考えるのが好きだった

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塾へ行くと出来なくなるぞ

2010年03月18日 | 教育
 それなりに指導をしている進学校の生徒が塾へ行くのは、「(たとえさしたる成果が出なくても構わない)安心」を買いに行っているのである、親子共々。
 成績は良くない生徒が多い。なぜ良くないかというと、学校が要求することをやりきれていないからである。それで、安易に塾へ助けを求めようとする。彼らは塾が打ち出の小槌であることを期待している。しかし、塾の勉強も勉強であることに変わりなく、塾は塾での授業があり課題がある。それで、これまたやりきれない。そんなこんなで学校の宿題や課題に関する疑問を塾の先生にして答えを得、塾の宿題は学校の先生に聞く、というバカとしか言いようがない生徒まで出てくる。(と、ここで、「ばか」と言う言葉に反応をした人がいたら、立ち去ってくださって結構です。)
 生徒が塾へ行く大きな理由は、授業料が高いからである。「これだけお金と時間をかけてそれでも成果が出なかったのだとしたら、仕方がない」という、自分たちはやるだけのことをやった、という言い訳に、塾がかなりの程度使われていると見る。学校の授業や講習の費用は塾に比べて全然たいしたことがないから全く「ありがたみ」がないのである。彼らは「身銭を切る」重要性を知っているのである。それで、お金をかけたからには意味があった、と考える素直な資本主義者である。
 彼らは成績を下げるためにせっせと塾へ行く。自分のやっている矛盾に気がつく生徒は、前払いした塾を思い切って辞めて、学校の勉強に専念し、成績を上げる。

 しかし、生徒が塾へ行くメリットがある。日本の経済を潤し、失業率を下げるというメリットである。イマドキは、塾がなければ、かなりの大卒、院卒者は路頭に迷うことになるはずだ。この意味で、中学校の教科書がわかりにくい理由もはっきりする。文科省と厚生労働省が結託しているのである。日本の官僚制度が縦割りだというのは、実は「ウソ」だということもよくわかる。(笑)

6 コメント

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裁量権の問題はあるかもしれませんね (ゾウムシ)
2010-03-18 22:25:11
僕が中学生のときに行った塾はそれなりに効果があったように思います.僕はいつも例外を書いて流れを乱しますが….前にその塾のことは書きました.体罰ガンガンの超スパルタ.僕は自分で言うのもあれだけど特別でしたから自発的でしたが,その他大勢の生徒も英語でも数学でも教科書丸暗記するくらい反復練習させられるんだから…,やらなきゃ殴られるし,そりゃあ短期的には成績上がるでしょう(笑).

僕の話は例外が多いですが,ここからあえて塾の先生の良い点を挙げると,「好き勝手できる」ということではないでしょうか.目先の受験テクニックでも,間違った合理主義でも何でもいいですが,その先生が「これで行きたい!」という方針でやることができる.結局,先生の「熱意」がどれだけあるかが生徒に伝わるのだとすれば,間違っていようがどうだろうが「こうやりたい!」っていう方針で教えることのできる先生のほうが子供に伝わるんじゃないかな.

公教育の先生の気の毒なところはガチガチに封じこまれているところじゃないでしょうか.先生の裁量で好きなように教えることができない.俺は間違いだらけの教科書を使って墨を塗らせながら授業をする!ってできない.

でも,塾の先生なら可能かもしれない.本当に可能かどうかはわからないけど,可能性はある.しかし,公教育の先生のほうが圧倒的にその可能性はないですよね.絶望的なくらいに.そうなると,どうしたって人間ですから,モチベーションが下がるんじゃないでしょうか.自分が教えたいようには絶対に教えられないという絶望感すらあるのかもしれません.もちろん,その絶望感から学校を辞め塾へ行き,そちらで1万倍弊害をふりまいているような人のほうがほとんどでしょうけど.

あと塾の先生が失業率対策というのはよくわかります.ほり先生の文意そのままはもちろんですし,上述の僕が習った塾の先生は教員免許持っていたようですが,協調性ゼロでしたからね.とても学校の先生が勤まるとは思えないと中学生ながら思っていました.でも,個人経営の塾としては成功していたんですよね.もちろん今その体罰バリバリ方式でやって成功するかは別ですが,当時は殴られるって親も子供も分かっていて,その塾にたくさんの生徒が入ったんだから.嫌ならやめろ,ここは義務教育じゃねぇ,ってドツキまわされても,8割以上はやめないで3年間通い続けた.

この人は個人塾と形態じゃなければ絶対に社会的に生きていけない人だ…と子供でもわかるような人に職業を与えていたのだから.
自由裁量と熱意 (ほり(管理人))
2010-03-19 22:00:50
ゾウムシさん、コメントをありがとうございます。

>僕はいつも例外を書いて流れを乱しますが….

ゾウムシさんがお書きになる内容は、「私の全く想定外」」であることが多いです。基本的に「そんなこと、言うまでもないだろうに。」という類ではないから構いません。

公立学校でも、地域性、その他、諸々の要因が関わることでしょうが、教員の自由裁量はけっこうあったりしますよ。
学校の中で、「私塾」をお開いているような先生、いますよ。そういう先生は、何でも「個人の手柄」にしたがりますね。で、自由裁量を求める先生の方が多いです。その「成果」は、どうなのかな? 必ずしも良いわけでないです。
それで、私の知る限りにおいて、そういう先生の自由が許される学校は、「学校」として生徒の学力を上げるわけではないです。(当たり前だけど。)タマタマ、○○先生が担任で、××先生が数学の担当だった、で、大学合格者数が増えた、とかです。
生徒個人は、どうなのかな? その先生の指導を受けて、たまたま合えば良いけれど、そうでない場合は、あまり良いことはないですね。
ただ、生徒が入学をしてくるのは、その先生のところではなく、その「学校」ですから、自由裁量を許す学校は、本来の学校ではないですよね。
で、公立学校で、進学が急激によくなってきているような学校は、先生の自由裁量ではなく、総合的に上手くいくような学校独自の取り組みとしてまとまっっているところのようです。

>この人は個人塾と形態じゃなければ絶対に社会的に生きていけない人だ…と子供でもわかるような人に職業を与えていたのだから.

個人塾でやっていけるのだったら、立派ですよ。
今は、大手のチェーン塾(?)が多いように思います。ビデオ授業を見て「よくわかった」と勉強をしたつもりになるのが最悪かな。
大手だと、ゾウムシさんのおっしゃるほどの自由裁量はあるのだろうか? 看板があるわけだし。
トップ校対象だと熱心だけど、2番手校対象だと、同じ講師が手抜き授業をすると、昔、聞いたことがあるけれど。彼らのレベルだと、それでも従順だろうからなぁ。

教える人の「熱意」は大事ですよ。新任でも、一生懸命だと生徒がちゃんとついて行く、とかもあるし。二十四の瞳の大石先生なのかな。「先生の気持ち」を生徒は汲み取る。
公立の先生って結構裁量あるのですね.無知でした. (ゾウムシ)
2010-03-20 00:07:07
そうですか.公立学校の先生でも自由裁量があるのですか.こちらは素人なので的外れなコメントご勘弁を.ただ,ほり先生に限らず指導要領が云々というのをよく聞くので,ガチガチに縛られているのかなぁと単純に思ったまでです.

僕のコメントの背景は基本的に養老先生の受け売りですから,教師と生徒の関係を医者と患者に置き換えて考えていました.

教師や医者が無条件に偉いという時代ではなく,むしろ文句を言われる側というのも共通点です.

で,医者と患者の関係に関して養老先生がよくおっしゃるように,インフォームドコンセントなんて言われても患者が判断できるはずもない.それでなくても弱っているんだから.腕のよい医者,相性の合う医者,またその逆といろいろあるだろうけど,基本的には相互不信はなにも生まないから,医者を信じて,その結果を甘んじて受けるまで.

だから学校でも

>タマタマ、○○先生が担任で、××先生が数学の担当だった、で、大学合格者数が増えた、とか

で,よいのかなという気もします.それで上手くいく生徒もダメになる生徒いるでしょうけど,それが人生じゃないか,と.

やはり医療と教育を同じ土俵で論じることに無理がありますかね.そうでしょうね.失礼しました.
個人と集団 (ほり(管理人))
2010-03-20 01:02:05
ゾウムシさん、コメントをありがとうございます。

>そうですか.公立学校の先生でも自由裁量があるのですか.

「自由裁量」という表現が何を示すかという、捉え方の問題なのかな?
学習指導要領はあるけれど、扱い方はさまざまでしょう。同じ教科書を使ったからと言って、画一的な同じ授業になるわけないし。
雑談ばかりの先生がいたり、それで、生徒が喜ぶ場合と、もっとちゃっんと授業をしてくれ、と願う時もあるし。

>それで上手くいく生徒もダメになる生徒いるでしょうけど,それが人生じゃないか,と.

個人レベルだとその通りで構わないかもしれません。でも、(まあ、医療だって、保険という人のカネを使っているわけだけれど、)公教育の場合は、大量の公金を使ってますから、「その教育によって、未来の社会全体の質がどう変わるか」という観点での捉え方は是非とも必要でしょう。
公教育の目的は、「未来の社会作り」だろうから。(と書くと、また、言われそうだけれど・笑)
その点、利益が個人そのものに還元されると見る方が順当であろう医療とは質的に異なるでしょう、と私は思います。
まあ、医療だって、みんなが健康だと社会の負担になる医療保険費用は少なくてすむけど、教育という観点では、「みんながちょっとずつ我慢する社会」が最もみんなに最大の幸福をもたらすでしょうから、「ちょっとの我慢できるメンバーの育成」が公教育の最大の目的になるでしょうね。
横から失礼 (わたやん)
2010-03-20 09:37:09
学校は「学習指導要領」でガチガチに縛られてる,というイメージを持たれる方はわりと多いのですが,実物(文科省のサイトでみられます。ただし解説まで見ないと意味がありません)をみてみると,実はすごく大雑把なことしか書いてないのです。数学なんて大事な用語の定義さえない。
観念的 (ほり(管理人))
2010-03-20 14:51:35
わたやんさん、コメントをありがとうございます。

確かにおおざっぱですよね。
でも、英語にせよ数学にせよ、学力を付けるのが目的なら、指導の指針にしても何にしても、数年ごとに変える必要は何もないですよ。
印刷業者が儲かるだけとしか考えようがない。

話が変わるけど、先日は、もの凄い分厚い、A4版の高等学校全ての学習指導要領が配布されました。全教科、科目、職業科目も全て書いてあります。
みんなで「こんなの必要がないのにねぇ」と言い合いました。こういう無駄は、現場の人間しか知らない。黒板の1枚でも,きれいにして貰った方がどれだけ良いかわからない。

そうそう、何を書きたかったと言うと、解説を読んでもよくわからない。同じ平面上での説明だからだと思ってます。「上とは下の反対であり、下は上の逆方向を指す。」みたいな。

しかし、現行の「ライティング」の解説にあることですが、文章の書き方として、5W1Hに気をつけて書く、とか何とか言う説明には参った。少なくとも、この解説を書いた人は、物語文と説明邸文章の区別が全く付いていなかったと言うことです。
こんなので、よく英語の文章が読めるなぁ、と思いました。
次回は、さすがに改善されていると思うけれど。

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