“川勝平太”静岡文化芸術大学学長とお会いしたときに、実に様々なお話を聞かせていただきました。
いずれその内容についても紹介していきたいと思いますが、彼の持つ歴史観や理念・哲学から産まれたと思われる“菩薩道”なる言葉に感銘を受けました。
川勝先生の生き方や価値観について質問したときの答えです。
『私が生きる道は“菩薩道”にあります。
人のために生きることです。
他人を幸せに出来たとき、他人が幸せだと思われたとき、そんな瞬間が私自身幸せだと感ずる時です』
そういえば仏教にもこんなお話がありました。
“天国と地獄”
ひとりの男が、天国と地獄について神様と話をしました。
神様が男に言いました。
「こちらについて来るがよい。地獄を見せよう」
2人が最初に入っていった部屋には、人間たちが煮物の入った大きな鍋を囲んでいました。
みんなは手に長いスプーンを持っています。
それぞれスプーンを鍋に入れては煮物を口に運ぶのですが、スプーンの柄が腕よりも長くて口に届きません。
煮物が食べれずに全員がお腹を空かせて苦しみもがく姿は、とても酷くて見ておれませんでした。
「さあ、今度は天国を見せよう」
2人が次に入った部屋は、先ほどとまったく同じような部屋でした。
煮物の入った鍋、そして柄の長いスプーンを持った人間たちが居ます。
ところが、この部屋の人たちはお腹も十分に満たされている様子で、その顔は幸せに満ちています。
「どうしてでしょう?私にはわかりません」とその男は神に尋ねました。
「なぜここにいる人たちはこんなに幸せで、さっきの人たちはあんなに惨めなのでしょうか?条件はまったく同じはずなのに?」
神様は微笑むと、「それはとても簡単なことですよ」と言いました。
「ここにいる者たちは助け合うことを学んだのです。
ただそれだけの違いです」
賢明なみなさまはお解かりいただけたと思います。
人間社会は助け合いや支え合いで成り立っています。
私一人だけが幸せであるという社会は成り立ちません。
労働運動の原点にも相通ずる“生き方論”でした。
残念ながら県知事への擁立について先生が抱えている3つのハードルをクリアーすることができないまま今日を迎えてしまいました。
過熱するマスコミの取材に抗しきれずに「出馬の意思なし」とインタビューに答えている姿をテレビで見ました。
私たちの力の無さに無力感を覚えていますが、まだ正式にお断りの返事を聞いたわけではありません。
残された最後の時間を、最後の最後まであきらめずに使い切りたいと思います。