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認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

高齢者による運転の適正能力の検査方法の問題点(B-11)

2017-08-01 | 車の運転と注意の分配力の機能

(イントロ/豆知識!)

一方通行等の道路標識や信号を無視した走行をするとか、歩道に突っ込むとか、高速道路を逆走するとか、高齢者による自動車事故の問題が大きな社会問題としてクローズアップされています。

今回は、何故、高齢者による事故が多発するのかを、脳の機能と言う視点から解き明かし説明してみたいと思うのです。そのKey wordとなるのは、私たち「二段階方式」が『前頭葉機能(前頭前野の穹窿部に局在する①「前頭葉の三本柱(意欲、注意の集中力及び注意の分配力)」の機能、②「評価の物差し(=自我=意識の首座=脳の中のホムンクルス)」の機能及び③「実行機能(Executive Function)」の三者により構成されている複合機能体を言うものとする)』の大本の機能であり、「前頭葉の三本柱」の機能と名付けている機能の核心的な機能であって、「異なった複数のテーマを同時に並行して処理」する上で不可欠の機能である「注意の分配力」と言う機能の機能レベルの加速度的で異常な低下一つの要因が/①「加齢の進行による正常な機能低下の進行」と言う問題であり、もう一つの要因が/②「廃用性異常な機能低下の進行」と言う問題なのです。その問題の背景には、単なる「高齢者」ではなくて、『アルツハイマー型認知症(以下、「AD型認知症」と略記する)』を発病していて、本当の意味での「早期の段階」の症状が発現して居ながら、認知症の専門家達から見落とされている「高齢者」(私たちの区分で言う「軽度認知症(小ボケ」及び「中等度認知症(中ボケ」の段階の高齢者)による/車の運転と言う問題が潜んでいるのです。

 加えて指摘しておくと、医療現場では、「AD型認知症」の発病のメカ知らないだけでなくて、「AD型認知症」の症状についても知らず(「段階的な症状」と言う視点さえもなく、「脳のリハビリ」による回復の可能性と言う視点さえもなく、症状を抽象的な言葉で「中核症状」と「周辺症状」とに区分するだけのいい加減なレベル)、更には、『症状の進行を半年から1年程度遅らせる効果が期待できる』とかの謳い文句で販売されている薬が(症状の発現の仕方を亢進/又抑制させるだけの「対症療法薬」に過ぎず、症状の進行を遅らせる効能は皆無であることさえ知らないで(「治験」の段階で、脳の使い方としての「生活習慣」という要因による、症状の進行の抑制と言う要素を気付かないで、見落としているのです)、おまけに、記憶障害の症状(この場合は、「重度の物忘れの症状」の程度が酷いというだけの基準)が確認されると、「症状の進行を遅らせる治療薬」と称して、当該の薬(真実の実態は、単なる「対症療法薬」でしかない)を処方しているという、考えられないような売り上げ至上主義の不条理な実態があるということなのです(最大の問題児は、エーザイ!)。

&1  私たち人間だけに「特有な世界」である意識的/目的的な世界における脳全体の司令塔が「前頭葉」機能

〇 意識的/目的的な世界と「前頭葉の三本柱」/「評価の物差し」/「実行機能」による機能の発揮の仕組み

最近行われた都議選の結果についての自分なりの分析に基づく私見をお互いに開示し合い、口角泡を飛ばした議論をするにも、ダイヤランドに在る脳活性化研究所に行くのに、どの道筋を通ってどんな楽しみ事を挟んで行くのかをケース・シミュレーションするにも、梅雨の間に伸び放題になっている上の玄関に通じる階段脇のサツキの植え込みの枝が刈り込まれた枝先が整然としていてそれなりに綺麗な状態を見せるような刈込をこの炎天下でどのようにやれば良いのかケース・シミュレーションするにも、8月1日に公開を予定している「187回目」のブログの構成内容とその順番をケース・シミュレーションするにも、私の頭の周りをうるさく飛び回っては羽音を立てている小うるさい蚊を手で上手に叩いて仕留めるにも、「前頭葉の三本柱」の機能、就中、「注意の分配力」の機能が正常な機能レベルで活躍してくれることが、必要不可欠の条件となるのです。この秋には、古希を迎える年齢とは言え、この程度のことは私にとって取り立てて騒ぐほどのことではないのです。勿論のこと、「第二の人生」を送っておられる60歳を超える年齢の「高齢者」に該当する皆さんの場合にも、大したことではないと感じられていることだと思うのです。私たちが正常老化の性質と名付けている複合機能体としての「前頭葉機能の機能低下(正常老化の性質に起因した緩やかな機能低下)と言う問題が加齢と共に進行して来ていて、「物忘れの症状」が日常の生活面で気にはなっている状態に在るとはいえ、上記に類似した生活体験と言うか、ご自身の現在の脳の機能レベル下での、「注意の分配力」の機能による処理は、日常茶飯事程度のことだよとおっしゃることと思うのです。

そうなのです。私たち「二段階方式」が主張する「AD型認知症」発病の第一の要件(基盤の要因)/『「第二の人生」を送っていて、60歳を超える年齢の「高齢者」であること』に該当はしていても、正常老化の性質のせいで、緩やかな老化のカーブに沿って「前頭葉の三本柱」の機能が機能低下を進行させて来ていようとも、異常な機能レベルにまで脳の機能が衰えて行くことは無いのです。「前頭葉」機能をむ/脳全体の機能が異常なレベルに衰えて行くこと、言い換えると、「AD型認知症」を発病するには、私たち「二段階方式」が主張する「AD型認知症」の発病の最初の段階である「軽度認知症(小ボケ」の段階の症状が発現するには、発病の第二の要件(加重要因)である/ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続起因して進行する廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行と言う要件を同時に充足する必要がある(第一の要件と第二の要件とが同時に並行して充足され、重なり合うことが必要)からなのです。

&2   「前頭葉の三本柱」の機能が機能発揮の大本となる「機能発揮上の二重構造」の問題

私たちが意識的/目的的に何等かの「テーマ」を実行しようとする場面では、興味、関心、自発性、観察、分析、把握、考察、理解、判断、洞察、推理、推論、推測、憶測、ケース・シミュレーション、構想、想像、発想、空想、幻想、妄想、企画、計画、創意、工夫、予測、予見、具象化、抽象化、比較、検討、選択、修正、整理、機転、抑制、忍耐、感動及び決断等、「前頭葉」の機能を構成している各種の高度な個別の認知機能の機能を正常発揮する上で、一定レベル以上での機能の「発揮度」が確保されていることが必要不可欠となるのです。機能の発揮度が一定レベル以下だと、上述した「前頭葉」の各種個別の認知機能の機能自体が必要なレベルで発揮されなくなるのです。そうした個別の認知機能による機能の「発揮度」の高さ或いは低さを左右しているのが、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」という「前頭葉の三本柱」の機能なのです(機能の「発揮度」とそれにリンクした「認知度」とが共に、「前頭葉の三本柱」の機能の機能の発揮度とにリンク」しているのです)。この機能構造を私たち「二段階方式」は、「機能発揮上の二重構造」の関係と呼んでいるのです(14689例から成る「脳機能データ」の解析結果が主張の根拠)。

前頭葉」機能を核心の機能として、有機的な連携のもとに「左脳」や「右脳」や「運動の脳」も参加して、脳全体で何をどのように実行するのかを組み立てるには(自分が置かれているその状況を分析し、理解した上で適切に判断し、当該状況判断に沿って実行すべき「テーマ」をいくつか発想し、その中から1つを選択して、その実行内容、実行の手順及び実行の程度と態様とを組み立て、決定し、実行を決断するには)、先立って且つ常に、必要な機能レベルでの「意欲」の機能の継続的な発揮が不可欠となるのです。自分が現在置かれている状況と環境の理解と判断をベースとして、様々な状況の変化を予測して考慮しつつ、いく通りかのケース・シミュレーションを経た上で最終的な実行内容、実行の手順及び実行の程度と態様とを決定して、最終的に実行に移す決断を下して、脳の各部に実行の指令を出すには、必要となる機能レベルを維持しつつ、「注意の集中力」と「注意の分配力」の機能の継続的な発揮が不可欠となるのです。

私たち「二段階方式」が「前頭葉の三本柱」の機能と名付けている「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能は、左脳、右脳及び運動の脳という「三頭立ての馬車」の「御者」の役割、意識が覚醒した/目的的な世界における脳全体の「司令塔」の役割を担っている「前頭葉」機能という脳機能の重要な構成要素である「個別の認知機能(評価の物差しの機能及び実行機能)」に因る/機能の発揮度及びその結果としての関連する対象及びその内容の認知度を左右し、下支えする働きを担っているのです。このことを言い換えると、『個別の認知機能の発揮度及び認知度が、「前頭葉の三本柱」の機能の発揮度に左右されているという、「機能発揮上の二重構造」の問題/関係が存在しているのです。これは、私たち「二段階方式」が、世界で初めて発見し、提示し、主張していることなのです。但し、この主張内容については、実証出来ている「脳機能データ」が存在しているので、仮説ではない! 

世界中の脳科学者や認知症の専門家とされる人達の誰もが未だ気づいてはいないその「テーマ」である、「AD型認知症」の発病/症状の重症化の進行のメカが解明され、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」機能という脳機能の働き方のメカにも注目が集まることにより、やがては、何層もの独立した意識(私たちに言わせると、本来は「意識状態」と言うべきものなのですが)が同時に存在するという「重層的」な意識の同時存在とその統合と統括という問題に関わる「意識の覚醒度」(より正確な表現でいえば、「意識状態」の存在と異なる「覚醒の度合い」を特徴とするのですが)という「視点」が、専門家達に注目される時代が早晩やって来ることになるのです。そうなれば、「AD型認知症」の症状が発現してくる前の段階で(彼らの言葉で言うと、認知機能が正常な段階で)アミロイドβを脳内から排除する(解消させる)などと言う、荒唐無稽で、且つ、重大な誤りを犯している発想は出てこない筈なのです。

「前頭葉の三本柱」の機能が担う重要不可欠のものとして、覚醒度が異なる複数の「意識」が、重層的に、且つ同時に併存している状態下での、(内容及び覚醒度が異なる複数の)個別の「意識」の構築とその異なる覚醒度を支配し、統括し、コントロールする機能が存在しているという、脳の機能構造面からの視点(これまで誰にも知られてこなかった視点)を問題提起したいと思うのです。勿論のこと、その「テーマ」を理解するには、「前頭葉の三本柱」の要の機能であり、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行という視点で言うと、最初にその機能が衰えて行く機能である、「注意の分配力」の機能についての理解の問題が直結しているのですが。

(内容及び覚醒度が異なる)複数の重層的な「意識」(意識状態)が存在している世界と言っても、その「意識」の覚醒度が様々に異なる世界、対象となる特定の「主題」に絞り込まない限り、基本的には/常に、複数の重層的な「意識」が構成され存在しているという、私たち人間だけに特有な「意識」の世界とその働きのメカに、脳科学者達が未だ気づいていないのです。

注1)様々な種類が数有る認知症の内の90%以上の割合を占めているのが、今回取り上げる「AD型認知症」/(生まれつき特定の遺伝子に異常が確認される人だけを対象として発病するのが特徴である「アルツハイマー病」とは、発病の機序が全く異なるのであり、両者をまとめて「アルツハイマー病」と呼称している人達は、肝心の「AD型認知症」についても、更には「アルツハイマー病」についても、その本質を理解していない人達なのです)と言うタイプの認知症なのです。「AD型認知症」の発病及び症状の重症化が進行するメカ並びに症状を治す方法及び発病自体を予防する方法の解明には、私たち人間だけに特有な「識」を構築するメカの理解及び上述の「機能発揮上の二重構造」の理解並びに「前頭葉」機能の廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行という問題の理解が不可欠となるのです。

様々な程度及び態様により発現して来る「AD型認知症」の症状が、「器質的な病変」に起因したものであるとか、更には「記憶障害」に起因したものであるとかの前提自体が根本的に誤ったものなのであり、その誤った前提内容の下で、「記憶障害」を惹起する原因として「老人斑」(アミロイドβ仮説:通説)やら、「神経原線維変化」(タウ蛋白仮説:少数説)とやらが主張されて来たのです(老人斑やら神経原線維変化の持つ毒性により、情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死が惹起されることに因り、「記憶障害」が惹き起こされてくることが、「AD型認知症」の症状の発現/重症化が進行する原因であるとする仮説のストーリーを組み立てているのですが、このストーリー自体が推論、空想、妄想に過ぎないのです。

『「AD型認知症」の症状は、「記憶障害」に起因して発現してくる』とする米国精神医学会が策定した「AD型認知症」の診断基準である「DSM-Ⅳ」の規定の「第一の要件」が、「記憶障害:memory impairment」の確認を要求している(impaired ability to learn new information or to recall previously learned information)こと自体が、発病との間の因果関係を未だに実証出来ていない単なる推論、空想の類に過ぎないものなのです。我が国を代表する理化学研究所や東大や京大がその規定を鵜呑みにして、アミロイドβ仮説を支持し、主張している様を見るのは、とても哀しいことなのです。

「記憶障害」が第一の要因だと主張する人達は、「AD型認知症」発病の最初の段階、正常域との境界域にある「軽度認知症(小ボケ」の段階の症状を精査してみて頂きたいのです。その段階では、「記憶障害」に起因した症状は欠片も観察することが出来なくて、複合機能体である「前頭葉」機能の機能障害に起因した症状だけしか確認されないのです。

「AD型認知症」の様々な症状、私たちの区分で言う「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の三段階に区分される段階的で類型的な症状は、「記憶障害」に起因して発現して来るものではないからなのです。言い換えると、「記憶障害」と言う要因と「AD型認知症」の発病/症状の重症化の進行との間には、肝心要の因果関係自体が存在していないのです。

加えて、「DSM-Ⅳ」の第二要件が確認を要求している失語失認又は失行(紛い)の症状の確認を待って初めて、「AD型認知症」の発病と診断していたのでは、本当の意味での早期の段階(私たち「二段階方式」が区分する「軽度認知症(小ボケ」及び「中等度認知症(中ボケ」の段階であって、「脳のリハビリ」により/正常な機能レベルに回復させることが可能な段階及び/又は症状の重症化の進行の抑制がまだ可能な段階を見落としてしまうことになるのです。為す術が何も残されていなくて、「介護」するだけの末期の段階、私たち「二段階方式」の区分で言う「重度認知症(大ボケ」の段階の/更に後期にならないと発現が確認出来ない/(極めて重度の症状)である失語や失認や失行(紛い)の症状ばかりを追い求めることに何の意味があると言うのでしょうか。

真の正体が、①廃用症候群に属する/②老化・廃用型の/③生活習慣病(但し、此処に言う「生活習慣」とは、食生活ではなくて、脳の使い方としての「生活習慣」であることに留意する)であるにすぎない「AD型認知症」の症状の進行を抑制/防止するにも、症状を治すにも、更には発病自体を予防するにも、そのとなるのは、アミロイドβの脳内からの排除ではなくて、「前頭葉」機能の活性化、就中、「前頭葉」機能を含む/脳全体が活性化する「生活習慣」の構築/改善/工夫及びその継続的な実践の自助努力と言う方法だけなのです。

注2)欧米では、日本の10倍以上もの規模がある製薬会社が治療薬の開発に相次いで失敗したことを受けて(アミロイドβ仮説を理論的な根拠とした治療薬の開発に失敗)、アミロイドβ仮説と言う仮説は、過去のものとなって行こうとしている状況にあるのですが、我が国では、理化学研究所や東大や京大が、依然としてアミロイドβ仮説を支持していて、わが国での牙城を形成しているのです。

「AD型認知症」の本態(真の正体)は、①廃用症候群に属する/②老化・廃用型の③単なる「生活習慣病」に過ぎないのであり、発病するかしないかは、①「第二の人生」を送っている(60歳を超える年齢)の『高齢者(発病の基盤の要因)』が、②日々の生活の中で、どのような「生き方」、脳の使い方としての『生活習慣』を送って行けるか/行けないかが分岐点となるのです。このことを標語的な表現で説明すると、『自分なりに追求する特定の「テーマ」が無く、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものが無い生き方、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続』が、発病/症状の重症化の進行を惹き起こす唯一の引き金(発病の「加重要因」)になるということなのです(私たち「二段階方式」が、世界で初めて解明!)。

様々な程度及び態様による発現が見られる「AD型認知症」の症状は、「記憶障害」に起因して発現してくるものではないことの証拠として、「前頭葉」機能を含む/脳全体の機能レベルに厳密にリンクした症状として私たち「二段階方式」が類型化した/①「軽度認知症(小ボケ」の段階の類型的な症状(正常域との境界にあって、「AD型認知症」の症状の初期の段階の症状が確認されているもの)/②「中等度認知症(中ボケ」の段階の類型的な症状/③「重度認知症(大ボケ」の段階の類型的な症状(「改訂版30項目問診票)」を参考までに、以下に、(各10項目)順次列挙しておきます。

&3   「MCI」の基準が抱える問題点(致命的な欠陥!)

(1)  学者や精神科医の間で最近はやりの基準、「軽度認知障害」(Mild Cognitive Impairment:「MCI」)という基準(概念)は、「AD型認知症」の発病の予備軍(発病の危険度が高い人達、言い換えると、「AD型認知症」の潜在的な発病状態にある人)のことを言うとされているのですが、この概念(基準)自体が、極めて曖昧な概念であり、且つ、「AD型認知症」の発病との間の因果関係が未だに立証されてはいないものに過ぎないのです。MCIの定義自体が、「健常者」と「AD型認知症」発病者との中間段階にある状態の人達を指すという、意味不明の定義なのです。

「AD型認知症」を発病してはいないものの、数年後にはそのうちの数パーセントの人達が「AD型認知症」の発病者に移行する可能性のある状態のことを言うと説明されているのです。But,更に、問題を指摘すると、「DSM-Ⅳ」の第二要件が、発病の症状として例示する失語紛い)の症状、又は失認紛い)の症状、若しくは失行紛い)の症状は、末期段階の「重度認知症(大ボケ)」の後期(30点が満点であるMMSEの得点が一桁)になって初めて発現して来る、「極めて重度の症状」が、例示されているのであり、その意味では、「MCI」の該当者は、私たち「二段階方式」の区分で言う「中等度認知症(中ボケ)」の後期(MMSEの得点が19~15点)乃至「重度認知症(大ボケ)」の前期(MMSEの得点が14~10点)当たりの『発病者である可能性が高い!!』のです。

(2)   即ち、私たち「二段階方式」が区分し、主張している(本当の意味での早期)の段階である「軽度認知症(小ボケ)」及び「中等度認知症(中ボケ)」の段階の発病者を指している訳ではないので注意してください。学者や医師達は、米国精神医学会が策定した「AD型認知症」の診断基準である「DSM-Ⅳ」の規定内容が正しいものとの前提に立っているので、①一つにはその「第一の要件」で確認が要求されている「記憶障害/極めて重度の物忘れの症状」に起因したものと言う誤解に立脚しているのです。『MCI』に該当する症状として挙げられているものを見ると、「記憶障害」の症状が中核の症状として挙げられているのです。②もう一つには、「DSM-Ⅳ」の「第二の要件」が規定している失語、失認又は失行(紛い)の症状の確認があって初めて、「AD型認知症」の発病と言う理解(これまた重大な誤解に過ぎないのですが)をしているので、彼らが言う「Mild Cognitive Impairment/軽度の認知障害の症状」と言うのは、失語、又は失認、若しくは失行(紛い)の症状より軽いものでありさえすれば、どんな症状でも良いのです。そもそも、「AD型認知症」の症状自体についての正しく明確な理解も出来ていなければ、本当の意味での早期の段階、私たち「二段階方式」の区分で言う本当の意味での早期の段階/「軽度認知症(小ボケ」及び「中等度認知症(中ボケ」の段階で発現して来ている症状が、「AD型認知症」の症状であることさえも知らない人達が、その権威だけを傘に着て、定義したものに過ぎないのです。

(コーヒー・ブレイク)

 (1)  私たち「二段階方式」が、「脳のリハビリ」(複合機能体である「前頭葉機能」を活性化させる生活習慣の改善と工夫)により回復させることが可能であるか否か及びその可能性有無の程度から、三段階に区分する「AD型認知症」の最初の段階である「軽度認知症(小ボケ」の段階(私たちの基準で言うところの「かなひろい」テストが不合格で、MMSEの換算値が24点~30点)では、左脳、右脳及び運動の脳の働き具合は未だ正常なレベルに在るのですが、脳全体の司令塔の役割をしている「前頭葉」機能の働き具合だけが、既に「異常なレベル」に衰えて来ているのです。「AD型認知症」の場合は、このように、私たちの「意識的/目的的な世界」を構築し、統括し、支配し、コントロールしていて、脳全体の司令塔としての役割、左脳、右脳及び運動の脳という三頭立ての馬車の「御者」としての役割を担っている、「前頭葉機能」の働きだけが、異常な機能レベルに衰えて来ていることに起因して発病の初期段階の症状(初期症状)が発現して来るのが特徴なのです。

(2) 「DSM-Ⅳ」の規定のように、「失語」、「失認」又は「失行」(紛い)の症状という末期の「重度認知症」の段階の更に後期の段階(30点が満点のMMSEの得点が一桁にしかならないまでに「前頭葉」機能をむ/脳全体の機能が、異常なレベルに衰えて来ている段階)にならないと発現することがない極めて重度の症状の確認を診断の要件としていたのでは、「本当の意味での早期の段階」(「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)を、見落としてしまうのです。発病の末期の段階、私たち「二段階方式」の区分で言う「重度認知症(大ボケ」の段階であり、「介護」する以外に、為す術が何も残されていない段階であり、食事をしたり、服を着たり脱いだり、入浴したり、大小便をしたりする等の「セルフ・ケア」もままならない状態、日常生活面で介護が不可欠となる段階になって初めて、「AD型認知症」の発病を見つけること、それが「DSM-Ⅳ」の規定が、そのような不都合な結果を招来させているのです(廃用症候群に属する/老化・廃用型の「生活習慣病」を本態とする「AD型認知症」は、早期の段階である「小ボケ」及び「中ボケ」の段階で発病見つければ、「脳のリハビリ」の実践により、①「小ボケ」は治すことが可能であり及び「中ボケ」は症状の重症化の進行の抑制が未だ可能(「介護」の対象となる、「大ボケ」には、させなくて済む。それに対して、「DSM-Ⅳ」の規定が確認を要求している失語や失認や失行(紛い)の症状を確認して初めて「AD型認知症」の発病と診断する「重大な誤り」が原因となって、末期の段階で発病を見つけて居るから治せない/だけのことなのです。全ての責任は、「DSM-Ⅳ」の規定内容の誤りにあるのです!!!

(5) 本当の意味での「早期の段階」、私たち「二段階方式」の区分で言う「軽度認知症(小ボケ」及び「中等度認知症(中ボケ」の段階で発病を見つけ、私たち人間の意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールする役割を担っていて脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉機能」が活性化する脳の使い方としての「生活習慣」の改善と工夫と継続的な実践とにより、症状を治すことが出来る及び発病自体を予防することが出来るのが、その本態が廃用症候群に属する/老化・廃用型の/「生活習慣病」に過ぎない「AD型認知症」と言うタイプの認知症の特徴なのです。その意味で、「AD型認知症」の症状の進行を抑制したり、又は症状を改善させる効能を有する(治療薬/予防薬)が開発されることは、未来永劫有り得ない事だということを再度強調しておきたいのです。

(6)『アミロイドβの蓄積により生成される「老人斑」自体のもつ毒性が、情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を招来させることが直接の原因となり、「記憶障害」が惹き起こされ、その「記憶障害」に起因して「AD型認知症」の様々な症状が発現してくるとの仮説』(或いは、『タウ蛋白の沈着により形成される「神経原線維変化」自体のもつ毒性が、情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を招来させることが原因となり、「記憶障害」が惹き起こされ、その記憶障害に起因して「AD型認知症」の様々な症状が発現してくるとの仮説』自体が、誤った内容の「仮説」だということに早く気づいて欲しいと切に願うのです。何度もこのブログで指摘してきているように、『「AD型認知症」と言うタイプの認知症は、廃用症候群に属する/老化・廃用型の/単なる「生活習慣病」に過ぎないのであり、①「第二の人生」を送っている/(60歳を超える年齢の)「高齢者」であることが、「発病の第一の要件/基盤の要因」であり、②自分なりに追求する特定の「テーマ」が無く、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものが無い生き方、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続が「発病の第二の要件/加重の要因」であり、①と②と言う、「異なる二つの要因が、同時に併存し、重なり合うことに因る「相剰効果」に因り、「前頭葉」機能を含む/脳全体の機能について廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくその先に「AD型認知症」の発病及び症状の重症化が待っているということなのです。様々な程度及び態様により発現してくる「AD型認知症」の症状は、「前頭葉」を含む/脳全体の機能レベルに厳密にリンクした、(三段階に区分される)「類型的な症状(改訂版30項目問診票)」が、発現して来るのが特徴なのです。

&4  「軽度認知症(小ボケ)」の段階に特有で、類型的な症状の10項目

(1)「小ボケ」の類型的症状の10項目(「改訂版かなひろいテスト」に不合格=「前頭葉」の機能が異常なレベルが前提となります)。
①三つ以上の用事を、同時に並行して処理できなくなる(『注意の分配力』の機能が異常なレベルに衰えて来た為、様々な場面で、物事をテキパキと処理できなくなる。車を運転している際に、注意の分配力が十分には発揮できない機能レベルに在る為、小さな事故を、しばしば起こすようになってくる。後続車を何台も従えていることにも注意が回せなくて、道路の真ん中よりを時速30キロ程で、ノロノロ運転するようになる。)
②一日や一週間の計画が立てられなくて、自分ではどんなテーマをどのように実行したら良いのか思いつかなくなる(注意の分配力の機能が異常なレベルにあるため、実行機能を駆使して発想、洞察、推理、シミュレーションすることが出来にくくなる)
③何かをやりかけても、中途半端で、根気が続かなくなってくる(テレビを見ていても、根気が続かず、やたらとチャンネルを変える)
④問いかけに対する反応が遅くなって、動作がもたもたしてくる
⑤発想力が乏しくなり、料理の内容や行動内容が画一的になる(同じ料理用の材料を重ねて買ってきて、冷蔵庫の中にたまる)
⑥本人は気づかないで、同じことを何度も繰り返し話したり、尋ねたりする(注意の分配力の機能が異常なレベルに在るため、自分が話した内容の記銘度が低いので、ついさっき話したことを忘れている)
⑦何か、何事かに対して、生き甲斐を覚えている雰囲気が無くなってくる(注意の分配力の機能が異常なレベルに在るため、評価の物差しが十分には働かない結果、それまでなら覚えていた生き甲斐を感じられなくなる)
⑧何かをするでもなく、ぼんやりして過ごしていることが多くなり、やたらと居眠りするようになる(注意の分配力の機能が異常なレベルに在る為、実行機能の一要素である「実行テーマ」を発想する機能が発揮できなくなってくる)
⑨思い込みや思い違いが多くなり、相手の意見を聞き入れられなくなる(実行機能の一要素である抑制する力が異常なレベルに衰えたせい)した「大ボケ」の段階の症状の発現を初期症状だと誤解しているのです。「介護」の仕事に従事している人達は、本態が、廃用症候群に属する老化廃用型の『生活習慣病』であることを知らない。その結果、症状の重症化の進行自体が、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行して行くこととなる為に、より高度な機能の順番に、『前頭葉機能⇒左脳⇒右脳⇒運動の脳』の厳密な順番に衰えが進行して行くことも知らない。
⑩眼の光がどんよりとして無表情、何事にも感動しなくなる
 

&5  「中等度認知症(中ボケ)」の段階に特有で、類型的な症状の10項目

(1)「中ボケ」の類型的症状の10項目(「改訂版かなひろいテスト」に不合格=「前頭葉」の機能が異常なレベルが前提となります)。
⑪何度教えても日付があやふやになる(今日が何日なのか、あやふやになる)
⑫簡単な計算も嫌になり、買い物で小銭がやたらと貯まるようになる
⑬料理が上手くできなくなって、味付けが塩辛すぎるようになる
⑭ガス、電気の消し忘れ、水道の蛇口の閉め忘れが目立つようになる
⑮2~3種類の薬の服薬管理が出来なくなり、家族が管理する必要がある
⑯外出を嫌がるようになり、日常の身だしなみにも無頓着になる(行き慣れた場所に行くにも、道を間違えたり、乗るバスを間違える)
⑰今まで出来ていた、家庭内の簡単な用事(洗濯、掃除、片付け)も出来なくなる
⑱季節や目的にあった服を選べなくなる(日、年、月、季節、昼夜の順に衰えて行くことになる「時の見当識」が衰えて、季節の感覚が分からなくなる)
⑲昨日の出来事をすっかり忘れてしまう
⑳お金や持ち物のしまい場所を忘れ、誰かに盗まれたと騒ぐようになる
 

&6  「重度認知症(大ボケ)」の段階に特有で、類型的な症状の10項目

(1)「大ボケ」の類型的症状の10項目(「改訂版かなひろいテスト」に不合格=「前頭葉」の機能が異常なレベルが前提となります)。
㉑しばしば、自宅の方向が分からなくなる(所の見当識が働かなくなってきている為に、結果として、徘徊することになる)
㉒ 服を一人では正しく着られず、上着に足を通したりする(着衣失行)
㉓ 同居の家族の名前や関係が分からなくなる(人の見当識がなくなる)
㉔ 田んぼに行く、会社に行くとか言い、夜中に騒ぐようになる(時の見当識もなくなる)
㉕ 大小便を失敗し、後の処置が上手くできない
㉖ 汚れた下着を、そのまま平気で来ている
㉗ 独り言や同じ言葉の繰り返しが目立つ
㉘ 風呂に入ることを嫌がるようになる
㉙ 食事をしたことを直ぐに忘れる
㉚ 誰もいないのに、『人が居る』と言ったりする
(2)(『DSM-Ⅳ』の第二要件が規定する内容が正しいと信じている)為に、精神科医は、「小ボケ」や「中ボケ」の段階の存在自体を知らないので、上記に提示した「小ボケ」及び「中ボケ」の段階が見落とされているのです「DSM-Ⅳ」の規定内容は、とんでもない大間違いなのです。失語や失認や失行(紛い)の症状が確認される段階では、発病を見つけるのが遅すぎるのです。
「DSM-Ⅳ」の規定内容自体が重大な誤りであることに気づかないで、「第二の要件」を正しいものとの前提に立って、極めて重度の症状ばかりを追い掛け回していることが一つの問題なのです。
もう一つの問題はと言うと、「DSM-Ⅳ」が「第一の要件」で規定し確認を要求している「記憶障害」に起因したものとしての症状が「AD型認知症」の様々な症状を発現させているとの重大な誤解の問題なのです。私たちの「二段階方式」の手技が明らかにしたように、「前頭葉機能」と言う複合機能体に照準を定めて、正常域との境界域であり、極めて早い段階での「AD型認知症」としての症状の発現である「軽度認知症(小ボケ」の段階で発現してくる様々な症状を判定し、鑑別し、類型化してみれば、「DSM-Ⅳ」が推論により定義した「記憶障害」に起因した症状なのではなくて、「前頭葉機能」の機能障害に起因した症状、然も、器質的な病変ではなくて脳の使い方としての「生活習慣」に根差した廃用性の機能低下が発病の真の/直接の原因であることが明確に分かるのです。
その一つの/客観的で厳密な証拠が、『「MMSEの下位項目」には、出来なくなっていく厳密な順番という「規則性」が存在している』と言う14689例の症例を集積した/客観的で精緻な「脳機能データ」の存在なのです。
 

&.7 車の運転に関わる脳機能

何かの用事の為であれ、どこかへ遊びに行く為であれ、車を運転して出かけている際は、運転中にハンドリングのみに全神経を集中して運転をし続けるということは絶対に無いことなのです!!

レーシングドライバーのレース中の運転とはそこのところが違うのです。BGMを楽しみながらの運転だったり、同乗者との会話を楽しみながらの運転だったり、或いは、途中の景色を楽しみながらの運転だったり、この先訪れる場所での楽しみ事を想像しながらの運転であったり、庭の花木の刈込や草花の整理を遊びに出かける為にやり残してきたことを心の負担に感じながらの運転であったりするのが、私たち市民ドライバーの通常の運転の仕方なのです。私もその例にもれず、ダイヤランドの脳活性化研究所へ行き、部屋の掃除や湿った空気の入れ替えや布団の陰干しのこと並びに途中で中伊豆の創作レストランTAKAで昼食を楽しんでから行くことを頭の隅に残しつつ、BGMを楽しみつつ/途中の景色も楽しみつつ運転をしていくつもりでいたのです。一人で運転していたので、同乗者との会話は無かったのですが、実は一つ気がかりなテーマがあって、途中ずっとそのテーマが脳裏を横切り続けての運転だったのです。そのテーマはと言うと、梅雨の長雨で湿ったままの状態にして置かれている脳活性化研究所の1階の各部屋の状態のことだったのです。あれこれと考えながらの運転だったせいで、途中ずっと、BGMを楽しむとか、途中の景色を楽しむとかの心の余裕がなくなった儘の状態で、運転をしていたのです。梅雨の長雨のせいで部屋が湿っているのではないかとか、カビ臭い匂いがしていたらどうしようかとか、畳にしみこんだカビ臭い匂いを消す為のアルコール消毒液をカインズホームで買って行った方が良いのではとか、そうしたテーマに気持ちがずっと偏っている状態で運転をしていたのです。

そのせいで、レストランTAKAについて、駐車場に車を止めて来た道を振り返ってみた時に、梅ノ木平で国道135号を左折して横道に入った時の状況も、冷川の信号で左折してきたときの状況も、全くのこと想い出すことが出来なかったのです。何等の事故を起こすことなく、溝に脱輪することもなく、ちゃんと目的地の一つである中伊豆の創作料理の店TAKAの駐車場に車を止めている私がそこに居るのです。あー、それなのに、梅ノ木平/冷川で信号が青に変わったことを認識した上で交差点で左折してここまでやってきている、その途中の経過を、特に梅ノ木平と冷川での左折時の状況を全くのこと想い出すことが出来ないのです。

「加齢」の進行による(正常老化の進行)により、緩やかながらも「前頭葉の三本柱」の機能、中でも最も高度な機能である「注意の分配力」の機能の潜在的な能力のスパンが低下して来ている為、複数の対象の【記銘度低くなって来ていて!!】、その為に想起しにくい(想い出すことが出来ない)のです。「注意の分配力」の機能により、異なる複数の意識が同時に並行して存在する状態が、通常の状態であるのが、「意識」が関わる世界、意識的/目的的な世界の特徴なのです!!

何十年間も車の運転をしてきていて、自分の周りの道路状況を認識したり、信号が赤から青に変わって進行可能となった事を認識したり、そこからの行く先を考えてハンドルを左に切るなどの行為は、殆ど身体に滲み込んでいるようなものなので、僅かな注意を分配するだけでそれなりに適切、的確な動作を行うことが出来るのです。一方で、『大半の注意は、道中ずっと気にかかっていたメインの「テーマ」に分配されていた状況』なので、交差点での道路状況や信号が赤から青に変わったことの認識やハンドル操作などに対しての認識は「記銘度が極めて低いものだったということなのです。記銘度が極めて低かったので、その結果として想起することが出来ないということなのです。日常の生活面で車を運転する機会がそれなりに有る皆さんであれば、特に、「第二の人生」を送っている60歳を超える年齢の「高齢者」に該当する方であれば、こうした体験は日常茶飯事のことだと思うのです。

&8 「AD型認知症高齢者」の車の運転と脳の機能との関係

「認知症高齢者」の車の運転による事故が取り上げられるとき、その場合に言う認知症高齢者とは、「AD型認知症」を発病している「お年寄り」のことだということに注意しておいていただきたいのです。一口に認知症と言っても、様々な種類が数有るのであり、その場合に車の運転を日常生活で実施する認知症高齢者は「AD型認知症」を発病している場合に限られる、その理由は次の二つの要因に整理されるのです。

一つは、「AD型認知症」の場合は、「症状の幅が極めて広い(私たち独自の区分で言うと、「脳のリハビリ」による回復の可能性とその程度により、小ボケ、中ボケ及び大ボケの三段階に区分しています)」上に、「身体だけは丈夫である」のが特徴なので、「小ボケ」や「中ボケ」の段階にあるお年寄りが車を運転しているケースは、意外に多いのです!!!

更に、もう一つの理由は、「AD型認知症」を発病している高齢者は、特に「小ボケ」及び「中ボケ」の段階の症状が発現して来ているだけのお年寄りの場合には、脳血管性認知症の場合のような重度の後遺症を抱えることもなく、言葉もそれなりに操れるし、(「前頭葉」の機能レベルを判定してみない限りは!!)、一見したところ/普通のお年寄りにしか見えないからなのです。

上述の理由と種類が数有る認知症全体の90%以上の割合を「AD型認知症」の発病者が占めることからも、認知症を発病しているにも拘わらず、車を運転しているお年寄りの殆ど全てがAD型認知症」を発病していることになるのです。更なる問題としては、「AD型認知症」の特徴として、症状が「三つの段階」に区分されることが認知症を専門とする医師達に理解されていなくて、「小ボケ」及び「中ボケ」の段階のお年寄りが、見落とされているという問題があるのです。

物忘れの症状が多発していることで、「軽度認知障害」(MCI)であるとか診断されていて、認知症の予防の為とか説明されて、効きもしない「薬」を処方されているケースが殆どの場合なのですけど(報道で、認知症と診断された高齢者による車の運転と言うのは、殆どがこのような場合なのです)。医師が「AD型認知症」の発病であると診断するときは、「DSM-Ⅳ」の規定の「第二の要件」で確認が要求されている症状、失語や失認や失行(紛い)の症状が確認されていることになる訳なので、そうした症状が発現しているお年寄り(末期の段階である「大ボケ」の段階の更に後期にならないとそうした症状が発現してくることは無いのです)が車を運転している状況は基本的には有り得ない事になるのです。そうした背景事情の下で、「小ボケ」や「中ボケ」の段階に在るお年寄りが車を運転するとなると、問題を起こすことになるのです。

小ボケの段階で既に「前頭葉の三本柱」の機能は、異常な機能レベルに在るので、肝心の「注意の分配力」の機能が十分には発揮されないのです。走行している道路の状況(車の込み具合、自転車や人の往来の状況、道路の広さを含む道路状況、道路標識の状況、走行している車のスピードの状況、自分が運転している車の状況)等、複数の異なったテーマに注意を同時に並行して分配することが要求されている状況に対して、肝心の我が身の注意の分配力の機能がついていけないのです。何しろ、「小ボケ」で既に異常な機能レベルに在って、「中ボケ」はもっと異常なレベルに機能が低下している訳なのですから。「小ボケ」の段階の車の運転の特徴はと言えば、車の流れや込み具合などと言った道路の状況に注意を分配することが出来なくて、30KM/時程度のスピードで運転し、後に車を引き連れた状態でノロノロ運転をしつつ、道路の真ん中よりを必死の形相で走行するのが関の山なのですから。

&9   高齢者の運転機能の適性を判定する適切な方法(手技)

私たちが日常の生活面で車の運転を行っている状況はと言うと、一方では行き交う車やバイクや自転車や人の流れにもそれなりの注意を分配しつつ、他方ではBGMを楽しみながら、お友達との会話を楽しみながら、移り行く周囲の景色を楽しみながら、今日のお昼はどこで何を食べようかとか、夏休みになったら久しぶりにやってくる孫たちにどんなことをしてやろうかとか、何かの「テーマ」についてあれこれと考えながらの運転、ナガラ運転をしている場合が通常のはずなのです。これを脳の機能面から言うと、注意の分配力の機能がフル回転しながら車を運転しているということになる訳なのです。ところが「AD型認知症」と言うタイプの認知症の場合には、「前頭葉」の機能を中核とした、且つ「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくことにより認知症の症状が発現してきて、「小ボケ」、「中ボケ」、「大ボケ」の順に、次第に症状が重くなっていくのです。私たちが区分する三段階を標語的に表現すれば、『「小ボケ」の特徴は、何事も人に頼ろうとする指示待ち人』であり、『「中ボケ」の特徴は、口先がうまいだけの幼稚園児』であり、『「大ボケ」の特徴は、3歳児以下の機能レベルに在って、脳が居眠りしている状態に在る』と言うことなのです。その中でも、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉機能」、就中、「前頭葉の三本柱」の機能、その中でも「注意の分配力」の機能の機能レベルに注目する必要があるということなのです。通行している道路自体の状況の把握、行き交う車やバイクや自転車や人の流れに対する目配り、車の通行量や速度の状況及び車間距離と自身の車の速度の適性に対する判断、更には、信号や道路標識の指示の内容の理解と判断、それらすべてに対応する形でのハンドリングやスピードの出し方の的確、適切さ、全てが「注意の分配力」の機能(異なった複数のテーマを同時に並行して処理する機能)が正常な機能レベルで働いていることを強く要求しているものばかりなのです

小ボケ」の段階と言うのは、脳の機能面から定義すると、左脳、右脳及び運動の脳のいずれの機能も正常な機能レベルにある中で、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉機能」、就中、「前頭葉の三本柱」の機能が異常なレベルに機能低下して来ている状態を言うのです。然も、「前頭葉の三本柱」の機能の内で最も高度な機能であり、最初に衰えて行くのが「注意の分配力」の機能なのです。その意味で、車の運転能力の適性を的確、且つ精緻に判定するには、「前頭葉の三本柱」の機能、就中、「注意の分配力」の機能が正常な機能レベルにあるのか否かを精緻に判定することが必要不可欠の条件となるのです。

     注)本著作物「Bー11」に記載され表現された内容に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

 

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