パソコン教室きらく館教室日記

教室での出来事や塾長の生活を綴ってみます

酷な「電子帳簿保存法」をどう乗り越える

2022-07-13 19:27:27 | 塾長のまじめな話
 
 
PFU社ドキュメントスキャナーIX6000
 
液晶画面を拡大すると「レシートを管理」メニューがあることが分かります。

 
レシートや名刺を読み取るアタッチメントが右です。普段使わなければ、取り外しておきます。


アタッチメントを取り付けた状態で、このままでも文書の読み取りなどに支障はありません。

今後、レシートの読み取り試験をしていきます。

「選挙の公平」って何?これ「公平」と言えますか?

2022-07-09 18:36:07 | 塾長のまじめな話
ある有名な全国紙の大阪選挙区を取り上げた7月9日(投票日前日)の記事です。
立候補者は18名、当選者は4名です。
18名全員が届け出順に、氏名、満年齢、公認党派、現元新、当選回数、肩書(経歴)、最終学歴が明記されています。
公平さは保たれています。
 
これ以降、掲載日をさかのぼります。
「主な候補者アンケートの回答と理由」を掲載しています。

7月4日 テーマ(5)「岸田文雄内閣を評価するとしたら、百点満点で何点になりますか?」
「え~っ?????12名」「他の6名は?」「回答してないのかな?」「アンケート配ってないのかな?」
 
7月5日 テーマ(6)「消費税について現行の税率を維持すべきだと思いますか?」
「やはり同じ12名」
 
7月6日 テーマ(7)「政府の『原油価格・物価高騰等総合緊急対策』は有効と思いますか?」
「またもや同じ12名」

7月7日 テーマ(8)「原子力発電についてどのように向き合うべきだと思いますか?」
「ほかの6名の意見は聞かなくていいのか?」
 
7月8日 テーマ(9)「カジノを含む統合リゾート型施設の大阪への誘致に賛成ですか、反対です
か?」

「この12名は誰が選んだ」「ほかの6名を外した理由は?」
この新聞の読者は、この12名から選ぶのではないでしょうか?
これで新聞は公平を保てたと言えるのでしょうか?

原爆記念日、終戦記念日を迎えて思うこと

2018-08-16 14:35:25 | 塾長のまじめな話
原爆の被害、悲惨な敗戦の痛手は、日本人の心に深く刻まれました。
二度とこのような被害は繰り返したくない、平和への悲願はほとんどの日本人が共有していることでしょう。
だから、戦争があったことのために自己そのものに対して否定的(自虐的)に受け止めているように思われます。

中国や韓国など隣国から「日本は侵略戦争をし、アジアに多大な迷惑をかけた」と言われ続け、日本人自身もそのように思い込んできました。
本当にそうでしょうか?

「原爆は落とした方が悪いのか、落とされた方が悪いのか」「日本人は侵略戦争を戦ったのか」考えみたいと思います。

広島平和記念公園の中にある原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませんから」
主語がないこの文章、一体過ちを犯したのは誰なのでしょうか?
日本人自身に「自分たちが悪かった」と暗示させる言葉です。
しかし、その言葉をただ繰り返すのではなく、アジアの人たちの公平な見方や公平な声に心の眼を向けてみましょう。

タイの戦後初の文民首相で、首相になる前にタイの日刊新聞「サイヤム・ラット」紙の主幹を務めた作家でもあったククリット・プラモード氏が、
1955年に同紙上に載せた「12月8日」と題した詩を紹介します。
 ※12月8日は、日本軍が真珠湾を攻撃し開戦した日

=========

タイ 「東南アジア諸国が欧米と対等に話ができるのは日本のおかげ」

「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。
それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。
12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。
さらに8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。
我々はこの二つの日を忘れてはならない」

=========


<私の感想>

大東亜戦争は、日本に大きな惨状をもたらし終結しました。
その結果、欧米諸国はアジア植民地という権益を失い、アジア諸国は独立し、自らの努力と犠牲と苦労を自らのものとすることができるようになりました。
長い歴史から見て、人々はこの結果をどう評価するでしょうか?

大きな犠牲と代償を伴う戦争に「していい戦争」と「してはいけない戦争」があると認めたくはありません。
しかし、振り返って人々の悲惨な戦いの後に人類に貢献できた戦争があったのも事実です。
例えばアメリカの南北戦争は、アメリカ史の上ではもっとも悲惨だったと言われていますが、人を奴隷として扱う「奴隷制度」廃止につながりました。
人類史上の汚点となる「奴隷制度」、でも経済の基盤である制度が話し合いで廃止されることはあり得なかったでしょう。
それをもって「正義の戦争」とは言いません。

平和を愛し、節度をわきまえ、人の道を重んじる日本人の値打ちと誇りは代々受け継がれてきたものです。
大東亜戦争に従軍した世代の方々は少なくなっています。
この世代の日本人が、欧米諸国のような他国を植民地にすることを目的とした戦争をしたわけではありません。
戦争の中で誇り高く生きあるいは死んでいった彼らを、今を生きる日本人が名誉回復せずに、だれがするのでしょうか?
子々孫々に至るまで「悪かった」と言い続けることが正しいとは思えません。



<その他アジア各国の日本を称賛する声を紹介します>

【ビルマ】

ビルマには、イギリスに滅ぼされた王朝最後の王子が残した伝承がありました。

「いつか白馬にまたがった雷帝が東方からやってきて、ビルマを救出し解放する。雷帝の稲妻の進撃は英国軍を追放する(参考図書『雷帝、東方より来る』)」というものです。

日本は、後の首相オンサン、大統領ネウィンを始め、多くの志士を軍事訓練し独立義勇軍を結成して英国軍と戦いました。

英国軍の一個大隊は戦わずして潰走(かいそう:戦いに負けた隊が四分五裂になって逃げること)、英駐留部隊も2日で陣地を放棄するなど、首都ラングーンを陥落させ後に、義勇軍は独立政府を樹立、ビルマはイギリスから解放されたのです。

第15軍司令官・飯田中将はビルマの民衆に向かってラジオから次のような布告を発しました。

「親愛なるビルマ1500万の民衆に告ぐ!日本軍のビルマ進撃の目的は、最近百年間の搾取と圧政を事とせる英国勢力を一掃し、ビルマ民衆を解放して、その宿望たる独立を支援し、もって東亜永遠の安定確保と世界平和に寄与せんとするに外ならぬ。しかして勇敢なるビルマ独立義勇軍兵士よ、今こそは祖国の独立と栄光のために決起すべき秋(とき)なるぞ。必勝不敗の大日本帝国軍は諸士とともに進軍す。進め必勝の信念の下に!」

━━━バー・モウ元首相(自伝『ビルマの夜明け』)

「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかし真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった。」

━━━ウー・ヌー元外相 (1943年8月1日独立時の演説)

「歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例をひとつくらい見るべきだ。そして日本は人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える。」

【インド】

「藤原機関」は、「英国からのインド独立運動の支援」を任務としていました。

同機関の国塚少尉は、「至誠、仁愛、情熱」をもってインド兵に接しました。日本軍はインド兵を殺さないという噂が広まると、英国軍に所属していたインド兵が次々に投降してきたのです。

国塚少尉の「至誠」に心を開いたモン・シン大尉は、インド独立のために立ち上がる決意を固め、インド国民軍は日本軍と同盟関係を結んだのです。

インド国民軍は、英印軍のインド将兵を自軍に引き入れることでインド国民軍は日を追って増えていきました。

「英軍降伏」の報がもたらされ、国塚少尉とモン・シン大尉が外に飛び出すと、いっせいに万歳の声があがりました。

その後のマレー・シンガポール攻略戦は、1200キロの距離を72日で快進撃し、兵力3倍の英軍を降伏させて、10万余を捕虜とした名作戦として世界から賞賛されています。

━━━グラバイ・デサイ弁護士会会長・法学博士(1946年 デリーの軍事裁判に参考人として召還された藤原岩市〈ふじわら・いわいち〉機関長に対する挨拶)

「インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で30年早まった。」

━━━P・N・レイキ最高裁弁護士(靖国神社への書簡より)

 「太陽の光がこの地上を照らすかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、夜空に星が輝くかぎり、インド国民は日本国民への恩を決して忘れない。」

【インドネシア】

オランダの植民地で大東亜戦争が始まると僅か9日間でオランダ軍を排斥した日本軍は、軍事訓練を指導して4万名のインドネシア人将校を養成。敗戦後も日本に帰らず残留して、インドネシアの独立を支援し共にオランダ軍と戦いました。

━━━サンパス元将軍 復員軍人省長官(1957年来日の際の発言)

「特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せずインドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことです。日本の戦死者は、国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲賞を贈っているが、それだけですむものではありません。」

【マレーシア】

イギリス植民地時代、マハティール首相は、「イギリスの植民地時代には民主主義など存在しなかった。専制的で権威主義的な支配であった」と述べ、マレイ大学副学長ウンクアジズ氏は「日本軍の大東亜戦争があったため、マレーシアの独立は50年早まった」と述べています。

━━━ラジャー・ダト・ノンチェック元上院議員(1988年クアラルンプール邸にて土生良樹氏への言葉)

「私たちアジアの多くの国は、日本があの大東亜戦争を戦ってくれたから独立できたのです。日本軍は、永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信とを与えてくれました。(中略)マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです。」

━━━ガザリー・シャフィー元外務大臣(1988/7/19 於・赤坂プリンスホテル)※日本政治家の「大戦において貴国に対しご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」との挨拶に対して。

「日本はどんな悪いことをしたというのか?マレー半島で南下したときの日本軍は凄かった。わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができずマレーシアは独立したのだ。」

納税者として財政赤字を考える

2013-08-22 12:32:58 | 塾長のまじめな話
今年10月、景気好転の状況を判断して、阿部首相は消費税を増税するかどうかを決定します。
まだ決まっていない「消費税増税」の意味を考えてみました。


そもそも日本の国の財政赤字は国の借金ではなく、行政府の赤字です。
その赤字の責任は、国民にあるのではなく、立法府と行政府にあるのです。
行政府は国債を発行して赤字を埋め合わせしています。
国債の買い手の多くは国内の銀行、民間企業、郵便局、個人なので、国民は債権者です。
したがって、財政赤字で国が破たんするわけではありません。
かと言って、いつまでも赤字を背負い続けることは「子どもたちにツケを回すことになるので」良いことではありません。


そこで政府は消費税を上げ、税収を増やし、財政赤字の増加を止めようとしています。
しかし、税金を上げても税収は増えません。

『ここ20年間、税収は、増減を繰り返してきましたが、基本的に名目GDP値に連動しています。
1997年の消費増税(消費税3%⇒5%)の際にも、政府は税収が増えると喧伝していました。
しかし、消費増税が消費不況を招いた結果、名目GDPは523兆円(97年)→512兆円(98年)→505兆円(99年)と減少し、
その結果、税収も54兆円(97年)→49兆円(98年)→47兆円(99年)へと大幅に落ち込みました。
国の税収は、名目GDP×税率×税収弾性値で概算することができます。』

それではどうすれば、税収が増え、赤字を減らすことができるのでしょうか?

◆経済成長すれば、税収は増える!

『産経新聞の編集委員兼論説委員の田村秀男氏は、先ほどお伝えした計算式の「税収弾性値」について解説しています。
(7/14 産経「【日曜経済講座】アベノミクス効果で税収増 消費増税なしの財政再建可能」)

「税収弾性値」とは、GDP伸び率1%に対して、どのくらいのパーセントで税収が増えるかを示す数値です。
財務官僚は弾性値を1~1.1程度と見ていますが、多数の民間の研究者は、弾性値は少なくみて2.5、平均で3、
特に現在のように景気の回復期には4に達すると算出しています。
すなわち、経済成長すれば、GDP伸び率の3倍前後の伸び率で、税収が増えるのです。
それを裏付けるように、先日、2012年度(11年4月~12年3月)の税収が、これまでの予想を1兆円上回り、
43兆円台になる見通しが発表されました。
(6/20 朝日「12年度税収、1兆円増見通し 景気回復で43兆円台に」)

2012年度は、法人税が30%から25.5%へ引き下げられたにもかかわらず、景気回復によって、法人税収が7千億円、
所得税が3千億円、合計1兆円もの税収増となったのです。
2012年度税収に対するアベノミクスの影響は3ヶ月間程度に過ぎません。年間に直すと4兆円程度の税収増と推測されます。
田村氏は、2013年度で名目GDP成長率3%を達成すれば、税収は9%増え、約3兆9500億円増となり、
2014年度もGDPが3%成長すれば、13年度に比べて4兆3100億円税収が増えると推測しています。

増税しなくても、景気回復すれば、相当な税収増を見込むことができるのです。

消費税増税法案はすでに昨年国会で可決しました。
しかし、付則条項「平成23年度から平成32年度までの平均において名目の経済成長率で3パーセント程度かつ実質の経済成長率で2パーセント程度を目指した望ましい経済成長の在り方に早期に近づけるための総合的な施策の実施その他の必要な措置を講ずる」
消費税の増税を止めることができるのです。

1997年に消費税の増税を行う前年の1996年の実質GDP成長率が2.6%でしたが、増税後に景気が停滞し、金融危機を引き起こし、長期不況が続きました。
現在、景気が上向いているとはいえ、2013年の経済協力開発機構(OECD)が発表した日本の実質成長率は1.6%であり、景気条項の定めた水準に達していません。

このタイミングで消費税を上げれば、上向き始めた経済成長は止まり、景気は停滞します。景気の停滞は経済の停滞にとどまらず、日本の国力の停滞・衰退を意味し、対外的に不利な立場に追いやられることになります。

納税者として、安易に財務省の思惑にゆだねることなく、国民として国の存亡を思う気持ちで、国の財政や支出にもっと関心を持ち、選挙で選ぶ国会議員に対しては主義主張や行動規範を厳しく問う必要があるのではないでしょうか?

それが国民の権利であり、義務だと思います。
「寄らば大樹」「寄らばお上」ではなく「民主政治は与えられるものではなく、国民としての正当な権利を主張していくもの」と理解し、いつの時代にも当てはまることと胸に刻んでおきたいものです。

日本の夜明け ~エネルギー革命で日本は変わる

2013-08-16 14:44:40 | 塾長のまじめな話

国民もメディアも、まさか日本にはエネルギー資源があるはずは無いと思っています。
今その常識がメタンハイドレートによって覆されようとしています。
日本が「資源のない国」から「資源国」に変わる。
しかし、そこに立ちはだかる巨大な壁?

「希望の現場メタンハイドレート」青山千春氏著

(1)メタンハイドレートとは何か
(2)日本の海にどんなふうに賦存しているのか
(3)魚群探知機を使った安価な特許技術で何が分かる
(4)研究開発の最新の動きと「日本海連合」のパワー
(5)実用化で日本と日本国民にどんな恩恵があるか
(6)実用化へ克服しなければならないこと

について分かりやすく説明してくれます。

メタンハイドレートの調査、研究、開発者の著者と、そしてご主人であり、(株)独立総合研究所代表取締役社長として著者の研究と調査、開発に最大支援されている青山繁晴氏と共に、
6番目の課題すなわち「立ちはだかる巨大な壁」のとの格闘をドキュメンタリー小説ではない現実として緊迫感と迫力で描写しています。


(1)メタンハイドレートとは何か
エネルギー資源として利用されている天然ガスは、その主成分がメタンガスです。
そのメタン分子を、水分子が籠のように囲む構造がメタンハイドレートです。
この分子構造は高い圧力と低い温度で保たれるため、日本の周辺では、高い水圧と低い水温の海底に賦存しています。
海底から船上に引き上げれば、水とメタンに分かれます。そのまま天然ガス火力発電所で燃やして発電することができます。
またそのまま都市ガスとして台所で使うこともできます。
つまり既存の施設を利用できる、インフラ設備はすでに基本的にはほぼ整っているというメリットがあります。

(2)日本の海にどんなふうに賦存しているのか
太平洋側を中心にある深層型ないし砂層型(海底深くに砂に混じって賦存するメタンハイドレート)
日本海側にある表層型(純度の極めて高い塊で海底に露出するか、海底下の浅いところに賦存するメタンハイドレート)

(3)魚群探知機を使った安価な特許技術で何が分かる



魚群探知機を使うと、メタンプルームを見つけることができます。
このメタンプルームは、表層型メタンハイドレートのある位置を示してくれます。
メタンプルームのあるところを狙ってピストンコアリングを行うと高い確率でメタンハイドレートを撮ることが可能です。
※IPS細胞技術の特許と同様、特許料が目的ではなく、安価なコストで調査、研究、開発面で広く利用でき、実用化を促進できることを目的にしています。
 もし、他国が利益のために特許を取得したら、世界規模の恩恵が一国、一企業の利権に変わってしまうでしょう。

(4)研究開発の最新の動きと「日本海連合」のパワー
太平洋側のメタンハイドレートは主に、深い海底の、さらにそこから300m~700m掘って、ようやく見つかります。
しかもメタンハイドレートが分子レベルで砂と混じり合っています。
当然、見つけにくく採りにくく、砂と分けるのにコストがかかります。
政府が2018年までに技術基盤整備を完了し、その後民間に下ろして実生産に向けての開発をすれば、2023年以内に実用化できます。
日本海側はメタンハイドレートが露出しているか、せいぜい100m掘れば見つかり、しかも純度90~99%の白い塊で存在しています。
著者の活動により、太平洋側に数年遅れで日本海側のメタンハイドレートの存在があきらかになり、
またその活動により、日本海側府県の知事会を中心に2012年9月「日本海連合」が設立され、自治体の協力を得ることができるようになりました。
政府の研究開発は遅れて始まりましたが、太平洋側よりずっと簡単に実用化できるはずです。

(5)実用化で日本と日本国民にどんな恩恵があるか
天然ガス国内消費量の100年分以上あるだろうと、言われています。
天然ガスを輸入に頼らなくて済みます。輸出国になれるかもしれません。
わが国は現在、輸出国の言い値で資源を輸入し、高い電気代やガス代を払っています。
これら生活に欠かせない費用が画期的に安くなります。

各産業の最大のコストが電気代や燃料などのエネルギーの料金です。
これらの料金が安くなれば、当然、企業や個人事業の業績は良化し、景気も良くなり、より高い経済成長が期待できるでしょう。
さらにメタンハイドレートを採取するために、雇用が増え、地方経済を再生させることができます。

「資源輸入大国」だったわが国が、本物の「資源大国」になれます。

(6)実用化へ克服しなければならないこと
このようにメリットがたくさんあって、デメリットが少ないメタンハイドレートですが、取り巻く環境は決して恵まれていません。
「祖国にとっても、われわれにとっても、子々孫々にとってもすごくいい話なのにどうして?」


「実用化へ克服しなければならない課題」
まさに、日本の置かれた現状であり、日本人が背負った負の遺産であり、日本人自身が克服しなければならないまさしく「壁」と言えるものの姿をこの著書はありありと描いています。

この本のタイトルに使われている言葉「希望の現場」は、日本人自身が背負った課題は自身で乗り越えなければならない、そして乗り越えられるだろうことを、示唆してくれています。

一読をお勧めしたい書籍です。

原爆記念日に、終戦記念日を前に思うこと

2013-08-09 12:34:37 | 塾長のまじめな話
「原爆は落とした方が悪いのか、落とされた方が悪いのか」「日本人は侵略戦争を戦ったのか」考えみたいと思います。

中国や韓国から「日本は侵略戦争をし、アジアに多大な迷惑をかけた」と言われ続け、日本人自身もそのように思い込んできました。
本当にそうでしょうか?
広島平和記念公園の中にある原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませんから」
主語がないこの文章、一体過ちを犯したのは誰なのでしょうか?
日本人自身に「自分たちが悪かった」と暗示させる言葉です。
しかし、その言葉をただ繰り返すのではなく、アジアの人たちの公平な見方や公平な声に心眼を傾ける必要があるのではないでしょうか。

タイの戦後初の文民首相で、首相になる前にタイの日刊新聞「サイヤム・ラット」紙の主幹を務めた作家でもあったククリット・プラモード氏が、
1955年に同紙上に載せた「12月8日」と題した詩を紹介します。
 ※12月8日は、日本軍が真珠湾を攻撃し開戦した日

=========

タイ 「東南アジア諸国が欧米と対等に話ができるのは日本のおかげ」

「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。
それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。
12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。
さらに8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。
我々はこの二つの日を忘れてはならない」

=========

大きな犠牲と代償を伴う戦争に「していい戦争」と「してはいけない戦争」があると認めたくはありません。
しかし、振り返って人々の悲惨な戦いの後に人類に貢献できた戦争があったのも事実です。
例えばアメリカの南北戦争は、アメリカ史の上ではもっとも悲惨だったと言われていますが、人を奴隷として扱う「奴隷制度」廃止につながりました。
人類史上の汚点となる「奴隷制度」、でも経済の基盤である制度が話し合いで廃止されることはあり得なかったでしょう。
それをもって「正義の戦争」とは言いません。

平和を愛し、節度をわきまえ、人の道を重んじる日本人の値打ちと誇りは代々受け継がれてきたものです。
大東亜戦争に従軍した世代の方々は少なくなっています。
この世代の日本人が、欧米諸国のような他国を植民地にすることを目的とした戦争をしたわけではありません。
戦争の中で誇り高く生きあるいは死んでいった彼らを、今を生きる日本人が名誉回復せずに、だれがするのでしょうか?
子々孫々に至るまで「悪かった」と言い続けることが正しいとは思いません。(塾長)

泣ける話

2013-07-09 16:45:51 | 塾長のまじめな話
『日本人によってアジアは死の淵から生還した』 こんなタイトルの話を読みました。

日本が戦後、主権を回復したのはサンフランシスコ講和条約(1951年締結、52年発効)によってである。ソ連などから「日本を分割統治すべし」「日本の自由を制限せよ」と強硬案が出る中で、セイロン(現スリランカ)のジャワルナデ代表(後の大統領)は「ソ連には賛同できない。わが国は日本への損害請求を放棄する」と演説し、日本の国際復帰を強力に後押ししてくれた。

スリランカは、16世紀にポルトガルの植民地にされて以降、オランダ、イギリスへと譲渡され、第2次大戦中もイギリス領だった。そのため日本軍が進出するとスリランカも空襲によって被害を受けた。

戦後、1948年に英国自治領セイロンとして独立。サンフランシスコ平和会議には日本を含む52カ国が参加したが、ソ連など3カ国は反対し、調印しなかった。その中で小国セイロンの代表ジャワルナデ氏が、ソ連に真っ向から反論する演説をしたのだ。

「なぜアジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。
それは日本がアジア諸国民の中でただひとり強く自由であった時、我々が日本を保護者としてまた友人として仰いでいた時に、日本に対して抱いていた高い尊敬の為でもあります。
大師(ブッダ)のメッセージ、
『人はただ愛によってのみ憎しみを乗り越えられる。
人は憎しみによって憎しみを乗り越えられない』
は、アジアの数えきれないほどの人々の生涯を高尚にしました。
そうであるから我々は、ソ連代表の言っている、日本の自由は制限されるべきであるという見解には賛同できないのです」

このジャワルナデ代表の演説は、「この会議最高の歴史的発言」(ソルトレイク・トリビューン紙)、「世に忘れられようとしていた国家間の礼節と寛容を声高く説き、鋭い理論でソ連の策略を打ち破った」(サンフランシスコ・エグザミナー紙)と、各国に激賞された。

スリランカがこれほど日本を支援してくれた背景には、実は長い歴史がある。

19世紀末、イギリスの植民地支配のもとで衰退した仏教を再興しようとした「スリランカ建国の父」ダルマパーラ師は、1889年から3度日本を訪れ、こう語った。
「欧米人のアジア人に対する差別的偏見をなくし、植民地支配という悲劇の中にあるアジアを救うことこそ日本の役割なのだ」
そして1905年、日露戦争で日本が超大国ロシアを打ち破ると、日本人に向かってこう賞賛した。
「こんな素晴らしいことはない。皆さんは気づいていないかも知れないが、皆さん日本人によってアジアはまさに死の淵から生還したのだ」

ダルマパーラ師もジャワルナデ氏も、仏教によって日本と深くつながっていた。ダルマパーラ師は1933年にその生涯を終える時、「次に生まれるときには日本に生まれたい」と語った。ジャワルナデ氏は1996年に他界した際、その遺志に基づき角膜が提供された。片眼はスリランカ人に、もう片眼は日本人に。

ジャワルナデ氏の顕彰碑は、鎌倉の高徳院にひっそりと建っている。その碑には、彼が演説で語ったブッダのあの言葉が刻まれている。
日本人として、日本の主権回復を助けてくれた恩人のことを忘れてはなるまい。そして、アジアの国々を勇気づけ植民地解放の道を開いた日本の先人たちのことも。(仁)

===========

日本人はいまだに、大東亜戦争の敗北の心の痛手から抜け出せないでいます。
中国、韓国、北朝鮮などの国から、70年経た今に至るまでユスリとタカリまがいの「侵略戦争の歴史認識を忘れるな」という方便で責められ、いつまでも頭を下げる態度を続けています。
かつての「東京裁判」では、国際法を無視して、戦勝国による戦敗国が不法不当に裁判の名目でリンチの如く罪を被せられました。
これほど多くの犠牲を伴い、今なおその痛手を拭い切れない戦争に「正義」があったなどと言うことはできません。
が、明治維新後日本に課せられたのは、欧米列強のアジア支配と植民地の歴史を終わらせる、役割でした。
日本の犠牲によって、何百万何千万のアジア人の誇りを取り戻すことができたのは事実です。
敗れて人々が祝福する結果を招いたのは、歴史の皮肉としか言いようがありません。
大きな犠牲と代償を伴う戦争をした国に「いい国」と「悪い国」があるわけではありませんが、他国に「悪い国」と言われるままに頭を下げ続けるのは、もうやめるべきではないでしょうか。(塾長)

ニンニク酒

2013-06-14 13:29:10 | 塾長のまじめな話
夕食後、手ごろなところにあったニンニクの皮を剥き始めていました。
ただテレビをぼーっと見ていることができない性分でいつも間にか手が動いていました。
剥き終わって焼酎に浸しあっという間にできました。

 

本当はこの日はいただいた南高梅を漬けるつもりが、つい簡単な方に向かってしまいました。

近いうちに梅酒を漬けてみます。

主婦が普通にしていることでも、私らにとっては大変なことで材料や道具の準備でつまづきます。
材料や道具を自分で時間をかけて揃えたり探し回ったり、奥さんの機嫌を損ねず上手に聞かなければにっちもさっちも進みません。
場合によっては、作りたいと思ったきっかけから説明を求められることもあります。

その関門を乗り切れば、あとは楽なもの。
作る楽しみを味わうことができます。

男性と女性を比べれば、男性よりはるかに女性の方が作る楽しみを味わっているような気がします。
はるかに豊かな生き方をしていると思います。
家庭には生活に必要なものや生きる知恵があふれています。

世の男性のみなさん、女性の生き方を謙虚に見習う必要があるかもしれません。