内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

謙虚と廉直と誠意を学ぶためのレッスンとしての外国語作文

2019-12-23 17:28:55 | 日本語について

 明日の帰国を前にして、今日の夜を締切りにしてあった『ちはやふる -結び-』の感想文(400字前後)が早朝より学生たちからパラパラと届く(もっと早く送れよな)。直ちに添削して返す。短いものであれば10分以内、多少長くでも20分以内には添削を返信する。その捌きの見事さは、次から次へと押し寄せる攻め手を左右に身をヒラリとかわしながら薙ぎ払う剣豪のごときである、と自分では思っている(勝手にどうぞ)。
 添削の難易は、一般に、学生の日本語レベルに対応する。つまり、相手のレベルが低いと、添削も容易であり、高いとちょっと手こずる。レベルが低い場合、間違いだらけでも添削は簡単だ。そもそも日本語でたいしたことが言えるわけではないし、本人も言おうとしないから、ただの一文もちゃんとした文がなくても、瞬時に言いたいことは想像がつき、それに応じて容赦なく朱を入れる。
 超優秀で、ほぼ完璧な日本語文を書いてくる学生が二三人いるが、それは例外とする。
 面倒なのは、知的レベルは高いのに、日本語のレベルが中途半端な学生の作文だ。妙に難しい熟語を使いたがる。構文も複雑にしようとする。しかし、大抵の場合、不適切あるいは文法的に誤った使い方をしている。しかも、何を言いたいのかよくわからない。前後から推測しようと試みるが、整合的な添削が困難な場合がある。
 こういう学生は、フランス語でいろいろと自分なりに考えてくれているのだが、その内容を表現できるだけの日本語力がまだない。自分の力量を自覚して、日本語の文章をそれに応じて単純化してくれればいいのだが、それはプライドが許さないのだろうか(そんなプライドはさっさと棄ててほしいのだが)。無理にでも自分の考えを稚拙な日本語文(ともいえない奇怪な言葉の組み合わせ)で言おうとする。まったく日本語になっていない。こっちも途方に暮れ、匙を投げることもある。
 元になっているフランス語が透けて見える場合はなんとかなる。これはお利口さんタイプに多い。フランス語でまず作文しておいて、辞書を引き、単語レベルで置き換えていく。これも作文の方法としてはだめなのだが。
 外国語での作文の訓練は、何でも自由に書けるという境地に達する手前では、己の身丈にあわせて自らの思考を明確に表現するという、謙虚と廉直と誠意を学ぶためのレッスンでもある。