昭和30年代の初めに「古銭収集」も流行します。
江戸時代の寛永通宝や天保通宝など時代劇でお馴染みの古銭を持っていました。
大判小判などは高価で高嶺の花です。
庶民の家庭には金貨や銀貨は有りませんでした。
もし有っても戦時中に貴金属などの供出で政府に取り上げられます。
戦前の10円札や1銭銅貨など田舎へ帰省する度に貰って帰りました。
私の両親は満州国からの引揚者でした。
その関係で我が家には満州国や中華民国の銅貨や紙幣が有ります。
さすがに1元の貿易銀貨は有りませんでした。
しかし銅貨は大きくて(直径35mmくらい)デザインも漢字や青天白日旗などエキゾチックで好きです。
清国時代の乾隆通宝なども有りましたがカタログを見ても安い価格でした。
一部金持ち趣味人だけの収集が大衆から子供までに広がります。
あの頃には未だマニヤ、オタクなどの言い方さえ無かった。
貧しいなりにも皆の生活に余裕が出来て明日に希望が持てた素敵な時代です。
江戸時代の寛永通宝や天保通宝など時代劇でお馴染みの古銭を持っていました。
大判小判などは高価で高嶺の花です。
庶民の家庭には金貨や銀貨は有りませんでした。
もし有っても戦時中に貴金属などの供出で政府に取り上げられます。
戦前の10円札や1銭銅貨など田舎へ帰省する度に貰って帰りました。
私の両親は満州国からの引揚者でした。
その関係で我が家には満州国や中華民国の銅貨や紙幣が有ります。
さすがに1元の貿易銀貨は有りませんでした。
しかし銅貨は大きくて(直径35mmくらい)デザインも漢字や青天白日旗などエキゾチックで好きです。
清国時代の乾隆通宝なども有りましたがカタログを見ても安い価格でした。
一部金持ち趣味人だけの収集が大衆から子供までに広がります。
あの頃には未だマニヤ、オタクなどの言い方さえ無かった。
貧しいなりにも皆の生活に余裕が出来て明日に希望が持てた素敵な時代です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます