内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

年の瀬のゆくえも知らぬ空騒ぎの渦中で ― K先生の玉石混淆随筆集『雪の下草』(刊行未定)より

2019-12-17 23:59:59 | 哲学

 年の瀬も迫り、何かと慌ただしく、落ち着かぬ日々を過ごしております。フランスでは、12月に入って、年金制度改革案に反対する全国規模のストライキで交通機関が大幅に乱れ、ノエルの休暇が迫る中、多くの利用者たちの間に不安と混乱が広がっております。
 それらすべてを醒めた眼で「他人事」として眺めていたいところなのですが、その影響は私個人の生活にも及ぼうとしております。かねてより年末年始の一時帰国のためにこの24日にこちらを発つ予定で、その日TGVでシャルル・ド・ゴール空港まで移動するための切符もとっくに購入済みなのですが、その日TGVがちゃんと運行されるかどうか、現時点では予断を許さず、同僚たちからも別の移動手段を利用する対策を今から講じておくべきとの助言を受けております。
 ストライキという大衆的戦術が現実的な政治的効力を失いつつあるフランスにおいて、現在の運動が改革案を廃案に追い込めるとは私には到底思えず、中長期的観点からも年金制度改革は不可避であり、それを前提とした政府と組合組織連合との間の建設的な議論こそが望まれるわけですが、マクロン政権側には、表向きの言説とは裏腹に、そのつもりはなく、組合側もただ廃案に追い込みたいだけで、代替案があるわけではなし、仮に万が一廃案になったとしても、それは今後のフランス社会をますます不安定にするだけであり、出口の見えない閉塞的社会状況には何の希望の光も差してはきません。
 そんな不安で不確定な時代をこれから半世紀以上も生きていかなければならない若者たちを日々教室で目の前にしていると、ときどき胸が苦しくなります。彼らは何を拠りどころとし、何を信じてこれから生きていくのだろう。そんな彼らに私はいったい何を伝えることができているのか、と俯いてしまうことも一度や二度のことではありません。
 先日、二年生の一男子学生がオフィス・アワーに相談に来ました。以前話題にしたことがある、荻生徂徠の思想の反近代性について質問に来た学生です。彼の家庭は中東国出身です。知的に大変優秀な学生で、日本語能力も秀でています。
 「自分にはフランスという国が合っていません。将来は、日本で暮らしたい、日本で先生になりたいと思っています。そのために今から準備を始めたい。でも、何からどのように始めていいかわかりません」というのが彼の相談の趣旨でした。私に言えそうなことは全部言いましたが、それが彼にとって今すぐ役に立つ具体的な手がかりや将来に対する展望に何らかの指針を示すものになったかどうか、心許ありません。
 後期は、サバティカルで不在の同僚に代わって、二年生の「近現代文学」の講義を担当するので、彼には毎週教室で顔を合わせることになります。彼に対してだけではなく、担当するすべての講義を通じて、学生たちに、彼らがこれからの長い人生を生きていくうえで大切なものとなる何かに触れる機会を提供できればと心から願っております。