春の花は金縷梅(まんさく)から始まるといわれるが、ポピュラーなものは梅だろう。そして桜と続く。野球でいうと梅が三番打者、桜が四番打者という位置づけであろう。『季語別鷹俳句集』から梅の秀句をいくつか眺めることにする。
梅匂ふ眼帯きつきうす闇に 喜多菁松(S43・5)
嗅ぐのは鼻であるがこういわれて納得させられるのが巧さ。
梅さむし軍鶏が闘ふ骨の音 灘 稲夫(S47・3)
闘鶏なのかたんに放し飼いの軍鶏か知らないが、羽根ではなく骨の音というのが凄い。
梅二分咲きのこぎり踏みて猫ゆけり 菅原達也(S48・4)
のこぎりを踏んで行く猫はおもしろい。野球でいうと振逃げといった意外性で走者をホームへ迎え入れたようなあんばい。その意外性と上五の字余りは引き合っているとみていい。
剃りあとに梅林の笛つきまとふ 堂島一草女(S48・4)
「剃りあと」というので男性を思ったら女性の句。襟足でも剃ったのだろうか。剃りあとに感じるとはかなりの自意識の持ち主。
鳩尾に梅が香を溜め尼になれず 乾 桃子(S49・6)
ぼくが鷹に入ったのが平成2年。それより前の鷹の推薦句はときにわけがわからない。この句は変な句の代表。作者は髪を下して尼さんになりたかったのか、なぜ? 鷹が屈託を追求した時代の遺物だとぼくは思う。
薄着してゆく天涯の梅の花 飯名陽子(S49・6)
「飯名さんは美人だった」と故伊沢惠から聞いたことがある。この句を読んでそれをビビッドに感じる。「薄着」という美意識と「天涯」という孤高の精神が魅力。会ってみたかった女流の一人。
英単語口に出て梅ひらきけり 長峰竹芳(S53・5)
この二物の合わせ方は現在の鷹でよく行われる。わかりやすい内容。
梅散りし後の空気に他ならず 山地春眠子(S56・4)
作者は鷹月光集同人。新潮社ОBで鷹屈指の言葉のスペシャリスト。ふだんはもっと凝った言葉づかいをするがこれはオーソドックスで逆に驚いた。
梅林にまつかな舌の子を抱きぬ 角田睦美(S56・5)
氷菓を食ったのか。まだ寒いから地の下が真っ赤なのか。とにかく印象鮮明。
梅さむしわが死化粧なすは誰 岡本恵子(S40・6)
女性の句だなあと思う。男性はたぶんこんなことは考えまい。性差が際立った句は存在感がある。
白梅の日向を終の縁者たち 山本百合子(S61.・5)
「終の縁者たち」はきわめて巧い。縁者たちがいるのは梅園の日溜りというのは切なく抒情的。
何よりも正座落ち着く梅の花 白井美江(S61.・5)
品行方正の良妻賢母なのだろう、作者は。句はいいが一緒に暮らすと息が詰るかもしれぬ。
梅散つて和尚梵妻緩もんぺ 宮崎尚子(H1・5)
だいたい坊さんが妻帯することじたいが妙。それをさらにこう描くとふしだらな感じがいよいよふくらんでおもしろいことこの上なし。
白梅と紅梅惨と交じり合ふ 飯島晴子(H6・6)
惨は、いたましい、むごたらしい、という意味。ぼくはこういう光景を鮮やかとプラスのイメージを持つが作者はそうでない。このひねくれ感覚が句をおもしろくする。
梅ふふむ朝より金の出てゆけり 笹山美津子(H7・5)
梅が咲くけど出費がかさむ。命の蠢動する春は金も飛んでゆく。皮肉の効いた視点がいい。
梅散りて裏藪もとの木阿弥に わたなべくにこ(H14・6)
梅が咲いていたときはこれが襤褸隠しになっていた、といわんばかりの内容で笑った。「もとの木阿弥に」という慣用表現の生かし方はみごと。
ポケツトの手が出てまねく梅日和 木本義夫(H15・5)
まだ寒いからね。怠惰な人だが呼んでるから行こうかというところ。
緊褌といふが男に梅ふふむ 藤岡田鶴子(H16・4)
緊褌はふんどしをしっかり締めること。桜の華やかさに比べて梅の実直さを言い得ている。
梅白し危なつかしき平和なり 吉橋節子(H20・6)
平和の背後にすさまじい外交努力や武力の均衡とかがある。平和はいつも薄氷の上にある。
叱らねばわからぬ母や梅白し 吉川典子(H20・6)
少子高齢化社会の異端を抉り取った句。母は惚けが入ってよくよく言わねばわからない。気がつくと怒鳴っていたりする。
火渡の終りし闇や梅にほふ 梯 寛(H22・5)
この火渡は修験道か。さきほどまで燃えていた火と梅の匂いが鮮やか。
すりばちとすりこぎは対むめの春 有澤榠樝(H23・2)
今回揚げた句のなかで最高傑作と評価する。「すりばち」で女を、「すりこぎ」で男を、すなわち性の営みをかくもおおらかに、親しみやすく、格調をもって謳歌する有澤はずば抜けた俳人。梅を「むめ」と古風にいったのもうまい。彼女の代表句の一句であろう。
梅かをる腰掛窓の二階かな 小川軽舟(H23・3)
見逃しそうなところをとらえるという点で鷹主宰は優れている。中七「腰掛窓」の効き目抜群。
梅白し死者のログインパスワード 折勝家鴨(H24・4)
俳句は不易流行。「ログインパスワード」は流行、すなわち現代の最先端の案件といっていい。不易の梅との大胆な配合の妙。
詰めに詰め子に送る荷や梅二月 竹内明子(H25・5)
母親の気持ちが「詰めに詰め」でよく出ていて泣ける。卒業して新しい人生を始める子かもしれないというのが季語でよく出ている。
鷹の梅の句ををみてきた。
鷹主宰が1月新年例会の挨拶で、近いうち「海程」がなくなる、「狩」は誌名が変る、そんな中で「鷹」は「鷹」の名を変えずに引き継がれたことを喜びたい、ということを強調した。
『季語別鷹俳句集』で昔から今にいたる句を眺めていると鷹主宰の思いはよくわかる。歴史を感じるのである。