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キはキモノのキ

キモノ‥愛してます

私のきものみち・序章その2「私の恥ずかしい写真」

2006年09月04日 | キモノとわたくし

 前回の私のきものみち・序章で「キモノが好きだなあと思いつつ、何となく縁がなく過ごしてきた」と書きました。でも、後からだんだん思い出しました。忌わしい記憶と封印していましたが、実はこんなこともあったのです‥。

  それは8年前、金沢に住んでいたときのこと。友人が落語と日本酒の会を主催しました。旅館を貸しきって、飲み仲間の真打さんに落語を演ってもらい、そのあとの宴会ではそれぞれ飛び切りの日本酒を持ち寄って飲み明かそうという、夢のような企画。
 もう「行く!」と即答です。ウキウキした気分で私が思いついたのが「キモノ着ていこう!」でした。古い日本旅館・落語・和食・日本酒。これはもうキモノでしょう!というノリで‥浴衣しか自分で着られないくせに‥なんというおっちょこちょいでしょう。このせいでいろいろ痛い目に遭っているというのにこればっかりは今でも治ってません。

  さて当日。着付け、なかなかうまくいきません。帯の結び方も、本を見てもよくわからない。焦るけれども時間は迫る。えーいもう、これでいいやあ!といいかげんで外に出ました。
 この日、私は金沢市民の台所「近江町市場」に落語家さんと遠来のお客様を案内する役割でした。初対面の方々に「わーキモノだー」とちやほやされ、嬉しくなって市場をぶいぶい歩き回り、その勢いで落語を聴いて大笑いして、上機嫌で宴会になだれ込みました。
 その宴会にて。綺羅星のごとく並ぶ銘酒をあれこれと飲みつつ‥不意にハッと気づきました。 私・・・・この着付け・・・・!!!

              
 (胸に挿してあるのは皆が持ち込んだお酒のリスト。すごく嬉しそうな顔で写っている)

  !!!!・・・・ひだりまえだ・・・・!!!!

  なんちゅうかもう、顔から火が出るとはこのことです。いくらあわててたとはいえ、 なんちゅう恥ずかしい間違いを!!!
 今から思うに、鏡に映った自分と本の写真とを見比べつつ着たせいだと思うのですが‥それにしても。早く気づけよっ>自分。

 この格好で私は金沢の真ん中近江町市場を嬉しそうに歩き回っていたのです。今なら泣くほど恥ずかしい罰ゲームですが、気づかんということは恐ろしい。金沢といえば小京都、キモノにうるさい人もたくさんいたろうに。道行く人は、いい年してなんちゅーおばかさんだと思ったのではないでしょうか。誰にも何も言われなかったのは、あまりといえばあんまりに初歩な間違いなので皆あっけにとられたのでしょうか。

 宴会仲間、とくに落語家さんは、気づいているけど武士の情けで言わんとおいてくれたのだと思います。その気遣いは嬉しいけれど気づいてみると恥ずかしい‥といって、すぐに部屋に引っ込んでささっと直せるような技はもとよりなく、結局一次会が終わるまでその格好で酒を飲んでおりました。
 なので、その会の写真には左前で市場のし歩く私・左前で落語聴いて笑う私・左前でうまそーに酒を飲む私‥が満載で、今見ても顔が赤くなります。最後に撮った集合写真では一生懸命胸元を隠して写っておりました。

#これを読んでおいでの方であの画像持ってる方いましたら、お願いですから左右反転して保存してください。

 ちなみにこの会、この後どういうわけか「キモノを着て落語を聴く会」みたいなふうになって今も金沢で続いています。会場も変わり持ち込み宴会もなくなりましたが、打ち上げで美味しい日本酒を飲むってのは変わっていません。ここ愛知に転居してからも毎回楽しみです。今年も私、でかけます、キモノ着て。ちゃんと前合わせを確認して。
 よろしかったら、みなさまもいかがですか?「き楽寄席 笑福亭小つる金沢落語会」
http://homepage2.nifty.com/kanazawa-rakugo/kirakuyose/2006/index.html
 キモノ推奨ですが、洋服でもOK.

 このほかにも、いいかげんにお太鼓を結んで出かけたらいつのまにか「だらり」となっていて恥ずかしかったりなど、、「キモノが好きだ。着たい。着よう」と蛮勇を奮って赤っ恥ってなことがいろいろあって、いつか着付けをちゃんと習わねば、という思いは心の中にしっかりと刻み込まれていたのでした。
  
  (後姿も変です)

 (まだ続くきものみち。次回は一章・着付け教室編)

 

 


私のきものみち・序章

2006年08月31日 | キモノとわたくし

 キモノを好きになったのは‥思い返してみれば幼い頃、お正月にキモノを着せてもらっていたせいかな?と思う。綺麗な色のひらひらとした晴れ着を着せてもらって、いつもよりちやほやしてもらって気分良かったのを覚えている。

  そのキモノを買ってくれたのは、多分母方祖母。とてもキモノが好きな人だった。遠くに住んでいたのでお盆かお正月にしか会えなかったけれど、普通にキモノを着てくつろいでいた姿が心に残っている。
 祖母はお嬢さん育ちの人で、娘の頃はさんざん着道楽したらしい。けれども戦争で実家が没落し、結婚してからは2男4女を抱えて、食べるものにもこと欠く暮らしを強いられた。賢くやりくりするような気働きはないひとだったから、だいぶ苦労しただろう。でも、そんな中でもキモノ好きの心は消えず、こっそり呉服屋さんを出入りさせていたそうだ。


  祖母の昼夜帯、海老柄。これは多分若い頃の?

  私の母は長女だったので、そんな祖母を批判的に見て育った。「ろくなもの食べずにキモノ買うなんて」なので母はむしろキモノ嫌い。「キモノなんて、お金がかかってめんどくさいばっかり」とよく言っていた。
 そのためか、4つ身の晴れ着が着られなくなってからは、お正月にキモノを着ることもなくなった。ねだるのも気が引けたし‥少女マンガなんかで、嫌がる女の子に無理やり晴れ着を着せて喜ぶ母親の図、なんてのがあると羨ましかったなあ。「どうせ着ないでしょ」ということで、成人式や卒業式は貸衣装だった。
 ・・まぁ、着られたからいいけど。

  そういうわけで、キモノが好きだなあと思いつつ、何となく縁がなく過ごしてきたのだった。浴衣くらいは本を見ながら自分で着方を覚えたけれど、普通のキモノはなんだか敷居が高かった。
 でも、いつかキモノをもっと着たい、自分で着られるようになりたいという思いはずーーーっと持ち続けていたのだった。

 その思いをかなえるべく動き始めたのはつい2年ちょっと前。近所の公民館で開催されていた着付け教室に通いはじめてからだった。
(この項続く)