考えるのが好きだった

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クーラー格差?

2009年07月18日 | 教育
 この暑さで、教室にクーラーを設置するところが増えている。私が耳にした範囲だけだが、いわゆる困難校でクーラーが設置されたという話はない。クーラー設置の費用が、保護者、同窓会?負担になっているからか?
 進学校では、当然のごとく、学習の効率を求めてのクーラー設置だろう。この合理性は認める。しかし、俗に言う困難校の生徒は、(たとえ家庭ではクーラーの部屋で過ごしたとしても)十代の日々を、しかも日中の暑い最中、最低8時間はうだるような暑さに身体を晒していることになる。一方、進学校の生徒は丸一日を涼しい環境に身体を委ねる。

 私は、この違いが何らかのphysicalな影響をもたらさないだろうかと思う。身体形成の若い時代の数年間をクーラー付けで過ごすのと、暑い暑いとぼやきながらでも過酷な環境で日々を送るのとでは、それ以降の身体の適性?は変わってこないだろうかと思うのだ。
 成人してから、屋外の仕事場で働く可能性を念頭に入れると、クーラーになれきった身体は、おそらく暑さ寒さに敏感になり、過酷な環境で働くことを潜在的に拒否することはないだろうか、ということだ。

 クーラーのある進学校の生徒でも、運動部などで身体を鍛えているだろう。しかし、持続性という観点では限界がある。「現場で働く」とは日々の継続で、必要なのは瞬発的な集中力や体力でなく、忍耐強さのような耐える力だろう。朝の7時から夕刻まで気温30度かそれ以上の環境に身を置いて培われる気力や体力と、たかだか3,4時間の運動で培われる力には、質的に大きな違いが生じるのではないのかと思うのだ。(あくまでも推測だが、さほど間違っているとも思えないのである。)

 どんなに時代が変わっても「外の仕事」は常にある。単なる肉体労働だけでない、かなり高度な知的能力を要する外の仕事だって大いにあるだろう。だらだら汗をかきながらも冷静に観察をし、身体を動かし、判断をしなければならないということだ。昼間だけでなく、夜間も、それこそ本当に24時間通しで何日間も身体的に不快な環境に耐えなければならない場合もあるだろう。しかし、小さな時分から20年間或いはそれ以上の期間を恵まれた環境で、クーラーでも何でも身体的な快適に慣れきって育ち上がった身体は、いくら専門教育を受けたとして、体力が衰え始める大人になって体験したことがほとんどない過酷な環境に身を置いて働くことを受け入れるだろうか。

 学習環境がクーラーで整えられるのは、「個」と言う側面では大いに理もあるし利もある。しかし、社会全体の構造的観点で見れば、果たしてそうだろうか。2,30年後になって脆弱さを露呈することにならないかと思う。(今の大人は、まあ、気候が今ほど暑くなかったとしても、20才くらいまではクーラーの洗礼を受けていない。)

 東大でもどこであっても、どんな大学へでも行きたい高校生は、暑い中、茶を飲んで、汗をだらだら垂らしてノートをしわくちゃにして、身体中、不快感いっぱいで勉強をしなさい。それで、「この暑さでは勉強なんて出来ないよ~」とぼやく程度の人物なら、あなたには、そもそも勉強をする資格も能力もないということです。

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