小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

デカルトとバークリ、あなたはどっち派?

2018年03月19日 00時40分00秒 | 哲学



ちょっとややこしい哲学の話です。
みなさんはこういうことをどう思われますか。

近代哲学の祖といわれるデカルトは、この世界を「思惟する実体」(精神)と「延長を持つ実体」(モノ)とに二分しました。
次にデカルトは、感覚で「延長体」をとらえると誤ることが多いとして、精神によってとらえられる条件だけにその資格を与えます。
では精神によってとらえられる延長体の資格とは何か。
彼は形、大きさ、運動状態の三つを選び、色、音、味、匂い、肌触り、熱などを主観的な状況次第で変わるものとして排除します。後者は「心」に属する、と。
なるほど色は光の当たり具合によって違って見えますし、味も匂いも肌触りも熱もそれを知覚した人によってさまざまな現われ方をするでしょう。
しかし形や大きさや運動状態は、観測位置を一定にしておけば、だれが計測しても客観的な数値で表すことができます。

この厳密な(?)区別に対して、猛然と反論したのが、アイルランドの哲学者・バークリです。
あらゆるモノは、これらすべての知覚印象を持って現れる。
自分には、色や肌触りを持たない形や大きさだけの物体とか、形や大きさを持たないただの色とか肌触りだけの物体などは、およそ想像することさえできない。モノの存在とは、すなわち知覚の総合なのである、と。

一見どちらも正しいように受け取れます。
そこで二つのことを指摘しておきます。
まずデカルトが延長体の資格として、形、大きさ、運動状態を選んだのには、明確な目的意識があったからです。
それは、モノの多様な現われから、あえて三つを抽象することで、物質世界を数学的・物理学的に秩序づけようという意図です。
これらはいずれも計測可能ですから、さまざまなモノの相互関係を探究することによって、そこから自然界の法則を導き出すことが可能になります。
その際、この時代にはまだ化学も波動学も熱力学も発達していませんし、まして量子力学など先の先の話ですから、色、音、匂い、肌触り、熱……が捨てられるのは当然でした。
事実ニュートンは、デカルトのこの「延長実体」の原理にもとづいて、力学の体系を生み出したのです。

しかし一方、バークリの言い分にも注目すべき点が十分に含まれています。
デカルトの延長実体の条件はすべて視覚に関わっています。
視覚は対象と一定の距離を取って初めて可能となります。それはいわば観測主体を神に近い立場に置くことと等しいのです。
これに対して、音や匂いは空気中に発散するのでモノとは見なせないし、味、肌触りなどは接触によってしか知覚できません。
物理学を可能とするためにこれらが切り捨てられると、モノが私たちに醸し出すその全体的な印象は減殺されてしまいます。
デカルトは知覚世界を主観と客観とに明瞭に分け、同時に数学的・物理学的なモノの見方を基礎づけました。

しかしバークリは神に仕える僧侶でした。
彼にとっては、「実体」とは知覚する精神(心)と、神のみであると考えられたのです。ですからそもそも延長体そのものを「実体」とすることなど、我慢のならないことでした。

いま、私たちの立場からこの両者の対立の意味を考えてみましょう。

デカルトのように、知覚の全体性から形、大きさ、運動だけを抽出すると、自然が喚起してくる生き生きとした接触感覚が失われてしまいます。
その代わり、自然界を計量可能なものとして把握できるので、物理学や数学などが創出できます。

バークリのように、心に訪れる知覚印象の総体が作る観念の束こそ実体なのだと考えると、自然が送り届けてくれる生き生きとした実感は保存されます。花の香りや美味しい食べ物などを存分に玩味できるわけです。
その代わり、物体そのものとか、物質そのものといった考えを棄てなくてはならないので、学問的対象としてモノに分け入っていくことが難しくなります。

二人の立場は、要するに、科学的自然観と情緒的自然観とをそれぞれ象徴していると思うのです。
今の時代は、科学万能信仰がまかり通っており、その中には、科学に名を借りたかなりいいかげんな知識もはびこっています。
科学的にものを考えるとはどういうことか。それを知るためには、これまで蓄積されてきた科学の中にある程度分け入ってみなくてはなりません。
それを棄ててしまうと、かえっていいかげんな知識を科学だと勘違いすることになります。
しかしまた、科学的自然観は、自然や私たちの身体を死んだ物体とみなす部分を持っていることも確かです。
目医者さんは、患者であるあなたの目を見るのに、心と心を通わせるような仕方で生き生きと「目を見る」なんてことをしていたら、診断も治療もできませんね。
いっぽう、生き生きと心を通わせ合うには、お互いの身体を、デカルトのように形と大きさと運動状態としてだけ把握するのではなく、バークリのように、知覚を総体として動員して把握するのでなくてはなりません。
両方とも大切だと思うのですが、いかがでしょうか。


日本語を哲学する27

2015年09月24日 22時45分09秒 | 哲学




 また、言語主体の存在状態を、身体行動から論理的言語の表出までをも含む最広義の意味での個人の「行為=ふるまい」のあり方という角度からとらえ直せば、以下のような段階の違いとして整理することができる。あくまで便宜的な整理ではあるが。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
|行為の段階 | 1   | 2     | 3      | 4     |
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
|原理    | 身体  | 情緒    |感情言語    |論理言語   |
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
|現実的表現 | 行動  | 情動・表情 |直接表出的発語 |対象化的発語 |
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
|例     |乳幼児のふ|泣く・怒る・小|やあ! えっ? | 命題・陳述 |
|      |るまい・暴|踊り・満面の笑|すてき! やだ!| 文章記述  |
|      |力・握手 |み      |いいね!    |       |
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
  
 この整理にしたがって「沈黙」がどの行為(ふるまい)の段階をどのようにフォローするかについて重ね合わせを行ってみると――
 1の場合は、文字通り言葉はまったくか、ほとんど発せられない。言語表現としての沈黙が行動に置き換わっている状態ととらえられる。
 2の場合は、一般的には、感情の昂揚が言語の構成を困難にしている場合と考えられる。しかし単純にそう決めつけることもできない。これらの情動表現の結果として、沈黙が破られる場合もあれば、逆に饒舌な言葉を表出しているうちに、その流れの延長上で激しい情動の表現に移り行く場合もあるからである。
 3の場合は、とりあえず間投詞的な表現ばかりを例示した。これらの場合には、余計なことを言っていない、言う必要がないという発語主体の心境がまさに多くの「沈黙」を現出させているのだが、じつはこの範疇には、前に掲げた豊饒な文学的言語のほとんどが含まれることになる。そこではしたがって、実際に発語された言葉とその陰に当たる部分とがひっきりなしのせめぎ合いを演じているのである。
 4の場合は、一見「沈黙」の役割は後景に退いてしまっているように思える。しかし論理言語の場合でも、「沈黙」の効果というのはおおいに発揮されているのである
 それはまず、ある抽象レベルがどうしても必要とされるという意味においてそうである。論理的命題を述べるためには、そこで使われる語彙があらかじめ多くの外延(その語彙の概念に含まれる個々の物事)を含むので、その外延のひとつひとつにいちいち言及しているわけにはいかず、それらははじめから捨象されざるを得ない。またそれぞれの語彙の定義について、必ず一致した共通了解のもとに使われるとは限らない(むしろ人によって受け取り方が違うことの方が多い)ので、厳密に考えれば、一つ一つの語彙の定義から始めなくてはならないはずだが、論述が長くなれば、そんなことは事実上不可能である。つまり定義は、議論が混乱して袋小路に入った時にようやく呼び出されるが、ふだんはだいたい見捨てられている。それでも漠然たる理解が共有されていれば、語彙の連結のさせ方、文脈の構成の仕方によって、ほぼ誰にとっても納得のいくような論理命題に収斂させることは可能なのである。
 たとえば、三段論法の例として有名な次の論述を取り上げてみよう。

 すべての人間は死ぬ。ソクラテスは人間である。ゆえにソクラテスは死ぬ。

 まずこの論述では、使われている言葉について、少なくとも四つの語彙の概念が自明の前提とされている。すなわち、「すべて」、「人間」、「死」、「ソクラテス」がそれである。
 しかし「すべて」という概念は果たして自明だろうか。その対象となっているものが含まれるある範囲や境界を想定しなければ、「すべて」という概念は使えないのではないか。「この箱の中にあるすべてのモノ」「人間社会で起きるすべてのコト」というように。
 また、「人間」とはどういう存在を指しているのか。ごくありていに言って、この言葉は、生物としてのヒト、社会的政治的存在としての人間、ひとりひとりの個人というように、いくつにも使い分けられる。そうした使い分けはここでは意識的に捨象されている。そもそも人間とは何かというのは、私たちにとっての最大の謎である。
 また、「死」という言葉も、生物的な個体としての解体を意味するのか、共同存在としての人間の崩壊を意味するのか、もっと一般的に、諸物の解体・滅亡を指しているのか、必ずしも明らかでない。そもそも人間の死に限ったとしても、それをどう解釈すべきかには、いくつもの考え方があるだろう。
 さらに、「ソクラテス」とは誰のことか。その人は存在しているのか、したのか。歴史の知識を信じるのでない限り、その存在は保証されない。保証されなければ、論理言語の道具として使うことは出来ないだろう。あるいは、ある人にとっては、それは固有名を持った生身の個人を指すかもしれないし、別のある人にとっては、人間の一サンプルを指すだけかもしれない。また別のある人にとっては、「こういうことを言ったりしたりした人」を指すかもしれないし、またまた別のある人にとっては、特定の「思想」を指すかもしれないのである。
 こうした理屈を述べ立てているかぎり、上記の論理命題は成り立たなくなってしまう。という意味は、いくらでも疑義を申し立ててその言い分を混乱させる余地が残されているということである。
 だがそれではもちろん、論理言語は有効に作用しない。その中で使われている語彙の概念が、それを流通させる人々の間ですべて自明であるという前提が必要なのだ。しかしその事実はいちいち語られない。ある言葉についての知の一般性と、それぞれの言葉のもつ抽象の水準と、それらが一定の文脈のなかでどういうニュアンスや強意を込めて使われているかということについての共通了解がなければ、論理言語ははたらかないのである。そこには暗黙の了解が生き生きと動いている。つまりは「沈黙」が作用しているのである。
 加えて、もっと大事なことは、この論理の要をなす「ゆえに(だから)」という結合辞自体が、一つの大きな飛躍を含んでいるという事実である。
「ゆえに」という言葉はもともと、「水をまいたのでもないのに庭が濡れている。ゆえに雨が降ったに違いない」とか、「信号が青になった。ゆえに進んでよろしい」というように、過去の経験則から導き出された認識と判断であって、それ以上のものではない。「三角形の内角の和は二直角である。ゆえに直角三角形の直角以外の二角は鋭角である」というような数学的な論理の場合でも、これを聴いた人が、典型的な図形を思い描きつつ観念の中でその言明の進行をなぞる(行動する)のでなければ、けっして納得されないだろう。
 本来この言葉は、行動指針のために使われるようになった結合辞で、多くの人の共通の行動に役立つなら、時と場合に応じていくらでも呼び出されるし、またその結合される二つの材料はいくらでも恣意的に選択されうるのである。だからヒュームのような懐疑論者が皮肉たっぷりに「あれの後にこれが起きた。ゆえにあれがこれの原因である」という言葉を持ち出すこともできたのである。
 ソクラテスの例の場合も、もしかしたら死なないソクラテス(なる人物)がいるかもしれないという論理的可能性は、あらかじめ排除されている。ソクラテスが死ぬという結論を導くために、二つの前提が必要だったのだが、「ゆえに」がそれらを選び出して結合しなかったら、両者はそれぞれバラバラな命題として投げ出されていただけで、そもそも「前提」とはなりえず、論理的筋道の構成要件となることはなかった。したがって、ここには、二つのものの因果的総合という飛躍的な「言語行為」が沈黙のうちにひそんでいるのだ。
 以上のようにして、論理言語もまた「沈黙」によって大きく支えられていることがわかる。

 また、感情言語と論理言語という区分は、明瞭には成り立たない。感情が何もこもらない論理表現というのはないし、一定の形式さえ具えていれば逆もまた真で、論理が何もない感情表現というのもない。
 たとえばあなたは、「一足す一は二である」という論理命題には何の感情もこもっていないではないか、というかもしれない。
 しかし第Ⅰ章の「言語の本質」のところで述べたように、そもそも言語とは、関係の創造や維持や破壊を目指した自己投企なのであるから、「一足す一は二である」という発語そのもののうちに、それを知らない人を、その知を共有する人々の世界へといざなう意味、話の参加者をして次の論理へ進ませるための共通確認の意味、論理の自己確認を通して共同世界への参入が保証され、それによって自らを安心させる意味、等々が含まれているのである。これはじゅうぶん感情的なことである。感情が沈黙の様態を取って論理を支えているのである
 あるいはあなたは、「悲しくて悲しくてやりきれない」という感情表現にはどんな論理が含まれているのだと問うかもしれない。
 しかしここには、「私」の状態を対象化して、なるべく正確に把握しようという論理志向が立派にはたらいている。それは、「この生物は、モリアオガエルによく似ているが、赤い斑が入っているので新種かもしれない」という陳述と構造的に何ら変わるものではない。「悲しみ」という自己措定において「私」は客観的に照らし出され染め上げられているのだし、「やりきれない」という表現によって、さらにその様態が、未来への展望(のなさ)という行動(不)可能性を持つことが精確につかまえられているのである。だからこの場合には、先の場合とは逆に、論理が沈黙の様態を取って感情を支えているのである
 
(第Ⅱ章・了)


*今回で、「日本語を哲学する」の「第一部 総論」を終わります。この後、「第二部 各論」に進み、そこでいよいよ日本語の具体的なあり方を哲学的に論じていく予定ですが、現在まだ準備不足のため、しばらくこのシリーズは休載いたします。どうぞご容赦ください。

日本語を哲学する26

2015年09月03日 22時12分50秒 | 哲学

 以上のような例のほかにも、黙っていることが言語的な意味を表わすケースというのは、数限りなく想定することができる。
 たとえば――
・相手を軽蔑しているので、相手が何を言っても冷ややかに無視している場合
・相手が何を言っているのかよくわからないので、ボーっとしている場合
・ヘマなことを言ったり、つまらないオヤジギャグを飛ばしたりした後に座がシーンと白けてしまう場合
・相手の勢いに気おされて黙ってしまう場合
・突然の不幸に見舞われた友人のもとに駆けつけたが、あまりのことに友人に言葉をかけることができない場合
・他の人に累が及ぶことを配慮して、その人にかかわるあることを口にしない場合
・一座の和を乱すことを考えて出しゃばらないようにしている場合
・黙っていた方が態度として美しく立派であると感じられる場合
・メール交換を続けていたが、このへんで断ち切らないとお互いの感情がもつれてしまうと判断して、相手を傷つけないかを忖度しつつ、途中でやめる場合……等々。

 もはやいちいちこれらの意義を例証する煩に堪えないが、いずれの場合にも、そこにそれぞれの沈黙の「言語的意味」がせり出していることは明瞭である。
 一般的に言って、沈黙の言語的意味について考えるには、言語活動の資格を持つ者のうち、聞き手、読み手の側にとっての意味についても押さえておかなくてはならない。つまりこちらの発信に対する相手の沈黙は、こちらにとっての了解または誤解、共感または猜疑などの生みの親でもある。
 相手の沈黙によって、自分の言いたいことや思いを相手が理解してくれたとわかる場合もあれば、黙っているその表情次第では、相手がこちらの発言に対していやな感情を抱いたのではないかと疑りたくなる場合もある。
 相手の沈黙が何かを雄弁に語っている(ように思える)ことがあるという意味において、ここでも沈黙が言語的意味を持つことが証せられるのである。
 要するに、あらゆる言語的コミュニケーションにおいて、沈黙は常に発語と隣り合わせているのであって、言葉の選択行為そのもののうちに、選ばれないで捨てられた「まぼろしの言葉」が同時存在するのである。ある場においてある言葉を発したということは、すなわち、別のある言葉を発しなかったということである。発語された言葉は、沈黙に取り囲まれて、あるいは沈黙に引きずられて初めて成立する、と言い換えてもよい。

 さてこの発語が沈黙に取り囲まれて、あるいは沈黙に引きずられて成立するという一般的事情のうち、両者が言語主体の存在状態そのものとどのように対応しているかという点に着目してみよう。
 ごく簡単に言えば、発語は、主体どうしの「距離」が近すぎても遠すぎても成立しない。適切な距離において、その距離に適応した発語がなされるのである。
 この「距離」という概念は、物理的距離と精神的距離とに分けて考える必要がある。
 前者は、文字通り、身体間の距離であって、原始的な状態では、目の前にいないで離れている人、遠くにいる人には発信できないし、身体をぴたりと接触させている時というのは、抱擁や暴力沙汰や格闘技や性行動のような場合であるから、発語は事実上不要であるか、または最小限度に抑えられる。
 後者の精神的距離については、次のようなことが考えられる。
 発達した文明状態では、物理的な意味での身体間距離はさほど問題にならず、原理的には宇宙空間にいる人物とも交信が可能である。したがって、ここでの「距離」とは、①それぞれの個人主体の心理的距離、②言語共同体間の文化的距離、③その両方、のいずれかを指している。
 これらの場合において、距離が近すぎても遠すぎても発語が成立しないということの意味は、近すぎる場合には、あまりに分かり合えているために余計な言葉が必要ないということであり、遠すぎる場合には、言葉が通じないことが骨身にしみてわかっているために、はじめから発語を断念するということである。



                /\
               /  \
              /    \
       ←―――――――  発語  ―――――――→
        ←沈黙   \    /  沈黙→
 言葉以前の通い合いがある \  /  通じないので断念する
                \/



 さらにこれを上記①②に即して整理すると、以下の表のようになる。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
|              |  近すぎる      |   遠すぎる   |
|―――――――――――――――――――――――――――――――――――-――――――――――――-――――
|①個人主体の心理的距離   |例:愛し合っている二人 |例:見知らぬ人どうし|
|――――――――――――――――――-―――――――――――――――――-―――――――――――――-―――
|②言語共同体間の文化的距離 |例:同じ村の住人    |例:異国人どうし  |
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 

日本語を哲学する23

2015年06月02日 17時52分33秒 | 哲学
日本語を哲学する23




 さて、散文(小説)における「沈黙」の効果の例を挙げよう。これはおそらく枚挙にいとまがないだろうが、ここでは、時代小説作家・藤沢周平の一作品だけを取り上げることにする。
 藤沢は、下級武士や町人、博徒など、権力者でも英雄でもない生活者群像の切ない生涯を一貫して扱い、非情とも見える切れ味の鋭い文体と、主人公たちへの温かく深い人間洞察とを両立させることに成功した。彼の初期の傑作に、史実に基づいた『又蔵の火』という綿密に描かれた暗い作品がある。史実を素材としてはいるが、ここには藤沢ならではの文学的解釈が躍如としている。しかしその解釈は、はっきりと示されてはいず、よく実際の文章を味読しないと見えてこない。
 おそらく彼は鴎外の時代物や史伝小説に大きな影響を受けているが、鴎外よりも作品構成の技量において立ち優っているように思える。しかもその筆致は、鴎外ほど淡々としてはいず、より劇的な感動を読者に与える。だがその感動は、大げさな身振りによってではなく、まさに「沈黙」の効果を通してもたらされるのである。このことを、本編の筋をやや詳しく紹介しながら解説しよう。

『又蔵の火』はそう長くない作品(四百字詰め原稿用紙で150枚程度)だが、人間関係はけっこう複雑であり、またこれを説明しないと、この作品の勘所をうまくつかむことができない。
 主人公・又蔵は、百五十石取りの庄内藩士・土屋久右衛門(本家ではない)の妾腹の子であり、その四歳上の兄・万次郎は、放蕩にうつつをぬかし、土屋一門の鼻つまみ者となっている。
 時は三十年近くさかのぼるが、久右衛門の嫡男・八三郎は二十二歳ですでにこの世を去り、妻女・見代野もすぐ後を追った。家系が絶えることを憂えた久右衛門は、知り合いから才蔵と九十尾を夫婦養子として迎え、みずからは隠居して妾を持った。その子が万次郎と又蔵である。養子の才蔵は律儀な男で、二人を土屋家に引き取り、文武両道に励ませることを怠らなかった。またゆくゆくは万次郎を、自分の娘・年衛(万次郎の義理の姪に当たる)とめあわせることを久右衛門に願い出て、久右衛門の快諾を得る。
 ところが立派に成長した万次郎の素行が突然乱れ始める。周囲ではその理由がわからず当惑するが、いくら父と才蔵が諌めても一向に改まる気色がない。やがて久右衛門が死ぬと、その乱脈ぶりはいっそうひどくなった。才蔵は江戸出府のためいつも彼を見張っているわけにはいかない。何度目かの帰郷の折、ついにたまりかねて万次郎を座敷牢に閉じ込める挙に出る。このままでは土屋家の家名に傷がつくことを恐れたのである。
 又蔵はひそかに万次郎を牢破りさせ、二人つるんで出奔する。行方知れずとなって一年ほどがたち、才蔵は十七になった娘の年衛に、黒谷家の次男・丑蔵を婿に迎える。丑蔵は剣術の達人で性格も真面目一徹、万次郎・又蔵兄弟の義理の甥に当たるが、年は万次郎より三歳上である。土屋家は血のつながらない跡取りを得たことになるが、それでも一族は安堵した気分だった。
 一方、江戸へ向かう途中で路銀が尽きた万次郎は金策のため庄内に戻ると決め、又蔵は宇都宮で待つことにした。しかし一向に帰ってこない万次郎の消息を案じて故郷近くまで戻り、兄のかつての友人・石田の元を訪ねると、兄が近い親戚の三蔵(おそらくもう一つの土屋分家の嫡子で、兄弟とは従兄筋に当たるのであろう。彼も万次郎の三歳年上である)と丑蔵とによって殺されたことを知る。しかし二人は積極的に殺したのではなく、万次郎の帰郷についての密告を受けて穏便に連れ帰る途上、隙を見せた丑蔵への万次郎の不意の襲撃から自分たちを防衛するためにやむなく殺したのだった。
 又蔵は、深い衝撃を受ける。いくら放蕩三昧で土屋家の厄介者になっていたとはいえ、「盗人にも三分の理」があるだろう。一族の誰にも理解されなかった兄。彼の中に兄に代わって無念を晴らそうとの火が燃え上がる。仇討ちを決意した彼は江戸に剣術の修行に出るが、十分に熟達したとは言えない段階で師匠に事情を打ち明け、目的を達するために帰郷する。昔又蔵の乳母を務めた女の夫・源六の家にしばらく寄寓して機会をうかがう。源六の家には十六になる娘・ハツがいる。又蔵は自分の幼いころに乳母の背に負われていた赤子を思いだす。
 やがて又蔵は、情報を得て丑蔵を総穏寺付近で待ち伏せ果し合いを申し出る。はじめは取り合わなかった丑蔵も、又蔵に卑怯者呼ばわりされた上に執拗な食い下がりに会い、ついにこれに応じなければ武士の名が廃ると臍を固める。街路と寺内での凄惨な争闘の後、もはや二人とも絶命するほかはなしと悟った丑蔵は、たまたま通りかかった番頭(ばんがしら)に差し違えの見届け役を頼む。二人はすでに朦朧とした意識のまま、万次郎の墓前まで互いに寄りすがるようにたどり着き、そこで相果てる。役人に届けられた又蔵の荷物の中に願書が二通あり、一方には、丑蔵を討った後、三蔵とも勝負することを願い出る旨のことが書かれてあった。
 ハツは、その日の日暮れ、ずっと庭に立ちすくんで野面の一本道を見つめ続けていたが、歩いてくる若者の姿はなかった。

 この作品は、源六の家に滞在することになった若者が路上で凶暴な野犬を一刀のもとに切り捨てる光景を、用向きから帰って来たハツが遠目で見届けるところから書き出されている。その若者の殺気にただならぬものを感じたハツは、彼に強い関心を抱き、父親に委細を問いただそうとするが、源六は本当の事情を知ってか知らずか、要領を得ない答しかしない。ハツがその説明に満足していないことは明らかである。ハツの若者に対する関心は、又蔵の尋常でない覚悟への直感に裏付けられてはいるが、そうであればこそ、それは急速に育った乙女の恋心だといっても過言ではない。恋心といってもし軽薄に響くとすれば、又蔵の鬼気迫る様相に強く魅せられ、金縛りにあうように彼の一挙手一投足に思いを懸けるようになったのである。
 藤沢はそれが恋だとは書いていず、結末部分で「一日中、その心配で胸を騒がした」としか表現していないけれども、まさしくこの結末の描写と冒頭場面とを巧みに呼応させる構成によって、ハツの強い懸想を暗示しているのである。ここにまず第一の「沈黙」が響いている。野暮なことを書き添えるなら、恋をした女性はその対象に対していかにもこうした「心配」の仕方をするものだ。
 もっと重要なのは、万次郎の死を雪ぎたいという又蔵の一途な決意が、一見したところでは、さほどの強い説得力を感じさせるようには表現されていないことである。先に述べたように、万次郎は理不尽に殺されたのではなく、むしろ仕掛けたのは万次郎のほうだった。またたとえば石田の話を聞いて又蔵の心中にほむらが燃え上がる場面でも、次のような抽象的な描写に終始している。

「もともと万次郎も悪いのだ。土屋の家では手に余ったろう。俺の家で俺をもて余したようにな」
「解っております。しかし殺さなくても――よいと存じます」
 虎松(又蔵の幼名――引用者注)は石田から視線をはずした。底深いところから、隙をみて噴き上げて来ようとする乱れた感情があって、それをこらえようとすると唇が顫えた。

 虎松は顔を挙げた。
「私は江戸へまいります」
「江戸へ? 何しに行く」
 疑わしそうに、石田は虎松を見た。
「兄が行きたがっていましたゆえ」
 咄嗟に行ったが、それは嘘だった。万次郎が江戸へなど行きたがらなかったことを、虎松はよく知っている。
 国元を抜け出し、福島まで来てそこで路銀を使い果たしたとき、ひとまず国へ帰ろうと言い出したのも万次郎だったし、宇都宮まで来ていながら、国元に金策に帰ると言い出したのも万次郎の方からだった。なぜかは解らないが、万次郎の顔がいつも遥かな庄内領の方を向いているのを虎松は感じていた。
 ――その庄内で殺された。
 不意に衝きあげてきた、憤怒とも悲しみともつかない目が眩むような激越なものを、石田の目から隠すために、この無口な少年は、生まれてはじめてともいえる意識的な嘘をついた。


 また、石田の家を後にして南へ下り、金山峠でしばしの時を過ごして回想に耽り、いよいよ故郷に再び別れを告げる場面では、次のようにその思いがつづられている。

 不意に虎松が鋭く眉を顰め、握り飯から顔を離した。
 ――兄の死を、悲しんだものは誰もいなかっただろう――
 この思いが胸を抉ったのである。土屋家の放蕩者が死んだことで、人々はむしろ安堵し、その死はすばやく忘れ去られつつあるだろう。兄が落ちた地獄の深みを測るものもなく、ましてその中で兄が傷つき、罰されていたなどと僅かでも思わず、たまに思い出しても、つまみどころもない遊び者だったと顔を顰めて噂をするだけなのだ。≫
≪ 石田から兄の死を聞いた時から、心をゆさぶっている暗い衝動が、少しずつ明確な形を整えてきているのを虎松は感じた。
 ――兄に代わって、ひとこと言うべきことがある……
 その気持ちが強くした。一矢報いたい、と言いなおしてもいいと思った。兄がしたことを、いいことだとは思わない。だが放蕩の悦楽の中に首まで浸って満ち足りていたという人々の見方も、正鵠を射てはいないのだ。兄はときに悲惨で、傷ましくさえみえた。人々はそのことに気づこうともしなかったのである。
 ――盗人にも三分の理か――
 それでもいい。その三分の理を言わずに済ますことは出来ないと虎松は思った。
 仇を討とうなどという思案はやめろ、と言った石田の声が甦ってきた。そう言われたとき、虎松は復讐を考えていたわけではない。だがいま押えようもなく募ってきているのは、紛れもなく復讐の意志だった。


 さてこれだけ書かれていても、命を捨てて仇討に踏み込むための理屈は一応わかるものの、又蔵(虎松)の執念の根源にまで得心がいくとまでは言い難い。以上の部分では、又蔵の意識的な心理の過程を追いかけているだけだからである。それは、だれも兄の放蕩の内に秘められていた内面の苦悩をわかろうとしなかったという形でまとめられている。そうして藤沢は、この部分では、又蔵の心理過程からその苦悩の「意味」をそれ以上追いかけることをしていない。ここに、牢破りを率先して助けるほどの幼いころからの強い兄弟の絆というような、外部からの解釈を補助線として引いたとしても、又蔵の暗い情熱の由来を本当に探り当てたとまでは言えないだろう。それを探り当てるには、又蔵の仇討ちへの執念と万次郎の遊蕩への急激な傾斜との間に、ある必然的な連関が見出されるのでなくてはならない。
 このために藤沢が記すのは、又蔵のある記憶であり、万次郎の庄内への已みがたい思いであり、複雑な親族関係の記述であり、そうしてはじめの方に出てくる、当時の中級下級藩士の次男、三男が置かれた境遇についての説明である。以上四つは、一見、又蔵の執念という個人的な心理とは直接のかかわりがないかのように書かれている。つまりそこには作者の意識的な「沈黙」がある。しかしよくこれらをつなぎ合わせてみると、その執念の由来がしだいにくっきりと浮かび上がってくるのである。


*次回も『又蔵の火』について論じます。

日本語を哲学する22

2015年05月13日 21時23分32秒 | 哲学
日本語を哲学する22




 次に、文学表現において、「沈黙」が美学的・芸術的な観点から見てきわめて効果的な役割を演じているケースについて考えてみよう。
 まずわが国の短詩形芸術の代表である短歌や俳句では、それぞれにその質は大きく異なるが、いずれも言葉の贅肉を意識的に削ぎ落として、限られた定型の文字数のうちに「こころ」を歌いこむ(詠みこむ)という点では共通している。「沈黙」あればこそその作品の価値が支えられるのである。
 短歌の場合には、景物や事実のみを歌いつつ、「嬉し、哀し、はかなし、さみし」などの思いを直接に表出せずに伝える類の歌に、ことにその特徴があらわれる。ここでは、そういう歌いぶりの面からのみ、秀歌と思える例をいくつか挙げてみる。たとえば実朝『金槐集』より――

 夏山に鳴くなる蝉の木がくれて 秋ちかしとやこゑもをしまぬ

 ものゝふの矢なみつくろふこての上に 霰たばしるなすの篠原

 五月やま木のしたやみのくらければ おのれまどひてなく郭公(ほととぎす)


 実朝の歌は「自分だけがこれを感じ取っているのではないか」という孤独感をにじませた歌が多いが、ここに挙げた三首も、そういう繊細な感性を突き詰めたものが感じられる。
 一首目。姿も見せずに「こゑもをしま」ず鳴きしきる蝉たちよ、お前たちは秋(死のメタファー)が近いからこそそうするのかという呼びかけは、それがそのまま自分の心境とシンクロしていることがすぐにわかる。しかしそうはっきりと言わずにむしろ素直に感じたままを表現することで、かえって歌人の「こころ」が見えてくる仕掛けになっている。
 二首目。著名な歌である。戦いを控えて勢ぞろいする「ものゝふ」たちの武装した姿を霰が激しくたたき、これから命をかける厳しい雰囲気がいや増さるという情景だろうか(別の解釈も可能である)。鑑賞する側にまで武者震いが伝わってくるようだ。しかし歌人の歌い方はことさらな情をこめずに淡々と目に映るさまのみを描写している。それでこそこの歌の厳粛な印象が鮮やかに刻み付けられる。
 三首目。「木のしたやみのくら」さと、「郭公」の鳴き声とは直接のかかわりはなかろう。だがそれをあえて有情の「まどひ」として連結させているのは、歌人の独特な感性であって、そのリリシズムには、ただしどけなく情に流れるのではない、抑制された知性がうかがわれる。




 次に、西行『山家集』より――

 かりがねはかへるみちにやまどふらむ こしの中山霞へだてゝ

 ながめつるあしたの雨のにはのおもに 花の雪しく春のゆふ暮


 西行の歌は、景物を歌いつつひそかにそれに心を託すのではなく、むしろそれを強い自意識のもとに心象風景として囲い込んでしまうものが多く、じっさい「心」「わが身」「思ふ」などの句がセンチメンタルと評してよいほどに頻出する。だから、ここでの「沈黙」による美学の例としてはふさわしくないかもしれない。しかし、その西行でさえ、上に挙げたような歌が散見されるので、やはり一見単なる自然詠と見えて、そこに彼自身の心情が黒子のように歌全体を支えているのがわかる。だからこそ、ここに例示する意味があるとも言えるのである。
 一首目。心が曇ってこれからどう人生の帰路を求めてよいのか決めあぐねている歌人自身の「まどひ」が、「かりがね」の渡りの道を塞ぐかに見えるはるかな山の霞という喩によって巧みに表現されている。
 二首目。朝降った雨で濡れている庭のおもてを、「ゆふ暮」には(おそらくはその雨によって)散ってしまった桜の花びらが一面に覆っている。「ながめつる」というからには、歌人は朝から夕までじっとひとところで時を過ごしていたのかもしれない。実際にそうではないにしても、ここには、同じ空間におけるそういう時の移り行きがそのまま歌いこまれている。濡れた庭を散った花びらが覆っているさまは、それだけでもうつくしく情趣が深いが、そこに「あした」から「ゆふ暮」までの時の流れを重ね合わせたところに、歌人の世をはかなむこころがさりげなく映し出されている。

 次に俳句についても一言しておこう。
 言うまでもなく、俳句は情景のワン・ショットのうちに、「声」や「静寂の余韻」や「語られなかったもの、語れば野暮になるもの」を豊かに内蔵している。鑑賞者のほうもそれを感じ取る極意のようなものが要求されるので、一見形だけはすぐに整えられて安直なように見えながら、じつは難解な芸術形式と言えるだろう。




 ここでは、絵画的(あるいは写真的)な美の印象を強く焼き付ける蕪村の句を取り上げてみよう。

 菜の花や 月は東に 日は西に

 さみだれや 大河を前に 家二軒

 月天心 貧しき町を 通りけり


 第一句。日が沈むころに出る月は満月か、それに近い月である。薄暮が迫る広野にいっぱいに咲く菜の花。天界と地上とを一気に視野に収めた雄大な句である。この雄大さを絵や写真に収めるのはとても難しい。しかし、一人の人間にとっては、くるりと首を回すだけで一瞬にしてそれを視野に入れることができるのだ。「自然にじかに接している生身の人がいる」という事実の重要さを、この句は「沈黙」によって教えていると言えるだろう。
 第二句。これも作者の視点とその心をよく想像させる作品である。水かさを増した大河の前に心細そうにたたずむ小さな家が二軒。危ないな、大丈夫かなと心配している蕪村の位置は、家々よりも少し高いところにあるだろうか。しかしその心は、あまり豊かではないであろうこの村の家々の住人の生活意識へとまっすぐに通じてもいるのだ。まったくの写生的な句でありながら、そういう人間的な共感を直ちに呼び起こす効果を醸し出している。さらに蕪村の胸には、世間の荒波に直面しながら、か弱くひっそりと、それでもけなげに生き抜こうとする一対の男女の姿が去来していたかもしれない。同じく五月雨を詠んだ芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」よりもはるかに優れた句であると私は思う。
 第三句。「貧しき町」を通っているのは、中天にかかる月だろうか、それともこの風景のさなかをそぞろ歩きしている俳人自身だろうか。私には、その両方であるように思える。
 月明かりに青く照らされることで、町の貧しさがいっそう心に沁みとおってくる。俳人自身が町の路地を通りぬけていなければその感興は胸に強くは響いてこないだろう。だがいっぽうで、先の「さみだれ」の句と同じように、鳥瞰的な視点から「貧しき町」への思いをあれこれと巡らしている蕪村がいるとも考えられる。その場合には、彼は町を優しくゆっくりと見守る月にそのまま同化しているのである。この二重化された視点が短い句のなかに凝縮されているのだが、そのこと自体は句には明示されていず、沈黙のままに鑑賞者の味わいの力にゆだねられているのである。

日本語を哲学する21

2015年05月07日 18時10分01秒 | 哲学
日本語を哲学する21




「沈黙」という概念を、会話の中で実際に黙っていることに限定しなくともよい。それは、ある言い回し、特に慣用的な表現の周辺を黒子のような役回りで漂っていることがあるし、また、文字表出で埋め尽くされている文章表現、特に文学において、美学的・芸術的な観点から見てきわめて効果的な役割を演じていることがある

 たとえば、これはすでに第Ⅱ部で予定している日本語論の領域に踏み込むことになるが、「しょうがない」という言葉は、日常生活でいろいろなニュアンスを込めてごく頻繁に使われる。

「しまった、財布、忘れてきちゃった!」
「なんだ、買えないじゃないか。しょうがないな」


 この場合は、困惑と非難・叱責の意味合いが色濃く出ているだろう。

「彼女に振られちゃってさ」
「しょうがない。あきらめるしかないな」


 この場合は、この先打つ手がないことがかなりはっきりしているので、断念を勧めつつ、そこに慰めの意味も込めている。

「大事な仕事が入っちゃったんで、そっちを優先させないと」
「しょうがない。ぐずぐずせずに連絡すれば」


 この場合は、他に道がないので早く選択の決断をすべきだと促している。

「あそこは道路がまだ通っていないからしょうがないんだよ」

 この場合は、抵抗の存在による行動の不能を表現している。

「今度入社してきたA、使えねえよ。まったくしょうがないやつだ」

 この場合は、その対象とされている人物やモノに価値がないことに対して、憤りや突き放しの気持ちが込められている。

「あの時、もう少し私にお金があったらね」
「そんなこと言ったってしょうがないだろ。君には君の事情があったんだし、それにもう過ぎたことだ」


 この場合は、「後悔先に立たず」の教訓を説いている。

 こうしてこの「しょうがない」という言葉は、日本的な諦念の思想を中核に据えながら、時と場合に応じて、過去を振り返らず未来の行動へいち早く気持ちを切り替える促しを表現するかと思えば、抵抗があるために克服不能であるという意味合いも持つし、また未練や憤りなどの感情表現として姿を現すこともある。つまりこういう使用実態をいろいろと検討してみると、「しょうがない」という慣用表現は、そう発語されない陰翳の部分、つまり「沈黙」によって全体の適用範囲が支えられていることがわかる。その場合、どの意味合いに確定されるかは、文脈と発語の調子に依存していると言えるだろう。

 もうひとつ例を挙げておこう。
おかげさまで」という言葉がある。この言葉は、無事何ごとかが成就した時に何者か(普通は世話になった相手)に向かって感謝の気持ちを表す表現だが、考えてみるとなかなかに玄妙と形容すべき言葉である。その玄妙さは二つの面に現れている。
 まず第一に、いま私は「何ごとかが成就した時」と書いたが、この言葉は必ずしも特定のものごとの成就の際にのみ使われるのではなく、平々凡々たる暮らしがつつがなく送られているときにも「おかげさまで何とかやっています」というような使われ方をする。いわば「おかげさま」は西洋における「神」に匹敵するといってもよい。西洋人もまた、一日の終わりや食事の前などに、神への感謝の祈りを捧げる習慣を続けてきた。「おかげさまで何とかやっています」には、これと共通する心情が認められる。
 もちろんそれは、西洋の「神」のように唯一神信仰としての超越的な強度を保持してはいず、何となく私たちの周囲でいつも見守っていてくださる祖霊であったり、自然や家屋のどこそこ、厨房や便所に宿っていたりする、身近で親しみのある雰囲気を備えた神さまである。しかしじつは西洋の場合も、信仰心の一番素朴な(原始的な)情緒の層まで降りてみれば、これと事情は同じであるに違いないと私は考えている(例:マリア信仰など)。世界共通の素朴で具体的な信仰心(人間に特有の生の不安を自己慰撫しようとする心、周辺世界を自分たちにとっての物語で彩ろうとする心)を基盤として、そこに特定の文化風土に根差した抽象化による統合を施したところに、一神教的な表象が成立したのであろう。わかりやすくたとえれば、世界への人間の水平的なかかわり意識を、垂直的なものに仕立て上げたのである。この仕立て上げは、その文化風土にとって必然的であった。
 ところで、試みにインターネットの「語源由来辞典」でこの「おかげさま」という言葉を引いてみると、次のように書かれている。

 おかげさまは、他人から受ける利益や恩恵を意味する「お陰」に「様」をつけて、丁寧にした言葉である。
 古くから「陰」は神仏などの偉大なものの陰で、その庇護を受ける意味として使われている。
 これは、「御影(みかげ)」が「神霊」や「みたま」「死んだ人の姿や肖像」を意味することにも通じる。
 接頭語に「お」がついて「おかげ」となったのは室町時代末ごろからで、悪い影響をこうむった時にも「おかげさま」が使われるようになったのは江戸時代からである。


 この記述で興味深いのは、真ん中の二つの文である。神仏の名を直接呼ばわってそのご加護を表明するのははばかられるので、その姿の「影」のお裾分けを自分もまた与っているというわけであろう。また、死者の肖像を「みかげ」(現代では「遺影」)と呼ぶのも、柳田国男などが強調した日本の祖霊信仰、死んだ近親者に対する尊重の気持ちの強さに結びつくので、言われてみればたいへん納得がいく話である。
 第二の玄妙さは、同じことだが、この言葉が、必ずしもお世話になった直接の相手をいつも指しているわけではないという点である。

医者「どうですか、調子は?」
患者「はあ、おかげさまでだいぶいいようです」


 この場合、常識的に考えて、患者がおかげをこうむっているのは、診察してもらっている医者ということになる。しかしこうした場合でも、感謝の対象は目の前の医者だけに向けられていると考えると、この言葉の含みや広がりを包摂したことにならない感じが残る。貧しいイスラム教徒に乞われて金を施すと、彼らは金をくれた人に感謝の情を表さずに、何よりもまずアッラーに感謝するという話を昔聞いたことがある。話してくれた知人は苦笑していたが、これはあながち見当違いな態度とは言い切れない。このケースを一つの極点と考えると、もう一方の極点にもっぱら当の個人に礼を述べるという「近代」的な態度があるだろう。「おかげさまで」という言い方は、その中間に属するとみなせるのではないか。つまり、調子がいいのはもちろん医者の施療の「おかげ」なのだが、そういう出会いと仕合せにめぐり合わせてくれた何者か(神さまのようなもの)、そのぼんやりとした運命の連関に対しても「おかげ」をこうむっているという気持ちが、この言葉にはもともと込められていると考えられる。
 もちろんまた、先の「語源由来辞典」にあったように、「おかげさまでひどい目に遭いましたよ」などの皮肉な用法があるから、そこにもこの言葉のもつニュアンスの広さがうかがえるだろう。
 さてこのように考えてくると、「おかげさま」も、「しょうがない」と同じように、それが使用される文脈しだいで、さまざまな意味の広がりを持つことがわかる。そうしてその意味の広がりに力を与えているのは、その発声された言葉や文字面自体ではなく、むしろその言葉が背後に備えている陰翳の部分である。これを発語が沈黙によって支えられている一例と考えても、あながち牽強付会とは言えまい。


日本語を哲学する20

2015年04月18日 18時43分01秒 | 哲学
日本語を哲学する20




 発語あるいは沈黙の直接的な条件を規定し終えたところで、本題に戻ろう。先の「⑧現実場面における発語の断念(選択による沈黙)」にはどんな様態が考えられ、そしてそれぞれにはどんな意味が込められているだろうか。

【例1】山田太一脚本のテレビドラマ『ハワイアン・ウェディング・ソング』より。
 これは、結婚紹介所で知り合った三十代の男女の対話場面である。「新婦」の母親のやや強引な提案により、ハワイで結婚式を挙げることになったが、鳶職である「新郎」は、まだよく知りもしない人とそういうハイカラなセンスの結婚式を挙げるのは、自分には似合わないのではないかという違和感を感じつづけていた。そのため彼は、直前になって挙式をぶち壊してしまう。翌日、今後どうするかをめぐって、ハレアカラ頂上で再び「新婦」と二人だけで向き合う。以下、台本より映像描写についてのト書きの部分を省略して引用する。

A子:自分でも変なんだけど――
B男:うん?
A:ほんとは、ウンと怒って当然のことされたんだけど
B:(うなずく)
A:昨夜もいったように、気持ち少しわかるし――
B:――
A:どういう人かなあ、と思っていたのが、へえ、結構、自分がある人なんだって納得したような感じもあって――
B:――
A:一昨日(おととい)までより、今日のほうが、好きになってるような気もする
B:――(A子を見る)
A:でもまた、非常識なことするんじゃないかと思うと、怖いような気もするし(とちょっとはなれる)
B:しねえと思うけど――
A:分んない?
B:分んねえよ
A:結婚て、困るよねえ
B:(うなずく)
A:よく分んない人と一緒になるんだものねえ
B:(うなずく)
A:迷っちゃうよ(切実である)
B:(うなずく)
A:一人も寂しいしねえ(切実にいう)
B:(うなずく)


 この例では、短い対話の間に「――」と「(うなずく)」とが、じつに計十二回も用いられている。そしてそのほとんどが的確で必要不可欠な挿入と感じられる(なお私はこのドラマを実見している)。人間心理に通暁した山田氏の、心遣いあふれた作劇術にただ脱帽する。
 結末は、この場面での会話があったおかげで、二人の間に心が通い始め、もう一度浜辺で挙式をやりなおすというハッピー・エンドなのだが、そのことは措くとして、ここで問題にしたいのは、これらの「間」すなわち「沈黙」の意味である。先の「直接的な条件」の三つの規定にしたがって乱暴に総括すると、次のようになると考えられる。
 まず「気分」としては、切実な問題に向き合っているという情緒状態を共有しているために、言葉を慎重に選ぶ態度を強いられているということになる。会話をリードしているのはA子のほうだが、それらは一気に表白されるのではなく、常にたどたどしく、一歩一歩確認しながら言葉を継いでゆく形をとっている。B男の方もその気分に完全に同調して、事の切実さに真剣に向き合っているふうである。二人はまったく同じ「気分」のうちにあるのだ。この気分の共有にとって「――」や「(うなずく)」はなくてはならないものである。
 次に「関係」としては、一対一である、まだ知り合って互いに相手のことをよく知らない、これから結婚するはずの相手と向き合っている、などが考えられる。これらのために、会話の進み方はどことなくぎこちなく遠慮し合っているが、反面、互いに市井の片隅で生きている名もなき市民であるために、権力関係のようなものはなく、かなり気さくな言葉づかいにもなっている。だから、ここでの沈黙は、どちらかがそれを強いているということはなく、発語の流れから自然につながっている印象である。
 さらに「話題」としては、なんといっても昨日のB男の非常識なふるまいという強烈な前提があり、彼はそれに対してある後ろめたさも抱えているので、自分からの積極的発言は控えられている。二人の間には、結婚という重大な話題に関してぎくしゃくしてしまっているという共通了解がある。それで、A子が「一昨日までより好きになってるような気がする」と発言すると、B男は意外性を感じ、「話題」が、ただの重苦しさから微かな希望の芽生えへと転換してゆく。

【例2】会議の席上。数時間の話し合いのあと、決着がつかずに膠着状態が続いている。

議長:それでは議論も出尽くしたようですし、時間の関係もありますから、これから採決に入りたいと思いますが、何か他にご意見はありませんか。
会議出席者たち:…………


 この沈黙者たちの例では、「気分」としては、長い議論が続いたのでもうこれ以上話し合っても仕方がないやという、疲れや倦怠の空気が広がっている。また、あえてこの段階で異論を出して和を乱すことに対する勇気の欠如、なども考えられる。
「関係」としては、会議であること、そこに必然的に伴う権力関係、参加メンバーの気安さの度合い、人数などが大きく関与していると言えよう。さらにこれが日本人どうしの会議であれば、空気に迎合しやすい国民性がかかわっているとも想像できる。
 また「話題」としては、仮に何が話されてきたかについての理解に関しては問題がないにしても(あるかもしれないが)、事の決定が後々重要な意味をもつので、それぞれの立場での責任の自覚が、かえって沈黙を呼び起こしているとも考えられる。この場合、それぞれの思惑はさまざまだが、議長提案に対して「無言の同意」を与えているという点では共通の「話題」了解が存在しているのである。

【例3】友人二人がコーヒー店で会話している。

A:どうしたの、顔色が悪いよ。何かあったの?
B:……
A:なんでも聞くから言ってごらん
B:……
A:黙ってちゃわからない。全然驚かないし、怒ったりしないから
B:……
A:ねえ、私はあなたの味方よ。誰にも口外しないって約束する
B:……じつは……
A:うん?……
B:……やっぱり、いい
A:水臭いわ。十年来の友達じゃないの
B:じつは……ちょっとまずいことしちゃったんだ


 この種のケースでも、沈黙者に「言語的」とも「非言語的」とも言えるようないくつもの配慮が折り重なっている。そしてこの沈黙それ自体は、一種の言語表現である。それを支える配慮とは、「まずいこと」に対する呵責感や告白しようかどうしようか迷っている「気分」である。その迷いのなかには、この相手に告白しても後々余計まずいことにならないだろうかという心配もあるだろう。そこに注目すると、その心配は、この友人「関係」そのものの信頼の深浅によって規定されていることになる。また単に抱えている問題の重さのゆえに、文字通り「気」が押しつぶされて発語する決断に達しないと考えてもよい。
 また「話題」に関しては次のようなことが言える。Aは、Bの顔色を見て、「何かある」と判断し、Bもそう見抜かれたことを感じ取ったからこそ沈黙で応え、そのあとも沈黙を続けることによって、結果的にAに問い詰める態度をとらせている。本当に何もなければ即座に「いや、べつに」と応えるだろう。それでもAは、Bが応えるその言語的、身体的な「調子」次第によって、いや、これはやっぱり何かあるなという確信を抱くかもしれない。つまり、こうした会話の展開それ自体を潜在的に支えているものの一つが、「話題(Bがこれから話そうとしている話の中身ではない)」なのである。
 それらに加えて、この出会いがどのようにして行われたのか(どこかでばったり出会った、とか、Bのほうから「ちょっと会いたいんだけど」とあらかじめ電話してきたとか)などの具体的なきっかけも、「話題」のかたちで発語や沈黙のあり方を規定する。たとえばもし後者の場合なら、Bのほうは、自分から呼びかけたのだから話さないわけにはいかないという切迫感が伴っていようし、Aのほうは、漠然と相手の悩み事を想定する構えになっている。

【例4】夫婦が婦人服売り場で会話している。

A:これ、買いたいんだけどダメかしら
B:……
A:ねえ、いいでしょう
B:……そんなに似合わないと思うけど……
A:……そうかしら
B:ちょっと高いし
A:……それもそうね
B:……
A:あなた、ホントはそっちが心配だったりして
B:……いや、そんなことは……
A:大丈夫。私が貯金から出すわ
B:それもなあ……


 この例における沈黙では、特にBの「思考」に強く条件づけられている。Bは、明らかに内言によって何か考えているのだ。そしてこの場合、この内面での思考が、二人の「気分」をしだいにはっきりしたものへと形成させている。同時に夫婦という「関係」が沈黙を支えているとも言える。というのは、もしAとBとが恋人関係で、ショッピングを楽しんでいるのだったら、たとえBが本当に「似合わない」と感じたとしても、「もう少し探してみようよ」とかなんとかはぐらかすだろうし、いいところを見せようとミエを張るだろうから、財布の心配などけっして口に出さないだろう。「似合わない」という無遠慮な言い訳ができるのも、財布の心配を口にできるのも、日常生活を深く共有していることによる一種の許しが存在するからに他ならない。それはまさに、気の置けない夫婦という「関係」が自然に醸し出す一般的な「気分」としてすでに会話以前から表出されている(漂っている)。
 また、ここでは買うか買わないかが問題になっているのだから、「話題」、つまり言語活動そのものの中身やそれに付随する互いの身体的なふるまい方などが、会話の展開を大きく規定している。

日本語を哲学する19

2015年04月07日 13時45分50秒 | 哲学
日本語を哲学する19



 言語表現や沈黙表現の直接的な条件を以上のように分類整理すると、当然次のような疑問が生ずる。
 これらの整理は、発語や沈黙の混沌たる実態の記述としては、かえって「分断」になってしまって、どれかの頂点に属するはずのものが他の頂点に属するとも考えられるような場合がいくらでもあり得るのではないか。分析それ自体が混乱を惹き起こしはしないか。
 まったく妥当な疑問である。だが、一般に分析とはそもそも何のために行われるのだろうか。それは混沌たる事態を言葉によってとりあえず整理するためなのだが、じつはその「とりあえずの整理」は、再び綜合するという目的に向かっての手段なのである。手段が有効であるか否かは、いったん分析された各エレメントが、どのように再統合されるかにかかっている。私たちは、事柄のより深い理解に達するために、この「分析-綜合」のダイナミクスをいかにうまく成し遂げるかという試みを模索する以外に、さしあたり有効な方法をもたない。

 この場合に即して簡単に解説を施しておこう。

 三者の関係は、じつは相互規定的である。第一に「気分」と「関係」とは切っても切り離せない。たとえば、ある悲しみや怒りや不満の表出が、どのような形でなされるかは、それがどういう関係において行われるかによって大いに異なってくる。部下は上司〔という関係)の前では理不尽と感じられる指令に対して黙って従おうという意志をもたざるを得ないかもしれないが、家に帰って、その不満を妻(という関係)に対した時には「愚痴」という言語表現によってぶちまけるかもしれない。また逆に、ある「気分」は、「関係」そのものを規定する。上司に対する不満が鬱積していて、あるきっかけでついに爆発すれば、彼は「辞職します」ときっぱり言明することによって、上司-部下という関係を破壊するかもしれない。
 第二に「気分」と「話題」も、分かちがたく結びついて互いが互いを規定し合う関係にある。たとえば、疲れている時に難しい本を理解しようと挑戦しても、ただ眠くなるだけである。このように、ある「気分」は「話題」を規定する。逆に、誰かがうれしい知らせをもたらしてくれたという「話題」が成立すると、それまでの鬱屈した「気分」が一気に吹き飛んでしまうかもしれない。
 そして第三に、「関係」と「話題」についても同じである。お葬式で弔辞を述べるという「関係」のモードでは、どんな言葉を選択すべきかはおのずから限定されるので、そこではすでにある「話題」了解の仕方が成立していると考えられる。まさか「生前、私はあの人をずっと軽蔑していました」とは言うまい。逆に、何やら楽しそうに会話している人々が目の前にいるという「話題」了解があるとき、そこに自分も加わりたいと思えば、それが可能かどうかをめぐってその人々と自分との「関係」がどのようなものであるかを測定・判断せずにはいられない。赤の他人ならほおっておく(沈黙を守る)だろうし、親しい友人たちなら介入して話題を共有したいと思うだろう。
 これらの場合、「関係」についての判断のほうが「話題」了解よりも先立つと考えることもできるが、具体的な実態を微細に眺めるなら、測定や判断がもっと曖昧であるために「話題」了解よりも「関係」についての判断が後になるケースの方が意外に多いことに気づく。
 たとえば呑み屋で十人くらいの人数で歓談している時、話題はしばしばひとまとまりにならずに分裂する。そしてある瞬間、ある人が孤立するというようなことがよくある。隣の数人が盛り上がっている。さて彼がそれに加わろうかと思う時、ふと切れ切れに聞こえてくる話題からして、これは自分が加わってもいい「関係」かそうでないかという判断が訪れてくる。つまり、互いによく知り合った十人で飲んでいるという大枠の「関係」スタイルはもちろん既に成立しているのだが、もっと小さな枠組みの「関係」スタイルがそこで成立していることに気づくのは、漠然たる「話題」了解を経た後のことである。
 家族関係の内側での両親と子どもの関係、タイトルに惹かれて買ってきた本を読みはじめたら、これは自分の読むような本ではないと感じたとき(いうまでもなく、読むことは対話することである)、などにおいても、同様に、「話題」了解のほうが「関係」判断に先立っているのである。前者の場合には、親の会話に割って入ろうと思った子どもが、話されている言葉群やその調子の漠然たる察知に基づいて、大人と子どもとの断絶(という関係)をそのとき意識するのだし、また後者の場合には、タイトルから想像される「話題」のイメージがまずあり、それにもとづいて中身に入り込むことによって、著者と読者との「関係」の断絶を経験するのである。
 以上のように、三者は互いに絡み合いつつ総合的にはたらくことによって、私たちの発語や沈黙のあり方を規定する。
 なおまた、次のことも付言しておく必要がある。図の正四面体頂上の「沈黙」あるいは「発語」は、ただ周囲の「条件」によって受動的に規定されるのみではなく、ある沈黙や発語が、「条件」そのものを能動的に変容させてゆくという逆の側面も見逃してはならない。要するに、底面の三角形の各頂点と頂上の言語活動それ自体との関係にも、相互規定的なダイナミクスがあると考えておくことが大切である。

日本語を哲学する18

2015年03月27日 14時06分03秒 | 哲学
日本語を哲学する18




 ここで少し道を迂回して、時枝誠記が言語の存在条件として整理した三つの規定、「主体」「素材」「場面」のひそみに倣って、しかしこれとはやや異なる発想から、発語がなされたり沈黙したりする現実様態の直接的な条件ともいうべきものを考えてみたい。
 ちなみに時枝のこの存在条件の規定はたいへん優れたものだが、言語表現が実現している時の何 ( 「概念」「リズム」など)をどこに収めるかに関しては、論理の混乱が見られる。しかしこの問題は、ここでは詳しく取り扱わない(拙著『日本の七大思想家』幻冬舎新書参照)。いずれにしても、時枝のこの発想が、いま「沈黙の言語的意味」を考えることにとって大きなヒントを提供してくれていることはたしかである。
 私が、言語行為としての「発語・沈黙」の直接的な条件と考えるのは、時枝の存在条件よりももう少しその行為の直前にまで踏み込んだレベルである。心的レベルと言ってもよいかもしれない。それは、「気分」と「関係」と「話題」である。

     
       
             
 上の正四面体で、Aを「発語・沈黙」、Bを「気分」、Cを「関係」、Dを「話題」とする。そのうえでBCD 三つのキーワードについて解説する。

 まず「気分」。
 私たちは、言語活動において発語したり沈黙したりするとき、必ずある気分に根拠づけられてそうしている。驚き、悲しみ、怒り、喜びなどの明瞭な感情によって発語したり沈黙したりする場合は言うに及ばず、疲れていて黙りがちになったり、場面(相手も含む)に応じて尻込みしたり、面倒くさいので何となく黙っていたり、性愛行動のように同調や共感の気分が高いためにかえって言葉を必要と感じなかったりする。私は、こうした気分状態を、発語や沈黙のあり方を規定する非常に重要な条件と考えるので、「気分」としてひとくくりに立てたのである。
 なおここでは、この「気分」という概念を、単に発語している、または沈黙している「個人」主体の心理状態のみに限定せず、言語活動が行われている全体の場に漂う共有された何とはなしの雰囲気という意味にまで拡張して考える。日本語の「気」という概念が、個人身体内の状態、個人意識の状態、集団の雰囲気、個人身体外の客体的な事物情景、天然自然の状態、社会情勢など、じつに多様な状態にまたがって使用される事実に注意を喚起されたい。
 病気、元気、平気、気息、悋気、勝ち気、気合、意気、気概、気遣い、気にする、気になる、気がする、気苦労、雰囲気、気流、天気、気候、気体、景気、気運等々。
 しかしそこまで拡張するなら、「空気」という言葉のほうが適切ではないかと思われるかもしれない。山本七平の『空気の研究』という有名な著作は、きちんと対話や議論を重ねずに、何となくその場の空気で非常に大事な事柄が決定され、責任の所在があいまいになってしまう日本的慣習を批評する目的で書かれたものだった。これはどちらかといえば「場の空気の絶対性」に対する否定的な姿勢を貫いているが、最近流行した「KY」という言葉は、逆に座の「空気」が読めない人を批判的にとらえた言葉である。いずれにしても、人々の集まる「場」や「座」というものが、良きにつけあしきにつけ、それだけである強い集団心理的な力を持つという認識が前提となっている点では共通している。ただ、重大な決定が絡んでいる場合には、ある反対意見が提出されているのに、それを無視あるいは軽視してこの集団心理によってことが動いてしまうのはまずいことだし、逆に、愉快で楽しかったり、平穏で冷静だったりする雰囲気が流れていて皆がそれに満足している場合には、その雰囲気に同調できずに我を張って水を差すような人は、やはり非難されてしかるべきだろう。
 この「場」や「座」が現実に存在しているとき、特定の個人の「気分」と、集団全体の「気分」とを明瞭に分けることは難しい。個人原理を出発点としてこの状態を評価するなら、個人の心が集団に同調することの是非がそのつど具体的に問われるわけだが(「付和雷同」とか「麗しい結束」などとして)、反対に、共同性が個に先立つという考え方からすれば、個人の心はもともと常に集団から分け与えられたものであり、一人でいる時にもその心のありようは、共同の心に規定されていることになる。したがってこの場合には、すでに同調の準備態勢が出来上がっているのだから、是非が問われるべきなのは、ある共同性の構造そのものが具体的にいかなる性格のものかという点をめぐってであろう。
 かくして、言語活動が行われている現場において、物理的な発語や沈黙を規定する力あるいは作用を、「気分」と呼ぼうが「空気」と呼ぼうが、じつはそんなに違ってはいないのである。ここでは「気分」とは、座の雰囲気の共有状態を個人心理にバイアスをかけて定義した概念だが、同時にそれは、その座全体の「空気」の表現でもある。
 また、先に沈黙を「意志」との関係に限定させて考察するわけにいかない事情に言及したが、そのことと、この「気分」という概念を「意志」よりも上位のレベル(より抽象的な軸)に立てたこととの間には関連がある。「意志」はあらゆる「気分」の様相のなかの一つであり、後者によって規定され、かつ後者に含まれる下位概念として理解すべきである。

 次に「関係」。
 これは、言語活動をする主体どうしがどのような関係におかれているかという規定条件を意味する。「関係のモード」「関係のスタイル」「関係のゲシュタルト」などと言い換えてもよい。この場合、互いにとっての既知の度合い、ある言語活動の行われるタイミングや時間の長さ、言語活動が行われる物理的な空間のあり方、人数、地位や身分や権力関係、その言語活動に至るまでの経緯などにしたがって、より抽象的な関係のモード(例:友人どうし)から個別具体的なそのつどの関係のモード(例:一方が他方に喫茶店で相談をもちかけている)に至るまで、さまざまなレヴェルと質の違いを想定する必要がある。
 たとえば、いま話し合っているのが、長年連れ添った夫婦であり、その仲はそれほど悪くなく、夫は平凡な会社員で妻は専業主婦であり、子どもは大学受験を控えており、夫が会社から帰ってきてふたりで夕食をとりながら短い会話を交わしているといった場面(シーン)では、これらの条件だけでその発語や沈黙のあり方が規定される。同じこの夫も、呑み屋で部下や同僚と騒いでいる時、上司に向き合う時、顧客に接する時などには、それぞれまったく違った発語や沈黙のあり方を見せるだろう。そもそもそれらの場合には、彼は「夫」という関係を生きていない。
 なおこの「関係」は、先の「気分」が、なかなか言葉で相対化できにくい面をもっているのに比べて、より客観的な枠組として対象化しやすい。

 最後に「話題」。
 これは、現に発語や沈黙がなされている時、その中身全体に関する漠然たる「わかり」を意味する。言い換えると「いま話し合っているのは、……についての問題であろう」という相互の理知的な察知のあり方である。これはより正確には「了解」と呼ぶべきなのだが、わかりにくいので、あえて「話題」とした。しかし「話題」という概念を普通に理解すれば、すでに明確に言語行為の中身に入り込んでしまっているような印象を与えてしまうのも避けがたい。だがここでは本当は、少しその手前の部分、なぜ私たちは今ここでこの話をしているのか、という無意識の共通理解のことを指していると受け取っていただきたい。
 そこで、この概念のもとには、どの程度その指示内容が指示内容として理解されているか(たとえば外国人や子どもだったら、話されている、または書かれている言語に対してどの程度理解力があるか)、また話し(書き)それ自体の調子はどのようなものか(たとえば「強い怒りの調子が込められている」とか「しなやかな文体だ」というような)、発語や沈黙に付随する身体のあり方はどうか(たとえば芥川龍之介の「手巾」で表現されている「彼女は毅然と言葉を紡ぎだしてはいるが、手の震えからじつは懸命に悲しみを抑えていることがわかる」というような)、などの感知・判断の概念がより下位の概念として帰属する。

日本語を哲学する17

2015年03月12日 11時01分35秒 | 哲学
日本語を哲学する17



永らく中断していた『日本語を哲学する』シリーズを再開します。第Ⅰ部第2章「沈黙論」の途中からです。沈黙は言語活動の重要な一部であるという考えに基づいて、言語表現のうちに沈黙が現象するさまざまな様相を8つ挙げましたが、その7番目からの展開となります。どうぞよろしく。

人の話を聞いたり、本を黙読しながら、感じたり考えたりしている時

 この場合には、言語を機能としてみるかぎり、「沈黙」状態にあることが当然であるから、そこに何ら問題はないように見える。ある相手の話を聞きながら自分でも別のことを話したり、黙読しながら他のことを発語するのは、機能的に不可能だからである。聖徳太子は一度に十人の話をきけたという伝説があるが、仮にある言葉を聞きながら別の話題のモードを構成するようなことが可能に見えるにしても、それは、瞬間瞬間でモードの切り替えをやっているにすぎない。
 ただし、一点だけ注意しておくべきことがある。それは、聞きながら、あるいは読みながら、同時に別の言語をみずから構成することは不可能であるにしても、聞きながら、あるいは読みながら、同時に「感じる」ことは可能だということである。たとえば、相手の話を聞いている最中に怒りを感じるとか、小説を読んでいる途中でその内容に涙を流すとか。
 これらは、言うまでもなく、その当の話や読み物を唯一の媒介としつつ、もっぱらそれについて「感じて」いるのだが、そのとき、その「感じて」いる営みは、話されたり書かれたりしている当の素材とは別の言語表現としてけっして構成されはしない。しかし、みずからに対する情緒的表現にはなり得ているのである。なぜなら、「何事かを感じる」ということは、すでにそれだけで自分に対して表現的であることを意味するからである。情緒とは本来そういう本性をもっているのであって、この自分自身に対して表現的であることは、その次の瞬間にその「感じ」を「考える」営みにもっていくこと、言い換えると「言語」として構成する営みにつなげていくことの、準備態勢の意味をもつのである。
 私がこのことを強調するのは、「心」や「精神」のはたらきを、「思う、考える」という「理性」的な営みに限定しようとするプラトン、アリストテレス、デカルト、カントなど西洋哲学を代表する巨匠たちが示してきた伝統的な偏向に対して抗いたいからである。たしかに「人は何事かを思い、考えている時には言語によってそうしている」という命題は普遍的に妥当する。しかし、「心」や「精神」のはたらきは、「思う、考える」ことだけではない。
 感じること、情緒的であること、情念などは、西洋の伝統的な哲学では、「パッション」として把握されているが、周知のように、この把握は「パッシヴ(受け身)」であることと語源的に通底している。だが情緒は、単に、外界や肉体からやってくる刺戟によって引き起こされる受身的な態勢ではない。情緒もまた「心」や「精神」のはたらきの一部であるとすれば、私たちは、ある情緒の状態や気分に浸っている時(常に人はそうなのだが)、不断にかつ非反省的な仕方で、身体内的・身体外的な状況を一定の能動的な「意味(sense, Sinn)」としてとりまとめ、そのとりまとめをみずからに対して与えている。そしてこの「意味」は、とりあえず言語的な「意味」の外側にあって、次なる身体行動や言語活動の「意味」を支えるのである。
 本稿は『日本語を哲学する』と題されているが、わが日本語は、西洋哲学が言語をただロゴスとみなし、その裏側で情緒的な存在の仕方をただ「パッション」とみなしてきた偏向に対して異議申し立てをするのに、さまざまな意味で恰好の特性をもっている。自然と対立していない日本語の特徴は、曖昧で非論理的という非難をこうむってきたが、それは西洋的な観点から見るからそう見えるのであって、じつは私たち人間一般が世界をどう感受し、世界をどう生きているかということを表現するのにとても適しているのである。しかしこの点は第二部で具体的に展開することにして、ここでは、「沈黙」の様態のうち、思想的に見て最も重要と思われる「⑧現実場面における発語の断念(選択による沈黙)」というテーマに移ることにしよう。

⑧現実場面における発語の断念(選択による沈黙)

「黙る」あるいは「黙っている」状態を「発語の断念」とか「選択による沈黙」と名づけると、そこには明瞭で積極的な意志がはたらいているという感じがつきまとう。しかし人が身体間交流のさなかにおかれていながら、しかもこれまで記述してきた七つの状態のどれにも当てはまらずに「黙る」あるいは「黙っている」時、そこに常に明瞭な意志がはたらいているかどうかは、じつは微妙である。「断念」とか「選択」と名づけたのは私自身だが、これらの用語自体が少し不適切かもしれない。
 ここでは、ある生活文脈(状況コンテクスト)を背景としつつ身体間交流が行われている時、能力、病的状態、不全状態、性格傾向、相手の発語を聞いている(読んでいる)状態などを除外してもなお、「現に一定時間、黙る、あるいは黙っている」様態が存在することに着目し、その全体を想定している。だからこの様態には、たとえば次のようなさまざまなケースと大きな幅とが包含されている。

・ある興奮や感動が発語を抑止させる。
 (例)相手から思ってもみなかった非難を浴びる、素晴らしい映画を観終わる、目の前の相手を恋しく思う気持ちが急に募る、など。

・驚きのために言葉が出ない。
 (例)親しい人の突然の訃報に接する、大きな事件を目前にする、など。

・感情的な理由なしにとっさに言葉に詰まる。
 (例)スピーチをしていて、それまでの脈絡に連続させられる言葉を見つけられない、脈絡自体の混乱を意識する、語彙を忘れる、など。

・言いたいこと、言うべきことはあるように思えるが、うまく言葉に構成できない。
 (例)話題が微妙だったり深刻だったりする、精確さを意識しすぎている、言語表現技術がもともと未熟である、など。

・決断をためらったために結果的に黙ることになった。
 (例)相手の話に違和感を持つが、その饒舌に即座に太刀打ちできない、言ったほうがいいという気持ちもあるが、相手への思いやりもある、など。

・考えたうえで、ここは黙っておいた方がいいと感じる。
 (例)相手の言葉の意図がよく読めず、どう答えてよいかわからない、言えば関係を悪くすると判断した、相手が興奮しているので話にならない、など。

・こういう場合には黙っているべきだという人倫的・生活的慣習に規定されている。
 (例)儀式が進行中である、途中で口をはさむのは礼儀にもとる、公式的な場なので言葉の選択に慎重にならざるを得ない、卑猥な話は慎むべきである、など。

・人から口止めされている。
 (例)その人のプライバシーを暴くことになる、政治的な秘密にかかわる、など。

・口止めされていなくても、関係のモードが異なるために、ここでは言うべきではないと感じる。
 (例)仕事上の立場を優先させなければならない、子どもの前で性的な話、残酷な話、複雑な話をすべきではない、友人関係の質に差異があるのでこの人には言えないと感じる、など。

・あらかじめ黙っておこうと明確に判断・決意していて黙っている。
 (例)あの人には言ってもわかってもらえないとあきらめている、言えば人間関係を壊すことが明瞭である、無視することによって相手から遠ざかる、愛情や思いやりの深さのためにあえて黙っている、など。

・発語するタイミングを見計らっている。
 (例)相手の話が一段落つくまで待つ、わかってもらうためには時間が必要である、状況が成熟しないと逆効果になる恐れがある、など。

・「黙れ」と相手から言われてその見幕に押されて黙ってしまう。
 (例)一定の権力関係が前提となっている、こちらの発語に後ろめたさがもともとともなっている、など。

・沈黙をはさむほうが美学的効果を高められると感じられる。
 (例)これは、文学表現の場合に特に顕著である。詩人や作家はさほど自覚的でなくとも、ある種の美的直観に基づいてあえて散文的な説明をせずに飛躍させることがたいへん多い。漫画のコマ展開などもこの飛躍が生命になっている。

 そういうわけで、こうした種々の沈黙様態を単に「明瞭な意志」という概念との関係だけに限定して論じるわけにはいかない。というのも、意志とは、発語や沈黙もふくめた「身体的ふるまい≒行為」の根拠として自己確認される心的現象であり、人があるふるまい(この場合は「黙る」あるいは「黙っている」)をなしている時、そこにいつも並行的につきまとっているようなものではないからである。意志は、むしろあるふるまいのプロセスの出発点や終局点においてのみ発生する自己対象化の意識の一つである。これに対して、「黙る」あるいは「黙っている」様態の全体のなかには、他のすべてのふるまいと同じように、意志を自己確認するいとまがない場合や、あとから振り返ってみても果たしてそこに自分の意志がはたらいていたと言えるのかどうかはっきりしない場合というのが多く含まれている。
 それでは、「沈黙の言語的意味」を探索するために、その諸様態をどのような基準によって整理すればよいだろうか。

倫理の起源63

2015年02月02日 23時35分19秒 | 哲学
倫理の起源63


【結語】 

 本稿は、良心と呼ばれる作用がどのようにして発生するのかという問いから出発した。私は、個体発達と人類史のそれぞれの黎明期に視線をめぐらせることによって、その問いに応えようとした。良心は、愛や共同性の喪失に対する不安に根源を置いているというのがここでの回答である。この回答は、人間を孤立した個人としてではなく、徹底的に関係存在としてとらえる立場に基づいている。
 次に、「善」という概念は、哲学者がこれまで考えてきたように、何か形而上学的な原理によって規定されるのではなく、日常生活における秩序と平和が保たれている状態を指すのだという認識が示された。宗教的・哲学的な「善」の規定は、この状態が観念化されたものであって、天上から降ってきたり、ア・プリオリなかたちで経験世界から自立して存在したりするものではない。
 この先験主義は、プラトンのイデア思想やカントの道徳形而上学に典型的に見られるが、それは、西洋の倫理学的思考が長い間陥ってきた倒錯である。そうしてこの倒錯は、論理的な言語というものの特質に必然的に付きまとう倒錯なのである。ニーチェやミルなど、近代の思想家たちは、これと闘って善戦したが、彼らを取り巻く文化環境の制約の中で完全に相対化し克服するまでには至らなかった。そこにはカントと共通の、個体主義的な人間把握が残存している。
 和辻哲郎は、おそらくヘーゲル批判から出発したマルクスの社会哲学の影響を強く受けて、人間存在を「実践的行為的連関」というキーワードのもとに関係論的に把握し、卓抜な倫理学を築き上げた。日ごろの挨拶、礼節、語り合い、愛情交換、経済交渉など、さまざまな人間交通の現場に、彼は人倫が顕現するなまの姿を見た。その功績は世界に誇るべきものである。しかし彼の倫理学には、より小さな人倫組織とより大きな人倫組織との間に介在する矛盾への視点が欠落しており、そのため各組織はそれぞれ固有の自立した倫理的原理を持つようにも、また逆に、すべてが予定調和的な弁証法で連続しているかのようにも印象される。これは人間観察として甘いのではないか。また時間によく堪え得ないのではないか。
 この難点を克服するには、各組織(共同体)という実体的な概念に過剰に人倫性を背負わせないようにすればよいと私は考えた。時空を超えたより普遍的な人間関係のあり方そのものに注目し、それぞれがはらむ倫理性の特質を記述し、かつ互いの相克のありさまからけっして目を背けないこと。第35回目以降の論述は、この方法を具体的に展開した試みである。読者諸氏のご批判を仰ぎたい。
 
 すでに何か所かで触れてきたが、人間が倫理的存在としてこの世を生きなくてはならない根拠は、彼が共同存在としての本質を持ちつつ、しかし、個体としてはたがいに別離せざるを得ない宿命の下に置かれているというところに求められる。
 あなたという人間の存在のふるさとは、関係性であり共同性である。和辻が説いたように、人は生の活動において、常にこのふるさとに還帰しようとする。しかし人はまた、自らの身体が、この存在のふるさとのうちに永遠に抱擁されるのではないことを知っている。人間は死すべき存在であることを意識してやまない唯一の動物だからである。死は日常生活のいたるところに入り込んでいる。それは部分化され、小片化され、希薄化され、拡散しているが、それらのどの局面に出会うときにも、私たちは本体としての死の影に触れることになる。だからどんなに絆を誓い合った存在でも、やがていつかは別離していくという事実をだれもが身に沁みてわきまえているのだ。
 この事実は、人間の孤独や哀しみの感情を基礎づけるが、しかし単にそうした「感情」を基礎づけるだけなのではない。じつに別離という事実の自覚こそが、「人倫」を基礎づける究極の条件でもあるのだ。なぜなら、人は人と共に生き、愛や憎しみを知り、ある時は不幸に打ちひしがれ、ある時は幸福に浸るが、これらの経験を通じて、完全に一体とはなりえなかったという心の負債を必ず抱えるからである。
 この心の負債、言い換えると「相手への心残り」は、それぞれの身体の有限性からして、もともと弁済不可能である。その取り返しのつかなさをだれもが暗黙の裡に知っている。この暗黙の知に支えられてこそ、基本的な人倫精神が涵養されるのである。その基本精神とは、せめて生きている間だけはお互いの日々のかかわり方をかくかくのごとく仕立て上げるべきだという構えのことである。
 別離の事実こそが倫理を根底的に基礎づけるというこの考えは、愛や共同性の喪失に対する不安が良心の発生を説明するという初めに述べた考えと精確に呼応するのである。いっぽうは人間的な生へ向かう入り口の部分で出会う心的な事象であり、他方は人間的な死へ向かう出口の部分を暗示する心的な事象であるという「持ち場」の違いはあるのだが。
 人倫とは、生を成り立たせるための「よそおいの姿」である。そうして、このよそおいの姿は、どこか天上のうちに絶対的な理想として聳えているのではなく、私たちの日常生活感覚のさなかにいつも降りてきており、さりげなく実践されているのである。


*「倫理の起源」は、今回で終了します。こんなにくたびれる論考を長い間読んでくださった方、本当にありがとうございます。
当ブログは、さいわい固定読者の方も少しずつ増えつつあるようです。これからも、長編を中心に時局ネタ、折々感じたことなどを織り交ぜながら続けていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
次の長編は、長いこと中断していました「日本語を哲学する」を再開する予定です。再開までに少し時間を要しますが、必ずお約束を果たします。ご期待ください。


倫理の起源61

2015年01月21日 22時07分17秒 | 哲学
倫理の起源61




 さて私は、この作品について次のように書いた。

 私はこの二作を、エンターテインメントとしての面白さもさることながら、重い倫理的・思想的課題を強く喚起する画期的な作品だと思う。その画期性のうち最も重要なものは、戦後から戦前・戦中の歴史を見る時の視線を大きく変えたことである。この場合、戦後の視線というのは、単に戦前・戦中をひたすら軍国主義が支配した悪の時代と見る左翼的な平和主義イデオロギーを意味するだけではない。その左翼イデオロギーの偏向を批判するために、日本の行った戦争のうちにことさら肯定的な部分を探し当てたり、失敗を認めまいとしたりする一部保守派の傾向をも意味している。言い換えると、この両作品は、戦後における二つの対立する戦争史観の矛盾を止揚・克服しているのだ。

 前者の史観における中心的な思想は、「いのちの大切さ」ということになるだろう。また後者の史観では「いのちを捨ててもお国のために闘うべきだ」ということになる。そうしていまやこの二つの史観が、ほぼ、女性的な倫理観と男性的な倫理観とにそれぞれ対応することも納得してもらえるだろう。さらに言えば、宮部久蔵というキャラクターが、両者を兼ね備えつつ、しかもその根本的な矛盾を、最終的には身を後者のほうへ捧げ、魂を前者のほうへ捧げることによって止揚・克服したのだということも。
 作者・百田氏は、日本にとってあの戦争のどこがまずかったのかという根本的な問題をよくよく考えたうえで、こういうスーパーヒーローを創造している。もちろんこんなスーパーマンがいるわけはないが、宮部の人となり、ふるまいを見ていると、こういうキャラが許容されるような軍であったなら、つまりそういう余裕のある雰囲気が重んじられていたなら、日本のあの戦争(和平・停戦への努力も含めて)はもっとましな結果になっていたに違いないという、戦中日本への批判が強く込められていることを感じる。
 実際、この作の中で百田氏は、ひとりの語り手をして、机上で地図とコンパスだけを用いて作戦を立て、ゴロゴロ死んでいく兵隊たちを将棋盤上の歩兵のようにしか考えていない参謀本部(軍事官僚)のハートのなさを強く批判させている。そういう側面では、この作品は、たしかに「いのちの大切さ」を第一義に立てる戦後的価値観を代弁していると言えよう。
 しかし一方、宮部久蔵は、パラシュート降下する敵兵を容赦なく殺すし、空母と油田を爆撃しなかった真珠湾攻撃作戦の不徹底さを批判してもいる。撃墜されないように過剰なほど用心するが、それは自分だけこすからく生き残ろうと状況から逃避しているのではない。現実には隊長として部下の命をあずかりつつ、いかにして眼下の敵を撃墜して勝利するかという合理的な算段に心血を注いでいるのである。彼は少しも反戦思想の持ち主ではないし、ここぞと思うときには誰よりも的確にその優れた戦闘技術を発揮する。こうした側面では、この作品は、戦争をただ感情的に忌避して空想的平和主義に安住する戦後の空気への痛烈な批判とも読めるのである。
「いのちの大切さ」といった戦後的な価値の抽象性をそのままでよしとすることはできない。この価値は、抽象的なぶんだけ、人間には命をかけて闘わなければならない時がある、というもう一つの価値を忘れさせる。じっさい、この戦後的価値が実際に作動するときには、超大国頼み、金頼み、無策を続けて状況まかせ、憤るべきときに憤らない優柔不断、何にも主張できない弱腰外交、周辺諸国になめられっぱなしといういくつもの情けない事態を招いてきた。それが、私たちがさんざん見せつけられてきた戦後政治史、外交史の現実である。「いのちの大切さ」と言っただけでは、何も言ったことにならない。
 しかし逆に、「命をかけて闘わなければならない時がある」という言い方も、それだけでは抽象的であり不十分である。問題は、どういう状況の下で、どういう具体的な対象に対してなら「命をかけるに値する」と言えるかなのだ。敗北必至であることが、少なくとも潜在的には感知されている状況の中で、いたずらに「命をかける」という価値を強調すれば、結果的に多くの無駄な死を生むことにしかならない。美学や一時の昂揚感情が軍事上最も必要とされる戦略的合理性を駆逐して、多くの前途ある若者を犠牲に供し、あとにはやるせない遺族の思いが残るだけである。これでは、国家的人倫性が果たされたとは言えないのである。
 宮部がよりどころとしているのは、抽象的な「公」でもなければ、抽象的な「いのち」でもない。彼がよりどころとしているのは、結婚して日の浅い妻と、いまだ会うことのかなわない子どもという具体的な存在である。抽象的な「公」も抽象的な「いのち」も、一種のイデオロギーであり、実体の不確かな超越的な観念にほかならない。どちらにも誘惑の力はあり、それに引き寄せられていく心情は理解できる。しかし、抽象的な「公」理念にひたすら奉仕すれば、具体的な「いのち」を犠牲にしなければならず、抽象的な「いのち」理念をただ信奉すれば、公共精神を喪失しただらしない無策や無責任が露呈するだけである。
 こうして、宮部久蔵が体現している思想は、戦後のイデオロギーでもなく戦前・戦中のイデオロギーでもない。それは生活を共有する身近な者たちがよりよい関係を築きながら強く生きるという理念を核心に置き、その理念が実現する限りにおいてのみ、国家への奉仕も承認するという考え方である。そこに私は、戦前を懐旧する保守派思想にも、国家権力をただ悪とする戦後進歩思想にも見られなかった新しい思想を見る。それは男女双方が持つ人倫性の融合態だと呼んでもよい。

 国家とは、共有できる情念を最大の幅のもとに束ね、そうしてその成員たちすべてに秩序と福利と安寧を保証することを理想とする共同性である。この共同性(共同観念)の現在における存在理由は、いくら視野や情報や経済が地球規模に広がったとしても、それぞれの地域が背負ってきた具体的な歴史や文化の重みを超え出ることは不可能だというところにある。国家は、その内部の住民の実存を深く規定しているのである。
 国家はそのメンバーの心情的な信任と期待を基盤として成り立つが、その統治機構づくりと運営とは、生活共同体としての国民一人一人の好ましい関係を守るために、あくまで機能的かつ合理的になされなくてはならない。ことに戦争のような国民の命にかかわる一大事業に取り組まなければならない時には、この機能性・合理性のいかんが一番問われる。
 大量の殺し合いが国家双方にとって良くないことは当たり前なので、戦争は最後の最後の手段であり、まずいかにしてそれを避けるかにこの合理的な努力を最大限注がなくてはならない。外交のみならず、軍事力の必要も経済力の必要も実はここにある。これらの潜在的な力の表現を背景に持たない外交は無力である。両者はパッケージとして初めて意味をもつのだ。
 しかしもしどうしても避けられずに戦争に突入してしまったら、いかにうまく勝つかということ、犠牲者をできるだけ少なくするために、いかに早く決着をつけるかということ、時には狡猾に立ち回っていかにうまく負けるかということに向けて、合理的精神を存分に発揮しなくてはならない。緻密な戦力分析、状況分析によって負けることがほぼ確実となった場合には、戦いは一刻も早くやめること、投了によるしばしの屈辱に耐える勇気を持つこと。現実を見ない精神主義や美意識で「どうにかなる」などと考えて蛮勇をふるうのは最悪である。そういう方向に国民を強制しないことが、統治者や軍事リーダーの責任なのだ。
 この合理的精神の存立を俟って、初めて国家共同体の人倫性はまっとうされる。そうしてその精神が目指す最終地点は、あくまでも幸福なエロス的関係の達成でなくてはならない。与謝野晶子も津雲半四郎も宮部久蔵も、そのことをこそ願っていたのである。だからこの願いが本当に果たされさえすれば、公共性の倫理とエロス的な倫理との二項対立的な矛盾関係は止揚・克服されるだろう。公共性の倫理は、エロス的な倫理の確乎たる存立を目指して、それにふさわしい形で「機能」するのでなければならない。
 では公共性の倫理とエロス的な倫理、言い換えると、義に殉ずる心と、身近な者たちどうしの幸福の実現とが対立しないようなあり方とは何か。この問いは、「義」とか「自分を超えた存在に殉じる」という抽象的な用語に執着している限りはけっして答えが出ない。この問いに答えるために最も有効なのは、端的に言えば、身近な者たちどうしの幸福の実現が損なわれることのないような社会あるいは国家のかたち(秩序)を、いかに工夫して練り上げるかという課題に実践的に取り組むことである。そうしてその取り組みこそが、最高の人倫精神の表れなのである。だがこの課題の具体的な追究はすでに個別学としての倫理学の範疇を越えているだろう。


倫理の起源50

2014年10月20日 21時55分27秒 | 哲学
倫理の起源50




 さて一般に、義に殉ずるといった態度は、褒め称えられることが多い。「何かしら自分を超越したものに価値を見出し、そのためには自己犠牲もいとわない」という心掛けや行動は、人々の尊敬を勝ち得て美徳とされる。それは、この種の心がけや行動が、自己利益を捨てて他者のためを考えている、つまり共同性への奉仕の精神を表現しているからである。 けれどもよく考えてみよう。人の背負う共同性も複雑である。この「何かしら」とは具体的に何を指すのか。それを言うのでなければ、先に述べた矛盾はそのまま持ちこされてしまう
 たとえば、自分の子どもの命を救うために身をもってかばうことは、非常に賞賛される。しかしでは、人道的な使命感から、病に苦しむ辺境の子どもを救うために現地に赴いた医師が、自分の子どもが本国で事故に遭い死に瀕していることを知ったとしよう。彼はどういう行動をとるのが賞賛に値することになるのだろうか。
 また、その「何かしら自分を超越したもの」が、そのときは崇高なイメージを与えていたが、時間の変化とともに、「過てるもの、それほど価値のないもの」としか感じられなくなったとしたら、はじめの思いはどのように救われるのか。
 たとえば国家のある強制が正当なものであるかどうかという判断を抜きにして、無条件に国家の命令に従って死ぬことが「崇高な」ことであるとしてしまったら、その国策が間違ったものであると認識されたとき、自分は無駄死にしたことになり、妻子も無意味な犠牲に供されたことになる。そういうことがあり得るという冷厳な事実を、「超越的なものに殉ずる心」を賛美する精神は隠蔽するのである。
「自分を超越したもの」というとき、この言葉のなかには、神、人類、国家、社会、企業、家族、幼子、友人、恋人などの観念がみな含まれるだろう。さらには、「正義」とか、「美」(ex.芥川龍之介の「地獄変」)とか、「真実」(ex.カントの「ウソ論文」)とか、「善」(ex.身を犠牲にして線路に落ちた人を救う)などのように、抽象観念もこの「超越的なもの」に属している。要するにそこには、自分を形成しているアイデンティティのあらゆる要素が含まれているのだ。だから、どういう状況下でどういう観念要素に殉ずることを意味しているのかが語られないかぎり、それはいつも現実性を欠いた抽象的な意志表現で終わってしまう。ある特定の観念要素に殉ずる態度だけを抽出して、その「崇高さ」や「美しさ」を称えていると、その態度を貫くことによって他の実在や観念を犠牲にせざるを得ない事実が忘れられるのである。
 たとえばずいぶん昔の話になるが、ある青年が、停戦間もないカンボジアの平和維持活動にボランティアとして参加し、ゲリラ兵に撃たれて死亡したことがあった。戦闘がくすぶっている地域での平和の確立という目的のために命を失ったのである。この時彼の父親が現地に赴き、息子の遺体を祖国に持ち帰らずに荼毘に付したのだが、父親は、その煙が立ち昇っていくのを見るうち、「息子はどこか浄化された崇高なところに昇っていったのだ」という深い感慨を漏らした。
 この感慨そのものは、子を失った親のやり切れない思いを、自ら鎮魂しようとする心情としてよく理解できる。そういう心境に達したことにウソ偽りはあるまい。しかし、事件の国際的な意味の大きさも手伝ってか、全国紙の多くが、これを「父親の美談」として盛んに書きたてた。折から戦後的父親の父性の欠如などが一部で嘆かれていた時期である。そのためこのお父さんは、父性の模範として一挙に有名人になってしまった。大多数の人々が、この父子の生き様を絶賛した。
 私は当時、この事件について依頼原稿を書いたのでよく覚えているのだが、はじめからマスコミのこの扱い方にはどこか胡散臭いものを感じていた。そのときの気持ちをここに再現する。
 第一に、こういう美談が表通りをまかり通ると、愛する息子を返してほしいという親の切なる自然の感情が抑圧される。何かそういうことを言ってはいけないような雰囲気が醸成されるのである。当時、このことをはっきり指摘したのは、私の知る限り、評論家の中野翠氏だけである。
 第二に、この息子さんは丸腰で危険地域に踏み込んでいた。彼は本来遭遇すべきでない理不尽な災難に遭ったのであって、特定の直接的な平和行動の結果として死んだわけではない。もし直接的な平和行動の結果として死んだのなら、世界平和のために身を犠牲にしたという大義名分は、より成立しやすいだろう。したがってその場合には、父親の深い感慨を「美談」として称える周囲の態度は、それなりに正当な根拠を持つことになろう。
 だが事実はそうではなかった。彼が命を落とした地域がかなりの危険地域であることはわかりきっていた。日本政府も百も承知であったはずである。するとここには、単に息子さんの行動目的が崇高であるから父親がその死を昇華されたものとして受け入れ、周囲がその父子関係のあり方に感動して賞賛するという物語によってはけっして完結しえない、もっと重要な問題がそっくりそのまま残されることになる。
 その問題とは、国家共同体がなぜそのメンバーの命を守ることができなかったのかという問題である。言い換えると、公共的な人倫のいかんを問う意識がこの一連の流れには抜け落ちているではないかということである。この人倫のあるべき姿は、単に心情論理によって完結しうるものではなく、現実的な法制度やその実効性ある運用を必然的に要求する。つまり、共同体がそのメンバーを守れないのは、国家としての制度が不備であるからなのである。公共性にかかわる倫理学は、こうして法や社会制度に直接接触し、しかもそれらの精神を包含できるのでなければならない。
 より具体的に言おう。
 国民の生命を守るのは、国家の最大の役割である。国防の意義はそこにこそあるのに、当時の自衛隊はPKO活動に縛りをかけられていて、危険地域で平和維持活動をする民間人を十分護衛することができなかった(いまでも十分にできない)。それは単に機械的な制度の不備を意味するのではなく、国家の人倫精神が欠落していることを意味する。私はこの不当な事態に対して、だれもがまず怒るべきではないかと思った。
 ちなみに言えば、この欠落は、何も戦後平和主義のイデオロギーにその究極の根拠を求めれば片づくわけではなく、戦前・戦中においても、日本人の国民性がはらむ問題点として指摘されるべきなのである。ところが、当時、戦後イデオロギーを批判し続けてきたはずの保守系の新聞でさえ(むしろ保守系が率先して)、自ら巻き起こした美談の大風に煽られて、まったくこの点を指摘しようとしなかった。
 この一件は、要するに、「男らしさ」とか「凛とした父性」といった美意識の弥漫によって、現実の死の不当性が合理的に検証されずに隠蔽されてしまった例である。少し角度を広げれば、これは、特攻隊精神なるものを過度に美化することによってあの戦争の失敗を糊塗しようとする心情にも通ずる。
 誤解を避けるために断わっておくが、私は、実際に死を目前にした個々の特攻隊員たちが、若くして死ななければならない事態を受け入れるために苦しみ悩んだ末にたどり着いた澄みきった心情や、その遺族が味わった深い悲しみを斟酌しなくてもよいと言っているのでは全くない。それは畢竟、実存の問題、もっと言えば文学の問題であり、そういう問題としていくらでも追究し、どこまでも掘り下げる意味がある。
 だが、もしそれが単に澄みきった心情や深い悲しみへの共感にのみ終わり、若者や遺族をそのような実存の状態に追い込んだものは何かという問いを忘れたり軽視したりするならば、それは国家という公共体が備えるべき人倫への問いを忘れることと同じなのである

倫理の起源49

2014年10月11日 19時43分35秒 | 哲学
倫理の起源49



6. 公共性

 私たちは、公共性とか公共精神という概念をどのように理解しているだろうか。
 それは、ふつう、私的利害を超えて広く社会全体に共通する利害にかかわる物事や、その物事を第一に尊重する態度ということになるだろう。
 しかしこの概念は、本来いくつかのあいまいさを内に含んでいる。
 第一に、どこまでの広がりを「社会全体」と考えるかについて確定的な線引きが難しく、人によってその範囲に対する了解が食い違う。
 また第二に、ある具体的な物事が複数あってそれらが互いに両立しがたい場合、どれがより公共的かという議論が沸き起こり、容易に決着をつけられないことが非常に多い。
 そして第三に、「何々が公共的である」という点について、仮にある社会のメンバー全員の一致が見られたとしても、その物事を貫くために特定の生命や生活を犠牲にしなくてはならなかったり、膨大な時間やコストが見込まれるために実現が不可能だったり、その公共性の看板を隠れ蓑にして私的利益をむさぼる集団が出てきたりすることがいくらでもある。
 第一の論点については、たとえば次のような例が考えられる。
 幕藩体制の時代には、「くに」とは藩のことを意味していたので、藩主への忠誠が最も公共的とみなされていたが、近代以後は、国民国家の枠組みが最も公共的と考えられるようになった。この場合公共精神とは、「国家」という観念に奉仕する態度を意味することになる。さらに時代が進んで、現代では、国境を超えたヒト、モノ、カネ、情報の行き来が盛んにおこなわれているので、国家そのものを特殊な利害の体系とみて、地球規模の公共性を主張する人も多い(私自身は、この考え方が空想的であり、そのために無責任な言論態度を醸成しやすいので反対だが)。
 第二の論点については、次のような例が考えられる。
 たとえある国家の成員全員にとって、その国家こそが最高の公共体であるという点では一致が見られるとしても、その公共体をよりよく動かしていこうとする体制や政策や手段や優先順位に関して、意見・主張が入り乱れて一致が見られず、いつまでも小田原評定を繰り返すか、より強い勢力がより弱い勢力を、武力や多数決原理によって押し切るほかないといった事態である。
 このように歴史や地域や価値観によって、公共性の概念理解が異なるために、ある状況下でどういう行動をとれば公共精神にかなうのかという問題についての一般解を得ることはほとんど不可能である。こうして異なる大義名分の衝突が戦争などの激しい殺し合いに発展することもある。
 第三の例としては、たとえば、「環境にやさしい、地球にやさしい」という看板それ自体は、誰も否定しえないスローガンであるが、その抽象性をいいことに、まったく不確実な愚かな判断がなされたり、見通しも定かでない莫大な資金がつぎ込まれたりする。そうして国民の税金をかすめ取る環境ビジネスが平然と跋扈する、等々。
 このような事態は人類史上、じつに枚挙にいとまがない。
 しかしそれにもかかわらず、公共性という概念そのものは厳として存在する。それは、もともと私的であることと一対の関係にある概念だから、抽象的であることを免れないのである。つまり、この種の関係概念は、ある事態(たとえば家族生活)が他方の事態(たとえば国家活動)に比べてより私的かより公的かという相対的な位置関係で把握するほかない概念である。言い換えると、私的・公的という対概念は、互いに他方の「否定態」としてしか成立しない。
 和辻哲郎もこのことをよく理解していた。繰り返すが、和辻倫理学は、次元の異なる人倫的組織のそれぞれに固有の倫理性が存在することを指摘した。しかし、それらのどれかが他のどれかに対して、より「私的」であるかより「公的」であるかという尺度にこだわって、そこに価値審級による優劣を認めたわけではなかった。たとえば、家族の人倫性よりも国家の人倫性のほうが価値として高い水準にあると明示的に言及することを彼は周到に避けている。
 だがそれにもかかわらず彼は、無意識のうちに、より公的な共同性ほど、より私的な共同性の時間的・空間的な限界を克服した、より大きな、より広い境位にあるという、弁証法的な見解にとらわれていた。というよりも、あれほど私的世界(男女の性愛世界)における固有な人倫性の高い意義を強調した独創的な和辻すら、この西欧由来の弁証法の罠から免れることが至難の業だったというべきだろう。
 プラトンに代表されるように、ポリスの活動を最高のものと考えてオイコス(家族生活、経済活動)を軽蔑した古代ギリシアの価値観は言うに及ばず、カント、ヘーゲルなど、西洋の哲学、倫理学はこの「弁証法の罠」にいつもからめとられてきた。これはじつを言えば、身近なところから論じはじめて、しだいにより広い世界へ視線を伸ばしていくという私たちの言語意識の自然な法則に則っているにすぎないのである。だが、そうであるからといって、後のもののほうが前のものを包摂して、倫理的な意味でより高い水準に達しているなどとはけっして言えない。
 ところで東洋に目を転じて、儒教はどうかといえば、こちらはより広い範囲を包括する共同性のもつ人倫の原理がより狭い共同性のそれに比べて価値的にもより高いというような「弁証法的思考」にとらわれてはいない。再三述べたように、孔子は、公的な義務としての法に従って父を突き出すよりも、父をかくまう方が子どもとして「直(すなお)」なのだと言ってのけた。これはカントのような「義務のパリサイ人」に対しては、きわめて有力な逆説たりえている。そうしてそこには、生活庶民の自然な感情(人情)がきちんと掬い取られている。
 しかし他方では、儒教の倫理学的原理は、「五倫五常」の教えに象徴されているように、関係のモードにしたがって守るべき徳目を並列させているだけであって、そこには、人間生活でそれぞれの徳を守り抜こうとしても、互いに矛盾してしまって両立できないことがあるという問題意識が欠落している。平重盛が呟いたといわれる「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず。重盛の進退ここに窮まれり」という言葉は、この事情を示して余りある。
 じっさいに重盛がそう呟いたのかどうかは別として、こういう言葉が長く生き残るには、それなりの理由がある。それは平凡な私たちの生活のなかに、どちらを選んでよいかわからなくて困ってしまうこうした局面が繰り返し現れてくるからである。儒教はこの種の問題を解決しようとした形跡がなく、そこには明らかな思想的不徹底が見られる。それは「忠と孝」の二律背反のみならず、「忠」と「(朋友の)信」、「義」と「仁」などの関係についても言えることである。
  私が儒教倫理を批判するのは、それが古い封建社会の制度的な基盤をなしていたからというような理由からではない。じっさい、質の異なる人倫関係を統合させないままに、「人の道」とか「諸徳」といったかたちで分散させておき、そのうえで各身分(たとえば君主、家臣、武士、年少者、婦女子、下人など)にとって何を最も優先させるべきかを暗黙の裡に理解させておくことは、前近代的な統治にとって都合がよかっただろう。しかしここではそのことは問題ではない。
 問題は、「諸徳」を並列させてその関係を問わないあり方が、人生の複雑な現実といかようにも整合しない事態を見てみぬふりして放置する怠惰な姿勢をあらわしているという事実である。その点が倫理学として不十分なのである。
 このような怠惰さは、単に儒教倫理のみではなく、公共性の倫理を最優先させる態度一般においても現れている。

倫理の起源48

2014年10月03日 12時42分10秒 | 哲学
倫理の起源48



 さらに次のようなことが言える。
 個体生命尊重の倫理は、ただそれ自身のうちに本質的な限界があるのみではなく、他の人倫関係、他の倫理との間に齟齬をきたすことが多いのである。それは、この倫理がまさに「個体生命」というだれにとっても共通な人間把握概念を核として打ち立てられているために最も抽象度が高いからである。それゆえ、個々の具体的な生(実存)が呼び起こす課題に克服の答えを提供することができない。
 このことは、これまで述べてきた人倫精神の四種の基本原理(性愛、友情、家族、職業)との関係をいろいろと思い浮かべてみれば、すぐに納得がいくだろう。
 たとえば幸いなことに先進国では最近あまりこういうことは言われなくなったが、妻が難産で苦しみ、死産の可能性があり、母体も危険であると指摘されたとする。医師は、母体を救いたいならば死産を覚悟すべきであり、逆に健康な赤ちゃんを得ようとすれば母体を犠牲にする確率が高いと言う。夫はどういう選択をすべきだろうか。
 どのような選択をしようが、それは当事者の心情にゆだねるほかはないので、そのこと自体は倫理学的にはさして問題ではない(私自身は妻の生命を第一にすべきだと思うが)。だがこういう場合に、個体生命尊重の倫理が無力さを露呈せざるを得ない(選択を指示できない)のは明瞭である。
 またたとえば、森鴎外の『高瀬舟』について考えてみよう。
 流刑に処された罪人を大阪へ送る高瀬舟に、ある時、弟殺しの罪を着た喜助という男が乗せられた。他の罪人と異なり、晴れやかな顔をしているので、付き添いの同心が訳を尋ねる。親を失った兄弟は仲よく助け合って暮らしていた。弟が病で働けなくなり、兄の喜助のためを思って自害をはかるが、死にきれずに苦しんでいる。喜助は医者を呼ぼうとするが、弟が死なせてくれと頼むので、思わず刺さった刀を抜いてやると、そこに婆さんがあらわれて殺害現場として目撃されてしまう。
 この話は現在、安楽死の是非問題として扱われているようだが、そういう社会倫理的な捉え方はこの話の文学性、言い換えれば、登場人物たちの特殊な「情」の展開に込められたものが読めていない。現代の安楽死は、医師の医療行為としての倫理性が問われるが、医師が安楽死を決行した場合には、たとえ法的な罪に問われなくとも、晴れやかな顔をするはずがないからだ。
 この作品には、互いを心から思いやる兄弟愛(一種の友情)が深く絡んでいる。喜助が晴れやかな顔をしているのは、罪の意識がないからではない。一種の近親殺行為であることは十分自覚されているのである。だから彼は、余計な申し開きをせずに縄にかかったにちがいない。喜助にとっては、弟が自分のことを思って自害をはかったことが明瞭なので、その心意に対する謝恩の気持ちのようなものが彼の心を浄化して、素直に刑に従わせているのである。罪の自覚はあるが、後悔の念はすでに洗い流されている。犠牲となった弟は、彼にとっていまは仏さまに似た位置にいる。弟の行為そのものを通して、彼は仏さまに出会ったのである。
 さてこういう場合に、個体生命尊重の倫理を押し出すことに何か意味があるだろうか。喜助のいる場所は一種の宗教的な境地であって、弟を救おうとすれば救えたはずだなどと言い立てることは、余計なお世話なのである。

 個体生命倫理の限界について以上のように考えてきて、やはりここでも、他の倫理との根本的な矛盾を指摘しておく必要を感じる。
 性愛倫理や友情倫理や家族倫理が、その対象を厳しく選択し、部外者を排除するものであることは、論を俟たないだろう。
 なるほどこれらが自らのなかに個体生命倫理を含んでいることは確かである。それは、すでに述べたように、もともと個体生命倫理というものがだれにでも当てはまる最も抽象性の高いレベルにあるからである。たとえて言えば、イワシもアジもサバもサンマも「魚」というより抽象的な概念に包まれ、それぞれの種は「魚」という共通の特性を併せ持つようなものである。
 しかし、イワシは魚であることをやめることはないが、人事社会にかかわるものごとはそう簡単ではない。性愛や友情において、その特定の相手の生命を大切に思うことは、同時に自分にとってどうでもよい他人の生命を軽んじることにつながりうるし、むしろその心情倫理の実現を通して、特定の他人の人格や生命を傷つけることさえある。家族の一員を守るために、誰かを殺さなくてはならない場合もある。
 そればかりではない。職業倫理も、この個体生命倫理と矛盾することがある。職種によっては他者の生命を犠牲にすることを使命とするからである。もっとも典型的な例は、命令に従順で有能な兵士。さらに、忠実に法に従って死刑を宣告する裁判官、死刑執行人、やや間接的だが、武器や兵器の熱心な研究者・製造者・販売人など。
 ノーベル賞の創設者アルフレッド・ノーベルは、兄の死の際に自分の死と間違われて報道され、その際自分が爆薬の発明者として新聞で「死の商人」呼ばわりされたことを気にして、ノーベル賞の一部門に平和賞を設置することを決めたと言われている。もしそうだとすれば、彼はこの賞の創設に、個体生命倫理からくる贖罪意識を込めたのだろう。
 また個体生命倫理は、公共性の倫理とも矛盾することが多い。もし公共体としての国家が、外敵から己れを守るために個人の命を捨てることを要求する場合には、進んでそれに従わなければならない。たとえば、共和国の思想を練り上げたジャン・ジャック・ルソーの祖国スイスの憲法には、はっきりとそういう意味のことが書かれている。
 そうして、こういう事態はどの国でも戦争時には起こりうることであって、しかも祖国のために命を犠牲にした者は、称えられたり祀られたりするものである。共同体全体によるこの称賛や鎮魂の営みには、残された生者によってはけっして矛盾か解決できないことへの遺恨の念と死者に申し訳なかったという思いとが忍び込んでいるだろう。

 こうした根本的な矛盾に、何とか倫理学的な言葉を与えようとすれば、次のように考えるほかはない。
 すなわち、個体生命倫理には、それを受容できる条件あるいは制約というものがおのずからあって、この条件あるいは制約から独立に、それ自体として存立させることはできない。またそうすべきではない。その条件あるいは制約とは――

この倫理が必ず何よりも優先するというのではなく、いつも特定の具体的状況との絡みでその優先性が問われなくてはならない。「ひとりの命は地球よりも重い」はしょせん言葉であって、犠牲やむなしとして決断と行動に踏み切らなくてはならないこともある。
 刑法で違法性を阻却される正当防衛や緊急避難による殺人はこの最もわかりやすい例である。また国家の行動としての戦争は、それが正しいか間違っているか、賢い判断であるか愚かな判断であるかにかかわりなく、犠牲者を生む。世界平和は人類の願いだが、願いの実現を待つわけにもいかないのが世の習いであれば、私たちはこの犠牲の発生を覚悟しておかなくてはならない。

この倫理は、常に当事者(命を奪われるかもしれない者)にとってのありうべき未来との関係において考えられなくてはならない。この関係では、当事者が今後生きていても、他者を害さないかどうか、また当人が充実した生を送りうる可能性がいかほどのものかという判断が必ず関与してくる。
 たとえば矯正の見込みがないと考えられた凶悪犯罪者への死刑執行、脳死状態の患者からの臓器摘出、末期患者の延命措置中止などは、この判断がネガティヴにはたらいた例である。これらの殺人行為は、たとえ本人の事前の同意があった場合でも、他者からの強制性が大なり小なり作用することを避けられない。また、子どもや若者、女性の生命を優先させる例などは、同じ判断がポジティヴにはたらいた例である。

 
それぞれの個人が互いに他者の生命を尊重しうる範囲と限界がおのずから存在する。どんな有力者も、「他者」一般の生命をおしなべて尊重することはできないという事実を認識しなくてはならない。
「他者」という概念は、自己とか個人とかいった概念の対立項として便利に用いられるが、実際の生においては、その中にいくつかの次元の違いがあるということを常に見つめながら用いる必要がある。この次元の違いは大ざっぱに言って三つある。すなわち一つは、夫婦親子兄弟、親戚、友人、恋人、頻繁に出会う知人、隣人などの「身近な他者」であり、もう一つは、行路で出会って別れてしまう「見知らぬ他者」であり、最後に法的な人格というレベルで取り上げられる「一般的な他者」である。
 人は日常的人倫において、はっきりとは語られないこの次元の違いを理解し、その理解に応じてそこに軽重の差別を施しつつ道徳的な行動をとっているのである。先に引いたヒュームの言葉も、この避けがたい事実を指摘したものと考えられる。

  
人はそれぞれの生を歩み、いずれははかなく別離してゆく存在であるという人間の深い自覚が、この倫理に影響を与えている。個体生命倫理そのものはなるべく貫かれるべきであるし、個々の個体生命の限界を超えて維持されるべきであるが、しかし絶対的ではない。いずれ誰もが死ぬということは、すべての人がよく知っているので、だからこそ、①~③で述べたように、この倫理をただ何よりも優先されるべきものとして前面に押し出せば済むのではなく、あるケースによっては死んでも仕方がないという諦念をいつも傍らに引き寄せておく必要がある。そのことによって、かえってこの倫理にそのつど具体的で適切な位置を与えることができるのである