昨日の記事の最後の段落で言及したテーマ「〈なつかしさ〉 « nostalgie » « Sehnsucht » の三つの概念についての比較思想史的考察」を今後発展させていく準備作業の一つとして、この三つの語の語源レベルにおける差異についての考察をまとめておきたい。このまとめは、〈なつかしさ〉と « nostalgie » を比較検討した三回の記事(6月22日~24日「なつかしさはノスタルジーではない」)と、« nostalgie » と « Sehnsucht » を比較検討した三回の記事(11月24日~26日「「憧憬」(Sehnsucht)は「郷愁」(nostalgie)ではない」)を前提としている。
〈なつかしさ〉は、現在の場所における長期に渡る定在の願望である。ある人あるいはその人の属性(声など)あるいはその人ゆかりのものといつまでも〈ここ〉に一緒にいたいという感情がその基底にある。強い関連を有する概念として、現前・共感・愛情・愛着・持続などを挙げることができる。
« Nostalgie » は、過去に実在した或いは過去に自分が実在した場所への回帰の願望である。ここではない場所(特に生まれ故郷)から今は遠く離れてしまっており、そこに帰りたいと切に願いながら、その願望は満たされないままである苦しみがその基底にある。強い関連を有する概念として、不在・離別・苦悩・悔恨・喪失などを挙げることができる。
« Sehnsucht » は、ここではない別の場所への止みがたい憧れであり、未来へ向けての願望である。しかし、いつか到達したいと願うその「場所」について、明確な対象規定はない(或いはできない)。あっても抽象的なものにとどまる。むしろ、ここにはない未知なるものへの希求がその基底にある。強い関連を有する概念として、欠如・希求・思慕・不充足・不可能性などを挙げることができる。
このように、〈なつかしさ〉、 « nostalgie »、« Sehnsucht » の三つの概念は、それぞれの語源的意味において、現在、過去、未来を志向する互いに相異なった時間意識を表している。現実の現在の用法には、これら三者を「同意語」と見なせる場合があるにしても、三者間の語源レベルでの意味論的差異の明確化は、より広範な比較思想史論的考察への一つの視角を開いてくれる。