考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

「今から1時間目の授業を始めます」

2006年09月09日 | 教育
 日本の学校ではおそらく授業の前後に「典礼」と呼ぶべき「起立、礼」の号令が掛かるだろう。大抵はクラス長などが「起立、礼」と言い、他のメンバーが従う。
 
 今年行っているクラスのクラス長の中に、大変なしっかり者がいる。「起立。」の号令を掛けたあと、自分が前列にいるならしっかりと後ろの方も見やる。それで、皆が立つのを確かめて「今から1時間目の授業を始めます」と声を上げ、「礼。」の号令を掛ける。やんちゃな生徒も多いクラスであるが、しっかり者女子のクラス長に睨まれると皆それなりの行動を取るのが何とも言えない。

 他の教員はどうなのか知らないが、私はクラス長に協力する。(笑)私の場合は、どのクラスでも身だしなみの注意をする。クラス長自ら、嫌そうな顔をするところもあるが。さて新学期が始まったが、このクラス、1学期の中だるみに教室で溶けたようになっている連中がかなりいたと思うが、減ってきているような気がしてならない。ひとえにこのしっかり者のクラス長のお陰であると私は思う。

 毎日のことである。授業の6時間、計12回である。始業には「起立」と言われてじろりと眺められ、「今から○時間目の授業を始めます。よろしくお願いします。礼。」と聞かされ頭を下げさせられる。授業が終わると、再度「起立。これで○時間目の授業を終わります。ありがとうございました。」と聞かされる。これで、「秩序」が生み出されないわけがない。現にこのクラスは変わってきている。

 クラス長の号令は大事である。タラタラやられると志気が低下するものである。しかし、意識の低いクラス長に自覚を持たせるのはなかなか難しい。毎日、毎回のことだから、忍耐力がないとできないのである。

 「たかが号令」というなかれ。継続した分には学力を左右する力を持つ。特にクラス長の号令は、教員でないだけ、「自分たちの仲間」である分、影響力は極めて大きいのである。

 

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