小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

誤解された思想家・日本編シリーズその5

2017年01月31日 11時15分30秒 | 思想

      



日蓮(1222~1282)


「日蓮」と聞くと何を連想しますか。
元寇を予言した人?
時の政権を批判・告発し危うく斬首されかけ、二度の流罪に処せられた受難の社会派僧侶? 
当時の仏教界に新風を吹き込んだ改革者?
戦前の国柱会に見られるような国家主義者? 
それとも創価学会のような大衆折伏主義? (ちなみに「折伏」は本来は、慈悲によって相手の心を包む「摂受」の対義語で、相手の悪を打破して圧伏することを意味します。) 
さてこれらの観念連合は、どれも一面だけを誇大にとらえたきらいがあり、またそこには誤解もあるようです。

 日蓮は、安房の国(千葉県南房総)の漁民の出ですが、『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』などを見ますと、自分がそうした「下賤の出自」であることを相当気にしていた様子がうかがえます。この書は彼の他の著作と同じように、汚辱にまみれた末法の世から衆生を救う教典は法華経を置いて他にないということを繰り返し強調した著作ですが、最後に近くなるにしたがって、どうして邪教の誘惑から衆生を救う菩薩が出てこないのかと自問します。そしてさんざん躊躇した挙句、ついにわれ日蓮こそはそれであると宣明するに至ります。
 この前に書かれた有名な『開目抄』では、まだそこまで明瞭に宣言するには至っていません。しかしこれらはいずれも佐渡流罪の際(日連五十一、二歳)のかなり孤独な境涯の中で書かれており、熟成してきた執念をこの二作で一気に集中させた趣きがあります。
 つまり『開目抄』の時点から、じつはひそかに「われこそ末法の世を救うために釈尊より遣わされた菩薩なり」という観念を温めてきたのだと思われます。この執念の異常さは、一種のコンプレックス(矛盾した複合観念)の表れであり、そこにはたまたま辺境で低い身分として生い育った「麒麟児」に特有の、誇大妄想癖とナルシシズム、マゾヒズムが感じられます。
 もっともこれは、古今東西、強固な意志を持った宗教家、思想家に共通する側面でもあります。自分の反時代的な言動によって引き起こされた迫害や弾圧や無視を、「自分が本当のことを言ったからこそこのような目にあうのだ。これは自分に予定されていた運命である」というように自己肯定の糧に思い替えてゆく心術です。迫害されればされるほどその事実そのものを、喜悦の感情とともに、神仏によって選ばれた証しとして規定し、それを基盤として自分の宗教的、思想的使命をいっそう確固たるものとしてゆく。
 この心術は、民族レベルでは古代ユダヤ教の聖典である『旧約聖書』に顕著に表れていますし、初期キリスト教徒にもそれが見られます。近代では、ニーチェなどにも明らかに通ずるものがあります。選民思想の心理的源は、世俗に受け入れられず迫害されるという経験そのものに宿っているといっても過言ではないでしょう。
 この心術にはどこか依怙地で不健全な、ねじくれたものがあり、現実との闘いに敗れなければ生じ得ないものです。しかしまた、敗れて追い詰められても意志を放棄しないかぎりは、どんな人でもある程度そうなるという人間共通の傾向を表してもいます。
 日蓮の場合は、もともとの資質の激越さに加えて、佐渡流罪以降にこの誇大妄想癖(ナルシシズム=マゾヒズム)がかなり強まったようです。というのは、彼が幕府当局から公式的に受けた扱いは、あの荒々しい当時の東国の風潮にしてみれば、さほど苛酷なものとは思えないからです。
主著『立正安国論』(日連三十九歳)を北条時頼に上進した時に時頼はこれを無視しました。一カ月後、日蓮の草庵が暴徒による焼き討ちに逢いますが、日蓮はこれを逃れます。ここに幕府の陰謀の匂いを嗅ぐこともできなくはありませんが、むしろ『立正安国論』に盛られた過激な法然批判の内容が念仏宗徒たちに漏れ出て恨みを買ったと見るのが自然でしょう。
 翌年、日蓮は伊東に流罪となりますが、これも、秩序を騒がせるうるさいやつを追っ払うといった感じのもので、一年半余りで赦免されます。
 懲りない日蓮は、五年後、モンゴルの使者の大宰府来訪をきっかけとして、時宗以下、諸大寺に「十一通御書」を送り付けて公開討論を持ちかけますが、これも無視されます。
 さらに三年後、再び『立正安国論』を幕府に提出しますが、逆に捕らえられて佐渡流罪が決まります。流罪の道行きの途中、鶴岡八幡宮に向かって大音声で「日蓮、今夜首斬られて、雲仙浄土へ参ったときは、まず天照太神・正八幡こそ誓いを果たさぬ神である、と、名を指して教主釈尊に申し上げるぞ」と呼ばわったそうです。日本古来の神にまでたてついているのですね。やがて龍口の刑場で処刑されることになりますが、その間際に異変が起こって処刑は中止となり、結局佐渡に流されます。中止はあらかじめ決まっていたのかもしれません。
 日蓮は後に、法華経のために命を捨てるのは日本国でただ一人だと、その覚悟を語る言葉を残しています(『種種御振舞御書』日蓮五十四歳)が、後付けで見栄を切っている印象が拭えません。また佐渡流罪もわずか二年半で赦免となっています。

 以上の経過を見るに、次のことが言えそうです。
 第一に、処刑の手は困り者の日蓮を排除しようとする他宗派の差し金であった可能性が高く、鎌倉幕府ははじめから厄介ごとに手を染める気はなかったのではないか。当時の幕府は、世俗の権力争いでは仮借なく殺戮の手を伸ばしますが、すでに各宗派融和の時代になっていた仏教に関しては、よほどの擾乱の兆しがない限り宗派争いには真剣な関心を示さなかったでしょう。ましてエキセントリックな日蓮一人の運命など、支配的な宗派(禅宗、浄土宗、真言宗など)の決済あるいはその筋の陰謀に任せていたのではないか。
 第二に、同じことを裏側から言えば、一連の経緯は、たぶんに日蓮の独り相撲の気配が強く、彼が鎌倉でやっていたこと説いていたことはほとんど相手にされていなかったのに、後の彼自身の述懐では、それらがさも大きなことであったかのように肥大化して把握されているということです。迫害されればされるほど自分は選ばれた民である証拠なのだというのは、ただ日蓮の心の中の劇にすぎなかったということになります。
『立正安国論』における元寇の予言にしても、薬師経にある「他国侵逼の難、自界叛逆の難」の経文を頼りに、現世の腐敗堕落を怒り嘆くために唱えていたのが、たまたま的中したというにすぎません。一度目の来襲(文永の役)では予言が当たったことを彼は喜んでおり、次はこんなことでは済まされず必ず本土が侵されると意気込んで言っていました。が、二度目の来襲(弘安の役)でモンゴルが上陸すら果たせなかった時は、老日蓮は身延山で沈黙を守っただけでした。
『立正安国論』に登場する「客」の「先ず国家を祈って須らく仏法を立つべし」という有名な言葉も、国家主義を謳ったものではなく、すぐその前に「夫れ国は法に拠つて昌え、法は人に因つて貴し」とあるところから見て、正しい仏法を守ることこそがすべての基本であるという原則を述べたものにすぎないでしょう。もともと仏教が日本に取りいれられたのは、鎮護国家のよりどころとしてだったのですから、仏教の原点に戻れと呼びかける日蓮が、「国家」を口にするのも不思議ではありません。この場合の国家とは、仏法秩序の支配する理想世界というほどの多分にイマジネイティヴなもので、格別日蓮を社会派の僧侶と見なす根拠にはならないと思います。行基のように土木事業に身を投げ出したわけでもないのですから。
 この点では、佐藤弘夫氏(『立正安国論』解説・講談社学術文庫)の説くところが正しいと思います。

 それでは、日蓮が終始一貫して執着したことはいったい何だったのか。それはひとことで言えば、当時の諸宗派混淆の妥協的実態に何としても我慢がならず、法華経を根本教義とする天台宗の初心に立ち返れと訴えることでした。

≪但此の経(法華経――引用者注)に二十の大事あり。……律宗・法相宗・三論宗等は名をもしらず。華厳宗真言宗との二宗は偸に盗て自宗の骨目とせり。一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。……但我が天台智者のみこれをいだけり≫(『開目抄』一の四)

 天台宗は隋の智顗が確立した宗派で、わが国では最澄(伝教大師)が八百六年に開山しています。最澄は、それまでの奈良仏教の権威主義に旺盛な対抗心をもって立ち向かい、この中国伝来の新知識を広めようとしたのです。
 しかし時代は移り、日蓮の活動の時代までにすでに四百五十年を閲しています。他宗も次々と起こってもはや開山時のフレッシュな雰囲気は影を潜め、天台比叡山は、よく言えば寛容な大御所、悪く言えば純粋性を失って世俗や他宗と妥協する惰性態と化していました。一徹な日蓮は、この状態を根本から建て直すことにこそ自分の存在意義を見出したのです。さてそう自らの立ち位置を定めた時、最も邪悪な連中と映ったのが、念仏宗徒たちの跋扈でした。
 折から鎌倉大地震が起こり、飢饉、疫病が蔓延していました。自然災厄や社会悪をそのようなものとして対象化できずに、仏法を破壊し衆生を惑わす邪教や先祖の祟り、前世の因縁や狐・天狗などのせいにするのはこの時代の習いでしたから、そのこと自体は別段特記すべきことではありません。
 しかし日蓮の眼には、念仏宗徒たちの振る舞いが何とも忌まわしい悪魔の仕業と映ったのです。彼らは、天台宗を含めた古くからの諸宗を聖道門としてひと括りにして捨て、専修念仏のみを推奨する浄土門を選択している。知識のたゆみない研鑽や厳しい修行を成仏の条件とする難行を斥けて、南無阿弥陀仏を称名することのみを勧めている。そうしてそれだけを本行として尊び、他を雑行として軽んじている。これこそは滅ぼすべきものだ、これを滅ぼさずしてどうして日本国の衆生が救われようか。ではその悪魔の本体は誰か。言うまでもなく浄土宗の開祖・法然である……。
 こうして法然が無間地獄に落ちるべき対象として真っ先に選ばれたのでした。いまでこそ浄土宗、浄土真宗と日蓮宗とは穏やかに棲み分けていますが、日蓮の主著『立正安国論』とは、なんと法然に対する憎悪を爆発させるために書かれたようなものです。
 日蓮は言います。法然は主著『選択本願念仏宗』において、あまたある経文から浄土三部経だけを絶対視し、聖道、難行、雑行のすべてを「捨て・閉じ・閣き・拗って」念仏行のみを「選択」する道を唱道したが、これは人を迷わすとんでもない間違った道である、と。
 この捨・閉・閣・拗の四文字は、『選択本願念仏集』の文章から日蓮自身が恣意的に抽出したもので、そこには批判のための批判の趣きが無きにしも非ずです。このシリーズの第一回で述べたように、法然自身は、聖道門をすぐにでも捨て去れとはけっして述べていず、それぞれ分に応じて入り口はいろいろあってよいが、最終的には念仏行こそが救いをもたらすのだと寛容に説いているだけです。知識や修行を積むことなどやめてしまえなどと言っているわけではありません。
 いっぽう日蓮のほうも、『観心本尊抄』のなかで、「衆生にはもともと仏の知が具わっている」と説いていますし、無量義経や最澄の言葉を引いて、「この経を信じさえすれば六波羅蜜を修行しなくても六波羅蜜は自然に前にある」とか「釈尊は、私たちが妙法蓮華経の五文字を受持しさえすれば、自然にかの因果の功徳を譲り与えてくださる」などと説いています。これは、弥陀の救済を信じて南無阿弥陀仏を心から唱えれば必ず往生できると説くのといかほどの違いがあるのでしょう。
 法然と日蓮の間には、その活躍期に七十年から八十年の開きがあります。日蓮は、法然の融通無碍の人格や、彼がなぜ難行をくぐりぬけた果てに易行こそ本行であるという結論にたどり着いたのか、その生きたモチベーションについて知りません。日蓮が目の前にしていたのは、おそらく、菩提心(成仏を心から願う志)そのものに重きを置かない当代の多くの念仏者だったのでしょう。

 やがて日蓮は、念仏者だけではなく、先の『開目抄』の引用で見たとおり、真言宗、禅宗をも公然と批判するようになります。それは、彼からすれば法華経こそ唯一信奉するに値するのに、他の宗派がそれを部分的に取り入れたり軽視したりしているので、そのさまを見て憤懣やるかたない思いに駆り立てられたからです。
 この原理主義的傾向は時間が経つにつれて高じていきます。こうなると、むしろ法華経(特に寿量品に書かれた一念三千の観念)をかくされた秘儀として周囲の眼から閉ざしていくことになります。
 さらに、『開目抄』では、異教徒や論敵に対する態度を、「摂受」に対するに「折伏」をもって正当化しています。先に述べたように、「折伏」とは本来は、慈悲によって相手の心を包む「摂受」の対義語で、相手の悪を打破して圧伏するという、きわめて攻撃的な姿勢を意味しています。
 この問題は日蓮自身が苦悶したらしく、『立正安国論』では、苦しい矛盾として現れています。
 すなわち、第七段では、正法を誹謗する者を殺しても罪には問われないとして武装(殺生)をこの場合に限り肯定しているのですが、第八段で「客」が殺生の是非をもう一度問うと、主人は「私はただ謗法者への供養を止めよと主張しているだけであって、けっして念仏の僧を力づくで弾圧せよといっているわけではない」と微妙に調子を和らげた答え方をしています。
 ここには南都北嶺の武装した「悪僧」の存在という無視し得ない現実が反映していると言えるでしょう。彼らは平然と「敵」を殺していました。天台宗徒とて例外ではありません。そうした現実を目の当たりにしていた日蓮にとって、己れの奉ずる唯一の正法が、悪僧たちの狼藉を許すか許さないかは、真剣に悩むに値する思想的課題でした。現実と理想のはざまで、日蓮自身は引き裂かれており、問題は未解決のまま残されたのです。
 結局、日蓮は己れの純粋一途な激しい気質と、天台宗の正統性を守らんとする固い意志とを重ね合わせて、これを汚すものは許せないと一貫して主張していたことになります。
 つまり彼は、日本仏教の新しい道を切り開いたのではなく、むしろ時代に逆行する道を「選択」したのです。彼の頭の中には、膨大な諸経(学問)の文字が絶えず満ち溢れていましたが、ついに具体的な民衆の生活像を、その苦しみの相貌とともに思想的な視野に収めることはありませんでした。その意味で、やはり法然とは反対の方向を向いていたと言えるでしょう。
 私たちは、武家社会の勃興を背景に立ち上がった鎌倉仏教のなかに、単に一つの方角から吹き寄せてきた新しい時代の風を感じ取るのではなく、道元らの禅宗も含めて、いくつもの異質な思想体質を読むのでなくてはなりません。







トランプ次期大統領に日本はどう対応すべきか(その3)

2017年01月19日 16時24分02秒 | 政治

      




⑦オバマケアの破棄と新しい保険制度の創出
 アメリカの医療保険はすべてが民間保険会社に牛耳られていて、日本のような皆保険制度はありません。しかも各州で一社が独占していて、加入すると高い保険料を払わせられます。医療費は異常に高額で、低所得層は満足な医療を受けることができません。
 そこでオバマ大統領は低所得階層にも十分な医療をという名目で、オバマケアを通しました。一見良い方向に向かっていたかのようですが、日本人の多くはその実態についてあまり知らないようです。
 オバマケアは、オバマ氏の出身州で独占的に運営している保険会社の保険を全米に拡張して、強制的に加入させたものです。したがって高額の保険料を取られるという状態が少しも改まったわけではなく、かえって全米の低所得者層が生活難に陥るという事態を招く一因となったのです。
 トランプ氏がプア・ホワイトの支持を得るためにオバマケアの廃棄を訴えたのにはそういういきさつがありました。ただ、これからどんな保険制度を提案するのかは、今のところ未知数です。

⑧いわゆる「移民排斥」と「メキシコ国境に壁建造」
 トランプ氏は、一般的に移民を排斥しようとしているのではありません。中南米からの不法移民を受け入れないと言っているので、「不法」であるかぎり、法治国歌の長として正当な言い分です。また次の三つの事実を知る必要があります。
 一つは、実際にメキシコから国境を超えてやってくる不法移民の数は膨大で、しかもその中にはコロンビアなどからの麻薬密売人が数多く含まれており、限られた国境警備隊員たちはとても取り締まり切れずに音を上げているという事実。二つ目に、米国内に入ってから犯罪を犯すヒスパニックの不法移民たちは、その犯罪対象に、白人を選ぶのではなく、むしろすでに米国民として公認されている同じヒスパニックを選ぶことが多いという事実。そして三つ目に、ムスリム移民の中にテロリストが紛れ込んでいる可能性が高いという事実。
 これらの事実にオバマ大統領を含む民主党陣営およびその傘下にあるほとんどのマスメディアは目をつむり、何一つ有効な対策を打てませんでした。代わりに硬直したPC(ポリティカル・コレクトネス)の理念を振りかざしてトランプ発言を歪曲し、「差別主義者」「排外主義者」というレッテルを貼りつづけてきたのです。
 評論家の江崎道朗氏によれば、いまアメリカの白人たちは歴史教育の領域で幼いころから「ホワイト・ギルト」と呼ばれる自虐史観を叩きこまれているそうです。黒人やヒスパニックやムスリムやインディアンなどこれまでマイノリティと見なされてきた人たち、あるいは女性に関して、少しでも「公正」とみなされない言葉を出すとPCに反するとされます。この厳しいタブーによって、アメリカ社会はまことに息苦しい雰囲気に支配されています。「メリークリスマス」はキリスト教だけを称揚するから「ハッピー・ホリデイ」と言わなければダメ、「天にましますわれらの父よ」は男性優位を示す思想だからダメ、といった具合です。アメリカが最も尊重しているはずの「言論の自由」はいったいどこに行ったのでしょう。トランプ氏は、この不自然極まる風潮に対してNOを突きつけました。
 しかも確かな入国手続きも施さずに、ヒューマニズムと過剰な平等主義に裏打ちされたPCの原則だけで無条件に移民を受け入れてしまうことは、麻薬禍や犯罪の増加だけでなく、アメリカ全土に賃金低下競争を引き起こし、階層間格差をますます広げる結果を生んでいます。これはEUの現状と同じですね。国民の間に文化摩擦や被抑圧感を高め、ルサンチマンを蓄積させ、国民間の分断をもたらします。硬直した理想主義・形式的な平等主義が生み出す弊害です。
 国境に壁を築くことは、費用をメキシコにもたせるという案はともかくとして、特に突飛な計画ではなく、こうした悲惨な状況に根差した現実的な計画なのです。これはまさに安全保障策であって、国防費の拡大と同じ意味を持っています。しかもこれも雇用創出という経済効果が見込まれるわけです。

 ここでトランプ氏の内政面における人事に着目してみましょう。
 財務長官には元ゴールドマンサックス幹部のムニューチン氏、商務長官には知日派で著名投資家のウィルバー・ロス氏、国家経済会議(NEC)委員長にはゴールドマン・サックス社長兼COO(最高執行責任者)のゲーリー・コーン氏、主席戦略官・上級顧問には同社で勤務経験のあるスティーブ・バノン氏が起用されました。「トランプ政権はさながらゴールドマン・サックス政権のようだ」との声が上がっているそうです。
 これは一見、マクロ経済にあまり明るくないトランプ氏が、グローバリズムに妥協・迎合しているように感じられます。たしかに人事だけを見ると、そういう懸念を感じさせます。
 しかし私の推測では、これらの起用には二つの理由が考えられます。ひとつは、彼の親ユダヤ感情やこれまでのビジネスを通して築き上げたユダヤ人との親密な人間関係の表れです。もう一つは、金儲けがうまく利にさといユダヤ人金融資本家を多く高官に起用することによって、私的利益の追求から離れさせて国富の増大に専念させようとの腹ではないかと考えられます。
 新財務長官・ムニューチン氏は、「法人と中間所得層を対象とした減税、規制緩和、インフラ投資、二国間の貿易協定を通じて、米国は3~4%の経済成長を達成できる」「法人税の引き下げによって米国に大量の雇用が戻ってくる」との見方を披露したそうです。この点では、トランプ氏の考えに一致しています。
 ムニューチン氏は同時に、リーマンショック後に銀行規制のために制定されたドッド・フランク法(DF法)が複雑すぎて融資を抑制する要因になっているとして、これを解体するとも述べています。
 銀行と証券取引とを分離するために1933年に制定されたグラス・スティーガル法(GS法)は資本移動の自由を阻害しているとして1999年にその一部が廃止され、代わってグラム・リーチ・ブライリー法によって、銀行の資金運用が大きく自由化されました。しかしその結果リーマンショックが起きたため、このような事態を防ぐべく2010年オバマ政権の下でDF法が制定されました。
 DF法は主として巨大金融機関の動きを監視することを目的としていますが、金融機関の抵抗が大きく、実際には骨抜きにされていると言われています。またこの法によって、かえって小規模金融機関が廃業に追い込まれた例も多いそうです。
 トランプ陣営は、選挙運動期間中にGS法の復活を訴えていましたが、これはザル法と化しているDF法の解体というムニューチン氏の主張と同一方向です。しかしGS法の復活やDF法の解体という過激な規制の方向は、おそらく金融機関の抵抗があまりに大きいでしょうから、結局DF法の修正という形に落ち着きそうです。
http://www.dir.co.jp/research/report/law-research/securities/20161115_011406.pdf
 いずれにしても、トランプ氏の反ウォール街の姿勢は、この人事によって覆されるというわけではないと考えられます。ただしなにぶん複雑な意向が錯綜する金融界のこと、ミイラ取りがミイラになる危惧は拭えませんが。

 以上、トランプ次期大統領の政策を検討してきましたが、繰り返すように、これらが彼の思ったとおり、すべて実現するわけではありません。議会には反対党がいますし、同じ共和党でも反トランプ派は多いでしょうから。また仮に実現したとしても、本当に国内に好影響を与えるのか、世界にどういう波紋を引き起こすのかは今のところ未知数です。
 しかし一つだけ確かなことがあります。それは、彼が取ろうとしている政策が矛盾しているように見えながら、じつはすべて思想的な一貫性を持っているということです。その一貫性とは、すでに述べたように、グローバリズムの行き過ぎた流れを押しとどめて、アメリカのナショナリズムの再建(アメリカ・ファースト!)を目指していることです。それは同時に、形骸化した民主主義をもう一度健全なものに戻す試みでもあります。なぜなら国家統合が崩れたところによい意味での民主主義体制は成り立ちようがないからです。
 冷戦崩壊後のアメリカの政権は、莫大な財産や資金を自分たちの周りに集めながら貧困層を救えず格差問題を解決できず、いたずらにPC、人権、自由などの空疎な精神論を振りかざしてきました。好景気はあったものの、すべて富裕層に吸い取られてきました。国民の多くはその欺瞞性に気づき、それがグローバル金融資本体制に本気で殴り込みをかけるトランプ氏を支えたのでしょう。それはいうなれば、ソフト・クーデターであったといっても過言ではありません。これが新しいアメリカの統合を作り出すかどうか、超格差社会の是正を成し遂げることができるかどうか。敵の多いトランプ氏のかじ取りは荒海での航海に似たものとなるでしょう。

 最後に、日本との関係についてまとめます。
 日本人のなかには、選挙期間中にマスメディアによって流されたトランプ氏のイメージのために、何となく彼に対して「政治経験のない乱暴な人」という軽蔑的な印象を抱いている人がいまだに多いようですが、これまで述べてきたように、それはまったくの誤りです。トランプ侮るなかれ。
 彼の政策を見ると、政治的にはこちらによい風が吹いてくる可能性が高いですが、それは日本側がいかに彼の意向にきちんと応えるかにかかっているとも言えます。また経済的には、よほどきつい闘いを覚悟しなければならないでしょう。何しろ相手は強力な国益第一主義をもって攻めてくるのです。グローバリズムの夢に酔っ払い続けて、TPP批准だの、アメリカ流規制緩和だの、移民政策だの、農協改革だの、混合診療だの、電力自由化だの、英語第二公用語化だのと、いつまでもバカげた周回遅れをやっていると、日本の健全なナショナリズムは崩壊し、遅かれ早かれ、アメリカの属州になるか、中国に併呑されるか――要するに亡国の道を歩むほかはないでしょう。
 トランプ大統領の登場は、英国のハード・ブレグジットと同じように、グローバリズムの弊害を除去して健全なナショナリズムを建て直す大胆な試みの意味を持っています。それは、世界の不安定化と格差拡大に抵抗する一つのお手本なのです。願わくはわが日本もこのお手本から多くの教訓を学び取らんことを。

トランプ次期大統領に日本はどう対応すべきか(その2)

2017年01月19日 00時40分58秒 | 政治

      



 それでは、経済に関わるトランプ氏の政策姿勢から、日本は何を読み取るべきでしょうか。
 彼が公約として掲げている経済政策の主なものは次の通り。

①TPPからの離脱
②NAFTAの見直し
③ラストベルト地域を中心とした製造業の復活による雇用の創出
④劣化したインフラ整備のために10年間で一兆ドルの財政出動
⑤米国企業の外国移転の抑制とグローバル企業の国内還帰のための法人税の値下げ
⑥トヨタなど外国有力企業からの輸入に高関税
⑦オバマケアを破棄し新たな保険制度を創出

⑧ついでにリベラルからPC(ポリティカル・コレクトネス)に反する差別だとして悪名の高い、いわゆる「移民排斥」「メキシコ国境に壁を建造」も挙げておきましょう。これは労働政策であり、労働政策はすなわち経済政策だからです。
 
 さてこれらがすべて実現可能であるかどうか、また適切であるかどうかは別として、その姿勢は見事に一貫しています。狙いをひとことで言えば、グローバリズムがもたらした弊害を一掃することであり、同時に国内需要を増大させて経済的利益を少しでも一般国民に還元させ、超格差社会を是正しようという考え方に立っています。
 一つ一つ検討してみましょう。

①TPPからの離脱と②NAFTAの見直し
 これはTPPやNAFTAに盛られた関税撤廃・自由貿易の促進がアメリカの主要産業をますます弱体化させ、またさせてきたという認識にもとづくものですが、その根には、アメリカの経済的パワー、特に製造業がなぜこんなに衰えてしまったのかという嘆きがあります。その原因を自由貿易促進を謳う各国間協定という外部要因に求めるのは、やや不適切の感無きにしも非ずですが、とりあえず、⑤や⑥と相まって、国内産業保護の効果を持つことは明らかで、グローバリズムを善と考えるイデオロギーに対しても強力なアンチテーゼになっています。その意味で経済思想として評価できます(日本にとって有利という意味ではありません。後述)。
 なお、アメリカのTPP撤退はトランプ氏が当選した時点で決定的で、すでにTPPは死んだので、その後日本国会がこれを批准したことはアホの極みですが、いまだに政府内には、「TPPの対中戦略の側面を理解すれば(トランプ氏の)立場に変化があるかもしれない」(産経新聞1月16日付)などという超アホなことを言う人が政府内にいるそうです。それぞれの国の利害の調整によって成立する国際的な経済協定が軍事同盟の絆を固くするなどということはあり得ません。むしろ経済関係が深まれば深まるほど、その内部で軋轢の可能性も増すと考えるのが自然です。
 また逆にTPPのお流れを喜ぶ向きもあるようですが、ことはそう簡単ではありません、これからの対米通商交渉において、日本における協定の批准は、かえってガンになりかねないのです。というのは、あのアメリカ流規制緩和・各分野における制度変更・国家に対する企業優先の姿勢を謳ったTPPを批准してしまった日本は、これらの拘束条件を前提として対米交渉に臨まなければならないからです。アメリカはそれにうまく便乗して、さらに厳しい条件を要求してくる可能性があります。

③ラストベルト地域を中心とした製造業の復活による雇用の創出
 これは解説するまでもなく、ニューディール政策と同じ性格のもので、⑤や⑥と連動しており、トランプ氏が彼の支持層に応えるべき最も重要な政策と言ってよいでしょう。うまく行けばトランプ氏の国内人気は一気に高まるものと思われます。

④劣化したインフラ整備のために十年間で一兆ドルの財政出動
 アメリカのインフラはその劣化が日本よりもひどいそうです。この政策は乗数効果も見込まれ、たいへん有意義な政策です。
 日本のインフラがまだ一定水準を保ちえているのは、50年以上前の高度成長時代に大規模な公共事業を徹底して行ったからで、半世紀も前のインフラがまだもっているからといって、少しも威張れません。
 すでに笹子トンネル事故、常総市堤防決壊、博多駅前陥没事故をはじめとして、全国の橋やトンネル、道路、堤防、水道管などはあちこちで壊れていっています。これからどんどん劣化の度合いは進むことは必定で、おまけに日本は屈指の災害大国ですから、トランプ政策を大いに見習って、一刻も早く大規模な公共事業の拡充に乗り出すべきです。
 ところが土木学会による点検作業はまだ始まったばかりで、橋梁で9%、トンネルで13%しか進んでいません。こんな状態でわかっただけでも橋梁、トンネルいずれも五段階評価でD(「多くの施設で劣化が顕在化。補強、補修が必要」)という危険な状態です。これから10年先が思いやられます。
http://committees.jsce.or.jp/reportcard/system/files/shakai.pdf
 しかもいまだに日本には、財務省を筆頭として公共事業アレルギーが蔓延しており、公共事業予算は1998年のピーク時に比べて現在はなんと五分の二以下に減らされています。http://www.mlit.go.jp/common/001024981.pdf
 日本にトランプ氏のような決断力のある政治家がいれば、と羨望せずにはおれません。

⑤米国企業の外国移転の抑制とグローバル企業の国内還帰のための法人税の値下げ
 これはタックスヘイヴンに大量の資本が逃げている現在、企業を国内に呼び戻そうと思ったら法人税減税競争に与さざるを得ないので、やむを得ない措置として当然ではあります。しかし税収減を消費増税のように他の面で補うとしたら、一般国民にしわ寄せがいくことは当然で、国民経済はデフレから脱却できないでしょう。無条件で減税するのではなく、国内設備投資減税、雇用促進減税、賃金値上げ減税などの条件を付けるべきでしょう。
 世界経済を健全化させるというマクロな面からは、いずれタックスヘイヴンを一掃して法人税減税競争をどこかで食い止めるような国際ルールを作る必要があります。
 しかし応急手当としてはこの政策は間違っているとは言えません。事実、フォードはこの政策を呑み、その他の有力企業の中にもこの国家的方針に従う流れが出始めています(アメリカでは国内にタックスヘイヴンが存在し、おそらく大企業はそちらのほうに逃げるのでしょうが)。

⑥トヨタなど外国有力企業からの輸入品に高関税
 これまた製造業の復活と雇用の創出を目指すアメリカの側に立てば当然の措置と言えます。しかしもちろん日本企業にとってこれはシビアな問題です。①と並んで、これから世界各国の企業と米企業との間でさらに熾烈な競争が起きるでしょう。TPPとの関連で言えば、もはやTPPは死滅したのですから、この協定のISD条項を使って合衆国政府を訴えるわけにもいきません。その意味で、トランプ氏は国益を守るためにじつに巧妙な政策を打っていると言えます。トヨタなど日本のグローバル企業はよほど臍を固める必要があるでしょう。

 ちなみに、トランプ氏のこれらの姿勢に「保護主義」というレッテルを貼る人たちが多いようですが、それは間違いとは言えないものの、単純に決めつけすぎています。彼は貿易の自由を認めていないわけではありません。TPP離脱にしても、高関税の主張にしても、自国の弱体化した部分の補修を優先的に考えているというだけで、二国間の取引に限定してそれぞれについてことを有利に運ぼうとしているのです。どこの国でもやっていることです。第一、いまさらこれだけグローバル化(グローバリズムではありません)してしまった経済を元に戻すなど不可能だということくらい、ビジネスマンのトランプ氏が知らないはずはありません。自分もそれによって大いに恩恵を受けてきたわけですから。
 要はバランスの問題なのです。

 長くなりましたので、続きは明日アップすることにします。


トランプ次期大統領に日本はどう対応すべきか(その1)

2017年01月15日 23時52分30秒 | 政治

      



 トランプ氏の大統領就任もあとわずかに迫りました。彼のデビューが世界にどんな衝撃をもたらすのか、いろいろと取りざたされています。ここでは国際政治と世界経済の二つの面から、今後予想される趨勢と、それについて日本がどう対応すべきか考えてみましょう。

 まず国際政治ですが、彼が「アメリカ・ファースト」を強く訴えていることから、保護主義に走り、内政面に精力を集中して中東問題や東アジアの緊張から手を引くのではないかと見る向きもあるようですが、それは当たらないと思います。
 対外関係に関わる重要ポストの人事を見ると、次のような戦略が見えてきます。
 国務長官に決定したティラーソン氏はエクソンモービルの元CEOで、エネルギー面でロシアと太いパイプを持っています。彼が政治面ではなく、経済的にロシアと関係が深いという点が重要です。よく知られているように、トランプ氏は選挙運動期間中からロシアに対するこれまでの敵対姿勢を根本から見直すことを訴えています。おそらく彼が対露経済制裁を解除することは確実でしょう。
 アメリカはこれまで、人口一憶四千万、GDP12位と、さほどの大国ではないロシアにことごとく敵対姿勢を取ってきましたが、現在自由主義対社会主義といったイデオロギー上の対立は意味を失っていますし、経済的な利害も特に衝突しているわけではありません。ただしサイバー攻撃など、情報戦争の面でいまだに黒い探り合いが続いていることは確かですが、これは冷戦時代を引きずったアメリカの側の過剰なロシア危険視によるところが大きい。
 ロシアのクリミア併合に対して、アメリカは欧州諸国(および日本)を巻き込んで厳しい経済制裁を課してきましたが、クリミア併合はロシア側からすれば当然の措置と言ってよく、しかも、一応公式的には国民投票という民主的な手続きを取っています。これはアメリカおよびNATOの東進政策の脅威に対抗したもので、事実グルジア(現ジョージア)のバラ革命、キルギスのチューリップ革命、ウクライナのオレンジ革命などには、アメリカの強い関与があったことは周知の事実です。ロシアがこれに脅威を感じて対抗意識を燃やさないはずはありません。
 要するに、自国の「自由と民主主義」イデオロギーを普遍的価値として世界全体に押し広げようとしてきたビル・クリントン政権以来のアメリカの独善がもたらしたものといってもよいのです。そこには実質的には、各地域の特殊事情を無視した身勝手な覇権拡張の意思以外、何の必然性もありません。
 オバマ大統領は、彼特有の理想主義から、「アメリカは世界の警察官ではない」と宣言して徐々にこの戦略から身を引く構えを取りましたが、ロシアとの間に融和の関係を打ち立てるには至りませんでした。それどころか、オバマ氏も含めた民主党陣営は、トランプ候補攻撃のために、しきりにロシアの介入を喧伝してきました。
 ところがトランプ氏は、ロシアとの積極的な協調体制を考えています。大統領選に敗れた民主党陣営のほうがロシア敵視にいまだに固執しているのです。その表れの一つが、大統領選にロシアが関与しており、しかもそれにはプーチン大統領自身の指示があったという国家情報長官室の報告書です。これは事実かもしれませんが、真相はわかりません。
 いずれにせよ、最近のトランプ氏に関するつまらぬ「セックス・スキャンダル」についてのBBCやCNN報道と合わせて、ここにはロシアとの関係改善を目論むトランプ氏を追い落とそうとする勢力の強力な動きが感じられます。おそらくこの勢力の中には、民主党のみならず、共和党のエスタブリッシュメント、つまり反トランプ派も含まれているでしょう。報告書やスキャンダルの出現は、事実の存否の問題であるよりは、アメリカの政治社会がいろいろな意味で分裂状態にあることを意味します。言い換えるとそれは、民主党対共和党というわかりやすいヨコの対立であるよりは、理念派対現実派、富裕なエスタブリッシュメント対トランプ支持層、グローバリスト対ナショナリストといった複雑な乖離現象や亀裂現象であり、それがいよいよアメリカ統合の危機をかつてないほど深刻なものにしている状態と捉えられるでしょう。
 トランプ人事に話を戻しましょう。
 ティラーソン氏はトランプ氏と同じようにビジネスマンですから、ロシアが経済制裁で苦しんでいる現状を軽減して、その見返りにロシアとの協調関係を作り上げる目論見にとってまさに適役というべきでしょう。トランプ氏は、この経済交渉という手を使って、すでに意味のなくなった米露の政治対立を解消に向かわせようとしているのだと推定されます。なぜそうするのかは後述します。
 次に国防長官に任ぜられたマティス氏は、「mad dog」の異名をとっていますが、これを「狂犬」と訳すのは適切とは言えません。要するに戦争において作戦能力や戦闘能力に秀でていて、部下の士気を高めるのがうまい「荒武者」と呼ぶのがふさわしい人です。彼は、後に仲たがいはするもののすでにオバマ大統領によって中央軍司令官に任ぜられており。その軍人としての力量は誰もが認める所なのでしょう。
 つまりトランプ氏はオバマ大統領の平和主義志向に飽き足らず、戦闘的な実力者を復活させて、安全保障上の最重要ポストに配置したということが言えます。これを見ると、トランプ氏が「敵」に対して容赦しない構えを固めていることがうかがえるでしょう。
 では「敵」とはだれか。いうまでもなく中国です。
 彼は一方で、駐中国大使に、習近平氏の「旧友」であるアイオワ州知事のブランスタド知事を起用しています。ブランスタド氏は中国指導部とのつながりが深いため、国営新華社通信は米中関係にとって前向きだと歓迎しているそうですし、専門家の間では、米中間の貿易摩擦の逓減に寄与するとの見方が出ているそうですが、私は、これらの見方は甘いと思います。
 国防面で有事における体制をがっちりと固め、外交面では相手国の指導部に深く食い込んでパイプを太くしておく。中共政府の本音を探り、時には巧妙に懐柔し時には断固たる対抗措置を取る。この硬軟両面での作戦はすぐれた戦略的思考の表れで、いわば中国との緊張した知恵比べ、力比べがこれから始まることになるでしょう。親中派のヒラリー氏が大統領になっていたら、およそ考えられないことです。
 そこで先ほどのティラーソン氏の国務長官起用の狙いは何かといえば、これまでの米政府の惰性によるロシア敵視を清算し、その経済的関係を深めることによって、中露分断の意図を鮮明に打ち出すものだと考えられるわけです。
 以上のことから、トランプ氏はけっして内向き志向になっているのではなく、むしろ無駄な方向に戦費や国民の生命を費やすことを停止し、「敵」を一本に絞ってエネルギーをそこに集中させることを考えているのだと思われます。
 それは、オバマ氏の優柔不断さが、シリアの反アサド勢力(≒反ロシア勢力)に加担しながら結果的にISのような過激派の跋扈を許し、ロシアにIS対策をゆだねる格好になった事実、また中共の強引な南シナ海侵略に対してほとんど口先だけの「航行の自由」作戦を唱えただけで、ずるずるとアジアにおける中共の覇権主義を許してきた事実などに対する、明確な批判を意味しています。
 じっさい、トランプ氏は、「アサド政権は悪いが、ISはもっと悪い」と表明してIS掃討を優先させ、ロシアとの間でこの問題で協力しあう約束をしています。中東情勢を安定化させる主役をロシアに託したのです。そこには、アラブ諸国の混乱からイスラエルを守るという思惑も見え隠れします。イスラエルのネタにエフ首相は、プーチン氏とトランプ氏の両方と会談しています。
 またトランプ氏は、中共に対しては、南シナ海での膨張主義を許さない姿勢を鮮明に打ち出し、さらに台湾の蔡英文総統と電話会談を行って、中共の意図を挫く挙に出ています。
 トランプ氏のこうした安全保障政策は、日本にとって好都合で、日本は彼が日本に対して発信しているもろもろの自主防衛の要請を奇貨として、中共の脅威に自ら対処するために、国防体制をいち早く整えるべきなのです。基地費用など細かい点で認識の齟齬があるものの、それはよく説明して理解してもらえば済む話です。基本線において、トランプ氏の東アジア問題、対露問題に対する発言は、中国を共通の敵として真に対等な同盟関係、協力関係を築く方向に大きく一歩を進めたものと理解できます。日本はこれに対して国防費の倍増をもってきちんと応えなければいけません。それは投資や消費を活発化させ総需要の増大をもたらすので、デフレ脱却にも寄与するでしょう。しかし情けないことに、いまの日本政府にそれを期待するのはどうも難しそうです。
 一方、世界経済に関する彼の姿勢は、日本にとって安穏としていられない厳しい面を示していますが、これについては、次号で展開しましょう。