考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

センター試験、キライ

2007年04月20日 | 教育
 センター問題演習をやらされている。年を追う事に、出題が嫌らしくなっているような気がする。読解は、引っかけ問題の四択をさせるくらいなら、文章内容の要約させるなり、なんなり、もっと良い出題方法があってしかるべきだ。その方が社会に出てから役に立つぞ。二次試験なんていらない。(もっと言うと、2回も試験は要らない。)

 全国の受験生よ、文句を言え。
「せっかくの試験である。もっと社会に出てから役に立つ形式の出題にせよ。」と。
社会に出たあと、一体誰が四択を作ってくれるのか。少なくとも、人の言うことをきちんとまとめ上げて自分のものにする力ほど重要なことはないではないか。抽象的な表現は、具体例などで説明をし、具体例はそれを抽象化て述べる。言語学習の最終的過程、或いは目標とは、そういうものではないか。現在、一体どれだけのが抱くが、そういった能力を要求しているのだろうか。(と、大学のせいにしても大学が気の毒だが。)

2 コメント

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Unknown (執事)
2007-04-23 00:28:06
選択形式は公平性を考えると仕方ない気もしますけどね(受験者、採点者の相性やコネが絡んだりとか)。
社会に出ても役に立つ能力を身につけているなら、そうでない学生より解けるはずですし。
結局は、そういうテストに出ないことを身につけようとする学生の少なさが問題なのでしょうね。

大学はかわいそうですよ。
そういう力を身につけた上での学問をする場なのに、前提条件を整えるところから始めないといけないなんて。
教養のゼミに入って討論を少ししたんですが、発言を促されないと喋れない人ばかりです。
大学のレベルにもよるのでしょうか?
でも偏差値の違いでそこまでの差があるとは思えませんから、同じなんでしょうね(もちろん、レベルの高い大学なら発言を促された時には高度な発言ができるでしょうが)。
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世の中ホントは不公平 (ほり(管理人))
2007-04-24 21:26:04
執事さん、コメントをありがとうございます。レスが遅くなって済みません。なんだかんだちょいとばかり忙しくて。

↑ところで上記、露骨な投げやりタイトルです。(笑)

試験なんて、そもそも不公平なものなんですよ。運、不運の世界ですよ。それを「公平性」だけを表に出した結果、(で、この公平性にしても、単なる表に出てくる数値だけの問題でしかないわけで。)肝心の「学力」、それも知的好奇心を伴う「学力」が育たなくなってしまってるんですよね。

>社会に出ても役に立つ能力を身につけているなら、そうでない学生より解けるはずですし。

これは、国大協(だっけ?)の論理なんです。ちゃんとマトモにやれば、マーク問題でも解けますよ、というのです。確かにその通りなんです。
ところが、ご存じのように、「マトモに勉強をしなくても、やり方によってはそれなりに解けてしまう」という現実も同様にございますのですよね。
で、問題は、今はそれが幅を利かせていることでしょう。マーク式試験が始まって、随分、「進化」したわけです。(苦笑)

英語の文法問題は、四択ばかり増えました。だから、正しい答え(記号)だけ分かれば満足する生徒が増える。かつては、否が応でも、自分で書かなければならなかった。それが、書く必要がなくなったから、書けば学べて身に付いたことも、書かないから、記号を選ぶだけだから、理解が深まらない。

それでも、本当の上位層は、こういうことの本質を理解しているから騙されない。でも、ちょっと下、2番手になると、もう、騙される生徒がどっと増えるのです。だって、深く理解してもしなくても、その場限りで見れば、取れる点は同じなんだもの。

>大学はかわいそうですよ。
そういう力を身につけた上での学問をする場なのに、前提条件を整えるところから始めないといけないなんて。

本当に、そうです。何のための12年間なのでしょうね。

>大学のレベルにもよるのでしょうか?

週刊誌だったっけ?何だったっけ? 東大でも「二極化」が進んでいるらしいですね。文化資本のある層と、受験勉強だけをしてきた層と。話が合わないんだって。

>発言を促されないと喋れない人ばかりです

今の子は、人目を気にするから、「これ知っている人?」と聞いても、たとえ知っていても手を挙げない。
「人間関係」ばかりの時代なんだなぁと思います。

「公平性重視」も、考えてみれば「人間関係重視」の考え方だなぁ。(笑)
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