である。
まあ、マークシート試験がいけないのだけど、模試の数が増えた。生徒が可哀想。
塾に行く生徒が増えた。通学時間がもったいないじゃないか。やるべきテキストが増える。じっくり腰を据えて勉強ができないだろうに。多少の出来不出来はあろうと、参考書は一冊でいい。繰り返しやることで身に付く。数を増やすことが能でない。ビデオ授業を聞いて「わかりやすい」と勉強をしたつもりになる。そんなんで、できるようになるわけがない。「わかる」のと「出来る」のは違う。
ついでに図書館でも勉強をするな。声も出せない場所でなんで勉強になるんだ。見てできる脳味噌の持ち主だったら、君たち、もっと成績がよくなくっちゃ。アタマが悪いヤツは、身体で勉強をしなくっちゃいけないんだ。茂木さんだって、カラダでやってたのだから。茂木さんは、ホントに頭が良いわけでないと思う。(私よりは良いのだろうけど。笑)
もう、全然理解できん。
↑時代遅れの一教師の言。
まあ、マークシート試験がいけないのだけど、模試の数が増えた。生徒が可哀想。
塾に行く生徒が増えた。通学時間がもったいないじゃないか。やるべきテキストが増える。じっくり腰を据えて勉強ができないだろうに。多少の出来不出来はあろうと、参考書は一冊でいい。繰り返しやることで身に付く。数を増やすことが能でない。ビデオ授業を聞いて「わかりやすい」と勉強をしたつもりになる。そんなんで、できるようになるわけがない。「わかる」のと「出来る」のは違う。
ついでに図書館でも勉強をするな。声も出せない場所でなんで勉強になるんだ。見てできる脳味噌の持ち主だったら、君たち、もっと成績がよくなくっちゃ。アタマが悪いヤツは、身体で勉強をしなくっちゃいけないんだ。茂木さんだって、カラダでやってたのだから。茂木さんは、ホントに頭が良いわけでないと思う。(私よりは良いのだろうけど。笑)
もう、全然理解できん。
↑時代遅れの一教師の言。
こんなのも嫌いですか?
(否、このような教育に対しても、ほりさんは、マークシートや夜スペや塾に対して抱いた感情と同じ感情を抱きますか?)
そうですねぇ。。。
「道具を上手に使ってる」って感じですね。方法論を教育の主眼においてるって印象を受けました。
まあ、物理的存在として、生き物として、人間はいかに道具を使いこなすか、で生き延びる確率が高まってきたのは、その通りです。
私が気になるのは、それを通して何を教えようとしてるのかな、ということかな。教育って、要はこれだから。
細かいことだと、質問が「メール」で済ませることが出来るとも思えないんだけど。また、手軽に質問が出来ることが良いこととも思わないんだけど。(笑)「アルキメデス」です。無駄だと思わないので。近頃のコドモは「わからない状態に耐えることが出来ない」のを私は問題視するので。
質問は、私は生徒の躓きを顔色を見ながら理解の程度を判断するし、生徒によって理解しやすい説明の仕方は刻々と変化するから、こっちはそれに合わせていく。
時間管理などの重要性を認識するのは大事なことだと思うけど、全て「方法論」だと思う。
おっしゃりたいことと私の認識の方向には、たぶん、ズレがあると思います。善し悪しでは無くってね。
> 「道具を上手に使ってる」って感じですね。
新しい教育方法だからすべて拒否、というわけでもないのだな、ということが分かって、少し、安心しました。
> それを通して何を教えようとしてるのかな
「ふふふ、それは君自身が見いだすものだよ」って教えるのが、一般的かつ普通だと思いますが…(そして、そのあり方は、この教育方法の下においても基本的には不変だと思いますが)
これはその通りなんですが、で、生徒が「道具を使いこなすことが全て」となると、それは学校で教えることではないでしょう、と思う。社会に出てからでも、道具は使えるようになる。現にその創始者は、学校教育でこの能力を得たわけでないですから。
学校教育で教えるべきことは、読み書き算盤以外は基本的に「応用力」なんです。(だから、プリント学習は私は嫌いなの。)
で、「応用力」の根っこにあるのは「人格の陶冶」です。読んだ限り、これに関する記述がないのがとても気になっての上記の私の発言。