きたパリ同時多発テロに関するマスコミの論調は、どれも痒い所に手が届かない印象があります。なぜこうした事件が世界で頻発するのかという問いかけはしきりになされているのですが、それに対する答えが、ISの過激な戦闘性とその巧みな情報・勧誘戦術、パリなどヨーロッパにおける大都市でのムスリムに対する差別、イラク戦争や「アラブの春」以降中東・北アフリカに引き起こされた混乱、空爆に対するテロリストグループの報復、ヨーロッパ各国に常住するようになった移民二世、三世の若者たちのISとの往復活動など、いずれも現象面の説明にとどまっていて、根本的な原因の指摘になっていません。
 ここ近年の、中東・北アフリカ・ヨーロッパ地域を中心としたテロや紛争の頻発、拡散は、世界史の大きな転換を象徴しています。何が変わりつつあるのか、またそれはなぜなのか、対岸の火事とは言えない私たち日本人にとっても、これはきちんと考えておくべき重要な課題です。
 もちろん、これらの地域が第一次大戦勃発の昔から、ヨーロッパの火薬庫であったという特殊性を見逃すことはできません。それは第一に、地政学的な近接地域間の緊張関係でした。またヨーロッパも含めたこれらの地域は、宗教上の近親憎悪を繰り返してきた歴史を背負っています。さらにこれらの地域は、互いに境を接しながらも、世界に先駆けて豊かな近代化を成し遂げた地域と、対照的に近代化に大きく立ち遅れた地域とに分断されているといった事情もあります。この事情が前者をして後者を帝国主義的侵略と植民地化の恰好の標的にさせてきたわけです。これらの関係史を共有しない日本では、今でもヨーロッパ(ロシアを含む)に比べて、「火薬庫」の直接的な影響が相対的に弱いものであることは否めないでしょう。
 しかし、今やこの「火薬庫」の力が、かつてにも増して地球の隅々にまで広がりつつあることは明瞭です。そればかりではなく、その「火薬庫」それ自体のもつ意味がかつてとは変質しつつあります。それは単に、地球が狭くなったために、人の集まる賑わい豊かな都市ではどこでもテロが起こりうるようになったといった変化を表しているのではありません。ではそれはどんな質的な変化であり、いったいなぜそのような変化が認められるのでしょうか。
「火薬庫」は今では、現実の火薬の爆発や殺傷の危険を秘めた場所だけを意味するのではなく、一つの象徴的な意味、日々の生活において私たちの大切にしているものをじわじわと破壊してゆく見えない動きという意味を担うようになったのです。それはむしろ「携帯(させられてしまった)化学兵器」あるいは「庭先やベランダに遍在する地雷」とでも呼ぶべきかもしれません。その心は、私たちの生産、消費、物流、情報交換などの生活活動そのものの中に常に、爆発の要因が深く埋め込まれるようになったということです。
 なるほど一部の過激集団のテロ行為が世界各地で頻発するようになれば、そこに誰もが注意を集中し、人々の安全を守るためにそのつど厳戒態勢を敷いてテロの危険を防止しなければなりませんし、またその過激集団と闘うために有効な軍事的対応を行うこともぜひ必要でしょう。もちろん日本もその例外ではありません。
 ちなみに、報復の連鎖を避けるためにテロリストとの対話を、などと、安全な場所にいてノーテンキなことを言っている日本人がこの期に及んで相変わらずいるようですが、国際情勢に対する無知、歴史的な現実に対する無知、いえ、人間一般に対する無知も甚だしい。そういうことをのたまう人は、口先だけでなく、まず自分が率先してISなどとの接触行動に踏み出すべきです。何とかは死ななきゃ治らないとはまさにこのことです。
 それはともかく、突発的でショッキングな事態だけに目を奪われていると、それに対する情緒的な動揺に意識を支配されて、じつはそれらの現象が、日常的に埋め込まれて私たちの生活をむしばむ「携帯化学兵器」と共通の原因に根差すものだということが見えなくなります。ただテロの脅威から身を守ったり、現下の一部勢力に積極的な武力攻勢をかけるだけでは、この共通の原因をなくすことはできないのです。
 その共通の原因「携帯化学兵器」とは何か。言うまでもなくグローバリズムであり極度に肥大してしまった金融資本主義であり、それをイデオロギー的に支える新自由主義です。
 まず当のテロリズムの頻発と、これに並行して起きている紛争地域からの大量の「難民」の問題について考えてみましょう。これらはもちろん政治的・軍事的な問題なのですが、その政治的・軍事的問題に不可分なかたちで、ヒトや情報の移動を含む経済的問題が張り付いていることがわかります。
 周知のように、EU(欧州共同体)は、シェンゲン協定、ダブリン協定などによって、早い時期から域内移動の自由と移民の受け入れを推進してきました。これは一見、異国、異民族、異教徒に対する相互の寛容を旗印にしているように見えますが、本音では利益最大化と安価な労働力の獲得を目論んだ市場原理主義という経済的な意図に基づくものです。
 その証拠に、移民を大量に受け入れた国ではどこでも、労働者の低賃金と高い失業率とに悩んでおり、かたや大企業の経営者や大株主は国境やEU圏を超えて巨富を稼いでおり、貧富の格差は拡大する一方で、しかも全体としては長期的な不況に苦しむ有様です。また難民の側も「豊かで寛容で自由で仕事にありつけるヨーロッパ(特にドイツ)」という幻想を抱き、我も我もと欧州を目指します。この「民族大移動」に、さすがの「寛容と自由」の理念も音を上げ、各国は次々に障壁を築いて難民の受け入れを拒否あるいは規制し始めました。シェンゲン協定およびダブリン協定は無効化し、EUの合意事項の重要な一角はすでに崩れたのです。各国内にはこのナショナリズムへの回帰を支持するさまざまな政党あるいは政権が勢力を伸ばしつつあります。
 以上がEUあるいはユーロ圏という域内グローバリズムの自ら招いた結果なのです。それは、第二次大戦中に現れた極端な排外主義と差別主義への反省と、覇権国家アメリカに経済的に対抗して強いユートピアを作ろうとする意図に根差した「理想」の産物だったのですが、これはもはや羹に懲りてなますを吹くEUパワーエリートたちの「空想」に終わったというべきでしょう。ユーロ圏に属するギリシャが自国の通貨や国債を発行できず、多額の負債を抱え、しかも緊縮財政を強いられて国民生活を窮地に陥れているのも、まさにグローバリズムと行き過ぎた金融資本主義の結果です。
 行き過ぎた金融資本主義とは、資本の自由な移動をあまりに認めてしまった事態を指します。中国のように為替市場の自由を認めず、管理変動相場制を採りながら人民元のSDR化を獲得してしまったのも困りますが、要はバランスの問題です。資本の移動の自由をあまりに認めてしまうと、企業は資金を設備投資や人的投資に回さずに内部留保を蓄積してその運用や株主の利益ばかりに配慮するようになります。それは生産活動をおろそかにして実体経済をやせ細らせる結果を招くのです。これはEUに限らず、グローバル化した世界全体でいま現に起きている事態です。
 パリのみならずロンドンもニューヨークも、富裕層と貧困層、異なる人種どうしの住み分けが進んでおり、「自由」や「人権」など、その麗しくも抽象的な建前とは裏腹に、差別や排外感情や怨嗟や敵愾心が鬱積しているようです。経済的帝国主義の歴史は、いまなお続いています。それが必ずしも隔たった地域間における矛盾という形で現れるとは限らず、一つの都市の近接した地域や、貧困地域の中で目立つ高級リゾート地などで噴出することが可能となったのです。
 パリ同時多発テロ事件は、あの暴動に始まるフランス革命の再現の予兆であると言ってもけっして大げさではありません。生粋の裕福なパリジャン、パリジェンヌは、トリコロールやラ・マルセイエーズがかつてその手元に必ず銃口を具備していたことを思い出し、今度はその銃口が自分たちに向けられているということに早く気づくべきです。
 EUは早晩自壊してゆくでしょう。さらなる混乱を避けたいと思うなら、ヨーロッパ各国は再び国家の壁の中に引きこもって、それぞれの政治的・経済的主権を回復する以外に手はありません。それは時間の問題であり、EU首脳は、早く自分たちの失敗を認めるべきなのです。また、中東地域の紛争やそこを水源とするテロリズムは、世界資本の分配に関する何らかの平衡が達成されるのでない限り、解決を見ることはあり得ず、情報社会の利点を活かしてますます世界に拡散していくほかはないでしょう。


江戸散歩その3

2015年12月03日 18時07分04秒 | 文学




 今回は、近松の『冥途の飛脚』を取り上げます。
 この作品は、歌舞伎でも演じられ、忠兵衛封印切の段が特に有名ですね。飛脚というのは、今で言えば銀行業務と郵便事業と運送業とを兼ねたような商売です。大坂と江戸の間を頻繁に往来して多額の金銭や荷を運ぶこの仕事が、興隆してゆく初期商業資本主義の活気を表すと同時に、土地に根差さない浮ついた不安定さ、危なっかしさをも同時に象徴していたと言えるでしょう。この不安定さに目をつけて、叶わぬ恋にハマってしまった男女の生の危うさをそこに重ね合わせた近松の文学的センスはさすがです。今で言えば、国際経済の不安定という最前線の状況を一組の男女の恋愛関係の不安定さの暗喩として活用したようなもので、同時代の先端を走っていたというべきでしょう。

 ともあれ、まずはあらすじから。上、中、下の三巻仕立てですが、29の場面に分けることができます。
 忠兵衛は、4年前、大和の田舎から持参金付きで飛脚問屋・亀屋の世継ぎとして、寡婦・妙閑の元へ養子に入った24歳。有能に店をきりまわし、遊芸もたしなみ、達筆で酒もそこそこ、着こなしも垢ぬけたいい男である。色の道にも通じ、廓通いを重ねるうちに遊女・梅川と恋仲になる。
 留守中に侍が、江戸から届いているはずの三百両の催促に来ると、手代がまだ届いていない旨を丁寧に告げる。すぐそのあとに中の島の親友・丹波屋八右衛門の使いが五十両の為替銀が届いていないと催促に来るが、身分違いと見るや手代はすげなく追い返す。これを聴いていた妙閑、忠兵衛はとっくに届いているはずの五十両をなぜ渡さないのかと不審に思い、近頃の忠兵衛の浮ついた行状について愚痴を漏らす。
 忠兵衛がこっそり帰ってきたところを八右衛門自らやってきてつかまえ、きつく催促すると、養母に知られてはならじと、ついに実情を泣く泣く打ち明ける。それによると、惚れた梅川を身請けする田舎者があらわれ、金で張り合うこともできずに心中まで考えたが、そこに五十両が手に入ったので、悪いとは知りながら身請けの手付金として渡してしまった。二、三日うちに必ず始末をつけるのでどうか待ってほしいと。
 八右衛門は太っ腹なところを見せてこれを承諾する。ところが妙閑が八右衛門を見つけ、中に請じ入れて、忠兵衛に早く払えと迫る。八右衛門、気を効かせて帰ろうとするが、律儀な妙閑は言うことを聞かない。困った忠兵衛、とっさに納戸に入ってはみたものの、ないものはない。傍らの鬢水入れを紙で包んで金五十両と書き、八右衛門に差し出すと、妙閑は受け取り証文を要求する。文盲の妙閑をいいことに、八右衛門も戯れ言を書き散らして忠兵衛に渡す。
 やがて例の三百両が到着し、忠兵衛さっそく侍屋敷に届けようと家を出るが、いつもの癖で梅川のいる新町へと足が向いてしまう。ふと気づいて戻ろうとするが、三度思案の後、これも氏神の誘いとついに新町へ。三度の飛脚行きつ戻りつ合わせて六度、六道の冥途の飛脚であった。(以上、上之巻)

文楽「冥途の飛脚」より「封印切の段」(2/2) (本編)


 梅川は、島屋でまぬけな田舎者に攻め立てられてすっかり嫌気がさし、脱け出して忠兵衛と恋を語る定宿・越後屋にやってくる。二階で遊んでいる女郎たちの前で、手付金の期限も切れてしまった今、好きな人と一緒になれない自分の運命を嘆くと、他の仲間たちも身につまされ、涙を流して同情する。浄瑠璃「夕霧三世相」を切なく語って自分の思いを託す梅川。
 これを聴きつけた八右衛門登場。彼に会いたくない梅川は、ひとり二階に残る。八右衛門は、階下におりた女郎たちに、忠兵衛が梅川に入れ込んで窮しているのをまともな道に戻してやるのだと称して、忠兵衛をバカにしながら先の鬢水入れの一件を得意げにばらしてしまう。忠兵衛、越後屋にたどり着き、この話を立ち聞きして、恥をかかされたことの悔しさに懐の三百両から五十両引き抜いて八右衛門の顔にぶつけてやろうかと思うが、何とか思いとどまるうち、八右衛門はますます調子づいて、友達まで騙るような忠兵衛はろくな運命をたどらないだろうから、この話を世間に広めてここに寄せ付けず、梅川にも話して、自分から縁を切って島屋の客に身請けしてもらうようにさせてやってくれと、滔々と語る。二階では梅川、胸が張り裂けんばかりに忍び泣き。
 ついに逆上した忠兵衛は八右衛門の前に躍り出て、よくも男の一分を踏みにじったな、さては島屋の客から賄賂でも取ったか、いまここで五十両返すから証文をよこせと迫る。八右衛門、どうせそれはどこかに届けるべき支払金だろう、バカな真似をしないで早く届けろと説得する。言うことを聞かない忠兵衛。二人で五十両の投げ合いになる。
 梅川たまらず駆け下りてきて、金持ちでもここでお金に窮することはよくあることなのだからそんなことを恥と思う必要はない、人様の金に手を付けてお縄頂戴となったらその方がよっぽど恥だ。これもみんな私ゆえのこと、年季が明けるまであと二年なのだから、どんなに身を落としても男一人を養うくらい覚悟はできていますと泣いて忠兵衛を必死に諌める。
 忠兵衛は興奮していて心も上の空、ふと養子に来た時の持参金のことを思い出し、これはすべて自分の金だと称して内儀を呼び寄せ、梅川身請けの残金やらこれまでの掛け金やら礼金やら、締めて二百両余りをばらまいて、瞬時の「邯鄲の夢」を実現させる。八右衛門も半信半疑ながら先ほどの五十両を受け取って去っていく。身請けの手続きに主従が走っている間、梅川と二人だけになったところで忠兵衛は泣き崩れて真相を明かす。お互い死ぬ覚悟を固めながら、生きられるだけは生きようと決め、主従が戻ったところで、二人は挨拶もそこそこに大門を出て大和路への道行きに旅立つ。(以上中之巻)
 人目を忍ぶ道々、来し方を思い出すにつけても、束の間の睦まじい思いやりをかけあうにつけても、厳しい寒さの中で、これからの定めが身に沁みる二人である。路銀もほとんど使い果たし、十七の問屋仲間が組織した追っ手は綿密で、いろいろな職業に化けて、じわじわと二人の道を狭めてゆく。やがて死に場所を求めて忠兵衛のふるさと新口村にたどり着いた二人は、幼馴染の忠三郎の家にひとまず身を寄せる。
 忠三郎の妻から、すでにこの村でも大坂の傾城に入れ込んだ男の事件の噂でもちきりであることを知る。妻が忠三郎を探しに出かけた後、二人きりで外を覗いていると、お寺参りの見知った人々が通り過ぎる。そのうち、父の孫右衛門が通りかかるが、忠兵衛は会うこともならず、二人はこの世のお別れと手を合わせる。孫右衛門は鼻緒を切って泥田に転げ込んでしまう。梅川が思わず走り出て介抱する。
 梅川は孫右衛門に親切の理由を尋ねられて、自分の舅に似ているので、他人とは思えないと答える。孫右衛門、いささか心づくところがありながら、追及はせず、代わりに縁の切れた自分の倅が哀しい境遇に陥ったことを告白する。無言のうちに気持ちが通い合ったのである。孫右衛門は梅川に、自分の倅と一緒に逃げている傾城と間違えられては困るから早くここを出なさいと路銀を与えて、あなたの連れ合いにも会いたいが、養子先の母御に義理が立たぬと泣く泣く別れてゆく。
 忠三郎が帰ってきて、万事事情をわきまえ、二人を逃がしてくれるが、張り巡らされた包囲網のためにすぐにつかまってしまう。孫右衛門は引き連れられていく二人を見て気を失う。忠兵衛は大声で、刑死した時の親の嘆きを思い浮かべるに忍びない、お慈悲だからどうか自分の顔を包んでくださいと泣く。役人これを聴いて、腰の手ぬぐいで目隠しをしてやれば、梅川はただただ泣くばかり。(以上下之巻)

 だいぶ長くなってしまいました。しかしこれ以外にも注目すべき場面はいろいろあります。それはともかく、この作品は、構成としてたいへんすぐれていて、前回の『曽根崎心中』が、掛詞や地名を多用した一種の歌物語のような雰囲気によって観客を酔わせたのに対して、より散文的・小説的手法を用いて緻密な筋書きによる盛り上がりを作り、観客を「劇物語」の展開の方に誘い込む仕掛けになっています。まさに「序破急」ですね。
 上之巻、亀屋の場では、全体にユーモラスな雰囲気が漂い、侍と町人に対する手代の扱いの違い、妙閑の老婆らしい心配の仕方、こっそり帰ってきた忠兵衛が飯炊きのまんに見つかってしまい、口封じのために今夜お前の床を尋ねてやると口説くくだり、忠兵衛・八右衛門の悪友同士の共犯者感覚による丁々発止のやりとりなどにそれがよくあらわれています。ここではまだ悲劇への道はかすかに暗示されるにとどまっているわけです。
 中之巻、越後屋の場になると、遊女の中でも身分の低い「見世女」の梅川の辛い嘆きが同僚の共感とともに切々と語られ、間髪を入れず八右衛門の暴露が続き、これを悪意とのみ受け取った忠兵衛の逆上とやけくそによる封印切、ここで最高度に盛り上がった後、畳みかけるように一緒に奈落に落ちていこうとする梅川と忠兵衛の哀しい決意へとつながっていきます。
 下の巻、大和への道行きでは、道行きにふさわしい二人の心情の絡みが連綿とつづられます。そうして土壇場の、老いた孫右衛門との邂逅と交情の場面では、たとえいったんは縁を切った息子でも、また罪を犯した息子でも、それだからこそ親の愛情がいや増さる孫右衛門の痛切なさまが描かれます。それに応えることの出来ない忠兵衛が、せめて自分の廻向を願いながらあの世での再会を期するところで終わりを告げます。

 この作品からは、いろいろなことを読み取ることができ、またそこからこの時代の町人の生活感や廓の雰囲気、貨幣経済の有様などへと想像力を発展させることもできます。
 一つは、悪友・八右衛門のどちらとも取れるような心の動きです。彼は、本当に忠兵衛のためを思って越後屋での暴露に及んだのか、それとも何らかの悪意からそうしたのか。『曽根崎心中』の九平次の場合は、明らかに徳兵衛を陥れてやろうと仕組んだのですが、八右衛門は妙閑の前では共犯者を立派に演じてくれるし、また忠兵衛の投げつける五十両をけっして受け取ろうとはせず、まともな分別をもって忠兵衛を諭そうとしています。しかしそれにしては、遊女たちにばらすときには彼のことを悪しざまに侮蔑する口調を取っています。この両面性はいったい何なのか。作品の瑕疵とは思えません。近松は、意識的にこうしたキャラを造型したのでしょう。
 私の想像では、これがおそらく当時の町人社会のある部分に共通する一種「下品で軽薄で小心でおっちょこちょいな」人情のあり方そのものなのです。そうした雰囲気を近松は鋭く観察していて見逃さなかったのだと思われます。
 つまり、さすがに正直者の代弁者のような義母・妙閑の前では真相を暴露して忠兵衛を破滅させることは思いとどまるものの、離れてみると、恋にうつつを抜かす忠兵衛への嫉妬もあり、自分があいつを助けてやったという自慢もあり、「あいつはしょうがねえバカヤロウだ、俺のがまだマシだ」という優越感もあり、「王様の耳はロバの耳」と言ってみたくてしょうがなくなる、そんな気持ちが昂然と沸き起こってきたのではないでしょうか。しかし予期せぬ忠兵衛の逆上を見せつけられると、焦ってまた分別が戻り、残っていた友情も顔を出して、忠兵衛を本気で諌めようとする。簡単に裏切りもすれば、状況次第でよりを戻そうともする。互いに金をよりどころに悪さを重ねている「悪友」とはそんなものかもしれません。

 二つ目に、封印切の段での忠兵衛には、危うい浮草稼業で身を立てている人間に特有の激情性ときっぷのよさが感じられます。つまり意地を通すことを命よりも大切と考える一種のやくざ根性ですね。またここには百姓から婿入りして成り上がった者の被抑圧感と身分コンプレックスが作用しているかもしれません。
 いずれにしても、当時の飛脚問屋という商売、大金を次から次へと流しているので、いつの間にか感覚がマヒして、それが自分のものであるかのような錯覚に陥るという部分があったのでしょう。これは現代でもウォール街や兜町の住人に見られる傾向ですが、飛脚の場合、できるだけ速く自分の足で荷物や証文を運び、巨額の現金を身につけて動くという肉体的な実感が伴います。この実感は、独特のスピード感を伴って、自分こそは財や金銭の使徒であるという感覚につながるでしょう。それが己れの人生観全体にも広がります。要するに「生き急ぐ」のが当然ということになるのですね。そこに心中立てをした辛い境遇の女への共感が重なり、一気に「冥途」への飛脚となるわけです。

 三つ目。下之巻での道行きには、惚れてしまった犯罪者とどこまでも運命を共にしようとする梅川の女心がまことによく出ています。もともと忠兵衛は色男。それに加えて、自分のために悪を犯してくれたという事情があるので、添い遂げたいという気持ちはいやがうえにも高まります。悪とは、共同体の約束事に反抗することなので、悪を犯すことは大胆な勇気が必要とされ、人を孤独に追いやります。自ら孤独を選んだ男はそれだけでも個性が際立ち、カッコいいのですね。
 おまけに梅川は苦界にあって、このままでは嫌な田舎者に身請けされてしまう。将来には何の希望もありません。忠兵衛は、この幸薄き女を救うために敢然と身を張ってくれた。梅川の中では、自分の運命と「悪人」の魅力とのシンクロニシティが実現しており、死なばもろともの思いに何の迷いもないわけです。

 四つ目。忠兵衛の父・孫右衛門と梅川との「知って知らぬふり」の短い交情には、日本的な人情の一つの典型が見られますね。孫右衛門が例の傾城と間違えられるから早くこの場を去ったほうがいいと梅川に告げながら、その口も乾かぬ間に、あんたの連れ合いに一目合うわけにはいかないかと涙ながらにもちかけるその裂かれた心の表現は、下之巻の大きな見せ場だと言ってよいでしょう。
 いまではもう少なくなりましたが、夫が癌になった時に、医者が妻にだけそのことを知らせ、本人には秘密にする。妻は夫が死ぬまで沈黙を守り通す。ところが夫の方でも事実に気づいていて、そのことを妻には語らないという、いわば互いを思いやっての化かし合いがよくありました。西欧的な観点からはたいへん不合理と映るこの無言の交感も、一概に否定すべきメンタリティとはいえず、ケースバイケースで許されていいことでしょう。上記の梅川と孫右衛門のやりとりには、まさしくこれに通ずるものがあります。
 こうした「阿吽の呼吸」は、日本的優しさの一表現形式であり、日本人の情緒がもつ同質性の高さを表してもいます。それがまた、はたで見守る観客にも大きな共感を呼ぶわけです。

 五つ目。この作品では、道行きの過程が都会から田舎への落ち延びのかたちをとっていますが、ここには当時の都市と農村との驚くほどの文化的格差が感じられます。大阪から大和までですから、二人は大した距離を旅したわけでもありません。それなのに二人は、まるで異国に入ったかのような扱いを受けています。それには、まずは「このへんではとんと見かけない」ような特殊な職業である遊女・梅川の風貌が与っているのでしょうが、忠兵衛の四年にわたる大坂暮らしによる垢ぬけた雰囲気も関係あるでしょう。
 加えて、都会で起きた一事件の情報が、たちまちのうちにセンセーショナルなかたちで伝わっている事実にも、この格差が示されています。というのは、傾城というのは実態としてはほとんどが辛い境遇にあったのでしょうが、田舎の方から見れば都市の繁栄を象徴する憧れの的だったに違いないのです。ちょうどいまで言えばテレビなどのメディアに登場するアイドルのようなものですね。
 この作品にも「島屋に通う田舎者」が梅川を金でものにしようとする嫌な奴として登場しますが、一般に、江戸期には、「田舎者」と銘打たれただけで、蔑視の代名詞のような役割を果たしていたと考えられます。これは、もちろん明治以降、高度成長期まで続くわけですが、幕末の遊郭を舞台とした映画『幕末太陽伝』や、円朝の長編落語『真景累が淵』にも、端的にこの大きな落差が表現されています。田舎の側から見れば、都会から流れてきた人は一種の「まれ人」であり、そのことは、言葉遣いの違いは言わずもがな、風貌をちょっと見ただけでそれと知れるのです。
 ちなみに、『幕末太陽伝』でも『真景累が淵』でも、田舎人のほうが純朴な善人、都会人の方が海千山千のずるがしこい悪人として描かれています。ですから、『冥途の飛脚』における「島屋に通う田舎者」も、本当は嫌な奴ではなかったのかもしれません。都会の色に染まった多くの男を相手にしてきた遊女のセンスからすれば、ただ金にものを言わせる田舎者というだけで生理感覚的に好きになれなかったのでしょう。時には文化的格差の方が、経済的格差よりも大きな意味を持つ一例として注目しておきましょう。

 そして最後に、梅川が三味線を取って語る浄瑠璃「夕霧三世相」に言及しようと思いますが、その前に、中之巻冒頭の一節を紹介しましょう。この部分は、廓の遊女、特に身分の低い見世女郎たちの哀れを象徴しています。梅川はもちろんこの仲間です。

 青編笠の。紅葉して。炭火ほのめく夕(ゆふべ)まで思ひ思ひの恋風や。恋と哀(あはれ)は種一つ。梅芳しく松高き。位は。よしや引締めて哀深きは見世女郎。更紗禿(さらさかぶろ)がしるべして。橋がかけたや佐渡屋町越後は女主人(あるじ)とて。立寄る妓(よね)も気兼ねせず底意残さぬ。恋の淵。

(諏訪春雄氏による現代語訳)青編み笠が紅葉のように赤く染まって見えるほど炭火がほのかに燃える夕方まで、それぞれが恋の風に吹かれて通ってくる。恋と哀れは同じ一つの種から生まれるもの。天神は芳しく、大夫は高い位の遊女。位はともかくひっくるめて情けの深いのは見世女郎、更紗の着物のかぶろに案内されて橋をかけてもらいたい佐渡と越後。佐渡屋町の越後屋は、女主人で、立ち寄る遊女も気兼ねせず心をうち明ける恋の場所。

 低い身分の遊女はそれだけ辛い思いをして将来の希望も薄いため、互いに嘆きを共有し合う連帯感が強いわけですね。果たして本当にそうであるかは別にして、このくだりからは、作者・近松の弱者への共感がよく伝わってきます。
 さて「夕霧三世相」ですが、この浄瑠璃はじつは近松の自作で、『冥途の飛脚』全体の通奏低音をなしています。

 傾城に誠なしと世の人の申せども。それは皆 僻事(ひがごと) 訳知らずの言葉ぞや。誠も嘘も本一つ。たとへば命なげうちいかに誠を尽くしても。男の方より便りなく遠ざかる其の時は心 弥猛(やたけ)に思ひても。かうした身なればまゝならず。自ら(おのずから)思はぬ花の根引きに逢ひ。かけし誓(ちかひ)も嘘となり。又はじめより偽(いつはり)の勤(つとめ)ばかりに逢ふ人も絶えず重ぬる色衣 終(つひ)の寄辺となるときは。はじめの嘘も皆誠。とかくたゞ恋路には偽もなく誠もなし。縁の有るのが誠ぞや。逢ふこと叶はぬ男をば思ひ思ひて思(おもひ)が積り。思ひざめにも醒むるもの。辛や所在と恨むらん。恨まば恨めいとしいといふ此の病。勤する身の持病か。

 近松作品には特に思想と呼べるようなものはないという人がいますが、これを読むと、けっしてそうではないことがわかります。
 男と女の関係は、誠が嘘になることもあれば嘘が誠になることもある。こちらがいかに誠意を尽くして愛しても、男の方で去ってしまうことがあり、いくら恋心を募らせても、身分などの障りがあれば思うにまかせない。また好きでもない人に身請けされてしまえば、かけた誓いも嘘になる。かたや、初めは仕事と割り切って義務感でつきあっていても、逢瀬を重ねるうちに思わぬ深い仲になってしまうこともあり、そういう時には嘘が誠に変わるのである。すべては縁があるかないかで決まる。会えない相手のことを思い続けているうちに、いつしかその思いも醒めてしまうこともある。辛い、切ないと恨んでみても、しょせん恋の病は遊女の身の上につきものの持病のようなものだ。
「傾城に誠なし」と言えば、すっぱり割り切って、男女双方、遊びやおつとめに徹することもできるかもしれないが、それは必ずしも当たっていず、たとえ金銭ずくの世界であろうと、生きた心を持った人間の交渉であるかぎり、すべてが嘘と言い切れるわけではない。人知を超えた「縁」が人の運命を決めていくとしか言いようがない。
 これは遊女という特殊な身分に託して語られていますが、恋の道一般、いや世の中のものごと一般に当てはまることですね。「わがこころのよくてころさぬにはあらず」と説いて、あらゆることは宿業によるのだと言い切った親鸞の思想にも通じますし、「不動心」などというものはなく、ときに応じてうれしかなしと揺れ動くのが人の心の本質なのだと説いた本居宣長の思想にも通じます。日本人の伝統的な世界観、人間観を、近松もまた深いところで分有しつつ、それを基礎にして世話物を書き続けたことがわかります。