内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

我が講義の試験の採点基準は、「自分のことを棚に上げること」がその根底に在る ― K先生の『老残風狂日録』(私家版)より

2019-12-16 21:56:28 | 講義の余白から

 「自分のことを棚に上げること」― 履歴書の特技欄には必ずこう書くことにしている。というのはもちろん嘘である(てか、そもそも日本式の履歴書なんて久しく書いてないし)。でも、事実として、年間を通して自分のことを棚に上げっぱなしにして(そして、今では、上げたことさえ忘れ果て、棚の上で自分がホコリを被っている体たらくで)、日々辛うじて、息も絶え絶え、キリギリス的に生きている。
 そうでもしなければ、余は(って、あんたいつからソーセキになったん?)、学生たちに顔向けができぬ(おっ、コバヤシヒデオまがいじゃん。でも、それって、おかしくねぇ? だって、こんな体たらくの教師の授業を受けなければ卒業できない学生たちの方こそ、いい面の皮じゃねぇ?)。
 要するに(って、ぜんぜん論理的じゃないんですけど)、学生たちに向かっている時の私は、ダメな自分をひた隠しに隠し、ただひたすら偉そうな御託を、真理めかして(だって、「ポスト真理」の時代ですもんって、意味不明)並べているだけの、ウザいことこの上ない、張りぼてクソ爺以外の何物でもないのである。
 それはそれとして(出たぁ~、伝家の宝刀)、学生たちが書いた答案の採点基準は、それが日本語であれフランス語であれ、私的にかなり明確かつ厳格である。以下、それを提示する(って、誰もお願いしてないんですけど……)。
 ただ自分の考えを一方的に述べているだけの場合、たとえその日本語が整然としていても、20点満点で10点が上限、つまりぎりぎり合格、それ以上の点はやらねえよってこと。自分の主張の根拠を示している場合、その根拠の妥当性と提示の仕方に応じて、11~12点。自分の立場とは異なった立場も考慮した上で、相対的に自分の立場を位置づけ、弁護できているとき、13~14点。自分の意見が正しいかどうかではなく、自分の意見も含めて複数の異なった意見をそれぞれに公平に提示し、それらの吟味を通じて「弁証法的」な議論を展開することで、所与として与えられた意見よりよい意見を結論として導き出すことができているとき、15~16点。これ以上の点数は、普通ありえない。