南町の独り言

様々な旅人たちが、日ごと行きかふ南町。
月日は百代の過客、今日もまた旅人が…。

“働く”ことの幸福感

2009-12-31 16:52:14 | ユニオン

なぜ人は“働く”のでしょうか。
どの時代にあっても不変の課題であり、労働運動にとっても一番基本的な課題かもしれません。
そんな面倒くさいことは考えずに、「働かざるもの食うべからず」だから「働いて給料をもらい食うためだ」とシンプルに考える人もいるでしょう。

ある経営者は、「我が社の従業員が“働く”のは、“給料のため”だけである」と考えています。
人事部の考え方も、そこに働く従業員たちに報酬として与えるのは“給料”だけでよいとなります。
すると働いている人々はただ歯車となり、仕事は固定化し、細かいところまでマニュアル化されて、ただただ動かされている機械的な集団になっていきます。

人間の働く動機は様々です。
ある人間にとっては賃金は勤労意欲を高める非常に大きな源泉ですが、ある人間にとってはさほどの比重を持たないこともあります。
成功する組織のリーダーは卓越した人間観をもっています。
複雑怪奇な人間の働く動機を認識し、そしてその動機そのものを高めさせ、満足させてやります。
アメリカの心理学者マズローは、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定して、人間の欲求を5段階に整理し理論化しました。
有名な“マズローの欲求段階説”であり、もっとも基本的な“生きていくために必要な生理的欲求”から、自分の可能性を最大限に実現したいという“自己実現の欲求”までの5段階です。

企業活動や組織活動とは、理念の実現化を図る活動です。
理念を形づくっているものは何か、それは組織体のなかのすべての人々の信念です。
「従業員が働くのは給料のためだけである」とした経営者の下では理念は育ちません。
個性的な理念を確立した組織であればこそ、ひとりひとりの自己判断と自己責任の下で仕事が出来て、やりがい感のある“生きた組織”が生まれるものだと私は思います。

マズローの説いた高次元の欲求を満たすためには、どうすればいいでしょうか。
魯山人のような才能の持ち主や、イチローのようなスーパーマンでもない私たちは、どうしても集団化した組織に、その一員として参加し、全体としての大きな仕事の一端を担いながら、組織人として欲求を達成することに励みます。
高次元になればなるほどその欲求をひとりで実現することは難しくなりますから、当然のことでもありましょう。

“組織としての自己実現の欲求”というものも当然あります。
組織人としての真の喜びは、集団の社会的貢献を味わったときに生まれるものだと思います。
自分も一端を担っている仕事が、全体として創造的成果をあげて、広く世の中に認められて、世の中に貢献できたときの喜びが、人々の喜びになると思います。
その高い理念に裏づけされた欲求を共有化し、そして燃やし続ける人々を増やし続けることが私の来年のテーマです。

いい1年でした、感謝します。
ありがとう。
また来年も良い年でありますように。

1年間お世話になりました。
また来年もよろしくお願いいたします。


2009年下半期

2009-12-30 17:01:45 | Weblog

僅差の勝利でしたが、7月5日川勝平太知事が誕生しました。
Y先輩の位牌に勝利の報告に行きました

静岡県知事選挙のエネルギーは全国へ飛び火していきます。
まずは東京都議選、民主党の圧勝です。

麻生さんがいよいよ解散を決意します。

川勝知事の所信表明は、「それでもなお」でした。
これまでにない清新な演説は県民の心を捉えました。

8月11日、すわ東海大地震か。
早朝の大揺れに飛び起きました。

県知事選挙、東京都議選で流れをつくった総選挙。
圧倒的な勝利で“政権交代”が成就しました。

海の向こうではイチローが2000本安打の偉業達成。
民主党のイチローは早くも来年の参議院選挙に着手します。

政権交代が成った民主党、新しい静岡の力が試されます。
政務3役や副幹事長に静岡選出の国会議員5人が抜擢されました。

連合静岡が20周年を迎えました。
盛大に開かれた記念レセプションは最高でした。

まだまだ景気は回復しません。
でも貧しくとも幸せな“貧幸”生活は築けるはずです。
すべての働く人たちが集えるような“居場所”をつくる新しい活動を始めましょう。

迷ったら原点に戻ろう。
労働運動の原点は“ロッチデール”にあります。
よりよい社会を築こうとして、労働組合は結成されました。

(あっという間の1年でした。来年もよろしくお願いします)


2009年上半期

2009-12-29 23:40:55 | Weblog

今年もあと3日でお仕舞いです。
みなさんにも励ましを、そして、お付き合いをいただいて、このブログもどうしようもなく酔っ払った日以外はなんとか更新できました。
強力な助っ人“勘助”にもずいぶん助けられました。
ブログ記事で1年を振り返ってみました。

今年のキーワードを“変革”“大転換”としたのは1月2日のブログでした。
「政権交代」の向こう側にどんな国づくりを描いていけばいいのかなどと偉そうに書いてありました。

沼津北駿地協と三島田方地協が合併して「沼駿・三田地協」が誕生し、これで県内の東・中・西の3極に組織人員3万人を越える拠点がそろいました。
個性豊かな地域戦略を競い合うステージがいよいよ整いました。

石川知事が5選出馬に意欲的でした。
しかし20年はあまりに長すぎる、久しぶりの県議会傍聴は緊迫した代表質問でした。

一方、国政は小沢一郎代表の献金問題で大揺れです。
もしこの時期に麻生さんが、解散総選挙に打って出れば自民党大敗は免れていたでしょう。

3月25日静岡新聞のスクープ記事は「石川知事突然の辞任表明」でした。
立ち木伐採を促すためという理由でしたが、いささか遅すぎです。
静岡空港の開港は遅れ、無駄な改修工事は実施されたあとでした。

病気療養中のY先輩のために、回向柱を求めて長野善光寺にお参りしました。
ものすごい数の参拝客で回向柱にはさわれず、土産のミニ回向柱で我慢していただきました。

平成21や民主党県連と進めている県知事選候補者選びが難航しています。
自民党決起Gも交えて、「夢あるしずおか創造会議」を立ち上げました。

“川勝平太”静岡文芸大学長と初めて会ったときの印象は衝撃的でした。
こんな人物が静岡県にいたのかという率直な思いです。

6月5日、県知事選投票日1ヶ月前の出馬表明でした。
今でもまざまざと思い出しますが、前日まで妨害の嵐でした。
そしていよいよ“平太”立つ!

ベッドの中にいるY先輩に“平太 立つ”の報告、それを聞いて安心したのか黄泉の国へ旅立っていきました。
必ず勝ってみせるからと固く心に誓いました。

(上半期終わり、あっという間の半年間でした)


年末のお仕事“28日”版

2009-12-28 21:37:04 | Weblog

新年を迎えるにあたっては、思い残すことがないように努力しています。
今日はグランシップで開催中の“北大路魯山人展”を見てきました。
グランシップ開館10周年にあたって、魯山人没後50年を記念してのコレクション展示会です。

魯山人の作品をまじかに見るのは初めてでしたが、正直な話芸術的センスのない私には、1点1点を見てもあまり感ずるものはなかったかもしれません。
しかし展示場にある200点近い作品を前にして、会場を一回りするとその多彩な才能と作品の美しさに圧倒されました。

魯山人を語る「坐辺師友」という言葉と「器は料理の着物」という言葉が印象的でした。
「坐辺師友」とは自分の周辺の生活空間、自分の身辺にあるものこそが、自分の師であり友である、という意味だそうです。
だから魯山人は自分の身の回りに優れた美術品を置き、自らの眼を鍛えていたそうです。
身の回りの環境によって人はつくられるという証拠ですね、今日もまた勉強させられました。


年末のお仕事“27日”版

2009-12-27 16:35:28 | Weblog

『親戚の床屋さんで修行したんよ。
修行とはいっても丁稚奉公みたいなもんで、いわゆる徒弟制度の時代の名残だね。
5年間修行して、1年間はお礼奉公だ。
住み込みで働いて、盆と暮れだけ家に戻れるのさ。
小遣いは月に300円だけ。
辛くて辛くて初めての盆帰りのときには、もう床屋には戻らないと心に決めた。
母親も兄弟も戻らなくていいと賛成してくれたが、親父の反対で奉公先に戻ったんだ。
その時は悔しくて、家の柱に“二度と家には戻らない”っていう字を彫り込んだよ。』

清水の床屋“いこい”さんは、昔から通い詰めたお店です。
もう70を超えた親父ですが、腕はまだまだ錆ついてはいません。
勤めていた会社のそばにある床屋さんで、今いる場所とは離れているために、それこそ盆と暮れくらいしか行けません。
それでも30年近い付き合いですから、私のこともよく承知してくれています。
今日は珍しく客がいなかったので、親父さんがこの場所で店を開くまでの昔語りをしてくれました。

「親父さんそれじゃ良いお年を!」


年末のお仕事“26日”版

2009-12-26 12:01:27 | Weblog
郵便局からのお知らせでは25日までに年賀はがきの投函を、となっていました。
毎年この時期になるとそろそろあせりだします。
1日遅れの今日、昨晩の帰り道に言葉が浮かんできましたので年賀はがき作成にとりかかりました。
今夜も“飲みニケーション”会ですから、心おきなく楽しめるようにがんばりました。
おかげさまで無事に完成。

さてさて今宵はどのあたりを攻めてみましょうか?

1年間お世話になりました

2009-12-25 23:49:08 | ユニオン

今日が連合静岡の仕事仕舞いです。
お世話になった事務所に心を込めて清掃活動(?)、中くらいの大掃除ですね。
大掃除の最中も皆は、労働相談に飛び込んでくる人たちや相談電話に追われていました。
昼飯を食べた杉乃屋(オデン屋)さんでも近所のオバサンたちが、「嫌な世の中だねー」と愚痴っていましたが同感ですね。

なんとか掃除も終わって最後の〆は恒例の乾杯。
先日仕入れた入手困難な吟醸酒“蓬莱泉「空」”で1年間の疲れを吹き飛ばしました。
ツマミは事務局長が仕入れてきたマグロの剥身、生シラス、生桜えびでした。
これもなかなかの味わいです。

今年1年みなさんには本当にお世話になりました。
明日から正月5日まで事務所はお休みとさせていただきます。
また来年もよろしくお願いいたします。


意識改革を求めます

2009-12-24 17:59:13 | Weblog

平成21年度静岡県総合計画審議会が開催されました。
今日は第2回目であり、基本構想の後半部分について意見交換が行なわれました。

私からは個々の施策の基本方向についてではなく、計画推進のための取り組みについてひと言述べました。
それは“お役所体質”からの脱皮です。
“お役所仕事”という言葉から連想するものは、なんでしょうか。
あまり前向きな感じではありませんね。

求めたものは「柔軟性」や「豊かな発想」です。
素晴らしい総合計画をつくっても、その実現にあたっては行政としての強力なリードが欠かせません。
そのためにも行政マンの意識改革が必要です。
意識改革というより意識革命とでもいったほうが正確かもしれません。
民間の発想・センスを取り入れて、悪しき前例主義や減点主義から脱却して欲しいと思います。
具体的な例として委員席に用意されていた鉛筆、消しゴム、マーカーペン、ポストイットをあげて話しました。

『昨日の日経新聞で東芝やスズキのコスト削減記事がありました。
この経済不況で鉛筆1本、消しゴムひとつまで節約をしています。
(委員の誰しもがペンの1本くらいはもって会議に臨むはずです)
だから各委員の席にいつも用意されている事務用品に私は違和感を感じます。
事務用品に限らず、どんな仕事にも“なぜこれが必要なのか”という意識をもって臨んで欲しいと思います。
それが普段からできていれば、事業仕分けをされても簡単に不用などとの判定は下されないと思いますよ』

ちょっと辛口意見になってしまいましたが、納税者の立場からすれば当然です。
しかし今夜はクリスマスイブ、少々ハートが痛みました。
ごめんなさいね、また来年もよろしくお願いいたします。


引佐で拾った言葉

2009-12-23 17:34:39 | Weblog

引佐町まんぼう峠にある「前嶋屋」さんで昼食をとりました。
店先にコピーされた手書きの紙が置かれていましたので、手にとってみるとなかなか含蓄のある言葉が書かれています。
1枚いただいてきましたので、書かれてあった詩のひとつを紹介します。

   “ひとりの力”

たったひとりが
たった一つのゴミを拾う
たいして変わらないようだけど
たったひとりが
たった一つのゴミを捨てる
たいして変わらないようだけど
ゴミを拾う人はゴミを捨てない
ゴミを捨てる人はゴミを拾わない
ここに大きな違いが生まれる


東京裁判を読む

2009-12-22 12:28:17 | 読書
それまで戦争は国家の責任であり、個人の責任を問うのは捕虜虐待など国際法に規定されていた「通例の戦争犯罪」だけとされていました。
しかし日中戦争と太平洋戦争を率いた軍指導者や政府の役人に「デス・バイ・ハンギング(絞首刑)」の判決を下した東京裁判は人類史上空前の戦争裁判として有名になりました。
それは「平和に対する罪」という新しい概念による判決でした。
第2次世界大戦は人類史上未曾有の人命が失われた恐ろしい戦争でした。
人類そのものが消滅するかもしれない原爆も登場しました。
このような戦争が二度と起こらないようにするために、そして人類の存続を守るためにも、法の枠を超えた重要な問題であると考えた末の、裁判判決だったのかもしれません。

この東京裁判のすべての資料が60年の時を経て整理され開示されました。
難解な資料を読み解くために、日経編集委員や歴史学者らが約1年の時間をかけて1冊の本にまとめあげました。
勝者敗者の主張、何が認められ、何が否定されたのか、日中双方の虐殺事件の生々しい証言や、真珠湾攻撃の真実など、興味深い内容であふれています。
残念ながら日本側資料は敗戦直後に焼却されており、証人尋問中心です。
ここにも旧態前とした責任隠しの体質が見えており、裁判員の心証を極めて悪くしています。

裁判に使われた膨大な文書や証拠資料をとおして、歴史に関わっていった個々人の責務について多くのことを考えさせられました。
「立場上、仕方がなかった」とか「上からの命令でやりました」なんていうことはやはり認められなくて当然でしょうね。
ちょっと厳しすぎますか?


「東京裁判」を読む
保阪 正康,井上 亮,半藤 一利
日本経済新聞出版社

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