パソコン教室きらく館教室日記

教室での出来事や塾長の生活を綴ってみます

新年会

2017-02-09 17:31:00 | 教室のイベント
2月7日、貝塚市にある温泉料亭「松葉温泉」で新年会を行いました。
昨年は、多くの困難に阻まれて行えなかった1年ぶりのイベントです。







みなさん、ご参加ありがとうございました。

次回のイベントは4月11日「春のバスツアー 海津大崎桜クルーズ」です。
お楽しみに!

忘年会

2014-12-05 11:37:12 | 教室のイベント
12月2日(火)忘年会を河内長野市ラブリーホール内K'sキッチンで行いました。

ラブリーホールは早々とクリスマス化粧を済ませ、忘年会の雰囲気を醸し出してくれました。
 

祇園寿司の畠田さんの尽力で、豪華なお料理をいただきました。
  

話も弾み、今年をばねに来年への活力が倍増しました。
最後に撮った全員で記念写真をとりました。


いつも教室のイベントに参加してくれる畠田さんご夫婦


お二人の仲にあやかって、来年もいい年でありますように。

阿波踊りバスツアー

2014-08-17 18:33:12 | 教室のイベント
8月14日
阿波踊りのパワーを受け、暑さを吹き飛ばすため「阿波踊りバスツアー」に希望者16名で行ってきました。

台風11号が過ぎ去った後、安定しない天候が続いていました。
この日も曇天でいつ雨が降り出してもおかしくない空模様でした。


<淡路島ハイウェイオアシスから見える明石海峡大橋>


<神戸淡路鳴門道で淡路島を通過中>

観覧場所は新町川沿い藍場浜公園「藍場浜演舞場」
着いたのは、午後5時頃でした。

 


開始前の演舞場風景です

 
藍場浜公園は屋台が所狭しと並んで、開始前から賑やいでいました。練習の合間の一休み

6時、いよいよ始まりました。









8時すぎ、演舞場全体が盛り上がってきたところで第1部が終了し、帰途の集合時間となってしまいました。
後ろ髪を引かれながら会場を後にしました。

帰りのバスの中


みなさん、お疲れの様子でした。
参加されたみなさんと、1日楽しく過ごせました。
ありがとうございました。

シャンソンを聞きながら新年会

2014-02-19 22:59:13 | 教室のイベント
2/18(火)5時から「河内長野荘」で新年会を行いました。
今回はNさんのお友達でシャンソン20年のキャリアを持つ北浦さんにお越しいただき、食事前にリサイタルを行っていただきました。

Nさんの司会でシャンソン・リサイタルが始まりました。



第1部は
「バラ色の人生」
「再会」
「アモーレミオ」
「声のない恋」
「愛の賛歌」

日本人になじみの曲が続き、部屋いっぱいに魅惑の歌が響き渡りました。
一曲ごとに、北浦さんの思い入れを語られ、私たちのシャンソンへの理解が増していきました。

  

一部が終わると、その合間にNさんが景品付き「じゃんけん大会」を行ってくれました。
準備していただいた5つの景品は、5人の勝者に渡され、みなさん大喜びでした。


さて第2部、北浦さんは宝塚の男役を彷彿する衣装でステージに現れました。
「雪は降る」
「君を愛す」
「ろくでなし」
「枯葉」
「水に流して」


   

予定時間をオーバーしましたが、アンコールの要望に「マイウェイ」で応えてくれました。


その後食事の膳が配される間に参加者全員記念撮影しました。



乾杯の後は、北浦さんを交えて和気あいあいと食事タイムに入りました。

 

  
 

北浦さん、なじみのシャンソン曲を素晴らし歌声で聞かせていただき、ありがとうございました。
Nさん、色々お世話いただきありがとうございました。

参加されたみなさん、3時間にわたり楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。
次のイベントにもぜひご参加ください。

<本日の格言>
世の人びとを潤そうとして、幸福にしようとして素晴らしい仕事を成し遂げていく人のところには、富は集まってくるのです。

「時代祭」バスツアー その3

2013-10-29 12:49:10 | 教室のイベント
時代祭が終わって、遅い時間の昼食をホテル京都ガーデンパレスでいただきました。
食事後「清水寺」にバスで向いました。
途中、修学旅行生のツアーやその他ツアーのバスで渋滞しており、
清水寺近くの駐車場についたのは5時近くになっていました。
帰途集合時間が6時だったので1時間しかなく、2年坂3年坂でお土産を買うくらいで留めることになりました。

すでに夕闇が迫っていました。



空が暗くなりかけ、街灯がともり始めた街の景観も味わいがあって悪くはありません。
一人歩きながら、この時この場所の趣きに酔えた一瞬でした。

二年坂三年坂


京都そして時代祭を詳しくご紹介していただいた添乗員さん、ありがとうございます。
安全運転で帰ってこれました、運転手さん、ありがとうございます。
参加されたみなさん、お疲れ様でした。次回をお楽しみに。



集合記念写真を作成しました。
色付きのフレームも準備しました。お好みの写真を差し上げます。


「時代祭」バスツアー その2

2013-10-26 13:41:12 | 教室のイベント
10月22日正午、いよいよ時代祭の行列行進がスタートしました。

観客席は5列あり立ち上がることができないので、最前列以外では前の人の頭が入ってしまいます。
それならと、最後列の後ろで三脚を立てて撮影することにしました。
かなり気温が高く、2時間立ったままのデジカメとビデオカメラ両方の撮影はきつい作業でした。

撮り終えて、写真を整理してみるとかなりバラツキが多いことに気付きます。
撮りやすかった対象、特に声・音楽や目立つ振付や衣装の行列を撮影したものが多く、
比較的地味な装いや関心の薄い衣装の行列は撮っていなかったり。
撮っておかなければいけない写真がなかったり。
事前の知識の吸収が足りなかったのでしょうが、
とても1回だけでは知ることができない重みを感じることができたのも事実です。
※小さな写真はクリックすると大きな写真にリンクします

明治維新「維新勤王隊列」
♪ピーヒャラ、ラッタッタと士気を鼓舞する軍楽隊の軽快なリズムに錦の御旗がひらめきます。
官軍の旗印、錦の御旗は、赤地の錦に金色の日像、銀色の日像を刺繍していました。
     

明治維新「維新志士列」
20歳~30歳の若さで明治維新を成し遂げた青年たちの功績を讃えて、列に加わりました。
 

江戸時代「徳川城使上洛列」
徳川幕府は、朝廷の重要な儀式などに将軍の名代として親藩または譜代の大名を城使として上洛させました。
大礼の時などは1700人に及び、一般の大名行列よりずっと盛大で格式の高いものでした。
  

江戸時代「婦人列」
江戸時代の京都で話題となり活躍した女性が登場します。
この時代は階層・年齢・季節などによって数々の服飾が現れ、結髪と衣装だけでも人物を特定できるところから、
個性豊かな女性の服装を網羅した列となっています。
  

安土・桃山時代「豊公参朝列」
豊臣秀吉公は、戦国の世を制して天下統一を成し遂げ、人臣最高位の関白太政大臣に昇り詰めたびたび参内しました。
最高級の牛車に『一日晴れ』と称される規定外の華やかな装束をまとった5名の大名が従います。
   

  

安土・桃山時代「織田公上洛列」
応仁の乱後、京都はさびれ果てていました。
織田信長は、正親町天皇のお召しに応じて兵を率いて上洛し、皇居の修復や街の復興に尽力しました。
この時代は鉄砲の伝来によって戦闘も変化し甲冑の多くは胴丸で、各部に鉄板を多用した当世具足と、
戦国武将の心意気を示す派手な兜飾りや馬印が特徴です。
  



室町時代「室町幕府執政列」
武家風俗を中心とするもので、足利将軍を中心とした当時の武士の軽武装姿を表現しています。
  

吉野時代「楠公上洛列」
後醍醐天皇が配流先の隠岐からの還幸にあたって、楠木正成が一族郎党を率いて兵庫に出迎え先駆して上洛しました。
多種にわたる華麗な甲冑や武具が一目に見ることができます。
 

「中世婦人列」
広い意味で中世と呼ばれるのは平安時代後半から桃山時代に至る時代を指します。
歴史上の人物だけではなく、職業集団ともいえる大原女、桂女の女性風俗も加わっています。


鎌倉時代「城南流流鏑馬列」
馬上から的を射る流鏑馬は、平安時代から武士のたしなみとして盛んに行われていました。
後鳥羽上皇は朝廷権力の回復を図るため、流鏑馬に託して城南離宮に近畿10余国の武士1700名余りを集め、
北条義時追討の挙兵を準備されました。
狩装束の射手武士を中心に童、弓袋差等の郎党を従えた5組で構成されています。


藤原時代「藤原公暁参朝列」
平安時代中期以降、唐様式の影響が薄れ、日本独自の国風文化が成熟し、こわ装束が起こり大いに容儀が整えられました。
装束は藤原氏全盛期の王朝風俗で、宮中での儀式に参加する文官・武官の夏正装姿です。
警護の随身や童等様々なお供も加わり、華やかな様子を表しています。


「平安時代婦人列」
この時代は女性の服装が大きく変化する時期で、遣唐使の廃止頃から日本文化は国風化の道をたどることになります。
奈良時代の様式の百済王朝明信から常盤御前・横笛・巴御前というように歴史に名を残す女性に託し、時代風俗の変化を示した構成です。
   

延暦時代「延暦文官参朝列」
文官が朝賀のため参朝する様を表しています。
服装は位袍と呼ぶ重複で、身分によって色が定められています。
平安遷都から間もないため、唐風が色濃く残されています。


「神餞講社列」
いよいよ祭事に携わる列となります。
前駆の神職に続き、神前にお供えする神饌唐櫃を先頭に、浄衣姿の膳手6人、騎馬した白装束姿の正副御饌長、
供奉する20人の水干姿の講員で構成されています。
いずれも神事にたずさわるための装束姿です。


「前列」
神幸列の前陣として直前を行くのが「前列」です。
御賢木に続いて警護役として金棒を持つ中座、キリコ座・ブチ座の下雑色や上雑色が続きます。
次いで華やかな迦陵頻伽・胡蝶の舞人、さらに、道中に雅楽を演奏する伶人や供奉の人々が続き、祭りの雰囲気が高まります。


「神幸列」
一年に一度両御祭神が市中を巡行され、市民の安らかなることを親しくご覧になる行列です。
江戸時代後期の様式に倣った御鳳輦には、前に孝明天皇、後に桓武天皇の御神霊が鎮座されています。


「白川女献花列」
比叡山に源を発する白川の流域に住み、季節の花を売り歩くことを業とする女性が白川女です。
その歴史は古く、平安時代中ごろから御所に花を届けていたとも言われています。





「時代祭」バスツアー その1

2013-10-24 20:59:23 | 教室のイベント
10月22日(火)恒例の秋のバスツアーを行いました。
「ルンルンツアーバス旅行~時代祭り」の企画をそのまま利用し、バスは貸切にしてもらいました。
観覧指定席、ホテル京都ガーデンパレスでの京料理付きです。
参加人数は24名。
台風27号が近づいており、前日翌日の天候が雨という綱渡り日程でした。

 8時50分 教室集合
 9時 教室出発
 11時 京都御苑着
 12時  行列行進開始
 14時  行列行進通過
 ~15時 昼食
 ~18時 清水寺周辺散策
 19時 教室到着・解散

時代祭とは、
 1895年(明治28年)、平安遷都1100年を記念して平安神宮が創建されました。
その時、平安神宮の大祭、建造物、神苑の保存のため、市民により平安講社が組織され、記念事業として時代祭が始まりました。
祭が行われる10月22日は、桓武天皇が794年(延暦13)に長岡京から平安京に都を移された日。

明治維新から延暦時代へさかのぼって、順次風俗、文物の変遷を再現します。
現在は20列、2000人に達し行列の長さは2キロに及びます。

※京都御所出てすぐの赤丸のところが、私たちが観覧した場所です。

祇園祭、葵祭とともに京都三大祭の一つに数えられ、 維新勤王隊を先頭に、正午、京都御所建礼門前を出発、
烏丸通、御池通、河原町通、三条通から平安神宮まで4.5キロ間に一大時代絵巻を展開します。


淡路島ミステリー

2013-05-31 18:19:55 | 教室のイベント
デジカメツアーの日が迫る2週間ほど前、「うずしお」と「花さじき」めぐりの企画に何かもの足りなさを感じていました。
産経新聞「日本人の源流 神話を訪ねて」の連載記事を何気なく手に取り読んでいると、トップに淡路島と「伊弉諾神宮」が紹介されていることに気が付きました。
「伊弉諾神宮」を訪れたくなり、急遽独断で計画に加えることにしました。
行く以上は詳しく知りたいと思い、語り部さんのお話を聞かせていただく予約をしました。

当日話を聞くまで、淡路島が日本史上?神話の世界ではこれほど重要な意味をもっているとは、知りませんでした。
これまで神話として読んだり聞いたりした記憶はあったのですが、約1時間の神宮めぐりと事跡の目前で聞く語り伝えにとても大きな衝撃を感じました。

パソコンきらく館「春の淡路島バスツアー」記録ブログ第2弾です。
淡路島ってこんな島だったのかという驚きを表したつもりです。
題して『淡路島ミステリー』


<イザナギとイザナミ>
「せきれいの里」(お土産の店)が語りのはじまりです。イザナギノミコトとイザナミノミコトの国生みのおもしろくておかしいお話です。
和やかな口調が神話の格調を解きほぐし、神世とも人の世とも分からぬ不可思議な物語です。
聞いていると現代でもたとえ話としてありそうな「とある夫婦の物語」のようでもあります。






<国生みの神話>
日本列島形成の中心に淡路島があります。
オノコロ島に降り立ったイザナギとイザナミが主役となっています。(オノコロ島は淡路島の南の沼島と言われています)
『神話が描く国生みの様子は、いかにも雄大で神秘的である。
2人の神が天の沼矛で海をかき回すと、矛からしたたり落ちたしずくが島になり、さらに「天の御柱の周りを互いに逆の方向に回って交わると、日本列島が誕生した。
真っ先に生まれた淡路島を、古事記は「淡路之穂之狭別島」と記す。
続いて生まれたのは伊予之二名島(四国)、隠伎之三子島(隠岐島)、筑紫島(九州)、伊伎島(壱岐)、津島(対馬)、佐度島(佐渡)、大倭豊秋津島(畿内一帯)。』





<君が代>
日本の国家「君が代」の意味を正しく教える人も少なければ、当然正しく知っている日本国民は少ないようです。
「き」「み」は「君」ではなく、「イザナ」「イザナ」すなわち「男と女」、「太陽と月」「陽と陰」を意味します。
両者が調和した時からすべてが生まれ千年も万年も繁栄が続く、という意味だそうです。







<陽の道しるべ>                    クリックすると大きな写真が表示されます --->
伊弉諾神宮を中心に、春分・秋分の日は伊勢皇大神宮(内宮)方向から太陽が昇り、対馬一宮海神神社の方向に沈みます。
夏至は信濃一宮諏訪大社の方向から昇り、高千穂神社の方向に沈みます。
冬至は熊野那智大社の方向から昇り、出雲一宮出雲大社の方向に沈みます。





<本殿拝礼>
本殿奥の御柱を向かって左から新郎が、右から新婦が回り、出会ったところで
「あなにやし、えをとめを(なんときれいな女性でしょう)」
「あなにやし、えをとこを(なんと素晴らしい男性でしょう)」
こんなやり取りで契りを交わす結婚式が「伊弉諾神宮」で行われているそうです。
この式のやり方は日本誕生にまつわる物語からきており、今に至るまで日本人の価値観の中で生き続けていることを語っています。
(次の「夫婦大楠」の解説で)





<夫婦大楠>
樹齢900年、左が男で右が女の2本の木が夫婦として1本に合体。
その昔、イザナミノミコトとイザナミノミコトの最初の子が不具の子(蛭子)として生まれた。
それは子作りの時女神のイザナミノミコトから声をかけたためと占言されました。
それ以後、男性が声をかけ、女性が応じることが価値観、慣習、掟になっていったそうです。
最初の子蛭子様は、子のうちに数えてもらえず、失意の中流れ流れて西宮鳴尾浜にたどり着き、その後財を成しえびす様として祀られることになりました。
蛭子様にとっては悲しくつらい人生であったでしょうが、最後には栄冠を獲得できたのでしょう。
(楽あれば苦あり苦あれば楽あり、捨てる神あれば拾う神あり、ですか?)


曇り時々雨

2013-05-30 16:06:54 | 教室のイベント
5月28日(火)は参加者全員が楽しみにしていた淡路島デジカメツアーでした。
週間予報はでは1週間前からこの日の予報は「曇り時々雨」でした。
外れることを期待していました。
期待に反してこの日は朝から予報が正確であることを暗示させる小雨模様でした。

朝9時半出発を前に、「道の駅」に連絡をとり食事時間を1時間遅らせることをお願いし、伊弉諾神宮には、3時の予定を正午に繰り上げていただきました。
両方とも快く受けていただき、ひとまず天候の心配を回避しました。



恒例の記念撮影後、予定時間通り出発しました。
車中では森さんと西尾さんに差し入れていただいた品を景品に「到着時間当てクイズ」をして楽しみました。
そして、みなさんの予想よりもかなり早い時間で淡路島に到着しました。

 

11時半、伊弉諾神宮に到着。予定よりも早く着いたのにその時間に合わせて語り部さんに、島や神宮に伝わる昔話、日本の神話を話をしていただきました。

 

 

 

もう少し話を聞きたい気持ちを残して13時に伊弉諾神宮を離れ、「道の駅うずしお」に向かいました。
鳴門海峡を大パノラマのようにまた間近に見えるレストランで食事を楽しみながら「うずしお」をみる計画でした。
しかし、「この日は天候が荒れているため、うずしおは見れません」と店員さんにあっさり言われ、それでも40倍の望遠で荒れる鳴門海峡を写真におさめました。

 

店内でお土産の買い物を済ませて、午後3時「道の駅うずしお」を後にしました。

次の予定は「花さじき」でしたが、雲行きがわるくなってきたため行先を変更して「淡路島ハイウェイオアシス」でデジカメツアーの残り火を費やしました。

 

 

帰りの車中では、南蔵院林覚乗住職の講和「心ゆたかに生きる」をDVDで聞きながら帰途につきました。

天候のために、予定通り計画をこなすことが参加者のみなさんには申し訳なかったのですが、このツアーの最初に伊弉諾神宮で日本の神様の話を聞き、帰りはお坊さんの話を聞くことができ、「心ゆたかに」帰りつくことができました。

参加者のみなさん、ありがとうございました。

今回のツアーで知った「淡路島ミステリー」を次回ご紹介します。

春のデジカメバスツアー下見(花さじき・阪神淡路大震災記念館)

2013-03-05 15:19:47 | 教室のイベント
「花さじき」は、花の島にふさわしい花の名所として平成10年に作られました。
島の北部丘陵の頂上辺り、標高235m~298mで海に向かってなだらかに広がる高原にあります。
明石海峡・大阪湾を背景に花の大パノラマが展開します。

東浦インターを出て車で約20分の距離にある「花さじき」に着いたのは午後3時でした。春の嵐で雨や風も強くなってきました。

  
 

クリックすると大きな画像で見れます。

あまりにも強い風で見て回ることはできませんでした。
写真もこれだけ撮るのが精いっぱいで、早々に引き上げることになりました。

でも天気が良ければ、素晴らしい眺望と花畑を見せてくれるはずです。

せっかく休みを取ってきた淡路島、少し時間があったのでこのまま帰途につくのがもったいなく思い、近くにある「野島断層 北淡震災記念公園」に立ち寄ってみました。

3時半に着いた時、車から降りることさえ躊躇するほど、雨足が強くなっていました。
頑張って「物産館」に駆け込み北淡の名産品や季節の農産物や土産物などを見て回りました。
そのうち雨は小降りにおさまってきたので、「メモリアルハウス」に向かい、中を見学して回りました。

  

「記念館」は、地震で現れた野島断層をありのままに保存・展示しています。
断層による地面のズレは北淡町10kmに亘っており、道路や畑の畦、生け垣のズレなど地形の変化を生々しく残しています。
自身のエネルギーの大きさや自然の驚異を教えてくれます。

  
  
  

ビデオ映像で「野島断層」の成り立ちを解説しています。




「神戸の壁」第二次世界大戦の神戸空襲に耐え、阪神・淡路大震災では、地震と火災に耐えた神戸市長田区若松市場の防火壁です。

クリックすると大きな画像で見れます。

4時半、記念館を出ました。
北淡インターから高速道路に乗り、行き道に寄った「淡路ハイウェイオアシス」に再び立ち寄り、お土産ものを物色し少し休憩をとりました。
明石海峡大橋は霧に煙っていました。



「春のデジカメバスツアー」の下見は以上3回にわたって報告します。
日程、コース、食事、参加など速やかに決めていきたいと思います。
日にちは、大潮で渦潮の見える日時を狙うつもりです。お楽しみに。