小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

「インテリ愚民」を撃退せよ!

2019年12月25日 23時50分21秒 | 経済


年明けに刊行予定の拙著『大日本貧困帝国 新しい学問のすゝめ』(仮)で、筆者は「インテリ愚民」という用語を使っています。
「愚民」という言葉は、福沢諭吉が当時の一般民衆を指してしきりに使った言葉ですが、これは差別用語ではありません。
当時の民衆の実態を正確にとらえたもので、福沢は、愚民が何とか少しでも愚民でなくなってくれるように願って、自主独立の精神を説いたのでした。
しかし筆者は、「インテリ愚民」という用語をあえて差別的に用います。
彼らが愚民でなくなる可能性がゼロだからです。

折から、財務省のポチである元東大教授・吉川洋氏の後任として東京大学大学院経済学研究科教授を務めている福田慎一氏が、ロイターのインタビューに応えた記事を読みました(2019年12月18日)。
ここで彼が言っていることは、間違いだらけであるだけでなく、臆病犬のつぶやきに満ちています。
まさに東大の経済学研究科というところは、「インテリ愚民」の生産工場で、その再生産能力には恐るべきものがあります。
以下、記事を引用します(太字は引用者)

福田教授は、人口減少などの構造問題を抱えている日本において、ポリシーミックスで経済成長に向けた対策をいくら打っても、その有効性には疑問があると指摘。課題は少子化を食い止めることにあり、それに応える政策が打ち出されていないと言う。さらに、ポリシーミックスで本格的に景気浮揚が図れたとしても、その時には金利も同時に上昇しているはずで、財政悪化は急速に進むと指摘する。
今回の大型経済対策は災害対策など国土強靭化に向けた多額の財政出動を盛り込んだものだが、財源が限られる中で大規模自然災害に大型歳出で備えることはどの程度意味があるのか、あるいは成長につながるのか、といった視点も必要との立場を示す。(中略)
このため同教授は「金利ゼロ・低成長という時代に同じようにポリシーミックスを行うことで、どの程度の効果が生まれるのか。歴史的に初めてのことだ」として、効果不明ながらも壮大な社会的実験を行っているに等しいと指摘する。(中略)
福田教授は効果に2つの疑問を呈する。
「一つには、財政の持続可能性の問題がある。ポリシーミックスは成功すると経済が上向き、通常は金利も上昇する。そうなると成長率よりも金利が高くなり、財政赤字の拡大要因となる。財政再建は難しい状況に陥る」と指摘。
もう一つは、「そもそもポリシーミックスを実施しても経済自体が構造問題を抱えていれば、本格回復はできない。日本がまさにそうで、デフレ構造の本質は、人口減少や老後不安で将来が見通せず、物価や賃金が上がりにくいということだ」という。
安倍政権は今月、事業規模26兆円の総合経済対策を閣議決定した。そこには、日銀による強力な金融緩和継続のもとで思い切った財政政策を講ずることが可能との考え方が盛り込まれている。
福田教授は、こうした今回の大型対策について、「ポリシーミックスは、財政の使途が成長に資する内容かどうかが重要だ」と指摘。「日本では少子高齢化対策が本丸のはず。しかし、これまでそれに応える政策はやっていないし、結果として出生率の低下には歯止めがかかっていない」と厳しい見方を示す。
またこのところ、大規模な自然災害が相次いでいるため国土強靭化に巨額の財政をつぎ込む姿が目立つが、「老朽化インフラの補修は必要とはいえ、災害対策は成長に寄与するとはいい難い。自然災害にお金で対抗するには無理があり、成長には結びつかない」と主張。


まず福田教授は、今回の安倍政権の来年度予算についての閣議決定が、「大型経済対策」であるという、基本的な勘違いをしています。
26兆円の財政出動というマスコミが喧伝した数字にコロリとだまされているのですね。
26兆円の内訳をよく見てください。
半分の13兆円は民間事業です。
残りは財政支出ですが、うち、国・地方の歳出は9.4兆円程度、財政投融資3.8兆円程度。今年度補正予算で4.3兆円、予備費で0.1兆円を確保するとともに、来年度当初予算の臨時・特別の措置で1.8兆円。
国・地方・財政投融資の合計が13.2兆円で、国の予算としては、計6.2兆円に過ぎません。
しかも補正予算はたったの4.3兆円です。
この程度の増額は、毎年行われている額に災害対策費、社会保障費などを少しばかり上積みしただけのことです。
しかもこれは単年度だけの話で、長期的な計画のもとに割り出されているわけではないので、次の年度には、元に戻ってしまうでしょう。

朝日から産経まで大マスコミは、102兆円の大型予算を組んでだいじょうぶなのかなどと、さかんに騒いでいます。
恐ろしいのは、見かけだけ大きな金額を示すことで、実際にデフレ脱却できなかった場合に(できっこないのですが)、「それみろ、大胆に財政出動したのに効果がなかったじゃないか」という口実を財務省に与えてしまうことです。
福田教授は、こういうことも見抜けない「インテリ愚民」なのです。
前期記事の教授のご心配は、ポリシーミックス(金融緩和と積極財政との二刀流のことでしょう)などと恰好をつけていますが、マスコミが流す「大型予算で大丈夫か」という毎年繰り返される心配をただなぞっただけのものです。

もし本当に長中期も視野に入れた「大型経済対策」が実施されてデフレから脱却できれば、そこそこ金利が上昇するのは当然ですが、どうしてそれが「財政悪化は急速に進む」結果を導くのか。
この判断には、金利の高騰や高インフレが起きるのがただの自然現象で、政府がそれを何もコントロールできないといった、まことに冷ややかな経済観が反映しています。
政府・日銀が金利高騰や高インフレに対して何も対策を打てないなどというはずはなく、それはこれまでの緊縮路線を見れば明らかです。
何しろ財務省はデフレ期にインフレ対策を打っているくらいなのですから!
また、「ポリシーミックスは成功すると経済が上向き、通常は金利も上昇する。そうなると成長率よりも金利が高くなり、財政赤字の拡大要因となる。財政再建は難しい状況に陥る」と述べているところから見て、福田教授が何を気にしているかは明らかです。
国民経済の回復や国民生活の豊かさのことなど全く考えておらず、財務省べったりの緊縮路線のことしか頭にないのです。
経済が上向きになるなら、それは大いに結構なことで、それこそデフレ30年で苦しんできた国民にとって朗報ではありませんか。
またマイルドなインフレによって金利が適切な水準を維持できれば、ゼロ金利や手持ちの国債不足で苦境に陥っている銀行業界は、息を吹き返すはずです。
その意味からも、国債発行による財政出動が今こそ必要とされるときはありません。
ところが、頭の空っぽなこの経済学者は、それが直ちに「成長率よりも金利が高くな」ると、ひどい短絡思考に走っています。
学者なら、どれくらいの財政出動によってどれくらいの成長率が期待でき、それがどれくらいの金利上昇に結びつくのか、予測でもいいですから、それを数字で示す責任があるのではありませんか。
また「財政赤字の拡大要因となる」と、財政赤字を極度に恐れているようですが、残念ながら、財政赤字は、そのまま民間の黒字を意味することが、MMTによって証明されています。

また教授は、「デフレ構造の本質は、人口減少や老後不安で将来が見通せず、物価や賃金が上がりにくいということだ」などともっともらしい口を利いていますが、物価や賃金が上がりにくくなっているのは、デフレ構造の「本質」ではなく、政府が誤った経済政策を続けてきた結果生じた「現象」です。
最近、何かというと社会問題の原因を「人口減少」に帰する論客が跡を絶ちませんが、人口減少という抽象的なマジックワードを使いさえすれば、ことの「本質」を説明したかのような気になるのは困ったものです。
「デフレ構造」の主因は、財務省が長年とってきた緊縮財政のために、内需がさっぱり伸びないところに求められます。
ゼロ金利に至るまで金融緩和を行なっても、企業が借金によって投資に踏み切らない事態は、儲かる見込みがないほどデフレマインドが染みついているからです。
そのことがまたいっそう内需の拡大を抑制します。
実体経済市場がこうした悪循環に陥っている時に、政府が何の刺激も与えない状態を何年も続けているので、ますますデフレは促進されます。
この下降スパイラル構造こそが「デフレ構造の本質」なのです。

教授はまた、財政出動に対して、「効果不明ながらも壮大な社会的実験を行っているに等しい」などと大げさに恐怖をあおっています。
「効果」とは何の効果なのか、抽象的で何の説明もありません。
教授の頭は混乱していて、それが整理できないのでしょう。
教授の期待している「財政健全化」の効果と、景気を回復させる効果とでは、その意味がまったく異なります。
前者を目的として緊縮財政を行なえば行うほど、後者の効果は阻害されます。
その関係がわからないということは、政府と民間との区別がついていないことを意味します。

また教授は、政府が少子高齢化対策をやっていないとし、その「結果として出生率の低下には歯止めがかかっていない」と指摘しています。
しかし一応断っておくと、政府はこれまで「少子高齢化対策」と称して巨費を投じてきました。
ところが出生率の低下に歯止めがかかっていない。
それは、少子高齢化対策をやっていないからではありません。
やってはいるのですが、特に少子化対策として不適切な手しか打っていないからです(たとえば子ども手当など――子ども手当は子どもを産める比較的ゆとりのある家庭をしか潤しません)。
それだけではありません。
もっと大きな理由があります。
少子化に歯止めがかからないのは、若者が貧困化していて、結婚したくても結婚できないからです。
それは、政府が適切な景気刺激対策を打ってこなかったためです。
月収15万円稼ぐのがやっとな非正規労働者が、どうして結婚できるでしょうか。
つまりここにも財務省の緊縮財政路線が悪影響を与えているのです。
積極的な財政出動によって景気が回復すれば、無駄な少子化対策などにお金を使わなくても、自然に結婚率が高まり、少子化も解決の方向に向かうでしょう。
教授は、少子化の原因を完全にはき違えています
少子化が止まらないのは、政府が少子化対策を打ってこなかったからではなく、ゆとりをもって結婚でき子どもを産めるような経済環境を政府が作ってこなかったからです。

さらに教授は、これほど災害で人々が命を落としているのに、インフラにお金を投じることに否定的です。
とんでもない話です。
「災害対策は成長に寄与するとはいい難い。自然災害にお金で対抗するには無理があり、成長には結びつかない」
何というバカな言いぐさでしょうか。
どうして災害対策(この場合、主としてハードな対策)が成長に寄与しないのか。
堤防一つかさ上げするだけで、どれだけの命が救えるか。
人が死んでしまっては、成長もくそもありません。
防災施設が完備していればこそ、安心して経済活動もできるのだし、インフラの整備という投資自体が内需拡大に寄与しますし、それがまた次なる投資を生み出していく。
こういう当たり前の理屈を打ち消して平気でいられる経済学者なる存在の神経を疑います。
「自然災害にお金で対抗するには無理があり」に至っては、開いた口が塞がりません。
お金で対抗する以外、公共体として、どうやって大規模自然災害に備えるのでしょうか。
しかも教授は、この最後の部分で、「成長」という言葉を2度繰り返しています。
あれ? 初めの方で、景気浮揚(つまり成長)すると金利が上がって財政再建を達成できないからという理由で、景気浮揚(成長)には反対の立場をとっていたんじゃなかったっけ。
支離滅裂とはこれを言います。
財政再建を果たしながら、大規模災害対策にお金も使わず、どうやって「景気浮揚」を達成するのか。
福田東大教授にぜひその深遠な教えを請いたいものです。

いやいや、この人、じつは何にも考えていないんだよね。
どなたかが言ってましたが、小難しそうな顔をしてただ疑問を呈するだけで、東大教授が務まる。
「財源が限られる中で大規模自然災害に大型歳出で備えることはどの程度意味があるのか、あるいは成長につながるのか、といった視点も必要」だってさ。
その「成長につながる視点」て、どうすれば持てるんですか。
「ザイゲン、ザイゲン」と、財務省の口癖をオウムのように繰り返しているだけのように見えますが。
教授、MMTをしっかり勉強してください
通貨発行権を持つ政府は、財源の心配をする必要がない、ということがすぐわかるはずですから。
もっともちゃんと聞く耳を持てばの話ですが。

要するにあれですね。
あの吉川洋東京大学名誉教授の後釜に座って、財務省御用達の学者の地位を見事に受け継いだということですね。
知性の退廃、つまりは、「インテリ愚民」がまた一人、この日本国に誕生しました
めでたし、めでたし。


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和親条約も修好通商条約も不平等条約ではなかった――中級官僚の粘りと努力――

2019年12月15日 01時03分08秒 | 思想



仕事の関係で、幕末の外交史を調べる機会がありました。
従来の通説では、このときの日米条約が不平等条約だったという理解がまかり通っています。
どの教科書も、領事裁判権(治外法権)を認めたこと、関税自主権がなかったことの二点を挙げて、その不平等性を説明しています。

しかし条約締結時には、領事裁判権は押し付けられたのではなく、むしろ幕府のほうで望んだのです。
なぜなら、外国人の犯罪を当時の幕府の法で裁くことにすると、列強がその法そのものに強力に介入し、彼らの思うがままに変更されてしまう恐れがあったからです。
また、領事裁判権を規定した条文では、同時に、日本人が外国人に対して犯罪を犯した場合には、日本の法律によって裁くとされています。
つまり開国を認める以上は領事を置くことを認めなくてはなりませんから、それを承認した上での条文の規定としては、公平で対等の考えに立っているわけです。

関税自主権については、当時の幕府にはそもそもそういう概念がありませんでした。
修好通商条約では、ハリスとの交渉の結果、輸入税20%、輸出税(国内品の輸出の際、こちらが価格を上積みできる)5%と決まりました。
清とイギリスとの条約では、輸入税5%ですから、これと比べると、いかに有利な関税率を獲得していたかがわかります。
しかも日本の場合は従価税、中国は従量税です。
従量税では、国内がインフレになった時、適切な対応ができません。
もちろん、アヘン輸入禁止の条項も明記されています。

後にこの二つを不平等であるとして、陸奥宗光や小村寿太郎がたいへんな努力を重ねて改正交渉に当たったのは事実です。
しかしそれは、日本がしだいに国力をつけるに及んで、欧米における国際慣行の知識を取り入れ、列強に伍するために「不平等の解消」という目的意識を定めるようになったからなのです。

そのほか、両条約をよく読んでみると、ごく一部を除き、公正な条項に満ちていることがわかります。
ごく一部とは、片務的最恵国待遇を認めたこと、通貨の交換レートを同質同量によって決めるとされてしまったことの二つです(後者については後述)。
いま条文のそれぞれについて詳しい言及は避けますが、特筆すべきなのは、列強の脅威に取り巻かれる中でよくもこれだけ対等な条約を結ぶことができたな、という点です。

そこには、最初の交渉相手が新興国のアメリカであったこと、当時の覇権国イギリスが、アロー戦争やセポイの反乱で日本を攻略する余裕がなかったことなどの外的な要因が働いていたでしょう。
しかし見逃してはならないのは、直接の応接に当たった幕府の中級官僚たちの高度な国防意識と交渉能力、不当な要求に対しては一歩も引かないという強い気概です。
林復斎、水野忠徳、岩瀬忠震(ただなり)、川路聖謨(としあきら)、永井尚志(なおゆき)と言った人たちです。

ここでは、ペリーとの交渉の全権を務めた林復斎の毅然たる態度と、通商条約調印のわずか10日余り前に外国奉行に着任した水野忠徳の、通貨交換レートについての必死の努力について述べましょう。

林復斎とぺりーの交渉は、すったもんだの末、横浜村に決まりました。
林は、薪水食糧、石炭の供与、漂流民救助は了承しましたが、交易は拒否しました。
ペリーがモリソン号事件を引き合いに出し、また漂流民に対する日本の非人道的振舞いを非難したのに対し、林は、「日本が三百年にわたって平和を守ってきたのは人命尊重の証拠である、大洋で救助できなかったのは大船が建造できないためであり、近海での難船は救助してきた、また漂流民は長崎に送り丁重に扱って本国に送還している」と反論します。
*ちなみに、日本の漂流民を乗せたモリソン号を追い払ったのは、文政年間に定められた「外国船打払い令」が効力を持っていた時代のことで、その後、アヘン戦争によって危機感を募らせた幕府は、天保薪水給与令を出して、外国船への態度を寛容なものに戻します。
さて、ペリーが交易の利を説き、貴国はなぜ交易に応じないかと迫ったのに対して、林は、「我が国は、交易をせずとも自国の産品で事足りている、貴官の目的は人命の尊重と難船の救助であろう、交易はこの目的と関係ない」とやり返します。
これで、ペリーは交易の件を引っ込めるのです。
また、林が儒者たる倫理観を見せて、漂流民の救助、扶養に要した費用は弁済する必要はないと説くと、
今度はぺりーのほうから、「お礼をしないわけにはいかない」と申し出ます。
林は「お礼なら受け取る」と答え、金銀の形をとることになります。
当時は、商品の授受のほうが、交易に結びつきやすいと考えられたようです。
またペリーの「お礼」の申し出も、それをきっかけに通商の道を開こうとしたのではないかと想定されます。
「お礼」が金銀の形で決着したので、通貨の交換レートを決める必要が生じるのですが、ペリーが同質同量を主張したのに対し、林らはこれを拒否します。
ペリーはなぜ拒否するのかわからなかったようで、後に派遣する使節と話し合ってもらいたいと答え、この件はペンディングとなります。
なおペリーはここで「使節」と言っているので、「領事」とは言っていません。
また、ペリーが役人(領事)を一人置きたいと要求すると、林は「応じかねる」と答えています。
さらに、条約書の交換に際して、林は「外国語のいかなる文書にも署名しない」ときっぱり宣言します。
最後に、ペリーが、「1年後、自分が来られるとは限らないので、下田で細目を決めたい」と言い、林が50日後に下田に赴くと答えます。
するとペリーは、「その間に箱館を視察したい」と言って、横浜での会合は終わります。

漂流民についても双務性が貫かれています。
アメリカ草案では、「アメリカ人漂流民救助の経費はアメリカが支払う」とだけなっていたのですが、「アメリカ人及び日本人が、いずれの国の海岸に漂着した場合でも救助され、これに要する経費は互いに支払わなくてよい」ことになりました。
これも、対等性を日本が強調した証拠でしょう。また通商(自由貿易)につながることを警戒したとも考えられます。

横浜での交渉で、下田におけるアメリカ人の遊歩距離は7里以内と決められました。
下田に帰ったペリーに、応接係は、7里よりも狭い範囲に関門が設けられており、また外出には付添人をつけると説明します。
ペリーが条約違反だと抗議すると、関門は自由に通過してよいし、付添人は監視ではなく、アメリカ人を護衛するためだと答えます。
監視の意味もあったと思いますが、このあたり、なかなか巧妙なやり取りですね。
ペリーはしぶしぶ了解します。

さてここからが面白いのです。
ペリーは箱館に「視察だけしてくる」と言ったのに、じつは松前藩と細かく交渉しており、遊歩距離10里あるいは7里(下田なみ)で納得させていました。
林らはこのペリーのウソを見破ります。
松前藩ではペリーとの交渉記録「箱館対話書」が書かれており、それがペリーの下田帰還よりも前に下田に届いていたのです。
ペリーは狼狽を隠せず、こんな短期間にどうしてわかったのかと聞きます。
林らは、飛脚の仕組みを説明しペリーを驚かせます。
林は、「1里程度の範囲なら、この場の交渉で決めてもよい」と畳みかけます。
結局、箱館は5里で決着しました。
この遊歩距離の取り決めは、蝦夷地への侵入を阻止するとともに、後の通商条約で、外国人の進出を阻み国内市場を防衛したという、大きな意味を持ったのです。

次に、ハリスとの交渉における、金銀の交換比率についての水野忠徳の必死の努力について。
先に述べたようにペリーもこれについて「同質同量」を主張しましたが、ハリスも同じことを、もっと強く主張しました。
彼らにとって、それは当然のことと思われたのです。
しかし水野らはこれと違う主張を繰り返します。
結果的にこれは成功せず、ハリスの剣幕に押し切られてしまうのですが、水野らの主張のほうが正しかったことが後に判明します。
これについて述べる前に、締結されてしまった修好通商条約の5条を掲げておきましょう。

条約5条:外国通貨と日本通貨は同種・同量での通用とする。すなわち、金は金と、銀は銀と交換できる。ただし、日本人が外国通貨になれていないため、開港後1年の間は原則として日本の通貨で取引を行う。(従って両替を認める)

問題の本質はどこにあったのでしょうか。
当時日本の通貨は金と銀。その名目上のレートは一分銀4枚で一両小判。
しかし寛政以降、1分銀は幕府の財政を補うために改鋳を重ねて質を落とし、幕末に流通していた天保一分銀は、銀の含有量が三分の一に減らされていました(出目)。
つまり銀とは言っても、実際には紙幣と同じように一種の「管理通貨」だったのです。
これは幕府と国民との信用関係によって成り立っていました。
そこで水野は、日本は金本位制であると断り、一分銀は名目上の価値しか持っていないことを説いたうえで、1分=1ドルのレートを主張しました。これなら、1メキシコドル4枚=1分銀4枚の交換となり、それを一両小判と兌換すればよいので、公正さが維持できるはずです。
ところがハリスはこれをまったく受け入れず、金銀の交換比率を同質同量にもとづくことをあくまで主張し、通商条約第5条にそれが盛り込まれてしまいました。
同質同量とすると、銀地金に等しい1メキシコドル銀貨は、天保一分銀3枚の重さに相当します。
したがって、ハリスにとっては、交換レートは1メキシコドル=3分ということになり、それ以外の公正な取引は考えられなかったのです。
しかし、もしたとえば1000円と書かれた紙幣と10ドル銀貨(などというものはありませんが、仮にあるとして)とを同じ重さで交換するとすれば、1000円札を何枚積み上げなくてはならないでしょうか。
同じように、純銀の3分の1しか銀を含んでいない一分銀を同量のメキシコドル1枚と交換するために3枚の1分銀を手渡すことは、日本側にとっては不当以外の何ものでもありません。
正確な意味での同質同量ではなく、3枚合わせて1メキシコドルの3分の1しか銀を含んでいないいからです。
しかしハリスや後に着任するイギリス公使オールコックは、1分銀が国内では名目価値しか持たないことを理解しませんでした。これは、金属主義の弊害と言えるでしょう。

ところでアメリカ人(またはイギリス人)Aが通商条約に従って4枚のメキシコドル(=4ドル)を一分銀と交換すれば、彼は4×3=12枚の一分銀を手にします。
そこで、Aがそれを日本国内の金銀両替所にもっていけば、4分=1両ですから、3枚の一両小判を手にすることになります。
一両小判の地金としての価値は4ドルに相当します。
したがって、これを海外に持ち出し、金地金に変えて売却すれば、3×4=12ドルを得ることになります。つまり、ほとんど労せずして、原価の3倍の売り上げを得ることになります。



これを繰り返せば、もうけは莫大となるでしょう。
利にさとい外国商人がこのからくりを知ったため、連日両替所に長蛇の列ができました。
このため金貨が大量に流出したのです。
しかし経験的に「もうかる」と知っていることと、「名目価値と実質価値の違い」を理解することとはまた別です。
実際、ハリス自身もこのからくりを利用して、ひそかに小判をため込み利殖に走っていました。

水野忠徳は、長崎奉行時代にオランダ人との取引を見て、天保一分銀が名目だけでしか通用していないこと(1分銀=1ドル)を知りました。
彼はハリスの同質同量交換説に対して、執拗に反論します。
しかしハリスは聞く耳を持ちませんでした。
そのため、安政二朱銀の発行を献策し、開港した地域に限って通用させて金の流失を防ごうとしました。(一朱の名目価値は4枚で一分)
安政二朱銀は、銀の実質的な量目(重さ)が1ドル銀貨の約半分で、これ2枚で一分銀1枚に相当します。
したがってこれ8枚とメキシコドル4枚とが両替可能となれば、一分銀4枚と同等になり、1ドル=1分という思惑通りのレートが実現することになります。
これは、量目においてメキシコドルと釣り合っているのですから、正当な交換です。
ただ1分銀の名目的価値だけが今までどおり国内で通用するという違いがあるだけです。
しかしこの試みは、諸外国の外交官から条約違反だと猛抗議を受け、わずか22日間で通用を停止させられます。

いっぽう、当時の日本の金銀比価は約5:1、欧米では約15:1だったので、ハリスは、国際基準に合わせて小判の価値を3倍にすることを提案します。
しかしそんなことをすれば、物価が3倍に跳ね上がるとして、今度は水野らが猛反対します。
一般に国内で通用している銀貨の価値が相対的に三分の一に下がってしまいますから。
しかし幕閣もハリスも、マクロ経済に暗く、結局勢いに押されてハリスの提案を受け入れます。
そのため実際に国内物価は3倍以上に高騰してしまいました。

水野はワシントンでの条約批准(1860年・万延元年)の際には、閑職に左遷されていたので、使節の一人、小栗忠順(ただまさ)に交換レートの件を託します。
しかし小栗は国務長官に相手にされませんでした。
ただしその後訪ねた造幣局では、金の秤量についての正しさを認めてもらったのです。
しかし時すでに遅し。
また、イギリス公使オールコックも本国に帰ってから、大蔵省の役人の説明により、水野の主張の正しさを認めます。
執筆中だった『大君の都』の最終章に、前段との矛盾を顧みず、その事実をきちんと記しているそうです。
経験的にではありましたが、水野のほうが、ハリスやオールコックよりも、通貨の本質を理解していたのです。
つまり、政府と国民との間で信用さえ成り立っていれば、それが不純な銀だろうが紙幣だろうが、何でも構わないのだ、という本質を。
列強の威力と幕府上層部の経済的な無知に負けてしまった水野は、さぞ悔し涙を飲んだことでしょう。

ところで、最後に本稿のテーマとは直接関係のない疑問を一つ。
安政期の金の流出について、どの歴史教科書にも次のように書いてあります。

当時、金の銀に対する交換比率は、日本では1:5、外国では1:15であったため、外国人は銀貨を日本に持ち込み、金貨(小判)に換えて持ち出した。その結果、大量の金が流出した。

この論理は、それだけとしては、理解できます。
日本では、5グラムの銀が1グラムの金に相当し、外国では15グラムの銀が1グラムの金に相当します。
そこで、15グラムの銀を日本で金と両替すれば、外国の3倍、つまり3グラムの金が手に入ります。
だから外国商人たちは、大量の銀を日本に持ち込んで金に換え、それを持ち帰って原価の3倍の売り上げを手にできたというのですね。

しかしこの話は、先ほど長々と説明してきた、条約による「同質同量の交換」に基づく「1メキシコドル銀貨=1分銀3枚」という話とは直接つながりませんね。
一方は金と銀との交換比率の内外での違いの問題、他方は銀と銀との交換レートの問題。
教科書には、後者の問題が記述されていません。

もし両方とも正しいのだとすれば、筆者の考えでは、両者を組み合わせることで、驚くべきことになります。
というか、金の流出は、想像をはるかに超えたものだったという話になるはずなのです。
いま、簡単のために、1ドル銀貨1枚が1グラムだったとしましょう。
すると、銀貨4枚は4グラムですね。
これを条約に従って日本で金貨(小判)と両替すれば、3枚の小判(金貨)を得ます(上図参照)。
3枚分の金貨は、外国での金と銀の交換比率に従えば、1グラムの金を15グラムの銀と交換できます。
そうすると、3×15=45枚の銀貨、すなわち45グラムの銀を得ます。
つまり、4グラムの銀が、45グラムの銀に化けたことになります。
言い換えると、4ドル⇒45ドルとなります。
何と3倍に化けるのではなく、45÷4=11.25倍になる理屈ではないでしょうか。

こんなオイシイ話はない。
もちろん、運送などの必要経費、小判を金地金に変える時に伴う目減り、金から小判自体を鋳造する時の含有比率や歩留まりなどはあるでしょう。
それにしても、大量の銀貨を持ち込めば持ち込むほど、そうしたコストの割合は少なくなります。

正直なところ、筆者はこの考えが正しいのか間違っているのか、自信がありません。
どなたか、専門的な方のご教示を仰げれば幸いです。

*参考文献
加藤祐三『幕末外交と開国』
井上勝生『幕末・維新』
佐藤雅美『大君の通貨』


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「エリート愚民」を駆除せよ

2019年12月10日 16時49分43秒 | 思想



●以下の文章は、近々出版予定の拙著の序文からの抜粋です。

日本は、この20年間ですごく衰えました。
そのことに気づいている人はたくさんいるでしょう。
しかし多くは面倒なので、気づいていないことにしている。
気づいていないということにする――このことが、日本の衰えをよけい加速しています。

これは、経済力だけではありません。
政治力、知的判断力、技術力、生産力、外国との交渉力、説得力、気力、コミュニケーション力など、すべてにわたって言えることです。
要するに日本人は、やる気がなくなっています。
これを放っておくと、日本は間違いなく滅びます
日本が滅ぶというのは、私たち日本国民の生活や精神が完全に自立性を失うこと。

それはどんな形で表れているでしょうか。
国際的な面では、アメリカや中国などの大国の動向に常に翻弄されています。
彼らの顔色をうかがわなくては、国がもたなくなっている。
国内的な面では、政治が求心力を欠き、為政者だけでなく、みんながバラバラに行動して、国としてのまとまりが取れなくなっています。
しかもそれを自由の実現と勘違いしています。
そしてこれらのことをきちんと問題にするために必要とされる総合的な視野を失って、思考停止に陥っています。

たとえば、次のようなバカなことを言う人がいます。
2040年ごろには「高齢者世代の生活保護率は4倍増で1割を超える」から、これに対処するために「消費税率を13%にする必要がある」というのです。

この記事を書いた人は誰でも知っている有名な経済学者で、東大教授を務めたこともあります。
この記事の他の部分も二重、三重の意味で間違っているひどい記事なのですが、そこまで突っ込む必要もありません。
小学生でも気づく間違いがあります。
消費税率をあげて一番苦しむのは、低所得の高齢者世代ですから、そんなことをすれば生活保護に頼らなくてはならない高齢者がますます増えることになります。
これはほとんど落語です。
こういうバカなことを一流(?)と見なされている経済学者が平気で言うのです。
しかも誰も反論しません。
日本は知性を失った、そういう国になり下がったのです。

いったいどうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
とりあえず、いちばん大きな社会的枠組みで考えてみましょう。

二つ考えられます。

一つは、75年前の敗戦によってアメリカに魂を抜かれてしまい、その状態がいまだに続いていること。
もう一つは、いったん近代の豊かさを知ってしまったために、だれもが、もうこれでいい」「このまま安眠を妨げないでほしいとどこかで思っていること。

でも本当は、アメリカの洗脳や日本近代が達成した豊かさは、実際には、いずれも過去に起きたことの記憶のなかにしかありません。
ところがその記憶がいつまでも惰性として残っているのです。
アメリカには相変わらず奴隷のように依存しています。
政治的にも経済的にも、属国の位置に甘んじています。

また前回のブログで示した通り、日本はもう豊かではなく貧困国に転落しつつあります。
それなのに、一度経験した豊かさが邪魔をして、そうした現実を現実として見る目を曇らせているのですね。
感覚の麻痺です。

どうすればよいのか。
みんなが学問に目覚めることです。

え? いまさら? とあなたは耳を疑ったかもしれません。
学問なら十分に確立し、発達している、とあなたは思うでしょうか。
たしかに全国には大学が800もあり、さまざまな研究機関は腐るほどあります。
ノーベル賞受賞者は毎年のように出ています。

でも私の言う「学問」は、アカデミズムが提供する難しい専門的な知識や、大学など教育機関で行われている研究のことではありません。
ここで言う「学問」とは、特に、現実に立ち向かう一つの「態度」であり、思考力を作動させる「構え」のことを指しています。
いっときの情報に惑わされず、あることが何を意味しているのかについて、徹底的に脳細胞を駆使して考えることです。
そしてある結論に到達したら、それを公表し、他の人たちの考えと突き合わせて、理性的な議論を積み重ねることです。
これは広い意味で、「思想」と言い換えても同じでしょう。

福沢諭吉が『学問のすゝめ』を書いたころには、まだ思想という言葉はありませんでした。
それで学問という言葉を使ったのでしょう。
でも筆者は、彼が学問という言葉に込めた思いは、いまなら「思想」と呼ぶべき概念にぴったり合っていると確信しています。

もちろん、この態度や構えが実際に生きるために、一定の知識や情報はぜひ必要です。
しかしそれらは思考力をはたらかせるためのツールに過ぎません。
私たち自身がこれらのツールを活用しなかったら、それらは死物に過ぎません。
これは言ってみれば当たり前のことです。
ところが私たち日本人は、いつしか、この「当たり前」を放棄してしまいました。
毎日洪水のように押し寄せる知識・情報を無気力に受け入れ、それを疑うことをやめてしまいました。
あるいは、SNSなどの手軽さをよいことに、感情的、衝動的な反応を返すのみです。
誰もが自分の考えを持っているつもりになっていますが、ほとんどの場合、それはどこかで得た情報を受け売りしているだけです。
情報選択能力とそれについての判断能力を失ってしまったのです。
それらに疑いを持って自分なりの考えを固め、その考えについて人と真剣に議論する習慣を私たちは棄てたのです。
この習慣を取り戻さない限り、日本に未来はないでしょう。

今から約140年前に、福沢諭吉は『学問のすゝめ』を書きました。
西洋文明の圧倒的な襲来を前にして、彼は、それを排斥するのでもなく、盲信するのでもないという態度を貫きました。
その文明や制度の優れた点をいち早く自家(じか)薬(やく)籠中(ろうちゅう)のものとすることによって、西洋の政治・外交の圧力に対抗するという戦略を彼は徹底させたのです。
敵に立ち向かうには何よりもまず敵をよく知ること、孫氏の兵法にもある、よく言われる言い習わしですね。
そうしなければ、日本を独立国家として立国することができず、早晩、西洋の植民地主義に飲み込まれてしまったでしょう。
他のアジア諸国がそうであったように。

福沢諭吉と聞くと、誰もが思い浮かべるのが、「天は人の上に人を造らす、人の下に人を造らず」というセリフですね。
近代的な平等精神を日本で初めてはっきり宣言したものとして知られています。
彼の故郷・中津にある福沢記念館にも、この言葉が大きく掲げられています。
でも福沢はそんなことを言っていません

え? 何だって。『学問のすゝめ』の冒頭にそう書いてあるじゃないか、とあなたは思ったかもしれません。
しかしよく読み直してみてください。
正しくは、「天は人の上に人を造らす、人の下に人を造らずと言えり」なのです。
この「言えり」をほとんどの人が見逃しています。
「言えり」とは「世間ではそう言われている」という意味です。
世間ではそう言われているが、世の実態はそうなっていない。
それはなぜか。
それは日本の牢固たる身分制度、門閥制度が幅を利かせて、一人一人の自主独立の精神を阻んでいるからだ。
この自主独立の精神を養うことこそが、いま求められている。
つまりまず知識・情報を蓄積し、次にその知識・情報を活用して現実に起きていることを正しく認識すること、そうして得た広い視野を、社会をよりよくするために役立てること、それが彼の言う「学問」だったのです。

もちろん彼は、それが当時のすべての民衆に可能だとは考えていませんでした。
彼はこの書や他の書の随所で、一般民衆を「愚民」と呼んでいます。
無原則な平等主義者ではなかったのです。
しかしまた、彼は愚民が愚民のままでよいとも考えていませんでした。
なるべく日本の一般民衆が自主独立の精神を学んで、愚民でなくなってほしい。
それが彼の願いでした。
一身独立し、一国独立す」という有名な言葉は、その彼の願いを端的に表しています。
福沢の時代に差し迫った課題は、欧米列強の進出に対していかに日本の独立を守るかということでした。
そのためには、「愚民」がこれまで身につけてしまった卑屈さからできるだけ脱し、自立した気概と精神を身につけることが不可欠だ――そう彼は考え、その実現を目指して「学問」の必要を説いたのです。

ではいまの日本の課題は何でしょうか。
筆者は、福沢の時代と同じだと思います。
言い換えると、現代日本は彼の時代から140年経った現代でも、「一身独立し、一国独立す」が果たせていないのです。
いまグローバリズムの大波が日本に押し寄せています。
欧米ではすでにグローバリズムに対する反省が沸き起こっているのに、日本のいまの政権は、愚かにもこの大波を積極的に受け入れています。
これは政権ばかりではありません。
学者や政治家や財界の大物やジャーナリズムが率先してそのお先棒担ぎをやっているのです。
その態度は、グローバリズムへの批判意識を持たずにただ追随しているという意味で、まさに「卑屈」そのものという他はありません。

こうして現代の「愚民」は、一般民衆であるよりは、むしろエリートたちだと言えるでしょう。
しかも始末に悪いことに、彼らは世俗の権威を手にしているので、その権威を傘に着て、自分たちの誤った信念を一般民衆に押し付けています。
日本のエリートたちの多くは、国策にかかわる部分で、この誤った信念に固執しています。
それで、国民はその被害をさんざんにこうむってきました。
ですから、いまの日本にとって最重要な課題は、むしろこうした「エリート愚民」の精神の腐敗をいかに駆除するかという点にあります。
この課題を果たせずに、グローバリズムの浸食から国民生活を守ることはできません。
じつを言えば、これはもう手遅れなほどに、深く浸食されてしまっているのです。
時間はもうあまり許されていません。
まずなすべきこと――自ら考える力を取り戻し、日本にはびこる害虫「エリート愚民」を見つけ出して、即刻駆除せよ!


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