○付けが進まない。
gが上に上がっている。sとtの高さが同じ。hがTより高さが高い。bdの○の大きさが、aより小さい。rがハングルのハングル文字のあ(だっけ?)みたいな感じ。fとtの区別が付かない。語頭のs、cが大文字。
文字の形は視覚的な刺激である。こういった刺激をきちんととらえていないのは、感覚が鈍いと言うことである。
成績が良い生徒と、悪い生徒を比べると、確実に言えるのは、成績が悪い生徒は、感覚が鈍い。鈍い感覚で勉強をしても、できるようになるわけがない。だって、鈍いのだもの。だったら、どうしたら、鋭くなれるか。大事なのは、そこだ。
文字は、ちゃんと、書け。
と、こう言うと、「字が汚くても、できる生徒はできる」と必ず、「例外」を持ち出して反論する人が出てくる。本質を見ない方々である。
少数の例外を持ち出して、一般化するのは、誤った考え方である。経験的に、きちんとしない生徒は、圧倒的に、できない。数学でも、イコールをそろえて書かない生徒ができないのと同じである。
勉強なんて、そんなものだ。
ほりは悪筆である。しかし、大文字と小文字の区別が付かない文字は、書かない。高さもきちんと書く。自然に書くと、独りでにそうなっている。子供の時に徹底的に訓練されたのだろうし、自分でも気をつけた。答案だったら、ことさらに、気をつけて書いた。だから、勉強だって、それなりに、ちゃんとできるようになったのだろう。
あー、○付けが進まない。
gが上に上がっている。sとtの高さが同じ。hがTより高さが高い。bdの○の大きさが、aより小さい。rがハングルのハングル文字のあ(だっけ?)みたいな感じ。fとtの区別が付かない。語頭のs、cが大文字。
文字の形は視覚的な刺激である。こういった刺激をきちんととらえていないのは、感覚が鈍いと言うことである。
成績が良い生徒と、悪い生徒を比べると、確実に言えるのは、成績が悪い生徒は、感覚が鈍い。鈍い感覚で勉強をしても、できるようになるわけがない。だって、鈍いのだもの。だったら、どうしたら、鋭くなれるか。大事なのは、そこだ。
文字は、ちゃんと、書け。
と、こう言うと、「字が汚くても、できる生徒はできる」と必ず、「例外」を持ち出して反論する人が出てくる。本質を見ない方々である。
少数の例外を持ち出して、一般化するのは、誤った考え方である。経験的に、きちんとしない生徒は、圧倒的に、できない。数学でも、イコールをそろえて書かない生徒ができないのと同じである。
勉強なんて、そんなものだ。
ほりは悪筆である。しかし、大文字と小文字の区別が付かない文字は、書かない。高さもきちんと書く。自然に書くと、独りでにそうなっている。子供の時に徹底的に訓練されたのだろうし、自分でも気をつけた。答案だったら、ことさらに、気をつけて書いた。だから、勉強だって、それなりに、ちゃんとできるようになったのだろう。
あー、○付けが進まない。
数学の証明では“エレガント”なんて言い方もされますが、どちらにせよ、余分な引っかかりがないことは、それだけ心地よさを相手に感じさせることでもある。
もちろん、自分に対しても同様の効果があるはずですから、美的感覚というものは、非常に重要なものなのでしょう。
書道の達人が書いた書を顕微鏡で見ると、墨の粒がきれいに並んでいるそうですね。
そんなのとも関係があるのかなと思います。
しかし、「美しい」まで行かなくても、差異をとらえて書かないと、感性が鈍るのではないかと思います。
むずかしい単語を覚えるのも大事だけれど、きちんと書かないと、絶対に力にならないと思っています。
数学の先生が、tと+が区別が付かないとか、logが、10gに見えるとか、言ってます。でも、そんな表現しかできない子は、数学、できません。
んぜ、そうした「基本」を重視しないのだろう。