トホホおやぢのブログ.....

アンチエイジング、自転車、ダイエット、スイム、ラン等々、徒然なるままを・・・

walkmanとipod....に思う

2011-10-09 09:36:00 | 他愛無き事
前の話の続きではないのだけれど・・・・

 携帯用音楽プレーヤーといえば、僕らの世代はwalkmanだったが、いまやそれはチョイト昔の話らしい。チンパンジー?だかを使ったTVCMはインパクトがあった。

 貧乏学生は、ホンモノが買えないのでWalkmanもどきを買っていた。そういえば、もしかしたら、今持っているJOGG用のそれは、僕にとって最初のWalkmanかもしれない(笑)

 知り合いの若者にWalkmanと言ったら、一瞬間をおいて
「・・・・ああ、SONYのipadみたいな奴ね。」
と言われた。おやぢ的には内心”SONYが本家だろうがっ!”と思った。

昨日、たまたまiphoneの修理で銀座のアップルストアに出かけた。店頭には多くの人が花を捧げ、カリスマ的経営者のジョブスの死を悼んでいる人々だらけで、入り口にたどり着くのも苦労したくらいだ。その時にふと「ipadのみたいな・・・」を思い出し、
入り口付近の人達を観察したら、私以上であろうおやぢ達は、ほとんど見当たらなかった。
(少し離れたところで、何事だ?と銀ブラしている同世代以上はたくさんいたが・・・)

そう、残念ながらwalkmanは、携帯音楽プレーヤーのフラッグシップでは無いのだ。
少なくとも、若い世代にとってはアップルの供給するそれがそれなのだ。
SONY発展の立役者、盛田昭夫氏や井深大氏が他界された時に、当時、たくさん若者が同じような行動をした記憶はない。
当時若者だった私自身が残念だと思ったことは記憶にあるが・・・・

ゼロから世界的な企業に育てた経営的な功績という意味では、似ているのだが創業者の死が世の中に与えた影響は、比較にならない。

思うに情報伝達方法の変化が、情報の価値そのものを変化されているような気がする。既存のメディアTVや新聞の情報報が、それぞれのタイムラグとある種の検閲と間引きを経て公開されるのに対し、いまや瞬時に情報は平面的に爆発的に拡大してしまう世の中。川上から川下に伝わった昔にくらべて、情報に対する価値観が変化してきていると思うのだ。
したがって、例えばジョブス氏のキャラクターやその価値の情報というのは、良い意味でも悪い意味でも増幅されてレシーバーに伝わるのは無いだろうか?

だからレシーバーの一人として、それは聞いたことがあるような言葉でも とても魅力的だ。

「過去33年間、私は毎朝鏡の中の自分に向かって『もし今日が自分の人生最後の日だったら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか』と問い掛ける。そして答えが「ノー」の日が続いたら、何かを変えなければいけないと思う。自分はいつか死ぬと思い続けることは、私が知る限り、何かを失うかもしれないという思考のわなに陥るのを防ぐ最善の方法だ」。スタンフォード大学で2005年に行った有名な講演

合掌