サラリーマン活力再生

対米追従の政治家・官邸・マスコミ等と闘う「民族派」「国益派」を応援し、「安心して暮らせる社会」を目指すブログ

160344 毛沢東の日中同盟論

2007年09月03日 | アメリカ:闇の支配勢力と略奪闘争
160344 毛沢東の日中同盟論
  猛獣王S HP ( 30代 営業 ) 07/09/03 AM11


『中国利権のタブー』159713より「毛沢東の日中同盟論」について転載します。
----------------------------------------------------------------
◆毛沢東の「日中同盟論」

日本と中国の国交正常化は七二年九月、田中角栄総理(当時)が中国を訪問したことで実現した。しかし両国が日中共同声明に調印するまで、交渉は難航し続けた。中国側は周恩来総理が交渉を仕切っていた。両者は四日間にわたって合計四回の首脳会談を持ったが、最大の壁は、第二回会談で噴出した歴史認識に関する問題だった。先の戦争に対して田中角栄は、「添了麻煩(御迷惑をかけました)」という言葉で謝罪したが、その表現が「あまりに軽い」と中国側から非難が集中したのである。

問題が解決しないまま、翌日の第三回会談では国際情勢について議論が交わされた。しかし、交渉はデッドロック状態のまま遅々として進まない。田中と帯同していた大平正芳外相は一時、帰国まで考えたといわれている。だが、足踏み状態はその夜に開かれた毛沢東主席との会見で劇的に転換し、翌日の第四回会談で事実上の正常化合意にいっきに到達したのである。

田中・毛沢東会見で何かがあったのだ。公式には、会見の場で政治的な話はいっさい出なかったとされている。たしかに両者の会見は、わずか一時間で終わっている。私は長年にわたる関係者への取材をもとに、毛沢東が田中に何を話したのか、その真相を探ったことがある(『田中角栄と毛沢東』講談社)。

会見で毛は戦争責任の問題をめぐって紛糾している政府間の協議について、「喧嘩は済みましたか」と笑いながら批評しつつ、いきなり田中たち日本側の度肝を抜くような警言を始めたのである(以下・同書から引用)。

「毛沢東は田中角栄の目の前で、やおら右手を頭上にあげた。その手を左右にゆっくりと振る。田中たちの前で何度か同じ動作を繰り返した後、彼は視線を泳がせるようにしながら口を開いた。

「田中先生日本には四つの敵があります」
毛は右手の指を一本ずつ折り始めた。
「最初の敵はソ連です」親指が曲がった。
「二番目がアメリカです」
人指し指がたたまれる。
「そしてEC(ヨーロッパ一です」
中指を折りながら、発言が続いた。
「最後が」と言いつつ、毛の薬指が曲がった。
「それは中国です」

この後、毛はヒットラーと東条英機を例に挙げて、前者は「イギリス、フランスを敵に回し、ソ連に挑み、最後にアメリカと衝突したのです」と切り捨て、後者については、「最初に中国と戦いました。アメリカに戦争を挑み、イギリス、フランスとも衝突しました。最後にはソ連とも戦う羽目に陥ってしまった」と指摘して、二人は統一戦線の形成に失敗し、世界から孤立して、自滅していったと潮笑したのである。

最後に毛は、田中にこう提案したのだった。

「あなた方はもう一度ヒットラーや東条の歩んだ道を歩むのですか。よく考えなくてはいけません。世界から孤立して、自暴自棄になって自滅していくのですか。アメリカ、ソ連、欧州、そして中国。この四つを同時に敵に回すのですか。どうですか。田中先生、組むというなら徹底して組もうではありませんか」

毛沢東の口から出たのは日中同盟論だった。毛はアメリカ、ソ違、欧州、日本、そして中国を大国として考えていた。その半年前、当時のニクソン米国大統領も中国を訪問しているが、実はそのニクソンも六七年に、外交問題誌『フォーリン・アフェアーズ』の中で、アジアの将来は、中国、日本、アメリカなどの大国が決定するとして、日本の経済成長と外交、軍事的役割を国際的にどう位置づけるのかを論じている。

つまり、世界にはアメリカ、ソ連、中国、それに敗戦の後遺症から立ち直って台頭してきた日本と欧州(西ドィツ)の五大強国があり、各国がそれぞれ、どの国とどう「組む」のかといった模索が始まっていたのである。

毛は田中角栄に、日本と中国というアジアの黄色人種国家が、ソ連、アメリカ、それに欧州という白人の国々に対抗する戦略論を提示したのだった。
----------------------------------------------------------------


コメントを投稿