遠い昔、中央公論社版の『チェーホフ全集』を持っていた。表紙が赤と黒の小ぶり版型で持ち運びにも便利なサイズで気に入っていた。訳者は、原卓也、神西清、池田健太郎の三人だったと思う。二三年前、なにがきっかけだったか忘れてしまったが、再びチェーホフが読みたくなって、仏訳で簡単に入手できる作品集を何冊か買って読み直した。もちろんロシア語原文で読めればそれに越したことはないが、もうそれは叶わぬ夢だ。作品を味わうには、やはり日本語訳のほうがしっくりくる。
オリガ (二人の妹を抱きしめて)音楽があんなに愉しそうに、力強く鳴りひびいている。それを聞いていると、つくづく生きていたいと思う! ああ、神様! 時が経って私たちが永久にこの世をあとにすれば、私たちのことは忘れ去られてしまう。私たちの顔や声や、私たちが何人の姉妹だったかも忘れ去られてしまうんだわ。でも、私たちが味わったこの苦しみは、私たちのあとから生まれてくる人たちの歓びに変わっていき、やがてこの地上に仕合わせと平安が訪れるの。そのときには人々は今生きている私たちのことを感謝をこめて思い出し、きっと祝福してくださるわ。ねえマーシャ、ねえイリーナ、私たちの人生はまだ終わりじゃないの。生きていきましょう! 音楽はあんなに愉しそうに、あんなにうれしそうじゃない。もう少し経てば、私たちが生きていた意味も、苦しんできた意味もきっと分かるはず……。それが分かったら、それが分かったらねえ!
(光文社古典新訳文庫、浦雅春訳、2009年)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます