14時、かやぶきの里に到着しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/fa/364be21ade15aaae18fa663332dd1a08.jpg)
今は「お食事処きたむら」になっている勇壮なかやぶきの建物はかつては庄屋でした。
道路を挟んで、古民家の集落が見えますが、手前に広がる畑は、ソバ畑です。
9月下旬ソバの白い花が咲き誇る風景を見せていましたが、今は寂寥とした光景に変わっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/fa/16b45602cffa6c83776c02f60609fb44.jpg)
「かやぶきの里北村は谷間のゆるい傾斜地に住まいがひとかたまりに密集した山村で、どこからでも全体が一望できるまとまりの良い村です。
地理的には昔の丹波の国に属しますが、京都と日本海の玄関口の若狭小浜との中間に位置しますので、建築や生活文化にはいろいろな地域の影響がみられます。
北村の現在のかやぶき家屋は寛政8年(1796)建築のものが最古ですが、19世紀中ごろまでの建物が18戸と江戸時代に建てられたものが多く、北山型民家に分類される特徴をよく伝えています。
荘園時代の昔から山稼ぎがくらしの中心だった村でしたから、建材はほとんど周りの山から調達するのが当たり前のことでした。
自分たちの手で守り育てた自然の恵みをいただいて建てた家に住み、周りの田畑山野から四季の恵みをいただいて暖炉を囲む。
かつてはごく当たり前だったそのような暮らしを、いったんは失いかけて、いま再び、新しい形で取戻しつつあるのが、北山の現状といえましょう。」(「かやぶきの里 北村 ビジュアルマップ」より引用)
京都美山町かやぶきの里
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今は「お食事処きたむら」になっている勇壮なかやぶきの建物はかつては庄屋でした。
道路を挟んで、古民家の集落が見えますが、手前に広がる畑は、ソバ畑です。
9月下旬ソバの白い花が咲き誇る風景を見せていましたが、今は寂寥とした光景に変わっていました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/fa/16b45602cffa6c83776c02f60609fb44.jpg)
「かやぶきの里北村は谷間のゆるい傾斜地に住まいがひとかたまりに密集した山村で、どこからでも全体が一望できるまとまりの良い村です。
地理的には昔の丹波の国に属しますが、京都と日本海の玄関口の若狭小浜との中間に位置しますので、建築や生活文化にはいろいろな地域の影響がみられます。
北村の現在のかやぶき家屋は寛政8年(1796)建築のものが最古ですが、19世紀中ごろまでの建物が18戸と江戸時代に建てられたものが多く、北山型民家に分類される特徴をよく伝えています。
荘園時代の昔から山稼ぎがくらしの中心だった村でしたから、建材はほとんど周りの山から調達するのが当たり前のことでした。
自分たちの手で守り育てた自然の恵みをいただいて建てた家に住み、周りの田畑山野から四季の恵みをいただいて暖炉を囲む。
かつてはごく当たり前だったそのような暮らしを、いったんは失いかけて、いま再び、新しい形で取戻しつつあるのが、北山の現状といえましょう。」(「かやぶきの里 北村 ビジュアルマップ」より引用)
京都美山町かやぶきの里