小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

12月に拙著『13人の誤解された思想家』がPHP研究所から出版されます

2015年11月20日 14時49分49秒 | お知らせ



12月17日発売。定価1,700円

この本は、西部邁氏が主宰する隔月刊誌『表現者』に連載中の原稿から取捨選択し、大幅に加筆したものです。西部邁氏に深く感謝の意を表明いたします。
サブタイトルに、「西欧近代的価値観を根底から問い直す」とあり、帯コピーには、「西欧思想の巨人群に対して私たちが抱いているイメージは正しいのか。世界の混沌を前に、日本人が自前の考え方を確立するための手引き書。」とあります。扱った思想家は次の通り。

プラトン、イエス、マキャヴェッリ、ガリレイ、デカルト、ルソー、カント、ダーウィン、マルクス、ニーチェ、フロイト、ウィトゲンシュタイン、ハイデガー

以下に、「序に代えて」の一部と「あとがき」の一部を抜粋します。

【序に代えて】

 思想は「勉強」すべきものではなく、むしろそれを語った当人と、あたかも先輩や友人のように「つきあう」べきものである――傲慢の謗りを覚悟の上で言えば、筆者はずっとそう考えてきたのです。彼らがどんな偉大な思想家、哲学者、科学者として遇されていようと、またどれほど言語の壁が立ちはだかっていようと、ともかくその一人ひとりの肉声が聞こえたと思えるところまで近づいてみて、真剣に疑問を投げかけ、対話を成立させようと努力すべきではないか。
 これをやれば、なかには「偉大」と思われていた思想が意外と「裸の王様」である場合があったり、また逆に、はき違えられて継承されるか不当に冷遇されている場合もあったりするさまが、けっこうよく見えてくるはずです。これが見えてくると、知識界・言論界において、欧米をただ権威と仰ぐ謂われなきコンプレックスから少しは自由になれるでしょう。

【あとがき】

 世界はこれから、中世的・近世的な混沌のるつぼの中に差し戻され、西欧が擁立した自由・平等・人権・民主主義などの「普遍的価値観」はいたるところでそのほころびをさらすでしょう。これらがそれを旗印にしてきた特定の国々の自己防衛のためのスローガンにすぎなかったことが暴露されてしまったのですから。
 そうなると、世界の国々は、グローバリズムの荒波に対する防波堤を築いてそれぞれナショナリズム(国民主義)にたてこもらざるを得ません。もちろんわが日本も国民の福利を第一に優先させる立場に立つべきなのです。「自由、平等、博愛を奉ずる地球市民」などという夢は早く捨てたほうがいい(ちなみに「博愛」は誤訳であり、正しくは革命勢力の同志愛です)。これからは、好むと好まざるとにかかわらず、ホッブズの言う「自然状態」が国家を単位として当分続くのです。(中略)
 さてこの覚悟を固めたとして、西欧をお手本に近代国民国家を作り上げた日本は、もともと同一性の高い国ですから、内外の危機はいろいろあるにせよ、当分の間、この枠組みを保ち続けるでしょうし、保とうとするでしょう。その場合、これからの日本の針路を見定めるにあたって、当のお手本であった西欧の思想がじつはどんな姿と表情をしていたのか、その長所や欠点を冷静に見つめ直す試みがますます必要になってくると思われます。私も回り道をたどりながら、その試みの一端に加わってみたいと思いました。

お知らせ

2015年11月12日 16時22分07秒 | お知らせ
11月29日(日)、午後2時より6時まで、四谷ルノアール・マイスペース3階にて、「語りだけが真実である――太宰・落語・物語」というタイトルで小浜が講演をいたします。入場料は1,000円+飲み物代です。店内に「しょーとぴーすの会」という表示が出ています。ご関心のある方は、ふるってご参加ください。事前のお申し込み、お問い合わせはご無用です。>

当講演のコンセプトは以下のとおりです。落語も一席お聞きいただく予定です。

★語りだけが真実である――太宰・落語・物語
 
 天動説が地動説にひっくり返ったように、この世には、絶対的・客観的な真実があるという信念は、必ずしも正しいとは言えません。ところが科学時代に生きる私たちは、しばしばこの懐疑を忘れ、何かあらかじめの絶対的な真実なるものがあると、どこかで見なしながら生きています。しかし、神話や歴史や文学を顧みると、「語られたもの」「書かれたもの」「考えられたもの」を通して、客観的真実なるものが承認されてきたにすぎないことがわかります。科学的真実もその例外ではありません。
 また最近の某国(複数)の振る舞いを見ていると、「歴史とは捏造の歴史である」と言いたくなってきますね。どうやら声の大きい奴が勝っているようです。
 この講演では、文学や古典芸能や歌物語などを中心素材にして、「真実」とか「事実」ということの意味をいろいろな角度から(哲学的にも)掘り下げてみたいと思います。物事を鵜呑みにしない健全な懐疑精神を恢復するための一助ともなれば幸いです。
 ちなみに、私の話を「客観的真実」だと信じないでください。その心配はありませんね。

財務省の卑劣な誘導に乗るな(SSKシリーズ22)

2015年11月03日 13時10分01秒 | 経済
 埼玉県私塾協同組合というところが出している「SSKレポート」という広報誌があります。私はあるご縁から、この雑誌に十年以上にわたって短いエッセイを寄稿してきました。このうち、2009年8月以前のものは、『子供問題』『大人問題』という二冊の本(いずれもポット出版)にだいたい収められています。それ以降のものは単行本未収録で、あまり人目に触れる機会もありませんので、折に触れてこのブログに転載することにしました。発表時期に関係なく、ランダムに載せていきます。

【2015年9月発表】

 去る9月9日、2017年4月から消費税が10%に増税される件について、財務省が軽減税率に関する一つの案を提出しました。これは、2016年から実施予定のマイナンバー制と組み合わせたきわめて煩雑なもので、おそらく一般国民で賛成する人はまずいないだろうと思われます。その概要は、お店で買い物するごとに個人番号が付されたカードで金額を登録し、それがセンターに送られてポイントとして累計された結果、該当する商品につき年間4000円を上限として2%分が還付されるというものです。還付を受けるためには、スマホやパソコンで新しく振込口座も開設しなくてはなりません。
 わざと手続きを面倒にして還付されないようにするという意図が見え見えですね。そもそも自主的にマイナンバー登録する人は四分の一に満たないと言われています。返してもらいたけりゃ登録しろという脅迫まがいの提案を政府が公然としているのです。
 この案に対しては、個人情報の漏洩を恐れるとか、上限金額が安すぎるとか、手続きが煩わしすぎるとか、各店舗に設置する機械の費用はどれくらいかかり、だれが負担するのかとか、増税期までに設置が間に合うのかとか、すでにいろいろな批判が出されています。案の定この提案は与党が難色を示し、すでに白紙撤回されました。
 しかしここで言いたいのは、その種の批判ではありません。むしろこれらの批判が、最も重要な問題点を忘れさせる役割を果たしていると指摘したいのです。
 最も重要な問題点とは何か。そもそも財務省は、10%への増税を既定の事実として前提にしながらこの案を提出しています。この前提では、なぜ10%に増税する必要があるのか、これを実施すると国民生活はどうなるのかという問いがまったく不問に付されているのです。
 この間の消費税増税の動きは、このままでは「国の借金」が膨らんで財政破綻するから税収増で補填する必要があるという、財務省の間違った理屈に基づくものです。政府の負債(国債)はほとんどが日本国民の財産であり、しかも円建てですから破綻の恐れなどないばかりか、通貨発行権を持つ日銀が買い取ればいくらでも減らすことができます(現に異次元緩和で減っています)。また政府は負債ばかりでなく莫大な資産も持っています。そもそもデフレ不況時に増税や緊縮策などを取れば、消費や投資がますます落ち込むことは明らかです。現に前回の増税がGDP成長率のマイナスを引き起こした事実が明るみに出ましたね。
 もともと消費税は生活弱者に厳しい逆進性をもっています。これを増税することによって財政を「健全化」しようという政府の政策は、自分たちが打つべき景気回復策(まずは大幅な財政出動です)を何ら打たないその無策の責任を国民になすりつけようとするとんでもないペテンなのです。10%への増税を既定の事実として、その上でヘンな提案をする財務省は、自身の最愚策については何の反省もせず、その欠陥を隠すために論点をずらしているわけです。こんな卑劣な誘導にけっして乗せられてはいけません。
 これを伝えないバカなマスコミを信じることはできないので、もう一度私たち自身で、消費増税が果たして必要なのかどうか一から考え直そうではありませんか。