考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

「まろ・ん?」と「あさきゆめみし」

2012年11月12日 | 教育
 源氏物語の漫画はいろいろあるようだが、「まろ・ん?」と「あさきゆめみし」、それから江川某の源氏物語というのがある。(というか、私が手にしたことがある。)
 あらかじめ断っておくが、私は国語の教員ではないし、まあ、そもそも、全部読んでもないし、いい加減なことしか書かないと思うが、これらは、同じ漫画といえど、かなりコンセプトが異なると思った。

 「まろ・ん?」は、54帖の「あらすじ」を知りたい人向けだろう。1帖が8コマくらいにコンパクトにまとめられていて、途中に人間関係の家系図みたいなものが入る。原文理解が進まない人向けの参考書として使えそうだ。源氏が出世するにつれて装束が替わる点などでも、衣装などの考証もかなりしっかりしているらしい。
 「あさきゆめみし」は、ストーリーの観点で原文と異なる点が多い。だから、「あらすじ」を知るつもりで読んでも期待はずれになるだろう。まあ、私見(って、このブログは私見しか書いてないけどね。)だが、とにかく、「あらすじ」が知りたかったら、「まろ・ん?」がよろしかろうということだ。

 じゃあ、「あさきゆめみし」の利点は何か?
 たぶん、「なぜ登場人物たちがあのように振る舞うのか?」言い換えると、「なぜ、源氏物語はあのような筋書きになったのか?」という観点からの理解が進むだろうということだ。
 源氏物語の難しさは、使用語彙がかなり抽象的であることだ。(徒然や枕と比べても一目瞭然。)物語だから具体的なはずなのに、それでも、たぶん、現代人にとっては、非常にわかりにくい書き方だろう。古文特有の主語の省略などといったことだけでなく、主観的な形容詞が多用されている割に、具体的な記述に乏しいからだ。なぜ、どうして、そのような表現(形容詞など)になるか、といった点がすべて読者に任されている。まあ、当時は、それだけで読者は十分に理解したのだろうが、これが難解さの要因の一つではないかと私は思うのだけどね。(←国語科の教員じゃないから怪しいかもしれないよ。)
 この点で「あさきゆめみし」は、一つの解答を与えてくれる。もちろん、著者大和和紀の解釈だが、漫画という描写方法が女性の心理状態や、男性の心の動きを具体的に描き出してくれるわけだ。「なぜあのとき源氏はそのようなことをしたのか」、「女性はあのように振る舞ったのか」などの話の流れを下支えする理解の助けになると私は思うのだよね。この意味で、「あらすじは何とかわかるけれど、なんだか納得がいかない」という人向けかもしれない。もちろん、大和和紀の解釈がすべてではないだろうが、この漫画は、自分なりの源氏を作り上げるための土台になるのではないかと思う。

 最後に、江川某の源氏物語だが、読んで気分が悪くなった。かなり下品である。動物としての「ヒト」として何をしたか、という観点での描写が多い。しかし、これは、源氏物語という物語の歪曲ではないか。
 「古典だから」、「高尚な物語のはずだから」という既成概念で私はそのように思うのではない。男性は烏帽子を取ることが何よりも恥ずかしいこととし、また、歌を詠むことこそがアイデンティティに関わる人たちの物語なら、動物的な行為は現代人が考えるほどの重要でなかったはずだ。当時の男性にとって、そのことそのものはどうだって良いのである。それよりもまず、歌を詠み交わす方こそが重要なのだ。だから、行為そのものを重要視してここかしこに描き出す表現方法はお門違いというものだ、というのが私見である。よって、歪曲であると判断するわけだ。
 で、付け加えると、源氏物語の時代のこうした精神指向性(?造語)というか観念重視の男性中心主義において、女性は苦しい立場に追いやられる。歌も重要だろうが、それでも子供の身ごもるかどうかの方が遙かに大事だろう。そうした存在の矛盾から生じる苦難が「生き霊」のような観念を生じさせたのではないか、とふと思った。(専門家がどう言うかは知らない。)


コメントを投稿