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225301 何故「暴走検察」になったのか?が良く解る、魚住昭氏の分析記事①

2010年01月29日 | アメリカ→官邸・電通→マスコミの日本支配
225301 何故「暴走検察」になったのか?が良く解る、魚住昭氏の分析記事①
  猛獣王S ( 30代 営業 ) 10/01/28 PM10


『何故「暴走検察」になったのか?が良く解る、魚住昭氏の分析記事(AERA 06.7.10号より)』(日々坦々)リンクより転載します。
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三年半前のアエラの記事は、現在の特捜がどうして暴走するようになったのか?その経緯と理由がよくわかる。

以下転載(AERA 06.7.10号より)


≪ライブドアから村上ファンド事件では、東京地検特捜部の暴走ぶりが際立つ。「最強の捜査機関」の内部で、何が起きているのか。司法記者として長年、検察を深く取材してきたジャーナリストの魚住昭氏が、暗部に迫る

・・・では、なぜこんな国策捜査が頻繁に行われるようになったのか。私の見るところ、その引き金になったのは1992年の東京佐川急便事件である。この事件では「政界のドン」といわれた金丸信自民党副総裁が5億円のヤミ献金を受けたことが明らかになった。だが、特捜部は金丸氏の事情聴取もせずに彼を政治資金規正法違反で略式起訴(罰金20万円)し、国民の凄まじい反発を買った。 霞ヶ関の検察庁舎の玄関には抗議の黄色いペンキがぶちまけられた。

ある最高検検事は「検察庁は幻想の上に成り立っている役所なんだ。特捜部があるから検察は巨悪を摘発してくれると誰もが信じ、それが検察を支えてきた。なのにこんな決着をしたんじゃ、検察への信頼が根底から揺らいでしまう」と悲痛な声をあげた。検察が直面した戦後最大の危機だった。

●政府機関トップに続々

ところが翌年3月、特捜部が金丸氏を巨額脱税容疑で逮捕すると、状況は一変した。検察不信の声は拍手喝采に変わった。事件の衝撃で38年に及ぶ自民党一党支配が終わり、ロッキード事件以来、検察に重くのしかかってきた旧田中派の重圧も消えた。やがて検察OBが政府機関のトップに次々起用されるようになった。預金保険機構理事長、公正取引委員会委員長、証券取引等監視委員会委員長、金融監督庁長官・・・検察は我が世の春を迎え、国家の秩序を支える司法官僚としての自負心が驕りに変わった。組織の安泰のためにやらなければならないことはただ一つ、時代の「象徴的な事件を作り出し、それを断罪する」作業を繰り返すことだ。

90年代後半から、司法官僚の驕りとポピュリズムがないまぜになった国策捜査が本格化した。99年の長銀・日債銀事件も破綻銀行の法的処理を促進する金融再生法に基づく国策捜査だった。

このとき刑事責任を問われた銀行幹部の多くは破綻の原因をつくったバブル時代の経営陣ではなく、その尻拭いをした後任者だった。捜査の目的は破綻の原因と責任の所在を明らかにすることではない。国民の前に”生け贄のヒツジ”を差し出すことである。 皮肉にもと言うべきか、それとも当然にもというべきか、国策捜査が繰り返されるにつれ、特捜部の捜査能力は落ちていった。それを最初に示したのは不動産開発のコリンズグループ総帥・小林政雄氏が返済の見込みのない無担保融資を受けたとして特別背任罪に問われた事件(96年)だろう。

コリンズグループは都内の土地(公簿面積約3300平方メートル)を担保に住専から85億円の融資を受けていた。特捜部はこの土地の公簿面積をもとに担保評価額を600億円と算定。すでにこの土地には別のノンバンクが601億円の抵当権を設定したから、住専からの85億円は無担保融資だったと断定した。

ところが、裁判の過程でこの土地には公簿面積より実測面積が大きくなる「縄延び」が相当であることがわかった。その差は約190平方メートル。少なくとも約35億円分の担保余力があったことが判明した。
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続く

 

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