パソコン教室きらく館教室日記

教室での出来事や塾長の生活を綴ってみます

河内長野滝畑の観光ガイドさん、NHKの取材

2013-07-30 10:51:36 | 教室での話題
Mさんが河内長野観光ガイド役で大活躍しています。
先日NHKの取材があり、8月5日(月)「ぐるっと関西」の番組で放映されることに決まりました。



Mさんは足しか撮ってもらっていないと言いますが、どんな映像が流れるか、お楽しみに。

河内長野観光協会フェースブックでも取材の様子が紹介されました。



8月5日(月)「NHKぐるっと関西」午前11:30~12:00見てくださいね。
ただし、河内長野が紹介されるのはこの間の7分だけです。お見逃しなく!

河内長野納涼盆踊り大会

2013-07-29 12:05:44 | 塾長の生活
河内長野小山田町自治会主催納涼盆踊り大会に行きました。今年で第14回になるそうです。

開催日時:7月27日(土) 20:00~22:00
  16:30 カラオケ大会
  17:30 盆踊り大会
  20:00 河内家菊水丸来場
  22:00 河内家菊水丸退場
  22:00 お楽しみ抽選発表会
  22:30 終了
場所:河内長野市小山田町 コミュニティーセンター(あやたホール)
出演:河内家菊水丸
主催:小山田青壮年会

午後7時にはまだ明るさが残っていましたが、徐々に集まり始め会場は賑やいできました。
 

薄暗くなるとさらに活気が増してきました。
 

前座のカラオケ大会は地元の参加者が自慢の喉を披露していました。
それに続き、フラダンスで踊り好き達の気持ちを盛り上げていました。



河内長野の市長さん始め議員さんたちのあいさつが始まり、河内屋菊水丸さんのあいさつが続きました。
菊水丸さんは昨年末喉頭癌に罹り、声帯の切開が必要になったそうですが、命の次に大切な声を失い難く、切開せずに治してくれる医者を探したそうです。
必ず直してくれる医者がいてくれるという信念で探したそうです。
見つかったのが、大阪警察病院、奇しくも生まれた病院。
ここで気管切開せずに手術し長時間に及ぶ手術の結果、より若返った声を取り戻した、ということでした。
めでたし!めでたし!

 

花火が打ち上げられ、さぁ盆踊りの開始です。
踊り子さん達の登場、待っていた時間の到来です。
みなさん、お楽しみください。



カサブランカとルドベキア

2013-07-14 13:40:35 | 教室での話題
先週の火曜日、白川先生が家の庭から切ってもってきて下さったカサブランカとルドベキア。
当日は、教室の大きな花瓶3つを使ってもあるれるばかりだった花の束でした。



日中はクーラーで涼しいものの、毎日うだるような暑さの中、今日まで教室を飾ってくれました。
今日最後に水を変えてやりました。

ありがとう。



泣ける話

2013-07-09 16:45:51 | 塾長のまじめな話
『日本人によってアジアは死の淵から生還した』 こんなタイトルの話を読みました。

日本が戦後、主権を回復したのはサンフランシスコ講和条約(1951年締結、52年発効)によってである。ソ連などから「日本を分割統治すべし」「日本の自由を制限せよ」と強硬案が出る中で、セイロン(現スリランカ)のジャワルナデ代表(後の大統領)は「ソ連には賛同できない。わが国は日本への損害請求を放棄する」と演説し、日本の国際復帰を強力に後押ししてくれた。

スリランカは、16世紀にポルトガルの植民地にされて以降、オランダ、イギリスへと譲渡され、第2次大戦中もイギリス領だった。そのため日本軍が進出するとスリランカも空襲によって被害を受けた。

戦後、1948年に英国自治領セイロンとして独立。サンフランシスコ平和会議には日本を含む52カ国が参加したが、ソ連など3カ国は反対し、調印しなかった。その中で小国セイロンの代表ジャワルナデ氏が、ソ連に真っ向から反論する演説をしたのだ。

「なぜアジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。
それは日本がアジア諸国民の中でただひとり強く自由であった時、我々が日本を保護者としてまた友人として仰いでいた時に、日本に対して抱いていた高い尊敬の為でもあります。
大師(ブッダ)のメッセージ、
『人はただ愛によってのみ憎しみを乗り越えられる。
人は憎しみによって憎しみを乗り越えられない』
は、アジアの数えきれないほどの人々の生涯を高尚にしました。
そうであるから我々は、ソ連代表の言っている、日本の自由は制限されるべきであるという見解には賛同できないのです」

このジャワルナデ代表の演説は、「この会議最高の歴史的発言」(ソルトレイク・トリビューン紙)、「世に忘れられようとしていた国家間の礼節と寛容を声高く説き、鋭い理論でソ連の策略を打ち破った」(サンフランシスコ・エグザミナー紙)と、各国に激賞された。

スリランカがこれほど日本を支援してくれた背景には、実は長い歴史がある。

19世紀末、イギリスの植民地支配のもとで衰退した仏教を再興しようとした「スリランカ建国の父」ダルマパーラ師は、1889年から3度日本を訪れ、こう語った。
「欧米人のアジア人に対する差別的偏見をなくし、植民地支配という悲劇の中にあるアジアを救うことこそ日本の役割なのだ」
そして1905年、日露戦争で日本が超大国ロシアを打ち破ると、日本人に向かってこう賞賛した。
「こんな素晴らしいことはない。皆さんは気づいていないかも知れないが、皆さん日本人によってアジアはまさに死の淵から生還したのだ」

ダルマパーラ師もジャワルナデ氏も、仏教によって日本と深くつながっていた。ダルマパーラ師は1933年にその生涯を終える時、「次に生まれるときには日本に生まれたい」と語った。ジャワルナデ氏は1996年に他界した際、その遺志に基づき角膜が提供された。片眼はスリランカ人に、もう片眼は日本人に。

ジャワルナデ氏の顕彰碑は、鎌倉の高徳院にひっそりと建っている。その碑には、彼が演説で語ったブッダのあの言葉が刻まれている。
日本人として、日本の主権回復を助けてくれた恩人のことを忘れてはなるまい。そして、アジアの国々を勇気づけ植民地解放の道を開いた日本の先人たちのことも。(仁)

===========

日本人はいまだに、大東亜戦争の敗北の心の痛手から抜け出せないでいます。
中国、韓国、北朝鮮などの国から、70年経た今に至るまでユスリとタカリまがいの「侵略戦争の歴史認識を忘れるな」という方便で責められ、いつまでも頭を下げる態度を続けています。
かつての「東京裁判」では、国際法を無視して、戦勝国による戦敗国が不法不当に裁判の名目でリンチの如く罪を被せられました。
これほど多くの犠牲を伴い、今なおその痛手を拭い切れない戦争に「正義」があったなどと言うことはできません。
が、明治維新後日本に課せられたのは、欧米列強のアジア支配と植民地の歴史を終わらせる、役割でした。
日本の犠牲によって、何百万何千万のアジア人の誇りを取り戻すことができたのは事実です。
敗れて人々が祝福する結果を招いたのは、歴史の皮肉としか言いようがありません。
大きな犠牲と代償を伴う戦争をした国に「いい国」と「悪い国」があるわけではありませんが、他国に「悪い国」と言われるままに頭を下げ続けるのは、もうやめるべきではないでしょうか。(塾長)

寺内町七夕まつり

2013-07-07 11:55:32 | 塾長の生活
7月6日、3時で授業が終わり、富田林市寺内町で七夕まつりのイベントがあると聞いていたので妻と行ってきました。
「七夕じないまちバル」という名前のイベントです。

富田林市寺内町は、我が家の最寄駅近鉄河内長野線「富田林駅」「富田林西口駅」を西に出てすぐの街並みです。
重要伝統的建造物群保存地区に指定され、江戸時代から明治初期までに繁栄の様子を今に至るまで伝えています。

当時は石川も水上輸送の役割を持つほど十分な水量があったのでしょう。農業、商業、製造業で栄えた街でした。
今でも当時の町家が保存され新しい住居と調和しながら、当時のたたずまいを伝えています。
国の重要文化財として残っている造り酒屋の「杉山家」をはじめ「仲村家」「田中家」「奥谷家」「木口家」「佐藤家」等々。
   

本町公園には「石上露子(いそのかみつゆこ、1882年ー1959年)」の石碑があります。
杉山家の長女として生まれ、幼時から古典や漢籍、琴などに親しみ、二十歳頃から『明星』などに短歌,詩、小説などを発表しました。
  

江戸時代は、どの藩にも属さない宗教自治都市として自由な発展の許された町でした。そのため「興正寺」「妙慶寺」「西方寺」などお寺も数多く残されています。


「七夕じないまちバル」の風景


  

町の各所でにぎわいがありましたが、夕刻ですでに盛り上がった時間は終わっていたようです。短い夏のおまつりでした。

 


河内長野愛蘭会の風蘭展にご招待していただきました

2013-07-02 17:11:52 | 生徒さんの話題
田賀さんに河内長野愛蘭会主催の「風蘭展」に招待していただきました。



今回の出展作品は「ウチョウラン」「野生欄」「富貴欄」「春蘭」「寒蘭」など様々な種類を取りそろえたそうです。
会場内は、いつものように蘭の上品な雰囲気が醸し出されていました。
「ウチョウラン」と「風蘭」の花が咲く時期を合わせて開催日にされたそうで、さらに華やかさが加わっていました。

まずは、田賀さんの展示品を!



田賀さんの風蘭


ウチョウランの一部をご覧ください。


風蘭その他の蘭


「花の文化園」に来たついでに散策しました。
今年は、コリウスが目立っていました。コリウスの葉の色彩の豊かさや色鮮やかさは決して花に負けていません。
  

バラ園のバラはすでに見頃の時期は終わっていましたが、何株かは、いいところをみせてくれました。
  

アジサイはまだまだきれいでした。


途中、喫茶店では「蘭」話だけでなく、前回のバスツアーで行った「伊弉諾神宮」の話やさらに神話にまで話が至りました。話題は尽きないまま切り上げ、「花の文化園」を後にしました。

田賀さん、楽しい時間を過ごさせていただきありがとうございました。