考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

「入れ子思考」私の場合の問題点

2006年06月18日 | 教育
 「入れ子」構造の思考方法を入れ子思考と呼ぶと、私は明らかにこの思考方法を取る。論理的に、何らかの「前提」があり、その上に思考が乗っかっていく。よって、一つ一つの「論」の運び方を間違えると結論を間違える。さらに、最初の前提を間違えると、論の組み方がどんなに正しくても結論を間違う。(ここで言う前提は、藤原先生のおっしゃる「公理」に値する。)

 この思考法は、かなり論理的であるからもっともらしいが、利用法によって問題がありそうだ。
 私の場合、学習における「わかること」と「わからなさ」について思うことをこれまでこのブログにいくつか書いている。が、それぞれをその時々の思考で書いているから、「要はどういうコト?」となると、それぞれの思考が組み合わさってどういった道筋がつくのか、自分でもよくわからないのである。(アタマ悪い、と言われればそれまでなのだけど。)
 原因は、それぞれの作文ごとに切り口が異なるから、前提から論の組み立て方がそれぞれ異なっている。だから、全体を眺めると、どこがどんな風にくっついて行くのかが自分でもよくわからないのだと思う。ややこしくて仕方がない。書いた本人としては、「これはこの説明の仕方で良いでしょ、これはこれで良いでしょ、」と言いたいところだが、さて、いざ纏めてみようかと思うと、これが何だかとっても困ったことになりそうなのだ。
 自分で書いておきながら、なんてこったと思うけど。

 これを一つに纏めようと思うと、再構成しなければならなさそうである。自分の考えだから一度きちんとしたいんだけれど。あー、めんどー。
 

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