パソコン教室きらく館教室日記

教室での出来事や塾長の生活を綴ってみます

淡路島ミステリー

2013-05-31 18:19:55 | 教室のイベント
デジカメツアーの日が迫る2週間ほど前、「うずしお」と「花さじき」めぐりの企画に何かもの足りなさを感じていました。
産経新聞「日本人の源流 神話を訪ねて」の連載記事を何気なく手に取り読んでいると、トップに淡路島と「伊弉諾神宮」が紹介されていることに気が付きました。
「伊弉諾神宮」を訪れたくなり、急遽独断で計画に加えることにしました。
行く以上は詳しく知りたいと思い、語り部さんのお話を聞かせていただく予約をしました。

当日話を聞くまで、淡路島が日本史上?神話の世界ではこれほど重要な意味をもっているとは、知りませんでした。
これまで神話として読んだり聞いたりした記憶はあったのですが、約1時間の神宮めぐりと事跡の目前で聞く語り伝えにとても大きな衝撃を感じました。

パソコンきらく館「春の淡路島バスツアー」記録ブログ第2弾です。
淡路島ってこんな島だったのかという驚きを表したつもりです。
題して『淡路島ミステリー』


<イザナギとイザナミ>
「せきれいの里」(お土産の店)が語りのはじまりです。イザナギノミコトとイザナミノミコトの国生みのおもしろくておかしいお話です。
和やかな口調が神話の格調を解きほぐし、神世とも人の世とも分からぬ不可思議な物語です。
聞いていると現代でもたとえ話としてありそうな「とある夫婦の物語」のようでもあります。






<国生みの神話>
日本列島形成の中心に淡路島があります。
オノコロ島に降り立ったイザナギとイザナミが主役となっています。(オノコロ島は淡路島の南の沼島と言われています)
『神話が描く国生みの様子は、いかにも雄大で神秘的である。
2人の神が天の沼矛で海をかき回すと、矛からしたたり落ちたしずくが島になり、さらに「天の御柱の周りを互いに逆の方向に回って交わると、日本列島が誕生した。
真っ先に生まれた淡路島を、古事記は「淡路之穂之狭別島」と記す。
続いて生まれたのは伊予之二名島(四国)、隠伎之三子島(隠岐島)、筑紫島(九州)、伊伎島(壱岐)、津島(対馬)、佐度島(佐渡)、大倭豊秋津島(畿内一帯)。』





<君が代>
日本の国家「君が代」の意味を正しく教える人も少なければ、当然正しく知っている日本国民は少ないようです。
「き」「み」は「君」ではなく、「イザナ」「イザナ」すなわち「男と女」、「太陽と月」「陽と陰」を意味します。
両者が調和した時からすべてが生まれ千年も万年も繁栄が続く、という意味だそうです。







<陽の道しるべ>                    クリックすると大きな写真が表示されます --->
伊弉諾神宮を中心に、春分・秋分の日は伊勢皇大神宮(内宮)方向から太陽が昇り、対馬一宮海神神社の方向に沈みます。
夏至は信濃一宮諏訪大社の方向から昇り、高千穂神社の方向に沈みます。
冬至は熊野那智大社の方向から昇り、出雲一宮出雲大社の方向に沈みます。





<本殿拝礼>
本殿奥の御柱を向かって左から新郎が、右から新婦が回り、出会ったところで
「あなにやし、えをとめを(なんときれいな女性でしょう)」
「あなにやし、えをとこを(なんと素晴らしい男性でしょう)」
こんなやり取りで契りを交わす結婚式が「伊弉諾神宮」で行われているそうです。
この式のやり方は日本誕生にまつわる物語からきており、今に至るまで日本人の価値観の中で生き続けていることを語っています。
(次の「夫婦大楠」の解説で)





<夫婦大楠>
樹齢900年、左が男で右が女の2本の木が夫婦として1本に合体。
その昔、イザナミノミコトとイザナミノミコトの最初の子が不具の子(蛭子)として生まれた。
それは子作りの時女神のイザナミノミコトから声をかけたためと占言されました。
それ以後、男性が声をかけ、女性が応じることが価値観、慣習、掟になっていったそうです。
最初の子蛭子様は、子のうちに数えてもらえず、失意の中流れ流れて西宮鳴尾浜にたどり着き、その後財を成しえびす様として祀られることになりました。
蛭子様にとっては悲しくつらい人生であったでしょうが、最後には栄冠を獲得できたのでしょう。
(楽あれば苦あり苦あれば楽あり、捨てる神あれば拾う神あり、ですか?)


曇り時々雨

2013-05-30 16:06:54 | 教室のイベント
5月28日(火)は参加者全員が楽しみにしていた淡路島デジカメツアーでした。
週間予報はでは1週間前からこの日の予報は「曇り時々雨」でした。
外れることを期待していました。
期待に反してこの日は朝から予報が正確であることを暗示させる小雨模様でした。

朝9時半出発を前に、「道の駅」に連絡をとり食事時間を1時間遅らせることをお願いし、伊弉諾神宮には、3時の予定を正午に繰り上げていただきました。
両方とも快く受けていただき、ひとまず天候の心配を回避しました。



恒例の記念撮影後、予定時間通り出発しました。
車中では森さんと西尾さんに差し入れていただいた品を景品に「到着時間当てクイズ」をして楽しみました。
そして、みなさんの予想よりもかなり早い時間で淡路島に到着しました。

 

11時半、伊弉諾神宮に到着。予定よりも早く着いたのにその時間に合わせて語り部さんに、島や神宮に伝わる昔話、日本の神話を話をしていただきました。

 

 

 

もう少し話を聞きたい気持ちを残して13時に伊弉諾神宮を離れ、「道の駅うずしお」に向かいました。
鳴門海峡を大パノラマのようにまた間近に見えるレストランで食事を楽しみながら「うずしお」をみる計画でした。
しかし、「この日は天候が荒れているため、うずしおは見れません」と店員さんにあっさり言われ、それでも40倍の望遠で荒れる鳴門海峡を写真におさめました。

 

店内でお土産の買い物を済ませて、午後3時「道の駅うずしお」を後にしました。

次の予定は「花さじき」でしたが、雲行きがわるくなってきたため行先を変更して「淡路島ハイウェイオアシス」でデジカメツアーの残り火を費やしました。

 

 

帰りの車中では、南蔵院林覚乗住職の講和「心ゆたかに生きる」をDVDで聞きながら帰途につきました。

天候のために、予定通り計画をこなすことが参加者のみなさんには申し訳なかったのですが、このツアーの最初に伊弉諾神宮で日本の神様の話を聞き、帰りはお坊さんの話を聞くことができ、「心ゆたかに」帰りつくことができました。

参加者のみなさん、ありがとうございました。

今回のツアーで知った「淡路島ミステリー」を次回ご紹介します。

伊勢神宮まいり

2013-05-04 12:24:45 | 塾長の生活
ゴールデンウィーク前半の休みを利用して、帰省している長男夫婦と伊勢神宮にお参りに行ってきました。
今年は、20年に一度の式年遷宮の年にあたっているので、混雑が予想されました。
ツアーのガイドさんの説明では、前日の28日(日)は道路は渋滞し神宮内もゆっくり歩くことができないくらい混雑していたそうです。この日29日は行きも帰りも全く渋滞がなく、神宮内もゆっくり回ることができました。

梅田を起点に出発したバスに天王寺で乗り込みました。阪神高速松原線、西名阪、名阪国道を進み、途中伊賀上野ドライブインで休憩し、伊勢道を乗り継いで伊勢に向かいました。

スムーズに進んだため時間に余裕ができ、夫婦岩で有名な二見浦を歩くことができました。

 

昼食は、二見シーサイドパレスで伊勢海老尽くし料理を味わいました。数多くの伊勢海老料理に大満足でした。



その後、「御福餅」を製造し販売するの伊勢市二見町茶屋に行き、御福餅とお茶をサービスしていただきました。もちろん、無料サービスには言わずもがなお返しの心が大切で、お土産に1箱買いました。

いよいよ伊勢神宮に到着しました。
豊受大神宮(外宮)はツアーからは外れていました。
※天照大神のお食事を司る神の豊受大神をおまつりしています。内宮創建から500年後に山田原に迎えられました。衣食住をはじめあらゆる産業の守り神です。

皇大神宮(内宮)を十分見て回ることができました。
※皇室のご祖神の天照大神をおまつりする、わが国で最も尊いお宮です。五十鈴川の川上に千古の森に囲まれて、2000年の時を超えて古代のたたずまいを今日に伝えています。

 

宇治橋鳥居をくぐり、五十鈴川を渡ると雅楽が聞こえてきました。うっそうとした木々の自然の森、きれいに整えられた庭園、数々の社殿の中を歩くと、五感がいつもの生活空間とは違う異なる次元ノ世界に来ていることを教えてくれます。

   

内宮の一番奥まったところに全体を見ることはできませんが、古代様式唯一神明造の「正宮」があります。式年遷宮にあたる今年は手前の「新御敷地」に新しい「正宮」が出来上がっているはずでした。



五重に塀で囲われた「正宮」を回って、神楽殿を横に見ながら、入口近くの子安神社に向かいました。
子安神社には、天照大神の孫で天孫ニニギノミコトの妻、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)がまつられています。子授け(長男夫婦のため)、安産(長女夫婦のため)を祈念してきました。

宇治橋鳥居を出ると、右手に「おはらい町」その中によく知られた「おかげ横丁」があります。



長くなりましたので、次回投稿することにします。